TS剣客少女(闇)は、乙女ゲームの世界で自由気ままに生きる 作:さえぐさ
一振りだった。
ヴェイルモントは剣を肩に置くと、呆れた様子で言った。
「――おいおい、俺は政治の輩じゃない。こっちが本職だぞ」
肩口から血を流し、倒れるアラスター。
ざわめきが起こる。
ヴェイルモントは心外そうに言った。
「よもや、俺を軽く見てはいなかったか?」
返答の代わりに、床から音が鳴った。
拳を床に打ち付け、執念で起き上がるアラスター。
「ここで、こんな負け方を、するわけにはっ――」
老体とはいえ、鍛えた体。そして不屈の魂。
仮初めではなく、本物の戦士がそこにいた。
感心した様子を見せたヴェイルモントだったが、渋い顔になった。
「……やはり惜しいな。時とは残酷なものだ」
言葉と衰えを吹き飛ばすように、アラスターは気力を見せた。
「さあ、――来い!」
構えを取るアラスター。
意思強く頑強なれど、枯れ木の最期のような弱さがあった。
「さすがというべきか。立派な戦士の手向けに相応しい一振りをやろう」
宣言後すぐに、ヴェイルモントは剣を振り下ろした。
先ほどは防ぐことすら敵わなかった一振りだったが、アラスターは合わせてみせた。
「――二度同じものが通じるように見えたかっ!」
そこまで老衰していないと、アラスターは力強く弾いた。
少し驚いた様子のヴェイルモントは、軽く目を伏せた。
「これは失礼した。絶技をもって、謝罪としよう」
居合のような構え取ったヴェイルモント。
踏み出しとともに、横薙ぎにした。水面の上を滑るような、なめらかな斬撃。
アラスターは直前に似たようなものを見ていたこともあって、軌道を読んで剣を置くようにして防いだ。違うことと言えば、剣圧だった。
防いだアラスターの重心がずれる。修正する動作の直後に、逆からの横薙ぎが到来する。アラスターは床を後ろへ蹴り避けると、すぐに踏み出した。
渾身の振り下ろし。
防がれるも、その力強さに、ヴェイルモントの身体をよろめかせた。
「――素晴らしい。あれを防ぐやつはいても、反撃に転じるとなると片手で数えるほどだ。……だが限界のようだな」
アラスターは自身の放った振り下ろしの反動に耐えられず、無理やり重心を前に向けために、そのまま前のめりに倒れた。
アラスターの連れてきていた騎士たちが叫ぶ。
ヴェイルモントは止めを刺さずに、敬意を示した。
「――肉体の限界だな。その歳にくわえ、血も流していれば無理もない。称賛に値する動きだった」
ヴェイルモントはそう告げると、アラスターを置き去りに、アデレードの方に歩いていった。
「待てっ、儂はまだっ」
振り返ったヴェイルモントは、驚きを表に出した。
もう立ち上がれないと思った男が、立ち上がって剣を構えていた。
「――見事」
ヴェイルモントは不義を恥じ、義を果たそうと剣を振り上げた。
最期の一撃。
ヴェイルモントの想う、最も尊い瞬間だった。
が、
「おっと」
到達する前に、横からの乱入者により中断させられた。
「貴様! 戦士の最も崇高な時間を邪魔するな!」
ヴェイルモントは乱入者に叫んだ。
叫ばれたアリアは意に介していない様子で、
「でも、どちらかと言えば邪魔者はそっちなんだよね」
と、誰もが忘れていた正論を言った。
この隙に、アラスターの身体を騎士たちが急いで退がらせた。
ヴェイルモントは、その様子を気に入らなさそうに見た。
「……お前は生きながらえることが最上だと思っているタチだろう。だが人生とは、己の意思を賭して燃えるように生きていくものなのだ。お前のような矮小な価値観で邪魔をするな」
殺気を浴びたアリアだったが、平静を崩す様子はない。
「斬った斬られたってだけなのに、大げさにし過ぎじゃない?」
「お前には想像も出来ないだろう。剣を己に見立て、剣だけが己の全てだとする人生を」
「それは結構だけど、そこに崇高とか何か変なのくっ付けるの変だよね」
「……お前には分からんのだろうな。その髪の色、聞いているぞ。所詮は頭でっかちの思想だ。罠に掛けてほくそ笑むのがお前の人生だ」
