ホルン吹きの少女   作:衝角

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……誰だ? 第2話以降は3000〜4000字って言ったのは。普通にそれぞれ足した和ぐらいあるんじゃが。(意:ちょうどいいとこで切ろうとしたら結局2話分になりました。すいません)


第3話 おくじょうデュエット

 

 衝撃的に過ぎた合奏の後は、各自パート練を行なっていた。

 ホルンパートもまた練習場所に戻ったが、まともな質でやれたとは言えなかった。

 滝への敵意を募らせた沢田と加橋の音色に、戸惑う海松。

 森本は普段より心なしか冷めていて、朱莉は空気の悪さで息が出来なかった。

 

「あー、やめやめ。吹いてたら余計にイライラするっ! 今日はもうパート練はやめ! 解散!」

 

 何度か合奏をしたところで沢田は練習を打ち切った。

 結局のところ、練習量は普段とは変わらないが今日に関してはこれでよかったのだろう。

 練習が終わった後も、沢田や加橋は練習場所に残って滝への不満を漏らしていた。それがガス抜きになればいいのだろうけど、そうはならないことを朱莉は知っている。

 閉じた場所でガスを抜いたところで、滞留してやがて中毒に至る。

 そうして、部の空気が澱んでいく。その過程を朱莉はずっと見てきた。

 

(そして、それは今度こそちゃんとやりたいわたしにとっては毒だ)

 

 ドアを閉めて、楽器庫がある方とは逆に歩き、階段を登る。

 屋上の鍵は壊れてるから、強めに扉に当て身をすれば力づくで開けることができる。1年生ながらすでに屋上通いの常連になっていた朱莉はそれを知っていた。

 ドアを開ければ、そこには洛南の山河と遠くに見える京都北山に比叡山地。

 春風が頬を撫でてくすぐったい。

 

(ようやく、ようやくだ。やっと大きく息を吸える場所に出れた……)

 

 思わず朱莉は安堵の息を漏らす。

 ケースからホルンを取り出し、屋上の縁に座り込む。

 傍らにはネットでダウンロードしたものを印刷した新譜。これは風で飛ばないようにペーパーウエイトを置いておく。

 周りに誰もいないことを再度確認することも忘れない。中学時代、久美子に吹き散らかしてる様を見られた時はまるで怪獣のように見られてショックだったことを朱莉は覚えている。以後は同じ轍を踏む前に確認するようになった。

 ホルンを構えて大きく息を吸う。

 沈み込むような、落ちていくようなそんな感覚。

 大きく息を吐いて、体内の酸素が入れ替わった頃合いを見計らってから朱莉は思う様ホルンを吹き鳴らした。

 海兵隊から始まり、クラシック往年の名曲のアレンジから直近数年のアニメ主題歌まで。だいぶ幅広いラインナップである。弾いてみたならぬ吹いてみたというタイトルで動画投稿をしてもしばらくはネタに困らないだろう。

 だが、これはあくまで誰かに聞かせるためではなくやたらめったらに吹いて、くぐもった感情をかき散らすための行為だ。

 誰に見せることもなく、誰に恥じることもなければ、誰かに臆することもない。

 屋上を1人舞台に見立てて、好き勝手に吹き散らかす。その時間が朱莉にとって幸せだった。

 けれど、没頭しているがゆえに彼女は気づけない。

 もう一度、屋上のドアが開き、長い黒髪が夕凪に揺れる。

 

「相変わらず、クレイジーだね。朱莉は」

 

 彼女はそう笑って、ホルンの旋律に自らのトランペットの音色を被せた。

 アドリブの金管二重奏。唐突のことに朱莉は目を見開くが、

 

(なんだ、麗奈か。まーた狂ったことしてる。いつものことだけどさ)

 

 闖入者が高坂麗奈だと分かると、朱莉はすぐに平静に戻る。

 北中時代と変わらないあぶれ者2人。じゃないと、部活中に屋上まで上がってこない。朱莉も麗奈も行き場のない熱を音色に溶かして空に捨てにきたのだった。

 

(仕方ないなぁ。途中で振り落とされないでよ?)

