野生児テイマー野良おっぱいを拾う[#「野生児テイマー野良おっぱいを拾う」は大見出し]
〈プロローグ〉[#「〈プロローグ〉」は中見出し]
――二千年前、世界全ての生命を巻き込んだ、神々の戦いがあった。
闇を司りし魔神カラボス。
その軍勢は、闇より生まれし
ゴブリン、オーク、ミノタウロスなどの蛮族や、スケルトン、ゴースト、デーモンなどの生死の境界すら曖昧な者どもが集った、禍々しい軍勢だった。
対するのは、光を司りし女神ニューリア。
その軍勢は、母なる自然より生まれし
精霊や人間。エルフ、ドワーフをはじめとする亜人種。そして、グリフォン、ユニコーン、ドラゴン、オオカミ、ライオン、ヘビ、鳥、昆虫、魚――空陸海、数多の
争いは永く、果てしなく続き、多くの
戦いの果てに、多すぎるの同胞の死に胸を痛めた女神ニューリアは、自らを犠牲にして最期の光を放った。
光は瞬く間に大地を満たし、瞬く間に闇の軍勢を滅ぼした。
そうして世界は平穏を取り戻し、女神が守り抜いた大地は『ニューヴァリア』と名を改められた。
だが、力を使い果たした女神ニューリアの体は六つに分かれ、世界中へと散らばった。
――それから二千年。
女神ニューリアの体は未だ、発見されていない。
◇
月夜が照らす草原を、逆立ったオレンジ髪の少年が死に物狂いで駆け抜けていた。
「うおおおおおおおおおお‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ 一体何が起きてんだよぉぉぉぉぉーーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
背後にはゴブリン、スケルトン、オーク、コボルト、ハーピィ、ゴーストなど……付近に出現しうるあらゆる種類の
「おいお前! 本当に何も知らねぇのかよ!」
少年は元々鋭い目付きをさらに細めて、自身が右手に抱えている“彼女”に問いかけた。
「知らないって言ったじゃないですか! 気がついたら追いかけられてたんですから‼︎‼︎」
彼女は、その外見からはまるで想像できない、年頃の少女のような声で抗議した。
「つーかそもそもお前、一体何の生き物なんだよ!」
――そう、少年が小脇に抱える彼女は、人間ではなかった。
それどころか、
彼女は姿は例えるなら、メロンくらいの大きさの饅頭を、横並びに二つくっつけたようなフォルムをしていた。
その上、皮膚の色や体温――なにより、少年の腕に吸い付くような質感と、どこまでも沈み込んでいきそうな夢心地の柔らかさは、人間の――更に言えば女性の――“とある部位”に瓜二つだった。
――彼女は“おっぱい”だった。
本来なら、その付け根についているべき女体はないが、とにかくそれはおっぱいだった。
この日、ビーストテイマーの少年、ジュモ・オレンジバックは拾ったのだ。
――世にも奇妙な、喋るおっぱいを。
〈第一節 ジュモ〉[#「〈第一節 ジュモ〉」は中見出し]
多くの生命で満ち溢れ、天高く伸びた木々がどこまでも広がる『オルバ大森林』。
何人たりとも踏み入れることを許されない大自然であるが、今日に限っては、招かれざる客人達の姿があった。
深緑色のフードを被った人間の男が五人ほど。皆一様にニタニタとした笑みを浮かべながら森の出口へと向かっていた
「ギャハハ! さすがお頭、まさか本当にフォレストドラゴンの赤ん坊が手に入れるとは! こりゃ当分酒代には困りませんなぁ!」
男の一人が大声で捲し立てると、「お頭」と呼ばれた先頭の男が振り返り、喋り出した男の頭を叩いた。
「馬鹿野郎、でかい声出すんじゃねぇ。他の
一行の頭目の小脇には、小動物が閉じ込められた檻が抱えられていた。
『クルルゥ……』
檻の中で不安げに鳴き声を漏らしたのは、山羊のように渦巻いた角を生やし、苔のような深緑色の鱗に覆われた四つ足の竜――フォレストドラゴンの赤子だ。
男たちはビーストハンター。希少な
フォレストドラゴンの鱗は、磨くことで翡翠の宝石のような輝かしさを持つため装飾品としての人気が高い。
それ故に、乱獲によって個体数が減ることのないよう、捕獲や狩猟は厳しく禁じられているが、実際には、彼らのようなビーストハンターが捕獲し、裏ルートで売買されることも多いのだ。
