包帯令嬢の恩返し〜顔面難病の少女を助けたら数年後美少女になって俺に会いに来た件〜   作:pelca

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第87話 答え

 ――文化祭の全てのプログラムが終了した。

 

 俺はクラスで作った展示物を所定の位置に戻す手伝いをしていた。

 

 手紙の差出人から指定された時間は十七時。

 現在は十六時だ。

 

 展示物の移動を終わらせたことで俺達のクラスはもう特にやることがなくなり、それぞれ下校や部活に行き始めていた。

 俺は一時間どこかで待つ必要があった。

 

 もう教室には誰も残っておらず、俺は一人で窓からぼーっと外を眺めていた。

 

 

「――光流」

 

 教室の扉の方から声が聞こえた。

 

 俺は窓から扉の方へ振り返ってみると、そこにいたのは冬矢だった。

 そのまま俺の席の方まで近づいてきた。

 

「あれ、今日サッカーは?」

「休み。最後にお前に声かけてから帰ろうと思ってな」

 

 冬矢には、手紙に書かれていた約束の日について話していた。

 だから今日その日だと知っている。

 

「ありがとう」

「前にも話したけどな、お前なら大丈夫だ」

「……そうだと良いな」

 

 あの、初詣の時の話か。

 もうあれからほぼ一年だ。

 

「何かあった時は頼れよ」

「あぁ……それはお互い様だ」

 

 冬矢は右手で拳を作って俺へと向けてくる。

 俺も右手で拳を作り、冬矢の拳に軽くコツンとぶつけた。

 

「……じゃあまたな!」

「おう、また……!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――十六時半。

 

 私は予定通り音楽室の鍵を借りて、先に中で待っていた。

 

 目の前には学校のピアノ。

 私は今、そのピアノ用の椅子に座っている。

 

 あと三十分もしたら光流がやってくる。

 まずは、笑顔で迎えてやるんだ。

 

 最初から暗い顔をしてちゃ、人生最大の挑戦が台無しだ。

 

 人生最大……は言い過ぎかもしれない。ピアノだって毎回のコンクールが人生最大の努力で頑張ってきた。

 ただ、これはまたそれとは違う。

 

 初恋だ。

 

 最初はムカつく奴だったのに、いつの間にか大好きな人になっていて。

 光流のすることすることに一喜一憂して、感情が振り回されて。

 

 でも、そのお陰でピアノだけはいつも以上に頑張れて。

 

 少し前にも、光流は私が後ろ向きに会おうとしていた事をはっきりとは言わなかったけど、指摘してくれて。

 

 会う度に彼の尊敬できるところが増えていき、好きの感情が積み重なっていった。

 今、私が思っていること全部伝えるんだ。

 

 

 ――私は約束の時間になるまでゆっくり待ちながら、一つの楽譜を譜面台へとセットした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 俺は今、階段を上がっていた。

 

 一歩一歩がとても重い。

 俺のクラスは二階。そして音楽室は四階だ。

 

 階段なんて、すぐに上ることができる。

 しかし今は自分だけ重力が増えたとでもいうように体の動きが鈍くなっていた。

 

 音楽室に向かうまで、俺は手紙の差出人であろう人物のことを思い返した。

 

 最初は笑顔なんてほとんど見せずツンツンしていて、どちらかというと今の深月のような感じだった。

 でも、年々一緒に過ごすことが増え、会話も増えて笑顔もたくさん見せるようになっていった。

 

 ピアノの実力もさることながら、見た目もどんどん可愛くなっていって、同級生のみならず先輩からも告白されるほどに注目されて。

 

 バレンタインや誕生日の時に渡してくれたお菓子も渡される度に美味しさも見た目もどんどん良くなっていった。

 

 手紙の差出人がわかって、全て理解した。

 俺がずっと尊敬していた彼女の努力は、どんなところでも発揮していたんだと。

 

 

 重い足で階段を一つずつ上がっていき、廊下を進み、ついに音楽室の目の前まで到着した。

 

