テイマー   作:しぃすけ

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2025/04/06

 

  野生児テイマー 捨ておっぱいを拾う[#「野生児テイマー 捨ておっぱいを拾う」は大見出し]

 

 闇を司りし魔神カラボス。

 ◇

 

  〈プロローグ〉[#「〈プロローグ〉」は中見出し]

 

 ――二千年前、世界全ての生命を巻き込んだ、神々の戦いがあった。

 

 闇を司りし魔神カラボス。

 その軍勢は、闇より生まれし魔物(まぶつ)よって構成されていた。

 ゴブリン、オーク、ミノタウロスなどの蛮族や、スケルトン、ゴースト、デーモンなどの生死の境界すら曖昧な者どもが集った、禍々しい軍勢だった。

 

 対するのは、光を司りし女神ニューリア。

 その軍勢は、母なる自然より生まれし聖物(せいぶつ)によって構成されていた。

 精霊や人間。エルフ、ドワーフをはじめとする亜人種。そして、グリフォン、ユニコーン、ドラゴン、オオカミ、ライオン、ヘビ、鳥、昆虫、魚――空陸海、数多のビースト(動物)が女神の旗の下へ集った。

 

 争いは永く、果てしなく続き、多くの魔物(まぶつ)が塵へ還り、多くの聖物(せいぶつ)が血を流し骸となった。

 

 戦いの果てに、多すぎるの同胞の死に胸を痛めた女神ニューリアは、自らを犠牲にして最期の光を放った。

 

 光は瞬く間に大地を満たし、瞬く間に闇の軍勢を滅ぼした。

 

 そうして世界は平穏を取り戻し、女神が守り抜いた大地は『ニューヴァリア』と名を改められた。

 

     

 だが、力を使い果たした女神ニューリアの体は六つに分かれ、世界中へと散らばった。

 

 

 

 ――それから二千年。

 

 

 

 女神ニューリアの体は未だ、発見されていない。

 

 

 ◇

 

 月夜が照らす草原を、逆立ったオレンジ髪の少年が死に物狂いで駆け抜けていた。

 

「うおおおおおおおおおお‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ 一体何が起きてんだよぉぉぉぉぉーーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 背後にはゴブリン、スケルトン、オーク、コボルト、ハーピィ、ゴーストなど……付近に出現しうるあらゆる種類の魔物(まぶつ)が集い、一斉に“彼ら”を追い立てていた。

 

「おいお前! 本当に何も知らねぇのかよ!」

 

 少年は元々鋭い目付きをさらに細めて、自身が右手に抱えている“彼女”に問いかけた。

 

「知らないって言ったじゃないですか! 気がついたら追いかけられてたんですから‼︎‼︎」

 

 彼女は、その外見からはまるで想像できない、年頃の少女のような声で抗議した。

 

「つーかそもそもお前、一体何の生き物なんだよ!」

 

 ――そう、少年が小脇に抱える彼女は、人間ではなかった。

 それどころか、聖物(せいぶつ)なのか魔物(まぶつ)なのか、それすら皆目検討がつかなかった。

 

 彼女は姿は例えるなら、メロンくらいの大きさの饅頭を、横並びに二つくっつけたようなフォルムをしていた。

 その上、皮膚の色や体温――なにより、少年の腕に吸い付くような質感と、どこまでも沈み込んでいきそうな夢心地の柔らかさは、人間の――更に言えば女性の――“とある部位”に瓜二つだった。

 

 

 ――彼女は“おっぱい”だった。

 

 

 本来なら、その付け根についているべき女体はないが、とにかくそれはおっぱいだった。

 

 

 この日、ビーストテイマーの少年、ジュモ・オレンジバックは拾ったのだ。

 

 ――世にも奇妙な、喋るおっぱいを。

 

 

  〈第一節 ジュモ〉[#「〈第一節 ジュモ〉」は中見出し]

 

 多くの生命で満ち溢れ、天高く伸びた木々がどこまでも広がる『オルバ大森林』。

 何人たりとも踏み入れることを許されない大自然であるが、今日に限っては、招かれざる客人達の姿があった。

 

 深緑色のフードを被った人間の男が五人ほど。皆一様にニタニタとした笑みを浮かべながら森の出口へと向かっていた

 

「ギャハハ! さすがお頭、まさか本当にフォレストドラゴンの赤ん坊が手に入れるとは! こりゃ当分酒代には困りませんなぁ!」

 

 男の一人が大声で捲し立てると、「お頭」と呼ばれた先頭の男が振り返り、喋り出した男の頭を叩いた。

 

「馬鹿野郎、でかい声出すんじゃねぇ。他のビースト(動物)に気づかれるだろうが」

 

 一行の頭目の小脇には、小動物が閉じ込められた檻が抱えられていた。

 

『クルルゥ……』

 

 檻の中で不安げに鳴き声を漏らしたのは、山羊のように渦巻いた角を生やし、苔のような深緑色の鱗に覆われた四つ足の竜――フォレストドラゴンの赤子だ。

 

 男たちはビーストハンター。希少な動物(ビースト)を密猟し、時には貴族の愛玩動物として、時には武具の素材として売り払うロクでなしたちだ。

 

 フォレストドラゴンの鱗は、磨くことで翡翠の宝石のような輝かしさを持つため装飾品としての人気が高い。

 それ故に、乱獲によって個体数が減ることのないよう、捕獲や狩猟は厳しく禁じられているが、実際には、彼らのようなビーストハンターが捕獲し、裏ルートで売買されることも多いのだ。

 

 だが、フォレスドラゴンの子供は、将来森の長になる存在として森中のビーストに守られながら育つ。

 だからこそ、赤子が攫われたという事実に、ビーストたちは気づき始め、森は次第に騒がしくなっていく。

 

 ――そして、この事態にいち早く気づき、ハンターたちを追っている者がいた。

 

「見つけたぜ、クソ誘拐犯どもが……‼︎」

 

 木の上から遠くに見えるハンター達を見下ろすのは、逆立ったオレンジ髪と凶悪な目付きが特徴の少年、ジュモ・オレンジバックだ。

 

 素肌の上から発色のいいオレンジのベストを羽織り、だぼついたベージュのサルエルパンツを金属製のベルトで締め上げた身軽そうな出立ちは、まるで曲芸師や大道芸人のようだ。

 だがそれとは裏腹に、額には小さな二本角の鉢金が。手足には鋼が鈍く光る、無骨なガントレットとレガースがそれぞれ身につけられており、ジュモが旅人であり『冒険者』であることを物語っていた。

 

「待ってろよ、フォレストドラゴン……!」

 

 ジュモは吹き抜ける風の如き身軽さで木から木へと飛び移り、ハンター達への距離を詰めていく。

 

「お、お頭、何か近づいて……」

 

 ――だが、時既に遅し。

 

 

 ドシーーーーーーーン‼︎‼︎‼︎

 

 

「ぎゃああああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 地鳴りとともに一人のハンターが悲鳴を上げる。

 

 砂埃が晴れると、そのレガースでハンターを踏みつけたジュモの姿があった。

 

「なっ、なんだてめぇ!」

「何もんだ!」

 

 どよめくハンターたちを、射抜くような視線でジュモが睨む。

 

「そいつは森の宝だ! いいからさっさとその赤ん坊を返しやがれ‼︎」

 

「調子に乗ってんじゃねぇ!」

 

 ハンターの一人が咄嗟に、ナイフでジュモに襲いかかる。

 

 だが、不意打ちだったにも関わらず、ジュモは目にも止まらぬ速度で、男の腕を捻り上げていた。

 

「痛ででででで‼︎」

 

 そして、べきり、と無慈悲な乾いた音が森に木霊する。

 

「テメェっ‼︎」

 

 別の男が襲いかかるが、ジュモはそれをいとも容易く躱すと、男の顔面を殴り抜く。

 

「ぎゃべっ!」

 

 地面に倒れ伏した男を踏みつけながら、ジュモは再びハンターたちを睨みつける。

 

 年齢にして十五、六だろうか。ジュモの幼さの抜けきらない顔立ちとは裏腹に、その溢れ出る気迫にハンターたちは気圧されていた。

 

「ひぃっ……」

 

「な、なんだよこいつ……!」

 

「なにガキ一人に何ビビってんだ! さっさと殺せ‼︎‼︎」

 

 頭目が怒号を飛ばすと、残ったハンター達もナイフを抜き、一斉にジュモへと襲いかかった。

 数にして四人。それも、その全員が生き物を狩ることに長けた手練れだ。

 

「その程度かよ!」

 

 ――だがジュモは全く怯まず、ハンターたちの背丈よりも高く跳び上がると、軽やかに後ろへ宙返りをした。

 そしてその勢いで、背後にあった木の幹を蹴って反動を得ると、次の瞬間にはガントレットに包まれた両拳でハンターたちを殴り飛ばしていた。

 

「グベッ‼︎‼︎」

「ゴフッ‼︎‼︎」

 

 声にならない悲鳴を上げ崩れていくハンター達には目もくれず、ジュモは身を捻りながら跳び上がると、ムチように鋭い蹴りを放った。

 

「ぎゃばッ‼︎‼︎」

「げはッ‼︎‼︎」

 

 そうして、一瞬のうちに取り巻きは全て倒され、残るのは頭目だけとなった。

 

「おいクソ人間、さっさとその赤ん坊を返しな。そいつはてめぇの汚ねぇ手で触れていいもんじゃねぇ」

 

「く、くそ……“獣人”みてーなデタラメな動きしやがって……」

 

 獣人――人間とビースト(動物)の身体的特徴を併せ持つ、稀有な種族である。

 その最大の長所は、ビースト由来の驚異的な身体能力と人間由来の技巧が合わさった、無類の肉弾戦の強さである。

 頭目はジュモの戦い方に、獣人の“それ”に通ずるものを感じていた。

 

「ちっ、クズ人間の癖に勘だけは冴えてるな」

 

「なんだと……?」

 

「これ以上は教えてやらねぇ!」

 

 ジュモが頭目へと迫る。

 

 だが、勝ち目がないことを悟った頭目は、躊躇いなく抱えた檻の隙間からナイフを差し込むと、ドラゴンの赤子に当てがった。

 

「動くな! 一歩でも近づいたらこいつの命はねぇぞ‼︎‼︎」

 

『くるるぅ……』

 

 檻の中で、赤子が声を振るわせると、ジュモは足を止めざるをえなかった。

 

「ド腐れ野郎が……!」

 

 そんなジュモの様子を見て、頭目はほくそ笑む。 

 

(やはりだ……! こいつはこのドラゴンを守りたがっている……!)

 

「そうだ……分かったらそのまま両手を上げて後ろに下がれ……」

 

「ちっ……」

 

 ジュモは頭目を睨みつけながらも、引き下がっていく。

 堪えているが、内心ではとっくに怒り心頭だった。

 

(クソムカつく野郎だ……今すぐにでもぶちのめしてやりてぇぜ……だが今最優先するべきは、あのガキの命を守ってやることだ)

 

「そうだ、それでいい……。いいか、俺が森を出るまでそこから動くんじゃねぇぞ……!」

 

 やがて、ジュモとの十分な距離が空き始めたことで余裕が生まれた頭目は、ジュモを挑発するかのように話はじめた。

 

「一つ聞くぜ! お前親が……それも、“育ての親”が獣人だろう?」

 

 その言葉にジュモは目を見開く。

 それは、頭目の話した内容の、そのほとんどがジュモに当てはまっていたことを示していた。

 

「やっぱりな……。ビーストハンターやってるとなぁ、お前らみたいなのをごまんと見るんだよ! 人間から除け者にされた獣人に育てられた、孤児のガキをな!」

  

「テメェ……‼︎‼︎」

 

「おっと……動くなって言ったよなぁ……!」 

 

 ジュモが頭目に飛び掛かろうとすると、わざとらしくナイフを赤子に近づける。

 

 ――だが、この行動が頭目の命運を尽きさせる最後の一手となった。  

 

「やっぱり、テメェみたいなクズは生きてちゃいけねぇ……」

 

「あぁ? だからどうした。こっちにはドラゴンのガキが――」

 

「(争いにこの力はなるべく使いたくねぇが……、わりぃなみんな、力貸してもらうぜ……)」

 

「あ? 一人で何ブツブツ言って――」

 

「みんなーーー‼︎ あいつを狙えーーー‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 ジュモが叫ぶと、身体が一瞬オレンジ色に光り、そして、何十本もの細い光が放たれた。

 ジュモから飛び出した光は、まるで何かに導かれるかのように、それぞれ別の方向へうねりながら飛び去って行く。

 

「な、なんだ⁉︎」

 

 魔法の類かと思い頭目は身構えるが、光が頭目の体を掠めても、ほのかに暖かいだけで、痛みは全くなかった。

 

「こけおどしか……!」

 

 頭目が安堵したその時。

 

 

『『『グルルルルルォォォォォォォォォォ‼︎‼︎‼︎‼︎』』』 

   

 

 森のあらゆる方向から一斉に聞こえてきた遠吠えや唸り声が、頭目の鼓膜を揺さぶった。

 

「こ、今度はなんだ!」

 

 そして、ジュモの呼びかけに応えるように、小鳥が、リスが、シカが、イノシシが、サルが――巨大な蝶が、ツタの生えた亀が、翼の生えたネズミが、翠色の狼が――森のビースト達が一斉に顔を出し、頭目を取り囲んだ。

 

 ビーストたちは皆一様に、ジュモから放たれた淡いオレンジの光を、その身に纏っていた。

 

「い、一体……な、何が起こって……ぐわっ!」

 

 動揺する頭目の腕を小鳥が啄むと、頭目はたまらずナイフを取り落とした。

 

「しまった!」

 

 咄嗟にナイフを拾おうとするが、今度はそれをリスが攫って行く。

 

「ま、待てっ! それがなければっ……!」

 

 そしてとどめとばかりにシカやイノシシのビーストが頭目へ飛び込んでいき、容易く吹き飛ばされた頭目は、抱えていた檻をついに手放した。

 

「ぐああああーー‼︎‼︎」

 

 そこへジュモが駆けつけると、宙に放り出された檻を受け止める。

 

「――っぶねぇ! よーし、今檻から出してやるからな!」

 

 ジュモが元前の怪力で、檻を壊そうとするが、よほど頑丈に出来ているようでびくともしない。

 

「力自慢の奴! 誰か手を貸してくれ!」

 

『ウホゥ!』

 

 ジュモの呼びかけに応じたストレングス・モンキー(怪力猿)が容易く檻をひしゃげると、中からドラゴンの赤子が元気よく飛び出してきた。

 

『くるるっ!』

 

「よーし、元気そうで安心したぜ! あとは……」

 

 ジュモの視線の先では、ドラゴンの赤子という人質を失い、一目散に逃げ出そうとする頭目の姿があった。

 

「クソッ! クソッ‼︎ あのガキまさかビーストテイマー(動物使い)だったなんて……! いや、それにしたって一度にあれだけの動物(ビースト)を操るなんてできるわけがねぇ! 一体どんな手を使って……ぐあっ!」

 

 先回りして待ち構えていたバインズ・トータス(蔓陸亀)の伸ばしたツタに足を取られ転倒した頭目は、ついに大木を背にして追い詰められた。

 

「どうやら鬼ごっこも終わりみてぇだな」

 

 ジュモの言葉を合図にするように、ビーストたちが今にも頭目の喉笛を噛みちぎらんとにじり寄っていく。

 

「ま、待て……! アンタ、ビーストテイマーなんだろ⁉︎ 俺がマークしてるとっておきのレアなビーストの生息地全部教えてやる! だからこのビーストどもを追っ払ってくれ! だからなあ! 命だけは助けてくれよ!」

 

 頭目の言う通り、希少なビーストの情報は価値のあるものだ。ひょっとすれば、その交渉を聞き入れるビーストテイマーもそれなりにいるだろう。

 

 ――だが、頭目にとって不幸だったのは、頭目のような、ビーストの命を軽視している人間こそが、ジュモが最も嫌っている人間であり、その点で言えば、先ほどから頭目はずっとジュモの地雷を踏み続けていることだった。

 

「…………くっっっだらねぇ」

 

「は……?」

 

「くだらねぇって言ってんだ。そんなモンになんの価値がある」

 

「か、価値ってそりゃ…………」

 

こいつら(ビースト)は生まれた場所でいつだって必死に生きてんだ。それをレアだの価値だのてめぇら(人間)の都合で手出ししやがって!」

 

「畜生が! てめぇにさえ見つからなけりゃ上手くいったのによぉ……!」 

 

「森中のビーストたちが『ドラゴンの赤ん坊が悪い人間に攫われた』って大騒ぎしてるんだ、そいつは無理な話だぜ」

 

「ビーストが騒いでた……だって……? 一体、何の話をしてやがる。それじゃあまるで――ビーストの声でも聞こえるみたいじゃねぇか」

 

 ビーストと心を通わせ従えるビーストテイマー(動物使い)といえど、自身でテイムしたビーストの感情が大雑把かつ感覚的に分かるくらいで、その言葉までは分からないのが普通だ。

 

 だが、ジュモは違った。

 

 ジュモはビーストたちを見渡し、答える。 

 

「――ああ、聞こえてるぜ。 みんなお前をぶちのめしたがってる」

 

 ジュモは、物心ついた時からビーストたちの声を聞くことができた。

 故に、頭目に向けられた無数の鳴き声も、ジュモにはこう聞こえていた。

 

『悪イ奴‼︎』

『余所者、追イ出ス!』

『敵ダ……』

『喰イ殺セ‼︎』

 

 それはビーストたちの怒りの意思だった。

 

「さっさと殺しちまおうとも思ったが、こいつの処遇は森のボスに決めてもらう。それでいいよな」

 

 ジュモがビーストに呼びかけると、ただ一人頭目だけは顔を蒼白させた。

 

「ボス……だって…………?」

 

 すると、ジュモは何も言わず、指で上を指した。

 頭目も、恐る恐る首を上げる。

 

「あ……ああ……」 

 

 頭目の視界に映ったのは、自身を殺さんばかりの視線で自分を覗き込んでいる、巨大な首長のドラゴンだった。

 

『グオオオォォォ』

 

 ドラゴンが嘶くと同時に、頭目が寄りかかっていた巨大な木が“宙に浮いた”。

 

 頭目が寄りかかってた木。その正体は誘拐された赤子の親――森の主である、フォレストドラゴンの前足だったのだ。

 

 頭目はもはや、なすすべなどなかった。

 

「どうやら、てめぇの処遇は決まったみたいだな」

 

「あぁ……あぁぁぁぁぁ…………‼︎」

 

「あばよ、クズ野郎」

 

「ぎゃああああああ‼︎‼︎‼︎」

 

 頭目が最後に見た光景は、自分を押し潰そうと迫り来る、ドラゴンの足の裏だった。

 

 

 

  〈第二節 おっぱいに出会う〉[#「〈第二節 おっぱいに出会う〉」は中見出し]

 

 

 ずしーん、ずしーん、ずしーん。

 

 遥か遠くまで広がる平原をフォレストドラゴンの巨大な脚が踏みつけていく。

 

 その苔むした大きな背中の上には、オレンジ髪のツンツン頭の姿があった。

 

「いやあ〜悪いな、乗せてもらっちまって」

 

 背中にはリュックサック、お腹には助けた赤子を抱きながら、あぐらをかいて座るジュモ。

 口では遠慮しつつも、ちゃっかりくつろいでいるのであった。

 

 ビーストハンターとの騒動の後、ジュモは赤子を助けたお礼に、半日ほどの間、フォレストドラゴンの背に乗せて貰い、旅路を進んでいた。

 

『オマエ、我ガ息子、助ケテクレタ。感謝スル……』

 

『アリガトウ! ニンゲン!』

 

「おう、次からは攫われないようにお前も強くなるんだぞ?」

 

『ウン! ツヨクナル!』

 

『ニンゲン、進ム方向ハ、合ッテイルナ?』

 

「ああ大丈夫だ。ちゃんと“北”に向かってる」

 

 ジュモ達の住む世界、その唯一の大陸『ニューヴァリア』。

 ジュモはこの広大なニューヴァリアの最北端にある都市、『聖都』を目指す旅人だった。

 フォレストドラゴン達の住む、オルバ大森林に訪れたのはその途中でのことだった。

 

「もうすぐ日が落ちる。送ってくれるのはここまででいいぞ」

 

『ム? モット運ンデモイイガ?』

 

「ありがとな。……でも、夜は危ねえからな。帰りに襲われでもしたら大変だろ?」

 

『……ソレモソウダ』

 

 ジュモの言う通り、ニューヴァリアの夜は恐ろしい。

 なぜなら夜になれば、闇から生まれし異形の怪物――魔物(まぶつ)が現れるからだ。

 

『デハ、土産ニ、私ノ鱗ヲ持ッテイケ』

 

 ドラゴンが体を震わせると、ペリリと鱗が一枚剥がれ落ちた。

 

「いいのか?」

 

『ウム。コノ鱗ニハ価値ガ有ルノダロウ?』

 

 ジュモは鱗の金銭的な価値には微塵も興味がなかったが、この鱗がドラゴンにとって大切な体の一部であることは理解していた。

 

『気ニスルナ、貴様ハ恩人ダ』

 

「そういうことなら、遠慮なく貰ってくぜ」

 

 ジュモは拾った鱗を後ろ腰のポーチにしまうと、森へ帰っていく親子を見送った。

 

「達者でなーー‼︎」

 

 やがて、母親の背の上から手を振る子供の姿がら見えなくなると、ジュモはまた北へと歩き出した。

 

 ◇

 

 ジュモが移動を続けていると、やがて夕日が沈みはじめた。

 

「さて……今日も野宿の準備だな」

  

 ジュモは辺りで一番背の高い木の上に登ると、木の周りを飛び交う二匹のコウモリたちに声をかけた。

 

「おーい、ちょっといいかー?」

 

『ニンゲン?』

『ニンゲンダ!』

 

 ジュモが危険な人間でないと本能的に察したのか、すぐにコウモリたちが近づいてきた。

 

「俺が寝てる間、何かあったら起こしてくれないか?」

 

 ニューヴァリアでは夜になると魔物が現れるため、旅をするならば夜の見張りは必須である。

 そのため、一人旅は可能な限り避けるというのが鉄則だが、ビーストテイマーであるジュモは、見張り番を夜行性のビーストに頼むことができるのだ。

 

『ワカッタ! 起コス!』

『何カ! アッタラ!』

 

「よーし、頼んだぞ!」

 

 ジュモがコウモリに手をかざすと、手のひらから光の線が二本飛び出した。

 

 ビーストハンターの頭目を追い込む際にも見せたこの光は、ビーストをテイムする際に放たれる光――『共鳴の糸(リンクライン)』である。

 

 共鳴の糸(リンクライン)が弾かれず、無事吸い込まれればテイム完了の合図だ。

 それにより、そのビーストとより高度に心を通わせることが出来るようになり、テイマーの能力に比例して、ビースト自身の能力も強化される。

 これこそがテイムである。

 

 そしてその光は、二匹のコウモリへと難なく吸い込まれていった。

 

「じゃ、おやすみ」

 

 ジュモはそれを見届けると、巨大な木の枝に寝そべるようにして眠りに落ちた。

  

 ◇

 

「ぐごお〜〜、ぐがあ〜〜」

 

『『オキロ! オキロ!』』

 

「んが……!」

 

 ジュモが眠りについてから一時間ほど。イビキをたてながら爆睡するジュモの周りでコウモリたちがなにやら騒ぎ始めた。

 

「……何があった!」

 

 ジュモは瞬時に飛び起き辺りを見渡すと、地面を移動する妙なものを見つけた

 

 

「あん? なんだありゃ……」

 

 ジュモの視線の先では、緑色の小さな光が二つ、同時に跳ねるように移動していた。

 

「ビーストの目か……? それともホタルの光か……?」

 

 目を凝らしてみるが、起きたばかりで暗闇に慣れていないジュモの目では光の正体は判別できない。

 

『知ラナイ! ナンダロ!』

『モチモチ! プニプニ! ウゴク!』

 

「はあ? プニプニだぁ……?」

 

 コウモリの要領を得ない説明に、ジュモはさらに首を傾げた。

 声が聞こえるからといっても、如何せん知能はビーストのままのため、よくあることだ。 

 

「こりゃ、自分で確かめるっきゃなさそうだな……」

 

 ジュモは軽々と木から飛び降りると、足音を消して移動する光へと近づいていく。

 

 

 ぽよんっ ぽよんっ ぽよんっ ぽよんっ

 

 

 そんな擬音が聞こえてきそうな跳ね方で、確かにモチモチプニプニの何かが動いているのが見えた。移動の方向から察するに、ジュモが今見ているのは“何か”の背中側であり、光は前側から出ているようだった。

 

 その“何か”はよく見れば、球体が二つ隣り合ったような形をしていた。

 

「なんだありゃ、珍しいスライムか……?」

 

 スライム――言わずと知れた、ゼリー状の体に饅頭のようなシルエットを持つ、代表的な|魔物の一種である。

 

 実際、ジュモは球体が二つ横並びになっている、双子のスライムを見たことがあった。 

 ただし、ジュモ知る限り、体の一部が発光するスライムには覚えがなかった。

 だが、住処や構成素材の違いにより無数の種類がいるスライムのことだ、未発見の種がいたとしても不思議ではない。

 

 好奇心が抑えきれなくなったジュモは、ついに目の前のスライムもどきを、がばりっ! と後ろから掴みあげた。

 

「きゃあああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 すると、突然聞こえてきたのは少女の悲鳴だった。

 

「のわあっ! なんだぁ⁉︎」

 

 驚いたジュモは、たまらずスライムもどきを宙に放りだす。

 すると、スライムもどきは空中で反転し、ジュモの顔目掛けて飛びついてきた。

 

「このっ! 不埒もの‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 つんざくような少女の悲鳴が再び聞こえてくる。

 そして、この状況から、ジュモは一つのE "ありえない”仮説に行き当たった。

 

「もがっ! もががっ‼︎(まさか……こいつが喋ってんのか⁉︎ ……いやいや、スライムもどきが喋るなんて、そんな馬鹿な話があるわけねぇだろ⁉︎⁉︎⁉︎)」

 

 それを聞けば、多くの者は「ビーストの声が聞こえる男が何を言うか」と思うだろうが、ジュモが驚いているのには理由があった。

 

 ジュモがビーストと会話をする際は、ビーストが実際に発しているのは鳴き声だが、それと同時に人間の言葉に翻訳されて脳内に響く、という仕組みで成り立っている。

 

 しかし、今スライムもどきが発した少女の声は、念話ではなく、直接ジュモの鼓膜を振るす形で聞こえていた。それ故にジュモは驚いたのだ。

 

 そしてジュモは、スライムもどきを引き剥がそうとする最中、さらなる疑問に苛まれた。

 

 

 ぷにゅん、もにゅん、もみゅっ

 

 

(なんだ……? こいつの体……スライムのくせに妙にあったかい……。それに弾力もあるような……)

 

 出現する地域によって種類が変化するスライムだが、特有のぬめりとした体はどの種類にも共通している。

 

 だが、今ジュモの顔に伝わっているのは、柔らかい弾力の何かに挟まれているような感覚と、心地の良い体温だった。

 

(この感触、まるで――――)

 

「ぶはあっ‼︎」

 

 ジュモは力任せに、顔にはりついたスライムもどきを引き剥がす。

 そしてジュモは、ようやくスライムもどきの正体を見た。

 

 

 

「………………は?」

 

 

 

 ジュモに張り付いていたのは、おっぱいだった。

 

 

 スライムではなく、おっぱいだったのだ。

 

 

 そのたわわな乳房の付け根の先に本来あるべき女体はなく、メロン大の巨大な饅頭を、横並びに二つくっつけたような奇怪な外見ではあるが、それはやはり、おっぱいとしかいいようがなかった。

 

「い、いやいや……そんなわけ……」

 

 ジュモは動揺のままに、おっぱいを両手でわし掴んで左右に引っ張ってみるが、不思議なことに左右の乳房が二つに分かれることはなく、その谷間が少しばかり深くなるだけだった。

 

(確かにこの構造なら左右にちぎれねぇ分、独りでに行動しやすいな――)

 

 気が動転するあまり、もはや逆に冷静である。    

 そしてジュモは、スライムもどき――もとい、おっぱいもどきの乳房の先端。いわゆる乳首にあたる部分が、まばゆい翠色に光っていることに気づく。

 

 そう、ジュモが見た光の正体は、乳首から放たれていた光だったのだ。

 

(なんだこの光? これじゃ魔物に見つかりやすくなるだけで、乳首が隠せてる以外に利点がねぇんじゃ……?)

 

 気が動転するあまり、妙な冷静さを発揮するジュモ。

 それでも尚、おっぱいを揉み続ける手は何かに突き動かされているかのように止まらない。

 

 

 もにゅり、むにゅり、ぶるるん、もにゅ――

 

 

「――いい加減揉みしだくのを辞めなさーーーーーーーーーい‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 

 雷でも落ちたのかと、錯覚するほどの怒声にジュモは正気を取り戻した。

 

 ジュモはとりあえず、肺の空気を全て吐き出しながら叫んだ。

 

 

「おっぱいがしゃべったあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

 

 その衝撃はジュモの体を突き動かし、気づけばジュモは、渾身の力でおっぱいを天高く放り投げていた。

 

「きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

 

 めちゃくちゃな力で放られたおっぱいは、ジュモのはるか前方へと飛んでいってしまった。

 

「しまったあああぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」 

 ジュモは夜空に輝く乳首の光を頼りにおっぱいの着地点に滑り込むと、間一髪で受け止めた。

 

「あっぶねぇ……!」

 

「いきなり何するんですか‼︎」

 

 おっぱいは、身を捻ってジュモの手からすり抜けるとジュモに抗議を始めた。

 

「おっぱいが喋ったら驚くだろうがよ‼︎‼︎」

 

「おっぱ……!」

 

 おっぱいは、自身がおっぱいと呼ばれたことに動揺したようだった。

 

「それよりも! 問題なのはあなたが大きな声を出してしまったことです! どう責任とってくれるんですか‼︎」

 

「あぁ⁉︎ さきに叫んだのはそっちだろうが! 大体、ちょっとでかい声出したところで近くにいた魔物が何体か集まるくらいだろうが!」

 

 普通の人間やビーストであれば、その“何体か”が命取りになるのだが、既に無数の修羅場を潜り抜けてきているジュモにとってはその程度問題ではなかった。

 

 

 ざりっ、ざりっ

 

 

 そんな矢先、何者かが地面を踏みしめる音が聞こえてくる。

 

「はぁ、仕方ねぇ、いっちょやるか……」 

 

 ジュモがガントレットを構えながら足音の方向を向くと、魔物共通の特徴である真っ赤な目が暗闇で光っていた。

 

 

 ――――それも、おびただしいほどの数が。  

 

 

「おいおい……随分話がちげぇぞ……?」  

 

 そのおぞましい光景に、ジュモは思わず身震いした。

 

 聞こえる足音はあっという間に数十を超え、『ギャルル……』と、人でもビーストでもない。“異形”のうめき声が無数に聞こえてくる。

 

 まず姿が見えた魔物は、子供ほどの背丈に濁った緑色の皮膚、ギラついた瞳をした小鬼――ゴブリンだ。

 そして次々にスケルトン(骸骨)オーク(豚頭人)コボルト(犬頭人)などが地面を埋め尽くし、空にはゴースト(霊体魔)ハーピィ(半人半鳥)がひしめいていた。

 

 ――その異様な集まり方はまるで、何かに誘い出されているかのようだった。

 

「……おい、お前なんか知ってるのか?」

 

「……奴ら、私を執拗に追いかけてくるんです! ようやく撒けたと思ったのにあなたのせいで見つかってしまったではないですか!」

 

「あぁ⁉︎ だから先に悲鳴上げたのはそっちだろうが!」

 

「いきなり背後から掴み上げられたら誰だってああなります!」

 

「そんな珍妙な見た目してるから気になっちまったんだろうが! なんでおっぱいの癖に喋ってんだ! 一体何なんだお前は!」

 

「それが人に質問をする態度ですか! 貴方、非常識で無礼ですよ‼︎」

 

「喋って動くおっぱいがジョーシキどうこう言ってんじゃ――――」

 

 

『ギャアッ‼︎』

 

 

 会話を遮るように飛び込んできたゴブリンが、おっぱいに向かって棍棒を振り下ろす。

 

「きゃあぁぁっ‼︎」

 

 武器はおろか、腕すら持たないおっぱいに成すすべはなく、ただ体を伏せることしかできなかった。

 

 

   

 ガギンッ!

