TS剣客少女(闇)は、乙女ゲームの世界で自由気ままに生きる   作:さえぐさ

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第57話 開戦 2/2

 形容するのならそこは地獄の底だった。

 兵士の悲鳴が各所で上がり続けている。

 味方の悲鳴は士気を下げ、敵の士気を上げる。

 一方的な展開に、戦場は半ば狩り場と化しており、双方の指揮官は想定外の状況にどう判断すべきかを迫られた。

 当然、形勢不利な方が難しい判断を下さなければならない。

 そんな予断を許さない状況下で、イザベラは唖然としていた。指揮官としてはあってはならないことではあったが、理解を超えた状況に頭が付いてこなかった。

 

 ――何を間違った?

 

 これまでに非があったとは思えない。とはいえ、何時までも固まっているわけにはいかない。亡者の群れのような民兵の集団がいずれ来る。

 

「姉さん! 早く――」

 

 その弟の声もイザベラに届いてはいた。それでも思考は動かなかった。思考そのものが腰を下ろしたままで、動こうとしない。上空からぼんやりと自己を見下ろしているような感覚。現実を理解することを拒んだ。

 

 ――一体、何だっていうんだ。

 

 馬鹿が勝手に突っ込んで、勝手に負けてきた。その場で滅びれば良いものを、ケツに火を点けて戻って来る。周囲を延焼し尽くすことで消火を図っているらしい。水と一緒に罵倒の言葉をかけてやりたいが、それすらも危うい。

 

「っ姉さん! 指揮を!」

 

 思考の霧が少しずつ晴れてくる。

 意識が上空から地上に降りてくる。

 

「――っ僕が代わりに」

 

 ヘルマンが収拾をつけようと指示を出そうとした時、イザベラは唐突に勘所を掴んだ。

 

「待て――」

「っえ?」

「あれはそのままでいい」

「でもっ、それじゃあっ!」

 

 あの猛烈な勢いをそのまま受け止めるのは無理がある。固く守るなり、いなすなり、どうにかしなければいけない。だがそれが問題の解決にならないことをイザベラは理解していた。持久戦はもはや頭にない。敗北を避けるには、ここで敵を滅する以外にはないと悟った。

 

「存分に喰わせろ。取り立てるのはそこからだ」

「……あいつらを囮に使うってこと?」

「ああ。全滅してもらうくらいがいい。何なら生き残りはこっちで処理したっていい」

「それだと、その……」

「――当初の予定は既に破綻している。であれば敵を大きく減らし、数的有利を形成することで、向こうを動けなくする。そう考えればあのゴミ共の弱さは良い餌になる。ほら、敵の兵どもを見てみろ。勇猛と言えば聞こえがいいが、抑えがきかなければ獣と違わない。――獣には獣用の罠を用意してやる」

「……なるほど」

 

 ヘルマンは戦士の顔に戻った。

 姉の言葉を実現させるために頭が回転する。

 

「じゃあ、慌てて立て直そうとする風に偽装する感じでいくよ」

「ああ。あの様子であれば、存分にノッてくれるだろう」

 

 考えさえまとまってしまえば、イザベラは笑みを浮かべる余裕すら出てきた。馬鹿が馬鹿をして、その馬鹿の代償に命を支払わされる喜劇である。心底痛快だった。

 

 ――それにしても良い逃げっぷりだ。

 

 地獄の底で行われる亡者の狩りに、二足歩行の餌たちは逃げ惑うしかない。逃げる彼らからすれば、助けを求めても味方から軍が出てこない以上、味方の方まで走るしかない。別の方向に逃げた者はすぐに刈り取られている。生き延びるには『自分ではない誰かへ』と祈りながら、集まって走るしかなかった。

 そうやって走る兵士たちの目に、追い討ちのような絶望の光景が映った。

 味方が後退していく姿。兵士たちからすれば安全が遠のいていく感覚だった。皆、見捨てられたと思い、限界を超えて走った。足がもつれ、転倒する者が続出した。その際に周りを巻き込むことも起きた。だがそれでも走るしかなかった。