 覚悟はできている。もう、ずっと前にしてきた。

 

 俺は、扉に手をかけた。

 

 

 

 …………

 

 

 

 ――音楽室の扉は、他の教室と同じで軽かった。

 

 扉の取手を掴んで横にスライドさせるとガララと音を立てて扉が開いた。

 

 一瞬、窓の外から見える眩しい夕焼けの光が差し込んできて、目の前が真っ白になった。

 

 扉を閉めて足を進めるとその夕焼けの光が少しずつずれて、音楽室全体が見渡せるようになる。

 

 少しだけ窓が開いており、外から入り込む風でカーテンがふわふわと揺れていた。

 

 その揺れるカーテンのすぐ横に、手紙の差出人が佇んでいた。

 窓から入り込む風は同時にその人物の美しい髪をもたなびかせていて――、

 

 

「――光流、待ってたっ!」

 

 

 今まで人に見せたことがないのではというくらい、とびきりの笑顔で出迎えてくれた人物。それは俺の予想通りの人で合っていて――、

 

 

「しず、は……」

 

 

 その顔を見て俺は動揺したのか、心がきゅっと締め付けられた。

 

 

「ぁ、ぁ……あぁ…………」

 

 

 あれ。俺どうしたんだろう。

 音楽室の中心で足が止まってしまった。

 

 何故か目の前が水っぽい何かで見えなくなってきて。

 

 

「あぁ……あぁ……うぅ……っ」

 

 

 言葉がうまく出ずに、ついには膝が折れて床に手をついてしまった。

 

「光流っ!? 大丈夫!?」

 

 俺のおかしな様子を見て、しずはが駆け寄ってくる。

 

 あれ……覚悟はずっと前にしてたはずなのに。

 少し前にも冬矢に激励されたばかりなのに。

 

 なんで俺は今、こんな状況になっているんだろう。

 

 目から涙が溢れ、それが床につけている自分の手の甲に落ちる。

 わけがわからない。ただ、しずはの顔を見たらこうなってしまった。

 

 

「光流……大丈夫だよ。大丈夫だから……ゆっくり息を吐いて落ち着いて……」

 

 

 しずはがしゃがんで俺の背中をさすってくれる。

 その手はとても優しくて、そのせいでもっとどうしようもない感情が吹き出してしまう。

 

「おれ……なんで……こんな…………ぁぁ……」

「光流、来てくれてありがとう。とっても嬉しい」

 

 うん、うん……。

 ここに至るまで、しずははものすごい悩んだり努力したりしてきたはず。

 

 あの笑顔に全てが詰まってるような気がして、その気持ちを考えただけで――。

 

 俺ってこんなに弱かったのか。

 覚悟を決めてきてくれた相手に、まだ何も話を聞けていないのに、本当にダサい。

 

 しずはに言われた通り、俺は息をゆっくりと吐く。そして、ゆっくりと息を吸い、それを繰り返した。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 すると、少し落ち着いてきた。

 俺は手で涙を拭い、顔を上げる。

 

「ふふ。酷い顔」

「余計なお世話だ」

 

 今日のしずはは、これまでのどの日よりも言葉に優しさがこもっていて、酷い顔だと言うくせに、その言葉は心地良く落ち着いた声色だった。

 

「悪い……いきなりこんな……」

「いいの。光流の気持ちも少しだけわかる気がするから……」

 

 ちゃんと向き合わなければ。

 真正面から受け止めるって自分で言ったじゃないか。

 やらなくてどうする。お前のためにこんな場を用意してくれたんだろ。

 

「起き上がれる……?」

「うん、大丈夫だ」

 

 俺はしずはに支えられながら、弱々しい膝を奮い立たせ、二本の足で立ち上がった。

 

「ありがとう……ちゃんと話聞くから」

「うん。それじゃあそこの椅子に座って?」

 

 音楽室を見渡すと、ピアノ用の椅子のすぐ横に教室の机と同じような椅子が一脚置いてあった。

 

