悪平等(ぼく)の箱庭アカデミア   作:小豆小路

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第三話「信じてるからな」

 

 春。それは古いものが生まれ変わり、新しい生活が始まる時期。

 

 もっと具体的に言うと、高校生活が始まる時期である。

 

「1-A、1-A……。広すぎる……」

 

 雄英高校本校舎3階。どこか内気そうな緑髪の少年が、渡り廊下を走っていた。

 

「1-A……? どこ探せばいいのかすらわからねえ……。めだかちゃんの実家の一つくらい広いんじゃねえのかここ……」

 

「失礼な、黒神邸はもっと広い。それよりもこっちだ善吉、黒神レーダーに反応があったぞ」

 

「そのレーダーとやらのせいで関係ない俺まで校長室まで引きずり回されたわけなんだが……」

 

 同じく3階渡り廊下。学校指定の制服を着崩した金髪の少年と胸部を大胆に露出させた改造制服を身に纏う黒紫の髪の少女が、言い争いながら緑髪の少年の対面から歩いてきた。

 

「む」

 

「お」

 

「あっ!」

 

 鉢合わせた金、黒紫の二人組と緑髪の少年は、互いの姿を認めるや顔を輝かせた。

 

「緑谷同級生ではないか!」

 

「久しぶりだな、受かってたのか!」

 

「黒神さん、それに人吉くんも!」

 

 めだかが手を差し出すと、出久も少し戸惑いながらもそれを握り返す。久闊を叙した三人は、出久の先導に従って歩き始める。

 

「緑谷、お前一年の教室がどこか分かるのか?」

 

 訊いた善吉に、出久は驚いた顔を向ける。

 

「どこって、学校の入口で案内配ってたと思うけど……」

 

 善吉はガシガシと頭を掻く。

 

「ああ、そうだったのか。ったく、いきなり呼びつけたかと思えば自家用ヘリコプターとか、どこのお嬢様キャラだって話だぜ全く」

 

 矛先を向けられためだかは端正な眉をしかめて言い返す。

 

「だが、おかげで早く着けたではないか。現場は待ってくれないのだ、ヒーローの第一条件は機動力とも言われるのだぞ善吉」

 

「それで迷ってちゃ世話ねえっつーの……」

 

 背後で交わされる会話の内容から聞きなれない単語を拾った出久は、疑問符を顔に浮かべて振り返る。

 

「自家用ヘリコプター? 人吉くんてもしかしてすごいお金持ち?」

 

 善吉は意外そうな顔をした後、得心が行ったのかポンと手を叩く。

 

「ん? ああ、なるほど。ヘリは俺じゃなくてコイツ、めだかちゃんの()()()()()。なんでも親から通学用にってもらったんだそうだ」

 

「へぇ……。凄いね、まるで想像がつかないや。運転手なんかも雇ってるの?」

 

「む? いや、ヘリの操縦は4歳で修めたからな。私が操縦した方が速い」

 

「……へ?」

 

「意味がわからねえだろ? これが俺の幼馴染なんだ。……と、ここか」

 

 会話しているうちに、三人は正面に大きく「1-A」と書かれた大扉の前まで来た。

 

「あの受験者数から選ばれた(エリート)たち……」

 

 緊張しているのか、なかなかドアを開けようとしない出久の背中を、善吉が軽く叩いた。

 

「カッ! 勝ち取った立場だ、堂々と行こうぜ」

 

 どこからか取り出した扇を凛ッ! と開いためだかが、出久の隣に並ぶ。

 

「緑谷同級生、貴様は私が認めたヒーローだ。今更何を恐れることもあるまい」

 

 それとも、とめだかは横目に出久を見る。

 

「怖気づいているのか?」

 

「……まさか!」

 

 気合を入れ直すためか、一度自分の頬を張った出久が、恐る恐るドアを開ける。

 

 真っ先に耳に飛び込んできたのは怒号だった。入り口からすぐ近くで目つきの極悪な金髪の少年が、机に足を乗せて椅子に踏ん反り返っている。それを四角い眼鏡に髪を七三に分けた少年が、くどくどと校則やヒーロー候補生としての倫理観を持ち出しながら説教している。

 

「机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないのか!」

 

「思わねーよてめーどこ中だよ端役が!」

 

 身体の特徴どころか言動まで四角四面な眼鏡の少年に、言葉遣いから装いまで彼とは正反対な少年が食ってかかる。

 

「ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田(いいだ)天哉(てんや)だ」

 

「聡明~~~? クソエリートじゃねえか、ブッ殺し甲斐がありそうだなァ?」

 

