ホルン吹きの少女 作:衝角
第1話は拡大版でお送りするのが最近の流行りと聞いて、どかんと物量で攻めました。
未だ拙いかもしれませんが、読んでくださるとありがたいです
むわりとした熱気が、朱莉の背中に流れ込んだ。
真夏だというのに、数百の人間がコンサートホールに集っているから暑苦しくて仕方がない。けれども、誰しもがそんなことは今はどうでもよかった。
朱莉もまたその一人で、逸る鼓動を抑えながら壇上を見つめていた。
京都府吹奏楽コンクール。
小学校、中学校併せて都合六回、朱莉は真夏にこの光景に居合わせている。けれども、けして慣れることはない。
なにせ、一年をかけて研鑽してきた全てがここで明らかになるのだ。この日の以前と以後で全てが変わる。先に進めるものと、そうでないもの。それが残酷なまでに区分されてしまう。
言うなれば吹奏楽に賭ける者たちにとってはこの日が大晦日であり、元旦なのだ。
「……来た」
ぽつりと呟く。
壇上に長い紙束を抱えた男たちが現れると、ホールのボルテージが上がった。ゆっくりと男たちは紙束を広げる。
その刹那、ホールの中で喜色と悲嘆が混ざり合う。
朱莉はというと、声を上げずじっと眺めていた。
正直なところ、込み上げてくる感情を朱莉は整理しきれないでいる。
結果はゴールド金賞。京都府でも優れた演奏だったと認められた。しかし、関西大会に駒を進めることは許されない。
周りの反応を見てみた。一応は全国大会を目指していたが、皆こころなしか満足した顔をしている。
(それはそうか。楽しくやった果てに、それなりの成果がついてくる。ダメ金で彼女たちは満足できたんだね。……だったら、わたしもそれでいい)
全国にも関西にも行けなくとも、みんなが喜んでいるならそれでいいじゃないか。そう思う自分が朱莉の中にいる。
けれど、どこか熾火のような熱が胸の内に蟠っていた。
その熱がしきりに朱莉に問いかけてくる。
『確かにみんなは喜んでいる。けれど、貴女はそれで満足なのかと。3年間を賭けてきたその果てがこんな中途半端な自己妥協で満足できるのか』と。
「……うるさい」
知らず口に出してしまう。
そうできたならどんなにかよかっただろうか。けれどみんなはそんなことは望んでいない。
彼女達は体面のために高みを目指すと標榜し、内実はただ仲間内で楽しいぬるま湯のような青春ごっこをやりたかっただけだ。追い焚きなんて彼女たちは望んでいないと知っていた。
だから、朱莉は一度自分自身に冷や水をぶっかけた。
なのに、今更どうして。こんなことを思ってしまうのだろう。
(……やっぱり物足りないなぁ。もう少し本気で、全身全霊でこの3年間を走り抜けられたならもっと気持ち良かったんだろうか)
中学3年生の夏。
この時、ようやく初めて穂村朱莉は自分の欲望を自覚した。
1
窓から桜吹雪がちらつく中、朱莉は姿見の前に立っていた。
おろしたての茶色のセーラー服にバターを溶かしたような薄茶髪のおさげに蒼瞳。肌は生白く、手脚もすっきりとしている。ただし、胸の膨らみは確かにセーラー服のリボンを押し上げてその存在を主張している。
我ながら悪目立ちする容姿だと朱莉は思う。自分はすっかり見慣れたが、どうにも世間一般で言う美少女に区分されるらしい。会う人会う人に奇異の目を向けられて困る。
「さて、時間だから行こうかな」
時計を見て、家から出る。挨拶をする相手はもういない。別にこれは今に始まったことではなく、6年前からずっとそうだった。だから、今更朱莉が何かを感じ入ることもない。
自宅のある山を拓いて作った住宅地から茶畑を抜けて木立を抜けると、宇治川の川辺にたどり着く。そこからあじろぎの道を使って平等院通りへ抜け、京阪宇治駅へと歩き出す。
宇治川沿いに北上する景色は、風光明媚で住んでいる身であっても飽きが来ない。
恵まれた景観の地に住めていることはありがたいと思う。もう定かではない幼い記憶ではずっと雑多な感じの場所に住んでいた記憶がある。
不確かな記憶を探りながら歩くと前に見慣れた茶色の癖っ毛が目についた。
確か彼女はこのあたりに住んでいる。高校も同じなら入学式の時間も同じ。ちょうど同じ頃合に同じ場所を歩いてもおかしくない。