 

 

 

 甲高い金属音が森に響き渡る。

 おっぱいがおそるおそる体を起こすと、ガントレットでゴブリンの攻撃を受け止めるジュモの姿があった。

 

「っぶねぇ……。油断してんじゃねぇぞ、このおっぱいが」

 

「貴方、どうして……」 

 

「どうしてもこうしてもあるか。お前がビースト(動物)かも知れない以上、俺は助けないわけにはいかねぇ。いや、違うな――やっぱりお前はビーストだ」

 

 それが当たり前だと言わんばかりのジュモに、彼女は問いかけた。

 

「貴方は――足も、翼も、尻尾もない。こんな私を見てなお、私をビーストだというのですか……?」

 

 彼女の言う通り、その姿はビーストには決して見えない。

 そのあまりにも奇怪な見た目は、ジュモが初め、彼女をスライムだと勘違いしたように、多くの者にとっては魔物に見えるだろう。

 

 ――だが、それでもジュモは、彼女をビーストだと言った。

 

「まさか、そのナリで人間だって言い張るんじゃねぇだろうな。俺は人間が嫌いなんだ。マジで言ってんならこっちにも考えがあるぞ」

 

「い、いえ、そうではなく……!」

 

「――なら!!」

 

 ジュモは棍棒を跳ね返すと、ゴブリンのガラ空きになった腹に鋭い蹴りを放った。

 

『アギャッ!』

 

 急所を的確に蹴り抜かれたゴブリンは、他の魔物を巻き込みながら大きく吹き飛んだ。

 そして、体はたちまち黒い霧となって跡形もなく消えてしまった。

 

 これこそが、魔物にとっての死だ。

 

 闇が形を持って生まれた彼らの終わりには、一片の肉体すら残らず、それ故にそれを弔う同胞すらいない。

 

 だからといって、魔物が己の定めを嘆くわけもない。

 当たり前だ。魔物には、心なんてものはないのだから。

 

 それを十分に知っているからこそ、ジュモは問う。

 

「――お前は死んでも欠片ひとつ残らない、血も涙もない魔物か?」

 

「――それは。――それだけは違います」

 

 彼女はきっぱりと言い切った。

 その言葉には、断固たる意思が宿っていた。

 

 その様子を見たジュモがニッと笑う。

 

「生き物は魔物か、人間かビーストか。そのどれかに当てはまる。俺みたいな野生児のガキだって知ってる常識だ。――なら人間でも、魔物でもねぇお前はきっと……いや、間違いなくビーストだ」

 

 ――だから、助ける。

 

 包囲していた魔物が一斉に襲いかかってきてもジュモは一歩も引かず。

 彼女を左腕で抱え込むと、迫るオークを踏み台にして大きく飛び上がった。

 

「きゃあっ!」

 

「荒っぽくなるぜ! ちゃんと捕まってろよおっぱい!」

 

 すると、ジュモの腰に巻かれた鋼のベルトがほどけだし、後ろ腰の一点を軸にして垂れ下がる。

 その様はまるで、ジュモに尻尾が生えたようだった。

 

橙猿の尾(モンキーテール)‼︎」

 

 ジュモの声に応じてベルトは正面の木に向かって勢いよく伸びていき、高い位置の枝へと巻きついた。

 

「すごい! ベルトが何倍もの長さに……!」

 

「まずはここを突破するぞ!」

 

 ジュモは枝を支点に、体を振り子のようにスイングさせ勢いよく空中へと飛び出した。

 

「上から魔物がきます! ……三体‼︎」

 

「わかってらぁ! 剣虎の爪(タイガークロー)‼︎」

 

 今度は右腕のガントレットから三本の鉤爪がせり出し、空から迫るインプ(魔妖精)を切り裂いた。

 

「その武器は一体……!」

 

 次から次へと変形していくジュモの武器におっぱいは驚いた。

 

「獣形装(ビースティック・アームズ)絡繰武具だ。なに、これだけの魔物の数だけ、これから嫌でもこいつの活躍を見ることになるぜ」

 

 行手を阻む魔物を切り払いながら、ジュモはニヤリと笑った。

 

 ◇

 

 それからというもの、一度は魔物の包囲網を突破したジュモ達だったが、魔物の勢いは衰えず、彼らはなおも草原を全力で駆け続けていた。

 どころか、数を減らしたと思っても新たな魔物が合流してくるため、追手の数は増える一方だった。

 

「ハーピィが来ています! 五時の方向!」

 

「あ? えーと五時っつーと……あっぶね‼︎」

 

 ゼリルの指示に首を傾げていると、魔物から放たれた空気弾がジュモの頬を掠めていった。

 

 ジュモは振り向きざまにハーピィのいる方向へ向かってベルトを振るうと、ベルトは鞭のようにしなり、魔物を吹き飛ばした。

 

「おい! 五時の方向ってなんだよ! 訳わかんねぇ指示するな!」

 

「ひょっとして、時計の針に準えて方向を示す方法を知らなかったですか?」

 

「……パザラめ、教え忘れやがったな」

 

「パザラ? どなたですか?」

 

 ゼリルが聞き返す。

 

「なんでもねぇ。だがなるほど、そういう方法があるんだな! 教えてくれてありがとよっ……!」

 

 ジュモは、不満をぶつけるかのように、正面に回り込んできたコボルトへと、渾身のかかと落としを見舞った。

 

 街ごとに一つは必ず設置されている時計。――その文字盤を基準に方向を示す方法は、街の学校に通った者なら誰もが知っている。

 だがジュモの育ての親である、獣人のパザラは、ジュモにそれを教え忘れたらしい。

 

「……次から魔物が来たら「後ろ」とだけ言ってくれりゃ、それでいい」

 

「でも、それでは情報が不正確になってしまうのでは……?」

 

「それくらい勘でどうにでもなる」

 

「勘⁉︎ 信用していいんでしょうね⁉︎」

 

「まあ見てろ。それにしても次から次へとキリがねぇ……! つーか、この異常な集まり方、明らかにお前を狙ってるだろ! お前、本当に一体何なんだよ⁉︎⁉︎」

 

 好転しない状況に、ジュモはいよいよ不満をぶつけた。

 

 

「……そんなの、私だって知りませんよ‼︎」

 

 

 だが、不満を抱えていたのは彼女も同様だった。

 

「はあ⁉︎」

 

「何も覚えていないんです! 目が覚めたら洞窟の中にいて、やっと洞窟を抜けたと思ったら奴らに追いかけられてたんですよ‼︎‼︎‼︎」

 

「覚えてないだぁ⁉︎ 冗談はそのおっぱいだけにしやがれ‼︎‼︎」

 

「ああ! また私をおっぱ……下品な呼び方をしましたね!」

 

「おっぱいはおっぱいだろうが! おっぱいをおっぱいって呼んで何が悪い‼︎」

 

「私だって好きでこんな見た目なわけじゃないんですよ! だからその呼び方やめてください!」

 

 ゼリルと終わりのない言い合いを続けながらも、ジュモは魔物を蹴散らしていく。

 奮闘の甲斐もあり、追っ手はまだまだ多いものの、その襲撃が一瞬止んだ。

 

「奴らを振り切るなら今しかねぇ!」

 

「振り切るって、何か方法はあるんですか⁉︎」

 

「“アレ”を使う」

 

 ジュモが顎で差した先には、周りの木よりも幹が細く、それでいて一際背が高い木が生えていた。

 

「また荒っぽくなる、ちゃんとくっついとけよ!」

 

「ま、待ってください、説明を……!」

 

長蛇の拘束(スネーク・バインド)‼︎」

 

 ジュモが腰からベルトを伸ばすと、名の通りベルトは蛇のように木へと巻きついた。

 

「どっこい……しょ‼︎」

 

 ジュモは空いている片腕でロープのように伸びたベルトを握りしめ、思い切り引っ張った。

 

 ミシ……ミシミシ……‼︎

 

 長木は引っ張られる方向へ、軋みながらも大きくしなり始めた。 

 

「あの……とても嫌な予感がするのですが……」

 

「いくぜ! ……どっせい‼︎‼︎」

 

 ジュモがベルトから手を離すと、木に溜め込まれた反動が一気に解き放たれ、ジュモたちは引き絞った弓から放たれた矢のような勢いで宙へと放たれた。

  

「きゃあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ ちゃ、着地! 着地できるんですか⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

 

「心配するな、俺を信じろ」

 

 その言葉にむしろ不安を覚えたおっぱいだったが、着地点が川であることに気づいた。

 

「怖いことには変わりないじゃないですかああああぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 そんな叫び声の最中、バシャーン‼︎ と、特大の水

飛沫を上げながら二人は川へ着水した。

 

 ぷかーー。

 

 全身の力が抜け切ったゼリルが、浮力に身を任せて水面に浮いてきた。

 

「ひ、酷い目に会いました……」

 

 続いて、ジュモも水面から顔を出した。

 

「ぶはぁっ! ……うわっ、おっぱいが浮いてら…

  

「うわっ、じゃないですよまったく……」 

 

「わりぃわりぃ」

 

 ジュモは、おっぱいを拾い上げると川を上がった。

 ようやく地に足(?)を着けた彼女は、全身を振るわせて体の水を払う。

 

 ぶるん、ぶるん、ばるん、ばるん。

 

 豊満なおっぱいが、これでもかと揺れると、自然とジュモの視線も釘付けになる。

 

「おお……」

 

「――ふ、不埒者‼︎‼︎ こっち見ないでください‼︎‼︎」

 

 ジュモの視線のわけに気づいた彼女は、羞恥に肌を赤く染めながら、ジュモに背を向けた。

 

「へいへい……」

 

 ジュモは木陰に落ち葉を集めると、ガントレットから生やした爪を両手で打ち鳴らす。

 すると散った火花が落ち葉へ着火し、あっという間に焚き木ができた。

 

「風邪ひく前に体乾かしとけ。この位置なら魔物にも多少気づかれにくいから、少し落ち着ける」

 

 

 

「――で、俺の聞き間違いじゃなけりゃお前、記憶がないっていったか?」

 

「ええ――先ほど話した通りです。

 

「……嘘じゃないんだろうな」

 

「あたりまえでしょう。そんな嘘、ついても意味がありませんし、そもそも、嘘は好きではありません」

 

「そうかよ。……にしても、おっぱいのビーストねぇ。もっとよく調べさせてくれよ」

 

「辞めなさい! 破廉恥な!」

 

 ジュモが触れようとすると、彼女は身を引いた。

 

「破廉恥って……。全身おっぱいなんじゃ、どこ掴んでも破廉恥扱いじゃねぇか。……ま、ここで出会ったのも何かの縁だ。お前がこの後どうするのかどうかは知らねぇが、とりあえず朝までは俺が守ってやる」

 

 ――魔物は光に弱く、日光をまともに浴びればたちまち消滅してしまう。そのため、魔物は朝が来ると逃げ去っていくのだ。

 

「……ありがとうございます。正直、大変助かってます。あなたがいなければ、私はとっくに殺されていたでしょう」

 

 

「――なあ、おっぱいは」

 

「だから、そのおっぱいって呼ぶのをやめてください!」

 

「じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」

 

「名前で呼んでください。私の名は――」

 

「どうした……?」

 

 彼女の言葉が途切れた理由に、ジュモは少し遅れて気づく。

 

「ああそうか、お前、自分の名前も思い出せないのか」

 

「……ええ」

 

「でもおっぱい呼びは嫌だ、と……難しいこと言いやがるな」

 

 するとジュモは名案を思いつく。

 

「よし、じゃあ俺がお前に名前を付けてやる!」

 

「はい?」

 

「そしたら問題解決だろ?」

 

「ま、まあそうかもしれませんが……」

 

「じゃあ決まりだな」

 

 するとジュモはうんうんと考え始めた。

 一つ問題があるとすれば、森で育ったジュモに、まともなネーミングセンスがあるかだが――。

 

「なあ、パイパイとニュウニュウだったらどっちがいい⁉︎」

 

「どっちもお断りです‼︎」

 

「なんだよ折角考えてやったってのに……文句の多い奴だな」

 

「十中八九、どちらの名前も胸からの連想でしょう⁉︎ 嫌ですよそんなの! つけるならもうちょっと普通の名前にしてください!」

 

「普通だぁ⁉︎ くっそ、また難しいこと言いやがって……」

 

 首が折れそうなほどに傾げながらしばらく考えたジュモは、ようやく何かを思いついたようだった。

 

 

 

「ゼリルってのはどうだ?」

 

「ゼリル……ですか?」

 

 どうせまた珍妙な名前が出てくるのだろうと身構えていた彼女は、その、意外にもまともな名前に素っ頓狂な声をあげた。

 

「ああ、前に人間の街で見かけた菓子の名前から取ったんだ」

 

「なるほど……」

 

(なるほどって、どうせまた文句言ってくるんだろうが……)

 

 ゼリル同様に身構えるジュモだったが、帰ってきたのは少し意外な答えだった。

 

「気に入りました」

 

「……あ?」

 

「……わからない人ですね。貴方が付けてくれた名前が気に入ったって言ったんです」

 

「本当に言ってんのか?」

 

「ええ、ですから、私は“ゼリル”と名乗ることにします。だからあなたも、ゼリルと呼ぶように」

 

「わかったぜ、おっぱ……じゃねぇ、ゼリル」

 

「あなたまた……」

 

 はぁ、とため息をつきながらも、おっぱいもどき――改め、ゼリルは少し嬉しそうだった。

 

 ――『ゼリル』という菓子は、ジュースなどを固めた、“適度な弾力がありプルプルとした質感”が特徴である。

 つまるところ、それもおっぱいから連想されたものであった。

 

 ――その残酷な事実をゼリルが知ることになるのは、もう少し先の話だ。

 

「ところでいい加減、あなたの名前も教えていただけますでしょうか?」

 

「そういや言ってなかったな。俺はジュモ。ジュモ・オレンジバック。旅のビーストテイマーだ」

 

「ビーストテイマー……なるほど、それで私を守ってくれようとしたのですね」

 

「ああ。森で育った俺にとっちゃ、ビーストは同族……いや、仲間みたいなもんでな。助けずにはいられねぇんだ」

 

「森で育った……ですか?」

 

「ああ。ガキの頃、人間に親を殺されてな。天蓋孤独になったところを、森に住んでたパザラ――オレンジバックの獣人に拾われて以来、俺は森でビーストと一緒に生きてきたんだ」

 

「では、その名前は……」

 

「ああ、オレンジバックってのはパザラの種族名で、勝手に名乗らせてもらってる。パザラは自分の家名はなかったからな。――ま、そんな諸々で、俺は人間が大嫌いなんだ」

 

 だからジュモは、あのビーストハンターのような男は、絶対に許さないのだ。

 

「……そう、ですね。あなたの境遇を考えれば、人間を嫌いになることはごく自然なことだと思います」

 

「そりゃどうも」

 

「――ジュモ、あなたのことが今少しわかりました。その上であなたは伝えておこうと思います」

 

「あ? なんだよ急に改まって」

 

 

「全ての人間が悪だという考えに私は賛成できません。確かに、この世には盗みを行ったり、嘘をついたり、他者を傷つける人間もいます。それは事実です。……ですが、そうした行動を選んでしまう背景には、必ず何かしらの理由があるのです。真に“悪”と呼べる存在がいるとすればそれは――」

 

 ゼリルの話をあくび混じりに聞いていたジュモだったが、あることに気づく。

 

「説教垂れてるとこ悪いが――奴ら、思ったより鼻が効くらしい」

 

『ギャアァ……』

 

 わざわざ追いかけてきたのか、先ほどの場所から追ってきたのか、はたまた、近場にいた魔物が嗅ぎつけてきたのかは分からないが、ジュモたちは魔物に囲まれていた。

 

「面倒だが、この程度の雑魚魔物、何度囲まれたって突破してやるぜ。ゼリル、しっかり捕まってろよ!」

 

 ジュモは、肩にゼリルを乗せると、再びガントレットから爪をせり出させた。

 

 襲いくる無数の魔物に、ジュモは獣形装(ビースティックアームズ)を次々切り替えながら応戦していく。

 

 ガントレットから爪や鎌を生やし、時にはそのまま拳を振るい、レガースから突き出る棘や刃で魔物を踏みつけ、伸縮自在のベルトは、鞭や槍となり、多くの魔物を屠った。

 

「すごい……!」

 

「当たり前だ。この獣形装(ビースティックアームズ)は、パザラの友人(ダチ)に作ってもらった特注品なんだからな」

 

 すると、まるでジュモの腕を試すかのように、木々の中からゆらりと立ち上がる、巨大な人影があった。

 

「あれは……!」

 

「ははっ、こいつは超ラッキーだぜ……! 何せ、あんなどでかい魔物が生まれる瞬間を見れるんだからよ」

 

 魔物は空気中の“魔素”が集まることで初めて形作られる。巨大な魔物が現れるということは即ち、それだけ大量の魔素が集まったということだ。

 

 その巨体の名はギガント・オーガ。まるで岩のように隆起した灰色の肌に、どんなものでも噛み砕いてしまいそうな鋭い牙を持つ魔物だ。

 そして、この周辺で最も脅威となる魔物である。

 

『グオオオォォォ‼︎‼︎‼︎』

 

 その巨椀が、木々や魔物を巻き込みながら振り落とされると、大きな地響きが起きた。

 

「このっ! デカブツが‼︎」

 

 拳を避けたジュモが、振り下ろされた腕に刃を突き立てるが、硬い皮膚に弾かれてしまった。

 

「クソっ、やっぱだめか」

 

「あ、あんなの、どうやって倒すんですか⁉︎」

 

 するとジュモはニヤリと笑った。

 

「見てろ、戦いかたってのは色々あるんだぜ?」

 

 ジュモは魔物を躱しながらオーガの足元に飛び込むと、右腕のガントレットから、再び鎌を生やした。

 

「それではまた弾かれてしまいます‼︎」

 

「よく見てみろ」

 

 一見鎌のように見えたそれは、よく見れば先ほどよりも鋭く、分厚く、なにより刃がついていなかった。

 

 まるで、一箇所を抉り取るように鋭利なそれは――。

 

「ツルハシ……?」

 

「大正解だ」

 

 ジュモがツルハシを振るうと、ガッ! と音を立てて刃がオーガのアキレス腱に食い込んだ。

 

「入った……!」

 

「まだまだぁ!」

 

 がちゃりと、今度はジュモの左腕がハンマーに変形すると、オーガに突き刺さっているツルハシの平たくなっている反対側に打ちつけた。

 

ウッドペッカーストライク(キツツキの採掘)‼︎」

 

 ツルハシの先端が大きくめり込むと、オーガが悲鳴をあげ膝をついたかと思うと、意地でもジュモを潰そうとがむしゃらに暴れはじめた。

 

『GYAAAAAAAA‼︎』

 

「すごい……」

 

「さぁて、これでようやく戦いやすくなった。あとは脳天ぶっ叩いてやればおしまいだ」 

 

 ジュモはオーガの肩を踏み台にして大きく飛び上がると、落下の勢いの乗せたツルハシ攻撃を振るう。

 だが運悪く、がむしゃらにあばれるオーガの拳がジュモを横から殴った。

 

「ぐえっ‼︎」

 

 空中で横から殴られたジュモは、木々の間を突き抜けながら大きく吹き飛ばされた。

 

「ジュモ! 後ろは谷です‼︎」

  

「マジかよっ! 長蛇の拘束(スネーク・バインド)‼︎」

 

 伸ばしたベルトを木の枝に引っ掛け、落下するすんでのところで留まった。

 べきりと枝が折れると、ジュモたちは勢いよく地面に転がった。

 

「ぐっへぇ……」

 

 ジュモは土に半分埋まったゼリルを引っこ抜くと、後ろをちらりと見た。

 

 ゼリルの言った通り、そこには巨大な谷があった。

 その深さは相当なもののようで、暗くて谷底はよく見えない。

 

「今のは結構危なかったぜ……」

 

「ジュモ! 怪我は⁉︎」  

 

「咄嗟にガードできたから大丈夫だ。それに俺、結構頑丈みたいだしな」

 

 すると、ジュモたちを仕留めきれていないことに気づいたオーガがズシンズシンと迫ってきていた。

 

「さて、あの分じゃ俺が与えたダメージも治ってそうだな、どうしてやるか……」

 

「背後の谷に突き落とす、というのはどうでしょうか」

 

「よし、それ採用!」

 

 崖際までオーガを引きつけると、ジュモは背後に回り込もうとした。

 すると、それを悟ったオーガもジュモに合わせて体を反転させ、再びジュモを正面から見据えた。

 

「ちっ、魔物(まぶつ)のくせに一丁前に学習しやがって」

 

「どうするのですか?」

 

「不思議だよなあ、ゼリル。魔物ってのは体が闇だけでできてるのに、ヒト型なら急所も人と同じなんだからよ!」

 

 ジュモはオーガに向かって駆けると、今度はオーガの“足の小指”

 にツルハシを振るった。

 

木偶の坊(オーガ)さんよ! テメェは足の小指をぶつけた時の痛みを知ってるか?」

   

『GAAAAAAAAAA‼︎』

 

 悶え苦しむオーガがたまらず足を一歩引き、崖際へと近づいた。そして、再び暴れ始めた。

 

「あともうひと推しです!」

 

「いいや、もう終わりだ」

 

「え?」

 

「こんな崖際で暴れたらどうなるか、簡単に想像できるだろ?」

 

 すると、ミシミシという音とともに、オーガの立つ崖際の地面に亀裂が入り始めた。

 

「まさか!」

 

 ゼリルが驚くと同時に、オーガの立っていた地面がごっそりと崩れ落ちた。

 

「あばよ! 木偶の坊!」

 

 落ちゆくオーガは最後の抵抗に、ジュモを道連れにしようと腕を伸ばした。

 

「今更捕まるかよ」

 

 そう言ってジュモが、崖から離れるように跳んだ瞬間のことだった。

 ジュモの体が、何かに掴まれ、空中で静止した。

 

「は?」

 

 見ると、空中に留まっていたハーピィがジュモの背を掴んでいた。

 そして、ハーピィは谷の真上まで移動すると、足の指を開き、ジュモたちを放り出した。

 

「「あ」」

 

「あの羽野郎‼︎‼︎ ちくしょう! こんなところでくたばってたまるかよ!」

 

「ええ! ジュモ、ベルトを!」

 

「分かってる! 槍蜥蜴の尾(リザードテール)‼︎」

 

 尾の先端がジャギン!と槍のように変形し、壁に向かって勢いよく打ち込まれるが、ジュモの体重に加え、落下の勢いが加わったことで、すぐに外れてしまう。

 

「クソッ!」

 

「岩に刺すのは諦め、木の時のように巻きつけましょう! 合図は私が出します!」

 

「……分かった!」

 

 そして、岩が突き出るように飛び出た部分を見つけた。

 

「今です!」

 

長蛇の拘束(スネークバインド)‼︎」

 

 伸びたベルトが岩に巻きついた。

 

「よしっ!」

 

 ジュモはそのまま、向こう岸の石壁にとりつこうと、壁に向かってスイングした。

 そして、壁にとりつこうと、ガントレットから伸ばした爪を壁に食い込まさんとした。 

 

「ジュモ、また上からきます!」  

 

「ちっ! 

 

 ハーピィは半人半鳥の魔物である。それはつまり、少なくとも人間の半分程度の知能を持っていることを意味していた。

 

 ハーピィの放った空気弾は、全てベルトに着弾し、ベルトの掛かっていた岩を砕いた。

 

「クソッタレが‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 支えを失ったジュモたちは、再び空中に放り出された。

 そして、もう一度ベルトを放るには時間がなかった。

 

「こうなったらお前だけでも」

 

 ジュモが、ゼリルを上に放り投げようとする。

 せめて、ゼリルだけでも助けよう、と。

 

「――諦めてはなりません‼︎」

 

 だが、ゼリルはそれを一喝した。

 

「んなもんわかってる! けどこの状況で一体何を――」

 

「――祈りましょう」

 

 ゼリルが凛とした声色で告げる。

 

 “祈る”それは、尊き行為ではあるが、直接的な解決手段ではない。

 それ故に普段のジュモであれば、素っ頓狂な声を上げるか、文句を言っていただろう。

 だが、ゼリルからは有無を言わせない、ある種の神秘的な雰囲気を放っていた。

 

「……分かった、ただ諦めながら死ぬよりかは、いるかもわかんねぇ女神に祈るほうがよっぽどマシだ‼︎」

 

 そう言ってジュモは目を瞑り、ぎこちなく胸の前で手を握り合わせた。

 

 ――女神ニューリア。

 

 かつての聖と魔の戦いにおいて、魔人カラボスを打ち破った末、傷ついた自らの体を世界中に散らばせたという女神であり、このニューヴァリアで広く信じられている『聖教』の唯一神である。

 

 森で育ったジュモにとって、神だの教えだのと言うものは、御伽話と同義であり、故に、ゼリルの呼び掛けがなけらば、ジュモが祈ることは決してなかっただろう。

 

 だからだろうか。

 ジュモたちが谷底に身を叩きつけられんとしていたその瞬間、奇跡は起きた。

 

 ジュモの体を、淡い緑色に光る球体が包んだ。

 そのまま地面に衝突し、ドガン‼︎ と轟音が鳴り響くが、ジュモは負傷どころか、衝撃一つ感じなかった。

 

 ジュモは、おそるおそる目を開けた。

 

「助かった……のか?」

 

 すると、役目を終えたとばかりに身を包んでいた球体が消滅した。

 ジュモは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「おいゼリル、なんだか分からんが俺たち助かったぞ!」

 

 だが、返事がない。

 

「ゼリル?」

 

 不審に思い、ジュモはゼリルを見ると、ある異変に気づいた。

 

「な、ない……!」

 

「乳首の光が……ない……‼︎‼︎」

 

 ゼリルの乳房の先端から放たれていた光が消え、隠されていた乳首が露わになっていたのだ。

 だが、さすがのジュモも赤面している場合ではなかった。

 光が消える、ジュモにとってその光景は、命が消えることを連想させたからだ。

 

「おいゼリルしっかりしろ! 死んでねぇよな!」

 

 ゼリルの胸に耳を近づけると心臓の鼓動が聞こえてきたことに、ジュモはひとまず安堵した。

 

「気絶してるだけ……なのか? ……ったく、少なくとも目がついてりゃ判別できるってのに、こう言う時おっぱいってのは不便だよなぁ……」

 

「おっぱいじゃぁ……ありません……」

 

 ゼリルが寝言のようにいうと、再び胸を上下させはじめた。

 

「これなら大丈夫そうだな」

 

 そして、ジュモは一つ気になることがあった。

 ジュモを守るように、光る球体が現れたかと思えば、ゼリルの光が消えていたというこの事実。

 

「……ひょっとして、お前が守ってくれたのか?」

 

 ジュモがぼやくように尋ねるが、ゼリルはまるで寝息をたてるように、静かに胸を上下させるだけだった。

 

 ◇

 

「よっ……ほっ……よっ……はっ……」

 

 あれから、ジュモはすぐに崖を登り始めた。

 そして、一定の間隔で聞こえてくるジュモの声に、ゼリルは目を覚ます。だがどういうわけか、ゼリルの視界は真っ暗だった。

 

「ん……。えーと……ちょ、ちょっと一体今どういう状況ですか⁉︎ 何も見えません!」

 

「やっと起きたか……? つーかお前の目ってどこだ?」

 

 尤もな意見である。

 

「その……視界の情報はち、乳首の部分から得ています……」

 

「ああ、なるほど」

 

 すると、ジュモはぺろんと服の胸元を捲り、“胸元にしまい込んでいた”ゼリルを出した。

 

「これで見えるだろ?」

 

「あ、あなた! 私を自分の胸にしまい込んでいたのですか⁉︎」

 

「しょうがねーだろ、背中に縛り付けたら落ちた時に助けられねぇしよ」

 

 断崖絶壁を登るためにジュモは両手を開ける必要があった。そして、その結果ジュモはゼリルを自分の胸元にしまうことにしたのだ。

 

 そしてゼリルを胸元にしまったことで、それはあたかもジュモが巨乳……いや、爆乳の持ち主になっているかのようだった。

 

「でもまぁ、元気そうじゃねぇか」

 

 ジュモは、ゼリルの胸に、緑色の光が戻っていることに気づいた。

 

「そうだ、私たちどうやって助かったんですか!」

 

「覚えてねぇのか?」

 

「……はい?」

 

「谷底に落ちる瞬間、光の球体?バリア?みたいなのが貼られて俺たちは助かったんだ。バリアーの色がお前の乳首と同じ色だったから、てっきりお前がやったんだと思っていたが……」

 

「光の球体……すみません、覚えがありません」

 

「そうか」

 

「それより、私の身を案じてくれるのは有り難いですが、私の収納場所は、もう少し何とかならなかったのですか……?」

 

「俺だって他の方法があるならそうしてる。自分におっぱいがついてる見たいで、なんか変な感じするしよ……。でも、これしか方法が思いつかなかったんだからしょうがねーだろ」

 

「…………確かに。非常に不服ですが、この方法がベストだったと私も同じ結論に辿り着きました。……ズボンの中に仕舞われるよりはよかったと考えることにします」

 

「ズボンか……、それは考えてなかったな」

 

「本当にやめてください‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 その後も売り言葉に買い言葉の喧騒を撒き散らしながら、ジュモはついに、崖を登り切った。

 

 ジュモが空を見上げると、長かった夜が明け、煌々とした朝日が差し込みはじめるところだった。

 

「ジュモ、空が……!」

 

「ああ、夜明けだ――」

 

 ジュモ達のもとへ再び集い始めていた魔物が、日の光を避け散り散りに逃げていく。

 そして、日陰に入ることができず、日光を直接浴びてしまった魔物は、一瞬にして消滅してしまった。

 

「魔物が、消えていく……」

 

「日の光は奴らの弱点だからな。……これでようやく、落ち着いて話ができそうだ」

 

「そうみたいですね」

 

「……お前、これからどうするんだ?」

 

「どうする……ですか?」

 

「目的っつーか、やるべきことっつーか。記憶喪失ってわりには魔物のこととかは覚えてたみてーだし、何か他に覚えてることとかねぇのか?」

 

「……目的、と言ってよいのかはわかりませんが……」

 

 ジュモの問いに、ゼリルは自身なさげに答えた。

 

「私は、どこかに行かなければならない気がするのです」

 

「どこかって、どこだ?」

 

「それは……わかりません」

 

 それを聞いたジュモは、「がはは!」と笑い出した。

 

「そんなことだろうと思ったぜ」

 

「な……! 何も笑うことはないじゃないですか!」

 

「わりぃわりぃ。なあゼリル、俺と来ないか?」

 

「あなたと、ですか?」

 

「ああ、ビーストに乗って移動できるから、お前一人より確実に早く移動できるぞ」 

 

「それはそうでしょうが……、あなたの旅にも何が目的があるのでは?」

 

「そういや、まだ言ってなかったな。俺は『聖地』を目指して旅をしてる」

 

「聖都?」

 

 ジュモは「聖都ってのはな……」と指で地面にニューヴァリアの地図を描きはじめた。

 海に囲まれたニューヴァリアの大地は、北に行くにつれ狭まっていく地形である。そして、雫のような形から別名、『涙の大地』と呼ばれている。

 

「で、俺が目指してるのはここだ」

 

 大陸の最も北、雫の頂点の部分をジュモは指さした。

 

「この天辺の場所が聖都、なんですね」

 

「ああ。なんでも聖地には強ぇ聖術を操る聖女がたくさんいて、『闇の国』の入り口を塞いでるんだってさ」

 

「闇の国、ですか?」

 

 ゼリルの脳裏に浮かんだのは、先ほどまで自分たちを追いかけていた魔物たちのことだ。

 

「ああ、実はニューヴァリアには反対側があってな」

 

 ジュモは雫型のニューヴァリアの大地のさらに北に、鏡写しになったもう一つの雫型の大陸を書いた。

 二つの雫型の大陸が線対称につながり、大地の形はあっという間に雫から、八の字型に変わった。

 

「こっち側が魔物どもがうじゃうじゃいる闇の世界だ。……昔、『聖魔大戦』って呼ばれてる戦いで女神ニューリアが魔神カラボスとその軍勢を滅ぼしてな。でも、闇の国そのものは滅ぼせなかったから、聖都で光の壁を貼って入り口を封印してるんだ」

 

「それでは今、壁の向こうはどうなっているのですか?」

 

「……さあな。復活した魔物(まぶつ)がうじゃうじゃ犇いてるかもしれないし、大陸がなくなってるのかもしれん」

 

「ジュモは、どうして聖都を目指そうと……?」

 

「俺はこれをパザラの妹に渡すために聖地に向かってる」

 

 そういってジュモは、胸元にしまってあったペンダントを引き抜いた。

 

「パザラさんは、あなたの育ての親、なんですよね。その妹、ですか? でも、一体どうして……」

 

 ジュモは、どこか遠いところを見るように答えた。

 

「さあな。パザラが妹の話をするなんて、その時が初めてだったんだ……でも、それがパザラの最期の言葉だってんなら、その願いを叶えないわけにはいかないだろ」

 

「え?」

 

「パザラはもう死んでる。一年前にな」

 

 そう言い放ったジュモの表情は、達観とも諦観ともとれるものだった。

 

「殺されたんだよ、人間に」   

 

「ジュモ、それは――」

 

「俺の親は全員、人間に殺された。友達(ビースト)だって、たくさん殺された」

 

「だから……あなたは人間を憎んでるのですね」

 

「わかったろ。――それでもよけりゃぁ、お前をどこかもわからねぇ目的地まで連れて行ってやる」

 

「宛のない旅ですが、目下の目的が今ひとつできたようです――」

 

 そう言って、ゼリルは微笑んだ。

 どうしたっておっぱいな彼女だが、少なくともジュモには、そう見えたのだ。

 

「旅の道中、『全ての人間が悪ではない』その事実をあなたに説くことにします」

 

「はっ、やれるもんなら」

 

 

 

 ――『人間嫌いの野生児テイマー』と、『正体不明のおっぱい』。

 後に、世界の命運を左右することになる、奇天烈珍妙なコンビが誕生した瞬間だった。

 

 

 

「決まりだな。さて、とりあえずの目的地は――」

 

 ジュモが言いかけたその時、ゼリルの光が眩く輝きはじめた。

 

「きゃあっ!」

 

「うおっ! なんだぁ⁉︎」

 

 次の瞬間。光はと光線(ビーム)なってジュモの頬を掠めながら、彼方へと放たれた。

 

「熱っ……くねぇ? むしろあったけぇ……? つーか、今度は一体何なんだよ!」

 

「――ジュモ、分かりました」

 

 慌てふためくジュモとは反対に、ゼリルは落ち着き払っていた。

 

「あ?」

 

「この光が指し示す先に、私が目指すべき場所があるはずです」

 

「そうなのか? でも、こうやって方向を変えたら」

 

 「方向を変えたら意味がないだろう」。そう思ったジュモがゼリルを持ち上げ、反転し、光線を反対の方向へ向けようとすると――

 

「うおっ‼︎」

 

 ジュモの怪力をも上回る勢いで、ゼリルは勢いよく元の方角を指す方向に戻った。それはまるで、方位時針が北を指し続けるかのようだった。

 その勢いに振り回され、吹き飛ばされたジュモが地面に転がる。

 

「これでわかりましたか?」

 

「……ああ、まるで何か強い力に引っ張られてるみてーだった」

 

「私も同じように感じました。――だからきっと、この光は私を導く光なのです」

 

「なるほど、少なくともお前の目的地が真北の方角ってのはわかったな……確か『ジラーマ』っつー人間の街があったはずだ。避けて通ろうと思ってたが、仕方ねぇ行ってみるか」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

「じゃあよろしくな」

 

 ゼリルの上に手を置くと、ジュモは無意識のうちに共鳴の糸(リンクライン)を出していた。

 

 ジュモから飛び出た光が、いつものテイムと同じようにゼリルへと吸い寄せられていく。

 

 だが、光はゼリルの体に吸い込まれることなく弾かれ、すぐに消えてしまった。

 

「あ?」

 

「ジュモ、どうかしましたか……?」

 

「いや、普通だったら光がビーストの体に吸い込まれてテイム完了ってことになるんだが……」

 

 不思議に思ったジュモがもう一度共鳴の糸(リンクライン)を放つが、やはり同じように消えてしまった。

 

「消えてしまいますね」

 

「ああ、こんなの初めてだ…………お前本当にビーストか?」 

 

「わ、私を助けてくれた時はビーストだって断言してくれたじゃなにですか!」

 

「わかったわかった、冗談だって! 初めてのことだから驚いただけだ」

 

「も、もう! 一緒に旅してくれるって話、断るなら今のうちですよ!」

 

 その言葉に、ジュモはまたニヤっと笑って言った。

 

「バーカ、もう俺はお前と旅することに決めたんだ。今更お前が何の生物かとかはどうでもいい」

 

 ジュモは立ち上がる。

 

「さあ行こうぜ、ゼリル」

 

  

 

 こうして、一人と一房(一匹?)の旅路が幕を開けた。

 

 なお、ジュモが寝床にした木にリュックを置き去りにしたことに気づいたのはこの直後のことである。

 

 

 ◇

 

 

「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」

 

 ジュモは大柄なシカの動物(ビースト)、ケリューディアーの背に跨りながら、大きなため息をついた。

 

「さっきからため息ばかりついて……、聞かされるこっちの身にもなってくださいよ」

 

 呆れたように返答するのは、ディアーの首元に跨がった……もとい、へばりついているゼリルだ。ディアーが地面を蹴るたびに、その乳房がばるんばるんと盛大に揺れている。

 

「だってよ〜〜〜〜……」

 

 ぼやくジュモの背には、リュックがないままだった。

 

 

 

 ――遡ること、一時間前。

 置き忘れたリュックを取りに、寝床にした木まで戻ったのだが……。

 

「――リュックがねぇ‼︎」

 

 木の上に登って見渡してみても、そこにリュックはなかった。

 

「本当にこの木で合ってるんですよね?」

 

「それは間違いない。でも一体なんで……」

 

 ジュモは木を降りてあたりを見回していると、ついにリュックを盗んだ犯人の痕跡を見つけた。

 

「なーるほど、そういうことか」

 

「ジュモ、何か見つけたのですか?」

 

「ゼリル、これわかるか?」

 

 ジュモは木の幹を指差す。

 木の幹には、木を登っていくように、小さな傷が一定間隔でついていた。

 

「この傷が、犯人の痕跡ですか?」

 

「ああ……そんで、これを辿れば……」

 

 幹の傷を追っていくと、木の根本あたりに小さなビーストの足跡と、それからバックパックを引きずっていったであろう跡が残っていた。

 

「ひょっとして、この足跡の主が、リュック消失の犯人ですか?」 

「ああ。それに、犯人の検討もついてる。シーフラビットの仕業だな。あいつら、珍しいものを見るとすぐ盗んでっちまうんだ」

 

 シーフラビット――二足歩行に進化したウサギのビーストで、その最たる特徴は珍しい物を見つければ、それが何であろうと巣穴に持ち帰ってしまう手癖の悪さだ。

 

「では、この足跡を追いかければパックが見つかるわけですね」

 

「まあな。だけど、追いかけるのは辞めだ」

 

「いいのですか?」

 

「あいつらが物を盗っちまうのは本能だからな、人間が欲に眩んで盗むのとは訳が違う。それに、この帰りの足跡をみてみろ、壱岐に比べてすげぇ地面が抉れてるだろ? 俺のバッグにゃ色んなもんが詰まってた。だから引きずるだけじゃ運べなくて、地面を思いっきり蹴って、少しずつ押して運んでったはずだ」

 

「痕跡からそんなことまで……」

 

「長いことあいつら(ビースト)と暮らしてきたからだろうな、何となく分かっちまうんだよ。どれだけ頑張って運んだのかも。だから、俺はあいつらからバッグを奪って頑張りを無駄にしたくない」

 

「ジュモ、あなたは本当にビーストを愛しているのですね」

 

 

 

 ――ということがあったのだが……

 

「自分でリュックを取り返さないと決めたのだから、もっと堂々としてなさい!」

 

「そうは言ってもよぉ、あのバッグには旅の途中で出合ったビーストからもらった物とか色々入ってたんだぜ? それとこれとは話が違うんだよぉ……」

 

 そう言って、ジュモは腹いせとばかりに無言でゼリルを揉みしだき続けた

 

「あっ! こらっ! なんで私を揉むんですか!」

 

「いいじゃねぇか、減るもんでもねぇし……改めて見ても、やっぱ人間のおっぱいだよな……」

 

「やめてください! 私だってこの姿がおかしいことくらい分かってます! 水面に映る自分の姿を見て仰天したんですから!」

 

「つーか、この光も一体なんなんだ?」

 

 ジュモは好奇心のままに、両手でゼリルの両の光――すなわち乳首の位置をつついた。 

 

「ひゃんっ‼︎」

 

「なっ……なんだよ妙な声だして!」

 

「あ、あなたこそ何考えてるんですか!」

 

「だっ、だってほら、光ってるとこを触ったらどうなるのかとか、色々気になるだろ!」

 

「信じられません! 次に同じことしたら許しませんからね!」

 

「悪かったって……」

 

「それで?」

 

「あ?」

 

「それで、何か分かったんですか、私のちく……胸の光を触って」

 

「あー……いや……」

 

 ジュモは気まずそうに目を逸らす。

 

「なんですか、分からなかったのならハッキリ言ってください」

 

「他のおっぱいの部分と違って……ちょっとだけ固かった」

 

 ゼリルは肌を真っ赤にして抗議した。

 

「あ、当たり前でしょう⁉︎」

 

「――あ」

 

「今度は何を言いはじめるつもりですか⁉︎」

 

「いや、分かったっつーかなんつーか……その光を隠してたら、どうなるんだろうなって」

 

「どうなる……とは?」

 

 ゼリルはまだまだこの世界の仕組みや常識について、知らない部分が多すぎる。それ故に、ジュモが何を示そうとしているのか、検討がつかなかった。

 

「ずっと思ってたんだが、その光って『聖術』の光に似てるんだよ。そんで、聖術の光ってのは、魔物を惹きつける性質があるんだ」

 

「聖術というのは、ジュモがさっき言っていた、聖女が使っている術……という認識でよろしいですか?」

 

「ああそうだ。聖術は魔物に対する特攻だが、その反面、聖術の光は魔物を引き寄せるんだ」

 

「……? 攻撃されたら自分が消滅してしまうのにですか?」

 

「例えば、ウニって知ってるか? 海で採れる黒いトゲトゲのやつ」

 

「ええ」

 

「ウニは大抵の場合毒を持ってるし、種類によってはトゲをとばして攻撃してくるから厄介だ。だが、同時に栄養満点な上に美味い食い物でもある。つまり人間にとってウニは、害されるリスクはあるが、食えた時のメリットもでかい食べ物なわけだ」

 

「つまり、魔物どもにとって、聖女をはじめとする聖力を宿した聖物は人間にとってのウニと同じで、聖術で消滅させられるリスクはあるが、もしも食えたらその力を取り込んで強くなれるハイリターンが待ってるってわけだ。

 

「つまり、私の胸の光が聖力によるものだとしたら、私を食らって自分たちの糧にしようと魔物は集まってきていることになるわけですね」

 

「ああ。つっても、聖女が食われることはほとんどないらしいがな」とジュモは付け加えた。

 

「ま、だからその光さえ隠しちまえば昨夜みたいな状況は避けられるんじゃないかって寸法だ」

 

「……成程、試してみる価値はありそうですね」

 

「ただ、光を隠すってなるとどうしたもんかねぇ。バックがありゃ、その中にしまったんだけどよ」

 

「やるからには、徹底的に光を遮断できるようにしてくださいよ。たとえば、何かで私の全身をくるんでしまう、とか」

 

「……! なるほど、その手があったか」

 

 

 ◇

 

 

 あれから数刻が経ち、草原には、再び夜が訪れようとしていた。

  