 善吉は額に手をやり、出久は何かを諦めたように目を閉じた。

 

「おいおい大丈夫かよヒーロー科……」

 

「かっちゃん……」

 

 その一言で新たな同級生三人の登場に気づいたのか、天哉と名乗った四角い少年は入口に目を向けるとまっすぐにめだかに向かって行った。

 

「そこの君! ダメじゃないか、制服をそんなに改造しては! そんな恰好をして恥ずかしいと思わないのか!」

 

 新たな標的を見つけた天哉の攻勢にも、めだかはどこ吹く風である。それどころか彼女は堂々と胸を張り、自慢げに言い放つ。

 

「恥ずかしい? おかしなことを言うものだな飯田同級生。この黒神めだか、己が肉体に恥じる個所などひとつもないというのに!」

 

 めだかの鮮烈な自己紹介に、つまらなさそうに入り口を睨んでいた金髪の少年の目つきが獰猛なものになる。

 

 ぼそりと呟きが漏れる。

 

「黒神……」

 

 入り口では、めだかと天哉の押し問答が続いている。

 

「しかし、皆の模範となるヒーローを志望する者としてその恰好はだな……」

 

「模範? なるではないか。むしろ私はヒーロー事務所を設立した暁には女性相棒(サイドキック)全員にこの服の着用を義務付けようと考えているぞ」

 

「なんということを!?」

 

 その様子を横から眺める善吉はげんなりしている。

 

「面白いくらいに会話が噛み合わねえ……」

 

 そこへ、どこかふわふわとした印象の茶髪の少女が廊下からぴょこんと顔を出した。

 

「あ! そのもさもさ頭に違法制服、ワルぶった金髪は!」

 

「ワルぶった金髪!?」

 

「麗日同級生か、久しいな」

 

「そこの女子生徒、今俺はこの黒神さんと話があるのだ! 邪魔しないでもらおうか!」

 

 場が混沌の様相を呈し始める中、めだかがふと善吉の口の前で人差し指を立てた。

 

「……あん? おいめだかちゃん、そりゃどういう……」

 

「お友達ごっこしたいなら他所でやれ」

 

 善吉の声に被せるように、広いクラスルームをよく通る声が響いた。見れば、入り口の外で無精髭に長髪の男がミノムシのような姿で無造作に寝転んでいる。

 

「ここはヒーロー科だぞ」

 

 言い終えたミノムシは、懐から取り出した十秒でチャージできる飲料をヂュッ! と一息で飲み干した。

 

(なんだコイツ……)

 

 それは教室全体の総意だった。

 

 ミノムシはむくりと起き上がると、いそいそと寝袋から這い出した。

 

「ハイ、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限、君たちは合理性に欠くね」

 

 寝袋を片手に、マフラーのように首に何重もの布を巻きつけた男はさらりと理不尽なことを言った。物言いと校舎内にいることだけを見れば恐らく雄英の教師だろう。

 

(これが教師!?)

 

「担任の相澤(あいざわ)消太(しょうた)だ。よろしくね」

 

(これが担任!?)

 

「早速だが」

 

 教え子となる生徒たちの困惑は目にも留めず、相澤は背後を指さした。

 

「向こうに纏めて置いてあるから体操服着てグラウンドに出ろ」

 

*

 

「“個性”把握……テストォ!?」

 

 生徒たちを巨大な校舎に備えられたこれまた巨大なグラウンドに集めた相澤は、出し抜けにテストを行うと宣言した。個性を把握するためのテストだ、と。

 

「入学式は? ガイダンスは?」

 

 麗日少女のそんな尤もな疑問も、相澤はすげなく却下する。

 

「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ」

 

「……!?」

 

 グラウンドの中心に向かい始めた相澤は、振り返って生徒たちを見た。

 

「雄英は自由な校風が売り文句。そしてそれは先生側(おれたち)もまた然りというわけだ」

 

 生徒たちが困惑したまま動こうとしないことを見た相澤は、面倒くさそうに説明し始める。

 

「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、五十メートル走、持久走、握力、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈………。中学の頃からやってるだろ? “個性”禁止の体力テスト。国は未だ画一的な記録を取って平均を作り続けているんだ。合理的じゃない」

 

 相澤はちらりと手元の資料を見た。

 

「実技一位は……黒神か。じゃあ二位、爆豪。中学の頃ソフトボール投げ何mだった?」

 

 先ほどめだかに詰め寄っていた金髪の少年が、呼ばれた経緯に若干不服そうにしながらも答える。

 