「おはよう、久美子」
「ひゃ、って朱莉ちゃんか脅かさないで欲しいんだけど」
「ごめんごめん、でも目についたからには仕方ないよね」
黄前久美子。端的に言ってしまえば幼馴染というやつだ。もっとも小4からの付き合いを幼馴染と称していいのかは議論の余地が残るけど。
「久美子も北宇治なんだね」
「そう言う朱莉ちゃんも北宇治だったんだ。なんかもっと頭の良いとこ行ってたイメージがあったんだけど」
朱莉の纏う制服を眺めながら久美子は言う。
北宇治高校の偏差値は中の上程度、久美子の学力はちょうどそのぐらいだったが朱莉の学力はそれを一回り上回っていた。
「これはちょっと話すと長いんだけど……。まぁいいか、道中暇だし。一応、わたし立華から推薦の話はあったよ」
「え、それ普通にすごいじゃん。……なんで、北宇治に来たの」
北宇治よりも学力が上で全国区のマーチングで知られる上位校。それが立華だ。普通ならそこに入れるならそうするはずなのだが、朱莉はそうしなかった。
「まぁ普通はそうなるよね……」
手持ち無沙汰な朱莉の指がおさげの先端を撫でる。これで久美子はある程度察した。もったいぶった割には大した話じゃないと。
なんだかんだで久美子は6年は朱莉と幼馴染をやっている。だから、彼女が気まずい時にやるちょっとした手癖もまた理解していた。
「先立つものがなかったんだよね。……ほら、わたしの家って収入安定しないからあまりお金を使うの怖いじゃん。立華の推薦は取れたけど、学費免除の部活特待生じゃなかったんだよね。それで、立華の吹部って全国区だから遠征も多いわけじゃん。……多分、立華の吹部入ったら私大用の貯金も消し飛ぶ気がして……」
「……身も蓋もないね」
「よーく考えたよ? お金は大事だから。いざという時に自分がすぐに動かせるまとまったお金は残しときたい」
明るく努めて言う朱莉に久美子は何も言えなかった。
家族がちゃんといる自分にはわからない傷を朱莉は抱えている。
「うーん、やっぱお金の話は重たくなるよね。で、そういえば久美子。高校でも吹部は続けるの?」
「まだ決めてないよ」
「そっかー、北宇治になったのならもっかい久美子たちと吹けると思って楽しみにしてたんだけどなー」
無邪気に笑う朱莉を見て、久美子は若干いたたまれない気持ちになる。
北中の日々はけして悪いものではなかった。ダメ金だったとはいえ、それなりの結果を出したし、一定の満足感はある。
けど、それでも脳裏をよぎる。中学最後のコンクールで悔し涙を流したあの娘と、寒風吹き荒ぶ晩秋の屋上で一人虚空にホルンを吹き鳴らしていた朱莉を。
2
入学式で朱莉たちを迎えたのは、下手っぴな吹部の演奏だった。
(昔は強豪だったと聞いて、少しは期待していた自分が馬鹿に思える。そんな演奏だった)
思わず朱莉は眉を顰める。久美子に至っては小声で「……これはヒドイ」と呟いてしまっていた。
10年前までの北宇治は確かに強豪だった。今はもう落ち目だが、それでも強豪だった頃の名残とかがないか無意識に期待していた朱莉がいる。
「……それでも、高校こそはやり切ると決めたんだ」
大事なのは、結果ではない。自分が満足するまでやり切ること。その先で結果がついてくれたら儲け物だと言い聞かせる。
朱莉は結果というものに対しては淡白だった。なにせ、北中の時分に思い知ってしまっている。そう容易く何十もの人間が志を一つとして歩み続けられるわけではない、と。
北中は一応、全国を目標に掲げていた。
だが、朱莉は久美子や秀一といった幼馴染たちと楽しく吹ければ良かったし、久美子もまた本気で全国に行けるとは思っていなかった節がある。それこそ、あの場所で本気で全国を目指していたのはトランペットパートの高坂麗奈ぐらいだったのではないだろうか。
ともあれ、あの音色なら北宇治の吹奏楽もきっと北中と同じような感じだろう。
上を目指すことよりも現状維持を求めて目先の楽しさばかり目に入り、そのくせ序列はしっかりと決めて部活っぽい雰囲気を楽しむ場所。
変に上手いと声が大きい先輩に目をつけられて、ろくにパート練にすら入れてもらえなかった。そんな閉じた場所。
