ホルン吹きの少女   作:衝角

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第5話 ふみこみリザルト

 

 時が経つのは早いようで、滝が指定した合奏の日をついに迎えた。この日は午前で授業が終わり、昼前には部活に入れるような日であった。

 皆、この日ばかりは早めに練習に入って最後のパート練習を行っている。ホルンパートもまた練習に熱が入っていた。

 

「沢田先輩、もうちょっとサードの補填に回って吹いてもらっていいですか? 今のはちょっと主張が激しかったような気がします」

 

「反対に岸部先輩は音を遠くまで飛ばすような感じで吹いてください。今のじゃ、やや迫力が足りません」

 

 パート内で合奏してその一回一回を録音して聴き、改善点を指摘する。

 今、朱莉がやっているのはそうした擦り合わせ作業だ。

 先日の朱莉基準に合わせる方針で行くとなると、朱莉自身が下級生ながら演奏を組み立てる立場になる。ゆえに先輩相手にもきっちりと指摘を入れて、自らが望む音楽を作り上げる必要があるのだ。

 

(北中じゃありえないよね。後輩に指図されても聞き入れてくれる先輩は)

 

 内心で何を思っているかわからないが、沢田も加橋も岸部も今は朱莉の指揮に表面上は従ってくれている。

 

(これも、北宇治が変わり始めている証拠なのかな? まぁ滝先生に反発してムキになってるだけなのかもしれないけど)

 

 主に久美子や秀一からの情報提供だが、低音やトロンボーンでも当初に比べると真面目に練習をするようになったらしい。

 

「絶対、あの鬼畜イケメン眼鏡を見返してやる……」

 

 朱莉が思索する横で沢田が滝に対する恨み節を吐きながら譜面を睨みつけていた。おそらくは他のパートの上級生も似たような感じになっているのだろうか。

 となると、過日の滝の暴言は、ホルンパートだけではなく、部内全体にもよほど恨まれたらしい。皆が皆、滝に対して敵対心を抱いていた。

 

(図らずも前と比べて団結が増している。空気だって悪くない。……もしかして、滝先生はこれを狙ってあんなに叩いてきたのかな……? いや、ないか)

 

 ともあれ、雰囲気や環境は変わった。後はそれぞれがどれくらい練習したかにかかっている。

 

 1

 

 13時20分に朱莉はパート練を切り上げる。

 10分休憩して、その後に音楽室に集合する段取りだ。

 朱莉が音楽室に着いた頃には他のパートはほとんどいて、麗奈や久美子もその中にいた。

 

「どう? 久美子、自信のほどは?」

 

 ホルンパートの席に向かう途中、目についた久美子に朱莉は話しかけた。

 朱莉の問いかけに久美子は眉を曇らせる。

 

「ちょっと、ないかも。練習はしてきたとは思うんだけど……」

 

「大丈夫、わたしもないよ。正直まだ練習したりなかったもん。でも、ここで滝先生を見返せなかったら、多分先はない。……だから、自信なくてもやりきるよ」

 

 強く言い切る朱莉の姿に久美子は目を瞬かせた。

 久美子の知る朱莉はこんな決意表明をするような少女ではなかった。もう少し、周りの目を気にして控えてしまうような、そんなどこにでもいるような女の子だった。

 

「……変わったね、朱莉ちゃん」

 

「そうだね、久美子。でも、これはわたしが変わったというより、周りが変わったからだと思うよ。わたしはただ後悔していた自分を見つけただけな気がするんだ」

 

 何に後悔していたのか、久美子はあえて聞かなかった。

 なぜならば知っているから。あの晩秋の屋上で聞いたあの独奏は、間違いなく目標を奪われた朱莉の失意の叫びだった。

 

(そして、その目標を奪わせたのは多分あたしだ)

 

 ある日を境に、自分をいびり続けた先輩達が久美子にあまり近寄らなくなった。そしてそれと同時期に朱莉がコンクールの出場を辞退したとなれば、久美子にはなんとなく察せられてしまう。

 おそらく朱莉は久美子にも向けられるはずだった悪意を肩代わりしたのだろう。何か決定的な出来事があったことには違いない。

 朱莉は何も言ってこない。久美子も踏み込むには気が引けて。

 そうして残ったのはうちに閉じこもってしまい、ホルンの音色でしか感情を発露できない少女と、罪悪感を抱いた果てに擦れてしまった少女だった。

 

「朱莉ー、早くこっち来てー。チューニングできないじゃん」

 

 少し離れたところから、森本が朱莉を呼ぶ声がする。そこで久美子は意識を引き戻された。ゆっくり話をしていたい気はするけど、それは今じゃない。その内、家の近くの和カフェで時間を作ろう。密かに久美子はそう決めた。

 

「ごめん、久美子。呼ばれたからいくね」

 

「うん、わかった。朱莉ちゃんも頑張って」

 

「久美子も、頑張ろう」

 

 軽く手を振って朱莉はホルンパートの元へ向かった。

 その笑みはとても自然で、久美子もまた笑みを浮かべてしまう。

 久しく見ていなかった彼女の柔らかな微笑みはとても愛らしくて、懐かしかった。

 

