包帯令嬢の恩返し〜顔面難病の少女を助けたら数年後美少女になって俺に会いに来た件〜   作:pelca

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第133話 ファミリーセッション

 晴れやかな土曜日の朝。

 

 CD用の音源の収録をするために、俺たちはしずはの家の地下スタジオに集まっていた。

 

「いやいやいや。すごすぎだろ」

「さすがに俺の家にもこんな設備はないなぁ」

 

 一階から階段を降り、少し重そうな扉を開けた先にそのスタジオはあった。

 その部屋を見るなり、冬矢が設備に驚き、医者の家系である陸すらも驚いた。

 陸の場合は造ろうと思えばできそうだけど。

 

 まず、手前にあったのは『ミキシングコンソール』という機械のある小部屋。

 コンソールには複数のボタンがあり、透柳さんによれば音声の調整加工ができ、それをトラック形式に加工できるものだとか。

 

 そしてコンソールの目の前には透明な窓。その奥に少し広めの部屋が広がっており、ドラムやアンプ、マイクなどが置かれていた。つまりここが演奏するブースだ。

 

 しかもマイクも今までのものと違い、コンデンサーマイクとポップガードという唾や湿気対策となるフィルターも用意されていた。どこかで見たことがあるような本物のレコーディング機材だった。

 

「透柳さん、この機械触れるってことですよね?」

 

 俺は無数のボタンがついているミキシングコンソールについて聞いた。

 

「はは、何十年音楽やってきてると思ってるんだ。もちろん使えるぞ」

「マジで凄いですね……」

 

 目がクラクラしてしまうほどのボタンの数。こんなの触れるなんてさすがはプロだ。

 

 ちなみに今日の収録は透柳さんに手伝ってもらうことになった。

 収録といっても、そもそも俺たちはどう収録すれば良いのか全くわかっていなかった。

 

 そこでしずはが透柳さんに話したところ、収録を手伝ってくれるということになったのでお世話になることにした。

 目の前でしずはの演奏が見たいという欲望もあったらしいので、スムーズに話が決まった。

 

「一応パートごとに別録りで収録もできるんだが、時間もかかるし今回はバンド形式で一発録りで行こうと思うけど、良いかな?」

「もちろんです! それは透柳さんにお任せしようと思っていたので」

 

 一般的には収録は別録りが多いらしいが、パートごとにやるとかなり時間がかかるそう。しかも四曲分あるとなればかなり大変だ。

 

 別録りなら音の被りもないし編集もしやすいというメリットもあるが、今回はしょうがない。CDを待っている人もいるからな。

 

 

「じゃあ、さっそく準備してくれ」

 

 

 ということで、ドラム以外の持ってきた楽器をセットしていき、チューニングしていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「とりあえず時間はある。ただそれにかまけて本気でやらないと、ミスの多い演奏が多くなって、何度も収録し直しになる。時間が進むにつれて疲れも出てくるだろう。疲れが出るということは、演奏や歌にも影響が出てくる。だから、一発で決めようという気持ちでやったほうが完成度は高くなると思うぞ」

 

 透柳さんからのアドバイス。

 

 確かに何度も収録し直しとなれば、相当疲れてくるだろう。

 

 文化祭では四曲を本気でやりきった結果、フラフラになってしまった。

 ということは今日はそんなに演奏できる回数も多くはないはずだ。

 

「今日で四曲全部やらなくても良い。とりあえず二曲は収録し終えたいな。それを目標に頑張っていこう」

「はい! わかりました!」

 

 

 そうして俺たちは一曲目から収録を始めることとなった。

 

 

 

 …………

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 午前から収録を開始し始めて現在は十二時。

 お昼休憩の時間になった。

 

 

 俺はというと体力的にかなりきていた。

 休み休みなので喉の状態はまだまだ問題ないが、何度も何度も歌と演奏を同時にすることでの疲労が溜まっていった。

 

 本気でやろうとはしたものの、文化祭本番のように満足いく演奏ができず何度もリテイクすることになった。

 透柳さんからの途中指導や休み時間も十分にあったが、ジョギングをしていても疲れることには変わりなかった。

 

「だぁ〜っ! しんどいっ!」

「なんか合宿みたいだな」

 

 冬矢が両手を床につけながら脱力し疲労を声に出して言うと、陸があぐらをかきながら座り込み、今の状況を合宿みたいだと話す。

 

「あんたら……もっと頑張りなさいよ」

 