(飼い慣らされたわたしはともかく、彼女には居づらい場所だろうな……)
新入生総代として壇上に立つ高坂麗奈を見て。
朱莉はそんなことを思った。
式が終わり、久美子と離れて割り当てられたクラスの教室へと歩く。
久美子は3組で麗奈は進学クラス。朱莉は4組だった。女子の知り合いとは離れた恰好になる。
一緒になった知り合いは塚本秀一。男子の中でも頭ひとつ抜けて背が高く目立つため、クラス分けの貼り紙をしっかり見ていなくてもすぐに気づいた。
「おはよ、秀一。今日は起きれたんだね」
「おう朱莉か。まあな、入学式で寝坊なんて恥ずかしすぎて学校辞めるわ」
「ならよかった。このまま頑張ってよ。吹部時代みたいに毎朝、起きてるか確認するためにマンションに行くのはだいぶ面倒くさいし」
秀一と並んで歩く朱莉。
背が高い秀一に見目麗しい朱莉、この2人が揃うとやたらと目立つため、周囲の視線が向けられる。
朱莉はそうでもないが、秀一はやや気まずいのかやや距離を取って歩いていた。
「なぁ、朱莉。頼むから教室ではあまり絡むのはやめてくれ。 周囲の目が痛い。お前も変な噂が立つのは本意じゃないだろ?」
「わたしはあまり気にしないけどね。それに変な噂というかわたしたち従兄妹だし。一緒にいても違和感ないと思うんだけど」
「普通の従兄妹はこんなにベタベタしない。側から見ると恥ずかしいだろ、俺がシスコンみたいに見られる」
「シスコンて……。わかった、秀一が嫌ならわたしも気は遣うよ。で、それはそうと、また同じ高校になったんだから久美子と仲直りしてよ? 間に挟まれるわたしの気持ちになって欲しいんだけど」
「おい待て、朱莉。今、なんて言った?」
聞き捨てならないことを聞いた秀一の足が止まる。
久美子と朱莉が幼馴染なら、朱莉の従兄の秀一もまた久美子と幼馴染なのだ。朱莉が小4から宇治に来たのに対し、久美子は小3から住み始めたのでむしろ久美子との付き合いの方が長い。
身近な異性ということもあり、久美子は秀一にとって気になる少女だった。
「久美子も北宇治だから仲直りしてーって話。あれ? もしかして久美子から聞かされてなかった?」
「知らんわ、そんなこと。マジか……」
「照れ隠しなんだろうけど久美子に『ブス』って言ったらしいね。未だに久美子はそれを引きずってるよ。なまじわたしと比べられることが多いから余計に深く刺さったみたい」
「あー、あれかー…………」
悪いことを言った自覚があるのだろう、思い出して遠い目になる秀一。
何をしょうもないことですれ違っているんだろうか、この2人はと朱莉は思う。
疎遠になって些細なことでもいちいちメッセンジャーにされた煩雑な中3後半を朱莉は忘れていない。
だから、朱莉は容赦なく正論を叩きつける。
「本気で思ってなくてもあれは傷つくよ。流石にちゃんと久美子に謝った方がいいと思うんだけど」
「そうだな。今度久美子に話してみるわ……」
「やるなら早いうちにやりなよ。部活が始まったら時間的に難しいだろうし。調整が難しかったらわたしを使ってもいいから。それじゃね」
項垂れる秀一を他所目に朱莉は立ち去るのだった。
3
吹奏楽部の活動が始まったのは、入学式から2週間ほど経ってのことだった。
音楽室に今年の新入部員が一同に会する光景は中々壮観だ。だいたい20人くらい居るだろうか。その中に朱莉の見知った人物もちらほら散見できる。
(麗奈は知ってたとはいえ、秀一も久美子もいる。よかった)
ほっと胸を撫で下ろす。
気心が知れた人間がいるのは、人見知り(内弁慶)朱莉にとってはありがたいことだった。
壁時計を見て頃合いを見計らっていたのだろう。三年生の女子生徒が新入部員たちの前に進み出てくる。首からはバリトンサックスがかけられている。
彼女はどこか気負った様子で息を吸う。
「えー、私が部長の小笠原晴香です。新入部員の皆さん、吹奏楽部を選んでくれてありがとうございます。私の担当楽器はバリトンサックスなのでサックスパートの人は関わることが多いと思います。他の人も何か困ったことがあれば私や、副部長のあすかに気軽に声をかけてくださいね」