「久美子ちゃん、いい顔をしてるね」

 

「わ、緑ちゃんいたの? 」

 

 ぬっと後ろから出てきた緑輝に久美子は思わずのけぞってしまう。いつから聞いていたのだろうか少し気になるところだ。

 

「うん。それにしても、久美子ちゃんと穂村さんって仲良かったんだね」

 

「幼なじみだからねぇ……」

 

 6年前に自分と秀一の前に姿を現して、いつも自分たちの後ろをついてくる可愛い妹のような存在。

 同じ金管バンドに入って以来6年もの間、歩みを共にした存在。

 一度は全国にまで届かんとしたその姿は久美子にとっては憧れで、でも痛々しいほどに人の温もりに飢えている姿も知っている。そして、それでも揺るがない強さを持っていることも理解させられた。

 本当に、朱莉とは密度の濃い時間を過ごしたと思う。

 だから、彼女のことを語る時にしみじみとした声音になるのも致し方のないことなのだろう。

 

 2

 

 14時になる。

 滝が入室してから練習が再開されたが、いきなり合奏には入らずにオルガンを使ってのチューニングから始まった。

 前はてんでバラバラだった旋律が今回ではある程度形になっていたと思う。そんな朱莉の感想は部内でも共通だったらしく、まばらに歓声が上がった。

 

「皆さん嬉しいのはわかりますが、練習中の私語は慎みましょう。そうですね、次は配布された楽譜の2番をやりましょうか」

 

 何度か前回崩れた後半の部分的な合奏に移る。ここもいくつか粗があったが、致命的なほつれは見受けられない。

 

「では、最後に通しでやってみましょうか」

 

 そう言って、滝が指揮棒を構えると部内の空気が一気に引き締まった。

 ついに試される時が来たわけである。皆の視線が指揮棒に集中する。

 

「ワン、ツー、ワンツースリーフォー」

 

 指揮棒が振り下ろされ、音楽が始まる。

 朱莉もまた懸命にホルンを吹きはじめると、他のホルンパートもそれに続いた。

 僅か3日前から始めたばかりのホルンパート内の変動。

 まず、譜分けから変わった。今まではパートリーダーである沢田が吹いていた目立つファーストを朱莉が吹き、沢田はセカンドで橋渡しに。森本と加橋、岸部の3人はサードに回り、厚みを作る。

 今まで目立つファーストを吹いていた沢田がそれまで橋渡しをしていた穂村のセカンドと代わった結果、音の響きが多彩になった。その分、サードの負担も増えたが、沢田は今までの加橋と岸部の癖を知っているため十分なサポートが提供できている。

 それぞれの適性を把握した上での譜分けをした上で分けた部分を特化させるような練習。最終的には表現を不足なく行うための地力が欲しいところだが、滝を見返すという短期的な目標を達成させるために山を張るしかなかった。

 

(正直、全然練習不足だけどそれでも前より全然いい。ちゃんと合奏してるし、音も濃ゆい。サンフェスが取り消しになるリスクを考えると前と同じ編成で行くことも考えたけど、ここで新編成を使って滝先生を見返せないようならわざわざ変えた意味がないと思うから)

 

 満足気に朱莉はホルンを吹き続ける。

 変わったのはホルンパートだけではない。クラリネットもトロンボーンもパーカッションも見違えるほど音の質が向上している。

 合奏が続き、滝が振るう腕も止まらない。

 フィナーレまでたどり着き、滝は静かに腕を下ろした。

 まずは最後まで演奏し通せたことに対して安堵の声が各所から漏れる。

 滝はというと、顎に手をやり考え込む姿勢。

 正直、朱莉としては気が気でない。今更とはいえ新編成を試すべきではなかったかな、と後悔し始めた。

 おそらく滝の中では今の演奏は当落線上に位置するのだろう。果たしてどちらにブレるのか。

 

「及第点、ですかね。本番は5月の初めです。我々にはもう時間がありません。それにサンフェスはパレードです。演奏に加えて歩きながら吹けるようにしなくてはなりません。どうです? やれますか?」

 

 微笑みを浮かべながら滝は問う。

 顔が良いため爽やかに見えるが、その笑みには幾分か挑発的なものが含まれていることを朱莉は見落とさなかった。

 

「ちなみに、私はやれると思っていますよ。皆さんが若さにかまけてドブに捨てていた時間をちゃんと練習に当てれば、余裕で間に合うでしょう」

 

(相変わらず、すごい言い方をしてくるな……)

 

 爽やかな笑顔に似合わぬ臓腑を抉るセリフにげんなりする朱莉。

 

「サンライズフェスティバルはあくまでお祭りですが、立華はじめ府内の強豪校も一度に会する場です。ここで現在の北宇治の立ち位置を確認しておくにはいい機会でしょう。とはいえ、半端な演奏は許しません。ここで来てくれた方々に今年の北宇治は一味違うと、見せつけてあげましょう」

 

