TS剣客少女(闇)は、乙女ゲームの世界で自由気ままに生きる 作:さえぐさ
王国の北には大きな山脈、東には海が広がっていた。王都は、その海に接しており港があった。
その港では、波が堤防に当たる音が周囲を響かせていた。夜も深まり、昼間の活気は陰っている。
港には、交易の関係から、物資を置くための物置小屋も多い。その内の一つの小さな小屋、そこが予定の場所だった。
黒尽くめの集団は小屋の中に、依頼のものを傷をつけないように安置した。後は受け渡すだけ。黒尽くめの集団は、互いの顔を見合う。
「不測の事態も多かったが、後は待つだけだな」
「しかし、あいつらからの連絡が来ませんね」
「悪運が強いやつが集まったのが俺らだ。あいつらも何とかやってるだろう。とにかく今は待ちだ」
そう話しつつ、小屋から出る時だった。
不意に、声が上から降ってきた。
「――待つって何を?」
全身が粟立つような感覚、異常事態。本能的危機感から即座に小屋から距離を取った。振り返り、小屋の屋根上を確認すると、
「未来なんて待つ必要なんてなくて、勝手にやって来るものだよ」
月明かりに照らされた、美しい少女の姿だった。
「い、いつから……」
本当は、問うまでもなかった。初めからだ。答えは分かっていた。動揺が口から出たにすぎない。その存在の異質さが、少女を人とは思わせなかった。
その少女は、死神のようなことを言った。
「いつからと言えば、貴方たちが産声を上げる前からかな」
薄く開かれた目が、弧を描いている。まるで剣のように美しく、恐ろしかった。冗談が冗談に聞こえなかった。
「さて」
死神が屋根の上から地に降りた。
「抗ってみるといい」
濃密な死の気配が噴煙のように発せられた。
「っ――」
理解した、させられた。抗わないと、死。そして別動隊からの連絡がないわけも、理解した。であれば――、
「……退くってのはないな」
仲間しか知らないはずのこの場所を知っていたということが、どういうことであるか考えるまでもない。怒りが沸き上がる。また、その怒りを意識的に高める。怒りは恐怖を麻痺させるには一番良い。だが同時に一番早死する方法でもある。だがそれでも、神でも気取ってるような思い上がりを、地面にまで落としてやらねばならない。
「――思い知らせてやる」
手を挙げる。
合図。
一斉に、凶器を少女に投擲する。
荒事も慣れたもので、暗殺の他に多様な任務を数多くこなしてきている。純粋な戦闘も、暗殺のターゲットに腕が立つ護衛がいる状況も慣れたもの。
人間であれば腕は二本を超えることはないし、足もそう。人体による可能な動き、不可能な動きがある。人体では対応するには無理がある攻撃、そういう類の攻撃を行った――、はずだった。
後方、
「ぐっ」
うめき声。
一人、倒れた。続けてもう一人、追加でもう一人。
「――っ下がれ!」
残った者たちが距離を取る。
理解ではなく、知覚出来たものとして、『ズラされた』という感覚があった。何がかは分からない。だが、流れが乱れたような感覚が気付けばあった。急にではなく、自然にそうなったような。そして知覚出来た時には、仲間は倒されていた。時間感覚として一瞬だった。
理由を探ることが意味のある行為かは分からない。しかし観察しないわけにもいかない。
少女は手ぶらだった。仲間は全て打撃の類でやられている。だが死んでる様子はない。稽古のつもりだろうか。
「くそっ――」
退くべきなのは分かっている。だが、悔しさがあった。しかしそれ以上に、あの存在に背を向けることこそが一番の恐怖だった。であれば取る選択は一つしかない。頭として、長として、
「お前たちは下がってろ――」
死線をくぐってみせる。部下を続かせる。
ぐっと奥歯を噛み締め、覚悟を決めた。己の全てを賭す。今までにもこういうことがなかったわけじゃない。
武器を手放し、手を開き、素手であることを示す。
拳をぐっと握り締め、前に足を進め、距離を詰める。
範囲内。繰り出した拳が到達する寸前、――視界が回転した。背から伝わる衝撃、地面。つまりぶっ倒された。