 一番元気を残していたのはしずは。

 疲れてはいるのだが、まだ座り込む程ではなかったようだ。

 本番と違って連続演奏ではないので、体力はまだ残っている様子。

 

 

 その後、一旦リビングにお邪魔して昼食をとることになった。

 

 

「――うっまぁ……これ」

 

 今、俺たちがリビングのテーブルで食べているのは、花理さんが作ってくれたオムライスだ。 

 

 SNSでも流れてくる美味しそうなお店のレベルと変わらないような見た目。

 ケチャップライスの上に乗ったオムレツ。その中心をナイフでスパッと切ると半熟でとろとろな卵が溢れ出す。さらにその中にはチーズが入っていてより食欲を掻き立てる見た目になっていた。

 

 このふわふわとろとろのオムレツ。一つのオムライスに三個は卵が入っているのではないかと思われるほど分厚い。贅沢な卵の使い方だ。

 

 そんな花理さんのチーズオムライス……絶品だった。

 

「透柳ちゃんの好物なのよ。だからオムライスは私の得意料理なの」

 

 俺たちがオムライスを美味しそうに食べる様子を見て、花理さんが満足そうに答える。

 

「このトロトロ感がたまらないよね。お父さんがオムライス好きで良かった」

 

 しずはも今まで何度も食べてきたとは思うが、それでも美味しいと感じているようだった。

 

 

「やばい。昼飯食べたら眠たくなってきた……」

「その気持ちわかる」

 

 オムライスを食べ終わると、この後はまた収録が再開されるというのに眠気が襲ってくる。

 

「なら、コーヒーでもどうぞ」

 

 すると花理さんが淹れたての温かいコーヒーをテーブルの上に出してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 俺はティーカップを持ち上げ、渋いコーヒーの匂いを感じながら黒い液体を一口分、喉に通す。

 

「あ〜、おいしっ」

 

 今まで口の中にあったオムライスの濃厚な味がコーヒーで相殺されていく。そうして残ったのはほろ苦い味だ。

 

「――光流くんは砂糖入れないのね」

 

 すると花理さんにそう聞かれた。

 確かに周りを見ると他の三人は角砂糖を一つずつ入れているようだった。

 俺だけがそのままコーヒーを飲んでいた。

 

「家でもよく飲んでるんですけど、飲んでいくうちにブラックが一番だって境地に行きついて」

「ふふ。中学生なのにもうコーヒー舌が肥えてるの?」

 

 コーヒーに関して言えば、毎日のように飲んでいるので、確かに肥えているとは言えるかもしれない。ただ、いろいろなコーヒーを飲み歩いたわけでもなければ知識もない。

 ただブラックコーヒーに慣れたというだけだ。

 

「光流は甘党のくせに、コーヒーだけはブラックだよね」

「カフェとかの最初から甘い系の飲み物なら飲んだりするよ。コーヒー単体なら、ブラックってだけで」

 

 例えば黒糖ミルクコーヒーとか、エスプレッソ系の一部コーヒーとか。

 最初から甘みが入っているコーヒーも普通に好きだ。

 

「あ〜、なんだか少しだけ目が覚めてきたような気がする」

 

 眠たい目を擦りながら冬矢が呟く。

 

「コーヒー飲んだからってそこまで効果があるかわからないけどね。人によるだろうし。プラシーボ効果もあるだろうし」

 

 コーヒーに含まれるカフェインが覚醒作用をもたらしてくれているとよく知られてはいるが、飲んですぐに目が覚めた! となるのかはそこまで信じていない。

 科学的にも証明されているらしいが、俺はまだ勝手に疑っている。

 

 実際まだちょっと眠たいし。

 

 

「さぁ〜て。後半戦、行くかっ!」

 

 すると同じくソファの方でオムライスを食べていた透柳さんがそう言って近寄ってきた。

 眠たさは微塵も見せず元気だった。

 

「お前たちまだちょっと眠たいみたいだな……」

 

 すると、ニヤッとした笑みを見せて透柳さんがこちらに目線を送る。

 

「ちょっとまだ眠たいですね」

「じゃあ、暇つぶしに俺の演奏でも見てけ」

「えっ! マジですか!?」

 

 思いも寄らない話だった。

 

「ふふ。なら私も久しぶりに透柳ちゃんとセッションしようかしら」

「お母さん!?」

 

 するとなぜか花理さんも一緒に演奏するという。それを聞いたしずはが驚く。

 