上がりつつも予定されていたであろう台詞を言い切る小笠原。柔和な人あたりだったがそれは余裕があるからではなく人柄だろう、と朱莉は推測する。
カリスマで率いるタイプではなく、間に立って部員の調整をしてまとめていくタイプのリーダーだと見受けられた。
その後は部の過去の栄光だったり、顧問の教師が変わったことといった部の沿革や事務的なことを聞かされる。だが、それは朱莉が事前に知っていたことだったため、あまり彼女の耳には残らない。
「今日の活動は、楽器の振り分けです。今日ここにいる先輩がそれぞれのパートのリーダーを努めてます。いまから楽器の紹介をしてもらうので、高校から始める人は楽器選びの参考にしてください。すでに経験者の方は申し出てくれると助かります。あと適性や相性、パートの人数もあるので必ずしも希望の楽器になるとは限らないので、そこだけ頭に入れておいてください」
以後はそれぞれのパートリーダーによる楽器紹介となる。
トランペット、トロンボーンと来てホルン。
ここで朱莉は居住まいを正して、壇上を見つめる。
「ホルンパートリーダーの沢田樹里って言います。ホルンはトランペットやトロンボーンほどな派手さはないけど、和音を出して皆の音を繋ぐ役割があるんでとても大事なパートだし、やりがいを感じる楽器だと思います。2年生が今1人しかいないんで、出来れば新入生にホルンを選んでくれるとありがたいです。一緒に楽しく部活しましょう」
はきはきと喋り切り、柔らかい笑顔で締めて沢田は次のパートリーダーに順番を譲る。
(一緒に楽しく部活しましょう、か……。いい人そうだけど、ちょっと引っかかるかな……)
なんというか、今の時点で北宇治にも北中と同じ尖った刃も錆びて朽ちていきそうな生暖かい空気が蔓延しているように思う。
進歩を忘れた楽しいは、いつしか安楽に変わる。そして一緒に楽しもうとするなら停滞する方がやりやすい。
沢田に対して朱莉は人間的には好感を持ったが、行く末には不安を感じざるを得なかった。
(これじゃあの頃と変わらない。もしかしたら変われないかもね、わたしも)
嘆こうとも、結局のところ朱莉は自分でより良い環境を選ぶことはできなかった。与えられた場でなんとかしていくしかないのである。
やがてパートの説明が終わり、新入生はそれぞれ思い思いのパートのところへ集まっていく。
朱莉はホルンパートの方に足を進める。6年もやってきて今更変える気が起きないのが実情であった。
「あれ、秀一はホルンには来ないの? 中学の頃やってたじゃん」
「悪い朱莉。俺、トロンボーン行くわ。ずっとやりたかったけど、ホルンに回され続けてたからな。ずっと機会を待ってた」
「そういえばホルン足りなかったから振り分けられたんだったっけ。でももったいないなあ、けっこう秀一の裏打ち正確で好きだったのに」
吹奏楽部の楽器選びにはかなりばらつきがある。どうしても華やかなトランペットやフルート、それにピストン運動が特徴的なトロンボーンに人気が集まりがちだ。その割を食うのがホルンやチューバ、ユーフォニアムといった聞き馴染みがない、ないしは役割が地味な楽器ばかりだ。
トランペットやフルートあたりを希望していたが、競争に負けてホルンなどに流れてくるのはそう珍しいことではない。北宇治でもトランペットに定員以上の人数が集まっていた。
(うわ、トランペットはやっぱり激戦だよね。まあホルンには関係ないけど)
ホルンパートに集まった新入生は3人。彼女達を眺めて沢田は満足そうな笑みを浮かべた。
「おっ豊作じゃん。これで海松が来年困ることはなくなるね。それじゃ自己紹介からよろしく」
新入生に促す沢田。思わず朱莉は新入生との間で顔を見合わせてしまう。話す内容は決まっているのに、ファーストペンギンになれない辺りに彼女の人見知り加減が出てきている。
そんな朱莉を見かねたのか、茶色がかったショートカットの少女が進み出た。
「じゃあ、まずあたしから。1年6組の森本美千代です。ホルンは中学時代からやってました。これからよろしくお願いします!」
ハキハキとした言葉遣いで森本が自己紹介を終えるとすぐに朱莉が前に出てくる。こういう自己紹介は後ろに回れば回るほど、悩ましいものになる。かといって最初に出るのも嫌だ。真ん中が一番人見知りにとって安牌なのだ。