 俺は足を進めその椅子に座るとしずははピアノ用の椅子に座った。

 

「じゃあ、改めて言うね。今日は来てくれてありがとう」

「……こちらこそ」

 

 全ての会話が、神秘的に思えた。

 色々な感情が混ざり合っている今、しずはの紡ぐ言葉は全てが大事に思えた。

 

 夕陽に照らされるしずはの横顔も、どこか神秘的で――、

 

「いつからかわからないけど、手紙の差出人が私だって気づいてたんだよね?」

「うん。二月のバレンタインもらったあとに、しずはが送ってくれたノートの写真見つけて……」

 

 そう、あれは本当にたまたまだった。

 あれを見つけなければ、全然気づかなかっただろう。

 

「あんなのでわかったんだ。筆跡鑑定ってやつ? 光流、探偵になれそうだね」

「……そもそも人の字なんてほとんど見る機会ないし、手紙もノートの字も印象深かったんだと思う」

 

 見覚えがあると思った時点で気づくべきことだったけどな。

 

「そっか……実は色々と匂わせてはいたんだけどね」

「そうなの?」

 

 俺は鈍感らしく、全然気づくところがなかった。それなら、どんなことだろう。

 

「封筒を留めてた犬のシールあるでしょ? あれは光流のお家の犬のことだよ」

「えっ?」

 

 そう言われても、まだ理解できなかった。

 

「光流の家に犬がいる事を知ってる人なんて多分数えるほどしかいないでしょ」

「あっ……」

 

 そういう意味でのことか。ただてっきり犬好きの人なのかなとも思っていたけど。

 

「あとは『しずはのは』の『葉』からイメージした、もみじの葉っぱのクッキーとか」

「それは流石にわからないって」

「そうだよね。ふふっ」

 

 しずはの名前はひらがななんだから、葉に繋がると思わないじゃん。

 

「後はそもそも光流は甘いもの好きでしょ? だからバレンタイン以外でもお菓子を贈ってたんだ」

「あっ……俺が甘い物好きだって知ってる人も少ないもんな……」

 

 はは。色々と俺のことを知らないとできないことをしてくれていたわけか。すごいよ。

 

「お菓子……食べてくれた? 美味しかった?」

 

 そういえば、差出人が一方的に渡してくれたものだから、感想を言えてなかったんだ。

 

「うん。すごい美味しかったよ。一番最初のクッキーは手作り感あったけど、渡される度に見た目も美味しさも良くなってさ。しずはだってわかる前から、この子は努力できる素敵な子なんだなって思ってた」

「そっか、そっか……すごい嬉しい……作って良かった……」

 

 俺がお菓子の感想を言うと、しずはの目が少し潤んできた。

 

 

「…………」

 

 

 少しお互いに無言が続いた。

 窓の外からは、まだ文化祭の出し物や飾りを撤去している人が残っていて、その生徒達の声がちらほらと聞こえてくる。

 

 

「私は、一番最初に光流のこと気になったのが、病室なんだ」

「うん……」

 

 あそこからが俺たちの出会いの始まりだもんな。

 

「冬矢が無理矢理に連れて行くからさ、最初は面倒くさいって思ってた」

「あいつ強引なとこあるもんな」

 

 それで助けられたこともあるから、その強引さは悪いことだけではないが。

 

「それでね。私のピアノが凄いって暴露された時、なんか光流の言葉が引っかかったんだ。この人凄いって言う割には全然違うところ見てるなって。多分本当は凄いって思ってないんだなって」

「あ…………ごめん」

 

 あの時は毎日がルーシーの事で頭がいっぱいで、正直友達が来てくれたことは嬉しかったけど、頭の隅にはいつもルーシーがいて。

 

「ううん。でもその時の私はね、なんかムカツいちゃったの。だから、光流の気持ちを私のピアノで少しでもこっちに向けさせてやろうって」

 

 そうか。最初のコンクールで話してくれたムカツいたという意味はこれが理由だったのか。

 目の前にいる人の話を蔑ろにするのは良くないよな……。

 

