急展開
☆☆☆
修繕せずに一体どれだけの時間が流れたのか、壁というには風を通し過ぎる腐敗した木くずの集合体と、屋根というには少々日光を取り入れすぎる隙間だらけの木材の板。いっそのことガラス張りの屋根だと言われた方が信じられそうだ。
あばら屋ということすら恐れ多い元々は小屋だったその場所にはまだ年端もいかない子供達が暮らしていた。
「おいアリス!お前も今日はこっちだ!」
「は、はい!」
黄色い髪と紫の瞳をした少女はびくりと一度跳ねる。どうやら、彼女に声をかけた白い髪と黄色い瞳を持つ少女に驚いているようだ。
実際声量が非常に大きく何も知らない第三者がいたのなら怒鳴りつけているように見えただろう。それに襤褸布同然の服と泥などで体中が黒く汚れているとはいえ、白い髪の少女の容姿自体は豪商の娘、或いは貴族の娘といっても通るほどに整っており、あのような乱暴な口調で話すようには見えなかった。
けれど、驚いているのはこの場ではアリスと呼ばれた黄色い髪の少女だけ、他の少年少女たちは見慣れているのか動じることはなく自身の作業を続けていた。
それもその筈でこの場で黄色い少女以外の子供達は白い髪の少女と少なくとも数年間は共に生活を送っており、付き合いが長い。
ならば驚いたアリスは一体どれだけの時間を白い髪の少女と過ごして来たかと言えば…
「お前は数日前に来たばっかだからな。仕事を教えてやるよ」
「はい、ありがとうございます」
数日前、それまではアリスはこことは違う場所。食べるものにも衣服にも困ることのない場所で暮らしていた。
故にアリスの服は他の子供達よりも仕立てが良く、数日間で多少汚れは目立つものの迷子の貴族令嬢と思って貰える程度には品位を保っていた。
(ノエルさん…心配してるかな?)
アリスは少しの間目を瞑り、自身のメイドを名乗る過保護で少し怖い使用人の顔を思い浮かべていた。
☆☆☆
絡めた両手を天に掲げ、背筋を反らす。
硬い木で出来た背もたれの感触を感じながらも授業の終わりという解放感に身を委ねる。
「くぅぅ、漸く授業も終わった。」
俺の意識が目覚めてからかなりの時間が経った。これにより、俺に掛かっていた呪いの影響も大分なりを潜めており、完全に呪いが消えるのも時間の問題という所まできていた。
呪いというのは厄介で能動的に消し去ろうとすると逆に力を付けることがある所謂ウイルスに近い性質を持っている。勿論それも強力な術者の場合や解呪しようとするものの腕前次第な所はある。
けれど、その点に関して言えば俺に掛けられた呪いは魔王が命と引き換えに施した代物。術の質は一級品だ。
故に今まで敢えて放置していたのだが、その甲斐があったというものだ。
今では日頃の行動や言動以外にも細かい口調までも生前のものに寄せられるようになった。
それもあって最近は小躍りしたくなるほど機嫌が良い。
「ノエル。それじゃあ帰ろうか」
俺が振り返りノエルを呼ぶ。
どさり、受け身すら取れず不格好な態勢でノエルが倒れ込んだ。更にノエルは胸に手を当て苦しそうな表情を作る。
一体何が!?
