ホルン吹きの少女 作:衝角
葉月カメラ続投です。
監修のユーフォキチに負けインに影響されたやろと言われて返す言葉がありませんでした。
サンフェスが終われば、後はオーディション一本槍となる。
部員たちの練習にも熱が入り、今やほとんどの部員が完全下校時刻直前まで残るという以前では考えられない状況になっていた。
そんな中、葉月はまだもがいている。確かに前よりは吹けるようにはなった。……ただ、音がどこかくすんでいる。
未だに初心者であることはあるが、それだけじゃ音のくすみが説明できないことを葉月は理解していた。
(やっぱり、モヤモヤする)
サンフェス後の屋台巡りで見た秀一と朱莉が並び立って歩く光景。
あの時に秀一から付き合っていないことは盗み聞けたが、同時に朱莉の思いまで垣間見ることになる。
塚本に手を引かれた時の頬を赤く染めた顔。照れながらもいじましくサンフェスの衣装の感想を秀一に尋ねる姿。「可愛らしかった」と答えられた時の花が綻ぶような笑顔。
(間違いなく、朱莉ちゃんは塚本のこと好きだよね……)
あの時の朱莉は葉月の目から見ても本当に可愛らしく、艶っぽくて……俗な言い方をすればまさしく女の顔をしていた。
だから、思わず葉月は居た堪れなくなってあの場から逃げ出してしまった。芽護と久美子の北中の思い出談義もまた遠巻きに聞いていることしかできなかった。
今となっては自分が情けないと思う。周りがみんな頑張っているのに、自分だけそんな理由で足踏みしてしまっている。
久美子と秀一の関係もなんだかんだで聞けずじまいだ。
人によっては何年でもこのモヤモヤを抱えて続けていくのだろう。少なくとも自分では無理そうな気がしている。
片想いを持続させている人はすごいなって葉月は素直に思えた。
(このモヤモヤを抱え込めないなら、やっぱり聞くしかないよね。よーし、やるぞ)
が、そう早急に事を進められる訳ではなかった。
練習終わりに意を決して久美子に聞こうと探し回ったところ、久美子はすでに別の人間と帰ってしまっているらしい。
「もう、本当に久美子ってば間が悪いというか、他とずれてるよね……」
「気持ちは分かりますよ、葉月ちゃん。でも明日また聞けばいいじゃないですか」
結局のところ、葉月は緑輝と一緒に帰ることになった。
北宇治の坂を下り、黄檗の駅で電車を待つ。
五月の後ろの方ともなると気温は高くなり、冬服だと蒸し暑い。今日もそんな日で、葉月の背にじとりと汗が滲んだ。
身体を冷やそうとたまらずペットボトルの麦茶に手を伸ばし、口に含む。
そんな時、緑輝は真面目そうな顔を作って葉月に問いかけてきた。
「ねえ、葉月ちゃん。もしかして、好きな人がいるんですか?」
「けほっ! けほっ! ……いきなり、なに」
盛大に麦茶を咽せて、葉月は緑輝を見つめる。
まさか、緑輝にこんな事を聞かれるなんて思わなかったのだ。葉月自身は秀一を憎からず思っているのは隠したつもりだったというのに。
「だって、チューバの音色が変わりましたもん。前の可愛らしい音色からさらにピリッとした辛みまで出るようになりましたから。それとたまに突き放したような深さも。色々不安定ですが、音色に幅が出るようになりました」
それに、と緑輝は続ける。
「葉月ちゃん、前髪を気にするようになりましたよね。前は寝癖をとりあえず直しただけだったのが、しっかりセットするようになりました。つまりは、見て欲しい相手がいるということですよね」
葉月は言葉に詰まった。
やはり、緑輝はよく見ている。日頃から一緒にいるだけではなく、想像力もあるから目にした物事からおおよその事実にたどり着かれていた。
「相手は言わなくて大丈夫ですよ。ちょっと当ててみたいので」
楽しげに緑輝は笑う。一方で葉月は肝を震えさせていたが、幸いなことに緑輝は的外れな人物を挙げるばかり。
「えー、誰なんですか?」
「そこは女の子の秘密ってやつだよ緑」
なんならちっちと指を振って見せる余裕もある。
この分なら相手が塚本だってことはバレないだろうな、と葉月が安堵しかけていた時のことだった。
駅の入り口から久美子と秀一が2人並んで歩いてくる。手でも振ってやろうと思ったが動けない。
またしても、見てしまった。
今度は秀一の方が久美子に楽しげに笑いかけてる姿を。
息が詰まり、葉月の心臓がまたも締め上げられて鈍い痛みを覚える。
だが、幸いなことにそんな葉月の心音はやってきた電車の音にかき消されて聞こえなくなった。
「葉月ちゃん、急に固まってどうかしたんですか? 電車来たので乗りますよ」