だが、フォレスドラゴンの子供は、将来森の長になる存在として森中のビーストに守られながら育つ。
だからこそ、赤子が攫われたという事実に、ビーストたちは気づき始め、森は次第に騒がしくなっていく。
――そして、この事態にいち早く気づき、ハンターたちを追っている者がいた。
「見つけたぜ、クソ誘拐犯どもが……‼︎」
木の上から遠くに見えるハンター達を見下ろすのは、逆立ったオレンジ髪と凶悪な目付きが特徴の少年、ジュモ・オレンジバックだ。
素肌の上から発色のいいオレンジのベストを羽織り、だぼついたベージュのサルエルパンツを金属製のベルトで締め上げた身軽そうな出立ちは、まるで曲芸師や大道芸人のようだ。
だがそれとは裏腹に、額には小さな二本角の鉢金が。手足には鋼が鈍く光る、無骨なガントレットとレガースがそれぞれ身につけられており、ジュモが旅人であり『冒険者』であることを物語っていた。
「待ってろよ、フォレストドラゴン……!」
ジュモは吹き抜ける風の如き身軽さで木から木へと飛び移り、ハンター達への距離を詰めていく。
「お、お頭、何か近づいて……」
――だが、時既に遅し。
ドシーーーーーーーン‼︎‼︎‼︎
「ぎゃああああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」
地鳴りとともに一人のハンターが悲鳴を上げる。
砂埃が晴れると、そのレガースでハンターを踏みつけたジュモの姿があった。
「なっ、なんだてめぇ!」
「何もんだ!」
どよめくハンターたちを、射抜くような視線でジュモが睨む。
「そいつは森の宝だ! いいからさっさとその赤ん坊を返しやがれ‼︎」
「調子に乗ってんじゃねぇ!」
ハンターの一人が咄嗟に、ナイフでジュモに襲いかかる。
だが、不意打ちだったにも関わらず、ジュモは目にも止まらぬ速度で、男の腕を捻り上げていた。
「痛ででででで‼︎」
そして、べきり、と無慈悲な乾いた音が森に木霊する。
「テメェっ‼︎」
別の男が襲いかかるが、ジュモはそれをいとも容易く躱すと、男の顔面を殴り抜く。
「ぎゃべっ!」
地面に倒れ伏した男を踏みつけながら、ジュモは再びハンターたちを睨みつける。
年齢にして十五、六だろうか。ジュモの幼さの抜けきらない顔立ちとは裏腹に、その溢れ出る気迫にハンターたちは気圧されていた。
「ひぃっ……」
「な、なんだよこいつ……!」
「なにガキ一人に何ビビってんだ! さっさと殺せ‼︎‼︎」
頭目が怒号を飛ばすと、残ったハンター達もナイフを抜き、一斉にジュモへと襲いかかった。
数にして四人。それも、その全員が生き物を狩ることに長けた手練れだ。
「その程度かよ!」
――だがジュモは全く怯まず、ハンターたちの背丈よりも高く跳び上がると、軽やかに後ろへ宙返りをした。
そしてその勢いで、背後にあった木の幹を蹴って反動を得ると、次の瞬間にはガントレットに包まれた両拳でハンターたちを殴り飛ばしていた。
「グベッ‼︎‼︎」
「ゴフッ‼︎‼︎」
声にならない悲鳴を上げ崩れていくハンター達には目もくれず、ジュモは身を捻りながら跳び上がると、ムチように鋭い蹴りを放った。
「ぎゃばッ‼︎‼︎」
「げはッ‼︎‼︎」
そうして、一瞬のうちに取り巻きは全て倒され、残るのは頭目だけとなった。
「おいクソ人間、さっさとその赤ん坊を返しな。そいつはてめぇの汚ねぇ手で触れていいもんじゃねぇ」
「く、くそ……“獣人”みてーなデタラメな動きしやがって……」
獣人――人間と
その最大の長所は、ビースト由来の驚異的な身体能力と人間由来の技巧が合わさった、無類の肉弾戦の強さである。
頭目はジュモの戦い方に、獣人の“それ”に通ずるものを感じていた。
「ちっ、クズ人間の癖に勘だけは冴えてるな」
「なんだと……?」
「これ以上は教えてやらねぇ!」
ジュモが頭目へと迫る。
だが、勝ち目がないことを悟った頭目は、躊躇いなく抱えた檻の隙間からナイフを差し込むと、ドラゴンの赤子に当てがった。
「動くな! 一歩でも近づいたらこいつの命はねぇぞ‼︎‼︎」
『くるるぅ……』
檻の中で、赤子が声を振るわせると、ジュモは足を止めざるをえなかった。
「ド腐れ野郎が……!」
そんなジュモの様子を見て、頭目はほくそ笑む。
(やはりだ……! こいつはこのドラゴンを守りたがっている……!)