「穂村朱莉って言います。1年4組で、ホルンは小4の頃からやってました。まだ至らないところがあるかも知れませんが、よろしくお願いします」
森本と異なり、朱莉は丁寧な口調で喋り深々と頭を下げた。それを見て周りからは歓声が上がる。心の準備さえできれば、こうして外面を取り繕うことは造作もない。北中時代に身につけたら数少ない技術であった。
「最後になりましたが、1年5組の瞳ララです。ララは他の2人とは違って経験者じゃないんですけどぉ、ホルンの形に惹かれて来ました。色々教えてくれるとありがたいですぅ」
黒髪の短めのツインテールがお辞儀と共に前に垂れる。
快活そうで、なんというか自分に求められている役割をちゃんと理解しているみたいだと朱莉は感じた。
(……それにしても、ホルンの形に惹かれるって独特な娘だなぁ。意欲はありそうだからいいっちゃいいんだけど)
「経験者が2人も来てくれたかー、これは頼もしいね。ララちゃんも来てくれてありがとう。ウチのパートのモットーは『やるときはやる! 遊ぶときは全力で遊ぶ!』だから切り替えしっかりとやってこー」
笑顔で締める沢田を眺めながら朱莉は思う。
(うーん、やっぱり緩いなぁ。パート自体の雰囲気はいいし、森本さんも経験者だから最低限の実力もあるだろうから心配はあまりないかも。まずは、ララちゃんを鍛えることが先決かな。件のモットーがどっちがどれくらいの比重を占めてるかわからないけど……。そこを聞くのは出過ぎな気がするし)
それぞれ思うところがありつつも、ホルンパートの初顔合わせは終わる。
吹奏楽部全体の楽器決めが終わるのは、それから4、50分後だった。
4
「楽器も決まったし、顧問の先生も間に合ったようなので、ミーティングを始めたいと思います。では滝先生、どうぞ」
小笠原が音頭を取ると、滝先生と呼ばれた教師が一礼する。
甘いマスクに清潔感のあるシャツ。痩せぎすではなくて、肉付きも姿勢もしっかりしている。タキシードを着せればえらく似合うだろう、すごい女子受けする容姿だなと朱莉は思った。
「まずは自己紹介からですね。始業式である程度は話しましたから要点だけ。私は滝昇というものです。音楽教師をしています。本来であれば副顧問をなさってる松本先生が適任なのでしょうが、彼女たっての希望で私が顧問になりました。これからよろしくお願いします」
朱莉の予想は正しく滝が自己紹介を終えた後、部員たちは色めき立っていた。わかっていたとはいえ、ちょっと緊張感がない。朱莉は人知れず冷ややかな目を彼女たちに向け、その後は滝に移した。
(大事なのは滝先生の見た目じゃなくて、これからどういった指導をしていくかということ。部員に対してどう向き合うかということ。正直、わたしの目から見ても緩い。本当に北宇治と北中は変わらない。彼が今の部員たちの空気に迎合するかどうか、それで部全体のカラーが決まる)
朱莉が観察する中、滝はカツカツと黒板にチョークで『全国出場』と書き出す。これは強豪時代から続く部の達成目標だった。
「小笠原さん。聞けば、これが10年前からずっと北宇治高校吹奏楽部が掲げていた目標だそうですね?」
「はい。でもそれはもう、達成するための目標というかスローガンみたいなもので……」
「そうですか。ならば、一端これは取り消しましょう」
そう言って滝は書いた文字を消す。
「私はあくまで生徒の自主性を重んじます。全国出場というのは北宇治10年の悲願なのかも知れませんが、だからといって強制されるべきものではありません。手が届きそうな、達成できるような目標にするべきでしょう。ですが、実のところ皆さんの演奏をさわりしか知らないのです。ですから、皆さんがどこまで行きたいか決めて下さい。その目標に応じて私も練習メニューを考えます」
滝の言葉が部内にどよめく。
ホルンパートを筆頭に漫然と上手くなって演奏をして、高校生活を楽しみたいと思っている人が多いところにコレである。
きっちりと線引きをして、先を見据えて考える心構えなど出来ている人などほとんどいないんじゃないだろうか。