「ああ、そうだね。罠に掛けるのはたしかに好き。馬鹿を馬鹿にしてる時ほど楽しい時もそうそうない。――ああ、そう言えば『助けて殺さないで』って泣きながら命乞いしてきた無様なやつがいたな。名前は、……忘れたけど、お前の剣筋に似通っているものがあった」
アリアはある人物をほのめかした。
ヴェイルモントにとっては、それが事実であるかどうかは問題ではない。確かなことは、アリアが挑発していること。そして、戦士の誇りというものに泥を投げつけているということ。
「……お前も殺害するように言われていたことを思い出した。趣味ではないが、戦士を貶すお前には、――泣きながら命乞いさせる最期を迎えさせてやろう」
アリアは嘲笑で返した。
「――泣く間もなく、命乞いする間もなく、葬ってやるよ」
アリアが殺意をあらわにした瞬間、ヴェイルモントはベネディクトの誤解に気付いた。
「ははっ、そういうことか!」
むせ返るような血の臭気。
ヴェイルモントの戦士がそれを嗅ぎ取った。
「血に塗れた剣士め! よくも隠し通せたものだ!」
ヴェイルモントにとって、アラスターは素晴らしいご馳走だった。不満は、時が経ちすぎていたことくらい。しかし、その後に出てきたのは予想外のさらなるご馳走。アラスターが疲弊していた理由も理解した。
「素晴らしい。お前は俺にとって、この国のどんな宝より価値がある存在だ」
「えぇ……、砂糖を吐き出すくらい甘い言葉に殺意乗せられても……」
「問答はこれくらいにしよう。――いくぞ」
ヴェイルモントの袈裟斬り。
「っと」
受け流したはずのアリアの姿勢が揺らぐ。
アリアの想定外もあった。見ただけじゃ分からなかったことだった。
「なるほど」
これまでに受けた剣の中で最高の剣圧だった。これではアラスターでは相性が悪いだろうと思った。
「さあ、次も受けてみろ!」
居合のような構えからの横薙ぎ。
一撃目を逸らし、二撃目を退いて避ける。
「よく観察していたな! だが次は、どうだ!」
言葉の終わり際からの突き。
速度充分なれど、受け止めるには重過ぎる一撃。
アリアは横に避けた。
が、ヴェイルモントは、アリアが避けた方向に身体をねじって旋回した。
後ろに避けるだけの時間的余地はない。しかし受けきるには、身体の重さが足りない。
そこでアリアは、身体を大きく逸らし、その最上部に剣の滑り台を用意してやり過ごした。
「おっとっと」
立ち上がったアリアは、ゆらりと揺れた。
ヴェイルモントはその様子を見て、重心が崩れていないことに気付いた。
「なるほど。受け型の剣士か」
「気のせいかもよ」
「いや、捌き方の癖が出ている。相手の隙に乗じる余地を必ず残そうとする動きだ」
「へぇー、よく見てる。――弟子にも教えてやればよかったのに」
「この道とは、究極的なところでは自己探求だと思っている。その手助けはしても強制はせん」
アリアは少し肩透かしだった。
「その結果死ぬことになったのに?」
「命を燃やしているのだ。どこでその火が消えるかなぞ考えるに値せん。考えるのはどこでではなく、どういう消え方をするかだけだ」
「刹那的だなぁ。まあ、分からなくはないけど」
アリアは相手を認めた。
「美味しいものを堪能するのも、毛玉に埋もれるのも、こういうのを楽しむのも、どれもそう大きくは変わらない」
攻撃の意思が表に出てくる。
「巷にいるような、剣に理想を抱いてるやつは見えていない。人斬り包丁に恋をして執着してるだけに過ぎないのに、それをさも崇高だと信じてる。もしくは、必死にそう思おうと人生かけて努力してる。人生の主体は剣ではなく自分自身であることを忘れたものが掲げる理想なんて、下手くそが無駄に改変したクソまずい料理のようなもの。そういうやつは煽り散らかしてやるって決めてる」
アリアは剣の腹を指先でなぞると、ヴェイルモントに向けた。
ヴェイルモントは期待に沸いた。
「いい歪み具合だ。斬り甲斐がある」
斬り合いとは会話である。差があれば一方的になるが、差が縮まれば縮まるほどやり取りの応酬となる。
アリアは突きを放った。雨粒を貫き通すような一撃。
その一突きだけでヴェイルモントは大きく飛び退り、踏み込まれないように剣を振って間合いを維持した。