「そうだ……分かったらそのまま両手を上げて後ろに下がれ……」
「ちっ……」
ジュモは頭目を睨みつけながらも、引き下がっていく。
堪えているが、内心ではとっくに怒り心頭だった。
(クソムカつく野郎だ……今すぐにでもぶちのめしてやりてぇぜ……だが今最優先するべきは、あのガキの命を守ってやることだ)
「そうだ、それでいい……。いいか、俺が森を出るまでそこから動くんじゃねぇぞ……!」
やがて、ジュモとの十分な距離が空き始めたことで余裕が生まれた頭目は、ジュモを挑発するかのように話はじめた。
「一つ聞くぜ! お前親が……それも、“育ての親”が獣人だろう?」
その言葉にジュモは目を見開く。
それは、頭目の話した内容の、そのほとんどがジュモに当てはまっていたことを示していた。
「やっぱりな……。ビーストハンターやってるとなぁ、お前らみたいなのをごまんと見るんだよ! 人間から除け者にされた獣人に育てられた、孤児のガキをな!」
「テメェ……‼︎‼︎」
「おっと……動くなって言ったよなぁ……!」
ジュモが頭目に飛び掛かろうとすると、わざとらしくナイフを赤子に近づける。
――だが、この行動が頭目の命運を尽きさせる最後の一手となった。
「やっぱり、テメェみたいなクズは生きてちゃいけねぇ……」
「あぁ? だからどうした。こっちにはドラゴンのガキが――」
「(争いにこの力はなるべく使いたくねぇが……、わりぃなみんな、力貸してもらうぜ……)」
「あ? 一人で何ブツブツ言って――」
「みんなーーー‼︎ あいつを狙えーーー‼︎‼︎‼︎‼︎」
ジュモが叫ぶと、身体が一瞬オレンジ色に光り、そして、何十本もの細い光が放たれた。
ジュモから飛び出した光は、まるで何かに導かれるかのように、それぞれ別の方向へうねりながら飛び去って行く。
「な、なんだ⁉︎」
魔法の類かと思い頭目は身構えるが、光が頭目の体を掠めても、ほのかに暖かいだけで、痛みは全くなかった。
「こけおどしか……!」
頭目が安堵したその時。
『『『グルルルルルォォォォォォォォォォ‼︎‼︎‼︎‼︎』』』
森のあらゆる方向から一斉に聞こえてきた遠吠えや唸り声が、頭目の鼓膜を揺さぶった。
「こ、今度はなんだ!」
そして、ジュモの呼びかけに応えるように、小鳥が、リスが、シカが、イノシシが、サルが――巨大な蝶が、ツタの生えた亀が、翼の生えたネズミが、翠色の狼が――森のビースト達が一斉に顔を出し、頭目を取り囲んだ。
ビーストたちは皆一様に、ジュモから放たれた淡いオレンジの光を、その身に纏っていた。
「い、一体……な、何が起こって……ぐわっ!」
動揺する頭目の腕を小鳥が啄むと、頭目はたまらずナイフを取り落とした。
「しまった!」
咄嗟にナイフを拾おうとするが、今度はそれをリスが攫って行く。
「ま、待てっ! それがなければっ……!」
そしてとどめとばかりにシカやイノシシのビーストが頭目へ飛び込んでいき、容易く吹き飛ばされた頭目は、抱えていた檻をついに手放した。
「ぐああああーー‼︎‼︎」
そこへジュモが駆けつけると、宙に放り出された檻を受け止める。
「――っぶねぇ! よーし、今檻から出してやるからな!」
ジュモが元前の怪力で、檻を壊そうとするが、よほど頑丈に出来ているようでびくともしない。
「力自慢の奴! 誰か手を貸してくれ!」
『ウホゥ!』
ジュモの呼びかけに応じた
『くるるっ!』
「よーし、元気そうで安心したぜ! あとは……」
ジュモの視線の先では、ドラゴンの赤子という人質を失い、一目散に逃げ出そうとする頭目の姿があった。
「クソッ! クソッ‼︎ あのガキまさかビーストテイマー