 ケリューディアーはテイムしてから、かなりの距離を走ってもらったため、十分な食料を与えてからナワバリへ帰ってもらっている。

 通常、長距離移動するテイマーは、テイムしたビーストと共にずっと旅を続けるものだ。

 ジュモが必ずビーストを元の住処へと帰すのは、ありのままの自然の形を尊重する、ジュモのポリシーである。

 

 そんな事情もあって、現在ジュモたちは、通常時の速度はイマイチだが、とにかく逃げ足の速さに定評のある馬のビースト、『エスケープホース』の背に乗っていた。

 

「(ジュモ、現在の状況はどうです?)」

 

 ジュモの背中から、やけにくぐもったゼリルの声が聞こえてくる。

 

 ゼリルは現在、光を徹底的に遮るために何重にも渡り大きな葉にくるまれた上、落馬しないよう、ツタを束ねて縛り背負い紐のような形にし、ジュモに背負われいた。

 

「そろそろ日が暮れそうだ。……それにしても今のお前、“サザダンゴ”みたいだな」

 

 サザダンゴとは、その名の通り、ダンゴをサザと呼ばれる植物の葉で包み蔓で縛った菓子である。

 ひとたび葉を剥けば、中からぷるんとした柔らかい球体がまろびでてくる点も含め、たしかにサザダンゴにそっくりだった。

 

 そして、夕日がすぐに沈みきり、検証が始まった。

 

 

 ◇

 

 

「駄目じゃないですかあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 

 ――ダメであった。

 

「俺に聞くなあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 阿鼻叫喚の状況からわかるように、検証は大失敗。ジュモ達は今日も魔物の大群に追われることとなっていた。

 

「なんであいつらゼリルに気づけるんだよ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

「全身を包んでなお光の遮断が不十分だった、もしくは私が狙われることと光の見える見えないに因果関係はなかったということではないでしょうかあああああああ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

 

「この状況の中冷静な分析ありがとうよ‼︎‼︎ 頼むエスケープホース‼︎ 全速力だ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

『ブルヒヒヒヒャーーーン‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎(言ワレ無クテモ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎)』

 

 この瞬間、ジュモとエスケープホースの思いが心の底から一致したことによりテイムによる能力上昇が上乗せされ、エスケープホースは魔物という魔物を引き離しながら走り抜いた。

 

 そして、エスケープホース、ジュモ、ゼリル、三人の体力が底を尽きる頃に、ようやくまた、朝が来た。

 

 

 ◇

 

 

 わずかばかりの仮眠を取った後、ジュモとゼリルは旅を再開した。

 ちなみに、エスケープゴートホースはあの後すぐにジュモたちの元から逃げ出してしまったので、現在乗っているのは、背中に大きなコブが一つついたヤギ、『ハンプゴート』だ。

 

「ひどぇ夜だった……」

 

「それは私のセリフですよ馬鹿者」

 

「お前だって俺の作戦に賛同してただろうが」

 

「それは……そうですが」

 

「……夜になるたびあの調子じゃ命がいくつあっても足りなねぇ。幸い街も近いからそこまでいけば大丈夫だろうが、街に行ったらどうにか解決する方法を見つけねぇと……」

 

 ジュモは街でするべき事に思考を巡らせていると、あることに気づいた。

 

「あーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」  

 

「ど、どうしました⁉︎」

 

「ギルドカードがねえ‼︎‼︎‼︎‼︎ リュックの中に入れっぱなしだった……‼︎‼︎」

 

「は、はい? ギルドカード、ですか……?」

 

「ギルドカードってのは、自分がどの程度の冒険者かって情報を書いてくれて……いた、この説明は今はどうでもいいな。とにかく今重要なのは、ギルドカードが無い場合、街に入るにも金が必要ってことだ」

 

 ジュモは「なるべく人間と関わらないようにしてるから金もほとんど持ってねぇんだよな……」とぼやきながら、しばらくウエストポートを漁ると、底の方からようやく出てきたのは数枚の銅貨だった。

 

「これは……決して高額では、なさそうですね」

 

「……一食分あるかないかだな」

 

「なるほど、街に入るのにどのくらいの金額が必要かは分かりませんが、このままでは街に入ることすらままならない、と」

 

「そういうこった。さて、どうしたもんかな」

 

 すると、ジュモは何かを思いついたようだった。

 だが、ジュモの顔は明らかに悪だくみをしているような顔であり、この時点で、ゼリルは嫌な予感がしていた。  

 

「お前の特性を利用した案を一つ思いついたぜ」

 

「特性って……ひょっとして、魔物を引き寄せることを言ってますか?」

 

「ああ。まず適当な商人か何かの馬車を見つけるだろ? それで「今夜お前は魔物に襲われる。死にたくなければ俺を護衛につけろ」

 って言うんだ。一度は断られるかもしれねぇが、夜になりゃゼリルのせいで大量の魔物が押し寄せてくる。そうなったら商人は俺たちを雇うしかなくなって、金が貰えるって寸法だ」

 

「却下です」

 

「なんでだよ」

 

「関係ない他人を危険に巻き込むのが非人道的だからですよ!」

 

「それでも、俺たちを追ってきた魔物を商人になすりつけて襲わせるって案よりはまともだと思うんだがなあ」

 

「そんなことまで考えていたのですか⁉︎ まったくあなたは――」

 

「やべっ」

 

 そこから、十分ほどに渡ってゼリルからのお説教は続いた。

 そして最終的には、「そもそも自分たちが魔物から逃げ切れるか定かではない」という、身も蓋もない理由でジュモは勝手に納得したのだった。

 

「はあ……街に入りたかったらお前も何か作戦考えてくれ」

 

「作戦ですか……、そもそも単純に「商人に物を売る」というやりかたではいけないのですか?」

 

 ジュモは目からウロコが落ちたようだった。

 

「そうか、その手があったか!」

 

「まず真っ先に思いつくべき手段だとは思いますが……」

 

「思いつかなかったもんはしょうがねぇだろ、それよか、売るっつっても何売ればいいんだ? 知っての通り俺は今何にも持ってねぇぞ」

 

「そうですね……ジュモ、ビーストに木の実などを採ってきてもらうことは可能ですか?」

 

「ああ、できるが」

 

「では、道中それを集めて売るというのはどうでしょう」

 

「なるほど、他に策もなさそうだし、それでいくか。ただし、ビーストが食料を採り尽くさない程度にな」

 

「あたりまえです」

 

 ◇

    

 ゼリルの作戦通り、ジュモ達は街までの道中ビーストの力を借りながら薬草や果実を集めていった。

 その甲斐もあって、ジュモが背負う、植物のツルで作ったカゴの中にはそれらがぎっしりと詰め込まれていた。

 そして、この旅路も一旦の区切りが見えてきた。

 

「ゼリルみろ、街道だ」

 

 ジュモたちの目の前に、石畳で舗装された道が見えてきた。

 そして、街道に差し掛かるとすぐに二頭の馬が率いる荷馬車を見つけた。馬車の手綱を握っているのは、顎髭を蓄えた男だ。

 

「商人でしょうか?」

 

「たぶんな、まあ聞いてみりゃ分かることだ」

 

 そう言ってジュモはハンプゴートを先行する馬車に横付けした。

 

「おいテメェ!」

 

「ヒッ! と、盗賊‼︎」

 

 ゼリルに取って想定外だったのは、ジュモが人間とのコミュニケーションの取り方が間違っていたこと。そして―― 

 

「こらジュモっ! すみません、実は取引を――」

 

 自分があまりにも奇妙な存在である、という自覚が不十分だったということだ。

 

「うわぁ! おっぱいがしゃべった‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 動揺した男が手綱を無理に引っ張ると、混乱した馬は激しくいなないて、街道から外れた明後日の方向へと走りだしてしまった。

 

「ジュモがあんな話しかけ方するから!」

 

「俺のせいにするな! おっぱいが急に喋ったら普通ああなるだろうが‼︎ それよりマズい、あっちは川だぞ‼︎」

 

「……! とにかく今は追いかけてください!」

 

「分かってる! 頼んだ、ハンプゴート‼︎」

 

 そうしている間にも、馬車の正面には川岸が迫り続けていた。 

 

「うわあああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

「ジュモ、間に合いません!」

 

「任せろ!」

 

 ジュモはハンプゴートの背を蹴って跳躍すると、空中で身を翻して暴走する馬車の正面へと周りこんだ。

 

「止まりやがれえぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎‼︎」

 

 ジュモの両手から伸びた共鳴の糸(リンクライン)が馬に届く。

 ようやく理性を取り戻した馬は必死にブレーキを掛けるが、間に合わないことは明白だった。

 

「俺が止めてやるから安心しろ! 大樹象の足棘《エレファントスパイク》‼︎」

 

 ジュモはレガースの足裏からスパイクを迫り出させ、地面に足を固定させると、正面から馬車を止めるために踏ん張った。

 

「うぎぎぎぎぎぎ……!」

 

 スパイクで足を固定してなお、ジュモは後ろに押されていったが、すんでのところで馬車を止めることができた。

 

「っぶねぇ……」

 

「ジュモ、大丈夫ですか……!」

 

 ハンプゴートに乗ったゼリルも、後からジュモの様子を伺いにくる。

 

「ほ、本当におっぱいが喋ってる……」

 

 喋るおっぱいが 現実のものだと理解した商人は、力なく馬から降りた。

 

「あ、あんたら何もんだ……何が目的なんだ……」

 

「はあ、これでようやく話ができるな――俺たちは、あんたに物を売りたい」 

 

「……は?」

 

 ◇ 

 

 街道の近くまで戻った一向は、改めて顔を合わせていた。

 

「ったく、こっちは大事な取引控えてるってのにヒヤヒヤさせやがって……で、結局その喋るおっぱいは一体なんなんだ」

 

 正直、商人はゼリルの正体が気になって仕方がなかった。

 

「おっぱ……まあいいでしょう。私のことは珍しいビーストとでも思っておいていただければ構いません」

 

 これは道中、誰かにゼリルの素性について尋ねれられたときの返答として話したっていたのものだ。

 

「ビーストって……一体なんのビーストだ……?」

 

「さあな。でもテイムできたんだからビーストだろ?」

 

 テイムできた、というのはもちろん嘘である。だが、こうでも言わなければ、「喋るおっぱい」というあまりに異端な存在に納得してもらうことは不可能だろう、という判断のもと、このように説明することとなった。

 嘘を用いることに対して、特にゼリルは抵抗感を抱いたが、ジュモとゼリルの流暢な意思疎通は、世間一般における、テイマーとビーストの関係以上のものとなっているため、状況的に嘘ではないためOK、という判定のもと、この説明が採用されるに至った。

 

「……つーことは兄ちゃんテイマーか?」

 

「ああ」

 

「そうか」と商人は頷くと、少し考えた後ニヤリと笑った。

 

「分かった。まずはその売りたいものとやらを見せてくれ」

 

 保身のため、商人の中には素性の分からない相手とは取引をしない者も多い。

 だがジュモ達が幸運だったのは、この商人が生粋の珍しいもの好きであり、ギャンブラー気質だったことだ。

 

 ジュモは、道中で採っておいた果物を見せた。

 

「ふむ……、どれもこの辺りで採れるもんではあるが、質がいいな。全部合わせて4000リアってところだ」

 

「……街に入るにはいくら必要だ?」

 

「なるほど、そのために金が必要なわけか。だが通行税は50000リアだ」

 

「……もっと高くならねぇのか」

 

「無茶言うな。そこらの商人じゃ難癖つけてもっと安く買い叩いてるところだ。交渉に応じてやってるだけでも有り難く思って欲しいね」

 

「ちっ……」

 

「ジュモ、彼は真摯な対応をしてくれています。悪態をつくのは失礼ですよ」

 

「はは、まさか説教するビーストを拝める日が来るとはな。そんな珍妙なビースト連れてるくらいだ。もっと珍しいもん持ってるんじゃないのか? それこそビーストの毛皮とか“鱗”とか」

 

「そうですジュモ! ドラゴンの鱗を貰ったと話していたじゃないですか!」

 

 それを聞いた商人は見事に食いついた。

 

「本当か⁉︎ ドラゴンの鱗だとしたら、どんなに小型のドラゴンのものだとしても最低数万リラの価値はあるぞ!」

 

 そう言われ、ジュモはポーチから、フォレストドラゴンからもらった鱗を取り出した。

 

「そ、そいつはフォレストドラゴンの鱗じゃねえか! そうそう、そういうのを待ってたんだよ! さあ交渉をはじめようじゃねぇか。そいつなら五万どころか、五十万リラは出すぜ」

 

「やったじゃないですか!」

 

「――いや駄目だ」

 

「どうしてだ!」「どうしてですか!」と、商人とゼリルの声が重なった。

 

「こいつは汚ねぇ金に換えるためにもらったもんじゃねぇ」

 

「ジュモ……汚いだなんて、そんな言い方……」

 

 貨幣に対して、ゼリルとジュモの価値観には大きな隔たりがあった。

 ビーストも人間も等しく尊重するゼリルに取って、貨幣というものは人間の生み出した興味深い文化の一つであった。

 それ故に、それが公平で正当なものであれば売買することについて抵抗はなかった。

 

 だがジュモにとって、ビーストとの交流の末に貰ったものは、最も尊いものであり、また、ジュモは貨幣――すなわち人間と、その生み出した文化に対して、まだ抵抗があった。

 

「おっぱいの嬢ちゃん、諦めな。それなりに長いことこの商売やってる俺にはわかる。こいつは、絶対に売らないって目をしてやがるぜ。……そんなわけで、取引はおしまいだ。珍しいもん見せてもらった例に、色つけて5000リアで買い取ってやる」

 

 商人は銀貨を五枚、ゼリルの上に乗せると、ジュモから引き取ったカゴを馬車に載せた。

 

「ゼリル、俺が今からやることについて、説教なら後にしてくれよ」

 

「ジュモ一体何を……」

 

「待てよ」

 

 ジュモは馬車に乗り込もうとする商人の背中に声を掛けた。

 

「なんだ? これ以上値段を釣り上げろってのは無理な話だぞ」

 

「あんた、結婚してるよな」

 

「ん? ああ、これのことか。そうだな、それがどうした?」

 

 男の左手の薬指には、指輪が嵌められていた。

 

「――“いいのか? 浮気なんかして。”こういう場合、不倫っていうんだったか」

 

「あ……?」

 

 商人は当然、怪訝な顔をした。 

 

「五万リア。くれるってなら、嫁にチクるのはやめといてやる」

 

 それを聞いた商人は笑いはじめた。 

 

「おいおい坊主、まさかそれ、脅しのつもりか? だが、カマかけってのはもっと巧くやらなくちゃぁいけねぇぜ?」

 

 商人は、交渉経験の無さが滲み出るジュモの脅しを、まるで子供のイタズラかのように捉えていた。

 “ジュモが次にしゃべりだすまでは”。

 

「――嫁の名はミシュア。不倫相手はジェロニカ。どっちも西の方にあるラージェスって街に住んでるらしいな。……あってるか?」

 

 その正否は、一瞬にして顔面蒼白となった商人の顔色が物語っていた。 

 そう。ジュモが話したことは全て事実だった。

 

「お前……どこでそれを」

 

「聞いたのさ」

 

 ジュモは顎で手綱に繋がれた二頭の馬を指した。

 

「あの二頭、随分賢いんだな。あんたの周りの人間関係とか、ちゃんと理解してるみたいだぜ」

 

「あいつらの声が聞こえるだと……? 冗談はよせ」

 

「冗談なもんか、俺はビーストの声が聞こえるんだ。それと、不倫相手に会いに行くときは香水の匂いがキツイとも言ってたぜ、商人のグルゼさんよ」

 

 商人――グルゼは開いた口が塞がらなかった。

 百歩譲って、探偵などを通してグルゼの身辺情報を手に入れたのならまだ分かる。だが、馬から話を聞いたなど、誰が信じられるだろうか。

 だが、探偵がわざわざ香水の話をするとも思えない。

 なにより、不倫相手であるジェロニカの元へ行こうとするときに限って、馬たちの機嫌が悪いような気がしていたのだ。

 

「あんたがどう捉えるのかは自由だが。俺たちは宛のない旅をしてるんだ。次の旅先をあんたの家がある街にしたっていいんだぜ?」

 

 すると、グルゼは両手を上に挙げた。

 

「……はあ、分かった、降参だ。浮気がバレることに比べたら、五万リアで済むなら安いもんだよ」

 

 グルゼは、今度は金貨を五枚取り出してジュモへ渡した。

 

「どーも」

 

「これで義理は果たした。俺はもう行くけど、いいな?」

 

「待った」

 

「あぁ? 今度はなんだ」

 

「詫びってわけじゃないが教えておいてやる。右の馬、後ろの右脚が痛むらしい。診てやってくれ」

 

「なんだって……?」

 

 去っていくジュモたちの背中を見たグルゼは、急いで荷台から何かを取り出し、ジュモに向かって放り投げた。

 

「おい! ついでにこれも持っていけ」

 

 それは、既に使い込まれた革製のリュックだった。

 

「俺のお古だが、使い勝手は悪くないはずだ!」

 

 ジュモは、振り向かずに右手を振った。

 

 ジュモたちの背中が遠ざかっていくと、グルゼは思わずため息をついた。

 

「ったく、あんなデタラメな奴らに弱みを握られるとはな」

 

 グルゼは、「街へ入ったらまずは馬の脚を見てもらおう」と、持てるだけの荷物を背負って馬を引いていくのだった。

 

 ◇

 

 ジュモたちは、ハンプゴートを放し、街道を歩いていた。  

 こころなしか、ゼリルの機嫌は良さそうだ。

 

「今回は説教はねぇのか?」

 

「あれは、不倫をしている彼の方に非がありますから。それに、鱗を手放すまいとしたジュモの心意気にも感動しました

 

「売ろうとした私も少し軽率でしたし」とゼリルはつぶやく。

 

「お前がそんな調子だと、変な感じだなぁ……」

 

「それより、馬たちの会話は私も聞いていましたが、よく大事にされていると気づきましたね」

 

「まあな。単純に毛並みがいいし、(ひづめ)も最近手入れした跡があった。なにより、聞いてもないのに主人の人間関係、それも女周りの話をしてるってことは、あいつら主人が好きなあまり、人間の女に妬いてたんだろうな」

 

「妬いてた……?」

 

「気づかなかったか? あいつらは二頭ともメスだぜ」

 

 

 

  〈第三節 ジラーマの街〉[#「〈第三節 ジラーマの街〉」は中見出し]

 

 

 

 無事に(?)入国料を手に入れたジュモたちは、いよいよジラーマの街に入ることができた。

 

 尤も、ゼリルのことを不審に思った衛兵に対して、ジュモが噛みついて揉める、という一悶着があったものの、概ね無事である。

 

 ニューヴァリアでは、闇の国に近いほど、即ち、北に行けば行くほど強力な魔物(まぶつ)が湧くようになるが、その点で言えば、大陸の南部に位置するこの付近は比較的協力な魔物も少ない。

 

 そんな環境もあり、東西の中心にあるジラーマの街は、多くの旅人や商人が訪れる貿易都市として有名である。

 また、周辺に村も多く、お登りで冒険者になる物が多い街でもあった。

 

 街に入ったジュモたちは真っ先に、その人の多さに圧倒されrていた。

 といっても、初めて見る街の様子に目を輝かせるゼリルに対して、ひたすらげんなりしているジュモという、対象的な状況ではあるが。

 

「見てくださいジュモ! 人々が活気付いていますよ!」

 

「うげぇ……やっぱり街は人が多すぎて嫌になってくるな……お前はよくそこまではしゃげるな」

 

「あたりまえじゃないですか! 建物も、服装も、市場も! 全て初めてみるんですから!」

 

「へいそーですか」

 

「ジュモ! ひょっとして、あれは露天ですか⁉︎」

 

「ジュモ! あれは露天ですか?」

 

 少し進んだところで、一際人の密度が高い区域があった。

 

「そうだが……まさか、あそこに見に行きたいとかいい出すんじゃねぇだろうな……」

 

「はい! ぜひ見に行きたいです!」

 

 ゼリルの、あまりにまっすぐな好奇心と推しの強さに負けたジュモは、結局渋々露天へと向かうのだった。

 ゼリルが真っ先に興味を持ったのは、髪飾りやブローチ、指輪などの装飾品が売られている店だった。

 

「すみません! この装飾品は、何の素材でできてるのですか?」

 

「ああ、こいつはシーライトって、ここらで採れる鉱石を加工した――」

 

 店主は説明しながら顔を上げると、おっぱいと目があった。

 

「……うわあ! おっぱいが喋ってる!」

 

「なるほど、ではこれは……?」

 

 その信じ難い光景に店主は目を擦る。

 

「おい、だからおっぱいが急に喋り出したらビビるだろうが」

 

「兄ちゃん、そいつは一体」

 

「……俺がテイムしたビーストだ」

 

「いや、そんなビースト見たことも聞いたことも……」

 

「ビーストだ」

 

 頑なに意見を変えないジュモに、店主はこれ以上は踏み込めないと踏んだ。

 

「はあ、わかった。なんだかわからねぇが欲しいもんがあるならとっとと買っていきな。面倒ごとは御免だ」

 

「ではその髪飾りを……」

 

「どこにもつけるとこねーだろうが。馬鹿なこと言ってないでさっさと行くぞ」

 

「ああ! もっと色々なものを見たかったのに!」

 

 ジュモは珍しく駄々をこねるゼリルを、引きずるように露店を後にした。 

 

 当たり前ではあるが、ゼリルを連れて歩いていると注目を集めてしまう。

 

「お前のせいで面倒なことになっただろうが……。それより、あの光のことはどうなったんだよ、何か思い出したとか、体に変化があったとか」

 

「そういえば……特に変わったことはありませんね……」

 

「あれだけ派手な光線出しといてそれかよ」

 

「出したくて出したわけでは!」

 

「はあ……あれ以降、あの光も出なくなっちまうし、どうしたもんかねぇ」

 

 街に来るまでの道中、もう一度光線が出るかどうか試したのだが、光線は出なかったのだ。

 

「私の件は後回しにして、まずはギルドカードの再発行、でしたっけ。そちらの件を済ませてしまってはいかがでしょうか」

 

「だな。じゃあまずはギルドを探さねぇと」

 

 その時、門の方で何やら騒ぎが起きているのに気づいた。

 

「道を開けてくれ!」

 

 声を上げながら現れたのは、防具を身にまとった三人の冒険者たちだった。

 そのうち二人が、真ん中の冒険者を肩で支えている。ぐったりとしたその冒険者は顔色が悪く、生気を失ったように垂れ下がっていた。

 

「ぐあぁ……」

 

「しっかりしろ、教会までもう少しだ。すぐに聖女様に治してもらうぞ」

 

「怪我、でしょうか……?」

 

 ゼリルが心配そうに尋ねると、ジュモが答える。

 

「毒だ。魔物に毒をもらったんだ」

 

 すると、答え合わせをするかのように、隣に立っていた男が、「また冒険者が毒にやられたか……」と声を漏らした。

 

「ああいうことは、頻繁にあるのですか?」

 

 彼を事情に詳しいと見たゼリルが、話しかける。

 得たいの知らないおっぱいが話しかけてきたことで男はぎょっとしたが、事情が深刻なこともあってか、ゼリルへの疑問をぐっと飲み込んで話し始めた。

 

「ジラーマの周辺には危険な魔物は湧かないはずだったんだが、最近になって、毒を持つ魔物が大量に湧くようになったんだ。その結果、解毒ポーションの需要が急激に高まってな、元々高額だったのがさらに値段が跳ね上がって、貧乏な冒険者は、ああやって担いで帰ってきて聖女様を頼るしかないんだ」

 

「そんな事情が……。聖女というと、確か街ごとに派遣されている聖術使いの女性、でしたよね。教会での治療は、金銭を要求しないのですか?」

  

「ああ。教会は寄付で成り立ってるからな、金もかからないからな。今の聖女、ヒルナ様が派遣されてきたのは数年前だが、みんな感謝してる」

 

「――湧き出す魔物の種類が変わるなんて妙だな」

 

 神妙な面持ちでジュモが呟く。 

 出現する魔物の種類については、地域ごとに異なり、出現する種類が変化することは稀なケースだ。

 

「急に毒の魔物が増え出した理由について、教会とギルドが協力して原因を探っているんだが、いまいち進展がないらしい」

 

「そうか。……そうだ、この街のギルドってどこだ?」

 

「ギルドなら、この通りを真っ直ぐ行って右曲がったところだが……」

 

「ありがとな」

 

 それを聞くなり、ジュモはその場を後にしようとした。 

 

「ちょっとジュモ! すみません! ご丁寧に対応いただき、ありがとうございました!」

 

「あっ、ちょっと君! 少しでいいからそのおっぱいを揉ませてくれないか……⁉︎」

 

 その願いはジュモたちには届かず、雑踏に紛れて消えてしまった。

 

「何だったんだ……」 

 

 呆然とする男に話しかける影があった。

 

「ねえ今ここに、やけに存在感のある人がこなかった?」

 

 声の主に気づいた男はまた仰天した。

 

「あ、あなたは! ……実は先ほど、おっぱいを連れ歩く半裸の男が――――」 

 

 

  ◇

 

 

 ジュモたちは、男の案内に従って、ギルドへと向かっていた。  

「ジュモ、親切にしていただいたのなら、お礼はしっかりしないとだめですよ!」

 

「へいへい、わかりました」 

 

「ところでジュモ」 

 

「今度はなんだ」

 

「露天に行った時や、先ほどの男性の反応から察するに、ひょっとして今の私は、自分が思っている以上に目立っているのではないでしょうか……」

 

「……今更気づいたのか」

 

 ゼリルは赤面した。

 

「……恥ずかしながら」

 

 そうこう言っている間に、二人は、一目で何らかの施設だろうと分かるほど、他の建物の数倍の大きさの建物――ギルドの前に着いた。

 

「……しばらくリュックの中に入ってるか?」 

 

 ジュモが、商人グルゼから貰ったリュックを開いた。

 

「……入るには少々不清潔なのが気になりますが、致し方ありません」

 

 ゼリルをリュックの中に収めると、気を取り直してジュモは巨大な木製の扉を引いてギルドへと入った。

 

 中に入ると、騒々しい喧騒に思わず顔を顰めた。

 室内では、武具を身に着けた冒険者たちが所狭しと集まっている。

 笑い声を響かせながら談笑する者、食器を鳴らしながら飯を喰う者、ジョッキを掲げて酒を飲む者。それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。

 

『随分賑やかなようですが、ギルドの中はいったいどうなっているんでしょう、気になります……』

 

 突如、ジュモの頭の中にゼリルの声が響いた。  

 

「(おい、今お前どうやって喋ってるんだ)」

 

『え? 今ひょっとして、ジュモに考えてることが伝わってますか?』

 

「(あ、ああ。その様子じゃ自覚なしみたいだな)」

 

『不思議ですね……』

 

「(……お前に関しちゃ、存在自体デタラメすぎて、もう何が起きても驚かねぇよ……。それで、ギルドがどんなか? つったか?)」

 

『はい。いかんせん外が見えないものでして』

 

「(あー……テーブルがいっぱいあって、冒険者どもが飯を食いながら騒いでやがる。あとは受付があって、その隣にはクエストボードがあるな」

 

『クエストボード?』

 

 ジュモは、自分の背丈よりも高さのある、巨大なボードの前に立つと、内容を眺めた。

 

「(魔物の討伐依頼が張り出されてて、その依頼を達成できたら金が貰える仕組み……だったはず)」

 

『なんですか、はっきりしないですね……』

 

「(しょうがねぇだろ、依頼なんて受けたことないんだから)」

 

『そうなんですか?』

 

「(ああ、金なんて滅多に使わないから事足りる)」

 

「あのー、何かご不明点がありましたらお答えしましょうか?」

 

 ジュモがギルドの仕組みに不慣れな事が見て取れたのか、カウンターから受付嬢が話しかけてきた。

 

「丁度よかった。ギルドカード無くしちまって再発行したいんだけど、ここでいいのか?」

 

「それでしたら、二階で承っております。詳しい内容はそちらで聞いてみてください」

 

「ああ、別の階なのか。ありがとよ」

 

 二階は、開けた間取りとなっていた一階とは異なり、いくつかの部屋に分かれたつくりとなっていた。

 

 受付前にある椅子には、真新しい軽装備の少年やおどおどした少女といった、初めてカードを取得するであろう面々から、

 見るからに荒くれ者のような風貌の者までいる。こちらはおそらく

 ジュモと同じように再取得する者だ。

 

 ジュモは早速受付に向かった。

 受付には、黒い長髪のメガネを掛けた受付嬢だ。

 

「なあ、ギルドカード作り直したいんだけど」

 

『ジュモ! 敬語!』

 

 ゼリルが脳内に抗議の声を響かせる。無視すると後が面倒なので、ジュモは素直に訂正することにした。

 

「ですけど…………」

 

「は、はい。ギルドカードの再発行ですね。まずはお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 

「ジュモ・オレンジバックだ」

 

 急に、サルの一種であるオレンジバックの名を出されたことで、一瞬キョトンとしたものの、すぐに話を続けた。

 

「ではジュモ様、過去に当ギルドでカードを発行されたことはありますでしょうか?」

 

「ねぇ……ですけど、それが何か変わる……んですか?」

 

「はい。当ギルドでの発行履歴がある場合はすぐにギルドカードの再発行ができるのですが、そうでない場合は再発行試験を受けていただくことになります」

 

「試験だあ……? あの面倒なのをもっかい受けなきゃならねぇのかよ……です」

 

 一年前、ジュモはギルドカードを初めて取得する際にも試験を受けていた。

 

 その内容は、数日間に渡って冒険者の知識の講義のほか、実地試験などであり、普通の人間であれば、そこまで面倒なものではないが、今よりも人の文化に抵抗感があり、慣れていなかったジュモは相当に苦労した。

 

「今回は再発行ですので、ジュモ様に受けていただくのは一日間の実地試験となります」

 

「一日くらいならまあ、いいか……。どっちにせよ面倒だけど」

 

「かしこまりました。申請はお一人でしょうか?」

 

「ああ」

 

「そうしますと、本試験は三人で受けていただく試験のため、他の受験者と合同で行っていただくこととなります」

 

「げっ……」

 

「試験内容は、ジュモ様を含めた三人パーティで、こちらが指定した数の魔物を討伐してもらう内容となりますが、どうなさいますか」

 

「それでいい。予め仲間をつくるのはもっと面倒だ」

 

「かしこまりました、本日は適性検査のみ行い、出発は明後日の朝七時となります。よろしいですか?」

 

「いーよ。どうせ駄目っていっても日付は変わらねぇんだ」

 

「では、適性検査を行いますので、あちらへお進みください」

 

 ジュモは受付の案内に従って廊下を進んでいる最中、ゼリルが久しぶりに話しかけてきた。

 

『なるほど、再発行には試験を受ける必要があるのですね』

 

「うおっ、そういえば居たのか、忘れてたぜ」

 

「忘れてたって、そりゃないでしょう! ……それで、その場で初めて会う人とパーティを組む、でしたっけ、ジュモ、上手くやれるのですか?」

 

「余計なお世話だ。心配しなくてもさっさと終わらせるよ」

 

『……ちなみに、初回の時はどうだったのですか?』

 

「他の奴らがへっぴり腰のザコで使い物にならねぇから、一人でさっさと終わらせた」

 

『……急に先行きが不安になってきました。それに、皆駆け出しなのですから、弱いのは当たり前でしょう』

 

「へいへい」

 

『それにしても、ジュモは受けたギルドカードを取得した時から、既に強かったんですね』

 

「まあ、森に住んでたときは魔物と戦うなんざ日常茶飯事だったからな。ここらに住んでる軟弱なやつらと一緒にされちゃ困る」

 

『……? そういえば、森と違って街の中に魔物が湧かないのはどうしてでしょうか』

 

「そりゃ、街がそもそも『聖素だまり』がある場所を中心につくられてるからだ」

 

『聖素だまり?』

 

「大気中の聖素量が極端に多い場所だ。だから夜でも魔物が湧かないし、近づいてもこない。

 夜になると、翠の光が見える」

 

 ――そもそも暗い場所で魔物が湧くのは、大気中の魔素が活性化するからだ。

 

『なるほど……』

 

「もう着くぞ」

 

 廊下の突き当たりの部屋は、中央に大きな机が置いてある部屋だった。少し奇妙なのは、椅子は一つも置かれていないことだ。

 

 机には、金属製の武具を身につけた冒険者の男が、八面のサイコロを振るうところだった。

 そして、それを、少女のような印象を受けるギルド職員が見守っていた。

 

 机の上に投げられたサイコロが止まり、その出目を職員が確認する。

 

「職業適性は『戦士』、『聖力』は一。自己申告通りですね

 。今日はもう帰って大丈夫です」

 

 それを受け、冒険者の男は部屋を出ていった。

 

「次の方〜、えーと、ジュモ・オレンジバック様ですね?」

 

「おう」

 

「ではこれより女神の手のひら(オンザボード)を行っていただきます。説明はご必要ですか?」

 

「いらな――」

 

『要ります!』

 

 『オンザボード』という聞き慣れない単語に、ゼリルは好奇心が抑えられなかった。

 

「……やっぱ聞かせてくれ」

 

「わかりました。才能(ギフト)についても、今一度説明したほうがよろしいですか?」

 

『ギフト?』

 

「ああ、そっちも頼む。」

 

「はいはい、わかりました〜、それでは才能(ギフト)の説明から。才能(ギフト)は、誰しもが生まれた時から有している、潜在能力のようなもので、女神ニューリア様から授かったものとして、私たちは才能(ギフト)と呼んでいます」

 

「例えば、『戦士』の才能(ギフト)を持つ者は、剣、槍、斧などの近接武器を扱いが上達しやすく、また、武器に属性(エレメント)を付与したり、身体能力を向上させたりといった『戦技』が使用可能になります。そして、ジュモ様の才能(ギフト)であるビーストテイマーは、ビーストを手懐ける技術が高く、また、テイムするビーストの能力を向上させることができる、というものです」

 

「そうだ、聖女ってのも才能(ギフト)のうちか?」

 

「はい。聖女も才能(ギフト)の一つです。と言っても、他の才能(ギフト)に比べて聖女は極端に少なく、千人に一人、と言われています。能力については……すでにご存知かと思いますが、聖力の扱いに優れていて、それを用いて魔物を殲滅したり、治癒の力を行使することができます。ただ、本人が聖力を保有しているため、非常に魔物から狙われやすいため、ギルドは、教会と連携して、積極的に聖女の保護、育成を行なっている、というのが現状です――と、ここまでが才能(ギフト)

 の説明ですね」

 

 すると、職員はサイコロを手に取った。

 

「では続いて、女神の手のひら(オンザボード)の説明に移らせて頂きます。先ほど説明した才能(ギフト)の適性を判断するための方法で……まあ、血液検査みたいなものです」

 

 そう言って職員が卓上にひかれたシートを指す。

 シートには、紙面いっぱいの三角形が描かれており、三角形の頂点にはそれぞれ、『力』、『技』、『精神』の文字が描かれている。

 そして、三角形の中に描かれているものこそ、様々な職業の絵が絵だ。

 

「やり方は簡単で、この職業表に向かってサイコロを振ると、あなたの職業適正と聖力をジャッジすることができちゃうのです! ボードの通り、力のカテゴリには剣士や武闘家みたいな筋力が求められる職業が。技のカテゴリにはシーフやアサシン、アーチャー、レンジャーみたいな器用さが求められる職業が、精神のカテゴリには魔法使いや、踊り子、歌姫なんかの、精神力を使用して、不思議な力をあやつる職業が描かれています!」

 

「サイコロの出目は、聖力の強さを表しています。サイコロの出目が四以上でですと、適性があるとみなされ、剣士ならば聖剣士。特に、魔法使いや踊り子ならば、聖女や聖人となります。ジュモ様、以前の結果は?」

 

「ああ、ビーストテイマーで、聖力は二だったな」

 

「かしこまりました。テイマーですと、ここになりますね」

 

 職員は『技』と『精神』の間。そして、『力』からは最も離れた場所を指し示した。

 

「では、お投げください」

 

「おう」

 

 ジュモがサイコロを転がすと、サイコロはまるで意志を持っているかのようなら挙動で、三角形の最も外側にあるビーストテイマーの絵柄へ向かって転がっていく。

 勢いをつけすぎたのか、サイコロは一度三角形の中から飛び出したものの、再び中に戻りテイマーの絵柄の上に戻った。

 

 そして、後はサイコロが止まり出目が出るのを待つだけというところで、異変が起きた。

 

「ええっ⁉︎ サイコロが……」

 

「止まんねぇ……?」

 

 その言葉通り、サイコロは止まらずに、ビーストテイマーの絵の上で回り続けていた。

 

「前はこんなことなかったぞ、どうなってんだ」

 

 ジュモが尋ねるが、一番驚いていたのは職員だった。

 

「え、えーと私にもわかりません! こんな事初めてで……。おかしいですね、サイコロは絶対のはずなんですが……ジュモ様、以前検査したときと比べて何か変わったところはないですよね? 何らかの加護のついた装備を身につけているとか……」

 

「装備……? いや、いつもと変わらねぇけど……」

 

 その間も、サイコロが止まる気配はない。

 その時、助言を出したのはゼリルだった。

 

『ジュモ、私を置いてもう一度サイコロを振ってみてください』

  

「……そういうことか、よし」

 

「はい?」

 

 不思議そうに首を傾げる職員をよそに、ジュモが再びサイコロを振るった。

 

 すると、先ほどと同じ挙動で転がったサイコロは、今度はすぐに“二”の出目を出して止まった。

 

「お、これで前と同じだな」

 

「ああ……! 先輩たちにも見てもらおうと思ったのに! ……でもたしかに……ジュモ様は聖力二のビーストテイマーとしての適性があるようです」

 

「おう。じゃあもう帰っていいのか?」

 

「正常に結果が出てしまった以上そうですね、どうぞお帰りください。あっ、試験は二日後の七時ですから、忘れないように!」

 

 職員は、帰っていくジュモの背中を見ながら「それにしても、何だったんでしょう……」とぼやいた。

 