「それで今までにないくらい頑張ったんだけど、結局ミスしちゃって、光流の前で泣いちゃって」

「懐かしいね。あの時は俺驚いちゃったよ。優勝したのに泣くんだもん」

 

 あの時は千彩都が茶化してきて面倒臭かったな。

 

「でも光流は最初から私が何か変だって気づいてくれてたじゃん」

「うん……演奏終わった時の顔がやりきったって顔してなかったから」

 

 他の皆は気づいてなかったみたいだけど、俺はかなり気になってしまっていた。

 

「それで、次完璧にって言ってくれた時は本当に嬉しかった。だからまた私頑張れたんだ」

「はは。あれはあれで罪悪感あったけどね。余計なプレッシャー与えちゃったかもって」

 

 流れであぁ言うしかなかったということでもあるけど、あの時はそれしか言う言葉が思いつかなかったから。

 

「そんなことない。結果、次のコンクールでノーミス優勝できたから」

「うん。その時思ったよ、しずはの努力する姿勢は凄いって。しかも演奏聴いて俺泣いちゃったし」

 

 あれはもう小学生の域を超えていた演奏だった。最近はしずはの演奏を聴く機会がないけど、感動したのは確かだった。

 

「光流の感情動かせてあの時は嬉しかったなぁ。でも、もっと嬉しかったのがハンドクリームだけどね」

「そんなこともあったね……」

 

 あれも罪悪感と頑張ったしずはに対して、労いの意味を込めて渡したものだ。順位はどうであれ渡すつもりだった。

 

「私、空箱まだ捨ててないんだよね」

「まじ……? まぁ……俺も手紙ずっと持ってるけど」

「うそ!? えっ……私の今まで送ってきたやつ?」

「うん。俺には捨てるとかそんな酷いことできないよ。今も勉強机の引き出しに入ってる」

「…………っ」

 

 この話をするとしずはが顔を手で覆って驚く。

 

「私もわかってたんだ。光流、渡した手紙の扱いに困るだろうなって。分かってて渡した」

「手紙渡された人って、皆どう保管してるんだろうな……」

 

 俺にはわからなかった。

 例え彼女ではない、そういう対象ではない人物から手紙をもらったら、ちゃんととっておくのか。それとも捨ててしまうのか。

 俺は捨てることなんて、とてもじゃないができなかった。

 

「――結局さ、私。片想い四年も続けちゃった。こんなこと初めてで、自分がどうにかなりそうだったよ。でも光流にはさ、ルーシーちゃんって子がいるってわかってたから……」

「…………」

 

 ついに、本格的な話になってきた。

 そして、俺の心の中もしずはには理解されていたとわかる言葉だった。

 

「それでもね、止められなかったんだ。光流を見る度にドキドキして、この人は他の人とは違う優しさや凄さを持ってるんだって。心から尊敬できた人は、人生で光流だけ」

「そこまで言ってくれるのか……」

 

 しずはの周りには凄い人はたくさんいる。

 家族だって全員凄い。それなのに、俺だけだと言ってくれる。

 過大評価も良いところだけど、冬矢にも近いこと言われているから、受け入れてしまっている自分がいる。

 

「何度でも言う。今の私を作ってくれたのは光流。光流がいなかったら、ピアノだってここまで上にいけなかったかもしれない。見た目だって努力しなかったかもしれない。私、今の私が好きなの。……光流のお陰でなれた、今の私が好きなのっ!」

 

 その言葉からは強い意志が伝わってきた。

 自分のことを好きだと言える人は少ないだろう。でもしずははそう自信を持って言っている。

 

 これは俺が望んでいたかっこいいしずはの姿でもあるかもしれない。

 

「――私ね。どうしようもなく光流が好きなの。大好きなの。大好きで、大好きでたまらなくて……光流を好きになったことが嬉しいのっ!」

 

 しずはの目から一雫の涙が溢れる。

 あまりにも、その強い感情がダイレクトに伝わってくる。心に強く響いて、彼女の本気がひしひしと伝わる。

 