身の内の衝撃と、混乱の中、
「起きろ――」
その声はよく聞こえた。
立ち上がり、足を前に進めたが――その足を横に蹴り飛ばされ、重心がグラつき倒される。
「立て」
衝撃で体内の空気が吐き出され、呼吸がつらい。身体の痛みも強く訴えかけてきている。これでは立ち上がろうにも――、
「立て」
催促された。底冷えする淡々とした声。ずっと昔、子どもの頃、師に修行をつけてもらった時のことを思い出した。
「っち――」
嫌なことを思い出した。嫌な記憶だった。
「――今立たないと、二度と立てなくなる」
これも聞いたことあるセリフ。修行の時によく言われた。逃げ出した今では後ろめたさしかなかったが、まさかここに来てまた聞かされるとは思わなかった。腹の底から感情が溢れる。
「っせぇな! ――ほら、立っただろ!」
昔のような、啖呵。
「足が震えてる」
「だから何だってんだっ」
「早く来な」
舌打ちに「言われなくても」という言葉をのせ、足を前に――、
「あ」
距離、近――、
「だ、はっ――」
掌底が胸に、――視界が後に向けて吹き飛んだ。
「がはっ、はっ――」
空気が入ってこない。極度の苦しさ。胸の中の全てがすっ飛んだような感覚。
顔を上げると、淡々とした表情の人間離れした容姿のやつが見下ろしていた。認めてしまった。
――俺はここで死ぬ。
そう思わされた。
だが、
「立って」
「っは?」
どう考えてもイカれてた。指導ってのは相手の限界を見極めるものだ。とても立てるような状態じゃない。あばらも何本かイってる。大体、立てばまたぶっ飛ばされる。呼吸が整ってくると同時に、思考も動き出して、現状を把握させた。
「……もう立てねぇよ」
結論を言葉にして吐いた。その音の響きだけでも、胸に強い痛みが走る。
「終わり?」
「ああ、そうだよ。――好きにしろよ」
最期だとしても、格好というものがある。商売が商売だ。最期を考えないことはない。みっともないのは嫌いだ。最期くらいは潔く。と、考えてると――、
「そ、分かった」
少女が離れていった。
そして、倒れている部下の元にまで――。
「っま――」
身体を起こそうとするも、かなわない。込めようとした力が、痛みに跳ね返される。
「苦しそうだし、楽にしてあげよう」
「くそっ」
手を、腕を、地面につきたて無理にでも支えにして――、
「そいつにっ」
長い付き合いというほどでもなかった。でも、気の合う良い奴だった。仕事も何回かはこなした。死線も一緒にくぐった。だったら理由としては充分だ。
「――触れんじゃねえ!」
立ち上がり際、隠した短剣を投げ、足に前を出す。さらにもう一つ短剣を取り出し、握りしめ駆け出す。恐怖も痛みも、死期さえも置き去りに。出さないように気をつけていた殺気も、もはや隠さない。必死の切っ先を向け――、
「遅い」
世界のこの場だけが遅刻したようにゆっくりと動いた。
なのにそれはほとんど見えないほどに速かった。虫を払うように、ぶっ叩かれ、地面に倒れる。
「がっ――」
背中に衝撃。全てが元通りになって、置き去りにしたものにも追いつかれた。死期がやって来たらしい。
「よろしい」
「は?」
空耳か。
「その心意気や良し。でも、何故あわよくば殺してやろうという気を持たなかった?」
「何故って、おまえっ――」
呼吸すらきつく、まともに喋れない。
「本物の稽古じゃあるまいし、ちゃんとやらないと死ぬだろうに」
これで生かして終わるのなら、それこそ本物の稽古だが、これは確かに実戦である。しかしその言葉からは推測されるのは、
「……助かったのか?」
「うん。これで終わり」
少女から、今まであった威圧感のようなものが嘘のように消えた。
「じゃあお嬢様を解放してあげようか」
少女は倒れている者から短剣を抜き取ると、安置していた依頼物、オフィーリアを縛る縄を切った。
自由になったお嬢様、オフィーリアは戸惑いを隠せなかった。
「貴方、その、何者ですの……?」
怯えが混じっている。