 すると、ぐう〜と、ジュモの腹が鳴った。

 

「あの〜、よろしければこの辺りの美味しいお店、お教えしましょうか?」

 

「……肉を使わない料理で頼む」

 

  

 ◇

 

 

「シーチュ、オムレー、リッゾト……どれも美味そうだな……」

 

 あれからジュモは、職員に勧められた店で、メニュー表を眺めていた。

 ジュモの要望通り、肉料理は一切扱わない、エルフが営む食堂だ。

 それもあって、店内の客層は、ビーストを愛するテイマーやエルフ、ヘルシー趣向の人間などが主だった。

 

「ジュモ、ひょっとして彼女がジュモの言う獣人ですか?」

 

 窓際の席には、人間に近い容姿ながら、全身が白く短い毛で覆われ、長い耳を持った、うさぎの獣人が野菜スティックをポリポリと齧っていた。

 

「ああ。つってもあれは大分人間寄りだな。パザラはもっとサルっぽかった」

 

「なるほど、獣人にも、人間寄りの者とビースト寄りの者がいるということですね」

 

 ちなみに、今ゼリルは平然とテーブルの上で喋っている状態である。これは入店時、ゼリルの姿を見た店員に当然ギョっとされたが、「ビースト連れ込みしていいんだろ?」の一言で押し通したためだ。

 

「……なあ、さっきサイコロが止まらなかったのってさ」

 

「……まず間違いなく、私が原因でしょうね」

 

 ゼリルの入ったリュックを置いた途端に正常になったのだから、それは明白だった。

 

「めちゃくちゃ魔物に襲われたりもしてるあたり、まず間違いなくお前の持つ聖力が原因なんだろうが……」

  

 突如、ジュモの言葉をゼリルが遮った。

 

「……! ジュモ、誰か来ます!」

 

「あ? 誰かって――」

 

「――理由、知りたい?」

 

 そんな声と共に、ジュモの視界に栗色のロングヘアが映り込んだ。

 

「誰だ?」

 

 ジュモは手始めに、女を頭から足元までを一瞥した。

 艶のある栗色のロングヘアに、整った目鼻立ちの、どこか佇まいに気品を感じる女だ。年齢は二十歳ごろだろうか。

 そして、そんな印象から相反するかのように――その服装は、ほとんど下着同然だった。

 

「ち、ちちち、痴女⁉︎⁉︎」

「破廉恥な‼︎」

 

 一斉に慌てふためくジュモとゼリル。

 

 白を基調に金のラインが入った服装であり、首から五角形の聖印のペンダントを下げていることから、辛うじて彼女が教会の人間であることは判別できた。

 だが、その印象をも上回るほど、その布面積の少なさは衝撃的だった。

 

 上半身は幅の細いチューブトップのみを身につけ、その上下からはたわわに実った果実がはちきれんばかりにこぼれてしまっている。

 そして、下半身は鼠蹊部がはみ出るほどにずり下がった、ローライズのミニスカートだった。

 

 通常、教会の修道服は、頭に頭巾を被り、上下一体となった純白の貫頭衣の形状で、足首を覆うほどの長い丈が特徴であることを踏まえると、彼女の服装がどれだけ異端なものか察することができるだろう。

 

 ジュモたちの反応を見た彼女は、愉快そうに「あはは」と笑った。

 

「痴女って、おっぱい連れ歩いてるキミにだけは言われたくないなぁ」

 

「だ、だってそんな露出の多い格好してるやつは痴女が娼婦だって、パザラがいってたぜ!」

 

「キミねぇ……。まあいいや、話はご飯でも食べながらしようよ。おいしいんだよ? ここのオムレー」

 

 彼女はジュモの言葉を流すと、しれっとジュモの正面の席へと座った。

 

「おい」

 

「すみませーん、注文いいですかー!」

 

 女が手を挙げると、すぐにエルフのウェイトレスが「はーい!」と元気のいい挨拶をした。そしてそのまま、思い出したかのようにゼリルへ話し掛けた。

 

「あ、そうだキミはご飯食べるの?」

 

「い、いえ、私は食事を取りませんが……」

 

「そうなんだ〜」

 

 すると、ウエイトレスが席にやってきた。

 

「お待たせしましたーって、よく見ればヒルナ様じゃないですか! この方達は……?」

 

「うーん、客人かな、今のところは。それじゃ、オムレー二つ」

 

「かしこまりました!」

 

 ウェイトレスが去っていくと、ジュモは首を傾げていた。

 

「ヒルナ……? どっかで聞いたような」   

 

「あなたが聖女ヒルナ……なのですか?」

 

「何言ってんだ、こんな痴女が聖女なわけねぇだろ」

 

「君ねぇ……」

 

 ◇

 

「――野菜たっぷりオムレー二つになりまーす」

 

「あ、アンタが聖女ォ……⁉︎」

 

 料理が運ばれてくるころ、ジュモはようやく目の前の痴女……もとい彼女が“聖女ヒルナ”であることを理解した。  

 

「君、勘鈍すぎ。改めて自己紹介すると、私はヒルナ。このジラーマの聖女よ」

 

「ゼリルと申します。ほらジュモ、挨拶をしてください」

 

「じゅ、ジュモ・オレンジバックだ……でも聖女っていうならもっと他の客が気に掛けてるもんじゃないか?」

 

 事実、ウェイターが気づいたのみで、他の客は店内に聖女ヒルナがいることに気づいていないようだった。

 

「まあ、ちょっとしたおまじないを掛けてるからね」

 

 そう言って彼女はパチンと指を鳴らすと、他の客が次々にヒルナの存在に気付きはじめた

 

「なあ、あれ聖女様だよな!」

「本当だ、ヒルナ様だわ!」

「ヒルナ様ー!」

「こっち向いてくれー!」

 

「やほ〜〜」

 

 ヒルナが手を振りかえすと店内は一気に色めきだち始めた。

 

「うおー!ヒルナ様がこっち見てくれたぞ!」

「きゃ〜〜!」

「ヒルナ様ー! 好きだー‼︎」

 

「こうなっちゃうから、解きたくなかったんだけどなぁ」

 

「……今何したんだ?」

 

「何って、まあ聖力をコントロールして気配を抑えてただけだって。それでもやっぱり、私が来た瞬間、ゼリルちゃんは気づいてたみたいだけど?」

 

「そういや、『誰か来る』って、お前言ってたよな」

 

「はい。なにか強い気配のようなものが近づいてきているような気がして……」

 

「やっぱ“そう”か」

 

 ヒルナの意味深な言葉にゼリルは首を傾げた。

 

「“そう”、とは?」

 

「そのあたり含めて君たちとはじっくりお話しをしたいんだけど……」

 

 ヒルナがちらりと横を見ると、彼女を一目見ようと客たちが押しよせていた。

 

「続きは、教会で話そうか」

 

「待った」

 

 ヒルナが席を立とうとすると、それを引き留めたのはジュモだった。

 

「何?」

 

「まだ飯を食い終わってねぇ。……残しちゃもったいねぇだろ」

 

 その表情はいたって真剣で、ヒルナは今まで、ここまで食べ物を大切に扱う人間を見たことがなかった。

 そして、席に座りなおすとスプーンを再び手に取った。

 

「君は、私が想定していたよりも信用できる人間なのかもしれないね。……まずはオムレーを食べ切ることにしよう。話はそれからだね」

 

 ◇

 

 店を出たジュモたちは、ヒルナに連れられて教会の前へ訪れていた。

 

 教会はいくつかの建物に分かれており、最も大きい礼拝堂は装飾の施されたドーム状の屋根となっていて、存在感を放っていた。

 

「せっかくだから礼拝堂を覗いていきなよ」

 

 ヒルナが慣れた手つきで大きな両開きの扉を開く。

 中央には木製のベンチが奥まで並んでいて、所々に礼拝客の姿が見える。

 だが、何より目を引くのは、全ての壁一面に描かれた壁画だ。

 

 多くのビーストを引き連れた女性が、闇の軍勢へ立ち向かう様子が描かれている。

 

「これは……」

 

 ゼリルがぽろりとこぼす。

 

「すごいでしょ、聖魔戦争を描いた壁画だよ」 

 

「では、あれが女神ニューリア……なんですね」

 

「そう。千年前、人やビーストを従えて魔神カラボスと戦った女神様」

 

「でも、最後は……」

 

 そう言ってヒルナは天井を見上げた。

 天井には、滅びゆく魔神カラボスと、身体が頭、左腕、右腕、胴体、左足、右足の六つに分かれ散らばっていく女神ニューリアが描かれていた」

 

「そう。女神様は自らの身を犠牲に魔神カラボスを滅ぼして戦いを終わらせた」

 

「……それでも、魔物がいなくなったわけではないんですね」

 

「うん。魔物は大気の魔素から生み出されるものだけど、全ての魔素をなくすことは不可能だからね……でも、千年前今じゃ考えられないほど魔物は凶暴で、数も多かったって話だよ」

 

「では、これでも今は平和な時代、なんですね」

 

「うん……それも、いつまで続くか分からないけど」

 

「……え?」

 

「さ、そろそろ本題に入ろうか。こっちだよ」

 

 礼拝堂の右横から続く廊下を進み、招かれたのは治癒室だった。

 植物の香りが鼻をつく。

 

 部屋の端にはベッドがいくつか置かれており、棚には分厚い本や乾燥させた植物が詰められた瓶などが所狭しと並んでいた。

 そして、部屋の中央に置かれているのは人を横に寝かせるための手術台だ。だが、それら全てが丁寧に清掃されているのか、清潔さが保たれていた。

 

「ここが教会(ウチ)の治癒室だよ」

 

 すると、ヒルナの声が聞こえたのか、さらに奥の部屋から、ベージュの髪をボブカットに切りそろえた、眠たげな目をした少女が出てきた。

 その服は、ヒルナのものとは違う、肌の露出を極力抑えた一般的な聖職者の服装だ。

 いきなり見知らぬ半裸の男とおっぱいに怪訝な表情を向けた彼女のことを誰が責められようか。 

 

「ヒルナ様、お帰りなさいませ。……その方々は?」

 

「客人よ。あ、彼女は見習い聖女のユーハ」

 

「は、はあ……よろしくお願いします」

 

 ユーハと呼ばれた彼女が、困惑しながら会釈をした。

 

「もしかして、私がいない間に患者が来た?」

 

「はい。さきほど、毒を受けた冒険者が」

 

「そっか。ユーハにはまだ解毒の聖術(ポイズンケアー)は結構疲れるでしょ。自室で休んでて」 

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 そう言ってユーハは部屋を出て行った。

 

「ここで患者の治療を?」

 

「そ。中には聖術じゃ治せない症状もあるから、薬を調合して飲んでもらったり、ね」

 

「あのユーハってやつも聖女なのか?」

 

「彼女はまだ王都の育成学校を出たばかりの見習い。あと何年かして一人前になったら、晴れて聖女として別の街に派遣されるってわけ」

 

「へえ……やっぱりあんた、本当に聖女だったんだな」

 

「ジュモ失礼ですよ!」

 

「ひょっとしてまだ信じてなかったわけ⁉︎」

 

「だ、だってやっぱりそんな格好のやつが聖女なわけないだろ!」

 

「キミ、私に興味津々だね、興奮しちゃった?」

 

「……ッ! バカ言え!」

 

 ジュモはヒルナの後ろを歩いている最中、背中と、ひらめくスカートのスリットから覗く尻たぶを凝視してしまっていた。

 いくら人間を嫌っていようと逃れることのできない、生物としての性である。

 

「それはさておき、私がこの服装なのは、身軽で私の戦闘スタイルに合ってるから。……というか、君だって「裸同然の格好じゃない。なんなら、おっぱいを連れた半裸の冒険者がいたって、噂になってたわよ?」

 

 そして、「それに、私程度の聖力ならこのくらいの布面積でも十分抑えられるし」と付け加えた。

 

「聖力を抑える……?」

 

 ゼリルが尋ねると、ヒルナの纏う雰囲気が鋭いものへと変わった。

 

「――ここからが本題だよ。何も私は、物珍しさから、とっても貴重な余暇時間を使って君たちを招いた訳じゃない」

 

「なら、なんだってんだ」

 

 ヒルナとジュモの視線がぶつかり合う。

 

「担当直入に聞くよ。彼女――ゼリルはいったい“ナニ”?」

 

「何ってそりゃ、こいつは俺のテイムしたビーストで――」

 

「わかりません」 

 

 ジュモの言葉に被せるように、ゼリルは言った。

 

「おい」

 

「彼女に誤魔化しは効きません。正直にお教えします。私は数日前、目覚めると森の中にいました。それ以前の記憶はなく、自分が何者で、何故ここにいるのか、分かっていません。ジュモ――彼は私をビーストだと言ってくれましたが、共鳴の糸(リンクライン)は受け付けませんでした」

 

 そして、光線が指した先を目指してジラーマに訪れたことを告げた。

 

 流石に予想外の回答だったのか、ヒルナは苦笑した。

 

「……はあ、よほど稀有な存在だとは思っていたけど、まさかそう来るとはね――それに、よくもまあそんな状態でよく無事にこの街まで辿り着けたね。魔物に襲われまくっただろうに」

 

「無事なもんか、何回も死にかけたぜ」

 

「ですが、あなたが何故それを……」

 

「その前に、魔物に襲われる原因に心当たりは?」

 

「――私、ですよね。さらに言うなら、私の持つ聖力に惹かれて魔物は集まってきていると、私は考えています」

 

「それだけ分析できているなら上出来だよ」 

 

「やっぱこれ、聖力の光だったのか……」

 

 ジュモが無意識にゼリルから漏れ出る光を触った。

 

「ひにゃんっ‼︎ 辞めなさいジュモ‼︎」

 

「やべっ、つい……」

 

「あはは、光って見えてないけど、やっぱりそこは乳首なんだ」

 

 ヒルナは笑いながら、ジュモたちの前で手を開くと、ぽう、と淡い緑色の光を放った。

 

「聖力をコントロールできれば、魔物を祓う以外にも、治癒や、さっきみたいに気配を遮断したり、色々できる」

 

「これが、聖力の光……」 

 

「――さて、いよいよ本題に入るね。聖女として、キミたちをこのまま野放しにしておくわけにはいかない。いくら街の周辺には魔物は湧かないとはいえ、君は前例のない存在だ。どんなイレギュラーを呼び寄せるかわからない」

 

 ヒルナは二本指を立てた。

 

「選択肢は二つ。一つ目、その子を教会に預けること。「言葉を話す」、「聖力を保有している」この条件に当てはまる以上、ゼリルちゃんは『聖獣』に分類される可能性が高い。教会では聖獣は丁重に扱われるからね、そう悪い待遇じゃないと思うよ。そして二つ目、聖衣を身につけた上で、今まで通り旅を続ける」

 

 ヒルナは「ゆっくり考えていいよ」と促すが、ゼリルの返答は早かった。

 

「……ご提案ありがとうございます。しかし、私は既にジュモと共に旅をすると決めています」

 

「そっか。……実を言うと、私もそう答えると思ってた」

 

「それで、聖衣ってのは何だ? どこで手に入れられる?」

 

「聖衣は私たち聖女が来ている服のこと。特別な繊維で編まれていて、魔物が聖力を感知できなくなるんだ」

 

「では、聖衣を着ればあのように魔物の群れに襲われる事も無くなるわけですね⁉︎」

 

「そう言う事。でも、タダで渡すわけにはいかない。何せ一着で一等地に小さな家を建てられるくらい価値があるんだ。それに、予備や歯切れでさえも教会で厳重に管理されているし」

 

「じゃあどうすりゃいいってんだよ」

 

「幸い、人間と違って必要な面積は少ないから、必要な分だけこっそり渡すことはできる。だから、交換条件だ」

 

「交換条件?」

 

「キミたちには、聖衣を渡す代わりに、おつかいを頼まれて欲しい」

 

「おつかいだって?」

 

「その前にジュモくん、キミの等級は?」

 

「等級?」

 

「ジュモ等級ってなんですか?」

 

「さあ?」

 

「いやいや、ギルドカードの等級に決まってるじゃないか」

 

「ああ、そういやそんな説明受けた気もするな」

 

 ジュモはポーチを漁ってギルドカードを探そうとしたが、「そうだった」と思います。

 

「今ギルドカード持ってねぇからわかんねーや」

 

「ええ⁉︎ ……でも、自分の等級くらいは覚えてるでしょ?」

 

「なあ、等級って確か、試験受けないと上がらねぇんだろ?」

 

「そうだけど……」

 

 さっきからジュモが、やけに初歩的なことばかり聞いてくるので、ヒルナは嫌な予感がしていた。

 

「なら一番下の等級だ」

 

 冒険者ギルドの等級は鉄、銅、銀、金、プラチナ、ミスリル、オリハルコンから構成されている。

 以下略

 鉄等級とはすなわち…

 

「鉄等級ってこと? ……おかしいわね、流石にもっと実力あると思うんだけど」

 

「ああ、要するにアンタは、俺がおつかいをこなせるかどうか、俺の強さを知りたがってるわけか」

 

「そういうこと」

 

「……そういうことなら悪いな。俺、その試験一回も受けたことねぇんだわ」

 

 それを聞いたヒルナは仰天した。

 

「はああああああああ⁉︎ 」

 

「うおっ、なんだいきなり」

 

「君……今、昇格試験を受けてないって行った……?」

 

「おう、面倒だからな」

 

「はあ……変わり者だとは思ってたけど、まさかここまでとは……」

 

 ヒルナが頭を抱えるのも無理はない。

 なにせ、冒険者の能力を示す等級は、その高さによって受けられる依頼、ひいては報酬額が上がるものであり、彼らが最も重要視するものだからだ。

 

 だが、それもあくまで人間の中での常識である。

 生憎、ヒルナの目の前にいるのは、森で獣人に育てられた非常識な男だった。

 

 人間の街に滞在することを好まず、金銭にも執着のないジュモにとって冒険者等級とは、興味がないどころか、“試験を受けることを推奨される”という面倒事だとしか思っていなかったのだ。

 

「……じゃあ仕方ないから質問変える。あなたが今まで倒した魔物の中で、最も強かったのは何?」

 

「一番強ぇやつか、なんだろうな……」

 

 ジュモが首を傾げていると、何の気無しにゼリルは尋ねた。

 

「昨日倒したあの魔物はどのくらいなんです? ギガントオーガ、でしたっけ」

 

「ギガントオーガ⁉︎」

 

 ヒルナが声を上げた。

 

「うおっ、どうした」

 

「いやいや、ギガントオーガって言ったら銀等級の中でも最難関クラスの魔物じゃない」

 

「よくわからんが、すごいのか?」

 

「君、冒険者の内情とか知らなさそうだから教えるけど、あなたくらいの年で倒せるって事は相当筋のいい冒険者よ……ともかく、それならお願いしても大丈夫そうね」

 

「……で、おつかいってのはなんなんだ? 大方荒事なんだろうが、人間の悪事には加担しねぇぞ」

 

 そんなジュモの回答に呆れるヒルナ。

 

「聖女を何だと思ってるの。教会がそうなっちゃニューヴァリアはおしまいよ。……君たちにお願いしたいのは、ジラーマの北東の森で『ポワラスの花』の採取してくること」

 

「ポワラス……聞いた事ねぇな」

 

「解毒ポーションの調合に必要な花よ。すでに知っていると思うけど、今ジラーマの周辺では、毒を持つ魔物が異常発生してる」

 

「ああ聞いたぜ、ポーションの値段が高くなってるって。でも、街にあれだけ冒険者がいるなら、そいつらに採ってこさせればいいんじゃないのか?」

 

 ヒルナは少し疲れた様子でため息をついた。

 

「それがそうもいかないのよ……ポワラスの花はそもそも数も少ない上に、小さくて見つけるのが難しいの」

 

「……それでは、このあたりの土地勘がない私たちが行っても、尚更見つからないのでは?」

 

 ゼリルが尋ねた。

 

「そこは方法があるから大丈夫。ポワロスの花にも見つける方法があってね。それは、ポワロスの花が持つ聖力を探知すること。できるでしょ?」

 

 ヒルナがゼリルに視線を向ける。

 

「探知って、私がですか?」

 

「ええ、だって今私の聖力も感じてるでしょ?」」

 

「……やはり、あなたに会ったときから感じている、この気配のようなものが、聖力なんですね」

 

「わかるのか? ……そういや、ヒルナが来る時も俺より速く気づいてたっけ」 

 

「それじゃ、ちょっと待っててね」

 

 すぐに戻ってきたヒルナの手元には、手のひらサイズの布切れが握られていた。

 ヒルナは徐に、スカートの中に下から手を入れると、太ももに取り付けてあっただろう、小さなナイフを取り出した。

 

「おまっ! どこにしまってやがる!」

 

 ジュモは顔を赤らめてヒルナに叫ぶが、当のヒルナは一切動じていないようだった。

 

「これをこうして……っと」

 

 ヒルナはナイフで布を切り初め、手のひらに収まるくらいの大きさの円を二つ切り出した。

 

「はい、できた」

 

「そりゃなんだ?」

 

 するとヒルナは切り出した円をゼリルの胸へ当てがった。

 

「よし、大丈夫そうだね」

 

「ヒルナさん、まさかとは思いますが……」

 

「そう、これがゼリルちゃんの聖衣」

 

 そしてヒルナは、切り出した聖布をゼリルの光――乳首へ押し当てた。  

 

「ひにゃんっ! ……な! なにするんですか!」

 

 ヒルナが手を離すと、布はぴたりとゼリルに張り付き、なにより光も収まっていた、

 

「光が消えた……?」

 

「ふうよかった〜……これで聖力の放出が止まったね。成功成功!」

 

「おい、ゼリルの聖衣って、これのことじゃないだろうな」

 

「あははー……」

 

 ヒルナが目を逸らす。

 

「あのー、この面積の少なさは……どうにかならないものでしょうか……」

 

「いやー、さっき話した通り、聖衣って高級品だからさ、必要最低限しか渡せないんだ。いや〜、でも予想通り聖力の放出場所がちく……胸のてっぺんに集中しててよかった〜!」

 

「おい」

 

「…………事情はわかりました。見た目はどうあれ、効果があるのならいいでしょう」

 

「ふう、これでようやく目処がたった……」

 

 ヒルナはほとんど倒れ込むような様子で椅子に座り込んだ。

 

「おい、大丈夫か」

 

「……実のところ、毒の魔物が大量発生するようになってからあまり寝れてなくてね……。街に戻る前に亡くなる人も多い、

 

 原因の調査も難航してるから、私が直接調査に参加できれば、もっと調査が進むんだろうけど……いつ罹患者が出るかわからないから、街を離れるわけにもいかなくてね」

 

「これで、君たちがそれなりの量ポワロスの花を持ち帰ってくれれば、ここは彼女に任せて私が直々に調査に出向ける」

 

 するとヒルナは自分の胸元に、徐に手を入れた。そうして取り出したのは革表紙手帳だった。

 

「おっ、おま、どこからそれ出して……!」

 

「さあ、どこだと思う?」

 

 ヒルナは、花のイラストが描かれたページを開いた。

 

「そ、それがポワロスの花なんだな。人間の助けをするのは癪だが、聖衣をもらった分の働きはしてやる。俺たちに任せとけ」

 

「はは、頼りにしてるよ。出発は明日の朝で頼めるかな」

 

「わかった」

 

「それから、これ渡しておくね」

 

 ヒルナがジュモに透き通った青色の液体が入った小瓶を二つ差し出した。

 

「解毒ポーション。こっちも希少品だから二つしかあげられないけど」

 

「……いいのか?」

 

「聖衣まで渡したってのに、毒でくたばってもらっちゃ困るからね……それと、その……もう一つお願いがあってさ」

 

「今度はなんだよ……」

 

「今日はここに泊まって行ってくれない?」

 

「……は?」

 

 ◇

 

「ここが二人に泊まってもらう部屋。それと、廊下の先に、小さいけどお風呂もあるからぜひ使ってね」

 

「お、おう……」

 

 ヒルナの提案に、なんだか面倒毎の予感を覚えたジュモは、一度は拒否しようとしたが、「今から宿取るの大変だと思うよ。ギルドカード持ってない君たちを泊めてくれるかも怪しいし」

 

 旅の中での野宿には慣れているジュモだったが、欲望に塗れた人間の街の地面に横になる気にはとてもならなかった。

 それならば、とジュモは渋々首を縦に振ったのだった。

 

 そして、ゼリルの探し物がないかを観光がてらさがし、教会に戻ってきたジュモたちが案内されたのは、決して豪華とはいえない簡素な部屋だが、日頃から清掃を怠っていないのか、清潔感があった。

 

「廊下の向こうには小さいけど浴場もあるから、ぜひ使ってね」

 

 そう言ってヒルナは去っていった。

 

「……結局、なんであいつは俺たちを泊めてくれたんだ?」

 

「考えられるとすれば、何か聞きたいことがある、とかでしょうか」

 

「ふうん……まあ聞かれたら答えるけどよ。それにしても風呂か……どうすっかな」

 

「その……ジュモ、私も入りたいのですが……」

 

 ゼリルがおずおずと尋ねる。

 

「おう、入ればいいじゃねぇか」

 

「ですがその……私、自分で体を洗えないので……」

 

 ジュモは、ゼリルが言わんとすることを察した。

 

「……つまりなんだ、俺に入れろと?」

 

「……はい」

 

「…………まあ、しょうがないわな」

 

 ジュモはしばらく躊躇した上に了承したが、躊躇した理由は自分でもよくわからなかった。

 

 

 

 廊下を進んだ先、ジュモたちは脱衣所に訪れていた。

  

「なあ、そういえば風呂入る時って、この乳首隠し剥がすのか?」

 

「ちくっ……その呼び方やめてください! 聖衣でいいでしょう、聖衣で!」

 

「お、おう……」

 

「剥がす……が正解でしょうね。聖女の方々もさすがに脱ぐと思いますし」

 

「そうか」

 

 ジュモがゼリルの聖衣を剥がそうとゼリルを掴もうとすると、ゼリルが後ずさった。

 

「おい」

 

「じ、自分で剥がしますから!」

 

「自分じゃ剥がせねぇだろ」

 

「そ、そうでした……」

 

 ゼリルが見せた謎の抵抗にジュモは疑問を抱いたが、すぐにその理由を、身をもって理解することになった。

 

「あっ……んっ……ひっ……ひにゃっ……」

 

「おい変な声だすな! くっそ、これ結構強く引っ付いてやがる、全然取れねぇ……」

 

 聖衣は中々剥がれず、イラだったジュモは力を強めてカリカリと聖衣の端を引っ掻く。

 

「んひゃっ……! 声出すなって……んひっ……しょ、しょうがないで……しょう……! おぉっ……!」 

 

 その後、数分の格闘の末ジュモはゼリルの聖衣を剥がすことに成功した。

 そこには、翠に輝く聖力に光が、煌々と輝いていた。

 

「はあ……はあ……や、やっと取れたんですね……」

 

「はあ……はあ……手こづらせやがって……」

 

 そうして、二人はようやく浴場へと踏み入れることができた。

 浴場は、確かに公衆の浴場と比べれば小さく、入れて五人程度の大きさだったが、ジュモたち二人が入るには、十分な広さだった。

 

「これでようやく入れるぜ……」

 

「こら! 湯船に浸かる前に体を洗いなさい」

 

「……へいへい」

 

 

「「はああ〜〜極楽極楽」」

 

 

 体を洗い終えたジュモたちはようやく湯船に浸かることができた。 ジュモがゼリルの体を洗うこととなり、案の定一悶あってのことである。

 

「お前、さっき先に体を洗え、っていってきたが、風呂入ったことあるのか?」

 

「言われてみればそうですね……。覚えている限りではありませんが、きっと過去、入ったことがあったのでしょう」 

 

「ふぅん、そういうもんか」

 

「ジュモは?」

 

「パザラと暮らしてたときはよく桶にお湯張った風呂に入ってたが、旅を始めてからたまに水浴びするくらいで後はめっきり。……人間が作ったものにしちゃ……いいもんだよな」

 

 二人が風呂の魅力によってくつろぎきっていると、不意にガラガラガラと、出入り口の引き戸が開けられる音がした。

 

「あれ? もう湯船浸かってるんだ」

 

 入ってきたのは、正真正銘一糸纏わぬ姿の聖女ヒルナだった。

 

「な……な……な……‼︎」

 

 その事により取り乱していたのは意外にもジュモの方だった。

 ヒルナの美しい肢体を目にしたジュモは、一瞬にして顔を茹で上がらせていた。

 

「あはは、ちょっと刺激が強すぎたかな?」

 

「どうしてここに?」

 

「もしゼリルちゃんを洗うなら私が洗ってあげたほうがいいかなって思って。まあ、それも必要なかったみたいだけど」

 

(それならばもう少し早く来てくれればあんな目に遭わずに済んだというのに……)

 

「じゃ、私もぱぱっと体洗ってきちゃおっと」

 

 言葉通り、ぱぱっと体を洗ったヒルナは、二人に向き合う形で座った。

 

「はああ〜〜極楽極楽」

 

「ぬ、ぬう……」

 

 ジュもはなるべくヒルナを見ないよう、視線を逸らした。

 お湯が白く濁っているので、入ってさえ仕舞えば相手の体が見えないことが唯一の救いだろう。

 

「よいしょっ」

 

 すると、ヒルナは徐にゼリルを抱え上げた。

 

「わっ、何するんですか」

 

「いやほら、触り心地もおっぱいなんだなーと思って」

 

「じゅ、ジュモ助けてください!」

 

「まあいいじゃねぇか、減るもんでもねぇし」

 

「そんなー!」

 

 

 ヒルナにひとしきり揉まれたゼリルは、こころなしかぐったりとしていた。

 

 すると、ヒルナがジュモの隣に座りなおした。

 

「君のこと、聞いてもいいかな」

 

「……なんだよ」

 

「だって君、変わってるし」

 

「……どこがだよ」

 

「強いて言うなら、全部かな。冒険者の常識は何にも知らないし、あんな装備も見た事ないし。あれ、絡繰武器だよね? ちょっと触ってみたけど、どうやって変形させるの?」

 

「……てめ、脱衣所に置いてたのを触りやがったな」

 

「てへ」

 

「それにしても、すごい傷……」

 

 ジュモの体には無数の傷跡があった。

 

「魔物と戦ってりゃ、誰だってそうだろ」

 

「ううん、それにしたって、ここまでのは滅多に見ないよ……旅、してるんだってね」

 

「ああ。聖都を目指してる。あんたは行ったことあるか?」

 

 ヒルナは首を横に振った。

 

「あそこに行く聖女は軒並み聖力適性が飛び抜けた聖女だ。私みたいなのはお呼びじゃないよ」

 

「そうなのか?」

 

「私は聖力適性はそんなに高くないからね。南の方で小さな街を守ってる方が性に合ってる。君はどうして聖地へ? 興味本位だって言うならやめたほうがいい。北の方は恐ろしいほどの強さの魔物がウヨウヨしてる。言っちゃ悪いけど自殺行為だ」

 

「これを聖地にいる妹に渡せって、親の遺言なんだ」

 

「……妹の名前は? もしその妹が聖女なら、私も聞き覚えがあるかもしれない」

 

「パララだ」

 

「……聞いたことないな」

 

「そうか」

 

 すると、ジュモは少しばかりあたまがくらくらとすることに気づいた。

 

(いけねぇ、湯に浸かりすぎたな……)

 

「ゼリル、そろそろ上がるぞ」

 

「まあまあ、もう少しゆっくりしていきなって」

 

 ヒルナはジュモを引き留めようと、体を前のめりにしてジュモを引き止めようとする。それと同時にジュモは立ち上がった。

 

 必然的に、ヒルナの顔はジュモの股に急接近することとなり――。

 

「きゃああああああああ〜〜〜〜〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

 初めて見る男性の“それ”にヒルナは絶叫しながら気を失った。

 

「お、おい! しっかりしろ!」

 

 すると、ヒルナの絶叫を聞きつけて、彼女が駆けつける。

 

「ヒルナ様ご無事ですか‼︎‼︎」

 

 状況を見るなり、彼女もまた、絶句した。

 

「り……り……リヴァイアサン――‼︎‼︎‼︎」

 

 

 

  〈第四節 少女ローロ〉[#「〈第四節 少女ローロ〉」は中見出し]

 

 

 

 翌朝、教会を出たジュモは、ゼリルを肩に乗せて森の中を進んでいた。

 

「昨日はなんと言いますか、賑やかな夜でしたね」

 

「これであいつも懲りただろ。男がいるってのに風呂に入ってくるのが悪いんだ」  

 

「それはまあ……そうですね」

 

「さて、さっさとポワロスの花を見つけねぇとな」

 

 早朝から出発したためまだ日は高く、夜までにはまだ時間があるが、それでも森へ入ったら警戒を怠ってはならない。

 なぜなら昼であろうと、森や洞窟などの薄暗い場所であれば、魔物は節操なく湧き出てくるからだ。

 

「そういえば、ヒルナの奴がくれた聖衣、ちゃんと役にたってるみたいだな」

 

 ジュモに言われ、ゼリルははっと気づく。

 

「そういえば、さっきから魔物に遭遇していませんね。たしかに効果はあるみたいです……見た目は大分アレですが」

 

「ああ。昼とはいえこれだけ薄暗い森。魔物だってそこらに湧いてるんだ。昨晩までの調子じゃ、今頃とっくに追いかけられてるはずだぜ。――花の聖力は感じるか?」

 

「……いえ、とくにこれといったものは感じませんね。ポワロスの花が放つ聖力は、それほど大きいものではないのでしょう。それまではしらみつぶしに探していくしかないでしょう」

 

「そんなこったろうと思ったぜ。やっぱりこいつを持ってきて正解だった」

 

 そう言ってジュモが取り出したのは、出発前にヒルナから借り受けた、一輪のポワロスの花だ。

 

「貰ったのはいいですが、それを一体どうやって使うんです?」

 

「まあ見てな」

 

 するとジュモは道中集めておいた木の実を地面にばらまいた。

 

「おーい、誰か来てくれー!」

 

 すると、リスやネズミ、鳥などの小さな動物たちがたちまち集まり、きのみを啄み始めた。

 

「なあお前ら、この花知らないか?」

 

 ジュモはビーストたちに匂いを嗅がせていくと、口々に答えが帰ってきた。

 

『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ッテル!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』

 

「誰も知らねぇか……」

 

「ジュモ、今一人だけ知っていると答えていませんでしたか?」

 

「本当か! どいつだ!」

 

「ええと、一斉に喋っていたのでそこまでは……」

 

「分かった、もう一回聞く。お前ら、この花知らないか?」

 

『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ッテル!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』

 

「ちょ、ちょっと待て! さっきより増えてないか⁉︎」

 

「じゅ、ジュモ、いました! そこのリスです!」

 

「こいつか!」

 

 ジュモが指を指す。

 

「違います! その二個右隣!」

 

「こいつか!」

 

「そっちは左です!」

 

「じゃあこいつだな!」

 

 ジュモがリスを拾い上げると、リスは首を傾げていた。

 

「この花の咲いてる場所、知ってるか?」

 

『知ッテル!』

 

「よしきた、案内してくれ!」

 

 ジュモがリスをテイムすると、駆け出して森の奥へと向かっていった。

 

『ココ!』

 

 リスが立ち止まった場所には、いくつかのポワロスの花が咲いていた。

 

「お、あったぞ!」

 

「なるほど……、確かに、それほど大きくはありませんが聖力を感じます」

 

「他に咲いてる場所は知ってるか?」

 

 ジュモが尋ねると、リスは首を横に振った。

 

「そうか、ありがとな」

 

 リスが去っていくのを見送ると、ジュモは腰を上げた。

 

「じゃ、また探し直しだ」

 

「今ので聖力の感覚は掴みました。ようやく私も力になれると思い――」

 

「ちょっとまて――」

 

 ジュモの機敏な聴覚が“戦いの音”を捉えた。

 それは魔物の唸り声であり、武器を振るう音であり、ビーストと、人間の少女の悲鳴だった。

 

「誰かが近くで戦ってるんだ」 

 

  ◇

 

 森の中、少女が身の丈ほどの長い槍を魔物へ必死に振るう。

 その傍では、高さ三、四十センチほどの幼いレッドリドラが少女を守るように懸命に戦っていた。

 

 真紅の髪で大きなポニーテールに結い、焦茶の外套を纏った彼女の名はローロ・リーデ。ジラーマを拠点に活動するビーストテイマーである。

 

 ローロがやっとの思いで一体のゴブリンを倒した頃、周囲には彼女を取り囲むように、トキシック・マッシュ(歩くキノコ)ポイズン・トード(毒ガエル)ヴェノムスコーピオン(毒サソリ)、アシッドスライム――毒を持つ、数々の魔物の姿があった。

 

「私って、本当ツイてない……」

 

 ローロは力のない声で呟いた。

 

 ローロは、自分が苦境に立たされている理由を思い出していた。

 

(いくら花の採集が目的だからって、私一人で行けだなんて、あんまりだ……) 

 

 

 ローロは、自身が所属するパーティ、『黒牙の団』リーダーから命令を受け、単身で森に訪れていた。目的は、ジュモたちと同じ、ポワロスの花の採取である。

 

 だが、たった一人でテイマー、いや、テイマーだからこそ、一人で行かせることが無謀だと、誰の目に見ても明らかだった。

 

(自分が所詮“捨て駒”なのは分かってるけどっ……!)