「……67m」

 

 生徒たちの間から進み出た少年に、相澤はボールを投げ渡した。

 

「じゃあ“個性”を使ってやってみろ。円から出なきゃ何してもいい。思いっきりな」

 

 最低限の柔軟をした少年が、片手にボールを掴みボール投げ用に引かれた石灰の円の内側に入った。

 

「んじゃまぁ……、」

 

 息を吸い、大きく振りかぶる。

 

「死ねえ!!」

 

 爆音、そして直後に風切り音。振り下ろされた少年の手から発生した巨大な爆発に押し出され、ボールは同心円状に引かれた白線の遥か向こう側まで飛んでいった。

 

 相澤の手元の機器がピピッとと鳴り、705.2mという記録が表示される。

 

「まず自分の『最大限』を知ること。ヒーローの素地を形成する合理的手段だ」

 

 少しの沈黙の後、生徒たちから湧き出るようにして歓声が上がった。

 

「なんだこれ! すげー()()()()!」

 

「705mってマジかよ!」

 

「“個性”思いっきり使えるんだ! さすがはヒーロー科!」

 

 嬉しそうに言葉を交わす生徒たちの様子をしばらく黙って見ていた相澤は、ボソリと呟く。

 

「……面白そう、か」

 

 低い声が、生徒たちの間に浸透する。

 

「ヒーローになるための三年間、そんな腹づもりで過ごす気でいるのか? ……よし」

 

 隈が目立つ目で生徒を眺める相澤は、言った。

 

「トータル成績最下位の者は見込みなしと判断し、()()()()()()()()

 

「はあああ!?」

 

 困惑の声が一斉に上がる。

 

「最下位除籍って……!」

 

「にゅ、入学初日ですよ!? いや初日じゃなくても理不尽すぎる!」

 

 そんな抗議も、相澤を揺らがせることはない。今や静かな佇まいに見合わぬ存在感を放出している担任教師は、生徒たちに語りかける。

 

「自然災害、大事故、身勝手な(ヴィラン)たち…。日本は理不尽に塗れている。そして、そういう理不尽(ピンチ)を、覆してこそヒーローだ」

 

 さまざまな表情を浮かべた生徒たちがいた。戸惑い、驚き、焦り、そして好戦的な笑み。そんな中で黒神めだかだけは、何かを考えるかのようにじっと相澤を見つめていた。

 

「放課後マックで談笑したかったならお生憎。これから三年間、雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける」

 

 相澤は挑発するように、微かに笑みながら人差し指を自らの方へクイッと曲げる。

 

「“Plus Ultra(更に向こうへ)”だ。全力で乗り越えて来い」

 

*

 

 第一種目は五十メートル走だった。

 

 グラウンドを一陣の風が通り抜ける。

 

「3秒07」

 

 飯田天哉、“個性”『エンジン』。脹脛と融合したマフラーから炎を吹き上げ走る彼は、脚部に推進力を生み出す機構を内蔵している。その用途は単なる速度増加からキック力増強まで幅広く、燃料もオレンジジュースであり事前に飲んでおけば問題ない。まさにこの競技に最適な“個性”の持ち主であった。

 

 少しして、両手両足をついて走っていた少女がゴールラインを越える。

 

「5秒58」

 

 蛙吹(あすい)梅雨(つゆ)、“個性”『蛙』。身体全体が蛙の特徴を帯びている彼女は、四肢の筋肉構造からして四足歩行の方が素早く動ける。得手ではない陸上競技であっても高校生女子の平均値より3秒も早くゴールできたことから、その矮躯に込められた力の量を推し量ることができるだろう。

 

「6秒97」

 

 尾白(おじろ)猿夫(ましろお)、“個性”『尻尾』。その名の通り意のままに動く尻尾が臀部のあたりから生えるというだけのこの“個性”は、見た目のインパクトの無さとは裏腹に強力な矛にも盾にもなる万能なものだ。現に彼は自分の身体全体を尾を用いて持ち上げ、跳ねるようにして五十メートルを息を荒げることもなく走り切ることができた。

 

「4秒13」

 

 爆豪(ばくごう)勝己(かつき)、“個性”『爆破』。掌の汗腺が変異し、意のままに爆発する液体を汗の代わりに流すようになった彼は、多段発生する爆発の衝撃を利用して自らを弾丸のように撃ち出すことで好タイムを叩き出した。繊細な威力と角度の調整が必要となる芸当だが、彼はそれを難なくこなす。“個性”を用いるセンスもまた、このテストで観察されている生徒の資質の一つだ。

 