以後は司会が部長の小笠原と副部長の田中あすかに変わり、多数決という形で決めることになる。選択肢は大まかに3つ。歴代の吹部部員のようにあくまで全国出場を目指すのか、関西大会には行きたいのか、はたまた大会の結果などにこだわらず楽しく吹ければいいのか。
(わたしは結果はあまり興味ないんだけどなぁ。ただ漫然と3年間やり切ったという事実だけではわたしは満足できなかっただけで。全国はさすがに遠いけど、少しは上を目指した方がいいかもしれない)
朱莉に関しては関西止めに決めていた。結局のところ、自分さえ納得できればいい。実に思い切った割り切りである。
「まず京都大会で満足な人」
これには1人しか手を挙げない。
「関西大会に行ければいいよって人」
こっちにはそこそこ手が上がる。体感として1年生が多い。ホルンパートで言えば、自身とララが挙げていた。けれど、ここが一番多い層だと思っていた朱莉は目を丸くする。
「最後に今までの先輩方と同じように、全国を目指したい人」
ここで大多数の部員が手を挙げた。2.3年生はほとんどここで手を挙げている。
(このままの練度なら良くて関西大会なのに。その場での体面のために、過酷な道を選んじゃうんだ。本当に楽しみたいなら、別に見栄なんて張らなくてもいいのに)
やはり、伝統というべきなのだろうか。それとも呪いと言い換えるべきなのだろうか。『今までの先輩が目指してきた』その事実があるだけでこの選択肢がもっともらしいものに見えてしまう。
(身の丈に合わない目標を掲げて破滅しないといいんだけどな……)
朱莉が危惧したところで多数決だ。結果は変わらない。小笠原の手で黒板に再び『全国出場』の文言が記される。
「先生、今年も全国を目指すことにしました。よろしくお願いします」
「そうですか。多少ばらつきはありましたが、今決めた目標は皆さんが決めたものです。決めたからには最後までやり切って下さい。私には目標を叶えるために指示を出すことしか出来ませんから、最終的には皆さんの努力にかかっています。わかりましたか?」
滝が辺りを見回すが、誰も返事をする者はいない。
まだ、自分自身で選んだという実感がないからだ。部の既定路線をただたどっているという気持ちのままでいるから、まだ全国出場という目標を自分事だと受け止めきれない。
「何をボーっとしているのです。返事は?」
もう一度滝に鋭く促されて、ようやくちらほらと返事する者が出始める。だが、滝はこれで満足しない。
「返事が遅いですよ。……これは皆さんが選んだ目標ですよ。わかりましたか?」
滝の2度目の促しでようやく音楽室に一丸となった返事が響く。
(大丈夫かなぁ。コレ)
覇気のない部員に高すぎる目標。すでに厳しさが垣間見える顧問。すでにストレスフルになる要素が満ち満ちている。
朱莉は純粋に北宇治高校吹奏楽部の先行きに不安を持つのであった。
5
「……今日はこれで部活は終了です。各楽器のパートリーダーは残りますので、相談などがある新入生は気軽に声をかけて下さい。では皆さん、お疲れ様でした」
部長の挨拶をもって初日の部活が終わる。
部員たちはめいめいに帰り始める中、朱莉は沢田の姿を探す。
沢田は楽器紹介では見なかった2人の女子生徒と一緒にスマホゲーに興じていた。
「沢田先輩、少しいいでしょうか?」
「おっ、穂村ちゃんじゃん。なに、相談?」
「相談というか、楽器の状態を見たいんです。パートリーダーなら、楽器庫に入る許可が降りると思って……」
「なるほど、熱心な娘だね。楽器選びは明日やることだから、正直抜け駆けになるかもだけどまぁいいか。置いてある楽器を試しに吹くぐらいなら晴香やあすかも許してくれるでしょ。じゃ、行ってくる。比呂と海松はちょっと待ってて」
そう言って沢田は小笠原の元に向かう。
その間に朱莉は残った女子生徒と話して時間を潰した。2人ともホルンパートの先輩にあたるため、しっかりと名前を覚えておく。
「加橋先輩、ホルンパートってけっこう仲がいいですよね。岸部先輩も2年生が1人しかいないのに、しっかり打ち解けてますし」