 

 ポイズン・トードの体当たりを受けたローロは姿勢を崩し、地面に倒れた。

 

「死にたく……ない……!」

 

 ローロが死を覚悟し、目を瞑った時、ガサガサと木の中を移動する音とともに、どこからか声が聞こえてきた。

 それは、誰かの話し声のようだった。

 

「人間のガキに……レッドリドラか! こんなところで何してやがるんだ!」

 

「ジュモ、まずは助けなさい!」

 

「当たり前だろ!」

 

 そして、声の主はローロの目の前に着地したようだった。

 ローロがおそるおそる目を開けると、目の前には、力強く逆立つ橙色の髪の背中と、肩に乗った肌色のまんじゅうのような何かが写っていた。

 

「よし、やるぜ」

 

 ローロにスティング・ヴァイパーが襲いかかると同時に、ジュモはジャキリと、両手のガントレットからカマキリのような鎌を展開した。

 

大蟷螂の刃(マンティス・サイズ)!」

 

 そして、ジュモはローロが噛みつかれるよりも速く、ヴァイパーの長い体を輪切りに切り刻んだ。

 

 突然現れたジュモに魔物たちも驚いたのか、動きが一瞬止まる。

 

 その隙を見逃すジュモではなかった。

 

「ガキ! リドラを抱き抱えろ!」

 

 ローロは反射的に指示に従った。ジュモはそれを確認すると、いきなりローロの腕を掴み真上に放り投げた。

 

「きゃああっ!」

 

「ジュモ、一体何を!」

 

「今のうちに仕留めるんだよ!」

 

 ジュモは右手の鎌で、流れるようにトキシック・マッシュの胴体を縦に切り裂いた。

  

「ひとつ!」

 

 そしてすぐさまポイズン・トードの背後に周り、両手の鎌を振り下ろす。

 

「ふたつ!」

 

 ヴェノム・スコーピオンが両手の鋏をジュモに振るうが、それも難なくいなすと、腕の付け根に鎌を振り下ろし、鋏を切り離した。

 

『ギャアアッ‼︎」

 

 怒り狂うスコーピオンは、残った尻尾の毒針を突き立てようとする。

 

「読めてるんだよ!」

 

 ジュモは、左手で尻尾の根本を掴むことでそれを止め、右手の鎌を振り下ろして付け根から尻尾を断ち切った。

 

 そして、甲殻に覆われていない、尻尾の切断面に鎌を突き刺すと、スコーピオンも霧となって消滅した。

 

「みっつ‼︎」

 

 そして、そのタイミングで、少女はジュモの元へと降ってきた。

 こちらも軽々受け止めると、ジュモは少女を地面に下ろす。

 

「よっと」

 

「アンタ……一体……」

 

 ローロが尋ねようとすると、体がふらつき地面へ倒れそうになった。

 

「おい! 大丈夫か!」

 

 ローロの顔からは血の気が引き、土気色になっていた。

 そして、ゼリルもジュモもこの症状には覚えがあった。

 

「ジュモ、これは……」

 

「ああ、毒だ――やっぱり、リドラも毒をもらってやがる。おいガキ、解毒ポーションは!」

 

「持ってるわけないでしょ、あんな高級品」

 

「ジュモ――」

 

「分かってるビーストとガキに、出し惜しみはナシだ」

 

 ゼリルが言い切る前に、ジュモはポーチから、ヒルナにもらった小瓶を二本取り出した。

 

「飲め。話はそれからだ」

 

 ローロは差し出された小瓶を受け取ろうとしたが、手を止めた。

 

「そんなお金、持ってない……」

 

「金取るわけねぇだろうが! いいから飲め! 死にたいのか!」

 

 ジュモの言葉に安心したのか、ローロの表情が少し綻ぶと小瓶の中身を一気に飲み込んだ。

 

「それでいい、一旦寝てろ」

 

「この子に……飲ませてあげなきゃ」

 

「俺がやる」

 

「待って……レッドリドラは……」

 

「水は少しずつ飲ませる、だろ。ガキのうちは間違って火炎袋に水を流し込んじまうからな」

 

 ジュモが答えると、ローロは驚いた顔をした。

 

「安心しろ、俺もテイマーだ」

 

 そう言うと、ジュモはレッドリドラに話しかけ始めた。

 

「苦いだろうけど、少し我慢しろよ」

 

 ジュモはリドラの頭を上を向かせると、少しずポーションを飲ませ始めた。

 

「これですぐに楽になるはずだ。調子はどうだ?」

 

『ウウ……、ツバサ イタイ』

 

「……翼か、確かに切り傷がある。しばらく持ち上げとくぞ、毒が回りにくくなるからな」

 

「分かるの……?」

 

「ああ。俺はビーストの声が聞こえるからな」

 

「え……?」

 

「このままここにいちゃ危ない。幸い、ここに来るまでに潜みやすそうなほら穴を見つけておいた。一旦そこで休むぞ」

 

 ジュモは戸惑うローロをリドラもろとも肩に担ぐと歩き出した。

 

 ◇

 

 ジュモは、二人と二匹がちょうど収まるくらいの洞穴に入ると、ローロを座らせた。

 

「ちょっとばかし薄暗いが、この狭さなら中で魔物が湧くこともないだろう」

 

 魔物は、聖力から一定以上離れたところにしか湧かない特性がある。

 ビーストも人間も、聖物(せいぶつ)は例外なく、僅かばかりの聖力を宿しているのだ。

 

「ずっと気になってたんだけど、“それ”もビースト?」

 

 ローロはゼリルを指して尋ねる。

 

「ああ。出会ったばっかりで俺もよく知らないが、そうらしい」

 

「気のせいじゃなければその子、喋ってなかった……?」

 

「ええ、私は会話できますよ]

 

「本当にしゃべってる……」

 

 物心ついてきた時からテイマーのビーストの常識を学び続けてきたローロは、その常識を覆し続けるジュモたちを目の前に、呆然としていた。

 

「ビーストの声が聞こえるのも、本当なの……?」

 

「ああ」

 

 ジュモは「信じられないってなら、証拠をみせてやるよ」と言うと、リドに話しかけた。

 

「お前の主人の名前、分かるか?」

 

 リドは『ぎゃう』と鳴き声をあげるが、ジュモには勿論その言葉の意味を理解していた。

 

『ゴ主人ノ名前、ローロ! 僕の名前リド!』

 

「お前はローロ。こいつの名前はリド。合ってるな?」

 

「ウソ……、どうやって……」

 

「生まれつきだ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

 

「そんなテイマーがいるなんて話、聞いたことない……」

 

「ま、珍しいって自覚は多少あるけどよ――それよか、なんだって一人でこんなところにいるんだ?」

 

「それは……」

 

 するとローロは、首をさらに俯かせた。

 

「ジュモ、彼女は病み上がりです。あまり問い詰めるべきではありません」

 

「だって、んなひょろっちいガキがチビドラゴン一匹連れて森に入るなんて自殺行為だろうが!」

 

「ジュモ‼︎」

 

「現にこいつらは俺たちが来なかったら死んでたんだぞ‼︎」

 

「それは……」

  

「――いいの、わかってる」

 

 ローロは自嘲気味にこぼした。

  

「私は弱いから、こんな仕事しか回されないの……」

 

「どういうことだ」

 

 ローロは自分の置かれた境遇を、ぽつり、ぽつりと語り出した。

 

「……私が今一人でここにいるのは、ゼイラーに命令されたから」

 

「ゼイラー……?」

 

「……私の所属しているパーティのリーダー。「お前みたいな能無しはトカゲを使って森で探し物でもしてろ」ってさ」

 

「そんな、ひどい……」

 

「しょうがないよ、事実だから。……私はまだこの子しか戦闘向きのビーストをテイムできてないし、この子の考えてることだってほんの少ししか分からない。それに、槍の扱いも下手クソだし」

 

 ローロは力無く笑った。

 

「私が冒険者になってゼイラーのパーティ『黒牙の団』に入ったのは半年前。私は体が小さくて聖力も少ないから魔物に気づかれにくいからって、今まで索敵と斥候をしてたけど……この前のクエストで、私の索敵から漏れた魔物がみんなを襲ったんだ。その結果、誰も死ななかったけど、一人が大怪我をして、道を引き返す羽目になった」

 

「だから、私は罰として一人で採集クエストに行かされた。……きっと、死んでも構わないって思ってるはずなんだ」

 

「――そんな勝手な話があるかよ!」

 

 ジュモは、苛立ちに任せて木の枝を蹴りとばした。

 

「そのゼイラーって野郎、もし会ったら絶対にぶっ殺してやる……俺はそいつみてぇな傲慢で自分勝手な野郎が一番嫌いなんだ」

 

「でも、魔物を見逃したのは私だから……」

 

「パーティは何人だ」

 

「わ、私を入れて八人だけど……」

 

「それだけの人数、一人が索敵して防ぎ切れるか。それに、魔物の住処で索敵して、百パーセント魔物を確認できるなんてわけないだろうが。それを見越してなかったそいつらの責任だ」

 

「ジュモの言う通りです。ローロ、責任は他の者にもあります」

 

「……あんた、ジュモって言ったよね」

 

「ああ」

 

「どうしてスキルも無いのにあんなに強いの……?」

 

「どういうことだ?」

 

「テイマーが最弱の職業と呼ばれる理由、知ってるわよね。テイマーは、自身を強化するスキルを覚えられない。だから戦闘はビーストの強さに依存するけど、駆け出しのうちに他の戦闘職に匹敵するようなビーストをテイムするのはまず不可能。だから、索敵や斥候が主な仕事になるけど、それさえも索敵魔法やアイテムで代用できる」

 

「もっとも、ゼイラーたちはアイテムの出費を嫌がって使わなかったけど」、とローロはぼやいた。

 

「テイマーの中で、銅等級以上の人が、どのくらいか知ってる?」

 

 銅等級。ようやく単身でもゴブリンなどの最下級モンスターを複数相手取ることができると判断される、ようやく冒険者になったと言える階級だ。

 

「さあ……」

 

「五十人に一人。はじめの一歩とされる銅等級でさえ、それだけの人数しか上がれない」

 

「そんなに少ないのですか……?」

 

「――テイマーの半分は、そもそも冒険者にならずに物や人を運ぶ仕事に就くの。なぜなら、冒険者になっても最弱職だって馬鹿にされるのが分かってるから。……それでも半分は冒険者になる。でも、結局続けていけるのは二十五人に一人程度。あたり前よね。運送の仕事ならいくらでもあるんだから」

 

「……俺が一人で魔物どもと戦えてるのは慣れてるからだ」

 

「慣れって……アンタだってまだ十五、六でしょ? いくら冒険になるのが早かったとしても数年じゃない」

 

「――十年以上」

 

「え……?」

 

「俺は物心ついた頃から森で魔物と戦ってた」

 

「ジュモは、森でオレンジバックの獣人に育てられたんだそうです」

 

「……ああ。強くなるには実戦が一番だってパザラはいつも言ってた」

 

「そんな……」

 

「お前だって、経験を積めば、今よりは多少マシにはなっていくはずだ。――逆に聞くが、どうしてお前はそこまで冒険者にこだわるんだよ。お前だけじゃねぇ。他の奴らも、物運んでりゃそれでいいじゃねぇか」

 

「ちょっと、ジュモ!」

 

「俺は別に揶揄って言ってるわけじゃねぇ。ゼリル、お前はまだピンと来てねぇかも知らないが、“戦う”ってのは……命を奪い合うってことは……相当な覚悟がねぇとやっていけねぇんだ。俺たちだって、出会ったあの日の晩に魔物に殺されてたっておかしくなかったんだ」

 

「だからだよ。――みんな親しい人を魔物に殺されてるから、無理を通してでも魔物を倒したいんだ。冒険者になろうとするビーストテイマーはそう言う人たちだ」

 

「お前もか?」

 

 ローロの、槍を持つ手に力が籠った。

 

「……私の両親は軍に所属して魔物と戦ってた。でも、二人とも殺された。お母様は大きなドラゴンに乗って槍で戦うビーストテイマーだったの。この槍はお母様の形見で、この子も、お母様のドラゴンが残していった卵から生まれた子なの――だから私は、どれだけ弱くても、どれだけ情けなくても、冒険者を辞める訳にはいかないの」

 

「お前、採集クエストつったな。何を探してる」

 

「私が探してるのは、ポワロスの花」

 

「なら目的は一緒だな。そろそろ毒は癒えたか?」

 

「う、うん……」

 

「ならいくぞ」

 

 ジュモは腰を上げると、さっさとほら穴から出ていこうとする。

 

「いくぞ、って……」

 

「……正直、人間のお前がどう生きよとお前の勝手だ、俺には関係ない。だが、お前がテイマーで、ビーストを連れ歩くって言うなら、俺はお前に、ビーストを守るための、戦うための術を教えなきゃならねぇ」

 

「ジュモ……」

 

「ありがとう……私、戦うよ」

 

 ◇

 

 ジュモとローロが共に行動し始めてからすぐのこと。体のあちこちから、粘液に塗れた突起の生えたナメクジが現れた。

 

「ゾルスラッグか。ちょうどいい、あいつと戦ってみろ」

 

「うげぇ、あいつ苦手……」

 

「ビビることはねぇ、ヤバくなったら俺が助けてやる。――それに、魔物は体が魔素だけで出来てるくせに、大概はビーストや植物を真似た体の作りになってやがる。だから、一対一の場合なら弱点さえ知っておけば対処はそう難しくねぇ」

 

「そ、それ本当?」

 

「ああ。まずはここらの魔物の弱点を頭に叩き込め。例えばトキシック・マッシュは揺らしたり、笠に攻撃を当てたりすると毒の胞子を撒き散らすから、柄の部分を横に切り裂いて倒す。ポイズン・トードなら喉元の毒袋を破裂させないように攻撃する。ヴェノム・スコーピオンなら殻の隙間に刃を突き立てるか、殻ごとハンマーで叩き潰す」

 

「なら、ゾルスラッグは?」

 

「あいつは近づくと触手を伸ばしてきて厄介だ。触手の届くギリギリの距離まで近づいて、一本一本落ち着いて切り落としていけばいい」

 

「リドにはなんて指示したらいい?」

 

「下手に引っ掻きやフレイムブレスで攻撃させても捉えられちまう。先行させて、奴の気を引かせる程度にしておけ」

 

「わかった……!」

 

「この短時間でよくそこまで分かりますね」

 

「言っただろ、慣れてるって」

 

 ローロがゾルスラッグへと駆けていく、

 

「リド! 先行お願い!」

 

『ぎゃう!(任セテ!)』

 

 ジュモの助言通り、ゾルスラッグは先行したリドに気を取られ、ローロから目を離した。

 

「今だ!」

 

 ローロがゾルスラッグに急接近し、槍を突き出した。

 

「馬鹿! 近づきすぎだ‼︎」

 

 ゾルスラッグは、接近するローロに反応し、全身の触手をローロへと伸ばした。 

 

「しまった!」

 

 ローロは咄嗟に体を逸らすが、無数の触手相手ではなすすべなく、全身を絡め取られ、あっという間に逆さ吊りになってしまった。

 

「きゃあぁ!」

 

「槍から絶対に手を離すな!」

 

「ひぃ……わ、わかった……!」  

 

 ローロは全身粘液まみれになりながらも、槍をしっかりと握り締め、振り回しはじめた。

 

『ぎゃう‼︎(ゴ主人助ケル‼︎)』

 

 リドも、ローロを助けようと近づくが、自身を捕えようとする触手を捌くのに手間取り、中々近づけないでいた。

 

「ジュモ! 彼女は大丈夫なのですか⁉︎」

 

「安心しろ、毒はない」

 

「よかった……」

 

「ただちょっと、体の穴という穴から触手を捻じ込んでこようとするだけだ」

 

「だから、そうなりそうになったら俺が助ければい」――そのつもりでジュモは言ったのだが、ゼリルをパニックに陥らせるには十分な衝撃だった。

 

「ジュモ! 一刻も早く彼女を助けなさい!」

 

 槍を振ること、数回に一度は触手を切り落とせてはいるものの、現に今も触手はローロの(くち)と、それからズボンの中へと、触手を滑り込ませようと伸びていた。

 

「ひぃ〜〜〜〜‼︎」

 

 ローロはついに目と口を精一杯閉じ、股を両手で押さえた。

 そして、その表紙に槍を取り落としてしまった。

 

「なにやってんだ馬鹿!」

 

 ジュモは地面を思い切り蹴り、ゾルスラッグに急接近すると、右腕のガントレットからカマキリのような刃を展開し、すれ違いざまに切り裂いた。

 

蟷螂の鎌(マンティスサイズ)……!」

 

 ゾル・スラッグはあっという間に塵となり、触手も消滅したことで落下してきたローロを受け止めた。

 

「近づきすぎるなって言っただろうが」

 

「だって、いけると思ったんだもん……」

 

 ローロは拗ねた様子で唇をとがらせた。

 

「……だが、お前の腕は今ので大体わかった。そのベトベト乾いたらもう一回戦うぞ。リド、ローロを乾かしてやってくれ」

 

『ぎゃう!(分カッタ!)』

 

「はあ……リドもアンタの言うこと聞いちゃってるし……」   

 

「一応、またゾルスラッグに捕まった時のために教えといてやる」

 

「何? ……ロクな事じゃないとは思うけど」

 

「捕まったときは股の前の方守っても意味ねぇぞ。奴らが狙うのは、より体の深くまで繋がってる――ケツの穴だ」

 

「最ッッッッ低‼︎」

 

 ローロは顔を真っ赤にしながらジュモを睨むことしかできなかった。

 

 ◇

 

 次にローロの前に現れた魔物は、前傾姿勢の二足歩行が特徴の犬型の魔物、コボルトだった。

 

「ローロ、やってみろ」

 

「コボルト……銅等級でも難敵だけど……」

 

「コボルトは群れると連携して襲ってくるから厄介だが、一体だけなら今のお前でもやれるはずだ」

 

「分かった……どうやって戦えばいい……?」

 

「下手に近づかずに、向こうから襲ってくるのを迎え撃て……来るぞ!」

 

 ローロを視認したコボルトは、一目散にローロへと襲いかかった。

 迫りくる魔物に、ローロは「ひっ」と声を上げてしまう。

 

「腰引けてるぞ! 目は閉じるな! どっしり構えろ!」

 

 目の前にまで迫ったコボルトは跳躍し、ローロから見て、左上から襲いかかってきた。

 

(怖い……! でも目は閉じない……! そして構える……!)

 

「あっ」

 

 ジュモの方の上でゼリルが声を上げた。

 

 ローロは飛びかかってくるコボルトの体の中心に合わせ、槍を傾けた。

 

 ――コボルトの爪はローロには届かなかった。

 

『GYA ……?』

 

 その腹には、ローロが突き出した槍が、体の中心に深々と刺さっていた。コボルトは、自身の飛びかかる勢いに殺されたのだ。

 

『GYAAAA‼︎』

 

 コボルトが、塵となって消えていく。

 

「や……やった……私が……私一人でやったんだ」

 

「よくやった」

 

「自分でも信じられない……」

 

「ヘッポコでチビでガキなお前だが、さっきの戦闘でお前の長所と短所が分かった。」

 

「長所と、短所……?」

 

 すると、ジュモはいきなり、ローロの顔目掛けて手の中に隠してあった泥団子を投げつけた。

 

 ローロは顔を逸らしてそれを避けようとするが、惜しくも避けきれず、顎のあたりに着弾した。

 

「ぐぇっ……なっ何するの!」

 

「それだ」 

 

「ローロ、お前の長所は動体視力だ。だが、それに身体能力――反射神経とか筋力が全く追い付いてない。だから、攻撃は見えてるのに対応しきれない」

 

 ローロはハッとした表情をした。

 

「思い当たる節、あっただろ?」

 

「じゃあ、今私がコボルトを倒せたのは……」

 

「優れた動体視力でコボルトの動きを捉え、足りない身体能力は、迎撃対応をすることで最小限の動きで対処したからってわけだ」

 

「なるほど……」

 

「……ただし、分かってると思うが、今お前が勝てたのは、迎撃での対応かつ、一対一で戦ったからだ。意識外の方向から攻撃されたら即死だろう。……つーか、そもそもの話になるが、正直お前は槍には向いてない。それでも、流石に剣や槌よりはマシだと思うが、近接戦闘が向いてない」

 

「……そんなの、自分でも分かってる。でも、私は槍がいい。お母様みたいな龍騎士に私はなるんだ……!」

 

「ローロ……」

 

 ――「危険だ」「いつか死んでしまう」、ゼリルの頭にはいくつもの言葉が浮かんでいたが、彼女の亡き母への想いの強さに口をつぐんだ。

 

「ジュモ……」

 

「どうするのか」と、尋ねる。

 

「――わかった。気の済むまでやれ」

 

「いいのですか?」

 

「こうなった奴は、止まるまでとまらねえ」

 

「いい加減、本格的にポワロスの花を探しに行くぞ」

 

「私たち、探し物は得意なの。任せてよ」

 

「得意ったって、一人と一匹だろ?」

 

「何よ、アンタだって同じじゃない。リドが空を飛べる分、こっちの方が探し物には利があるはずだわ」

 

「何言ってんだお前、俺たちだけで探すわけないだろうが」

 

「へ? 他に誰がいるっていうのよ」

 

「誰って……、近くにいるビーストに決まってるだろ」

 

「アンタねぇ……いくらビーストの声が聞こえるって言ったって、一匹テイムするのにも一時間はかかるでしょ? そんなことしてたら日が暮れちゃうわよ」

 

「何言ってんだお前、そんなの一瞬だろ。――おーい、誰か力貸してくれー」

 

 ジュモが呼びかけると、先ほどと同じように森のビーストたちが集まってきた。

 

「ちょ、ちょっと何これ! 一体どういうこと⁉︎」

 

「テイムが一時間っていったな……ちょっと見てろ。お前ら、この辺りにこの花が咲いてないか見てきてくれないか? 見つからなかったらすぐ戻ってきてくれればいい」

 

 すると、ジュモの体から無数の共鳴の糸(リンクライン)が放たれ、ビーストたちの体へと吸い込まれていった。

 その数にして、およそ三十匹ほどだろうか。ジュモは、それだけの数のビーストを一度にテイムしたのだ。

 

「――うそ」

 

 そしてそれは、ローロにとっては異常な光景だった。

 というのも、ローロが言った通り、通常、テイマーはビーストをテイムするまでにある程度の時間を用する。

 それは、ビーストの気性や性質によっても左右されるが、比較的穏やかなビーストであったとしても、餌を与え、警戒心を解いていく作業は地道で手間のかかる作業だ。

 

 だが、目の前のジュモは、餌すら与えずに、ものの一瞬でそれをやってのけた。

 それも、数十体同時に、だ。

 

「あ、ありえない……」

 

(餌を使わないテイム、複数体同時でのテイム。それぞれは聞いたことあるけど、それを同時だなんて! 私が知る中で一番強い、金等級のテイマーからも、そんな話は聞いたことない――)

 

「あ、アンタ等級は⁉︎ 銀等級異常は間違いない、金等級の可能性もありえる――」

 

 尋ねられたジュモは「またか……」と辟易した表情を浮かべた。

 

「ギルドカードは紛失中、紛失前は鉄等級」

 

「はっ、はあ……? 何かの冗談よね……?」

 

「……どいつもこいつも同じような反応するんだな。等級ってのは、やっぱそんなに大事なもんなのかねぇ……俺にはさっぱりわからねぇ」

 

「……冒険者等級が上位であることのメリットは、主に金銭面と、名声面だと聞いております」

 

「まあ、平たく言えばそうだと思うけど……」

 

「ですが、どうやらジュモはそういったものには全く興味がないらしいのです」

 

「……それでよく冒険者やっていけるわね」

 

「俺は別に冒険者になったつもりはねぇ。身分証がねぇと街に入るのに苦労するから、仕方なく持ってんだ」

 

「実際、ジラーマに入る時も大変でしたからね……」

 

「アンタたち、本当に何者なの? ビーストを連れ歩かずに謎のおっぱいを連れ歩いて、魔物は得体のしらない絡繰武器で自力で倒す、あげくビーストを大量テイム。それがただの旅人なわけないでしょ!」

 

 ――ここまではジュモとゼリル。世間知らずの野生児と、記憶喪失のおっぱいの二人旅だったからその多くはスルーされてきたが、この二人、相当のイレギュラーである。

 

「ジュモ、この先に聖力を感知しました」

 

「うし、でかした」

 

「じゃあ、この先にポワロスの花があるってこと?」

 

「そういうこった」

  

 ゼリルの示した先へ進んで行った先のことだ。

 ふいに、ほんのりと甘く、澄んだ香りがジュモの鼻腔をくすぐった。

 

「花の匂いだ!」

 

 その先には、木々の間を埋め尽くすように、地面一面にポワロスの花が咲いていた。

 

「きれい……」

 

「収穫して早く帰ろう!」

 

 ローロが花畑へ駆けていくと同時に、ジュモは視界の端で奇妙なものを捉えた。

 それは、千切れた赤い布切れのようだった。

 

(先にここにきた奴がいたのか……?)

 

 妙に気になったジュモは、その布切れを観察した。

 そして、布切れの端に金属製の金具が付いていることに気づいた。

 

(あれは、装備品だ――!)

 

 それが無惨にちぎられているという事実。

 気づいた時、ジュモの第六感は継承を鳴らしていた。

 

「待てローロ‼︎」

 

 ジュモが叫んだ瞬間、ローロの足が何かに絡め取られ、宙吊りとなった。

 

「きゃああっ‼︎」

 

 ローロを宙吊りにした紐の正体。

 太陽に照らされ、透明な糸がきらりと光った。

 

(蜘蛛の糸――!)

 

「落ち着け! 落ち着いて対処しろ!」

 

「――わかった! たぁっ!」

 

 先ほどジュモとの戦闘の成果だろう、ローロは槍を手放さす、糸めがけて振るい、自力で脱出することができた。

 

『ぎゃう!(ご主人大丈夫カ?)

 

「ありがと、大丈夫」

 

「さぁ、犯人のお出ましだぜ」

 

 樹上から木を下ってゆっくりと降りてくるのは、高さ二メートルはあるであろう巨大な蜘蛛だった。

 その体は殻に覆われており、一目でその堅牢さが見てとれた。

 

スパイダー・スカージ(災の大蜘蛛)……!」

 

 ローロが呟く。

 

「あいつ、人間がポワロスの花を探してることを知ってやがるな」

 

「えっ」

 

「だからここで待ち伏せして、やってきた人間を喰らってるんだ」

 

「待って! 相手は銀等級クラス――」

 

「下がってな」

 

 ジュモはガントレットから爪を展開させると大蜘蛛と睨み合う。

 

 次の瞬間、大蜘蛛は木の幹から離れた、ジュモへと襲いかかった。

 

「だろうと思ったぜ!」

 

 ジュモは前方へスライディングで滑り込み、大蜘蛛の飛びかかりを避けた。

 そして、後方ではなく前方へ回避行動を行ったことで、命の危機は一転して、攻撃の勝機へと変わる。

 

 先ほどまでジュモが立っていた場所へ大蜘蛛が飛びかかる最中、その腹はがら空きになる。

 ジュモはそこに勝機を見出した。

 

「食らえっ‼︎」

 

 ジュモはスライディングの最中、右腕をを真上に掲げ、大蜘蛛の腹へかぎ爪を突き立てる。

 だが、ジュモの予想に反して大蜘蛛は腹に至るまで硬い殻で覆われていた。

 

 ギャリギャリギャリ‼︎

 

 殻と爪が擦れ合う摩擦で火花が散った。

 

(こいつに爪は通らねぇ……なら!)

 

 ジュモはすぐさま身を翻し、大蜘蛛へと飛びかかる。

 ビースティックアームズはガシャリと変形し、まるで金槌の頭のような形となった。

 

「ハンマー‼︎」

 

 大蜘蛛がジュモに向き直るよりも速く、ジュモはその外殻を殴りつけた。

 大蜘蛛の体は少しよろめくが、致命傷を与えた様子はない。

 

「ちっ」

 

 大蜘蛛は今度こそジュモを眼前に捉えると、鋭利な前脚をジュモへと振い始めた。

 

 槌と前足の打ち合いが始まり、ガキンッガキンッと、金属音があたりに響く。

 

「ここだっ!」

 

 ジュモは力を込め、両手で大蜘蛛の前足を上に弾いた。

 体勢は崩れた隙に、八つの目がついた顔面に槌の拳を打ち込もうとした。

 

 だが、大蜘蛛は素早く後ろに跳びそれを避け、そして、足の間から尻を出すと糸を発射した。

 

「ちっ、面倒なことしやがって」

 

 大蜘蛛は、ジュモを侮れない相手と判断したのか、ジュモが跳躍しても届かない位置にまでよじ登るとさらに糸を撒き散らし始める。

 

「こっちが糸に引っかかるまでそうしてるつもりだろうが、そうはいかないぜ、橙猿の尾(モンキーテール)!」

 

 ジュモは飛び上がると蛇腹状のベルトを伸ばして木に巻きつけ、木々の間を跳びながら大蜘蛛へと迫っていく。

 

 ジュモはついに、木々の間を逃げ回る大蜘蛛へ接近すると、こんどは空中での打ち合いが始まった。

 

 地上戦に比べると、空中での打ち合いはジュモにとって多少不自由ではあるが、それは相手も同様のことだ。

 

 数度の打ち合いの後、ジュモは空中で大蜘蛛の姿勢を大きく崩し、木の幹へと叩きつける。そして、糸

 に吊られたままひっくり返り宙ぶらりんとなった大蜘蛛の体に飛び乗ると、そのまま片腕をツルハシに変形させ、糸を断ち切った。

 

 ジュモを腹の上に乗せたまま、大蜘蛛は地面へと落下していく。

 

「このまま、地面に落ちる衝撃と合わせて、杭で腹に穴開けてやるよ‼」

 

 ――着地の瞬間。ジュモの耳に飛び込んできたのは、ローロの悲鳴だった。

 

「きゃあああ!」

 

「ローロ!」

 

 ジュモは反射的にローロの元へ走った。

 

 ジュモの視線の先では、“もう一体”の大蜘蛛と対面するローロの姿があった。

 

(ちくしょう、一体じゃなかったのかよ! 戦ってるうちに随分離れちまった、死ぬなよ!)

 

 ローロは大蜘蛛の前足からの初撃を捉え、槍を横に構えることで何とか防いだ。

 だが、二太刀、三太刀と振るわれると、ついに槍を手放しその場で尻餅をついてしまった。

 

「針!」

 

 咄嗟にジュモは針を飛ばすと、大蜘蛛の目に当たった。

 

『GYAAAAA‼︎』

 

「こっちを狙いやがれ‼︎」

 

 だが、大蜘蛛が次に狙ったのはローロだった。 噛み砕こうと牙を向ける。

 

「きゃあああああああ‼︎」

 

「させっかああ!!!」

 

 ジュモはガントレットから爪を迫り出させ、大蜘蛛の口内へ腕を突っ込んだ。

 

『GISYAAAAAAA‼︎‼︎』

 

 悶絶する大蜘蛛は、ジュモの腕を噛みちぎらんと、口を勢いよく閉じると、ぐちゅりと、ジュモの前腕に牙がのめりこみ、ジュモを不快な痛みが襲った。

 

「ジュモっ‼︎」

 

「ぐっ……なんのこれしき……‼︎」

 

 ジュモは痛みを堪えながら大蜘蛛の口内で針を放ち続けた。

 

「これでも……喰らっとけ‼︎」

 

 バシュン、バシュンとジュモが針を放つたび、大蜘蛛の噛む力が弱っていく。そしてついに、その体は塵となって消えた。

 

「ハァ……ハァ……ったく、やっぱ誰かを守りながら戦うってのは難しいもんだな……」

 

「ジュモ、腕が!」

 

 大蜘蛛に噛みつかれたジュモの左前腕は、大きな噛み跡が付き、そしてその付近からゆっくりとドス黒い紫色に変色していっていた。

 

「まさかこれは、毒……ですか?」

 

「まぁな。……大丈夫だ、ツバつけときゃ治る」

 

 言いながらも、ジュモの額には冷や汗が滲み、顔色からも血の気が失せ始めている。ローロから見ても、ゼリルから見ても、痩せ我慢なのは明白だった。

 

「ジュモ、もう薬はないの⁉︎」

 

 尋ねるローロに、ゼリルは苦虫を噛み潰した様子で告げた。

 

「……私たちが持っていたのは、あの二本っきりです」

 

「そんな……」

 

「とりあえず、腕縛ってくれ、とびっきりきつくな。これで失血と毒の巡りが少しはマシになる」

 

「うん」

 

 ローロは近くに生えていた植物のツタを切ると、ジュモの腕を縛った。

 

 広がる花畑を見て、ゼリルは思いついた。

 

「ローロ、ポワロスの花から、今ここで解毒薬は作れないのですか?」

 

 ローロは首を横に振った。

 

「解毒薬を作るにはポワロスの花以外にも、アニル草って薬が必要なの……。アニル草も、ポワロスの花ほどじゃないけど珍しい植物だから、どこに生えてるか……」

 

 すると突如木々の隙間から数匹のリスが現れるとジュモに近づき、『きゅる……』と鳴き声を上げた。

 

 ゼリルとローロは、気づいた。

 

「この子達、さっきジュモがテイムしてたビーストたちだ」

 

「きっと、ジュモを心配してやってきたんです……」

 

「悪いなお前ら、ちょっと蜘蛛やろうにやられちまってよ……」

 

「そうです、彼らにアニル草を探してきてもらえれば!」

 

「……俺はアニル草がどんな匂いで、どんな色で、どんな形の植物なのかを知らねぇ」

 

「だめ、か……」

 

「だから――」

 

 そう言ってジュモは、ローロの方を見た。

 

「お前がやってみろ」

 

「え?」

 

「お前がアニル草のイメージをこいつらに伝えるんだ」

 

「……私なんかがそんなの、できるわけない」

 

「いいからやってみやがれ」

 

「落ち着いて、こいつらの頭ん中にお前のイメージを送るイメージでやればいい」

 

「……やってみる」

 

 ローロは目を閉じると、アニル草のことを思い浮かべる。

 

(細い茎がたくさん広がっていて、それぞれの茎には、丸くて厚みのある葉っぱがたくさん生えている。いつも朝露で濡れている。色は明るい緑色で、ほんのりさわやかな香りがする薬草――みんなには、それを探してきて欲しい。お願い、ジュモの命が危ないの)

 

 すると、ビーストたちは散り散りに駆け出していった。

 

「上手く行ったのかな……」

 

「へっ、できんじゃねぇか……」

 

 するとジュモはどさり、と力なくその場へ座り込んだ。

 

「ジュモ!」

 

「……ゼェ……ハァ……、最悪だ、目眩はするし何もしてねぇのに息が上がる……」

 

「じっとしてて!」

 

 ローロは自分のリュックから乳鉢と乳棒、それから小さな鍋を取り出し、そして水筒に入っていた水を鍋の中へ空けた。

 

「ローロ、一体何を」

 

「解毒ポーションをつくるには、アニル草は煮る必要があるの」

 

 落ちている枝を素早く集めてすばやく薪を組んだ。

 リドが小さな炎を吐くと薪に火がつき、水が温まりはじめた。

 

「……随分慣れてんな」

 

「喋らないで安静にしてて……私が黒牙の団じゃできることは索敵以外には雑用くらいしかないから戦闘以外のことは大体やらされてた。……でも、今だけはそれに感謝かもね」

 

 水が沸き始めたころ、ローロたちの元へ、徐々にアニル草が集まりはじめていた。

 

「みんなありがとう、これなら……!」

 

 ローロはアニル草を鍋で煮ると、ポワロスの花と一緒に乳鉢の中ですり潰した。

 

「これでよし」

 

「ローロに渡した解毒ポーションとは量や色が少し違うようですが、これで大丈夫なんですか?」

 

「あのポーションの水かさが多いのは、新聖水で効力を上げている――聖力によって生命力を与えて効果をあげているから。でも、今回は新鮮な素材で作るから、私が貰ったものと同じくらいの効果はあるはずよ」

 

 ローロはジュモの口元へ、そのまま乳鉢を持っていった。

 

「苦いけど我慢して!」

 

「がはっ、苦げっ! うぇっ! げほっげほっ!」

 

「ジュモっ!」

 

「まっじぃ……」

 

 いつも通りの様子のジュモに、ゼリルは安堵した。

 

 それから少しすると、ジュモの顔色は徐々に戻っていき、回復の兆しが見えていた。

 

「よかった……」

 

「はっ、こんなところで俺がくたばるわけねぇだろうが」

 

 ◇

 

 ポワロスの花をたっぷりと採取したジュモたちは森を後にした。

 その矢先のことだ。

 

「そういや、お前どうやってここまできたんだ?」

 

「行きは馬車に頼んだ。でも帰りは歩き。……笑えるよね、テイマーなのにさ」

 

「なら、ビーストに乗って帰ればいいじゃねぇか」

 

「だから、アンタと違って私はテイムできないの」

 

「……やってみろ」

 

「お願い! 私のビーストになって!」

 

 

「……分かった」

 

「え?」

 

「お前、」

 

 

「初めてあった奴に、いきなりそんなこと言われたら、お前どう思うよ」

 

「それは……ちょっと怖い、かも」

 

「そうだ。要するにお前はテイムするときに、ビーストに向ける感情が重すぎるんだ」

 

「そんなこと、言われても……」

 

「簡単だ、今だけ力を借りればいい」

 

「え?」

 

「「街まで送って欲しい。そうしたらすぐ住処へ返す」はじめっからそういう条件でテイムしたら相手も気負わなくていいだろ」

 

 それを聞いたローロは、目から鱗が落ちたようだった。

 

「一時的なテイムなんて考えたこともなかった……」

 

「それにしても、ジュモのこの考えかたはそんなに驚くものなのですか? 一時的なテイムなんて、既に誰かは思いついていそうなものですけど」

 

「……ゼリルの言うように、現地のビーストをテイムして、その場所から離れる際にはテイムを解除するってやり方を取る人はいる。でも、あらかじめビーストにそれを伝えてテイムするなんてやり方聞いたことない!」

 

「いいからやってみろ、さっきだってできたじゃねぇか」

 

「わ、わかった」

 

(お、お願い! 片道!片道だけでいいから!)