「4秒92」

 

 黒神めだか、“個性”『解析不能(アブノーマル)』。彼女はただ走っただけだった。ウォーミングアップもそこそこに走っただけで、()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()に肉薄する走りを見せた。そのことが彼女の異常性の証左であろう。それどころか彼女は汗一つかかず、

 

「ふむ、まあこんなものか。フルマラソンであればもっと詰められたが、たかが五十メートルでは極めるにも限度があるな」

 

と呟きさえした。

 

 第二種目、握力測定。

 

「540 kgw(キロ)

 

 障子(しょうじ)目蔵(めぞう)、“個性”「複製腕」。腕が両肩からそれぞれ二本、皮膜で繋がった状態で生えており、更にそこから自分の身体の感覚器官をその機能を増強した状態で無数に複製できる彼は、複製能力を用いて二本の腕に三本目を複製し重ねて握力で規格外の数値を叩き出した。能力の多彩さと地力を既に兼ね備えた彼は、有力なプロヒーロー候補と言えるだろう。

 

 第三種目、立ち幅跳び。第四種目、反復横跳び。そして第五種目、ボール投げ。

 

 多種多様な“個性”を用いて高得点を出していくクラスメイトの陰で、派手で見栄えのする“個性”の使用を一切しないままここまで来た生徒が二人いた。

 

 緑谷出久と人吉善吉である。

 

 しかし、そんな二人にも差異はあった。善吉が四種目経過時点でクラス平均より下とはいえそこそこの点数を取っているのに対し、出久は得点で言えばクラスの皆と比較してもかなり低い位置にいた。

 

 そもそも、“個性”の派手さのために見失いがちではあるが、行われているのはあくまで普通の体力テスト。測るものが異なるため“個性”による記録の上乗せは精々が二種目、あって三種目程度であった。また、『透明』の“個性”を持つ葉隠(はがくれ)(とおる)や『イヤホンジャック』の“個性”を持つ耳郎(じろう)響香(きょうか)など、そもそも“個性”が体力テスト向きでない者もいる。

 

 それでは何故、1-Aの生徒は与えられた課題種目を全て難なくこなすことができるのか。それは根本的にあの実技試験を突破し雄英に進学するほどの生徒であれば当然平均的な“個性”不使用の高校生のために作られた体力テストなど軽くこなせて当然であり、女性陣であっても選び抜かれたエリートである以上平均的な高校生とは比べるべくもない身体能力を誇るためである。

 

 そんな中、緑谷出久が低い記録を出し続ける理由は何か。

 

 それは焦りであった。決して恵まれたとは言えない体格ながら積んできた鍛錬のために身体能力自体は高校一年生としては頭一つ抜けている彼は、しかし競技のたびにガチガチに緊張して挑んだためにまともな結果を出すことができないでいた。最下位になってしまえば除籍処分になるということもあった。しかし、それだけではない。条件はクラス全員が同じなのだから、多少得点が下がることはあれどここまで差がつくことはない。

 

「緑谷、大丈夫か?」

 

 競技が進むにつれて見るからに焦燥していく彼を見かねて声をかけた善吉へ、出久は振り向いた。

 

「あ、ははは……。たぶん、大丈夫。次はやれる、次はやれるから……」

 

 どことなく不安定な様子の出久。やはり緊張しているらしく善吉の方をまともに見れてすらいない彼へ、善吉は少し躊躇ってから言った。

 

「……緑谷。俺は、お前がこんなところで終わるようなタマじゃないって信じてるからな」

 

 待ってる、と。出久の肩に手を置いて最後にそう言った彼は、自分の出番が来たためにボール投げのリングへ入っていった。

 

「人吉くん……」

 

 出久は軽く叩かれた肩ヘ手をやり、ぎゅっと体操着を握り締めた。

 

「頑張らなくちゃ」

 

*

 

 緑谷出久にとって、最初の挫折とは世界の不平等だった。

 

「諦めた方がいいね」

 

 初めてそう言われたのは“個性”医からだった。

 

 ヒーローになりたい。それは“個性”を振るい正義を為すヒーローが溢れる超人社会において、ごく当たり前の憧れだった。

 

 誰もが一度は憧れる。空を飛び、目にも留まらぬ速さで走り、悪を退け正義を為すヒーローに。オールマイトという理想のようなヒーローが現れてからその傾向はより顕著になった。

 

 しかし、プロヒーローとは狭き門を潜り抜けた者にのみ与えられる称号。誰もがオールマイトのようなヒーローに憧れ、そしていつしか挫折し、仄かな憧憬と悔恨を胸に残したまま普通(ノーマル)な人間へ育ってゆく。