「どうしたノエル!」
力加減すら考えずにノエルの肩を揺すってしまう。彼女がここまで苦しんでいる所なんて見たことがない。
「分かりません。ただ…鈴の音が、聞こえてきて」
「鈴の音?」
「聞こ、える……んです」
呼吸すらままならないのか、ひゅう、ひゅうと喘鳴を伴いながら必死に胸を上下させか細い声でノエルは訴える。俺はノエルが訴える鈴の音を聞くために耳を研ぎ澄ませる。けれどそんな音は聞こえない。周りの生徒たちもこちらを遠巻きに見ているが、音を気にしている生徒はいない。
とはいえ、ここまで苦しんでいる彼女が嘘を言っているとはどうしても思えない。いや、今はそれよりも彼女の治療を急がないと
≪神秘付与≫
自身の瞳にこの世ならざる奇跡を宿す。これで通常なら見えないものも見える筈だ。
「なにこれ?」
思わず声が漏れる。異変だらけだ。いや、厳密に今回彼女がこうして苦しんでいる理由は一つだ。けれどそれ以前から彼女の体は恐らく彼女自身の手で…。
そこまで考えが及んだところで鈴の音が聞こえてくる。濁りのない透き通ったガラスを連想させるほどに澄んでいて、雪山の吹雪を思わせるほどに冷たく純粋な力を持った音色。
それが胸の中に吸い込まれていく。
魂が闇に囚われていくのを感じた。視界がぼやけて涙が滲む。死を感じているのではない。魂の消失が間近に迫っている。
間違いない。あの音色が聞こえてから俺の中にある呪いが凄まじい速さで活性化している。このままでは俺の自我を乗っ取り、この体を好き勝手に使われてしまう。
それこそ、俺の意識が戻る前のアイリス・コリアンダーのように、或いはそれ以上にそれこそ救いようのない悍ましい怪物になってしまうかもしれない。
…これだけ進行が早いと自然治癒は望めない。それにノエルも助けなくてはいけない。
俺は自身の魂から作った剣と鞘を取り出す。
「アイリス・コリアンダーはここに奇跡を執行する」
願いの内容はノエルがこの先も彼女自身として幸せに暮らすこと、代償は自身の存在。
呪いは勇者という俺の自我に取り付いたもの。ならば俺が世界から消えれば、存在意義を失った呪いはこの世から消える筈。
最後に必要な仕事は終わらせられただろうか?
失われていく意識の中で俺はただそれだけが心配だった。
☆☆☆
私は誰だろうか?上下左右もはっきりしない闇の中でそんなことを思った。
記憶を掘り返そうとしても空白ばかり、私は今生まれて来たばかりの赤子だろうか?
でも、そう思うことこそが赤子でない証明のようで少し可笑しく思う私がいる。
「あ、り、す」
何処からかそんな声が聞こえて来た。
アリス。そうだ。きっと私の名前はアリスなのだ。とても気に入って何度も呟く。呟くと言っても口が何処にあるのかも分からないので、厳密には唱えるが正しいかもしれないのだが…。
「アイリスお嬢様!!」
その声に視界が開ける。否、単純に今まで目を閉じていたようだ。
私は目をぱちくりとさせ、こちらを見下ろす給仕服の少女に視線を向けた。
「ご無事ですか?アイリスお嬢様」
アイリス?
違う。私の名前はアリスだ。彼女は一体誰と私を勘違いしてるのだろうか?
人違いだとちゃんと教えてあげないと
「…えっと、私は…私はアイリスという名前に心当たりがありません」
「なにを?」
何故だろう。何故彼女は呆けているのだろう。それ程までに私とアイリスという存在は似ているのだろうか?けれど、私は私アイリスという人間ではないときちんと教えてあげなくては
「私はアリスです。残念ですが、アイリスという人間に心当たりはありません」
給仕服の女性は私の言葉に眩暈を起こしたように体をふらつかせる。具合が悪いのだろうか?それなら無理せず休んだ方が良いと思う。
声をかけた方がいいだろうか?