少女、アリアは何てことないように答えた。
「何者であってほしいです?」
「え?」
オフィーリアは虚を突かれた。
「そ、それはっ」
オフィーリアの目に、アリアの耳にある翡翠のピアスが映った。
「お嬢様、帰り道は分かりますか?」
「え?」
それはまるで別れの言葉みたいだった。
「あー、そこの元気な方の人たち、お嬢様を送ってもらえる?」
「ちょっとっ」
抗議も虚しく、指名された者たちは頷いた。彼らは彼らで、断ればどうなるか分からないお願いに従わない選択肢はなかった。
オフィーリアは感情に整理がつかないまま、ここから立ち去らなければいけなくなった。
「アリアっ」
オフィーリアは感情だけ切り出した。ここで黙って去れば、もう二度と会えなくなるかもしれないと思った。
「籍は、残しておきますからっ――」
アリアは無言で見送った。楽しかった日々だった。間違いなく。
「あ、短剣は返すけど、剣は借りるね」
アリアはそう言うと、倒れている人間の腰から剣を取った。
「は?」
『一体何を』と思った男をよそに、アリアは誰もいない方に向けて剣の先を向けた。
「――出てきな」
闇が揺れ、人形の影が出来た。
仮面、ローブを着た人間。その特徴を、男は聞いていた。受取人だ。
「……まいったな。計画がめちゃくちゃだ」
「いくつか質問するけどいい?」
「駄目って言ったら?」
「斬る」
会話を聞いていて、男は悟った。さっき感じていた威圧感はまだ優しかったのだと。この人間の殺気は、あまりにも自然だった。高いところから地面を見下ろしたような、あまりにも自然な死の予感。殺してやるぞという殺気ではなく、崖から身を投げれば死ぬような自然のもの。そして人体から発せられるにはあまりにも不自然なもの。
「分かった」
仮面の男は、その仮面を外した。
「誠実にいく」
あらわになったのは顔。王子の部下のキアンだった。
◇◆◇
他の人間は消え、この場にはアリアとキアンの二人だけになった。
キアンは、アリアの耳に視線をやった。
「……その耳飾り、似合ってるな」
「うん、お気に入り」
「そうか――」
キアンは己の出自を語った。己が宰相の息子であり、オフィーリアが義理の妹であること。そして、
「父はこの国を認めていないのさ」
己の父の野望を口にし始めた。
「仕組みもそうだが、この国に住まう人たちの心も、な」
アリアは首を傾げた。
「出てけばいいじゃん」
キアンは笑った。
「世の中には気に入らないものに対して、二つのアプローチをするやつがいるのさ。一つはお前みたいに距離を置こうとするやつ。二つ目は、気に入らないものを変えようとするやつ。あの人は後者なんだよ」
「迷惑すぎる」
「正直よく分からないんだ。俺からすると、少なくともあの人の口から出る言葉、理想に、心惹かれないといえば嘘になる。初めは特にそうだった。だから言われるまま、王子に近寄った。だが王子に接していると分からなくなった。今ではどっちも正しいように思えてきて、どうすればいいか迷ってる」
「好きなの選べばいいじゃん。好きな正義を選ぶだけだよ」
「選んでしまえば取りこぼすものもあるだろう。俺はそれを決めきれないでいるんだ」
王子か、妹か。キアンはどちらかを選ぶという決断をずっと先送りにし続けている。
「王子は、俺のことを敵だと気づきながらもそのまま近くに置いてる。決して鈍感なんかじゃなくて、敏感な人なんだ。前に理由を聞いたら、『僕に期待を寄せる者を誰一人として無下にするつもりはない』ってさ。俺は自身の小ささを思い知らされたよ」
アリア目を閉じると、少し考えてから口を開いた。
「――私は、自由が好きなんだよね」
「それは知ってるが」
「でも自由が好きってより、強制されることが嫌いなんだよ」
キアンにはアリアの言おうとしていることが分からない。
「目の前の別れ道に対して、右に行くか左に行くか、そんなことに悩むことが間違ってる」
アリアの表情が少し和らいだ。手まで動かして、語りだした。