 

 緑谷出久はその挫折が少しだけ早かった。

 

 五歳の頃である。周囲の子供たちが次々と“個性”を発現していく中一人だけ普通な我が子を心配した出久の母が彼を連れて行った医者は、いくつかの検査の後こう切り出した。

 

「昔“超常”黎明期に一つの研究成果が発表されてね。足の小指に関節が()()()()かで“個性”を持ってるか否か判断できるって。人間、使わんとこは必要ないってなもんでね、()()人の方が“型”として新しい、と」

 

 医者は一旦言葉を切った。

 

「出久くんには()()()()()()()。この世代じゃ珍しい……、何の“個性”も宿ってない型だよ」

 

*

 

 その日の夜だった。暗い部屋に、コンピューターで何十、何百回と見た動画を再生する少年がいた。

 

「お母さん」

 

 画面中央では、筋骨隆々とした金髪の大男が、焼け落ち崩れるビルの中から人を何人も担ぎ出している。常に豪快に笑いながら。

 

「どんなに困ってる人でも、笑顔で(たす)けちゃうんだよ……」

 

 少年の背後には、何と言葉をかければ良いのかわからないのか、母親がちらちらと彼の方を見ながら所在なさげに佇んでいた。

 

「超カッコいいヒーローさ」

 

 振り返った少年は涙を流していた。涙を流しながら、手を震わせながら、画面の中のヒーローを指差していた。

 

「僕も、なれるかなあ」

 

 母親は泣き崩れながら少年を抱き締める。

 

「ごめんね出久、ごめんねえ……!」

 

*

 

 転機は、突然に訪れた。

 

 中学三年生の春。未だにヒーローの夢を捨てていなかった出久は、液状化の“個性”を持つ(ヴィラン)に襲われた。(ヴィラン)の身体に包み込まれ、あわや取り込まれかけたの出久の耳に、一つの声が響く。

 

「もう大丈夫だ少年!」

 

 (ヴィラン)の現れた下水道からマンホールを吹き飛ばし現れたのは。

 

私が来た!

 

 かのトップヒーロー、オールマイトその人であった。助け出され、意識を取り戻してもらい、ファンサービスとしてサインももらった出久は、しかしまだ用があると脚力のみで飛び去って行くオールマイトの足にしがみついた。

 

「僕……! あなたに直接っ……! いろっ、色々、聞きたくて……!」

 

 少しして。適当なビルに着陸して出久を引き離し、今度こそオールマイトは出久の元を去ろうとした。そんな彼へ、出久は叫んでいた。

 

「“個性”がなくても、ヒーローはできますか!?」

 

 出久は身体中の力を振り絞るように目を瞑って語った。“無個性”と診断されたこと。そのせいで馬鹿にされ続けてきたこと。それでも人を救けることへの憧れを抱いていること。そして、恐れ知らずの笑顔で救けてくれる、そんな最高のヒーローに自分もなりたいということを。しかし、語り終えてぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開けた出久の視界に飛び込んで来たのは筋骨隆々とした大男の姿ではなく、長身瘦躯、骸骨のような印象を与える誰かだった。

 

「……私はオールマイトさ」

 

 痩せこけた男はそう言った。間違ってもネットには書き込むなよ、と前置きして、彼はひらりと今や明らかなオーバーサイズとなったシャツの裾をめくる。そこには、左胸のあたりに見るも無惨な傷跡と、傷跡を中心に放射状にひび割れた皮膚があった。

 

 五年前、敵の襲撃で負った傷だと言う痩身のオールマイトは、その後遺症のためにヒーローとして活動できる時間が三時間程度しかないことを明かした。常に笑んでいるのは平和の象徴たる自らを演出し自分自身の恐怖を欺くためである、とも。

 

「プロはいつだって命懸けだよ」

 

 オールマイトはそう話を締めくくった。常の巌のような身体でなく、傷だらけの痩身であってなお、その目には強く厳しい光が宿っている。

 

「『“個性”(ちから)がなくとも成り立つ』とはとてもじゃないがあ、口にできないね」

 

 同日。項垂れて帰路についていた出久の耳に、(ヴィラン)が暴れているという噂が入った。それ自体は珍しいことではない。“個性”飽和社会とも称される現代の社会は、常に“個性”を使って暴れたい(ヴィラン)予備軍に溢れている。だからこそ、ヒーローもまた数多くおり、暴れる(ヴィラン)を取り締まるためすぐに駆けつける。

 

 出久は、そんなヒーローの姿を見るのが好きだった。彼らの勇姿を見て、いつか彼らに並ぶようなヒーローとなるため彼らの情報を集める。それが出久の趣味であった。そして今日も、彼は群れる人の間を縫い、(ヴィラン)の姿を目に収める。果たして、そこには。

 

(あいつなんで!?)