 

「好機だ!」

 

 その情けない姿に、追う民兵たちは勝利を確信して我先にと走った。体力の温存もなにもない。ここで追い続ければそのまま勝ちだと、天から教えられた気分だった。

 しかし、その後方では、

 

「――速度を落とせっ」

 

 との号令が出ていた。しかし効果はなかった。戦場の喧騒にかき消され、届いていない。

 さらには、領主軍も一緒になって突撃していた。慎重を保っていたのは、エリオットたちの騎士のみ。

 ハーヴェイは何かを察知した。

 

「……これは、良くないかもしれません」

 

 エリオットは頷いた。

 

「僕も、似たことを思った。何か嫌な予感がする」

 

 とはいえ、少なくとも現状は押しに押している。しかしそれゆえに指揮は機能不全に陥った。戦果を広げることにしか軍が動けていない。

 敵の狙いは未だに掴めていない。けれども、そのまま勝とうとはしている。

 薄気味悪い感覚が不安を呼ぶ。

 エリオットは不安の要因、その欠片を見た。

 

「そう言えば、何か、向こうの中央が後退してるような」

「――っ」

 

 ハーヴェイは、焦りと困惑を表に出した。

 

「あいつらやりやがった! 味方を全滅させてもいいってのか!?」

 

 餌に気付いたハーヴェイ。嵌められた衝撃とその戦術の非道さに、心を激しく揺らされた。

 

「囮とはいえ、味方を全滅させることも厭わないとは……」

 

 ハーヴェイの頭に最悪の地図が描かれた。

 とても褒められた戦術ではない。味方殺しの汚名なんて一顧だにしないやり方。敵の軍容は両端が伸び出し、追われる味方ごと閉じ込めるように包囲陣形を形成しようとしている。

 

「駄目だ……」

 

 ハーヴェイは味方を止める術が思い当たらなかった。

 追っている兵士は敵の背中ばかり見ている。現場の指揮官も、中央軍が諦めて下がったように見えているようである。ここで停止の銅鑼を叩いても届くかどうか。兵士が中心ならまだしも、民兵が多いこの軍が上手く止まれるとは思えない。却って混乱を生む可能性の方が高い。しかし見捨てれば全てが終わる。

 

「……あの深追いした軍は喰われます。どうにかして被害を抑えるべく、退かせるしかありません。――あの都市の時に上手くいかなかったことを、今回は成功させる必要があります」

 

 ブリーズウッドの時は、民兵を退却させに行った結果、逆に民兵が猛って攻撃してしまった。

 

「しかも今回のほうが難易度が高い……」

 

 あの時と決定的に違うことは、今回の敵は魔物ではなく人間であるということ。押すか引くかだけの動きではない。しっかりと作戦に作戦を合わせてくる。何より一番まずいことは、敵が王子エリオットという個人の重さを理解していること。ハーヴェイは相手の戦術に恐ろしさすら感じた。

 

「何故、あそこまで思い切ったことが出来る? ……味方だろ? 実は政敵とかそういうことなのか?」

「ハーヴェイ、今は――」

「っ申し訳ありません。すぐに――」

 

 ハーヴェイは騎士を動した。

 包囲を妨害すべく、騎士を二手に分けた。

 対峙するイザベラはその動きを余裕をもって見ていた。

 

「まあそうするだろうな。敵はうちの包囲の両端を抑えに来るぞ」

「じゃあ、作戦通りで?」

「ああ。真ん中のゴミ共の役目はもう終わりだ。あれを引きずり出せたのであれば充分だ。ここまでたどり着いた者がいれば敵前逃亡で処せ。追ってる敵の意表をつけて得するやもしれんぞ」

 

 号令を飛ばす。

 

「――まずはエサに喰らいついた素人共を片付けるぞ! 本物の刀槍の味を教えてやれ!」

 