先回りして待ち構えていた
「どうやら鬼ごっこも終わりみてぇだな」
ジュモの言葉を合図にするように、ビーストたちが今にも頭目の喉笛を噛みちぎらんとにじり寄っていく。
「ま、待て……! アンタ、ビーストテイマーなんだろ⁉︎ 俺がマークしてるとっておきのレアなビーストの生息地全部教えてやる! だからこのビーストどもを追っ払ってくれ! だからなあ! 命だけは助けてくれよ!」
頭目の言う通り、希少なビーストの情報は価値のあるものだ。ひょっとすれば、その交渉を聞き入れるビーストテイマーもそれなりにいるだろう。
――だが、頭目にとって不幸だったのは、頭目のような、ビーストの命を軽視している人間こそが、ジュモが最も嫌っている人間であり、その点で言えば、先ほどから頭目はずっとジュモの地雷を踏み続けていることだった。
「…………くっっっだらねぇ」
「は……?」
「くだらねぇって言ってんだ。そんなモンになんの価値がある」
「か、価値ってそりゃ…………」
「
「畜生が! てめぇにさえ見つからなけりゃ上手くいったのによぉ……!」
「森中のビーストたちが『ドラゴンの赤ん坊が悪い人間に攫われた』って大騒ぎしてるんだ、そいつは無理な話だぜ」
「ビーストが騒いでた……だって……? 一体、何の話をしてやがる。それじゃあまるで――ビーストの声でも聞こえるみたいじゃねぇか」
ビーストと心を通わせ従える
だが、ジュモは違った。
ジュモはビーストたちを見渡し、答える。
「――ああ、聞こえてるぜ。 みんなお前をぶちのめしたがってる」
ジュモは、物心ついた時からビーストたちの声を聞くことができた。
故に、頭目に向けられた無数の鳴き声も、ジュモにはこう聞こえていた。
『悪イ奴‼︎』
『余所者、追イ出ス!』
『敵ダ……』
『喰イ殺セ‼︎』
それはビーストたちの怒りの意思だった。
「さっさと殺しちまおうとも思ったが、こいつの処遇は森のボスに決めてもらう。それでいいよな」
ジュモがビーストに呼びかけると、ただ一人頭目だけは顔を蒼白させた。
「ボス……だって…………?」
すると、ジュモは何も言わず、指で上を指した。
頭目も、恐る恐る首を上げる。
「あ……ああ……」
頭目の視界に映ったのは、自身を殺さんばかりの視線で自分を覗き込んでいる、巨大な首長のドラゴンだった。
『グオオオォォォ』
ドラゴンが嘶くと同時に、頭目が寄りかかっていた巨大な木が“宙に浮いた”。
頭目が寄りかかってた木。その正体は誘拐された赤子の親――森の主である、フォレストドラゴンの前足だったのだ。
頭目はもはや、なすすべなどなかった。
「どうやら、てめぇの処遇は決まったみたいだな」
「あぁ……あぁぁぁぁぁ…………‼︎」
「あばよ、クズ野郎」
「ぎゃああああああ‼︎‼︎‼︎」
頭目が最後に見た光景は、自分を押し潰そうと迫り来る、ドラゴンの足の裏だった。
〈第二節 おっぱいに出会う〉[#「〈第二節 おっぱいに出会う〉」は中見出し]
ずしーん、ずしーん、ずしーん。
遥か遠くまで広がる平原をフォレストドラゴンの巨大な脚が踏みつけていく。
その苔むした大きな背中の上には、オレンジ髪のツンツン頭の姿があった。
「いやあ〜悪いな、乗せてもらっちまって」
背中にはリュックサック、お腹には助けた赤子を抱きながら、あぐらをかいて座るジュモ。
口では遠慮しつつも、ちゃっかりくつろいでいるのであった。
ビーストハンターとの騒動の後、ジュモは赤子を助けたお礼に、半日ほどの間、フォレストドラゴンの背に乗せて貰い、旅路を進んでいた。
『オマエ、我ガ息子、助ケテクレタ。感謝スル……』