 

 オールマイトに捕まったはずの、液状化(ヴィラン)がいた。

 

 オールマイトは(ヴィラン)を拳圧で散らした後、ペットボトルに詰めて捕縛していた。それが抜け出る機会があったとするなら、それはオールマイトにとって予想外の事態が起こった時で。つまり、それは。

 

「僕の……せい……!」

 

 出久は吐きそうになる口を押さえた。聞けば、誰かが液状化(ヴィラン)に捕まって、包み込まれているらしい。現場に集まったヒーローたちは掴めない液体の(ヴィラン)に有効な“個性”を持っていないか、持っていたとしても周囲の被害を抑えるので忙しい。

 

(ごめんなさい……すぐに助けが来てくれるから……)

 

 出久には何もできない。“個性”を持たず、ヒーローとして不適格とあの憧れのオールマイトにまで言われてしまった出久には。

 

(誰かが……)

 

 捕まっている誰かがもがいて、顔のあたりの(ヴィラン)の身体が剥がれかける。

 

(ヒーローが、すぐに……)

 

 そこにあったのは、幼馴染の爆豪勝己の顔だった。

 

 飛び出した。何かを考える暇もなく、ただ衝動のままに、出久は(ヴィラン)を遠巻きに眺める群衆の中から(ヴィラン)に取り込まれまいと暴れる勝己の元へ走り出した。

 

(何で出た、何してんだ、何で!?)

 

 自分でも理由の分からない、側から見れば自殺志願の正面突撃。ギロリと出久を睨んだ(ヴィラン)は、既に同一化が進んでいるのか、勝己の身体を出久へ振り向かせ、掌をそちらへ向ける。

 

 対する出久は、走りながら(ヴィラン)の頭めがけてカバンを放り投げた。(ヴィラン)が怯む。その隙に、出久は両手を使って(ヴィラン)の身体を掻き分け、何とか勝己をその中から取り出そうとする。

 

「かっちゃん!」

 

 完全に現れた頭部に叫んだ出久へ、勝己は叫び返す。

 

「何で! てめェが!」

 

 出久はばしゃばしゃと(ヴィラン)の身体を掻き分ける。

 

「足が勝手に! 何でって……わかんないけど!」

 

 必死になり、恐怖に襲われ、それでもオールマイトの言葉を思い出し、精一杯の笑顔を浮かべながら。

 

「君が、()()()()()()()()()()!」

 

 しかし、(ヴィラン)を驚かせこそしたものの、“無個性”の彼に何ができるわけでもなく。

 

「もう少しなんだから……邪魔をするな!」

 

 液状化(ヴィラン)が身体を使って作り出した大きな掌が、出久へ迫った。(ヴィラン)の身体が出久へ迫り、その身体を覆う。まさにその瞬間、出久の腕を掴む手があった。

 

「君を諭しておいて……己が実践しないなんて!」

 

 筋骨隆々、金髪にして笑顔の大男。

 

プロはいつだって命懸け!!

 

 オールマイトは血を吐きながら叫んだ。

 

DETROIT……SMAAAASH!!

 

 轟音。地面へ叩きつけられた拳はその風圧だけで液状化した(ヴィラン)を出久と勝己の身体から吹き飛ばし、千々に散らした。

 

*

 

「私が来た!」

 

 帰り道。あの後現場にいたプロヒーローに散々叱られ、今度こそ帰路についた出久を、曲がり角からポージングとともに飛び出したオールマイトが出迎えた。

 

「オールマイト!? さっきまで取材陣に囲まれてたはずじゃ…」

 

 驚く出久に、オールマイトは豪快に笑いながらビッと二本指を立てる。

 

「HAHAHA、抜けるくらいワケないさ! 何故なら私はオールマ…ゲホォッ!」

 

 言葉の途中で吐血し、煙を立てながら痩身の姿に戻ったオールマイトは、口元から垂れる血を拭いながら出久を見据えた。

 

「少年、礼と訂正、そして提案をしに来たんだ。君がいなければ、君の身の上を聞いていなければ、口先だけのニセ筋になるところだった! ありがとう!」

 

 傾いていく夕の日を背にして頭を下げるオールマイトに、出久はとんでもないと慌てる。

 