「うん……うん……」

 

 だから、俺の目にも再び涙が溜まってくるのは必然だった。

 

「ルーシーちゃんがいることはわかってる。それでも私は光流が好きになった。私のこと、そういう対象で見てくれなくて、辛かった時もたくさんある。これが恋愛なんだって……」

 

 ふと、しずはの手を見ると、ぎゅっと握り拳を作っていて、必死に伝えてきてくれてるとわかった。

 

「だから、覚悟を決めてたはずなのに、あの用具室の前で後ろ向きになってた。でも、光流は違うって、そうじゃないだろって教えてくれて……やっぱり私が好きになった人は凄いんだなって思った!」

 

「ぁ……ぁぁ……」

 

 あの時の言葉足らずの言葉がちゃんと伝わっていて良かった。でも、結局はあれも俺のエゴみたいなもので。

 そう思っていても、ずっと強かったしずははあの後ろ向きのような女の子じゃないだろって思って……。

 

「光流の嫌いなところ、見つけられないくらい大好き。だから、だから――私と……付き合って……ぅっ……ほしいの……っ!」

 

「ぁ……ぁ…………」

 

 涙が止まらない。

 しずはも俺と同じように涙を流しながら、その真剣な告白の言葉を紡いだ。

 

 何度も思考した。

 思考を何度も繰り返しても、俺の答えは変わることはなかった。

 

 つらくて、残酷で、選択しなければいけないのに、それを伝えたくなくて。

 俺の人生で数えるほどしかいない、大事な友達の一人。そんな彼女を悲しませたくなくて。

 

「ひ、かる……答えの前に……聴いて?」

 

 涙を流しながら、しずははピアノへと姿勢を正して、指を鍵盤に置く。

 

 俺は頷くことしかできず、必死に目を擦りながら彼女の横顔を見た。

 

「六年生の時に弾いた……『熱情』って曲。あれ選んだのは光流に対する気持ちだったんだよ? だから……だから……またあの時の曲を今弾くから……」

「わかっ……た……」

 

 そうか、そうだったのか。だからあの曲名を選んだのか。

 俺は声を絞り出して答えた。

 

 

 ――しずはが演奏を始めた。

 

 

 目からは涙が溢れたまま、あの、とても難しく指の動きがわからないくらい速い曲を弾いていく。

 

「ぁ…………」

 

 俺は気づく。

 しずはの今の演奏。アジアでも一位になるくらいの実力なくせに、全く弾けていない。

 

 それでも必死に腕と指、足下のペダルを動かして鍵盤を叩いていった。

 

 ぐだぐだで、グズグズ。

 今までしずはは、こんなに酷い演奏をしたことがあっただろうか。

 俺が見たことのあるしずはの演奏はいつも素敵で、流麗で、背筋もピンとしていて。誰が見ても目を奪われるような演奏のはずだった。

 

 でも今のしずはの演奏は、それを見る影もなくボロボロで……。

 

 でも、でも……。

 どうしようもなく、伝わってくる。

 

 今までのどの演奏より。あの二回目の優勝した時の演奏より、ずっと心に響く。

 

「ぁぁ……ぁぁ……」

 

 もう呼吸困難なくらい息が詰まり、俺の目からは洪水の如く涙が溢れる。

 

 目を擦りながら見るしずはの横顔。

 そのしずはも前がほとんど見えていないのか、目を瞑ったりしていて……。

 その度に溢れる雫が制服のスカートに落ちていって――。

 

 いつぞやの、しずはの父である透柳さんから聞いた、花理さんへの告白の演奏のように。

 やっぱり、血が繋がっている……どうしようもなく透柳さんに似ているこの演奏。

 

 下手くそな癖に……感情にだけは訴えてくるこの演奏……良くない演奏だったなんて評価をつけられるわけがない。

 

 見ている限りでも、何回ミスしたかわからないくらいミスをしていて、もう終盤だと言うのにずっと変わらず下手くそな演奏で――、

 

 

 