「そうかな? けど助け合うしかなかったからかも。あたしも海松も楽器始めたの高校になってからだからさ。上手くなろうと思ったら樹里や他のホルン経験者に頼らなきゃいけなかったんだ、だから、みんなずっと一緒に行動してて、気づけばすごい仲良しになってた」
「そうなんですね」
「その点、穂村さんと森本さんという2人の経験者が今年は入ってくれてすごくありがたいよ。……けど、どうかララちゃんを置き去りにしないで」
加橋先輩が朱莉を見つめてくる。
その視線に何か祈りのようなものが込められているような、そんな気がした。
沢田に連れられて、朱莉は楽器庫に入る。
そこにはかなりの数の楽器が置いてあった。それこそ今の部員の数よりもずっと多い。全部で120から130ぐらいはありそうだった。
「ホルンはここだね。全部で9つある。まあ、あたしらが3つ使ってるからそれは抜いとくよ。残った6つは好きに吹いていいから明日の楽器選びの参考にしな。あたしは外で待ってるから」
「ありがとうございます」
沢田に礼を言った後、朱莉は6つのホルンを吹いたり抱えたりする。
6つとも全部フルダブルホルン。最もポピュラーな形だ。メーカーにはばらつきはあるけど、だいたい標準的なものだと言っていい。
だから、楽器の品質というよりかは持った時のフィット感や響きの好み、右手で持つことになるベルのラッカーが剥がれてないかどうかを考慮する。優先度は基本的にフィット感。ラッカーは必須ではないが、あれば演奏後の右手の金属臭や右手が青く変色する事態を防ぐことができる。
しばらく吟味して第一候補は決めたため、あらかじめ沢田に言われたように声をかけに行く。
「先輩。終わりました」
「そっか。じゃあ選んだやつで吹いてみてくれない? ちょっと穂村ちゃんの音色に興味が出ちゃって」
「わかりました。曲目に指定はありますか? 簡単な曲なら楽譜を暗記してるので大丈夫ですよ?」
「じゃあ、海兵隊でいいよ」
楽器庫から選んだホルンを持ってきて、廊下に用意した椅子に腰掛ける。
日はだいぶ落ちてきて、射光が朱莉を赤く照らしていた。
当の朱莉自身は抱えてるホルンに視線を落とす。
(やっぱり、手触りがいい。ラッカーも剥がれてないし。……うん、きっと3年間キミのお世話になるんだろうな。これからよろしく)
不思議と、そんな予感がした。
息を吸い、目配せをして沢田の合図を待つ。
彼女が指を弾くやいなや高らかにホルンの音が鳴り響いた。
黄昏の赤に甘美な音が溶けていく。これでもかとばかりに勇壮な音が響いていく。
今この瞬間、廊下で二人きりということを沢田は忘れた。彼女の耳にカツカツと軍靴の足音の幻聴が聞こえてくる。
まるでわたしはここにいる、と誇示するかのような演奏だった。それこそ本物の海兵隊の行進のように。朱莉は明確に曲の世界観を突きつけ、聞き手に呑ませてくる。
(すごい、溺れそう)
幅広い音が出せるのがホルンの強みだ。ただその分、息の入れ方が繊細で音が裏返ったり外れたりする。ホルンが世界一難しい楽器と呼ばれる所以はそこにある。
余すところなくその強みを引き出せる朱莉はなるほど奏者としてのレベルは高いのだろう。それこそ沢田よりもずっと高い階梯にいる。
どうして北宇治なんかにこの娘がいるんだろう。
沢田はそう頭を捻ってしまう。けど、来てしまったものは仕方ない。それに、来てくれなければ、自分はこの演奏を聴くことはなかった。
演奏が終わり、朱莉がふーっと長い息を吐く。沢田は自然と拍手を送っていた。
「……上手いね、朱莉ちゃん」
「ありがとうございます。……でも、わたし自信がないんです。これもまだ手癖で吹いてるんじゃないかって。中学の頃、頑張ってるフリは得意でしたから。……それで中学であんまり上達してなくて後悔しました。だから、わたしは今度こそ3年間は全身全霊で何かに懸けて、その先に何が残り、何を感じられるのかわたしは知ってみたい。だから、見守ってくれるとありがたいです」
肩で息を吐き、目を伏せて自嘲する朱莉。
そんな彼女にこれ以上かける言葉なんて沢田には持ち合わせていない。だって彼女自身、全身全霊で頑張るなんてことに縁遠かったから。
ただただ、そんなひたむきに頑張ろうとする姿を見てどこかで羨ましいと思う自分がいた。