『アリガトウ! ニンゲン!』
「おう、次からは攫われないようにお前も強くなるんだぞ?」
『ウン! ツヨクナル!』
『ニンゲン、進ム方向ハ、合ッテイルナ?』
「ああ大丈夫だ。ちゃんと“北”に向かってる」
ジュモ達の住む世界、その唯一の大陸『ニューヴァリア』。
ジュモはこの広大なニューヴァリアの最北端にある都市、『聖都』を目指す旅人だった。
フォレストドラゴン達の住む、オルバ大森林に訪れたのはその途中でのことだった。
「もうすぐ日が落ちる。送ってくれるのはここまででいいぞ」
『ム? モット運ンデモイイガ?』
「ありがとな。……でも、夜は危ねえからな。帰りに襲われでもしたら大変だろ?」
『……ソレモソウダ』
ジュモの言う通り、ニューヴァリアの夜は恐ろしい。
なぜなら夜になれば、闇から生まれし異形の怪物――
『デハ、土産ニ、私ノ鱗ヲ持ッテイケ』
ドラゴンが体を震わせると、ペリリと鱗が一枚剥がれ落ちた。
「いいのか?」
『ウム。コノ鱗ニハ価値ガ有ルノダロウ?』
ジュモは鱗の金銭的な価値には微塵も興味がなかったが、この鱗がドラゴンにとって大切な体の一部であることは理解していた。
『気ニスルナ、貴様ハ恩人ダ』
「そういうことなら、遠慮なく貰ってくぜ」
ジュモは拾った鱗を後ろ腰のポーチにしまうと、森へ帰っていく親子を見送った。
「達者でなーー‼︎」
やがて、母親の背の上から手を振る子供の姿がら見えなくなると、ジュモはまた北へと歩き出した。
◇
ジュモが移動を続けていると、やがて夕日が沈みはじめた。
「さて……今日も野宿の準備だな」
ジュモは辺りで一番背の高い木の上に登ると、木の周りを飛び交う二匹のコウモリたちに声をかけた。
「おーい、ちょっといいかー?」
『ニンゲン?』
『ニンゲンダ!』
ジュモが危険な人間でないと本能的に察したのか、すぐにコウモリたちが近づいてきた。
「俺が寝てる間、何かあったら起こしてくれないか?」
ニューヴァリアでは夜になると魔物が現れるため、旅をするならば夜の見張りは必須である。
そのため、一人旅は可能な限り避けるというのが鉄則だが、ビーストテイマーであるジュモは、見張り番を夜行性のビーストに頼むことができるのだ。
『ワカッタ! 起コス!』
『何カ! アッタラ!』
「よーし、頼んだぞ!」
ジュモがコウモリに手をかざすと、手のひらから光の線が二本飛び出した。
ビーストハンターの頭目を追い込む際にも見せたこの光は、ビーストをテイムする際に放たれる光――『
それにより、そのビーストとより高度に心を通わせることが出来るようになり、テイマーの能力に比例して、ビースト自身の能力も強化される。
これこそがテイムである。
そしてその光は、二匹のコウモリへと難なく吸い込まれていった。
「じゃ、おやすみ」
ジュモはそれを見届けると、巨大な木の枝に寝そべるようにして眠りに落ちた。
◇
「ぐごお〜〜、ぐがあ〜〜」
『『オキロ! オキロ!』』
「んが……!」
ジュモが眠りについてから一時間ほど。イビキをたてながら爆睡するジュモの周りでコウモリたちがなにやら騒ぎ始めた。
「……何があった!」
ジュモは瞬時に飛び起き辺りを見渡すと、地面を移動する妙なものを見つけた
「あん? なんだありゃ……」
ジュモの視線の先では、緑色の小さな光が二つ、同時に跳ねるように移動していた。
「ビーストの目か……? それともホタルの光か……?」
目を凝らしてみるが、起きたばかりで暗闇に慣れていないジュモの目では光の正体は判別できない。
『知ラナイ! ナンダロ!』
『モチモチ! プニプニ! ウゴク!』
「はあ? プニプニだぁ……?」