「そんな……。いや、そもそも僕が悪いです! 仕事の邪魔して……。“無個性”のくせに生意気なこと言って……」

 

「そうさ!」

 

 オールマイトが出久の言葉を遮った。痩せ衰えた姿であっても、その声、その迫力は、未だナンバーワンヒーローそのものである。

 

「あの場の誰でもない、小心者で“無個性”の君だったから! 私は動かされた!」

 

 びりびりと空気が震え、自分の肌が粟立つ感覚を得て、俯いていた出久は思わず顔を上げていた。

 

「トップヒーローは学生時から逸話を残している……。彼らの多くが話をこう結ぶ! 『考えるより先に身体が動いていた』と!」

 

 オールマイトの声が二人きりの空間に満ちる。

 

「君も! そうだったんだろう!?」

 

 肯定の声は、小さく溢れた。

 

君はヒーローになれる

 

 泣き崩れた。両手を地面に突いて、これまでの人生の全てへ向けて叫ぶように、出久はただひたすらに泣いた。

 

「君なら私の“力”、受け継ぐに値する!」

 

*

 

 感情のままに泣いていたために涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった出久の顔を一頻り笑った後、オールマイトは自身の“個性”と彼の持ちかけたいという「提案」について明かした。

 

 「ワン・フォー・オール」という名のオールマイトの力は、“個性”(ちから)を譲渡する“個性”である。彼もまたそれを受け継いだ者であり、次なる後継者を探しており、その後継者として出久を認めた。未だ現実に頭が追いつかない様子の出久に、オールマイトはそう語った。

 

 何故自分にそこまで、と思わず訊いた出久へ、オールマイトは答える。

 

「元々、後継は探していた……。そして、君になら渡しても良いと思ったのさ! あの瞬間、ヴィランへ向かって君が飛び出したあの瞬間において、“無個性”でただのヒーロー好きな君は()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 まあ君次第だけどさ、どうする? と付け加えるオールマイト。出久はそれを聞くとぐっと上を向いた後袖で涙を拭い、答えた。

 

「お願い、します!」

 

*

 

(残りは持久走に上体起こし、長座体前屈……。もう後がない!)

 

 出久は焦っていた。彼の双肩には、母親、そしてあのオールマイトの期待もかかっているのだ。

 

OFA(ワン・フォー・オール)の調整はまだできない……。0か100か、一度使えば入試の時みたいにまた身体を壊すことになる……。けど、このままじゃ僕が最下位。なんとかしなきゃ!)

 

 彼が現行最下位である理由は、除籍処分のプレッシャーだけではない。次々と“個性”を活かした尋常ならざる記録を出していくクラスメイトの姿に、彼もまた“個性”を使おうとしていた。そう、使おうとはしていたのだ。しかし、彼の“個性”は譲渡されたばかりの上、一時的にとはいえオールマイトの振るうものと比肩しうる力を発揮できるもの。調整に成功しなければ入試のときのように、以降の競技が遂行不可能な状態になってしまう恐れすらあった。出久はそのため競技ごとに『調整したOFA(ワン・フォー・オール)』を用いようとしていたが、調整がうまくいくイメージが持てず、結局一度もOFA(ワン・フォー・オール)を使う踏ん切りがつかないままここまで来てしまう。それどころか、調整を意識するあまりに、出久は普段の彼と比べても劣った記録しか出すことができないでいた。

 

「……オールマイト……お母さん……」

 

 善吉の激励も、結果として彼の焦りを助長するばかりであった。期待されるということに慣れていない出久にとって、他人の信頼とは嬉しい反面重しのように自身を焦りに縫い付けるものでもあった。

 

 名前を呼ばれ、今回ばかりは“個性”を使うぞ、と(りき)んでボール投げの円へ歩き始めるそんな彼の肩を、軽く掴む者がいた。

 

「緑谷同級生」

 

 黒神めだかである。

 

「その力、仔細は問わん。だが、入学試験の時の使い方を見るに調整が効くようなものではなかろう?」

 

 出久は、少し躊躇った後頷いた。めだかたちには実技試験の際にOFA(ワン・フォー・オール)の100%を見せている。今更隠しても仕方がなかった。

 

「察するに、これまで“個性”を使わなかったのもそのためだな? 身体が壊れてしまえば、以降の記録が取れなくなるからな」

 

 これにも出久は首肯する。めだかは少し考え込むと、ぽつりと呟いた。

 

「ふむ……。その“個性(ちから)”、貴様には不適格だな」

 

「そ、そんな……!」

 