 滝の笑顔が単に爽やかなものから不敵なものに変わる。

 大胆不敵。そんな言葉が朱莉の脳裏に過ぎった。

 

「でも、今からじゃ……」

 

 小笠原の不安そうな声に何人か俯く。

 しかし、それを滝はあっさりと切って捨てた。

 

「できないと思っていますか? さっきも言いましたが、私はできると思っていますよ。……なぜならば、私達は全国を目指しているのですから」

 

 言外にそれくらいできなくては困ると、それくらいまで押し上げてやると。

 ハーフリムの奥の瞳が告げている。

 ここまで来たら、言葉を交わした回数が少なくても勘のいい部員なら理解してしまう。

 この場にいる誰よりも滝自身が本気で全国を目指しているのだ、と。

 朱莉もまたその一人だった。

 

 3

 

「朱莉、ちょっといい?」

 

 完全下校時刻の間際。

 朱莉は麗奈に呼び止められていた。

 

「どうしたの、麗奈。わざわざ呼び止めるなんて珍しい」

 

 朱莉と麗奈のつるみ方は割とゆるいものだった。

 互いに出会したら話はするが、どこかに遊びに行ったり一緒に帰ったりといった相手の時間を拘束するようなことはあまりしてこなかったのだ。

 これはそんな暇があるならトランペットの練習をしたいという麗奈の意を汲んだ朱莉の動きに依るもので、麗奈側から絡んでくるとなると事情が変わる。

 

「わたしは電車で、麗奈は自転車だから……。じゃあ橋渡ったとこのサイゼでいい? そこでご飯食べながら話そっか」

 

「うん、それで構わない」

 

 頷き、麗奈は朱莉の隣を歩き去っていった。

 京阪宇治駅から橋を渡ると件のサイゼリヤがある。橋上店舗になっており、1階部分の駐車場の壁に背中を預けながら、麗奈は朱莉を待っていた。

 

「で、どうしたの?」

 

「いや、ちょっと朱莉に話があって……」

 

「何? 改まって」

 

 珍しいこともあるものだと思いながらも朱莉は歩みを進めた。

 平日のためかサイゼリヤには空席が多くあったため、2人は入り口付近の4人がけの席につくと手早く注文を済ませる。

 

「それで? 話って何? 」

 

「あんたさ……、滝先生のことどう思ってる?」

 

 注文した品が来た時は麗奈はドリンクバーに行っていた。その帰りを待ってから朱莉が問うと、彼女は席に戻るなりそう切り出したのだ。 

 

「どうって……。まあ、いい先生だとは思うけど」

 

「……それだけ?」

 

「いや……。正直ちょっと怖いなって思うよ」

 

「ふーん……」

 

 麗奈はつまらなそうに相槌を打った。そして自分の飲み物を啜るとすぐにつぶやいた。

 

「そういえば、朱莉って滝先生に呼び出されてたよね? それとホルンパートの演奏がガラリと変わった理由に関係ある?」

 

 やはり音楽における麗奈は鋭い。

 朱莉は内心で白旗を掲げていた。

 隠す必要性があるかはわからないけど、もう麗奈には口にするべきだろう。

 

「あの時に滝先生に打診された。わたしの強みを活かしてみないかって」

 

「流石は滝先生。やっぱわかってたんだ、朱莉が合奏ではあまり表に立たないようにしてるって。……それにしても、妬いちゃうな。滝先生に目をかけてもらえるなんて」

 

「目をかける、というかあの人はただ至らないところが目についたから指摘しただけだと思うんだけど。わたしは、滝先生に目をかけてもらえない方が羨ましい。それって逆説的に上手いことの証明だから」

 

「それはそうだけど、やっぱり羨ましい。アタシ、滝先生に教えてもらうために北宇治に来たわけだし。子供の時からずっと思ってた」

 

 頬杖をついて麗奈は窓の外から夜の宇治川を眺める。

 こんな何気ない仕草ですら絵に描いたような美しさ。

 ……思えば、麗奈はこんな美人なのに浮いた話ひとつなかった。男の子に興味がないわけではないと思うのだけど、それにしてもなんかこうないのだろうか。

 

(そういえば、滝先生って見た目だけはいいよね。清潔感があって、余裕がある感じ。いかにも大人の男性って感じで)

 

 ……もしかすると、麗奈って……。

 想像はしたけど、口にすることはやめた。

 確かに、理屈は合ってるし過程的にもありうる。合ってはいるけど、その場合はちょっと拗らせすぎじゃないだろうか。年の差もまあまああるだろうし。

 

(いや、まあわたしも5年以上は拗らせているから何も言えないんだけどさ)

 

 あと3年は一緒に居られる。

 けど、その先はわからないし、そもそも今回だって示し合わせたわけではない。北宇治で秀一や久美子、麗奈と一緒に過ごせるのはある種の奇跡だった。

 

(わたしにはもう次はない。もう何一つとして取りこぼせない。だからこそ、悔いのないように、やり切らなくてはならない)

 

 朱莉は静かに初心を新たにするのであった。

 

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