 両端の軍の進撃が止まると、内側に向かって狭まっていった。狭まる壁に、中にいる領主軍や民兵たちは圧迫された。

 数としては罠にかけられた兵の方が多かったが、彼らは皆疲労していた。敵を屠るべく、全力で前進して武器を振るってきた彼らの疲労が軽いわけがない。結果、後退する本陣を追い詰めようとさらに足並みを早めたところを挟撃された形になった。

 混乱が起こる。

 

「まずい! 止まれ止まれ!」

「しかし――」

「横からっ」

「とにかく止まれ!」

 

 足を止めたら止めたで、兵たちは疲労に追いつかれた。呼吸の感覚が思い返され、身体が極度の疲労を訴えた。回復する間は当然ない。強敵の逆襲である。

 領主軍も民兵も、疲労困憊中に包囲されている上、地力で負けている相手が出て来られてはまともに戦うことが出来なかった。猛烈な速度で減っていく。

 戦況の変化に、領主軍からたまらず退却の銅鑼が鳴り響いた。

 その銅鑼の音に、イザベラは歓喜した。

 ここが勝負の決め時だと、新たな号令を飛ばす。

 

「――我らも出るぞ!」

 

 トドメと言わんばかりに、中央から最精鋭の切っ先が突っ込まれた。

 三叉のフォークのように軍が変容した後、逐次、両端の軍と合流していき、やがて一つの杭、大きな奔流となった。その勢いは増し続け、堰を切ったような激流となって、何もかもを飲み込んだ。流れるのは水ではなく血である。空間ごと押し流した。

 

「――そんなっ」

 

 エリオットの嘆き。

 ハーヴェイは己の判断が間違ったことを悟った。

 包囲の妨害のために出した軍は空振りになった。薄くなった自軍に対し、敵は一本の杭。このままでは中央が破られることが予見された。

 

「とにかく騎士を戻します」

 

 戻そうとしている騎士の位置的には、相手を挟むことが出来る。だが、無駄であることは明らかだった。あの勢いであれば、摩擦で消し飛ばされる。

 必要なのは、退却してくる軍のための空間を作ること。そしてその軍を立て直すための時間を作ること。

 いなせるような衝撃力ではないが、何とかするしかない。

 ハーヴェイは軍の陣形を変えた。

 

「力を分散させます」

 

 策としては難しいものではなかった。

 堅固な陣をいくつか作ることで、敵のまとまりを複数に枝分かれさせ、勢いを殺す。流れる濁流に対し、岩を複数配置していくような形。

 これで全部上手くいくとはハーヴェイも思えなかった。しかしそれでも細かな戦術で挽回していくしかない。

 また、希望もあった。

 敗北すら斬り払ってしまえる程の個人の武。その置き場は、軍の最先端。死地も死地。一番初めに敵の衝撃を受け、周囲に散らす役割。

 

「無茶な役割だが、それでも――」

「斬れないものはありませんので」

 

 淡々としたアリア。決死の表情とは程遠く、いつもと変わらない。

 

「まぁ、なるようになるでしょう」

 

 追われる味方を犠牲にして作った時間で、陣形が間に合った。

 最先端に立つアリアは口元を緩めた。

 

 ――ちょっと惜しいな。

 

 敵を見据えると、そんなことを思った。

 よく訓練された兵士たち。個ではなく、集団でよく動けている。これを作り上げるには一朝一夕ではない。それなりの時間、それなりの労力、そして才覚が必要だったはず。金で買えるものではない。

 それを今から斬ることになる。

 

 ――まずは味見。

 

 激流の如き杭の先端が、アリアに届いた。

 何者も阻むことは出来ないはずの猛烈な勢い。その圧力が集約されたその先端は、人を屠るには過剰すぎるほどの力があった。

 

「なっ――」

 