「――話は聞いたわ!」

 

 するとリビングの扉を開けてバタンと出てきたしずはの姉の夕花里さん。

 既にベースを持ち抱えてきていた。

 

「えっと〜。これって……家族でセッションするってことですか!?」

 

 全員がプロの演奏家。暇つぶしとは言ったものの、普通はあり得ない組み合わせだ。

 

「あ〜、ついでに創司も叩き起こしてきたから」

 

 すると夕花里さんの後ろには長男の創司さんが、まだパジャマ姿で気だるげに佇んでいた。ただ、その手にはバイオリンと弓を持っていて――、

 

「ははっ。家族揃ってなんていつぶりだろうな。しずはが小さい頃に一度だけやって見せた時以来かな」

 

 すると、透柳さんが過去を思い出すように微笑む。

 

「なんかすげーことになったぞ……もう眠気吹っ飛んできたわ」

「そういえばしずはの家って全員がプロなんだっけ……」

 

 冬矢が覚醒したのか、少し前よりも目の縦幅が広がっていた。

 一方の陸も話には聞いてはいたが、実際に見ると少し驚いたような顔を見せた。

 

「じゃあせっかくだし、しずはも一緒にやろっ」

「えっ、私も!?」

「昔はあんた見てただけだったじゃない。今度は一緒にやろうよ」

 

 夕花里さんが、しずはを家族とのセッションに誘う。

 家族全員でやるなら、確かにしずはも必要だろう。

 

「まぁキーボードはお母さんと被っちゃうけど二人ならうまくやれるでしょ」

「はは……できるかな」

 

 少し自信なさげなしずは。やはり家族ともなると、また違った景色が見えているのだろうか。

 本物のプロの実力は伊達ではないということを。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 地下の収録ブースでは、それぞれが楽器の調整をしていっていた。

 俺たち――俺、冬矢、陸の三人はミキシングコンソールがあるモニタールームで窓越しにしずはの家族が準備していく様子を眺めていた。

 

「このコンサートってチケットいくらで売れるんだろうな」

 

 ふと、冬矢が顔をひくひくさせながら呟いた。

 

「プレミアすぎでしょ。それぞれにファンがいるなら、それだけ価値があるということだし」

 

 眠たい気分を覚醒させるための暇つぶしという名目の元、それぞれの業界のプロが集まる特別セッションが目の前で行われるのだ。

 

「てか、あのしずはの兄ちゃんだけなんか……すごいな」

 

 全員が私服を着ていることに対して、ただ一人――創司さんだけがずっとパジャマのままだった。

 ここに来るまでも呟いた言葉は「眠い……」その一言だけ。トレードマーク(?)のメガネも微妙にずれている。

 

 本当に掴めない人だ。

 

 現在ブースにある楽器はギター、ベース、キーボード二つにバイオリン。

 歌もなければこの楽器たちでどう音を奏でるのか。

 

 正直想像もつかなかった。

 

 普通なら、ごちゃごちゃの音になりそうなものだが……。

 

 

「光流くんたち〜。じゃあ始めるよ〜」

 

 すると、透柳さんから準備完了の声がかかった。

 

 

 花理さんが窓越しにこちらに手を振り、夕花里さんがベースを軽く持ち上げアピール。しずはは少し恥ずかしそうにモジモジしていて、創司さんはその場でピクリとも動いていなかった。

 

 家族との演奏。

 

 もしかするとしずはは、生きてきた中で初めてなのではないだろうか。

 あんなふうにモジモジしている態度のしずはを見るのはどれくらいぶりだろう。

 なんだか今のこの空間は家族愛に満ち溢れている気がした。

 

 

 一旦静かになる収録ブース……。

 

 

 そして、"ファミリーセッション"が始まった。

 

 

 まず最初は椅子に座っている透柳さんのギターから。

 手に持っているのは俺が借りているナチュラルカラーのギターだった。

 

 ギター部屋からいちいち選ぶの面倒くさいからそれ貸してと言われた。

 元々は透柳さんのものなので、貸してというのもおかしな話だが。

 

 そんな透柳さんは、冬矢以上に長い髪を揺らし頭を軽く前後させながらのギターを弾いていく。一音一音がアコースティックギターのようによく耳に通る音色が優しく響いて、スウィングするリズムが聴いていてとても心地よかった。

 

 俺がいつも触れているギターとは思えない音色が、透柳さんの持つ同じギターからは流れていた。

 