 

(それ、こっちの台詞だから。アタシの方が断然吹けるし)

 

 目線で互いを睨め付けながら、殴り合うかのようにトランペットの華やかな音色とホルンの重厚な響きが混ざり合う。

 合わせることなんて考えてない。ただ互いを叩き潰そうとするような演奏。

 けれど、それでも息が合ってるように錯覚してしまう。今日の合奏練習? あれは知らない。ノーカウントだ。アレよりもこっちの方が余程ちゃんと合奏してる。

 

(ああ、楽しいな。いつまでも吹いていたい。素直にそう思える。……けれど、やっぱり疲れた)

 

 ついに吹き疲れて、朱莉はホルンから口を離す。それを見て麗奈も口を離した。

 気づけば、太陽はさらに傾いていて完全下校時刻間近になっている。互いに楽器をしまった後は、2人して昂った身体を夕凪にさらした。

 

「今日はアタシの勝ちだね、朱莉」

 

 勝ち誇ったように麗奈は笑う。

 怜悧な印象な彼女だが、この時ばかりはどこか子供っぽい。

 

「いやいや耐久勝負じゃないから。麗奈が勝手に仕掛けてきただけじゃん」

 

「それは嘘。あんな抑えつけてくるような演奏をしてくるんだもん。絶対、朱莉はアタシに勝とうとしてた」

 

 朱莉はそれを否定はできなかった。

 確かに朱莉は麗奈の音色を意識していた。思わず競りたくなるほどに彼女の音色は熱気に満ちていて天を衝かんとする勢いがある。

 その色は、中学から変わらない。朱莉が『こうありたかった』と願った音の奏で方だった。

 いや、奏で方だけではない。

 多少傲慢なところはあれど、音楽に対して冷ませない熱意を持ち、妥協はしない。周りからも強く屹立したあり方にもまた朱莉は憧憬を抱いていた。だが、それと同時に思うこともある。

 

(けれど、わたしは麗奈のようには多分なれない。あんな孤高で居続けられることなんてわたしにはできないだろうから。だからこそ、並びたい。競り合いたい。憧れた孤高に並び立つことが叶うならわたしはそれでいいんだと、そう思える気がする)

 

 麗奈はその孤高から、朱莉は悪感情から逃げるように吹部からあぶれて2人はいつしかつるむようになっていた。

 互いに音楽的な技量が高かったこともあるのだろう。気まぐれにこうして即興でデュエットをすることもある。

 朱莉にとっては秀一と久美子とはまた違った系統の人間関係であり、麗奈側にどう思われてるか自信はないが、朱莉は麗奈を自力で作った唯一の友達として認識していた。

 

「ねえ、麗奈。北宇治って一応全国を掲げてるけど、行けると思う?」

 

 言外に無理だと意を含ませた問いかけ。

 我ながら性格が悪いと朱莉は自嘲する。

 なぜならば、これは問いかけの形を取った確認作業だ。全国なんて行けるわけがない、そう他人にも言ってもらうことで、冷めた自分を正当化してもらおうとしている。

 

「行けるに決まってる。滝先生はすごいんだから」

 

 しかし、麗奈は正面からそんな朱莉の小賢しい自己弁護を粉砕した。

 さも当然のように、むしろ誇るように言い切ってみせる。

 

「言い切るねぇ……」

 

「誰がなんと言おうとアタシは滝先生を信じてる。アタシが北宇治なんかに来たのも滝先生が来ることを知ってたから」

 

「……そ、そうなんだ」

 

 麗奈の圧に思わず、朱莉は腰を浮かせて後ずさってしまう。

 なんというか、信頼というよりは盲信しているような……。でも、そのことを指摘して麗奈のボルテージに火をつけることなんて朱莉にはできなかった。

 

 2

 

 屋上から出て、楽器庫にホルンを戻すために廊下を歩く。最終下校時刻が近いこともあり、校内に残った吹部員の姿はまばらだ。

 