 

 すると、ケリューディアーがローロの元へゆっくりと近づくと、姿勢を低くした。

 

 すると、ローロから共鳴の糸(リンクライン)が飛び出し、ケリューディアーへと吸い込まれた。

 

「じゅ、ジュモ! できた! 私にもできたよ!」

 

「わかったから落ち着け、そいつがびっくりするだろうが」

 

「そ、そっか、ごめんなさい」

 

「これでようやく帰れるな、頼むぞ」

 

 ジュモは軽々背にまたがり声をかけると、駆け出した。

 

「ちょ、ちょっと! 置いてかないで!」

 

「追いついてみろ!」

 

「くっそう! 今にみてなさいよ!」

 

 そんな意気込みが伝わったのか、ケリューディアがフンス、と花をならし駆け出した。

 

 

 

 ローロがまだまだビーストの騎乗に慣れていないこともあって、途中何度も休憩や足止めを余儀なくされたが、一行はなんとか街門が閉じる前に帰ることができた。

 

「な、なんとか夜になる前に戻ってこれたわね……」

 

「色々言いてえことはあるが、まあ合格にしておいてやるよ。俺たちはヒルナに花を渡しに行くが、お前はどうするんだ?」

 

「ヒルナって、聖女ヒルナ様⁉︎」

 

「おう」

 

「アンタ、ヒルナ様から依頼受けてたの⁉︎」

 

「そんなに驚くことか?」

 

「彼女は多くの人々から信頼を得ていました。彼女からの依頼ということはすなわち、彼女からの信頼の証であり、尊れることなのでしょう」

 

「へぇ、あの痴女がねぇ……」

 

「ね、ねえ! 私もついていっていい⁉︎ 私もヒルナ様に会いたい」

 

「あー、まあ勝手にしたらいいんじゃねぇか?」

 

「本当⁉︎」

 

 ローロは目を輝かせた。

 

「いいのですか? 勝手にそんなことを言って」

 

「あー、まあいいだろ、減るもんでもねぇし。ゼリル、そろそろリュックにしまうぞ」

 

「……仕方ありません」

 

 そうして一行が教会へ向かっている途中、繁華街を通っている時のことだった。

 

「あ……」

 

 ふとローロが足を止めた。

 

「どうした?」

 

 ローロの視線の先には、酒場の軒先でテーブルを囲み、愉快そうに酒をかっくらう男たちがいた。

 下品な笑い声を上げながら大騒ぎする様子にジュモは顔をしかめる。

 

「――そう言えば、今頃あのチビどうなってると思う?」

 

「さあ、洞穴に閉じこもってガタガタ震えてるんじゃねぇか?」

 

「馬鹿言え、とっくに魔物に食われてるに決まってるだろうが!」

 

「そりゃそうか!」

 

 ぎゃはははは‼︎と男たちが一斉に笑い出す。

 

「……なんだか、不愉快な人たちですね」

 

 すると、席の奥に座る、黒髪をオールバックにした巨漢がローロに気づき、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「こいつは驚いた、とっくに野垂れ死んでると思ってたぜ」

 

「本当だ! “チビ”じゃねぇか! ったく、こんなことなら賭けておくんだったぜ」

 

「賭け……?」

 

 戸惑う様子のローロに、手前の席の男は振り返りながら可笑しそうに話した。

 

「三日以内にお前が逃げ帰ってくるか、魔物に食われて帰ってこないか賭けようって話になったんだけどよ、全員「帰ってこない」に賭けようとしたせでい賭けならなかったんだよ」

 

「「「ギャハハハハハ‼︎」」」

 

「ローロ、一体何なんだこいつらは」

 

 ジュモが前に出ると、男たちはようやくジュモの存在に気がついた。

 

「へぇ……、その男に助けて貰ったってワケか」

 

「ゼイラー……」

 

『ゼイラー……ローロの所属する、黒牙の団のリーダー、ですね」

 

「どうしてこいつ一人で行かせた」

 

「テイマーは物探しが得意なんだ、花を探させるならテイマーだろう?」

 

「戦う力もないのにか?」

 

「なに、俺たちはこいつに訓練を与えてやっただけだ、ちょっとばかし厳しい訓練を、な」

 

「てめぇ――」

 

「文句があるって顔だな。だが、そいつはうちの所有物(メンバー)だ首を突っ込むのはやめてもらおうか」

 

 別の男が付け足した。

 

「アンタひょっとしてローロが気に入ったのか? なら、一晩銀貨十枚で貸してやるぜ――」

 

 次の瞬間、男はテーブルに額を打ちつけられていた。

 ジュモが、殴ったのだ。

 安物の机は壊れ、全てがひっくり返る。

 

「なんだテメェ!」

 

「――ぶっ殺す」

 

「やろうってのか!」

 

「ジュモやめて! ゼイラーはアーティファクトを持ってる!」

 

「ジュモ!」

 

「ゼリル、ジュモを止めて!」

 

「――殺しはいけません、適度に懲らしめてやりなさい」

 

 ジュモは男を掴み、振り回すと、反対側から迫っていた男に投げつけた。

 

「ぐわぁ!」

 

「へぇ、少しはやるじゃねぇか」

 

 ただ一人、ゼイラーだけは、剣の柄を握ってはいるが、椅子に座ったままどっしりと構えていた。

 

 ジュモは無言でゼイラーの顔面へ右ストレートを放つ。

 びゅんと風を切り放たれたその拳は、ゼイラーの鼻っ柱を――折ることは無かった。

 

「速いな」

 

「あ?」

 

 下段蹴りを放つとゼイラーは飛び上がりそれを避けた。

 

「なぜ避けられたかわからねぇって面だな」

 

 そう言ってゼイラーは剣を抜いた。

 

「こいつは予剣クロノス。この件を握っている間は、未来を予知することができる。ただし五秒間だけな」

 

「未来予知――!」

 

「フハハ、どうだ驚いただろう。次はこっちから行くぜ」

 

 ゼイラーは身の丈ほどの体験をジュモに向かって振りかぶる。

 

「速度の遅さを未来予知で補う。予剣クロノスこそ最強の武器なり――!」

 

 ゼイラーはジュモの回避行動を読んで剣を振るうが、いずれも攻撃はガントレットで防がれてしまう。

 

「どうやって防いでやがる!」

 

「――そんなもんか、未来予知ってのもたいしたことねぇな」

 

「なんだとっ!」

 

 ゼイラーはさらに顔を真っ赤にして、ジュモへ剣を一心不乱に振るう。――それこそ、周りが見えなくなるくらいに。

 

 ゼイラーは、ぐにゃりと何かを踏んだ。

 

「痛っ!」

 

 そうして上がった声は少女のような声であり、つまり、ゼイラーが踏んだのは、ゼリルだった。

 

 そしてゼイラーはそのまま足を滑らし、姿勢を崩した。

 

「いくら見えるったって、結局テメェの視界に依存してちゃなぁ!」

 

 それからジュモは、ゼイラーたちをボコボコにしていると、いつの間にか集まってきていた野次馬の中から、一人の少女が出てきた。

 

「一体何の騒ぎですか!」

 

「おい、あの子たしか」

 

「ああ、たしか聖女ヒルナのとこの……」

 

「ああ、あんたか」

 

「あなたは昼間の変質者……これは一体――」

 

 彼女は、オロオロとするローロの姿に気がついた。

 

「少なくとも、あなたから仕掛けたわけではなさそうですね」

 

「……わ、私が悪いんだ。私がちょっとゼイラーたちに悪く言われてるのを聞いて、ジュモは怒ってくれたんだ」

 

「ちょっとだって? あれがちょっとなもんか。あんなやつら殺して当然だぜ」

 

 不穏な発言に、彼女はジュモをぎろりと睨んだ。

 

「ジュモ、一回黙ってて!」

 

「――今回はこれ以上罪を追及することもないでしょう。あとは衛兵の仕事です。それで、あなたは――」

 

 ジュモは背負ったリュックに向かって、肩越しに親指を立てた。

 

「ポワロスの花ならこん中だ」

 

 その吉報をきくと、彼女は少し顔を綻ばせた。

 

「今からでも教会に来るといいでしょう。あなたも来ますか?」

 

「えっ、わ、私もいいの……?」

 

 ◇

 

「ジュモくんおかえりー、その様子だと花は見つかったみたいだね……で、その子は?」

 

「ああ、こいつは――」

 

 ジュモはローロと出会った経緯と、それから街に戻ってからの一幕をヒルナに話した。

 

「ポワロスの花が大量なのはいいけど、揉め事まで持ってこいって言った覚えはないよ?」

 

「しょうがないだろ、あんなクズ」

 

「正直、そう言いたくなる気持ちも、わからないではないけどさ」

 

「あの、ヒルナさまも黒牙の団のこと、知ってるんですか」

 

「うん。それも、よくない方向でね。彼らも何度か治療を受けに来たことがあったけど、そのときも、私が聖女な手前、取り繕って意はいたけど、横暴さが隠しきれてなかったね」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ああ、君は別だ、君は黒牙の団の被害者だからね」

 

「でも……」

 

「ジュモくんが助けに入ってくれてよかったよ。正直、最近の黒牙の団の行動は目に余る。いい灸になったんじゃないかな」

 

「あいつらのこと知ってたんなら、もっと早くなんとかできなかったのかよ、俺がこなけりゃこいつは死んでたんだぞ!」

 

「この毒騒ぎでそれどころではなかった――というのは言い訳にはならないだろうね」

 

 ヒルナはどこか、自分にも言い聞かせているようだった。

 

「この件についてはギルドに文句付けとくよ。この私が動くんだ、それなりの対応はしてくれるだろうさ。ローロ、君には本当に申し訳ないことをした」

 

 そう言ってヒルナは頭を下げた。

 

「そんな! ヒルナ様頭を上げてください!」

 

「んなことより、花はいいのかよ」

 

 ジュモはリュックからポワロスの花をありったけとりだすと、ぼんとテーブルの上に置いた。

 

「これはまた……大量だね。群生地でも見つけたの?」

 

「ああ。蜘蛛野郎が人間を誘き出すための狩場にしてやがったけどな」

 

「――スパイダーです。あたりには、冒険者のものだったと思われる服や防具がたくさん落ちていました」

 

「……なるほど、通りで群生地の情報が上がってこないはずだ」

 

「あやうく死ぬとこだったぜ――もってこれるだけ持ってきたが、まだ大量に残ってるぜ」

 

「本当? すぐに冒険者を手配してもらうことにするよ」

 

「それにしても、銀等級の大蜘蛛二体か……やっぱり異常みたいだね」

 

 そう言ってヒルナは三つの小瓶をテーブルの上に置いた。

 小瓶の中には、灰色、水色、黄色と、それぞれ異なる色の液体が入っていた。

 

「なんだこりゃ?」

 

「報酬は聖衣で前払いって話だったけど、おまけで何かあげてもいいかなって思って。それは、彼女が解毒薬をつくる副産物でつくった毒薬だ」

 

「毒だって? なんてもん渡しやがる」

 

「それぞれ石化、凍結、麻痺の薬だよ。刃物とか矢に塗って使うといい。ただし、強力だからくれぐれも自分の手にこぼしたりしないようにね」

 

「……いまいち使い所は思いつかねぇが、とりあえずもらっておくことにする」

 

「一言余計」

 

「それとローロ、君が採ってきたポワロスの花、少しだけこっちで買い取ってもいいかな?」

 

「いいですけど」

 

 ローロは不思議そうだ。

 

「はい、売上金」

 

 ヒルナは硬貨の入った麻袋をローロに差し出した。 

 その量からして、本来よりも多額の売上金が入っていることが、ローロにはすぐにわかった。

 

 ローロがぱあっと明るくなった。

 

「う、受け取れません!」

 

「勘違いしないでほしいな、これは私なりの意趣返しだよ」

 

「全部彼らの懐に収まると思うと癪だからね。せめてもの意趣返しだよ」

 

「だ、だめです受け取れません!」

 

「せいぜい、君の好きなように使うといい」 

 

 ヒルナはウインクをした。

 

「――うし、そろそろ出るか。なあヒルナ――」

 

「すう……すう……」

 

「まさか、こいつ寝てるのか?」

 

「……の、ようですね。どうやらお疲れのようです」

 

 廊下で彼女とすれ違う。

 

「ヒルナのやつ、疲れて寝ちまった」

 

「わかりました。そ、それと、今日は外に泊まっていただけますか?」

 

 彼女は昨日の浴場での一幕を思い出して赤面した。

 

 ◇

 

「……ジュモ、ありがとう」

 

「あ? 何がだ?」

 

「ゼイラーたちをボコボコにしてくれて」

 

「あんな奴らボコボコにされて当然だ。それに、俺はまだきがすんでないからな」

 

「こら、懲らしめる程度に留めなさいと言ったでしょう」

 

「わからねぇな……ま、これでお前もあんな奴らとはおさらばできるな」

 

「うん……」

 

 頷くローロの表情は明るくない。

 

「どうした」

 

「そ、そうだ、あんたに食べて欲しいものがあるんだ」

 

「おっ、食い物か? そうこなくっちゃな!」

 

 ローロに案内されたのは、どうやら喫茶店のような所だった。

 

「いらっしゃいませー、あらローロちゃん! 随分久しぶりじゃないの!」

  

 出迎えた、恰幅のいい中年の女性は、きょとんとした表情でジュモとゼリルを交互に見つめた。

 

「あら、そちらの方……たちは?」

 

「こいつはジュモと、ビーストのゼリル。命の恩人だよ」

 

「あら、あらあら! 変わった人たちだと思ったけど、それじゃあおもてなししなきゃね。注文はいつも通り?」

 

「うん! ジュモも私と同じもので!」

 

「おい、せめて何頼むかくらい教えろよ」

 

「運ばれてくるまで秘密! そっちの方が面白いでしょ?」

 

「へいへい……この店、よく来るのか?」

 

 ローロは首を横に振った。

 

「お金ないから、これるのは時々。でもおばちゃんは私に優しくしてくれるし、全部美味しいから私はこの店が大好き」

 

「そうか」

 

 程なくして、料理を準備し終えたおばさんがやってきた。

 両手に持った盆にはティーポットと、黄金色に輝く熱々ののパイが乗っていた。

 

「はい、スナップベリーの紅茶とはちみつパイだよ」

 

「わあぁ……」

 

 テーブルに皿が運ばれてくると、ローロは目を輝かせた。

 

「料理っていうから何かと思えば、お茶に菓子かよ……」

 

 口ではそういいつつも、年相応の少女のように目を輝かせるローロをみて、ジュモはまんざらでもなさそうだった。

 

「ん〜‼︎」

 

「そんなに美味いもんなのか……」

 

「ジュモも食べなよ、今日は私がご馳走してあげる」

 

「へっ、ガキにたかるほど落ぶれちゃいねぇよ」

 

「……私には、これくらいしかお礼できないから」

 

「あ? なんだそんなこと気にしてたのか」

 

 ローロは頬を少し赤らめて尋ねる。

 

「だって、ジュモは私の体とか……興味ないでしょ?」

 

 ジュモはすぱん、とローロの頭をはたいた。

 

「くだらねぇ冗談はもっと大人になってから……いや、大人になったって言うもんじゃねえ」

 

「だ、だって……!」

 

「いいぜ、そんなに美味そうに食うんだ、どれ、食ってやることにしよう」

 

 一口。

 ジュモの口の中を刺激的な甘味が駆け抜ける。

 それは、普段のジュモの生活では決して味わえることのない甘みである。

 

「ジュモ、私にも一口くださいよ!」

 

「おっぱいのくせに何寝ぼけたこと言ってやがる。それに、お前が物食えたところで、これは一口もやらねぇよ!」

 

「ちょ、ちょっと喧嘩しないで! もしそうなったらその、また私がご馳走するから!」

 

「「バカ言いなさんな!」」

 

「ええ……!」

 

 パイをひとしきり食べ終え、腹も満たされてきた頃、ローロはジュモに尋ねた。

 

「なあ、ジュモはこれからどうするんだ? まだこの街にいるのか?」

 

「いいや、無事にギルドカードが手に入ったらここを出て、旅を続けるつもりだ」

 

「そっか、すぐ行っちゃうんだな……」

 

「お前は?」

 

「私は――」

 

 ローロは言い淀む。

 

「よろしければ、私たちと一緒に旅をしませんか?」

 

「おい、言っておくが、今日みたいに守ってやれるとは思うなよ」

 

「――大丈夫。私はまだ、ここに残るから。あんたたちにはついていける気がしないし、……まだこの店もあるし」

 

「おう、そか」

 

 そう言ってジュモは席を立った。

 

「な、なあ、今日泊まるところはあるのか? 私、ボロいけど部屋借りてて――」

 

「いや、大丈夫だ。――じゃあまた、縁があったならな」

 

 

 

  〈第五節 男と娘〉[#「〈第五節 男と娘〉」は中見出し]

 

 

 

「よかったのですか?」

 

「何がだ?」

 

「私の勘が外れていなければ、彼女はジュモと一緒に旅をしたいと、そう言いたいような気がしていました」

 

「……かもな」

 

「なら……」

 

「だが、今のあいつを連れて行っても途中でくたばるだけだ。連れていけるわけねぇだろうが」

 

「ジュモ……」

 

「それに、この街に残るってのも、あいつが決めたことだ。俺がとやかく言うことじゃねぇ」

 

「――それで、今日の宿はどうしましょうか。教会からは追い出されましたし、ローロからの誘いもジュモが断ってしまいました」

 

「それは……これから考える」

 

 大通りに出ると、すっかり日が落ちているにも関わらず街は活気で溢れており、多くの人々が行き交っていた。

 

「あ?」

 

 ジュモは正面から歩いてくる、痩せた初老の男に訝しげな視線を向けた。

 

「ジュモ、どうかしたのですか?」

 

「いや……」 

 

 男とすれ違いざま、男はジュモのウエストポーチへと手を伸ばす。

 その手にはナイフが握られていた。

 男はナイフでジュモのポーチの紐を切り、奪おうとしていたのだ。

 

 だが、それを見逃すジュモではなかった。

 

「そうくると思ったぜ!」

 

 ジュモは男の手首を掴みあげる道路脇の壁へと叩きつけた。

 

「ジュモ!」

 

「テメェ今! ポーチを盗ろうとしやがったな!」

 

「ひ、ひいっ!」

 

 ジュモは男に向かって拳を引いた。

 

「やめなさいジュモ!」 

 

「分かってるよ、殺すなってんだろ。ちゃんと死なない程度にぶちのめした後で衛兵に突き出す」

 

「そうではありません!」

 

「じゃあなんだってんだ……、こいつはビースト達からもらった物がつまったポートを盗もうとしたんだぞ! まさかこいつを許して解放しろだなんて言うつもりじゃないだろうな」

 

「無論、手放しでそう言うつもりはありません。罪を犯したものは、相応の罰を受ける必要があります」

 

「なら」

 

「――ですが、それにはまず相手の事情を知る必要があります。彼にもそうせざるを得ない事情があったはずです。私たちは、それを聞く必要があります」

 

「たっ、頼む……! せめて明日まで待ってくれ!」

 

 ――確かにゼリルの言う通り、男は異常なほど必死で、何が事情がありそうな様子だった。

 

 “明日まで”――その言葉が気になったジュモは、男を壁に押し付ける力を弱めた。

 

「とりあえず、話だけは聞いてやる」

 

「あ、ああ……ありがとう……」

 

「いいから話せ」

 

 そうして、男は話始めた。

 

「――娘の治療のために、金が必要だったんだ」

 

「……教会にいけば、金を払わなくても治してくれるんじゃないのか?」

 

 男は頭を垂れながら首を横に振った。

 

「勿論、すぐに教会に行って娘を見てもらったさ。だが、娘の病は、教会の聖術じゃ治らない」

 

「どういうことだ――まさか嘘じゃないだろうな」

 

「……ついてきてくれ」

 

 男はゆっくりと歩き始め、ジュモたちは古びた宿へ案内された。

 軋む階段を登り、ジュモは男についていく。

 

「いいのかよ、俺たちを上がらせて」

 

「……私は、どうしても今ここで捕まるわけにはいかない。だが、あんたから逃れるとも思えない。だから、出来うる限りのものを見せて、信じてももらうしかないんだ」

 

 男のギラついた双眸からは、その必死さが滲み出ていた。

 

「それに、俺にはとてもあんたらが悪人とは思えない」

 

 そこは、テーブルやソファーなど、いくつかの家具がいくつかあるだけの、こざっぱりとした部屋だった。

 

 そして、部屋の隅にあるベッドには、十二、三歳くらいだろうか、ローロと同じくらいの少女が、静かにベッドへ横たわっていた。

 頬が少し痩け、痩せているようには見えるが、穏やかに寝息を立てる姿は一見、病を患っているとは思えない。

 

「眠っているみたいだろう。だが、三ヶ月はこのままだ」

 

「三ヶ月も……?」

 

 男はジュモを椅子に座らせると、ポツリ、ポツリと話し始めた。

 

「――私は商人をやっていてな。妻を早くに亡くし、預けるところもなかったもんで、娘を連れながらあちこち旅をしていたんだ」

 

 ニューヴァリアでの子供を連れての旅。それがどれだけ過酷なものか、ジュモは容易に想像できた。

 

「もちろん、できるだけ危険な目に遭わないよう、護衛は複数人雇い、天候も必ず占ってもらっていた。……最善は尽くしてきたつもりだった――あの日も、いつものように日が上ると同時に街を出て、宿駅を目指した。だが、その日は占いが外れ、空に分厚い雲が空に掛かり、まるで夜だった」

 

「魔物……だな」

 

 ジュモが聞くと、男は静かに頷いた。

 

「私たちは魔物の群れに襲われた。護衛たちの奮闘もあってなんとか一命は取り留めたものの、その際に娘は重傷を負ってしまったんだ。襲われた地点から、この街までそう遠くなかったのが不幸中の幸いで、すぐに教会に駆け込んで聖女ヒルナに治療をしてもらったよ」

 

「……聖女ヒルナの治療は失敗したのですか?」

 

「いや、治療は問題なく終わり、娘が身体に受けた傷は、跡もわからないほどに完治した」

 

「では、彼女が目を覚さないのは一体どうして……」

 

「――『魂隠れ』、だと言われたよ」

 

「魂隠れ?」

 

「ああ。身体には何の異常もないにもかかわらず、魂が眠ったままの状態になることで起きる、“魂の病”だ。原因は、魔物に襲われたショック……だそうだ」

 

「その魂の病ってやつだと、教会は治せない、そういうことか?」

 

「そうだ。教会では、怪我や風邪、毒など、肉体的な損傷は治せるが、魂の病は王都や聖地にいる、魂の扱いに長けた聖女でないと直せないそうだ」

 

「王都か……」

 

 ジュモは頭の中にニューヴァリアの地図を思い描く。このジラーマの街は大陸南部に位置している。一方、王都は大陸の中心にあり、聖都にいたっては最北端だ。今の彼女を連れて王都まで連れて行くのは不可能に近いだろう。

 

「――私は商人時代の伝手を使い、『目醒め石』を取り寄せることにした」

 

「目醒め石、ですか?」

 

 

「ああ。聖女の手を借りずとも魂隠れを治し、目を醒させることができる石だ。……だが、目醒め石は並の宝石よりも値の張る貴重品んで、今私の手元には、それだけの金はないんだ……」

 

「……それで、金が足りないから人から奪おうったって魂胆か」

 

 男は懐から手紙を取り出した。

 

「目醒め石の代金が二百万リラ……。はじめは、この街で手元に残っていた商品を売り金を稼いだ、次に物を売った。金も借りた。……だがそれでも足りず、そしてもう、明日の朝が約束に日になってしまった。私は……私は、数日前からスリを始めた。それでもまだ、二十万リラ、足りていない」

 

 男は床に手をつくと、額が床に擦れるほど深々と頭を下げた。

 

「頼む、この通りだ……どうか、どうか今だけは見逃してくれ……!」

 

「――例えば、目醒め石を持ってきてくれる商人から、足りない金額を貸しにする、ということはできないのですか?」

 

 男は首を横に振った。

 

「奴は、金銭のやり取りについては厳格な男だ。……それに、目醒め石を手に入れてもらった上、わざわざこの街まで来てもらうんだ。これ以上貸しは作れない」

 

「二十万リラ……ジュモ」

 

 ゼリルは、ジュモへと視線を送った。

 

「……」

 

 ジュモはポーチからフォレストドラゴンの鱗を取り出した。

 

「あ、あんたそれは……」

 

 ジュモは何も言わず、ベッドで眠り続ける少女と、鱗を交互に見つめた。

 そして、鱗を男へ差し出した。

 

「あんたも商人ってなら検討ついてると思うが、こいつはフォレストドラゴンの鱗だ。相手の商人がどう見積もるかはしらねぇが、二十万リラくらいにはなるんじゃねぇのか?」

 

 突然のことに、商人は手を伸ばしかけ、戸惑いで手を振るわせた。

 

「こ、これを受け取ってい、いいのか……?」

 

 ジュモが頷くのを確認すると、男は鱗に手を伸ばす。

 

「だ、だが今の私はあなたに何も払えるものがない……」

 

「いらねぇよ。俺は別に金に執着はしてねぇんだ。ただそのガキが無事に目を覚ませばそれでいい」

 

「ありがとう……ありがとう……ありがとう……」

 

 男は、静かに涙を流した。

 

「罪のないものから奪ったことは、償うべきです。ですが今は、彼女を目覚めさせることだけを考えなさい。事情は、聖女ヒルナを通して、他のものに説明します」

 

「あんた……」

 

「いいのかよ、勝手にそんなん約束して」

 

「聖職に勤める者なら、理解を示すでしょう」

 

「相手の商人……グルゼと言うんだが、彼は珍しいビーストに目がない。これを持っていけば無事に取引を行うことができるだろう」

 

「ならいい、じゃ、行くぞゼリル……どうした?」

 

「いえ、グルゼという名前、どこかで聞いたことがあるような――」

 

 そして、ゼリルはようやく思い出した。

 

「――そうです、街に入る前に出会った商人、彼の名前はグルゼと言っていましたよね」

 

「ああ……たしかそんな感じの名前だったはずだ」

 

 ジュモはニヤリと笑う。

 

「俺はグルゼの弱みを握ってる。事もうまく運ぶはずだ」

 

「ほ、本当か! ならばぜひ同席を頼む!」

 

 

 

 それからしばらくすると、何者かがドアをノックした。

 

「グルゼだ、例の件で来てやったぜ」

 

「ああ、入ってくれ」

 

 入室し、ジュモたちの存在に気づいたグルゼは、目をまるくして驚いた。

 

「おいおい、なんであんたらがここにいるんだ? ……噂になってたぜ、おっぱいを連れた半裸の男が出たってよ」

 

「色々あって取引に同席することになった。それより馬は診てもらったか?」

 

「ああ、お前の言う通りだった、感謝してる。……だが、それとこれとは話は別だ。取るもんはきっちりとるぜ」

 

「その前に、物を……」

 

「はいよ」

 

 男の要望に応えグルゼが取り出したのは掌に収まるほどの大きさの乳白色の結晶だった。結晶の中心では、翠色の光が淡く輝いている。

 

「これが目醒め石……、わずかですが、聖力を感じます」

 

「ああ、質は申し分ないようだ」

 

 男はグルゼに金貨の入った袋を渡す。

 

「ちょいと失礼」

 

 グルゼは椅子に座ると、硬貨の枚数を数え始めた。

 

「……おい、全然足りてねぇぞ、どういうことだ」

 

「ならこいつも、勘定に入れてくれ」

 

 そういってジュモは鱗をテーブルにおいた。

 

「おいおい、まさかそいつは……」

 

「鱗は三十万リラはくだらない。あんたが言ったことだ、文句ねぇだろ?」

 

「してやられたぜ。ああ、交渉成立だ」

 

 

 

 グルゼが去ると、男は改めてジュモたちに頭を下げた。

 

「ありがとう、二人とも……」

 

「気が早いぜおっさん。礼を受け取るのはガキが目覚めてからだ」

 

「そうですね。目醒め石はどのようにして使うのですか?」

 

「あ、ああ。娘のすぐそばで、石を握って念じるだけだ。本当は、聖力の扱いに長けたものが行ったほうがいいらしいが、背に腹は――」

 

 ジュモは男の背中をこづいた。

 

「焦ってんじゃねぇ、もしものことがあったらどうする」

 

「だ、だが……」

 

 

「ジュモ、どうする気ですか? 尤も、概ね予想はついていますが」

 

「ああ――餅は餅屋だ」

 

 

 ◇

 

 

 ジュモ達が外に出ると、空が白ばみ始めているところだった。そして、その背中には娘のアンナが背負われている。

 

 向かった先は教会だった。

 

「餅は餅屋……そいういうことか」

 

 すると、ジュモはまだ早朝だというのにドアを叩きはじめた。

 

「おーい! 誰か起きてるかー!」

 

「ジュモ! 何してるんですか!」

 

「中の誰でもいい、誰か気づいてくれりゃぁ、ヒルナを起こしてくれるだろ」

 

「だからといって……!」

 

 すると、大きな扉がギイ……と開いた。

 

「誰ですか、こんな時間に……」

 

 眠たい目を擦りながら現れたのは、助手のユーハだった。

 

「あなたは……」

 

 するとユーハは、ジュモがアンナを背負っていることに気づいた。

 そして、哀しむ表情を見せた。

 

「申し訳ございません、この教会では、魂隠れを治すことは――」

 

「目醒め石があれば、できるんだろ」

 

「それは……!」

 

 それからの対応は速く、ジュモ達を治療室へ通すと、アンナを治療台へと寝かせた。

 

「ヒルナは起こさなくていいのか」

 

「ヒルナ様は、あなたがポワロス花を持ってきてくれたことでようやく安心してお眠りになっています、起こしたくありません。それに、起こさなくとも目醒め石くらい、私が扱えます」

 

「アンナを……娘をお願いします……」

 

 ユーハは頷くと、目醒め石を握った手をアンナの額へかざした。

 

 目醒め石が翠に輝き、その光はアンナの頭の中へと吸い込まれていった。

 

『さあ、お目覚めの時間ですよ』

 

 ユーハがつぶやいてから、すぐのことだ。

 ぱちり、とアンナが目を開いた。

 不思議そうに、きょろきょろと辺りを見回す。

 

「おとう……さん……?」

 

「アンナ……! アンナ……‼︎」

 

「わっ、おとうさん、苦しいよ……?」

 

 その光景にジュモは穏やかな笑みを浮かべていた。

 ゼリルはそんなジュモの様子を、初めて見た気がした。

 

「実際に、被害の報告も出ています。ですが、今回は事情を鑑み、被害額は教会で補填し、あなたにはその分、無償で働いていただきます」

 

「……はい!」

 

 ◇

 

 親子の再会を見届けたジュモたちは教会を後にした。

 日が沈んだら眠り、日が昇ると人々が活動し始めるニューヴァリアだが、さすがにまだ早朝すぎて街は静けさで満ちていた。

 

 ひんやりとた空気がジュモの肺を満たす。

 

「どうですか? 人助けをする気分は」

 

「……悪くない。それに、お前が悪行をするにいたった理由を気にかけてた理由もわかった。……だが、今回は相手がガキだったから助けたんだ。――俺は人間が嫌いだ。そこのところ勘違いするんじゃねぇぞ」

 

「」

 

「ジュモ、聞かせてくれませんか? 何があったのか。

 

「――父親は、通りが買った盗賊に殺された。森は、国の実験で焼き払われた。」

 -

「だけど、悪い、全ての人間を好きになれるわけじゃない」

 

 盗みは悪いが……盗人が悪い奴とも限らない――のかもな。

 

「ところでジュモ、ギルドカードの再発行試験の時刻は……」

 

「いっけね、今ならたぶんまだ間に合う。急ぐぞゼリル!」

 

 

 

 

 

  〈第六節 試験〉 [#「〈第六節 試験〉 」は中見出し]

 

 一方その頃、馬車乗り場ではジュモと共に試験に望むはずのメンバーが立ち往生していた。

 

「ねえ、あと一人、全く来る気配がないんだけど、こう言う時ってどうするの?」

 

 苛立ちを隠さずに職員に尋ねるのは、跳ねた金髪のボブカットをした女だ。

 

「三十分待っても来ないようでしたら、そのまま出発するようにしています」

 

 ギルドの職員、〇〇はため息をついた。

 

「どうして冒険者の方ってこう、時間にルーズな人が多いんでしょうか」

 

 それに応えたのは、試験を受けるもう一人の冒険者、盾と直剣を身につけた大柄な男だった。

 

「はっはっはっ、それは冒険者がそんなの通り、冒険心を忘れぬ者だからだ」

 

「なんの説明にもなってないんだけど?」

 

 そのあまりに大雑把な説明に、女は思わずツッコミを入れた。

 

「それじゃあ、出発しましょう。御者さん、乗り込んだら出発お願いします」

 

「はいよ」

 

 御者が、全員が乗り込んだのを確認し、馬を歩かせ始めたその時、ジュモ達はようやく馬車を見つけた。

 

「ゼリル、多分あれだな!」

 

「ああ、もう出てしまいます!」

 

「どっせい!」

 

 ジュモは馬車に並走すると、車室へと転がりこんだ」

 

「きゃっ! 何よ!」

 

「む……!」

 

 冒険者達は、それぞれ弓を引き、剣の柄を握りジュモを睨む。

 

「あのー、ジュモ様……ですよね?」

 

 緊迫した空気を壊したのは、職員だった。

 

「おう、わりぃ、野暮用でちょっと遅れた」

 

「わりぃって……もっと他に言うことがあるでしょうが」

 

「なんだようるせぇな」

 

「あんたねぇ……」

 

 女がこめかみを引き攣らせていると、声が聞こえた。

 

「――この方の言う通りです。ジュモ、ちゃんと謝罪しなさい。みなさまお待たせして申し訳ございませ――」

 

「「「おっぱいが喋ってる⁉︎⁉︎⁉︎」」」

 

 ジュモはあちゃー、と額に手を当てた。

 このコンビ、どちらも大概である。

 

「――つーわけで、こいつは俺がテイムしたビーストだ」

 

 いつものように一頻り騒がれたのち、ジュモはいつものように嘘の説明をした。

 

「いやいや……それにしてもおっぱいすぎでしょ」

 

 女――キューロはゼリルを指でつついた。

 

「ひゃっ! やめてください!」

 

「おお〜、ほんとにおっぱいだ……」

 

「どれ、俺も少し」

 

「ひゃっ! や、やめてください!」

 

 

「え……こほん」

 

 

 咳をして、その場を諌めたのはイレーネだった。

 

「それでは、この後行っていただく再発行試験について、説明させていただきます。戦士、ガリオス様。アーチャー、キューロ様。ビーストテイマー、ジュモ様。あなた方には今から三人でパーティを組み、森の中の探索、魔物との戦闘を行っていただきます」

 

「なるほど、最中の行動から再発行に足る人物かどうか、見定めるというわけですね」

 

 ゼリルは関心の声を上げると、戸惑いながらもイレーネは話を続けた。

 

「え、ええ……。実際の依頼はあらかじめ討伐する魔物と、そのおおよその体数が決まっていますが、今回は銅等級以上の魔物を、各五体以上討伐していただきます」

 

「あ? たった五体でいいのか?」

 

 あまりにも簡単な条件に、ジュモは首を傾げる。

 

「昇格試験と違って、あくまで対象外の――例えば、身分証欲しさにいきなり再発行試験を受けようとする方などを選別する、というのが主な役割ですから」

 

「確かに。名前を書けば受けられる以上、そういったことを考える方が出てくるのですね……」

 

「……しゃべるビーストを連れてるってのはいいんだけど、そいつは何ができるの? 広範囲の索敵ができるとか?」

 

「いや、できないぞ。強いて言えば、戦闘中も背後を見張っててくれるってくらいだ」

 

「あんた、それでどうやってテイマーやってきたってわけ? テイマーの仕事なんて、ほとんど索敵でしょ?」

 

(……なるほど、これがローロの言っていた、テイマーの軽視、というわけですね)

 

「索敵なら、現地にいるビーストの力をその都度借りてるよ。気になるんだったら後で見せてやる。それと、俺は普段一人で旅してんだ、戦闘だって一人でやる。今だって、受ける必要がなきゃこんな試験受けてねーよ」

 

「一人でって、なんの戦闘才能(ギフト)も持っていないテイマーが? 冗談でしょ?」

 

「いや、あながち嘘ではないかもしれんぞ」

 

 口を開いたのは、先ほどから腕を組み、傍観していたガリオスだった。

 

「その仕掛け武器の状態……、かなり使い込まれているのが見てとれるが、その一方で非常に丁寧に手入れされている。その上、年齢は十五、六と見受けられる。だとすれば相当な数の修羅場を潜り抜けてきたということだ。

 

「おっさんすげぇな、そんなことまでわかるなんて」

 

「伊達に冒険者をやってるわけではないさ――だが、珍しい武器だ。どのようにして使うのか、開目検討もつかん」

 

 ジュモは獣形装(ビースティックアームズ)をがしゃりと変形させ、爪を迫り出させた。

 

「おお!」

 

「殴る以外にも、こうやって変形させていろんな使い方ができるんだぜ」

 

「ほほう、中々に面白い。だがそれだけ繊細な機構だ、脆いだろう」

 

「いや、壊れたことは一度もねぇな」

 

「ふぅん、さぞ腕のいい職人が造ったのだろうな」

 

「たしか、ラーギッシュつー、鍛治師がつくったって聞いてる」

 

「……ったく、武器の話になると男ってすぐこうなんだから」

 

「はは……」

 

 思い当たる節があるのか、イレーネは苦笑した。

 

 

 一行は目的地に到着し、馬車から降り森へ踏み入れると、すぐに魔物たちが視界に入る。

 幸い、まだ気づかれてはいないようだった。

 

 

 キューロはしゃがみ込むと、他のものにも息を潜めるようジャスチャーをした。

 

「(ガリオスが前衛、私が後衛なのは確定として、アンタはどうする? 適当に遊撃するでもいいけど)」

 

「なんか、面倒になってきたな……」

 

 しゃがみ込んで大人しく話を聞いていたジュモだったが、不意に茂みから立ち上がった。

 

「(ちょっと!)」

 

「(ジュモ、何してるんですか!)」

 

「いや、なんか作戦とか全部面倒くせぇ……なんつーか、やっぱり人間とつるむのは性に合わねぇ!」

 

 ジュモはゼリルを肩に乗せたまま魔物に飛び掛かると、さながらローロを救出した時のように辺りの魔物を借り尽くした。

 

「何なのよあいつ、めちゃくちゃ強いじゃない……」

 

 他に魔物がいないことを確認すると、ジュモはキューロたちの元へと戻ってきた。

 

「何体倒したかは数えちゃいねぇが五体以上は倒したつもりだ。もうこれで終わりでいいだろ?」

 

「独断専行って……これパーティでの戦闘演習よ? ねえ、これどういう評価になるの?」

 