「そうだね、緑」
なんとか緑輝に返事をして葉月は電車に乗り込み、見つけた席にどっかりと座り込んだ。女の子らしくはないけど許して欲しい。それぐらい葉月に余裕はなかった。
「塚本くんと待ち合わせて2人きりで帰るなんて久美子ちゃんもやりますね。緑、どきどきしちゃいました」
「芽護ちゃんも言ってましたが、やっぱり幼馴染なんですね。一応は男子と女子が一緒にいるのに、ぜんぜんぎこちなくなくて普通に振る舞ってて」
「あの2人って付き合ってるんですかね。久美子ちゃんもひどいです。なんでこんな面白そうなことを教えてくれないんですか」
「……ねえ、葉月ちゃん。葉月ちゃんてば、聞いてますか?」
緑輝に頬をつつかれて、葉月はようやく緑輝の方を向いた。
「ごめん。聞いてなかった」
明らかに嘘をついた自覚が葉月にはある。
聞きたくなかった。緑の独り言がいよいよ久美子と塚本との繋がりの深さをいよいよ決定づけたような気がして、葉月は聞いていないフリをしていた。
けれど、そんなことをしでかして仕舞えば、想像力が逞しい彼女は答えを導き出してしまう。
「……葉月ちゃんの好きな人って、塚本くんのことだったんですね」
「うん、そうだよ」
ここまでたどり着かれたからには葉月はうなづくしかなかった。
この調子ならすぐにバレていたような気がするから、今バレたところで誤差のうちだったかもしれない。そう思って気持ちを強く持つことにした。
対する緑輝の想像の中で先ほどの2人の姿と日頃の秀一と朱莉の姿。目の前の友人の姿がそれぞれ線を伸ばし、星座のように結ばれる。
そうしてできたのは四角形のなりぞこない。三角関係よりも歪なバランスの悪い関係性だ。
それでも、緑輝は目の前の友達の手助けをすることに決めた。
「まだ諦めちゃいけませんよ、葉月ちゃん。もしかしたら今日たまたま一緒に帰っただけじゃありませんか。それならちょっと疎遠になり気味な幼馴染でもありえます」
果たして、小中高と学校が同じで部活も同じ相手が疎遠になることなんてありえるのだろうかと葉月は首を傾げつつ、緑輝の言葉の続きを待つ。
「久美子ちゃんに塚本くんとの関係をちゃんと聞きましょう。まずはそれからです」
ぐっと握り拳を作ってファインディングポーズを取る緑輝。
確実に面白がっているだけなのだろうけど、それでも緑輝が手助けをしてくれるらしいことは葉月にはありがたかった。
6
「久美子ってトロンボーンの塚本と付き合ってるの?」
昼休みの教室でこの問いかけを久美子にぶつけた時、葉月は内心穏やかではなかった。緑がついてくれているとはいえ、自ら友人関係に火種を投げ込んだことに罪悪感を抱いている。
きっと不意打ちだったのだろう。問いかけをぶつけられた側の久美子は暫し固まった後、抑揚のない声で回答を口にした。
「いや、付き合ってないけど」
「お、おう。そっか」
回答があまりにもあっけなかったために、逆に葉月の方が動揺してしまう。
久美子の返事を聞いた瞬間、緑輝は目を輝かせてぐっと握りこぶしを作った。まるで自分の事のように喜んでいる彼女を余所目に、葉月は探りを入れるように言葉を重ねる。
「じゃあ、塚本とどういう関係?」
「……幼馴染だけど」
その答えに葉月はほっと胸をなで下ろす。少なくとも恋人という線は消えたわけだ。
しかし、まだ久美子側の気持ちがわかったわけじゃない。
「それは知ってる。けど、なんかこうなんかもっとないの?」
「すごいふわふわしてるね……」
「じゃあ聞き方変えるよ。ぶっちゃけ久美子は塚本のことどう思ってるの?」
そこから、久美子はしばらく黙りこくって黙り込んだ。そしてたっぷり10秒ほど考え込んだ後、ようやく答えを返してくる。
「やっぱり、ただの幼馴染だよ。それ以上のことはまだ考えたことない」
「……そっか」
ならば、このまま様子を見てもいいだろう。秀一と朱莉も付き合っているようには見えないが仲良くしているし、きっとこの2人もそうなのだろう、と葉月は結論づけた。
「そういえば、 なんでそんなこと聞いてきたの?」
「え? いや、別に……」
葉月は言葉を濁す。まさかこんなことになるとは思わなかったのだ。久美子の疑問ももっともだろう。
「もしかしてだけど……秀一のこと気になってる?」
「いや、違うから!」
とっさに葉月はそう声を上げていた。教室中に響くような声で叫んだために、周囲の視線がこちらに集まってくる。その反応で自分の行動がいかに突飛なものであったのかをようやく自覚した葉月は顔を赤くするしかなかった。
「……本当に?」