 続いて演奏を始めたのは、夕花里さんのベース。

 透柳さんのリズムを邪魔せず、低音でゆっくりとギターに合流。音だけで何かを感じとっているのか目を伏せながら指を弾いていっていた。

 

 次はしずはだった。一年前から少し長くなった髪も今では肩辺りで切り揃えられている。誰が見ても潤いを感じるその美しい髪を揺らしながら指を次々と遊ばせる。

 高音が中心の生ピアノの音が透き通るように合奏を包み、華やかさを持たせる。

 さすがだとは思いつつも、コミカルなリズムでギターとベースを同時に引き立てて邪魔しない。

 

 次は花理さん。おそらくしずは以上の実力を持つ彼女。

 まだ30代ではと勘違いするような美貌を持つ彼女から奏でられたのは、二色の音色だった。

 

 しずははキーボード一台だったことに対し、花理さんのキーボードは二つの鍵盤が上下に設置されて二段になっていた。シンセサイザーというらしい。

 下段のエレクトリックピアノはしずはの生ピアノに近い音がするのに対し、上段はともかく高音で伸びの良い音がしていた。

 両手を上下段で使い分け音を奏でるその姿は妖精がダンスをしているようで、正直見ていてわけがわからないほど圧倒される演奏だった。

 

 

 ――そして、最後は創司さん。

 

 創司さんが、バイオリンを弾いた瞬間。

 その場の世界が一つになった。

 

 他の四人は互いの音を引き立てるように、邪魔しないようにリズムを合わせて演奏していたことに対し、創司さんの演奏は一番目立ってやるという気概のある音になっていた。

 

 しかし、これだけは言えた。

 "邪魔ではない"と。

 

 創司さんのバイオリンは、圧倒的な主張激しい音色を奏でながらも、他の四人の演奏をぶち壊したわけではない。

 その曲調に合わせ、ベストタイミングで切り込みを入れる。

 

 言わば、火が燃えるのには酸素が必要なように、その火に風が当たりさらに拡大していくようなイメージ。風が大きすぎて炎が消えないよう絶妙に調整しているのだ。

 今、創司さんはその風になって他四人の小さな火をさらに燃え上がらせていっているようだった。

 

 そして、その創司さんのバイオリンの音色はただのバイオリンではなく、どこかサックスに似た雰囲気の音色で……。

 

 

「あ…………」

 

 

 俺たち三人は顔を見合わせ、同時に気づいた。

 というか、最初に演奏をはじめた透柳さんのギターの音とリズムで気づくべきだった。

 

 

「そっか……これ、『ジャズ』だ」

 

 

 ジャズがなんなのか、と説明されてもうまく説明はできないが、これはジャズだった。

 

 ドラムやサックスの音が足りない気もしたが、五人が演奏するそれは、どう聴いてもジャズだとわかるような音とリズムになっていた。

 特に創司さんのバイオリンは、ちょうどサックスの役割をしているかのように派手で強くジャズミュージックとしての演奏全体を輝かせていた。

 

 そして、ジャズにも色々なジャンルがあると思うが、このジャズはとにかく楽しい。そんな明るいイメージの音楽になっていた。

 

 

「はは……すげぇ……っ」

 

 

 冬矢が目を見開いて息を漏らす。

 

 複数の楽器の音色が揃うと、今まで無色だった何かに虹色が差し込まれたように、一気に色鮮やかな音色へと昇華した。

 

 

 そうして五人の演奏が混ざり合い、音が重なりきった時。

 俺は思った。

 

 

「――この人たち、一度も打ち合わせしてないよな……」

 

 

 俺たちは一緒に地下へと降りた。

 その間、透柳さんは少しだけミキシングコンソールに触れていたが、どんな演奏をするかなど、一度たりとも家族と相談してはいなかった。

 つまり、完全なるアドリブ演奏だったのだ。

 

 セッションやジャズはアドリブ演奏と同じ意味としても使われるようだが、少しも打ち合わせせずいきなり合わたのに、ちゃんと音楽として成立していることが俺には信じられなかった。

 

 

 そうして演奏が続いていくと、いつの間にかソロパートができていた。

 

 透柳さんが両手の指先を高速で動かし、どんどん両手で中央に寄っていく。

 音でもパフォーマンスでも俺たち観客を魅了する。今の俺のレベルでは到底できないようなカッティングを透柳さんは軽くやってのけていた。

 ギターを弾いている途中、椅子から立ち上がり他の四人の方を向いて、笑顔でノリノリになっていた。

 