 キューロはジュモに文句を言うと、こんどはイレーネへ疑問を投げた。

 

「そうですね……、連携を無視した独断での行動は評価できませんが、それを差し引いても余りある実力を持っている――そう判断できます」

 

「ほれみろ」

 

「キッ」

 

「――ですが」

 

「あ?」

 

「問題なのは、ジュモ様がビーストテイマーとしての能力を一切使わずに倒してしまったことです」

 

「あん? だめなのかよ」

 

「この試験の目的の一つは、冒険者の“才能(ギフト)”の能力の高さを確認することでもあります。そのため、ジュモ様の場合ですとビーストを使った戦闘、または索敵を少なくとも一回は行う必要があります」

 

「なんだよ、それを先に言えよ」

 

「言ってたわよ、あんたが来る前にね」

 

「ちっ、わかった、やればいいんだろ? だがビーストを戦わせるのはナシだ」

 

 そうなれば、ジュモが行おうとしていることは、当然索敵である。

 

「さて……と」

 

 ジュモが森を見渡すと、目が合ったのは、腕の下から胴体にかけ、鳥のような羽毛が生えた、ムササビ型のビースト『グラリス』だった。

 

「なあ、ちょっと手を貸してくれるか?」

 

『ナーニ?』

 

「この近くに、他に魔物がいるか、見てきてくれ」

 

『ワカッタ!』 

 

 ジュモからテイムの証である共鳴の糸(リンクライン)が吸い込まれると、グラリスは木の上から羽毛を羽ばたかせ飛行していった。

 

「ちょ、ちょっとあんた――」

 

 先ほどと同じように、ジュモに食ってかかるキューロ。そして、それ以上の勢いでジュモに詰め寄ってきたのはイレーネだった。

 

「ひょ、ひょっとして、まさかとは思いますが、今の一瞬でテイムしたのですか⁉︎」

 

「テイムつっても、一時的なテイムだぞ」

 

「一時的なテイム⁉︎ それはどうやって……」

 

「……テイムする段階で、ビーストたちにもそれを伝えてやるんだよ。そうすりゃ案外簡単だ」

 

「な、なるほど……」

 

 ふと、ジュモはローロが話していた、テイマーの現状のことを思い出す。

 

「折角だ、他のテイマーにも教えてやってくれ」

 

「は、はい。私も、現在のテイマーの――」

 

 すると、グラリスが戻ってくる。

 

『イタ! ニョロニョロ! ゲロゲロ!』

 

「あっちか、分かった」

 

 ジュモは小石を拾いあげるとグラリスの足に拾わせる。

 

「これを魔物の頭の上に落としてくれ」

 

『分カッタ!』

 

 先行するグラリスをジュモが追う。

 そして、それをさらに一行が追いかけると、移動した先には、確かにヘビとカエルの魔物がいた。

 

『エイッ!』

 

 グラリスが魔物の近くに空から小石を落とすと、注意がそちらへ向けられる。

 

「どこ見てんだ……よっ!」

 

 ジュモは魔物へ忍び寄ると、一瞬で急所を切り裂いた。

 

 ジュモは振り返ると、イレーネに尋ねる。

 

「これでいいだろ? できる限りビーストは戦わせたくねぇんだ」

 

「は、はい、結構です……」

 

「あいつ、めちゃくちゃだわ……」

 

「仕方ない、さっさと俺たちの分も片付けるぞ。連携してな」

 

「はいはい。精々やってやろうじゃないの、普通の冒険者の、普通の戦いってやつを」

 

 意気込む彼らの前に現れた最初の魔物はゴブリンだった。

 握りしめた槍の先端は、ドス黒い紫色の液体で濡れている。

 

「げっ、アレ、手に持ってるの、毒槍?」

 

「ゴブリンまで毒を使いか。嫌気がさすぜ。ま、いっちょやるとするか」

 

 ガリオスが片手剣をゴブリンへ振りかぶる。

 ゴブリンは槍を横に構え、それを防いだ。

 

「甘い!」

 

 剣に気を取られたゴブリンの顔面へ、左腕のバックラーで顔面を殴る。

 

『GYA!』

 

 予想外の攻撃に、仰向けに倒れたゴブリンへガリオスは剣を突き刺した。

 

 両手で剣を構え突き刺すと、ゴブリンは霧散した。

 

『GYAAAA!』

 

「これだから戦士は……、戦いが泥臭いったらありゃしない」

 

「ふん、前衛の影に隠れてこそこそ攻撃するしか脳のない臆病者には言われたくないな」

 

「なに、やろうっての」 

 

「はあ……」

 

 それを見ていたイレーネはため息をついた。

 どうやら、こう言った言い合いは冒険者の間ではよくあることらしい。

 

「やれるもんならな」

 

 ガリオスが挑発した直後、キューロはガリオスへ向かって弓を引き絞った。

 

「あっ」とゼリルが声を上げると、ガリオスも同じく驚いたのだろう、目を見開きながら咄嗟に盾を構えた。

 

「はっ!」

 

 ついにキューロが矢を放つ。

 

『GYAA!』

 

 放った矢はガリオス――ではなく、その背後から迫っていたもう一体のゴブリンへ命中した。

 

 驚くガリオスに、キューロはウインクで返した。

 

「あら、本当にやると思った? 後衛がいてこその前衛でしょ?」

 

「驚きました、本当に撃つのかと……」

 

「そうか?」

 

「ジュモは分かっていたのですか?」

 

「やつの背後から何かが近づく音がしたからな」

 

「……! なるほど、音ですか」

 

 

 

 その後も、度々衝突しながら、ガリオスとキューチーは討伐を重ねていった。

 

「当たれっ!」

 

 素早く動き回るポイズンスネークを、体勢を低くしたキューロが矢で射抜く。

 

「これでラストだ!」

 

 動きが鈍ったところを、ガリオスが串刺しにしたことで、目標の討伐数が達成となった。

 

「もういいだろう。さっさと切り上げようぜ」

 

「ねえイレーネさん、もういいでしょ?」

 

「はい。こちらでも討伐数は確認できました」

 

 一行が歩き出し、「やっと帰れるのか……」とジュモがつぶやいたその時だった。

 

 

 

「ぐわあああああああ‼︎‼︎‼︎」

 

 

 男の悲鳴が、森に轟いた。

 

 

「ぎゃあああああああ‼︎‼︎‼︎」

 

 それも、一度ではない。

 立て続けに何度もだ。

 

 そしてそれは、冒険者なら誰もが一度は聞いたことのある――人が魔物に殺される時の声だった。

 

「皆さん、警戒を‼︎」

 

 イレーネが呼びかけた時には、既にその場にいた全員が武器を構えていた。

 

「一体何よ……」 

 

「決まってるだろ、魔物だ」

 

「……わかってるわよ」

 

 言い争う二人をよそに、ジュモは何かから逃げるように飛び立つ鳥たちに声を掛けた。

 

「何が合った!」

 

『出タ!』『大キナ蜘蛛!』『殺シタ!』『人間ヲ沢山!』『デモマダ居ル!』『子ドモ!』『直グニ!』『殺サレル!』

 

「ジュモ、大きな蜘蛛というとまさか……」

 

「ああ、昨日の奴だ――!」

 

 ジュモは風のような速さで動き出した。

 

「ジュモ様!」

 

「ガキがいるんだ! 助けに行く!」

 

 突如動き出したジュモに、一行は呆気に取られる。

 

「あいつ、子供がいるっていってたわよね。どうやって知ったかしらないけど、それが本当なら……」

 

「――状況確認のため、私は声の方へ向かいます。したがって、試験もここまで、全員合格とします。先に帰還していただいて構いません」

 

 そう言ってジュモが駆け出したのと同じ方向へ進もうとすると、ガリオスが彼女の背中をドンと叩いた。

 

「バカ言うなねーちゃん。この程度でビビってて冒険者がやれるかよ」

 

「同感。さっさとあの問題児を追いかけるわよ」

 

 ◇

 

 ジュモが、木々を飛び移りながら悲鳴の聞こえた方向へ向かっていくと、次第にむせ返るような血の匂いが感じられるようになっていった。

 

(ひでぇことになってるのは間違いねぇな……)

 

「くそっ、生きててくれよ……!」

 

 ジュモが辿り着いた先に広がっていた光景は、やはり惨状だった。

 地面できているいくつもの血溜まり。  

 

 そして、その先には――

 

 

 

  ぐしゃり、めきり。

 

 

 

 巨大な蜘蛛の魔物が冒険者の亡骸を食らっていた。

 

「ひどいっ……‼︎」

 

「……デカいな」

 

「ジュモが昨日戦った、スパイダー・スカージ《災の大蜘蛛》ですよね……でも、色が……」

 

 スパイダー・スカージのその体は、ジュモたちが昨日戦った個体よりも大きく。そして、その体はまるで、返り血で染まり切ったような、ドス黒い赤色をしていた。  

 

 そして大蜘蛛は、次の獲物を見定めようと、八つの目をギョロリと動かした。

 その視線の先にいたのは、尻餅をついたまま、動けない様子の少女だった。

 少女は、炎のように紅い髪をして、傍には小さなドラゴンをつれていた。

 

「ジュモ! 彼女、ローロです!」

 

「あいつっ! なんでこんなところにいやがる!」

 

 ジュモは咄嗟に、大蜘蛛へ向かってガントレットから針を放ち、ローロを襲わんとする大蜘蛛の注意を引きつけようとする。

 

 ジュモの想定通り、大蜘蛛の背中に針が命中すると、その視線はジュモのいる方向へと向けられる。

 

「そうだ! そのままこっちむいてろ!」

 

 だが、すぐにジュモからは興味を無くし、その視線は再びローロへと注がれた。

 

「ふざけんなよ蜘蛛野郎……!」

 

 ジュモは木から飛び降りると、ローロを庇うように、大蜘蛛とローロの間に立った。

 

「――ジュモ……! どうしてここに!」

 

「こっちの台詞だ馬鹿野郎! ……今どういう状況――」

 

 その瞬間、ジュモの直感が、大きく警鐘を鳴らし、咄嗟に身を捻った。

 

 次の瞬間、ビュン――と、何かが風を切る音がしたかと思うと、ジュモの背後の木がミシリと鳴り、そして轟音を立てながら地面に倒れた。

 

(――見えなかった。奴は今ひょっとして、糸を飛ばしたのか……?)

 

 遅れて、ジュモの頬にたらりと液体が流れる感覚。

 拭うと、それは血だった。

 

(一瞬にして木を倒す程の攻撃……。もし今避けなかったら……、もしローロにも当たるような角度で攻撃が放たれていたら……笑えねぇ……)

  

「ジュモ逃げて! そいつは特殊個体(イレギュラー)だ!」

 

 特殊個体(イレギュラー)――。稀に、そう称される、通常の魔物よりも強力な個体が出現することがある。

 その能力の上昇幅は一等級ほど。

 すなわち、通常個体が銀等級のスパイダー・スカージ(災の大蜘蛛)であれば、その等級は――金等級相当である。

 

「馬鹿言うな! お前のほうこそさっさと逃げろ!」

 

「でも……」

 

「行ってください!」

 

「う、うん!……あ、あれ……?」

 

 ローロは懸命に立ちあがろうとするが、その脚はがくがくと大きく震え、ローロに逃げるという選択肢を与えてはくれなかった。

 

「ちっ、あいつが立ち上がるまで、やるしかねぇか……!」

 

 ジュモは今度こそ、大蜘蛛の尻が持ち上がり糸の発射口が向けられるのを見逃さなかった。

 

 ビュン、と放たれた糸の軌跡は相変わらず見えない。だが、ジュモは瞬時に発射口の角度から糸の軌道を予測し、ガントレットの爪を突き立てた。

 

 ギャリギャリギャリ! と火花が散るが、ジュモは糸を切り払い背後のローロも守った。

 

『GYAA‼︎』

 

 憤った大蜘蛛は、今度は乱れ撃つように糸を放つ。

 ジュモは懸命に切り払っていくが、全てを落としきることはできず、一筋、また一筋とジュモの体に傷が増えていった。

 

(こうなったらローロを担いで逃げるしかねぇが、そんな暇与えちゃくれねぇ……ジリ貧だ……!)

 

 すると、ジュモに単なる糸では効果が薄いとふんだのか、大蜘蛛は棘のように尖った足を動かし、牙を剥き出しにしてジュモへと飛びかかった。

 

「力比べがしてぇなら……やってやろうじゃねぇか……‼︎」

 

 ジュモは両の拳で大蜘蛛を迎え撃とうとしたその時、ジュモの背後から飛来した矢が大蜘蛛の口の中へと刺さった。

 

『GYAAAAA‼︎』

 

 ジュモが振り返ると、離れた箇所で弓を引き絞っているキューロの姿が見えた。

 

「キューロさん!」

 

「あいつ……」

 

 そして、ジュモの方へ駆け寄るイレーネの姿もあった。

 

 そして、飛び出してきたガリオスが剣をふるう。

 

「特殊個体とは! いい腕試しだ!」

 

 キューロの矢に悶える大蜘蛛へ片手剣を振るい、攻撃は足の節へと命中する。

 

「ぬっ、一度では斬れんか!」

 

 ガリオスは前足の節へ、再び剣を振るおうとする。

 

 だが、ジュモの目は、大蜘蛛が一瞬、ガリオスの方へ視線を向けるのを捉えた。

 

「……やめろ!」

 

 先ほどの攻撃から、ただならぬ予感を感じていたジュモは、咄嗟に叫んだ。

 

 その刹那、大蜘蛛の前足がガリオスへ向かって振るわれた。

 

 

 

「――――あ?」

 

 

 

 気づけば、ガリオスの腹には、大蜘蛛の鋭い足が、深々と突き刺さっていた。

 

「――カハツ……!」

 

 前足が抜かれると、体の中心に、拳大の穴がぽっかりと開いていた。

 

「ガリオスさんっ‼︎」

 

 ガリオスは、そのままうつ伏せに崩れ落ち、動かなくなった。

 

 ――冒険者の掟、その第一項には、こんな項目がある。

 『魔物に喰われるべからず。生き延びる事こそ最大の勇気にして成果なり』

 

 魔物は聖物を喰らうことでその力を増幅させる。

 最も避けるべきことは、魔物に殺され、その体を魔物の糧とされることだ。

 

 ガリオスの呆気ない死によって、この場にいた全員が悟った。

 この大蜘蛛に、五体満足で勝てる保証はない、と。

 

 イレーネは叫ぶ。

 

「全員撤退! 街へ戻れた者は救援要請を! 散り散りになって逃げましょう!」

 

 イレーネがワンド(短杖)を振るい「アジャイル(敏捷)」と呟くと、ジュモたちの体を淡いブルーの光が覆った。

 

「私にできるのはここまでです、幸運を祈ります――」

 

「ジュモ、これは……」

 

「体が軽い……敏捷魔法か!」

 

 ジュモはローロを小脇に抱え、駆け出した。

 

「わっ!」

 

「ぼさっとしてると喰われるぞ!」

 

 一行はジュモたち、キューロ、イレーネの三手に分かれ、それぞれの逃走劇が始まった。

 

 

 ◇

 

 

 

 ジュモは、ローロを抱えながら、木から木へと飛び移りながら移動していた。

 

「――なんであんなところにいたんだ」

 

「……」

 

 ローロは俯いたまま話さない。

 

「ローロ、私の見間違いでなければ、あそこにいたのは、黒牙の団の男……ですよね」

 

「何だって……?」

 

 ゼリルはあの時視界の端に、ローロと同じように尻餅をついて動けない様子の男がまだいることに気づいていたのだ。

 

 そして、それはつまり、ローロが未だ黒牙の団と行動を共にしているということだった。

 

「昨日だって一人で森に行かされて死にかけて、まだあいつらとつるんでるのか!」

 

「ちょっとジュモ! 何もそんな言い方することはないでしょう!」

 

「ああ⁉︎ だってこいつ、死にかけてたんだぞ!」

 

「…………そう、だよ」

 

 今にも消え入りそうなか細い声でローロは答えた。

 

「私は昨日の帰り、あの後すぐに黒牙の団に戻った。それで、いつものように依頼に出たら特殊個体(イレギュラー)に遭遇して……。ゼイラーたちはすぐに逃げ出して、私たち数人がその場に取り残された。……自分でも本当はわかってる。馬鹿なことしたって」

 

「なんでそうした!」

 

「……どうせジュモには分からない」

 

「あ⁉︎ 分からないってなんだよ!」

 

「落ち着いてください! ――きっとあなたの中で、そうせざるを得なかった理由があるのでしょう?」

 

「……」

 

「話して、くれますか?」

 

 ローロは少しずつ、話始めた。

 

「――黒牙の団を抜けたら……他にアテなんてないから」

 

「……そんなことねーだろ、他のパーティに入れてもらうとか、自分でパーティを作るとか、いくらでもあるんじゃねぇのか?」

 

 ローロは首を横に振った。

 

「言ったでしょ、戦えない、ろくに索敵もできない。武器も扱えない。私みたいな弱小の中の弱小テイマー、誰も仲間になってなんてくれない……」

 

「お前……」

 

「私は……アンタみたいに一人で逞しく生きていけるわけじゃない。世界には、私みたいなどうしようもない奴だっているの……!」

 

「……」

 

 ジュモは、ローロにかける言葉を持ち合わせていなかった。

 

 確かにジュモは、そんなことは考えたことがなかった。

 物心ついた時から魔物との戦いの日々で、自分が弱ければ、ビースト(なかま)が殺されてしまう。そんな日常を送り続けていたからだ。

 

「でも、この結果がこの様。散々こき使われて、あげく囮にされる。蜘蛛の餌くらいしか価値のない、それが私!」

 

 ローロの痛烈な思いに、ゼリルも口を噤んだ。

 

(残酷なことですが、ひょっとしたら、ローロに冒険者は向いていないのかもしれません。……けれど、彼女に安易にそれを伝えることはさらに残酷です)

 

「ローロいいか――」

 

「何……」

 

「お前、槍以外の武器を使ったことはあるか?」

 

「無いわよ、お母様の形見だもの」

 

「短い間だが、お前と一緒にいて分かったことがある。……お前は“自分はこうあるべき”って型に自分で嵌めて、自分にあったやり方ってのをまだ知らないだけだ」

 

「え……?」

 

「帰ったら――他の武器も握ってみろ」

 

 ――どうしてそんなことを

 

 ローロは尋ねようとしたが、その声は――。

 

 

 

「キャアアアアアアアア‼︎‼︎‼︎」

 

 

 

 再び森に響いた悲鳴によってかき消された。

 

「この声は、キューロさんの……ジュモ! 彼女を助けに‼︎」

 

「今から行っても手遅れだ」

 

「――ですが! 彼女はまだ一人で抵抗していて、今なら間に合うかもしれません!」

 

「馬鹿野郎、こっちはローロ(子供)をつれてるんだぞ、どっちを守るべきかなんて考えるまでもないだろ!」

 

「…………ないでしょう」  

 

 その声は、震えていた。

 

「あ? 今なんて――」

 

「――どちらの命が大事かなんて、優劣がつけられるわけないでしょう!」

 

 突然のゼリルの慟哭に、ジュモは虚をつかれた。

 

 ゼリルの怒りの原因。

 それは、命の選択を迫られたから――否、原因は決してそれだけではない。

 

 ――魔物によって命がいとも容易く奪われた、ということだ。

 

 ゼリルは、魔物は人やビーストを襲う種であることは理解していたが、実際のその光景を眼にするのは先が初めてのことだった。

 

 例えその対象が、ローロを虐げていた黒牙の団の者だったとしても、命が容易く奪われていく現実に、激しい怒りと哀しみを覚えていた。

 

「命が奪われるところを見せつけれて、平然としていろって言うのですか!」

 

「……あのキューロって女も、ムカつくやつだったが、助けられそうなら助けてやったさ。だが、あいつは遠距離に特化したアーチャーで、そいつが魔物の接近を許して悲鳴をあげたってことは……もう、わかるだろ……」

 

 ――単騎のアーチャーが魔物からの接近を許す。その先に待っているのは死のみだ。

 

「ですが……」

 

 なお、割り切ることのできないゼリルに、ローロも口を開いた。

 

「……彼女だって命の危険があるとわかって冒険者をやってたんだ、こうなることはきっと、覚悟してたと思う」

 

「ローロ……」

 

「私だって同じ。私だって、弱いけど、命の危険があることは承知の上。それで冒険者やってるんだ。だから、子供だからって私を守ることばかり考えないでほしい……守ってもらってる私が言えることじゃないっていうのは……わかってるけど」

 

 ローロは非力ではあるが――だからこそ、いつからか、死への覚悟というものが出来上がっていた。

 

 もしも、今この状況であの大蜘蛛に襲われたら、より戦力にならず、より魔物の養分にならない自分こそが囮になってジュモとゼリルを逃すべきだ、とすら考えていた。

 

「――ジュモ、約束してくれませんか」

 

「なんだよ、急に改まって」

 

「次に、もし目の前に助けられる命があったら、ローロを助けた時のように、飛び込んでくれると」

 

 ジュモは、少し考えて、答えた。

 

「……正直、自分から人間を助けに行くのは気が進まないが、わかった、お前の頼みだ。人間だって助けてやるよ」

 

 

 

 

 

 ――そして、その時はふいに訪れた。

 

 

 

 

 

「あっ」

 

 声を漏らしたのはローロだった。

 

 視線の先には、数人の男たちの姿があった。――ローロを囮にして逃げた黒牙の団の者たちだ。

 

 だが、それも数をさらに減らし、既にその人数は、ゼイラーと二人の団員を残すのみとなっていた。

 

「この蜘蛛野郎がぁっ‼︎」

 

 身体中が血に塗れになったゼイリーが、中程でへし折れた魔剣を握りしめて切り掛かる。

 残る二人が恐怖で動けないところを見ると、腐っても銀等級のパーティリーダーだ。

 

「ちっ、あいつらか……丁度いい、このまま囮にして、俺たちが逃げる時間を稼いでもらう」

 

 それに意を唱えたのはゼリルだった。

 

「ジュモ! 約束が違います! 次は目の前の人を助けると――!」

 

「まさか、あんな奴らまで助けろっていうんじゃないだろうな」

 

「……確かに彼らはローロに対して、決して許されないことをしてきました。……ですが、それでも見殺しにしてよい理由にはなりません!」

 

 

「十分なるだろうが。あいつらは娘を助けようとスリをしていたあのおっさんとは違う。自分の都合だけで罪を犯すクズどもだ……!」

 

 ――ジュモがスリの男を許しているのは、娘の命のため。だが、男たちの理由は自分たちが楽をするためだ。

 ジュモにとって彼らには天と地ほどの差があった。

 

「ジュモの思いは理解します。……ですが、彼らもこれで懲りたはずです。ならばここで命を救った後、償ってもらえばいいでしょう……⁉︎」

 

「人間がそう簡単に心変わりするかよ!」

 

「いいえ……! 切っ掛けさえあれば人は変われます!」

 

「ふ、二人とも落ちつい――」

 

 際限なくヒートアップしていく二人を、ついにローロが遮ろうとした。

 だが、もはやそれだけでは二人は止まらない。

 

 人間を憎み、ビーストを守ろうとするジュモ。

 

 全ての聖物を平等に愛するゼリル。

 

 異なる生き様の二人が今、真っ向からぶつかり合っていた。

 

「何度も言わせるな。あんな奴らを助けようとするよりも、ローロを危険に晒させないことの方がよっぽど大事だろうが!」

 

「それは…………」

 

 

 

 ゼリルは、葛藤した。

 

 

 

「さっさといくぞ、いいな」

 

 

 

 葛藤して、決めた。

 

 

「……そうですね、わかりました」

 

 ジュモがゼイラーから視線を外し、街の方向を見据えた瞬間のことだ。

 ゼリルはジュモの肩から飛び降り、大蜘蛛の待ち構える木の下へと飛び降りていった。

 

「ゼリルッ!」

 

「何してんだ馬鹿野郎‼︎」

 

「(ごめんなさい――無理だと、無謀だろうとわかっていても、それでも、見過ごすことはできないのです。動かずには、いられないのです)」

 

 ゼイラーがまさに今殺されそうになる最中、ゼリルは大蜘蛛の目の前に躍り出た。

 

「狙うなら、私を狙いなさい‼︎」

 

 全員の視線がゼリルに向かう。

 

「今のうちに逃げなさい! 早く!」

 

 黒牙の団の男たちは、ギョッとしながらも、なりふり構わず、一目散に逃げ出した。

 

「何考えてやがるあの馬鹿おっぱい……‼︎」

 

 咄嗟にゼリルを追おうとするが、ジュモに視界にローロが映り込んだ。 

 

 ――ジュモにとってはまだ子供であるローロも、ビーストであるゼリルも、等しく守るべきものであり、そこに優劣はつけられない。

 

 ぎりりと、ジュモの歯が噛み締められた。

 

「……んでだよ。なんであんなクズ助けようとするんだよ! わけわかんねぇ……戦えねぇ癖に威勢だけは一丁前で…………!」

 

 ジュモは、ローロを抱える腕に力を込めると、ゼリルに背を向けようとした。

 

「――私にはわかる、かも」

 

「なんだって……? 何がわかるって……?」

 

「ゼリルの気持ち……。力もないのに、志だけは曲げられない頑固者の気持ち」

 

「何が志だ……。それで死んだら元も子もねえだろ……!」

 

「――ジュモは、自分じゃどうやっても勝てないほど強い魔物に、ビーストが襲われていたとしたら、助けに行く?」

 

「当たり前だろ」

 

 ジュモは考える間もなく答えた。

 

「それが、悪いビーストだったとしても?」

 

「悪いビーストなんていねぇよ。あるのは、物を盗んでも、作物を食べても、毒を持っていても、そいつらはそういう種族で、そういう生態のビーストってだけだ。悪いわけじゃない」

 

「……勝てないんだよ? 死んじゃうんだよ?[#「?」は縦中横]」

 

「そんなの、やってみなきゃわかんねぇだろ。……それに、襲われてるビーストを見過ごすなんてできねぇ……できるわぇねよ」

 

 ジュモは自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 ジュモの答えを聞いたローロは静かに頷いた。

 

「きっと、それと同じなんだよ」

 

「同じ……?」

 

「ゼリルにとっての人間と、ジュモにとってのビーストは同じなんだよ。勝てないって、無謀だって分かってても、体が勝手に動いちゃう……そうでしょ?」

 

 ジュモは、ローロの言わんとすることに気づき、ハッとした。

 

「それに、ゼリルはきっと、ジュモが悪いビーストなんていないって考えるのと同じように、心の底から悪い人間なんていないって考えているのかも知れない」

 

 そして「だから、あのゼイラーたちのことも助けようとしたんじゃない?」と、ぶっきらぼうに付け足した。

 

「わかるけど……、わかんねぇよ」

 

 ――ジュモにとって人間を信じることは、できない。

 

「……お前は、どうなんだよ。お前はあいつらに死んでほしいだろ」

 

「……あいつらは許せないし、憎んでる。……でも、死んでほしいかと言われたら」

 

 ローロは、とびきりの笑顔で言って見せた。

 

「自分たちの悪行を後悔しながら、苦しみながらこらからもずっと生き続けてほしい! それで、私はいつかお母様みたいな強い冒険者になって、かつて私をいじめてたことを後悔させてやるのさ!」

 

「はっ! ははっ! はははは! そりゃいい! ――いいぜ、俺は人間の頼みは聞かないが、お前はガキだから特別に、その願い叶えてやる。――精々あいつらを生き延びさせてやるよ!」

 

 ジュモは勢いよく木から飛び降りると、ゼリルを睨みつける大蜘蛛の前に降り立った。

 

「――ジュモ、あなたどうして……」

 

「……お前が人間を助けようとする気持ちってのが、俺にはどうも理解できねぇ。……だがな、人間すら助けようとすることすらお前というビーストの本能っていうんなら、俺はお前を守る」

 

 割り込んできたジュモに腹を立てた大蜘蛛が、前足でジュモに切り掛かると、ジュモはガントレットでそれを防いだ。

 

「ったく、どいつもこいつも世話かけさせやがって! ゼリル! てめぇ終わったらしこたま揉みしだいてやるからな! 覚えてろよ! それと黒牙のカスども! 言っておくが、俺はお前みたいなクズを助けに来たわけじゃない。感謝ならそこのおっぱいとローロに言うんだな!」

 

「ろ、ローロだと?」

 

 予想だにしなかった名前が挙がったことに、黒牙の団の男たちは驚いた。

 

「潰れろっ‼︎」

 

 大蜘蛛の斬撃をいなしたジュモはガントレットから伸ばしたクローを八つの眼球へ向けて突き出した。

 

 大蜘蛛はそれをバックステップで避ける。

 

「もってけ! 針鼠の針(ヘッジホッグ・スパイク)‼︎」

 

 その隙を逃すまいと、ガントレットから放たれた針が大蜘蛛のいくつかの眼へと刺さり、悶絶の声があがる。

 

『GYAAAAAAA』

 

「ボロ雑巾の荷物野郎共はとっとと逃げろ! ローロ! お前もゼリルを連れてとっとと逃げろ!」

 

 ゼリルをつかむと、樹上のローロに向かって放り投げようとする。

 

「ジュモ! 戦うなら私も一緒に……!」

 

「望み通りあのクズ野郎は助けてやった。後始末は俺がやる!」

 

「ジュモ‼︎‼︎」

 

 ゼリルは再び叫ぶが、ついにジュモはローロへゼリルを投げ渡した。

 

「逃げるよゼリル!」

 

 ローロは木から飛び降りると、ジュモに背を向けて走り出した。

 

「ローロ、このままではジュモが!」

 

「私たちがここにいてもジュモの邪魔になるだけ! 今は逃げることだけ考えて!」

 

(ローロ、ゼリルのことは頼んだぜ……)

 

 ローロが無事に逃げ出したことを確認すると、ジュモは再び大蜘蛛を正面に見据えた。

 

『GISYAAAAAA‼︎』

 

「たかが二、三個目を潰されただけだろ、そうキレるなよ。……さて、こっからは正真正銘、小細工なしのタイマンだ。特殊個体(ユニーク)だかなんだかしらねぇが、俺を簡単に喰えるとおもうなよ?」

 

 ――両者が同時に飛びかかり、“闘い”がはじまった。

 

 ◇

 

「リド! 索敵お願い!」

 

『ギャウ!』

 

 街へと向かうローロとゼリルは、リドに先行して進んでもらいながら、森の中を駆けていた。

 

「ローロ! 今からでも私をここに置いて行ってください! あのままではジュモが!」

 

「分かってる! だから今は街に戻って救援を呼ばなきゃいけないんでしょ!」

 

「ですが……!」

 

 その先に言葉は続かなかった。

 ゼリルは理解していた。自分が行ったところでできることは何もない――否、むしろジュモの足を引っ張ってしまうと。

 だがそれでも、ゼリルはじっとしていることはできなかった。

 

 何もできないのに、何もしなかったら、自分が本当に無力になってしまう気がしたのだ。

 

「あんたの気持ちもわかる……私も自分が弱いせいで、二回もジュモに助けられた。……ゼリル、アンタはどのくらいジュモに助けられたの?」

 

 ゼリルはふと、これまでのジュモとの旅を思い返していた。

 

「……私とジュモが出会ってすぐ、私たちは魔物の大群に囲まれました。私を抱えて逃げ続けてくれました。それからは、ずっとです。

 魔物を惹きつけてしまう私を抱えながら、ジュモはこの街まで運んでくれました。……道中。谷へ落ちたりもしましたね」

 

 こうしている間にも、ジュモと大蜘蛛が唾鍔迫り合う音が聞こえてくる。

 

「……少し冷静になりました。ローロに言う通りです。今の私たちにできるのは一刻も速く街へ戻り、救援を要請すること」

 

「うん。ギルドの……イレーネさんも街へ向かってるけど、それでも無事に辿り着けるとは限らないから」

 

『ギャッ!((はち)ノ魔物ダ……!)』

 

 血相を変えたリドが引き返してくる。

 

「リド、魔物なのね!」

 

「蜂の魔物だそうです!」

 

 それを聞いたローロは震え上がった。

 

(スティング・ビー……まずい、奴らは……!)

 

 ローロが咄嗟に周囲を見渡すと、少し離れた場所、各方角にうっすらと黄色と黒のボーダーが見えた。

 

「やっぱり、囲まれてる……!」

 

『BEEEEEEE……!』

 

 次第に、不快な羽音が近づいてくる。ローロは槍を握る手に力が籠った。

 

「ローロ、五時の方向が比較的、包囲網の間隔が空いています」

 

「わかった……!」

 

 ローロは全速力で、ゼリルの示した方向へ走りだした。

 

「後ろは私が見ます! ローロは前方にだけ集中してください!」

 

(スティング・ビーの速度はローロと同程度……このままでは、敏捷魔法が解ければすぐに追いつかれてしまう……!)

 

「ローロ、なるべく木々の隙間をすり抜けて、撹乱させてください!」

 

「わかった!」

 

(……これだけでは思うように距離が空かない。どうにかもっと奴らとローロを離さなければ……)

 

 すると、ローロの進行方向に倒れた大木がトンネルのように斜めに倒れていた。

 

 

「そこの穴を滑り降りて!」

 

 ローロは迷いなく坂へと滑り込んだ。

 

 すると、スティング・ビーも無理やり穴に入り込み、ローロを追い続ける。

 

 さらに、ローロの正面には、幾本ものツタが穴を塞ぎローロを阻むかのようにに生えていた。

 

「ローロがツタを薙ぎ払って! リドは背後にフレイムブレスを!」

 

『ギャウ!』

 

 狭い穴でのフレイムブレスは効果覿面で、思うように逃げらえれず、数匹が消滅した。

 

「よしっ!」

 

 だが、トンネルからでる瞬間、吊り下がっていたツタに槍が引っかかり、ローロはそれを手放してしまった、

 

「あっ!」

 

 ローロは咄嗟に振り返った。

 

「ローロ! 槍は後で撮りにくればいい! 走り続けて‼︎」

 

 ローロは奥歯を噛み締めながら、再び走り出した。

 

 降りた場所は、いたるところで木々がへし折れており、まるでつい先ほどまで激しい戦闘を行っていたような有様だった。

 

(いけない……、おそらく街への方角からズレてきている……。いえ、今はまずローロが逃げきることだけを考えなくては)

 

 イレーネがかけた敏捷魔法が切れたのは、その時だった。

 身体能力が急に変わったことで、ローロは足をもつれさせた。

 

「きゃあっ!」

 

 ローロはそのままうつ伏せに転び、肩に乗っていたゼリルは前方へ勢いよく転がった。

 

「立ってローロ!」

 

 一度は引き離したスティング・ビーたちが、再びローロへ追いつこうとしていた。

 

『ギャァ!』 

 

 リドもローロを助けようと、スティング・ビーへ、ブレスを吐き出した。

 炎が弱点のスティング・ビーは怯み身を引いた。

 

 

 ローロが立ちあがろうとすると、左足に強い痛みを覚えた。

 

「ッ……!」 

 

「ローロ、ひょっとして今ので足を……!」

 

「あはは……今ので捻っちゃったみたい。はぁ……本当、私ってついてない……」

 

「ローロ! 諦めてはなりません!」

 

「諦めるなって……、どうすればいいのさ……」

 

「何か……何か手立てを……!」

 

 その時ふと、ゼリルの視界の端に映るものがあった。

 

「リドちゃん! あ十秒だけ堪えてください!」

 

『ドラアアッ!(まかせろ‼︎)』

 

 リドは主人へ一歩も近づかせまいと、炎の威力を強めた。

 

「ゼリル、一体何考えて……」

 

 ゼリルは木の裏から、何かを肌に吸い付けて引きずっているようだった。

 

「ローロ、これを!」

 

 ゼリルは体を大きく振るって、渾身の力で“それ”をローロへ放り投げた。

 

「これって……弓……?」

 

 ローロが手にしたそれは、弓だった。無骨な作りをしているが、グリップが翡翠色に塗られていて目を惹くその弓は、ゼリルには見覚えがあるものだった。

 

「これもっ!」

 

 ゼリルは、今度は矢の入った矢筒を放り投げた。

 

「彼女……アーチャーのキューロが使っていた弓矢です!」

 

 この場所で見られる戦闘の跡。それは、キューロが大蜘蛛と戦った痕跡だったのだ。

 

「ローロ、これなら動けなくても、戦えます」

 

「わ、私弓なんてほとんど触ったこと――」

 

『ギュアァ!』

 

 あれから十秒。リドは吐けるだけの炎を吐き切り、それでもなお、スティング・ビーへと噛み付きかかった。

 

「リド!」

 

「――やるしか、ありません、ローロ……」

 

 自分を守ろうと、必死で戦う相棒の姿に、ローロは覚悟を決めた。

 その瞳に、さっきまでの不安や迷いは、もうない。

 

「……そうだ、やるしかない。死ぬのは嫌だ。リドも、ゼリルも、ジュモも、死ぬのは嫌だ。……だから、やってやる。最後の最後の最後まで! 足掻いてみせる‼︎‼︎」

 

 ローロは片膝立ちのまま矢を番え、思い切り引き絞る。

 

「私は……母様みたいな一人前のテイマーになるんだ! こんなところでくたばってたまるか――――‼︎‼︎」

 

 リドの体がスティング・ビーに貫かれようとしていた瞬間、ばすん、とローロが放った矢がスティング・ビーの体を撃ち抜いた。

 

「やった……!」

 

 スティング・ビーの視線が一斉にローロへ向くと、一斉にローロを囲むように散らばった。 

 

「ローロ、後ろは私が見ます。あなたは正面を!」

 

「わかった!」

 

 ローロは再び矢を放つと、再びスティング・ビーの体を正確に撃ち抜いた。

 

(まぐれじゃない……! 魔物の動きが見える……‼︎)

 

 さらにすかさず矢を番え放つと、それはさらに一体の魔物を葬り去った。

 

「二百十度の方向! 次、百十度の方向!」

 

 ゼリルが叫ぶとローロは迷いなく体を捻り、魔物を捉え、二度矢を放つ。

 

「最後! 三十度!」

 

「はああああ‼︎」

 

 最後のスティング・ビーが目の前まで迫り、その針をローロへ向けている。

 

(今までだったら怖くて動けなくなってたはず……だけど、不思議と怖くない……!)