(小笠原先輩と中世古先輩たちトランペットパート、田中先輩の低音パート……。この辺りは流石に真面目だなあ。他は秀一と鎧塚先輩、ホルンだと森本とララちゃんが残ってる。多分ララちゃんの練習を見てたのかな)

 

 残ってる顔ぶれはそれなりに上手い面々だった。練習時間はやはり腕前に比例する。あんなに滝に罵られてもなお、これだけの人数しか残らないあたり、どうにも北宇治はゆるいと朱莉は思ってしまう。

 こんな有様でも滝はあくまで全国を目指すのだろうか。

 

「貴女も残っていたのですね、穂村さん。練習熱心なのはいいことです」

 

 楽器庫にホルンを返した後、背後から声をかけられる。

 楽器庫の点検に来たのだろう、滝がなにやらファイルを抱えて楽器庫の前で佇んでいた。

 

「……滝先生」

 

「少し、話をしても? ……ああ、身構えなくても大丈夫です。時間は取らせませんから」

 

 実のところ、朱莉は早く帰りたかったが素直に首肯する。

 理由として合奏の時に恐怖心を植え付けられていたこともあるが、好奇心もいくばくか含まれていた。

 

(ここで一対一で鉢合わせしたくなかったなぁ。また指導と称して罵られれちゃたまんない。……でも、先生って強豪校からも引くて数多だった麗奈の進路を変えてしまうほどの人物なんだよね……。 気にならないといえば、嘘になる)

 

 滝の点検が終わるのを待って、朱莉は滝と並んで歩く。

 先ほど部員らを痛罵し、今や吹部の敵となった顧問だ。さしもの朱莉の背に緊張が走る。

 しかし、滝は朱莉の精神状態なんてつゆ知らずのんびりと歩みを進めていた。

 

「単刀直入に聞きましょうか。穂村さん、貴女は北宇治の吹奏楽部をどう見ましたか? 忌憚なき意見をお願いします」

 

「どうって言われましても……」

 

 話題を振られて朱莉は固まってしまう。

 北宇治の吹奏楽部を見て感じたことは「手ゆるい」の一言。なんなら北中時代よりもゆるい。

 ただそれをどう言い換えればいいのか、すぐに思いつけなかった。

 

「穂村さんが口籠るのもわかります。貴女以外の経験者の一年生にも聞いてまわりましたが、言葉を濁すかオブラートに包んだ優しい言い方しかしてきませんでした。いけませんね、話題の振り方が抽象的に過ぎました。ですからもう少し具体的な問いかけに変えましょう。……穂村さん、今の練習ペースで行くと、北宇治はコンクールのどの段階で止まりますか?」

 

「良くて関西。十中八九は府大会まで、ですかね」

 

 だから、朱莉は目標決めの際に関西大会に手を挙げた。

 それは北宇治の吹部はそこまでしか上がれないと、静かに見切りをつけていたことに他ならない。

 朱莉の回答を受けて、滝は顎に手をやる。

 何か思うところがあったのだろうか。

 

「なるほど、穂村さん。やはり貴女はよく周りが見れていますね。だから貴女は関西大会に手を挙げたわけですか。ようやく、分かりました」

 

 何やら1人で納得する滝に朱莉はついていけてない。

 いかんせん、朱莉には滝昇という人物は計り難い。ただ、自分の底を見透かそうとする意図は感じて、朱莉は知らずそっと自分のお腹を撫でた。

 キンコンカンコンと、完全下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。

 

「……時間ですね。穂村さん、私は明日からパートごとに練習を見て回るつもりでいます。ホルンパートの練習が終わった後、もう一度お時間をいただけますか?」

 

「……はい」

 

 否なんて回答はハナから想定していないのだろう、滝は言いたいことだけ言って朱莉の前から歩き去っていった。

 

(なんか忙しい人だな……。それに目をつけられた気がする。うーん、あまりおかしなことは話していないと思うんだけど……)

 

 朱莉はそれを見送りながら思う。

 なんかろくでもないことが起こりそうな気がする、と。

 