「……ごめん、好き」
観念して、葉月は白状する。もはや久美子相手にも誤魔化しが通用しないことは薄々悟っていた。緑輝に応援されている手前、秀一への気持ちを隠すのも心苦しい。
「そっか。秀一のこと、好きなんだ……」
それだけ言うと久美子は黙り込む。その反応が怖くて、葉月は久美子の顔を覗き見た。久美子は驚いた風もなく、ただ黙って考え込むように目を伏せている。それがまた怖かった。
「そっか。うん、わかった。でもそれって朱莉ちゃんは知ってるの?」
「……言ってないよ」
「まあ、朱莉ちゃんなら気づいてそうな気もするけど」
確かに朱莉はそういった機微に聡い。気づいていてもおかしくはなかった。ただ、自分が気づいていなかっただけで。
「もしかしてだけどさ……朱莉ちゃんに気を遣ってる?」
勘がいいなと葉月は目を白黒させる。その反応を見て、やっぱりかといった顔で久美子は大きくため息をついた。
「大丈夫だよ。朱莉ちゃんは可愛いだけの女の子じゃないから。あの娘は強いよ。間違いなく私よりは、ね」
「そう、なの?」
葉月は半信半疑で久美子に尋ねる。自分の目で見てないから信じられないという気持ちがどこかにあった。
「うん、そうだよ。だからもう一度会ってみて。多分そうした方がいいと思う」
「わかった。ありがとう」
そう葉月が告げて久美子の元を離れようとした時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
7
五月最後の休日練の朝。
やはりというか、彼女はそこにいた。稲穂色のおさげはそう見間違えるものじゃない。ただそこにいるだけで一気に風景が華やぐ。そんな力を彼女は持っていた。
「今日も早いね、葉月ちゃん」
穂村朱莉は1人屋上で訪問者を出迎える。片手にはホルンが抱えられていて、曙光に照らされてキラキラと輝いていた。
「うん、なんとなく」
葉月は曖昧に返事をして朱莉の隣に腰を下ろす。いつもよりも少しだけ遠くの距離に座ったのは彼女への遠慮からか。しかし、当の朱莉はそんなこと意にも介さず、ずいっと座る距離を詰めてくる。
「そういえばさ、今日は秀一とたくさん練習できるよ」
「……そうなの?」
突然の話題に葉月が目を瞬かせる。そんな友人の様子に構うことなく朱莉は話し続けた。
「だって今日の全体合奏の後、低音とトロンボーンの合わせだもん」
唐突な話題振りはまるで葉月の気持ちなどとうに見透かしているようで、葉月は肝を冷やしてしまう。
「ごめん、久美子みたいに察し良くないからさ。はっきり言ってくれると助かるかな」
「葉月ちゃん、秀一のことが好きなんでしょ?」
にっこりと微笑まれて葉月は答えに窮する。やはり、見抜かれていたらしい。対して朱莉はくすりと笑みをこぼす。その笑みは綺麗だけど、恐ろしかった。
「葉月ちゃんわかりやすいからねー。それに秀一と話してる時、すごくいい顔するし」
「そんなに?」
「うん、本当に可愛らしい顔をしてる。わたしとしてはちょっと複雑だけど」
そう告げる彼女の横顔は少しだけ寂しそうで、葉月は胸が締め付けられる思いがした。
「……ごめん」
「なーんて、謝らなくていいよ。むしろ、葉月ちゃんがわたしに知らせる必要性すらなかった。律儀だね、葉月ちゃんは」
朱莉はそう言って葉月を励ますように朗らかな笑みを浮かべた。それは実に彼女らしい笑みだった。この少女には敵わないな、と素直にそう思えるようなそんな笑顔。けど、それが恐ろしいと感じてしまうのはどうしてか。
「大丈夫、他が何をしてきても、秀一のことはわたしが絶対振り向かせてみせるから。あの娘以外に負けるつもりなんてない」
そう告げる彼女の瞳には強い意志が宿っている。その横顔に葉月はただ圧倒されていた。
「だから、葉月ちゃんは安心してていいよ。抜け駆けされたぐらいで、わたしはなんとも思わないから」
この友人には敵わないな、と葉月は再び思う。そして同時に、この友人ならばきっと塚本のことを射止めてしまうのだろうという確信めいた予感をも抱いていた。
8
「どうでしたか、朱莉ちゃんとは話せましたか?」
低音パートの練習の最中。水道でマウスピースを洗っていると、緑輝に話しかけられた。
「うーん。どうだろ」
葉月は言葉を濁す。あの後、他愛のない雑談をしただけで緑輝が期待するような展開は特になかったからだ。ただ、久美子が彼女を強いと評した理由は少しだけわかった気がした。
「何話してたの?」
そこに久美子までやってきてしまうのだからたまらない。
「別になんでもないよ」