ヴェイルモントは、期待を疑問にして口にした。
「お前、――水を斬れるな?」
「そんなん誰でも斬れるでしょうよ」
「言っていることが分からないはずがない」
確信があった。
「俺がその域に到達したのは二十の後半頃。最強を背負った時だ」
ヴェイルモントには、一刻も早くこのやり取りを再開したいという思いもありながらも、このやり取りを最高のものにするために剣ではなく言葉を振るった。
「たゆまぬ研鑽、数多くの実戦。積み上がる勝利は逆に恐ろしさを生むことになった。俺は前人未到の頂にたどり着いてしまったのではないか。その疑念が恐ろしかった。この先何を目指せばいいのかと、剣を握れなくなるほどに苦悩した」
ヴェイルモントは、長剣に映る自分を見た。
「たどり着いたのは、斬るが斬らない剣。それが成った時、俺は世界最強の称号に興味がなくなった。ただ飽きないように工夫するようになった。己とは違った武を見たい。そう願うようになった」
視線をアリアに戻すヴェイルモント。
「……お前がもう少し早く誕生していれば良かったが、お前の成長を待っていると俺が老いる。これではどうにもならん」
アリアは首を傾げた。
「よく分かんないけど、その先とやらを見せて貰おうかな」
仕掛けた。
再び、突きを放つアリア。
払うヴェイルモント。
アリアは次の動作に移れなかった。剣から伝わる衝撃に、力が流された。
「――気張れ!」
ヴェイルモントの踏み込み。
対処しなければ、致死確実の斬撃。
アリアは何とか腕を動かし、剣を割り込ませるも、
「っ」
剣が折れた。
即座に距離を取る。
「……やるね」
速度充分。衝撃は流せない。弾くことも流すことも出来ない剣圧。受ければ、剣が折れるか、身体ごとすっ飛ぶ。
「――剣を折られたのは二度目かな。たしかに舐めてたかも」
「仲間に剣を貰え。待ってやる」
「あ、もう負けるつもりないんだ?」
「初めからだ」
「そう」
アリアの目が、細く薄められた。
「――奇遇だ。案外気が合うね」
「ん?」
「一応聞くけど、ここで果てても悔いはないって言える?」
「当然だ。俺はやるべきことをやっている。その上で死ぬのであれば本望以外にない」
「そう――」
アリアの空気が変わる。
風に揺れる葉擦れ、流水のせせらぎ。研ぎ澄まされた刃。
「水を斬るというのは入口に過ぎない。それは他の道に行くということではなく、単純にその先があるということ。――識るといい」
左手から青白い光が溢れ、太刀が現れる。
人という刃。寒々とした静けさ。異質を異質と認識出来ない不可解さ。そこには美があった。
「この剣、阻めるものなど、あろうはずがない――」
ヴェイルモントは視認出来なかった。
ただ、生存本能が身体を動かし、その一撃を防いだ。
息を呑む間すらなく、銀色の煌めきが見えた。
太刀筋など到底見えない。ただ煌めきに合わせて、通り道に、剣を置いた。
斬り滑るような聞いたことがない音が鳴ったかと思えば、また勝手に体が動く。刃が身体をかすめ、ヴェイルモントはようやく自身の命が損ずる寸前だったことに気付いた。攻撃に移らなければならない。その思考の間隙に刃が割って入ってきた。全てを取り止め、回避だけを行う。
だが、舞う血飛沫に、自分が斬られたことを知る。
事態を把握しようと、相手を凝視しようとしたその時、高く掲げられた剣に、月を見た。
天下無双の剣。そんなものを目指した若い頃を思い出した。修練と屍を積み上げていけば、いずれ天に近づくだろうと夢想した。だが、その天に斬られることになった。
「っ――」
月に線が入り、天が割れる。
ヴェイルモントは倒れゆく最中、幸福に満ちた。
――この世でもっとも美しいものを見た。
地面の衝撃も、周囲のあれこれも、何も感じない。ただ称賛と幸福だけがあった。抜け行く生命よりも、もっと崇高なものがあった。
「俺は、これを見るために生きてきたのだろう。見えただけでも、天に手を伸ばした甲斐があったというものだ……」
暗闇に染まり行く中、煌々と輝く半月がその存在を主張していた。
それは、死に見惚れてしまうくらいに、美しかった。