 3

 

 過日、朱莉に言ってきたように滝は平日の3日間を使って各パートの練習を見て回っているらしい。すでに3分の2のパートは滝の指導を受けていた。

 

「昨日トロンボーンパートのところに滝先生が来たよ。まぁぼろぼろに言われたな。クラのとこは3年の先輩が泣かされたらしい。相変わらずあの先生、むちゃくちゃやるわ……」

 

 1年5組の教室で秀一がぼやく。

 滝の鋭利な舌鋒が弛んでたと聞くトロンボーンパートの面々のメンタルを容易く切り裂いたのは朱莉にも容易に想像ができた。

 

「ホルンパートはどうだった?」

 

「まだホルンは来てないよ。なんとなく今日来そうだけど。で、秀一から見て滝先生はどうだった?」

 

「きついけど、腕は確かなんだろうな。1時間ぐらいしか指導を受けてないけど、明らかに音色が変わった。きついけど」

 

 ぐったりしながら秀一は答える。きついという割にはその語り口は柔らかく、練習の内容は充実したものだったのだろう。

 

「朱莉、俺さ今回は夢を見れそうな気がする。北中は1、2年の時がひどかっただろ? だから、実は3年の時は俺はちょっと諦めてたんだ。……けど、やっぱさ勝ちたいとまでは言わないけど、全国に出場ぐらいはしてみたいじゃん? 滝先生の下ならもしかしたらがあるかもしれないってそう思えた」

 

 机に頬杖をつき、遠くを眺めながら秀一は言う。

 その少し大人びた横顔を朱莉は眺めていたが、少し気恥ずかしくなってきてすぐに目を背けてしまう。

 

「何その手のひら返し。それに気が早いよ」

 

「うるせえ、ちょっと虫がいい話だなって俺も思ってるんだから。せっかく気にしないようにしてたのによ……」

 

 拗ねるように言う秀一に朱莉はくつくつと笑う。

 はたして、とっさについた悪態は何を隠すためのものだったのだろうか。

 

 4

 

 朱莉の予想通り、その日のうちにホルンパートの練習場所に滝はやって来た。

 ホルンパートの面々に関して滝は基礎練習を課す。

 フォームの修正から、リップスラー、ロングトーン、タンキング。ホルンというよりかは金管楽器の基礎とも言える部分から叩き直させた。

 

「今までが漫然とやり過ぎて、昔に築いていたはずの基礎が揺らいでます。だから、今になって音が揺らぐのですよ」

 

 滝の舌鋒がホルンパートの面々を襲う。

 沢田や加橋などの3年生は抗議の声を上げるが、滝の指導で俄かに音が良くなるにつれて、今まで自分たちがやってきた練習の質の低さを突きつけられて沈黙した。

 

(ああ、これは秀一もぐったりするはずだ。普通に辛いもん。なに? ロングトーンで口をいじめた後にリップスラー? もうダメ、唇がぷるぷるする……)

 

 滝の舌鋒に、普通に負荷が高い練習。

 朱莉とてついていくにも中々骨が折れた。

 

「やはり基礎が固まれば違いますね。前よりも芯の入った演奏が出来ていると思います。とくにリップスラーの音の変わり目を意識すれば、もっと良くなることでしょう。……ああ、それと穂村さんは練習のあと、職員室に来て下さい。そこで引き続きお話があります」

 

滝の宣告に朱莉の目がどよりと曇る。

(気づいたらなかったことになってないかなー)という彼女の甘い願望はあっけなく砕かれたのだった。

 

 5

 

 たどり着いた職員室で滝は座って待っていた。

 デスクトップパソコンの周りには何らかの資料が散らかっている。

 職員室で教師と2人きりで対面するというシチュエーションはいささか圧が強い。朱莉は居心地悪そうにみじろぎする。

 

「まず、私の推察から話しましょうか。間違っていたら訂正して下さい。……穂村さん、貴女は合奏の際に抑えて演奏してますよね」

 

「ッ……!」

 