 

 ばしゅん! その音を最後に、ずっと鳴り続けていた羽音がようやく止んだ。

 

「はあ……はあ……。やった……信じられない……私、やったんだ……!」 

 

「おめでとうローロ。これがジュモの言っていたローロの才能、なんですね」

 

「ジュモが……?」

 

「ええ、ジュモはあなたが優れた動体視力を持っていることを見抜いていました」

 

「そうだ……、そういばジュモ、私に、槍以外の武器も使ってみろ、って……。いけない、街へいかなきゃ……‼︎」

 

 ローロが立ちあがろうとするが、足の痛みがそれを邪魔した。

 

「ッ……!」

 

「ローロ、救援の要請は彼女へ任せましょう。幸い、ここまで彼女の悲鳴は聞こえませんでした。状況から、彼女は無事だと判断できます」

 

「そうだね……じゃあ、ジュモを助けに行こう」

 

「ローロ……」

 

「それなら、街へ行くよりは遠くない。……今の私なら、ジュモの力になれるから」

 

「……わかりました。ローロ、リュックの中に、昨日聖女ヒルナから頂いた毒薬が入っています。今のローロなら、それも使いこなせるはずです」

 

「ありがとう、ゼリル」

 

 ローロは黄色い小瓶を取り出し蓋を開けると、中にハンカチを漬け、麻痺毒を染み込ませた。

 

「それは、どうするのですか?」

 

 すると、ローロはそのハンカチを、負傷した左足首に吊りつけた。

 

「ローロ、何を!」

 

「……もう痛みの感覚がなくなってきた。即効性、効き目は十分」

 

 ローロは、未だ戦闘の音が鳴り止まないでいる方向へと向いた。

 

「――これでようやく、ジュモの元へ急げるね」

 

 

 ◇

 

 大蜘蛛と対峙するジュモ。 

 

 飛びかかる大蜘蛛の腹のへスライディングで滑りこみ、ガラ空きになった腹の下へ爪を差し込む

 ――が、やはりその腹は硬い殻に覆われていて、攻撃は通らなかった。

 

「やっぱ、倒すなら昨日と同じ方法しかねぇよな……」

 

 ジュモが木の上へと登ろうとすると、大蜘蛛はすかさず尻尾から毒液を発射しする。

 

「あぶねっっ!」

 

 ジュモは咄嗟に別の木へ飛び移ることでそれを避ける。

 その直後、さきほどまでジュモがいた地点に毒液が着弾し、ジュウウ、と音を立てながら木が腐っていき、とうとう木はへし折れ始めた。

 

「あいつ、あんなのも出せるのかよ……、ありゃ、食らったら即死だな」 

 

 ジュモは飛来する糸と毒液を持ち前の身体能力と橙猿の尾(モンキーテール)を使ったスイング移動で躱しながら、木のてっぺんまで登り上げた。

 

「くたばれ! 穿つ啄犀角(ライノストライク)‼︎‼︎」

 

 木から勢いよく飛び降り、渾身の杭の一撃を振り下ろす‼︎   

 ジュモの気迫に危機感を抱いたのか、落下するジュモへ糸を射出した。

 

「ちっ、槍蜥蜴の尾(リザードテール)!」

 

 ジュモは咄嗟に、背後の木へ尻尾を打ち込むと、腕でそれをつかみ、思いきりひっぱった。

 尻尾をたぐるような動きで、ジュモは空中で無理やり自分の軌道を変えたのだ。

 

「やっぱ、これじゃだめか……作戦変更だ」

 

 ジュモは体を翻すと、さらに木が生茂った方向へと逃げ始めた。

 

「てめぇみたいな化け物と、まともにやりあうのは悪手なんでね!』

 

『GYAAA‼︎』

 

 スパイダー・スカージ(災の大蜘蛛)が人の言葉を理解しているのかは不明だが、ジュモの言葉に憤った様子で、逃げるジュモを追いかけ始めた、

 

「てめぇの図体じゃ、木の間すり抜けるだけでも一苦労だろ!」

 

 ジュモは、できるだけ木が密集している方向へと逃げ始めた。

 木は大蜘蛛にとっては障害物となり、ジュモにとっても遮蔽物になるからだ。

 撒き散らされる毒液や糸を避けることで、時折追いつかれそうになるが、ジュモは都度フェイントを掛けて引き剥がした。

 

(そろそろ頃合いか――)

 

 ジュモが一歩踏み出したその時、あらかじめ地面に張られていた蜘蛛の糸がジュモの足に絡みついた。

 

「ちっ……、さっき散々撒き散らしてた糸か……!」

 

 ジュモが足を取られたのを確認すると、大蜘蛛は嘲笑うかのようにゆっくりとにじり寄ってきた。

 

「てめぇ……」

 

 大蜘蛛は、ジュモに見せつけるように鎌状の前足を大きく広げると、ジュモの首を撥ねようと振りかぶった。

 

分離(オートトミー)‼︎」

 

 その瞬間、右足のレガースがガチャリと前後に開き、蜘蛛の糸に囚われていた足は自由となった。

 

「よしっ!」

 

 ジュモはレガースを脱ぎ捨てる勢いで後方に宙返りし、大蜘蛛の攻撃を間一髪で避けた。

 そして、そのまま空中に向かって、左足の回し蹴りを繰り出す。

 

「レーガスショットォ‼︎」

 

 ジュモの回し蹴りに合わせてレガースが展開し、大蜘蛛に向かって射出される。

 その瞬間、先ほどまでジュモのつま先が入っていた部分が直角に折れ曲がり、杭のようなフォルムへと変形した。

 

「もう片方もくれてやる!」

 

 予想だにしなかったジュモの攻撃に不意をつかれた大蜘蛛は真正面からレガースのするどい爪先を受けた。

 

『GYAAAAA‼︎‼︎‼︎』

 

 再びいくつかの目を潰され激昂する大蜘蛛。

 その狂乱ぶりは凄まじく、あっというまに周囲の木を軒並み薙ぎ倒しながらジュモを追いはじめた。

 

「これで足が軽くなったぜ……!」

 

 ジュモは、ゼイラーや大蜘蛛と出会した広場まで走った。

 

 広場の中心に出ると、ジュモは不敵な笑みを浮かべて大蜘蛛を待ち構えた。

 

『GISYAAAAAAA‼︎‼︎‼︎』

 

「蜘蛛野郎、俺は前々からお前ら見たいな外見の奴らが気に入らなかったんだ。なんでか知らねぇだろうから教えてやる。ビーストにも蜘蛛がいるんだよ。そいつらと同じ見た目で悪さするテメェらが俺は許せなかったんだよ」

 

 大蜘蛛は、ジュモの言葉など耳を貸さずに迫ってくる。

 

「あー、つまり俺は何が言いたいかって言うよよぉ!」

 

 ジュモのガントレットから足元にかけて、空中で何かキラリと光った。よく見ればそれは、“蜘蛛の糸”のようだった。

 

「――俺にだって蜘蛛の真似事はできるんだよ!」

 

 ジュモが、まるで漁師が網を引き上げるかのような動きで糸を手繰り寄せた。

 

「おりゃあぁっ!」

 

 糸がピンと張り、先ほどまで木々があった場所の中から次第に大木が大蜘蛛へ迫っていく。

 

「へっ……逃げ回ってる間にを仕掛けておいたんだよ!」

 

  接近する杭に気付いた大蜘蛛は咄嗟に、自身の最も硬い部位である背の甲羅を向け受け止めようとした。

 

 ――だが、ジュモの渾身の力で手繰り寄せられたそれは、それすらも容易く貫いた。

 

『GYAAAAAAAAAA‼︎‼︎‼︎‼︎』

 

 傷口から大量の霧が吹き上がり、大蜘蛛やがて力なく地面に潰れるように倒れ伏した。

 

「はぁ……はぁ……手こずらせやがって……。靴取りに戻んなきゃな」

 

 ジュモが歩み始めるが、ふと違和感に気づく。

 

「……あ?」

 

 振り返ったジュモの視線の先にあるのは大木が刺さったままの“大蜘蛛の死体”だ。

 

 ――魔物は、死ねば塵になるにも関わらず。

 

(どういうことだ……?)

 

「何か良くないことが起きようとしている」ジュモの第六感がそう告げていた。すると。

 

 めきり。

 

 背中の殻がさらにヒビ割れ、中から一本の、細長い触手のような何かが生え出てくる。

 その“何か”は、ドス黒く無機質な蜘蛛の体とは対象的で、どこまでも純白で滑らかだった。

 ジュモにしてみれば、その不釣り合いさこそ、不気味で仕方がなかった。

 

 そして、さらにもう一本。同じく白くて細長い何かが這い出てきた。

 それは、体に食い込んだ大木を両側から挟み込むと、上へと持ち上げる動きをとり始めた。

 

 ――ジュモはようやく気づいた。その細長い何かの先端から、五本の指が生えていることに。

 

(――あれは……“手”だ。それも、人間の……女の手だ……!)

 

 

 

 ず、ずず、ずずずず

 

 

 

 大蜘蛛を縛り付けていた杭はだんだんと競り上がっていき、ついにその体から完全に抜け去った。

  

 ドシンと、大木が地面に打ち捨てられると共に、割れた殻の中から“中身”とも呼べるような、窮屈に折り曲げられた真っ白な体が生え出てきた。

 

 体は勢いよく起き上がり、その全貌があらわになる。

 

 艶やかな、真っ白な髪がたなびく。

  

 赤い、赤い目。

 

 そこに、人間ならば多かれ少なかれ持っているはずの、理性なんてものは存在しなかった。

 

 ばるん、と揺れるたわわな乳房には当然何も隠されてはいなかったが。そして、そこにあるべき乳首もない。

 そこに血は通っていなく、気味の悪さが際立つばかりだった。

 

 不釣り合いにグロテスクな、蜘蛛の下半身。

 

 ――超特殊個体 アラクネ。

 

 たらり、と、ジュモの額に汗が垂れる。

 

「一丁前におっぱい晒しやがって……そんな軟そうな体、一瞬で真っ二つにしてやるよ‼︎」

 

 ジュモが鎌を構え、駆け出そうとした瞬間、アラクネが人差し指をジュモに向けた。

 

(ヤバイッ……!)

 

 刹那、ドシュ、という音が、ジュモの真下から聞こえた。

 

「あ……?」

 

 見下ろすと、ジュモの腹部から鮮血が流れ出ていた。

 それを知覚した瞬間、遅れて痛みが生じる。

 

「ガッ……!」

 

(指から何か撃ちやがったな……だが、見えなかった……)

 

 ジュモはわけもわからないまま、本能で走りだしていた。

 

(こいつはヤバい! 止まれば確実に死ぬッ……!)

 

 その攻撃の速度は、先ほどまでの比ではない。

 

(指……指の向きを見て予測しろ……!)

 

 ジュモは圧倒的な経験から、すぐさま対抗策を講じ、アラクネの動きを読み始める。

 

 被弾を完全に防ぐことは難しいものの、木を利用した三次元的な機動で、致命傷は避け続けることに成功していた。

 

(さぁて、ここからどうするか……)

 

 ――だが、イレギュラーがイレギュラーたる理由。

 

 ジュモが木から着地した瞬間の一瞬の硬直。そこをつけねらい、アラクネは攻撃を放った。

 

(読まれっ……!)

 

「がぁっ!」

 

 ジュモの体を糸が貫いた。そして弄ぶかのように振り回すと放り投げた。

 

 アラクネは、口元に笑みを浮かべながらジュモへと近づいていく。

 

「人間みてぇにニヤニヤしやがって、ムカつくぜ」

 

(このままじゃ確実に死ぬな。精々あいつらが逃げる時間稼ぎはしてやりてぇが――)

 

 ジュモはこの時、無意識のうちに自分が死ぬことすら計算に含めていた。

 

 ――だがその瞬間、パザラが頭をよぎる。

 

「諦めて……たまるか!」

 

 ジュモは飛び起きると、何かを目指すように、木々の中を疾走し始めた。

 

 それを妨げるようにアラクネは糸を伸ばし、ジュモは再び貫かれ、振り回される。

 

「そうくると思ってたぜ! 蟷螂の鎌(マンティスサイズ)!」

 

 ジュモは自分の腹を貫く糸を切った。

 アラクネに放り出される前に、自ら人を切ったことで、慣性の勢いのままジュモは放り出された。

 その場所は、先ほどまでゼイラーたちが立っていた場所だ。

 

(確か、この辺りに……!)

 

 アラクネが再び糸を放つ。その数十本。

 

 ゆらりと、ジュモが立ち上がる。

 

「間一髪、助かったぜれ

 

 血まみれなりながらも不敵な笑みを浮かべるジュモの右腕には、中程で刀身が折れた大剣が握られていた。

 

 ――魔剣〇〇。二秒先の未来を見ることが出来る大剣。

 ジュモが探していたのは、この魔剣だった。

 

「さぁて、俺がこいつを使えるかどうか、賭けといこうか!」

 

 瞬間、見えた。ジュモの喉が貫かれるビジョンが。

 

 ジュモは体を捻る。

 掠めるが、避けた。

 

「見えるのは一秒先ってとこか……」

 

 刀身が半ばで折れているためか、未来視の時間も半分ほどになっていた。

 

「――だが、十分だ!」

 

 再び、ジュモに向かって数多の糸が放たれる。

 

「どりゃあああああ‼︎」

 

 ジュモは無数の糸を避け、斬り刻みながら距離を詰めていく。

 

 そして、ついにその眼前にまで迫った。

 

「終わりだぁっっっ‼︎‼︎」

 

 振りかぶられる魔剣。

 それは腹に向かって振るわれた。

 その一太刀は、確実にアラクネの体を一刀両断できる強さだった。

 

 

 

 ――だが、それは空振りに終わった。

 

 

 

 ジュモがアラクネの青白い肌に刃を食い込まれる直前、その上半身が、消えた。

 

 いや、消えたのではない。

 

 アラクネは、ジュモに上半身が消えたと錯覚させるほどの速度で自分の体を逸らしたのだ。

 それも、ただ体を逸らしただけではない。ほとんど直角に折れ曲がり、今やアラクネの上半身は、蜘蛛の下半身の上に寝そべるような角度にまで、無理やり折れ曲がっていた。

 

 ジュもは空振ったまま視点を下に向けると、ニタニタとした表情のアラクネと目が合った。

 

(こいつに、背骨なんてものはないのか……!) 

 

 それは、ジュモはアラクネに見せた中で、最も大きい隙だった。

 

 

 

 ――そして、アラクネの手刀が、ジュモの腹を貫いた。

 

「ガハ――‼︎」 

 

 吹き上がった血飛沫が、ジュモの体ごとアラクネの体を濡らす。

 

「キシシ――」

 

 アラクネは微笑み、ジュモの体を再び放り投げた。

 

「がああああああっ!」

 

 ジュモの腹から流れ出る血液が、緑色の地面を赤く染め上げていく――。

 

(畜生、完全に油断した……。それより、血を流しすぎた……止血……止血しねぇと……)

 

 ジュモはふらりと起き上がると、すぐ目の前にアラクネの姿があった。

 アラクネは、ガリオスを切り裂いたのと同じ、蜘蛛の前足を大きく振り上げた。

 

(ダメだ……体が動かねぇ……ガス欠だ。――パザラすまねぇ、やっぱ頼みは成し遂げられねぇらしい)

 

「だけどよ……、最後に一発入れてやりてぇよな」

 

 ジュモはガントレットから爪を出して、アラクネを見据えた。

 

 アラクネが鎌を振り下ろすその刹那、飛来した矢が振り上げられた腕へと命中した。

 

『ナニ――――?』

 

 その腕は急に力を失ったかのようにだらりと垂れ下がり、後を応用に放たれた矢が突き刺さるとアラクネはそのばに崩れるように倒れた。

 その体からは、バチバチとスパークが迸っていた。

 

「これは麻痺矢……一体誰が――‼︎」

 

 ジュモが振り返ると、離れた場所の木の上に矢を番えたローロの姿に気づいた。

 

「ローロ……」 

 

(経緯はわからねぇが、どうやら、やっぱりあいつには弓矢が向いてたらしいな)

 

 アラクネが無理やりに体を起こそうとするよ、再び矢が命中し、刺さった部分からアラクネが氷漬けになりはじめた。

 

 だが、駆けつけた応援はジュモだけではなかった。

 

「ジュモ! 大丈夫ですか‼︎」

 

『ダイジョブカ! ダイジョブカ!』

 

 足にゼリルを掴んだ状態のリドがジュモのすぐ側へとやってくる。

 

「お前ら……なんで来た! 殺されちまうぞ!」

 

「私たちにもできることがあるかもしれない……そう思ったから来たのです!」  

 

「出来ること……?」

 

「ローロの弓矢と、私の力で」

 

「お前の……力……?」

 

「ジュモ、覚えていますか、初めて出会ったあの夜、谷へと落ちたあの時のことを」

 

「ああ……お前が謎のバリアを出したおかげで俺たちは助かった。……まさか、それを再びやろうってのか! ――だがダメだ」

 

 ジュモは自分の腹へと視線を落とす。

 大きな傷口から、おびただしい量の血液が流れ出していた。

 

「今更バリア一つあったところで、俺はもう助からねぇ」

 

「――ですから、これは賭けです」

 

「賭け……何をだ……?」

 

「もう一つ、私が結界を張ったあの時、私たちは何をしていたか、覚えていますか……?」

 

「覚えてねぇよ……あの時は必死で……」

 

(そうだ……俺たちは必死のあまり“祈った”んだ……! 女神ニューリアに――‼︎)

 

 そして、あの時ジュモは確かにみたのだ。

 女神ニューリアが操っていた聖術の、翡翠色の輝きを。 

 

「まさか……お前の力がニューリアと同じものだっていうのか……?」

 

「ですから、賭けなのです――」

 

 すると、ゼリルは祈りだした。

 

「女神ニューリアよ。もしも今どこかで私たちのことを見守っているのならば……どうか、どうか私の恩人であり、パートナーを助けるため、その癒しの力を私にお貸しください――」 

 

 

 

 ――状態異常が解けたアラクネが、再びその凶刃を、こんどはゼリルへと振り下ろした。

 

 ――それを阻んだのは、翡翠色の、バリアーだった。

 

『ナニ……? ナンダコレハ!』

 

 戸惑うアラクネが何度もその刃を振り下ろすが、結界は破られるどころか、ヒビ一つ入らなかった。

 

「ゼリルお前……」

 

「ジュモ、横になってください。目を閉じて、そして、口を開けてください」

 

 その言葉は、ゼリルのようで少し違う。

 まるで、すべてを理解しているかのように落ち着き払い、何者かが憑依しているような雰囲気だった。

 

 目を閉じたジュモ。

 口元のあたりに柔らかく、温かい感触と重みが生じた。

 

(何だ……? ゼリルが乗っかってきたのか……?)

 

 すると、ジュモの口の中に、何か液体が注がれ始めた。

 ジュモは反射的にそれを吐き出そうとするが、その味を感じると、ジュモは驚いた。

 

(これは……ミルク……? 温かくて……ほんのり甘いような……)

 

 こくり、こくりとそれを飲み込むと、活力の失われたジュモの体に、再び力が戻っていくのを感じていた。

 いや、それどころではない。

 むしろ、今までよりも大きな力が、ジュモの体の中でみなぎりはじめていた。

 いつの間にか、先ほどまであれほど痛んでいた腹の傷も、もう痛みを感じない。

 

 ジュモは、顔の上に乗ったゼリルを持ち上げると、体を起こした。

 

 見ると、ゼリルの乳首に貼られていた聖衣は剥がれており、そこからは翡翠色の光が漏れ出ていた。

 そして、乳白色の雫が垂れたのを、ジュモは見逃さなかった。

 

「ゼリルひょっとして、今のって……お前の母乳――」

 

「言わないでください!」

 

「いや、だって――」

 

 いきなり母乳が出始めるなんて、どう考えても聖物(せいぶつ)の仕組みとしておかしい。

 

 そしてジュモは気づいた。

 

「傷が……治ってる……」

 

「ジュモ、詳しい話は後ほど。私は……なんだかとても疲れて……」

 

 あの時と同じように、ゼリルの乳首から光が失われた。

 

「なんだかわからんがありがとよ……リド、ゼリルを連れてってやってくれ」

 

 ジュモはずん、と力強く立ち上がる。

 

「――あとは、俺に任せとけ」

 

 ジュモの目には、聖力の、翡翠色の光が宿っていた。

 

 結界が消えたことで、アラクネの鎌は再びジュモへと振り下ろされた。

 

 だが、今度はジュモは、それを右腕一本で掴み、止めて見せた。

 

「自分でも驚いた……。さっきまで勘で避けるしかないほど速かったお前の攻撃が――今は視えるし、止められる」

 

『ナ――ニ――?』

 

 そして、ずばん、と、ジュモは仕返しとばかりに、左腕を鎌に変形させ、右腕で受け止めていたアラクネの前脚を切断した。

 

「おらよっ!」

 

『グアアアアア‼︎‼︎‼︎』

 

 たまらず後ろに引き下がるアラクネへ、ジュモは追撃を仕掛ける。

 逃げるアラクネは十本の指と尻の先端をジュモヘ向けありったけの糸を放つが、それすら今のジュモにとっては脅威ではなかった。

 

 糸を避け、切り払いながらジュモはアラクネへと迫る。

 形勢は逆転し、ジュモがアラクネに追いつくたび、一本、また一本とアラクネの脚は本数を減らしていき、ついにジュモは、上半身の両腕をも切り飛ばした。

 

「これでもう、どこにも行けねぇなあ! 今度こそその体、なき別れにさせてやるぜ!」

 

 ジュモは、こんどこそ確実に、アラクネの体へと鎌を押し当てた。

 

『ヤメロ‼︎ ヤメロオオオオオオォォォォォォォォ‼︎‼︎』

 

蟷螂の鎌(マンティスサイズ)‼︎‼︎‼︎」     

 

 切り離された上半身が、宙を舞った。

 

「っしゃあ!」

 

 するとガクン、とジュモの体が地面に倒れた。

 

「……あれ?」 

 

 ジュモは立ちあがろうとするも、体に力が入らなかった。

 

「時間切れか……!」

 

 傷こそ塞がったままではあるが、ジュモの瞳からは、既に翡翠の光は失われ、普段通りの黒い瞳へと戻っていた。

 

 だが、まだ目の前のアラクネの上半身は消えてはいない。

 

(確実に仕留めねぇと……!)

 

 ジュモに異変に気付いたローロとゼリル。

 

「ローロ、ジュモが!」

 

「アラクネの体が消えてない……!」

 

 ローロが矢を放つと、アラクネへ着弾し、ようやくアラクネの上半身が消滅した。

 

 ――だが、この瞬間、ジュモ、ローロの間に、致命的な隙が生じた。

 

 アラクネの本体は上半身だと思い、未だ消えぬ上半身を消そうとする二人。

 倒れ動けぬジュモからは上半身しか見えておらず、ローロもまた、狙いを定めるため、上半身にのみ集中する。

 

 そして、ゼリルとリドはまだローロのもとへ帰っていない。

 

 ――つまりこの瞬間、誰も未だ消えぬ“アラクネの下半身”を見ていなかった。

 

 ベキ、ベキベキ――。

 そんな音が、既に脚も上半身もなくなった、物言わぬ蜘蛛の胴体から聞こえ始める。

 そして、腹が割れた。

  中から出てきたのは、無数の子蜘蛛だった――。

 

「おい何だ! 何が起きてる!」

 

 動けぬジュモの元へ、無数の子蜘蛛が集まっていく。

 一体一体は小さくとも、それらはしっかりと毒を持っている。

 これだけの数に刺されてしまえば、誰だって無事ではすまないだろう。

 

「まずい! リド! ジュモのとこへ行って!」

 

 ローロは叫びながら矢を三本まとめて番え、放とうとする。

 

 ――その時、ジュモの視界に、新たな光の軌跡が走った。

 

 杖が回転しながら飛来し、あっという間に蜘蛛の子を一掃してしまった。

 

「今度は何だ……?」

 

「――お待たせ、生きてる?」

 

 そんな声と共に、ジュモの視界に、靴と、露出度の高い下半身が映る。

 見上げると、聖女ヒルナだった。

 

「あん……た……」

 

 蜘蛛を一掃したヒルナは杖を手に戻す。

 

「君がポワロスの花を調達してきてくれたお陰で、ようやく街を離れることができた。特殊個体(ユニーク)相手によく頑張ったね、立てる?」

 

「いや、力を完全に使い果たしちまったらしい、指一本たりとも動かせねぇや」

 

「それは大変だ」

 

 すると、ヒルナはジュモの体を持ち上げ始めた。

 

「な、なにすんだ!」

 

「動けないんじゃ、こうするしかないでしょ?」

 

 ヒルナは、ジュモをまるで米俵のように肩に担いだ。

 

「ケツが! ケツが近い!」

 

「ジュモ! 大丈夫⁉︎」

 

『大丈夫カ?』

 

 ゼリルを腕に抱えたローロとリドがジュモの元へ駆けつける。

 

「やあ、君たちも久しぶり。ローロちゃん、脚見せて」

 

「は、はい……」

 

回復(ヒール)……はい、治った」

 

 ヒルナが杖を一振りすると、腫れ上がってたローロの足首はたちまち完治してしまった。

 

「すごい……」

 

「なあ、あんたは人の言葉を喋る魔物を見たことがあるか?」

 

「何言ってるのジュモ、魔物が喋るわけ――」

 

「――それ、本当?」

 

「……ああ、さっきまで戦ってたアラクネは、カタコトだったが確かに人の言葉を喋ってた」

 

「……私自身は出会ったことはない。けど、聞いたことならある」

 

「本当か?」

 

「……なにより、喋るアラクネが出てくるなんて、以上自体ね」

 

「ああ、ここらに出てくる魔物にしちゃ、規格外に強すぎる。よっぽど北の方じゃないと、あんな化け物はそうそう出てこないだろ」

 

「……それなんだけどね、原因わかったかもしれない」

 

「本当か?」

 

 ヒルナは森のさらに奥の方を指差した。

 

「この先に行けばきっと珍しいものが見れると思うよ。ローロ、君もついてくる?」

 

「は、はい!」

 

 森の奥に進んでいくと、森はさらに暗くなっていく。

 当然、それに比例して魔物の数も増えていく。

 

「ほいっ」 

 

 ヒルナが杖を放り投げると、杖は勢いよく回転しながら魔物へと飛んでいく。そして、まさに箒で掃くように、一掃してしまった。

 

「すげぇな、どうやってるんだそれ」

 

「どう、って言われても簡単だよ。投げた杖を聖力でコントロールしてるの」

 

 ヒルナは木々の間を次々にすり抜けさせるように杖をコントロールしてみせた。

 

「私、聖力量は多くないけど、聖力のコントロールは得意なんだ――っと、こんな話している場合じゃなかったね。ほら、着いたよ」

 

 そこにあったのは、闇だった。

 森の中に、一切の光を通さない闇が塊のように渦巻いていた。

 

「何だこの……闇の塊は」

 

「惜しいね、これは通称『闇だまり』。もしかしたら、って思ってたけど、やっぱり見つかったか」

 

「こいつが、急に毒持ちの魔物が急に出てくるようになったり、あいつみたいなやけに強い魔物が出てくるようになった切っ掛けだったっていうのか?」

 

「そういうこと。そもそも、ニューヴァリアでは北に行けばいくほど強力な魔物が出現しやすくなる理由って、覚えてる?」

 

「何ってそりゃ……えーと……」

 

「大気中の魔素が濃くなるから、ですよね」

 

 ジュモに変わって応えたのはローロだ。

 

「ご名答。だけど、この闇だまりは偶然現れ、その付近の大気中の魔素を増やしてしまうんだ」

 

「……そんな重大な問題につながるものなのに、ギルドのどの教本にも書いてありませんでした」

 

「それもそうだ、だってこの闇だまりは、発生したとして数年に一度、ニューヴァリアのどこかで観測されるくらいなんだから」

 

「……じゃあ、この街は運悪く、その数年に一度を引いてしまったんですね」

 

 するとヒルナは、ばつの悪そうな表情で答えた。

 

「それが、聖都からの教会への連絡によると、この数ヶ月、既に複数箇所で闇だまりが見つかったらしい」

 

「それって……」

 

「うん、異常事態だ。原因は各地の聖女が調査してる最中だけど、まだこれといったものは――」

 

「――カラボス」

 

「ジュモくん、今なんて――」

 

「「カラボス様万歳」って、あのアラクネは言ってた」

 

「カラボスって! まさかあの、魔神カラボス……⁉︎」

 

「知らねぇよ! ……だが、状況を考えりゃ、そういうことなんじゃないのか?」

 

「……魔神カラボスが復活、あるいは復活しかけていることによって闇の力が活発化している……そう考えれば、確かに辻褄が合う――」

 

「これは、帰ったらすぐに報告しなくちゃ――」

 

 ヒルナは闇だまりに向き合った。

 

「まずは、こいつを片付けなきゃね」

 

 ヒルナは闇だまりへ向けて両手で杖を構えると、身体中の聖力を杖の先端へと収縮させはじめた。

 

「はっ!」

 

 すると、闇だまりは光に飲み込まれるかのようにして消滅した。

 

 

 

  〈エピローグ〉[#「〈エピローグ〉」は中見出し]

 

 

 

 ヒルナが乗ってきた馬車に乗り、ジラーマへ戻った一行。

 幸い、ジュモの体は街に着く頃には、本調子とは程遠いものの、自分で歩けるようにまで回復していた。

 

 ギルドに戻ると出迎えてくれたのは、へとへとな様子のイレーネだった。

 ジュモとゼリル、それからローロとヒルナの無事を確認すると、安堵の笑みを浮かべた。

 

「ジュモ様! よかった、ご無事で……」

 

「ああ、なんとかな」

 

「……キューロさんはやはりあの時……」

 

 目を伏せるイレーネに、ローロが弓を差し出した。

 

「私が見つけられたのはこれだけでした」

 

「これを、あなたが?」

 

「逃げている最中に見つけたんです。……この弓がなかったら、私はあそこで死んでいました」

 

「――あなたのような未来あるものを守ることにつながったのなら、彼女の死も浮かばれるでしょう。こちらは遺品として、ギルドで預からせていただきます」

 

 彼女にもまた、ガリオスやジュモのような即席パーティとは違う、本来の仲間がいる。この弓はきっと彼らに返されるのだろう。

 

「――それで、帰ってきて早々申し訳ないのですが、その後の詳細をお聞かせ願えますか? 可能であれば、聖女ヒルナもご一緒に」

 

「もちろん。この街の聖女として、報告の義務があるからね」

 

 ◇

 

 事情聴取は、ギルド二階の奥にある会議室で執り行われた。

 ジュモたちは大机を囲むようにしてイレーネへとことの顛末を話す。

 

「アラクネに変異を……。それに、人の言葉をしゃべるなんて」

 

「なんだ、俺が嘘ついてるってのか?」

 

「いえ、そういうわけではないですが……」

 

 とはいえ、信じがたい様子のイレーネへ、ヒルナがフォローする。

 

「直接は見ていないけど、向かう途中で感じていた気配の大きさからもそれは間違いないと思うよ」

 

「……そうですか。でも、どうしてこのあたりにアラクネなんかが……」

 

「それなんだけど、あの森の奥にはやっぱり闇だまりがあったよ。ギルドスタッフなら知ってるよね?」

 

「そう、ですか……では近頃毒を持った魔物が急増したのも」

 

「うん、全部闇だまりが原因だ。……最近、闇だまりの出現数が急増しているからね。教会の方でも調査を手厚くしていくけど、最低最悪の場合、魔神カラボスの復活の兆しという可能性がある」

 

「魔神……カラボスが…………?」

 

「…………あくまで、まだその可能性ができてきた、って段階だけどね。……けど、個人的にはその可能性が高いと思ってる」

 

「……わかりました。聖女ヒルナの言葉として上層部に報告させていただきます」

 

 イレーナへの報告が終わると、ヒルナが大きく手を叩いた。

 

「うおっ、なんだいきなり」

 

「はい、この話おしまい! イレーナちゃん、この子に渡すものあるでしょう?」

 

「そうですね、少々お待ちください」

 

 そういうと、イレーネは席を離れ、数分後に再び戻ってきたとき、その手の中にはギルドカードがあった。

 

「はい、ジュモ様のギルドカードです」

 

「はあ〜……ギルドカードを作ろうとしただけなのに、ガキ拾ったり、アラクネに殺されかけたり、やたら遠回りをさせられた気がするぜ……」 

 

 ジュモが念願のギルドカードを受け取る。

 左側には目つきの悪い顔写真が。右側には冒険者等級や技能が載っている。

 

「……あん?」

 

 するとジュモはおかしなことに気がついた。

 

「なあこれ、銀等級って書いてあるが……」

 

 ゼリル、ヒルナがカードを覗き込む。

 

「あら、本当ですね」

 

「そっか、鉄等級って言ってたもんね……まったく、非常識にもほどがあるよ」

 

「でも、どうしてだ?」

 

「アラクネ討伐の功績です。本来であれば昇級試験を受ける必要があるのですが、ジュモ様はご自身では受けなさそうなので、勝手に上げといちゃいました」

 

 そう言ってイレーネはウインクをした。

 

「おお、よく分からんけどありがとな」

 

「こう見えて、ある程度権限は持ってますので。

 本来であれば金等級相当の功績ではあるのですが、等級を跳ばして上がれるのは二つまでとギルドで定められていますので……、申し訳ありません」

 

「気にすんな、こちとら身分証として使えりゃそれで十分なんだ」

 

「ありがとうございます。それと、収魔結晶も、今お預かりしてよろしいですか?」

 

「収魔結晶?」

 

「そうだよ、あんな化け物倒したんだからたくさん溜まってるんじゃない?」

 

「そういや、そんなものあったな」

 

 ジュモはポーチから結晶を取り出すと、それを見た者は悲鳴をあげた。

 

「「「ひぃぃっ!」」」

 

 当然の如くパンパンに膨れ上がっていた収魔結晶は、今にも爆発しそうなほどに膨張しており、ジュモの過酷な旅もあってか既にヒビすら入っていた。

 

「交換! 交換して‼︎」

 

「どれだけの間放っておいたんです!」 

 

「旅始めるときに、ギルドで受け取ったもんだから……一年くらいか」

 

「しょ、少々お待ちください……」

 

 ◇

 

「――ひいいいいいいい⁉︎」

 

 どすんっ、とカウンターの上に積まれた金貨を見て、ローロは再び悲鳴をあげた。

 

「……計――リラ。――なら⭕️頭分オークなら⭕️頭分、ゴブリンなら⭕️頭分ってとこかしら」

 

「随分倒したなぁ……」

 

「随分って、どれだけ戦ってきたの⁉︎」

 

「なあ、この金額ってどのくらいなんだ?」

 

「そこそこ贅沢しながら数年は暮らしていけるわよ……」

 

「ほーん……」

 

「ほーんって、反応薄いわね……、使い道は決めてるの? 銀行に預けておくって選択肢もあるけど……」

 

「整備するための道具と、リュックと、飯を買ってどのくらい残る?」

 

「そりゃもうたくさん」

 

「たくさんか、そいつは困った」

 

「あんた裸でしょ、いい加減武具とか買ったら?」

 

 

「武具ね……、そうか、その手があったか」

 

 ジュモは徐にローロの手を掴むとギルドを飛び出した。

 

 その後ろ姿を見送るのは、ヒルナと

 

「よし、ついてこい」

 

 

 

 

 

 

「おい店主、これでこいつに合う装備を整えてくれ」

 

「え?」

 

「だってお前、弓は遺品として返しちまっただろ」

 

「いいの……?」

 

「これで、クソパーティを抜けられるな」

 

「うんっ!」

 

「じゃ、行ってこい」

 

 

 ◇

 

「仲間として招き入れるんでしょう?」

 

「さあな、そんときゃそんときだ」

 

 

「なあゼリル、結局お前の光線が差した場所って、この街じゃなかったんだな」

 

「ジュモ、もう一度出せそうです。」

 

「ええ、おそらくそうでしょう。尤も、もう一度あの光線が出せれば確認できるのですが……って!」

 

 ゼリルの胸から光線が発射され、それは、前回と同様に、北の方を指していた。

 

「どうやら、そういうことらしいな」

 

 ◇

 

 

 

 怪我したゼイラー、見捨てられて、ローロに助けをもとめる。

 ローロはゼイラーのハウスへ来ていた。

 

「よお、やっともどってきたか。お前のことなんか誰も必要としてないんだから戻ってこい。今は、助けてくれる人が必要だ」

 

 変わらぬ態度のゼイラーに、ローロは弓を放った。

 弓はゼイラーの頬をかすめるように飛んでいった。

 

「ざまーみろ、このまま生きて苦労しやがれってんだ!」

 

「悪いな、私はこれでやっていける」 

 

 そうして、ローロは去っていった。

 

「じゃ、行くか」

 

 ジュモがそうしたとき、

 

「おーい!」

 

「私も行く! 私も戦える!」

 

「ジュモは笑みを浮かべた」

 

「よし、ならいくか!」

 

 

 ◇

 

 最北端の地、聖地。

 

 ここ数年。いや、

 

 ――”数百年ぶり”の慌ただしさを見せていた。

 

 壁が揺らいだのだ。

 

 ”泉”

 

 泉。聖力の泉としか形容できないほどの聖力だまりがあったのだが、

 揺らぎを感じた聖女がみにいったところ、顔が落ちていた。

 

 頭の月桂樹の飾り。それは本に書かれていた女神に似ていた。

 

 頭は目を開いた。

 

「――私はニューリア」

 

 そうして彼女が見たのは絵画だ。

 

「――ニューリアの体は六つに分かれ、散っていった。魔神目覚めし時、再び目覚めるだろう」

 

 

 ◇

 

 一方そのころ、ジュモたちもまた、異常に立ち会っていた。

 

「なんだこりゃ……って、右手⁉︎」 

 

 断面は翠色の光を放っていた。

 

「旅するならそうだ、聖都にいる先生にこれを渡して」

 

 

 

 

 

「それと、私のこと痴女とか娼婦って言ったの、訂正してよね? 私、処女( )なんだから。

 

 

 

 

 

 

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