 …………

 

 

 

 ――文化祭の片付けが進む校庭にて。

 

『何だこのピアノ……下手くそだな〜』

『ぐだぐだだよね〜っ』

『これなら俺の方うまく弾けるわっ』

 

 音楽室の窓から漏れるピアノの音は、校庭で片付け作業をする生徒たちの耳にも聴こえていて。

 

 しかし、その演奏をしているのが、日本……いやアジアトップのジュニアピアニストだとは誰も思うはずもなく――。

 

 

 

 …………

 

 

 

「はぁっ……ぐすっ……はぁっ……ひぅっ……」

 

 しずはは最後までピアノを弾ききった。

 その後、ハンカチを取り出して涙を拭きながら鼻水を啜っていた。

 

「はぁっ……はぁ……ぐすっ……」

 

 俺も全く同じことをしていた。

 本当にボロボロで、お互いに顔がぐちゃぐちゃになっているだろう。

 

 しずはがハンカチを下ろし、こちらに向き直った。

 

 

 

「――――光流……大好きっ」

 

 

 

 夕陽に照らされたそのしずはの表情。

 涙と鼻水でグズグズなのに、顔は笑っていて。

 だからなのか天使のような、女神のような笑顔をしていた。

 

 

「…………」

 

 

 ――言いたくない。言いたくない。言いたくない。

 

 嫌だ……嫌だ。

 

 俺は幼稚園の子供のように、心の中でだだをこねる。

 

 苦しい……伝えたくない。

 

 彼女がこんなにも素敵で、真っ直ぐにぶつかってきてくれて。

 大切過ぎる友達で、四年間も俺を想っててくれて……。

 

 今、俺のためだけに演奏してくれて――、

 

 

 

「――――ごめん……しずは……っ」

 

 

 苦しい。言いたくない。

 でも、でも……言わなくちゃ……

 

 

「ごめん……その、気持ちにっ……答えること……できないっ…………」

 

 

 

 ――言ってしまった。

 

 

 言いたくないのに、言ってしまった。

 言ってしまったら、この後、友達としてまたやっていけるかもわからないのに。

 ずっと仲良くしたいのに。

 

 見れない。しずはの顔が……見れない。

 でも、最後まで向き合ってくれたしずはに対して、俺も向き合わなければいけない。

 

 俺はゆっくりと視線をしずはの方へと向けた。

 

 

 

「――ありがとうっ」

 

 

 感謝の言葉だった。

 

 まだしずはの目には涙が残っていた。けど、その表情はまだ満面の笑みをしていて。

 だからこそ、その笑顔があまりにも眩しくて……俺は、俺は――、

 

「ぅぅ……」

 

 永遠に泣いてしまう。

 優しいとか凄いとかしずはや冬矢が言うけど、そんなことはない。俺は……弱い。

 

 こんなにも弱くて、すぐに涙が出てしまう。

 

 

「ずっと前から……わかってた。それでも光流を好きになったことは後悔してない。――ううん。この先だって、死ぬまで後悔しないと思う……」

 

 しずはの口から紡がれる言葉の全てが、心に響く。

 

「――――ぁ」

 

「光流……出会ってくれて、ありがとう……私を変えてくれて、ありがとう……今の私にしてくれて、ありがとう……そして――」

 

 

 しずはが一呼吸置く。

 

 そして、俺の瞳を真っ直ぐに見て――、

 

 

 

「――大好きにならせてくれて、本当にありがとうっ」

 

 

 

「ぁ……ぁ……ぅぅ……」

 

 

 もう、だめだ……。しずはの気持ちが……強く強く響いて、抑えきれない。

 嗚咽混じりの涙声を漏らし、ボロボロになる。

 

 

 でも、言ってしまった。

 変えることのできない選択肢。

 

 最初から変わることのなかった選択肢。

 

 もう伝えてしまった。

 

 

 

 そう、今日この日。

 文化祭二日目の放課後に、俺は――、

 

 

 ――しずはからの告白を断った。

 

 

 

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