「えー、教えて下さいよ」
「本当になんでもないから」
2人に詰められて葉月はたじたじになるしかない。
自分1人でいる時さえ、この想いを持て余すのに2人にいじられるといよいよ始末に負えない。
「わかった。話すからちょっと向こうに行って」
葉月は場所を移して、先ほどあったことを2人に伝えた。聞き終えた後の久美子の第一声はこうだ。
「それはなんというか……朱莉ちゃんらしいや。あの娘はああ見えてプライドが高いし、自分に誇りを持ってる。そして、一度何かを決めたら、それをやり抜こうとする。それが音楽でも恋愛であっても」
「私もそう思います。朱莉ちゃんって、敵に回すと怖いですけど、味方だとすごく心強いんですよ」
久美子と緑輝がうんうんと頷き合っている。2人して葉月の理解を超えるような会話を繰り広げているが、1つだけ確かなことがあった。それは、自分が完全に置いてけぼりにされているということ。
「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんないんだけど」
葉月はたまらず口を挟んだ。すると、緑輝が待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。
「つまり、朱莉ちゃんは強敵だということですよ。そしてその朱莉ちゃんに意識されてる久美子ちゃんも同じです」
「なんで、私が朱莉ちゃんに意識されてるのさ」
「それはですね、久美子ちゃんってすごく可愛いじゃないですか。それにちょっと抜けてるところもポイント高いです。そういう娘ほど男の子に人気があると聞きましたが。……それに幼馴染ですから。私の目からすると塚本くんも少なからず久美子ちゃんのことを意識しているように見えます」
「……え?」
思わず葉月の口から間抜けな声が漏れる。今、この友人は何を言ったのだろう。聞き間違いでなければ、秀一は久美子のことを……。
「あの……緑。今、塚本って言った?」
それがどうかしたのかと緑輝が首を傾げる。その反応に葉月は頭を抱えた。不安で心が一杯になってしまう。もしかしたら、自分が入る余地なんてもうないのかもしれない、なんて後ろ向きのことを考えてしまった。
「やっぱり塚本って久美子の事が好きなのかな? 久美子はどう思う?」
「たはは、私にはわからないよ。だって秀一、朱莉ちゃんの方を特別扱いしてる気がするし、葉月ちゃんの勘違いじゃないのかな?」
「もし、それが勘違いじゃなかったら?」
「勘違いじゃなかったら、どうなんだろうな……。ごめんね、うまく答えられなくて。秀一が朱莉ちゃんじゃなくて、私の方が好きかもなんて、考えたことなんかなかった」
久美子は困ったように笑った。その笑みに力はなく、顔は少し赤い。明言はされなかったが、葉月にとってはそれで十分だった。
……きっと、久美子は塚本に迫られたら拒否することはないだろう、と思える。
明らかに自覚はないのだろうけど、久美子は秀一の事を意識していた。塚本が望むなら、久美子はなんとかその好意を受け入れて馴染ませようとするのではないか。
ただ、久美子はその問題に向き合ったことがないから、自分の気持ちがわかっていない。彼女もまた秀一への好意を隠さない朱莉へ遠慮をしていたように思う。
「ごめん、ちょっと頭冷やしてくる」
らしくないことを考えさせたためか、逃げるように久美子がパタパタと水道から離れていく。それを2人で見送った後、緑輝はくすりと笑みをこぼした。
「やっぱり久美子ちゃんって可愛いですよね。こういう少し子供っぽいところとか」
「……うん。そうだね」
そう答える自分の声は驚くほど沈んでいた。それに気づいたのか緑輝がこちらに声をかけてくる。
「どうしたんですか? そんな暗い顔して」
緑輝には全部わかっていたのだろうが、葉月はあえて気づかない振りをする。そんな葉月を見て、緑輝は続けた。
「……葉月ちゃん。おそらく今しかないですよ。日にちが立てば状況は明らかに葉月ちゃんにとって悪い方向に転がります」
「それは……、でも唐突じゃない?」
葉月は言葉に詰まった。そんなことは百も承知だった。久美子のあの反応を見てしまえば、もう後には引けない。その事実が重く圧し掛かってくる。
「葉月ちゃん」
緑輝の手がそっと自分の手に重ねられる。彼女の掌は温かい。まるでこちらの心を見透かしているかのようだった。
「後悔しない道を選んで下さいね」
その一言が胸に刺さる。自分は一体どうしたいのだろう。自問するけれど、答えなんて最初から決まっていた。