「あの、体が不調なら無理せずに休んだ方がいいですよ?無理に働くのは非効率的です。ミスが増えて上司からの評価が下がる可能性もある。」
「いえ、体は万全なので結構です。
…遅ればせながらご挨拶させていただきます。私はアイリス…アリス様の専属メイドのノエルと申します」
「…そう、なのですか?」
でも、彼女が大切にしているのはアイリスという人のようだけど…
そんな私の疑問が口に出ていたのか彼女は付け加えるように言葉を紡いだ。
「アイリス、というのはアリス様の愛称にございます。現在は記憶が混濁しているようですが、時期に思い出されるかと」
「…はぁ、そうですか」
それから、暫くの間私とノエルさんの生活が始まった。
元々私の友人だったというフリージア、プラティー、ケリア、けれど彼女たちもなんだか、私を通して誰かを見ている様だった。
居心地が悪い。まるで私が見た目がそっくりなだけの誰かの影武者のように感じてしまう。いや、きっとそれが真実なのだろう。
過去の記憶は一向に思い出せないが、何故だかそう感じた。
ならば、一体私はどこに帰ればいいのか。
深く気分が沈む中、窓を開けて夜風を中に誘い込む。
夜風ならこの気持ちも風に乗せてどこか遠くに飛ばしてくれる気がしたのだ。
「霧?」
けれど、いつの間にか外は白い靄に覆われており不気味な様相を呈していいた。いつの間にこんなに霧が出たのか、私は怖くなって急いで両手に力を入れて窓を閉めようとする。
けれど、どれだけ力をいれても窓はびくりとも動かない。
それどころか霧は部屋の主人の許可を得ることなく勝手に不法侵入し、あまつさえ私の体に纏わりついて来る。助けを呼んだ方が良いか?そう思い、大きく息を吸う。けれど、息を吸うと共に呼吸器に霧を大量に吸い込んでしまう。金縛りにあったように声が出ない。これも霧の影響なのか?
分からない。けれど、助けを呼べないということは分かった。
更に、霧は私の体を持ち上げると窓から外に連れ出そうとする。
逃げ場はなかった。否、逃げるための行動は取れなかった。
私はゆっくりと空の散歩に連れ出される。一体どこに連れていかれるのか、そう思って、じっと進路を睨む。
そして、急な浮遊感に襲われ地面に叩き落とされたのだった。
気づけば子供達に囲まれ、身ぐるみを剝がされるのかと身構えた所で白い髪の少女カモミールが子供達を取りなしてくれて何とか彼らの仲間に加わることが出来た。
☆☆☆
カモミールは不格好な鍬をこれまた不格好な姿で振り下ろすと畑を耕していく。
子どもばかりのこの集落でこんなにも文明らしい暮らしをしているのが非常に不思議だ。てっきり盗みや精々木の実収集で食いつないでいるものと思っていたのだが、まさか生産活動に着手しているとは人は見かけによらないとはこのことだ。
「おい、アリス、見てないでお前も手伝え」
「はい!」
思わず興味の余り彼女のことを観察してしまったが、今は私もこの集落の一員。頭よりもまずは体を動かすべきだろう。特に集落の利益に寄与しない知的好奇心など言語道断。
只でさえ豊かとはいえない状況なのにこれ以上生産性を落とすわけにはいかない。
私も見様見真似で鍬を振り下ろす。
しかし、こんなことでこの集落はやっていけるのだろうか?私は農作業に関してからっきしの素人だが、それでも今耕している畑にこの集落の人間を食べさせていける程の広さがあるようには見えない。なんせ、広さはたったの100㎡だ。
それに対し、子供の数は15名を超えている。一日分なら兎も角、恒常的に食料を供給することは不可能ではなかろうか。
その点カモミールはどう考えているのやら
「あの、カモミールさん。畑を大きくしないんですか?素人目には子供の数に畑の大きさが見合ってない様に見えるんですけど」
「…そんなん、分かってるよ。けどな、作物育てるってのは一朝一夕に出来ることじゃないんだよ。あたしらは今日も明日も食ってかなきゃならねぇ。なら、作物を育てる以外にも色々やらなきゃならねぇんだよ」
「成程、因みにその色々とは」
「…それは、お前がもう少しこの集落に馴染んできたら教えてやるよ」
これは、やはりこの集落では法に引っ掛かるような方法で食料などを手に入れているのだろうか?そして、それ故に私がこの集落に情が移るまでは具体的な方法は秘密にしている?
なんなら、私を保護したのも貴族の令嬢と察したから?仮に私のことをノエルさんが見つけた場合何かしらの礼をするだろう。金か仕事か、若しくは恩赦か。
いや、善意で助けた可能性もあるのに邪推が過ぎるか。
私は自身の脳裏に過った思考を首を振って掻き消すのだった。