 そして透柳さんのソロが終わると同時に夕花里さんのベースが火を吹く。

 ジャズならではの軽快なタッピング。目にも止まらぬ速さのツーフィンガー。

 長いパーマがかった髪をぶんぶんと揺らしクール過ぎるソロを弾き切る。

 

 

「やべえ、やべえ! かっけええ!!」

 

 

 夕花里さんのベースの指捌きに、ついには冬矢が興奮して立ち上がる。

 それほどの速弾きだった。

 

 そうして、次はなんとしずはと花理さん二人同時の演奏だった。

 ソロというよりデュオでの演奏。

 

 しずはが生ピアノのはっきりとした音で支え、花理さんがエレピの高音で華やかに。親子ならではの息の合ったセッションだった。

 

 しずはも既に恥ずかしさがなくなっており、純粋に演奏を楽しんでいた。

 花理さんと時折アイコンタクトを交して微笑み合う。

 手元の動きは正確かつ流麗に、そして水の上を舞う白鳥のように煌めいていた。

 

 そして最後のソロは創司さん。

 

 俺は人生で初めて生でバイオリンの演奏を聴いたのだが、多分本来はコンサートではこんな演奏はしないだろう。

 今はジャズのサックス部分をバイオリンに置き換えて演奏していると思われる。

 

 始めはピクリとも動かなかった創司さんは、今では体全体を使いしっかりと顎に付けたバイオリンの弦に向かって右腕で弓を引いていた。

 

 眠たそうな目で無表情だった彼も今や激変している。

 はっきりと見開かれた目、口元は白い歯も見え隠れしていた。

 

 バイオリンを演奏し始めた瞬間から彼の人格が変わったように感じた。

 そして、その演奏のとてつもなさに彼が"本物の天才"だと思わせる何かが伝わってきた。

 

 こんな音がバイオリンから発せられるのか?

 俺は初めて聴いたからかもしれないが、今目の前で一つの奇跡を目の当たりにしているように思えた。

 

 創司さんが弓を引く動きは、瞬きの間に何度も何度も往復するような速さ。

 その速さと音色に吸い込まれ、脳みそに直接、無限の宇宙を見せられたかのような感覚になっていた。

 

 全員が口を揃えて言うだろう。

 例えパジャマを着ていたとしても超かっこいいバイオリンの演奏だと。

 

 

「はは……本当にどうなってるんだこの家族……」

 

 

 俺は頭を抱えてしまうほど、藤間一家の凄さを垣間見た。

 

 確かにプロだとは知ってはいたけど、即席でここまでの演奏ができるなんて。

 練習もなく、いきなりの演奏だ。

 

 家族だと言っても、一人くらい音を変に外したりリズムが取れなかったりしてもおかしくない。しかしそんなことは一切なかった。

 藤間家の凄さに圧倒されはしたものの、俺の体は彼女たちの演奏の熱に当てられ、どうしても興奮が止められなかった。

 

 

 そうして全員のソロが終わると、今度は五人での演奏を再開する。

 

 五人が中心に目線を向けて、互いにアイコンタクトと笑顔を交わす。

 楽器を演奏しながら体を揺らし、もう完全に家族だけの世界。

 

 演奏しながら楽しそうに笑うしずは。

 あれだけイヤイヤ言っていた父親に対しても笑顔を見せていた。

 

 

 そうして最後は、創司さんのバイオリンの優しい音色で締めくくられた。

 

 

 

 演奏が終わった瞬間、俺たち三人は立ち上がった。

 そして、窓の向こうの五人に向かって、めいいっぱい拍手を贈った。

 

「もうドラム辞めるっていうのに、こんなの見せられたら、またやりたいって思っちゃうじゃん……」

 

 陸の中ではもう進路は確定している。しかし、今見た心を熱くさせられたセッション。

 文化祭で良い思い出を作って区切りをつけたはずの陸も、心が揺るがされてしまうほど藤間家に当てられてしまったようだった。

 

 

 窓の向こう側、収録ブースをじっと見つめると藤間家全員が良い笑顔をしていた。

 

 俺はなんとなく、スマホをズボンの右ポケットから取り出した。

 そして指で画面をタップしてカメラを起動。

 

 スマホを横に構え、全員が映るように画角をセット。

 

 そして――、

 

 

 ――パシャリと五人が笑い合う姿を写真に収めた。

 

 

 

 

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