物心ついたときから周りに"人ではないもの"が平然と暮らしていることが当たり前だった。赤ん坊の頃は母が忙しく家事に精を出していれば幼きなりをした短刀さまたちが見守り、あやしてくれた。まるで頼りになる兄のごとくしたっており、今でも会うと昔話が次々に出てくる。家から出ることの少なかった未就学児の時分は特にべったりとくっついて大変ご迷惑をおかけした。兄や姉は少し歳が離れていたから余計にかまってもらえるのが嬉しかったのかもしれない。
小学校に上がる頃、祖父から"あれら"について教えてもらい初めて人ではないということを知った。全部理解できたわけではなかったが、納得できる部分もありストンと落とし込めた感覚がした。それまでもやたらと華やかな人がいると子供心に思っていた。家以外では見たことのない色を持ったひとが出入りしているのが不思議だった。そのひとたちのことは家から一歩出るとなにも覚えてなかった、というのは今覚えば術がかけられていたのだろう。幼児のことだ、なんと言い含めても口にしてしまう危険性を考えたら理にかなっている。大人になってから審神者という職と歴史修正主義者との争いは公然の秘密のようなもので、名前くらいなら誰もが聞いたことがあるのだとわかった。時折押し売りセールスマンのような歴史修正主義者の噂が流れた。しかしよほど変えたい過去があるか怨みでも持っていない限り引っかかるようなものではないのか、すぐに立ち消えてしまった。それから少しずつ家のことを教えられ小学校を卒業する頃には占いや呪いを一通り経験していた。やった分だけ上達はするがとても才能に恵まれたとは言い難く、親からは無理に審神者を目指す必要はないといわれしかしぼんやりと同じような職につくのだろうと感じていた。
けれども、才能の壁、というものは子供心に思っていたものより厚かった。それならばと、審神者という職が過去を守るなら自分は今を守ろうと考えるようになったのは高校に上がる時か。その頃には大学を卒業した兄も審神者として本丸を持ち滅多に帰ってくることがなくなり、母親も審神者に復帰していきあまり関わりはなくなっていた。そもそも家でも話ができるようなものではないし、概要しか聞いたことのない仕事より目に見え、人の役に立つ職につきたいという思いも少しはあったかもしれない。
そのひとと
暗い資料室に呼ばれ、奥から二番目の書架に背を向けて立ち最上段の資料の番号を目で追う。上司に呼ばれたのはどうやら“電話番”に選ばれたからのようだった。通常業務よりも優先度の高い業務が別ルートから振られるようになり、呼び出しがいつかかるかもわからない。電話番というのも通称というよりは業務を中座して電話を取ることへの蔑称に近い。風見の申し付けられた指示に相手の情報は一切なく、普段使用することの少ない第三資料室に正午に向えというものだった。上はなぜ大切なゼロに三年目をあてがおうとしているのだろうか。明らかな役者不足だろうにまさかただの期待なはずもない、とすると「風見」の名前だろうか。それなら先輩の補佐としてでも良い筈で、いくら首を捻っても答えには辿りつかなかった。考えを巡らせ始めたところでガチャリという音とともに日本人平均よりは長身の色黒の男がやってきてわざわざ奥から回り込み隣に立った。
「今年の花見はどうでしたか」
「いいえ月が青かったです」
繋がりの見えない合言葉に待ち人であることを確かめ、そちらに向きなおって挨拶をした。
「警視庁公安部の風見裕也警部補であります」
くるりとこちらを向いた新しい上司は一呼吸おいて口を開いた。
「警察庁警備部警備企画局、降谷零だ。今日付けで君の上司になる、よろしく頼む。君には情報収集と定例報告、書類の作成を任せる。連絡は僕から定時にする他、出向いてもらうこともあるかも知れない。心しておいてくれ。」
「よろしくお願いいたします」
「あぁ、君の経歴は見せてもらったが、あの風見だそうだな」
「あの、とはどのかは存じませんが」
簡潔だが圧の強い口調に癖の強さを感じるがそれより未成年でも通じそうな稚さを持つ顔のその美しい苛烈な熱を秘めた瞳に見惚れていた。僅かの綻びも見せなかったとは思うが次の言葉にすこしヒヤリとした。ある程度の情報が渡っているものだとは思っていたが審神者についても知っているとは思っていなかった。狭い業界の中では有名だが、業務上外にあまり情報が回っていない。それゆえ、知りもしない相手から自分の情報を聞くのはいい気持ちはしない。どうも因縁のある相手だから指名された、などと言う公私混同極まりないことではなさそうだということはわかる。審神者にこそならなかったといえ、ある程度人の感情には敏感でそのぐらいはわかった。どう答えたものか迷い、どちらともつかない言葉を返す。降谷は眉一つ動かさず、次の問いを飛ばしてきた。