 勝利を確信していたイザベラは、予想外の光景に驚愕した。

 綺麗に割かれる軍の姿。

 滝が一つの強固な岩により、枝分かれするように、くっきりと二又になった。

 刃の上に飛び乗ったが如く、斬り裂かれている。摩擦を感じさせない鋭さで、水流に紅色を混ぜている。

 

「なんだあれはっ」

 

 人智を尽くし作り上げたこの状況に、異を唱えられる者など、もはや人ではない。最大の衝撃が割かれた影響で、勢いが次々に殺されいく。土壌ごと吹き飛ばす水流が、浸水程度に抑えられてしまった。

 しかしそれでも戦闘能力には差はあった。混戦は望むところ。状況も圧倒的有利。吹き飛ばすような破壊力こそなくなりはしたが、浸透するように兵が入り込んだおかげで、王子を狙えることになった。事実、敵はその浸水を止められていない。

 

 ――大丈夫だ。これは勝てる。

 

 イザベラは勝利を再び確信した。

 傍らのヘルマンも安堵の様子を見せた。

 

「……勝ったみたいだね」

「予想外なことはあったが、勝利には違いない」

「王子を捕らえることが出来ればこれ以上の戦果はないと思うけど、どうする?」

「狙えるなら狙いたいが、敵もそれだけは阻止するだろうな。無理はよそう」

「初撃が上手く決まっていれば狙えたのに」

「戦場では予想外のことは起こるものさ。――王子を狙う素振りを見せて、出血を強いるくらいでとどめよう」

「――分かった。じゃあ前で指揮を執ってくるね」

「ああ、任せたぞ」

 

 イザベラは弟を見送った。信頼と安心。そこには絆がある。功績も充分である。

 

「この軍さえあれば何だってこなしてみせるさ」

 

 欲をかいて失敗するなんて許容出来ない。この精強な兵士が減れば、また同じ軍を作り上げるのにどれだけの時間と労力がかかることか。欲を出さずに、勝ちは勝ちとして確保する。文句を言うような阿呆はもうこの世にはいない。まだ死んでいなかったのならば始末するだけ。

 

 ――ん?

 

 イザベラは唐突に何かを感じた。胸騒ぎに近い何か。まるで、危険地にいるのにその危険に気付いていないような不安。

 

「……何だ?」

 

 にわかに軍の侵入速度が落ちた。

 

「いや、止まったのか?」

 

 抵抗する兵が明らかに増えていた。考えられるのは一つ。逃げた兵の戦闘の再参加。

 

「……まさかあんな逃げ方をしたやつらが直ぐに立て直せたとでも?」

 

 この速さは、偽装退却でもなければあり得ない復帰の仕方だった。しかし、あの負けっぷりは本物だった。疑いようもない。

 だというのに、復帰した兵の士気が異様に高い。

 

「うおぉぉぉ!」

「王子ぃぃぃ!!」

 

 エリオットの周囲に、民兵と領主兵が詰めかけていた。

 民兵たちは体験として学んでいた。一度経験したことだった。自分たちが退却した後に、王子が罠をかけて挟み込んだ時のこと。

 領主軍も、エリオットの活躍が広まっていたおかげで知っていた。何より領主が信奉者だった。そして今、英雄譚の再演が行われようとしており、その参加券を手にしていることに気付いた。

 結果、敗走を途中で切り上げ反転するやいなや、敵に攻撃を仕掛けた。

 ただの偶然でしかなかったが、領主軍も民兵たちも同じように深追いし、同じように反撃を試みることになった。

 勢いと勢いがぶつかり合い、停滞が生まれた。

 この停滞は劇的な効果をもたらした。

 最先端の刃に自由を与えることになった。敗北を斬り払う必要がなくなり、勝利の道を斬り拓くために動けるようになった。刃の切っ先が、勝利を求めて揺れた。

 

 ――指揮官は。

 

 停滞をどうにかしようと叫んでいる一人の男が刀身に映った。

 

 ――あいつだ。

 

 意識が分散する戦場において、己の存在を希薄にすることは造作もないことだった。

 

「いざ――」

 

 

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