 思いもしない言葉に朱莉の息が詰まる。

 そんなつもりはなかった。皆の音をちゃんと聞いて、ちゃんと合わせて響きを作っていた。そのはずだった。

 

「前から疑問には思っていました。小中通して貴女は個人技では優れていました。小学校6年生の頃にはソロコンで全国出場こそ逃すも関西大会ゴールド金賞、中学1年生の頃にも関西ソロコンで銀賞は取れている。その割には貴女の音は目立たず、埋もれてしまっている」

 

「……昔の話です。今はもう見る影もない」

 

 それは朱莉がちゃんと頑張れていた頃の話だった。だが、コンクールメンバーに入るという目標を奪われて、周囲から槍玉に挙げられて豊かだった才能が萎んでいく。

 よくいるかつて天才だった早熟の奏者。それが自分だと朱莉は思っていた。

 

「私は、そうは思いません。直近の賞歴が振るわなくても、ホルンパートの誰よりもリップスラーもロングトーンも上手い。それに貴女が屋上でかき鳴らした音色は素晴らしかった。まだ、貴女は枯れてはいない」

 

「あれ、聞かれてたんですか。というよりそんな褒められた演奏ではなかったと思うんですけど……」

 

 朱莉の顔が羞恥に染まる。

 麗奈を叩き潰すことしか眼中になかった、力任せの演奏。合わせるという概念をどこかに置いてきたあの音をまさか滝にまで聴かれているとは思わなかったのだ。

 

「ええ、あれでいいんですよ、貴女は。貴女は周りをよく見ているし周りの音をよく聞いている。だからこそ、卓越した技術があれど演奏の中に完全に溶け込んでユニゾンを補強することができるのです。それはやはり、並の奏者にできることではありません。……ですが、それでは穂村さんの最大の強みである表現力を消してしまう」

 

 眼鏡をぐいと直して、滝は朱莉に向き直る。

 ハーフリムの奥にあるその瞳はまっすぐに朱莉を見据えていた。

 こういうときに無駄に男前なのが困る。変にきりりとしていて、あまり滝にそういう目を向けなかった朱莉でさえも少しどぎまぎしてしまった。

 

「率直に言えば、今までの穂村さんの演奏の仕方なら、関西まででしょう。貴女や森本さんが下支えし安定したユニゾンを奏でる、それなりの結果を得ようと思えば、けして悪い演奏ではありません。……しかし、私たちが目指しているのは全国なのです。今のままでは、打点が足りません」

 

 ここまで来ると、滝が自分に何をさせたいのか朱莉にも分かってきた。

 

(多分、この人は合わせる音の基準を引き上げたいんだ。今の沢田先輩軸じゃなく、私のやけっぱちな演奏にパート全体を合わせて表現力を高めようとしている)

 

 それができたら、どんなにかいいことだろう。

 朱莉自身は思ったように吹けるし、部の成績も上がる。

 ただ、いかにも考えつきそうなことだったから、中3の時に一度それは試みた。しかし、北中ではその試みは実らずに願望より一回り下の水準に落ち着く結果になったわけだが。

 

「私は構いませんが、森本たちは大丈夫なんですか? おそらく厳しい練習になります」

 

「何を今更。全国を目標にするとはそういうことなんです。妥協などかけらたりともあってはならない。出来ることをやり、目標を超えて絶えず理想を追い続ける。それが出来ない限り、全国の扉に指先をかけることすらできませんよ」

 

 朱莉の懸念に対してさも当然のように滝は言ってのける。

 この時、朱莉は思い知る。……この男は、滝昇は本気で全国を目指しているのだと。それも弱小の北宇治でやれる限り力を尽くそうとしているのだから始末に負えない。

 

(……本当にとんでもない先生だ。やっぱ狂ってるよ)

 

 恐れ慄きながらも朱莉は予感する。

 北宇治の吹部は変わろうとしているのかもしれないと。漫然と過ごすのではなく、敢然と高みに挑む熱い時代がやってくるのかもしれない、と。

 この予感が当たって欲しいと、朱莉は切に願った。

 

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