「否定はしないのか。ならば一つ質問がある。なぜ省庁に行かなかった、霊力がなくとも職員として働く道もあるじゃないか」
審神者に慣れないまでも、補助のできるそちらの道を考えていなかったわけではない。自分には警察が向いていると感じたことは確かだ。けれどもどこまで内情を知っているかもわからず、そのままいらえるわけもなく、口に出す言葉は少ない。
「自分は前線に立っていたいと考えているからです。この手でいまの日本を守るならば警察官という職がふさわしいと考えています」
「そうか、ではこのリストの人物の資料を頼む。期限はつぎの連絡日までだ」
それなりに本心であったし、言っていないことがあるものの見つめた先の仏頂面は納得したようには見えない。最後に連絡事項を告げて手に持った封筒を渡し、出口へと向かっていく。聞いてはいないだろうが一応返答する。
「了解いたしました」
顔合わせはあっけなく終わり、手の中には仕事が残っていた。この連絡役というのは相手方にしか選択権がないのだからやるしかないわけで、性格の相性なんかは見られているんだろう。一度きりの邂逅で何がわかるかという話でもあるが、仕事にしか目がなさそうな第一印象で、しかもどことなく見知った顔のような気がした。いや、ナンパの常套句ではなく本当に顔が誰かに似ているのだが薄暗い部屋で見ただけなのでそんなものかもしれない。そもそもあんなに整った顔などなかなかお目にかかることのできないものだから、もしかしたら芸能人に似ていたか。流行りの俳優なんかよりも重要監視対象の顔の方が見る頻度の高い仕事をしているとどんなに派手な顔でも思い出せなくなるものだとは知らなかった。思い出したのはどちらにも失礼な話であるが、褐色というと大倶利伽羅の姿だ。色だけで判断するのもおかしなことだと被りを振るとそろそろいいだろうと風見も資料室を後にした。
デスクに帰って開いてみれば渡された封筒には来週の日付と今ある仕事と兼ね合いにするのは酷な量の人物のリストが入っていた。なかなかに癖のある人だ、と風見はため息を漏らした。
三月ばかりが過ぎた頃、電話番として渡された通信端末にくるたった1人からの着信履歴を即座に削除するのも慣れ、意外に第一印象というのは舐めたものじゃないなと実感していた。業務外の話は一切なく返答を聞かずに切られることもしばしばあった。ふらりと本庁に来ても先の提出した書類の赤入れか、新たな仕事が渡されるので出来るだけ自分の担当が少ない時になるようどうにか調整している。渡される仕事として特に多いのが始末書で、今まで書いた枚数をとうに超えたのではないかと思う。人外じみたことを時折やらかすこの上司の始末書の言い訳はかなりうまくなったんじゃないかと思っているが、お褒めの言葉は未だもらったことはない。
ひとつ下の期の同僚に聞いた話には元々は警察学校に通っており優秀な成績にもかかわらずフェードアウトした人物が降谷という名字だというから引き抜きにあったのだろう。警察庁に引き抜かれる優秀さとはどんなものかは知らないが、何も引き抜いてやらせる仕事が潜入捜査というのも薄情な話だ。どうせ視庁は駒なのだから引き抜くまでもないだろうに。とはいえど、使い捨てにするにはもったいないほどの人材ではないのだろうか。いまこそやることはないが、通常業務をやらせてもすぐに熟してみせるに違いない。
資料に紛れて入っていたプロフィールは今時小学生でももっとまともなことを書くんじゃないかというほど言葉少なく、基本情報しか載っていなかった。まあ趣味が聞きたいわけでもないし、年齢が分かったとて何も役に立つとは思えない、性格なぞ自分をいくら客観的に見ようとしても無理なものだ。
仕事についてはいうまでもがな、ついてこられないのなら勝手にしろとばかりの投げつけられよう。こんな部署だからかやめる同期もいる中一般的に節目と言われる3年を耐えた自分へさらに篩でもかけられているのかと思うほどの重要任務に、能力を試されるような仕事ばかりを渡されいやがおうにも新たな上司に順応していった。
1年と少しが経つと部下もつきなんとか分業体制を整えられるようになったがそれと同じくして仕事も増えていき忙しさはあまり変わらなかった。それから、少し気を許してくれたのか差し入れと称した軽食をいただくようになった。いつ仕込む時間があったのかというほど正統派の和食の弁当は本当に夕食のあまりなのかと疑うほどの品数だ。男の上司の手作りをもらう部下とはという疑問が脳内をよぎったがこのハイスペック上司は性別の壁などないようなものだろう。
今回は仕事の進みもよく期限の前日までには終わりそうだと安心していると簡素な電子音がなった。通話ボタンを押せば僅かな環境音に荒い息遣いが聞こえてきた。こちらからは反応せずにただ相手が声を発するのを待っていると、いつもとは違い丁寧な言葉遣いで話しはじめる。
