澄んだ水色の空に、ほのかに知らない花の香る空気が肌をなでそよぐ。
柔らかい陽の光に包まれて心地よい暖かさの制服を揺らした。
始業式を終えて、下ろしたてであろう皺の少ない制服を着た生徒たちに混じり下校する。
「最高学年という立場になったことを自覚して襟を正しましょう。」
学年が上がったことで何か変わることがあるのだろうか。教壇の上の教職員の言葉をそんなことを思いながら聞いていた。よくわからない。それが率直な感想だ。でも、トリニティの制服に身を包んだまま居られることに、それを実感して、なぜかとても安心したのは覚えている。
ヒフミとふたり、学校からの帰り道。いつものお菓子屋さんの前に行くと、店先のショーケースの中に見慣れないものが並んでいた。
桃色の筒状のものに、深い緑色の葉が巻かれているこぶしくらいの大きさのもの。
その葉の形状も、記憶を辿ってみてたけど食べられる野草に該当するものは思い当たらない。
「ヒフミ、これは何だ?」
傍らに居る友人へと問いかける。
「アズサちゃん、これはですね」
私の問い掛けに対してすぐに答えてくれるヒフミに目を向けた。
横顔の優しい表情と、淡く綺麗なふわりとした髪。そこへ柔らかい光が覆って、それがとても眩しくて、頼もしさを感じる。
「桜餅というお菓子ですね」
「さくら……?」
聞いたことがある、この季節に薄い桃色の花を咲かせる広葉樹の木だ。
「そうなんです!百鬼夜行の伝統のお菓子なんですよ!」
私と同じような姿勢でショーケースを覗き込むヒフミは、目をキラキラとさせ、葉に包まれた桃色のお菓子に熱心に見つめていた。
「その…………さくら、を使ったお菓子なのか?」
トリニティに来てからケーキやマカロン、さまざまなお菓子を食べた。けれども今目の前にあるソレは、色もそこまで鮮やかではなく、あまり甘くもなさそうだ。
「はい、そうなんですよ!葉っぱはもちろん桜のものですし、花びらを使っているのでピンク色なんです!」
「葉や花を食べるのか」
葉を食べるのは非常時に飢えを凌ぐためだ。決して嗜好品などではない。まして、花を食べる。そのことに理解が及ばなかった。
それに……そのことを知ったら、彼女は。アツコはどんな反応をするだろうか。
ふと、そんなことが頭に過ぎる。
みんなは今頃どうしているだろうか。
「葉っぱは食べない人いますけど、お餅の部分は花びらっていう感じじゃなくて、香りがふわっとするというか……」
少し遠くに馳せた意識を、隣で私に向かってジェスチャーを込めて説明しようとしているヒフミに戻す。
「ヒフミは食べたことあるのか」
「はい、小さい頃にいちど。アズサちゃん、興味ありますか?」
ヒフミが笑いながら問いかけてくる。食べたいとは思わないけど、興味は。と、問われると……という逡巡していると、ヒフミはくるりとカウンター側に向きを変えて
「店員さん!この桜餅ふたつ下さい!!」
と手を挙げながらそれを元気よく注文した。
◇
「そういえばアズサちゃんは、桜を見たことありますか?」
例のお菓子を包んでもらってお店を出た後、どこか遠くを見ながらヒフミがそう尋ねてきた。
アツコからの話で聞いたことはあったけど。
「そういえば、見たことないな」
「それじゃあ、せっかくなので見に行きましょう!!」
そういうや否や、ヒフミは私の手を引いて走り出した。
こんな感じで、少し強引に、私の前をヒフミが進むこと。それがとても頼もしくて、安心できて、心地よくて好きだ。
そうやって街から離れ、しばらく走る。郊外を流れる川が近づいてくるにつれて、街で感じた少し甘い香り、それを薄っすらと感じるようになってきた。
川裏から堤防に上がる階段へと差し掛かった時、ひらひらと数枚の花弁が私に向かって舞い落ちる。
そのうちの一枚が鼻先を掠める。それを後方に見送りながら階段を上っていると、引かれていた手が、それ引いていたヒフミの足も止まっている事に気がついた。
止まった先に視線を戻そうと、首を進行方向に戻すと、
視界が桃色と水色で埋まった。
そして。
「アズサちゃん」
私の方に振り返りながら、満面の笑みで両腕をいっぱいいっぱいに広げたヒフミ
「これが桜ですよ!!」
桜を見ることもなく、私の方へ振り返り満面の笑みを浮かべて、どうしてこんなにも嬉しそうなのか。
でもすぐに、そんな事は気にならなくなった。
私もとても。とっても嬉しかったから。
河川敷に続く桜の並木、そよ風に揺られた枝。そこからはらはらと花弁がヒフミの周りを舞い、少し斜めから差す陽が麗かに彩っていた。
私の瞳は、そんな光景をただ、ただ、鮮明に映していた。
◇
「おいしいですね!」
そう言いつつ、先程買った桜餅をおいしそうにもぐもぐと頬張るヒフミ。
私の口の中にも同じものが入っていた。
それが甘いのかそうでもないのか。なんだか分からなくなってしまっていた。
ただ、柔らかく包まれるような香りを、かなり近くで感じたように思う。これが桜の味。いやそれとも香りなのか。
こんな感触、アリウスでは感じたことなかったな。と、そう思ったときにふと、サオリたちの顔が思い浮かんだ。
以前ヒフミから聞いたことがあった。“モモフレンズショップ”があるエリアでサオリと思われる人物の噂をよく聞くようになったと。
なるほど、サオリなら上手くやっていけているのだろう。
そうだ。彼女たちは彼女たちの道を歩み始めてる。だったら、心の隅に浮かんだ心配。それは些細な杞憂に終わるだろう。
そんなもの思いに耽りつつ、ヒフミの方に目を向ける。
「今度はみんなで来ましょうね、アズサちゃん!」
“みんなで”か。
「……アズサちゃん?」
私の頭の中には、補習授業部の教室でヒフミ、ハナコ、コハルの四人でいる光景が映る。
「そうだな、みんなで」
私たちは私たちの道を
「行こう、ヒフミ」
私は立ち上がりヒフミに手を差し出す。
「はい!行きましょう!」
眩しいくらいの彼女の笑顔を見ると、この道が前に続いていくことを確信できる。
たとえ道が交わらなくとも。
ヒフミの手を引き、私は歩み出す。
彼女たちもきっと。
私たちと同じように歩みを進めているから。
桜餅の色を実際の桜を使った色って勘違いしてるヒフミってかわいくないですか。