 憧れのオールマイトの“個性”、OFA(ワン・フォー・オール)をめだかに否定され動揺する出久を尻目に、めだかは教え諭すように人差し指を立てた。

 

「いいか緑谷同級生、心に刻め。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その昔、ある偉大なヒーローが大災害から一人で千人以上を救い出すという伝説を作ったが、それはあくまで彼がそれに応じた力を持っていたから成しえた偉業だ」

 

 めだかは出久の両眼をのぞき込む。

 

「今貴様が為そうとしているのは身の丈に合わぬ蛮勇。同じことを救助活動の現場でしてみろ、救けられる必要のある人間が増えるだけだ」

 

「で、でも…! これは試験で、何としてでも…」

 

 慌てる出久の言葉をめだかが遮った。

 

「「これは違う」「これはたまたまだ」、そんな言葉で誤魔化しながら貴様はここで3年間を過ごすつもりか?」

 

 その言葉に、めだかの気迫に、出久は頭を殴られたような衝撃を受ける。

 

(考えが甘かった! せっかくヒーローになるための試練を受けられるっていうのに、黒神さんはこんなに真剣に考えてるっていうのに、ヒーローとしての自分を見据えられていなかった!)

 

「私が見込んだのは、貴様のその“個性”だけではない。誰かを救けるためにいつでも全力を振るえる、貴様のその姿勢にこそ、私は心動かされたのだ。故に言おう。何に囚われているかは知らんが、貴様の力、それはあくまで道具でしかない。本質を見極めろ緑谷出久。貴様が目指したいのは一体何だ?」

 

「おい緑谷、早くしろ」

 

 話し込む二人に焦れたのか、ボールを持って待機している相澤が面倒くさそうに声をかける。ちらりと相澤の方を見ためだかは、うなだれたままの出久へ続ける。

 

「応急処置でしかないが、貴様に一つ助言をやろう。100%のパフォーマンスに縛られるな。できもしないことをやろうとするより、今自分の手元に何があるのかを確認しろ。一度使えば壊れる力でも使い道はあるものだ。(もっと)も、()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

 言い残し、めだかは長髪を翻し去っていった。

 

「甘かった、甘かった、甘かった……! オールマイトが言ってたじゃないか、一朝一夕にはいかないって……! 黒神さんが言ってたのは……? 100%のパフォーマンスに、オールマイトの姿に縛られない……。一度使えば壊れる力の、使い道……」

 

 言われた事を反芻しブツブツ呟きながら、出久はボールを受け取り白線の内側へ歩み入る。善吉の、母親の、オールマイトの、そしてめだかの言葉が彼の頭を駆け巡る。

 

 大きく振りかぶり、腕を紫電と共に痺れが伝う。

 

(黒神さんの言う通りだ)

 

 踏み込み、前傾姿勢になってなお、力を解放しない。紫電を腕全体に拡散させず、一点に集中させる。

 

OFA(オールマイトの力)を使うには、僕はまだ分不相応! その分、人より何倍も頑張らないと、ダメなんだ!)

 

 腕が弧の頂上に至ってもまだコントロールを維持する。

 

(だから全力で!)

 

 ボールが勢いを得て飛び始め、指先のみが触れる。その瞬間。

 

(僕にできることを!)

 

SMASH!!

 

 出久はボールが指先を離れる瞬間、人差し指に集中させたOFA(ワン・フォー・オール)のパワーを解放した。相澤の手元の測定器が、電子音と共に705.3メートルという記録を表示する。

 

「先生……!」

 

 人差し指のみでのOFA(ワン・フォー・オール)の行使、当然壊れるのは指先だけ。歯を食いしばって、脂汗と涙を滲ませながら、それでも出久は拳を握ってみせた。

 

「まだ……動けます!」

 




区切る場所としては微妙ですが、これ以上続けると一話の文字数がすごいことになり読みづらいだろうと思ったので切りました。

出久の視点を取るにあたってどうしても彼のバックボーンとなった無個性時代とOFAの伝授を避けて通れず、結果として原作展開だけで文字数を大量に振ってしまいました。徐々にこういうことは減っていくと思いますのでできればお付き合いください。

めだかの50m走世界記録が非公式なのは“個性”を使ってるんじゃないかとの疑いを(相澤先生のような“個性”無効化能力を持つ者の監視下で走ってなお、試験管買収や新型のドーピングなどを疑われ)晴らせなかったためです。明らかに過剰かつ優秀な成績であっても、それをカテゴライズできる別の枠組みが存在してしまうと凡庸なものとして扱われてしまうという例ですね。
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