「もしもし、僕です。仕事を頼みたいのですが、ええ、公安からのネズミだったようです。僕ができたらよかったんですが生憎アメリカの東の端にいまして、携帯は壊されてしまいこちらでは情報が追えないんです…………おそらく、忙しくなるのでまた連絡した時に受け取ります、では」
受け答えを必要としていないそれは殉職の報告だった。怒りが抑えきれず言葉の端々ににじみ出ているらしくないその人は漏洩元を探らせるつもりのようで、いつもよりも長く、感情を吐き出すが如く言葉を繋げるといつものように唐突に切ってしまった。こちらの返事を聞かないままに切るのは日常だが、どうも感情が昂るのを押さえつけきれず携帯をそのまま握り潰しそうな圧があった。
いまだ組織の任務の最中で連絡をまともに出来る状態ではないということ、公安から潜入していた「もう1人」が亡くなったこと、情報がどこから漏れたのかわかっていないこと。……海外だというなら遺体の回収もできない。捜査員をむざむざと喪ってしまった悔しさと顔見知りが死んでしまった哀しみ、もう一つそこには何かある気がしたがその先は分からず、ただ自分も同じ志を持った仲間を失ってしまったことを悔やんだ。
今回はいつにも増して情報が少なすぎる。手始めにもう一人を担当する連絡役に話しかけるところから始めるとして、今の仕事に一区切りつけることにした。それから2週間の間に情報を要求されること数回、どれも出先で非接触の受け渡しとなり顔を見ることすら叶わず。人間である限りは十分な休息をしなければ倒れてしまう。今が組織の信用を得るための重要な時期であることはわかるが、少しでも安心できるところで休んで欲しいと思った。
あの組織に潜っていたもう1人は諸伏だ。彼は後輩として、少しの間だが部下としてもよくついてきてくれた。どうにか上手く行った時などは祝杯をあげたりもしてかなり仲は良かったと思う。警察をやめるときも目の奥の正義は消えないままで、疲れてしまったなんて心にもないようなことを言って消えていってしまった。1歳差ではあったが弟がいたらこうなのかもしれないと思って接していたところがあり、どうにもやりきれない。
明日も近くになってやっと帰ることのできた自宅の淀んだ空気を入れ替えることもせずベッドに寝転がる。閉めっぱなしのカーテンから月の光が差し込んみ天井をいくらか照らした。自分の呼吸と鼓動以外に音はしていない、静かな夜だ。疲れているはずなのに目を閉じることができず、意味を持つか怪しい考えが頭の中で繰り返される。この職を選んだからにはこういうことが来る可能性もわかってはいた。だが、いざ自分よりも若い人間が亡くなったのを目の当たりにすると、ここまで公安として活動してきたが自分のやっていることは正しいのかどうかわからなくなってしまう。潜入捜査を支援する自分は犯罪の犠牲者を増やしているだけなのではないか、善人が死に悪人がのさぼるなどあってはならないのではないか。
姉や兄はそんなことを思うことはないのだろうか。いや、それこそ敵の思う壺で抗えないものから取り込まれて行くに違いない。これが正しい歴史なのだ。起きてしまったことは変えられず我々にできるのはただ時を進めるのみ、遡ることは許されない。そう言い聞かせることでなんとか冷静さを保っていたがすこしだけ変えたくなる気待ちはわかる気がした。
目が覚めるには早い時間だ、むしろ眠りについてから幾ばくも経っていない。夜明けは足先さえも見えず、気温はまだ下がっていく途中にある。風見ははたと目を覚ました。玄関の開錠音が響いたのを夢うつつに聞いた気がしたのだ。果たしてぼんやりと霞む目は人影をその視野に捉える。ふらり、ふらりとこちらに近寄ってくるその人はどうにも己が上司のようで、色々疑問は浮かぶもののひとまずは生きていることに安心した。ベッドサイドのメガネを探り当ててかけると布団をのけてベッドから立ち上がる。
「降谷さん、ご無事でしたか」
降谷は疑問には答えることなく至近距離まで近づいてくるとスッと顔を傾ける。きらりと光る瞳がまぶたに隠されるのを見ているうちに唇に柔らかな感触がした。熱を感じる間もなく離れたそれに何かを吸い取られた感触があった。顔面に落ちた影は直ぐに離れて、風見は再びその人を認識した。
風見はしばらくの間理解ができていなかった。状況を処理できず、かといってこの唇に残る感触はまやかしではない。呆然としているうちに上司は風見を通り過ぎてぽすりとベッドを占領した。
「僕は寝る。三時間たったら起こしてくれ」
はい、といつもの反射で答えるのを聞き彼はそのまま目を閉じてしまう。よく見るとかなりラフな格好でどうやら本当に寝るつもりらしい。風見は取り残されたままベッドにも戻れず、リビングに場所を変えるしかなかった。
「…………どうして」
そう呟いた声に誰も答えを返してくれなかった。