「どうして自分で自分の選択肢を縛る必要がある? 立ち止まってもいいし、後ろに歩いても、一度右に行った後に戻って左に行っても良い。本当の自由ってのは、自分で選択肢を用意出来ることなんだよ」
逆に、強制されるというのは、自分で選択肢を用意出来ないことではないか。
「今の貴方は、窓ガラス越しのような四角の視界に、選択肢が二つだけ用意されて、それのどちらかを選ぶというだけの自由しか与えられていない。でもそんなものは自由じゃない。真ん中に道を作るのも、右も左も巻き込むほどの大きな道作ってもいいはず」
アリアは、月を見上げた。
「私は自由でありたいのだけど、制限を嫌ってるわけじゃない。だって自由でなければいけないというのも制限だし、制限だって楽しんでやりたい。制限だって好きに選んでやるんだ」
そうでなければメイドなんてやろうと思わなかった。自由というのは制限の中にあっても生存出来る。
そう考えるとアリアは不足を感じた。
(今やりたいことを強い意味で見つけたい)
全ては人生を楽しむために。仮そめの、他人に与えられた目標でも社会が用意したものでもない自分が自分で決めた目標。
人が人らしく生きていくためのもの。人が求めるもの。嫉妬さえもするような何か。
例えば、空を飛ぶ鳥かもしれないし、丸一日寝ている猫かもしれない。しかしあれこれ考えていくと、結局人間が一番自由な気がしてきた。自然の中で生きるのではなく、自然を作り変えてきた生き物だ。このような自由な生き物が他にいただろうか。文明の発展とは、まるで世界を創造するようなもので、その創造こそが自由な気がした。
(だとすると一体何を……?)
何かを生み出している感覚はアリアにはなかった。飛ばした紙飛行機が気ままに進むような道のりだった。一体どこに着地しようとしているのか。着地するとどうなるのか。何も分からない。ふっと、足元が、地面に本当に立っているのか確かめたくなるような不安さを感じた。
そんな考え込んだアリアに、キアンは微笑んだ。
「ありがとう。助かった」
「え?」
アリアには意味が分からなかった。
「お前のおかげで悩みが少し晴れた。答えが見つかったわけじゃないが、まだもう少し足掻いてみせるさ」
アリアは目を丸くした。
アリアは、ふいに師のことを思い返した。物事には点と点が繋がるようなことがある。座学や剣の修行を通して教えてくれたものが、今繋がった。
(そうか――)
アリアは理解した。師が自分に与えてくれたことは、選択肢を選べる力だった。剣はその為のものだった。『困ったら祈れ』とそう教えられたことを思い出す。悩むと祈るは違う。純粋な祈りとは、信じることだ。己の欲を願うこととはまったく違う。そして、この場合の信じるとは、剣だ。己の未来を切り開くための剣。この剣はそういう剣なのだ。
アリアはやるべきことがはっきりと分かった。己の歩んだ道こそが創造であり、他者もまたそうなのだと。他者の道を導くのも手助けするのも娯楽だろう。
「剣を抜いて」
「は?」
「決して身構えてはいけない。もちろん怯えてもいけない。怯えれば怯えた分だけ血を流すことになる」
「おい、一体何の話だ――」
アリアは少し距離を取ると、月を見上げた。
「良い月だ。悪くない」
アリアはキアンに向き直ると、左手の甲に唇を付けた。淡く青白い光溢れ、刀が現れる。
「これは、迷いどころか過去も未来も、果ては暗雲や月光でさえも斬る剣。困難に当たる姿勢さえ間違わなければ、惜しむものを失うことはない」
アリアは構えた。
キアンは息を呑んだ。
アリアの構えた姿、そこから感じるは、まさしく剣身一体。
まるで拝みたくなるような祈りたくなるような美しさに、キアンは異を唱える気をなくした。
応えるように剣を構えると、美しいものが振り下ろされた。
――斬られた。
その感覚は間違いなくあった。何かが通り過ぎた感覚。
薄れる意識。月を見た。
「ははっ」
美しすぎるってのも考えものだった。手を伸ばしても到底届きそうにない。まるで月の様なやつだった。それにしても妙に清々しかった。何か良いことが起こりそうな気もした。