コウモリの要領を得ない説明に、ジュモはさらに首を傾げた。
声が聞こえるからといっても、如何せん知能はビーストのままのため、よくあることだ。
「こりゃ、自分で確かめるっきゃなさそうだな……」
ジュモは軽々と木から飛び降りると、足音を消して移動する光へと近づいていく。
ぽよんっ ぽよんっ ぽよんっ ぽよんっ
そんな擬音が聞こえてきそうな跳ね方で、確かにモチモチプニプニの何かが動いているのが見えた。移動の方向から察するに、ジュモが今見ているのは“何か”の背中側であり、光は前側から出ているようだった。
その“何か”はよく見れば、球体が二つ隣り合ったような形をしていた。
「なんだありゃ、珍しいスライムか……?」
スライム――言わずと知れた、ゼリー状の体に饅頭のようなシルエットを持つ、代表的な|魔物の一種である。
実際、ジュモは球体が二つ横並びになっている、双子のスライムを見たことがあった。
ただし、ジュモ知る限り、体の一部が発光するスライムには覚えがなかった。
だが、住処や構成素材の違いにより無数の種類がいるスライムのことだ、未発見の種がいたとしても不思議ではない。
好奇心が抑えきれなくなったジュモは、ついに目の前のスライムもどきを、がばりっ! と後ろから掴みあげた。
「きゃあああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」
すると、突然聞こえてきたのは少女の悲鳴だった。
「のわあっ! なんだぁ⁉︎」
驚いたジュモは、たまらずスライムもどきを宙に放りだす。
すると、スライムもどきは空中で反転し、ジュモの顔目掛けて飛びついてきた。
「このっ! 不埒もの‼︎‼︎‼︎‼︎」
つんざくような少女の悲鳴が再び聞こえてくる。
そして、この状況から、ジュモは一つのE "ありえない”仮説に行き当たった。
「もがっ! もががっ‼︎(まさか……こいつが喋ってんのか⁉︎ ……いやいや、スライムもどきが喋るなんて、そんな馬鹿な話があるわけねぇだろ⁉︎⁉︎⁉︎)」
それを聞けば、多くの者は「ビーストの声が聞こえる男が何を言うか」と思うだろうが、ジュモが驚いているのには理由があった。
ジュモがビーストと会話をする際は、ビーストが実際に発しているのは鳴き声だが、それと同時に人間の言葉に翻訳されて脳内に響く、という仕組みで成り立っている。
しかし、今スライムもどきが発した少女の声は、念話ではなく、直接ジュモの鼓膜を振るす形で聞こえていた。それ故にジュモは驚いたのだ。
そしてジュモは、スライムもどきを引き剥がそうとする最中、さらなる疑問に苛まれた。
ぷにゅん、もにゅん、もみゅっ
(なんだ……? こいつの体……スライムのくせに妙にあったかい……。それに弾力もあるような……)
出現する地域によって種類が変化するスライムだが、特有のぬめりとした体はどの種類にも共通している。
だが、今ジュモの顔に伝わっているのは、柔らかい弾力の何かに挟まれているような感覚と、心地の良い体温だった。
(この感触、まるで――――)
「ぶはあっ‼︎」
ジュモは力任せに、顔にはりついたスライムもどきを引き剥がす。
そしてジュモは、ようやくスライムもどきの正体を見た。
「………………は?」
ジュモに張り付いていたのは、おっぱいだった。
スライムではなく、おっぱいだったのだ。
そのたわわな乳房の付け根の先に本来あるべき女体はなく、メロン大の巨大な饅頭を、横並びに二つくっつけたような奇怪な外見ではあるが、それはやはり、おっぱいとしかいいようがなかった。
「い、いやいや……そんなわけ……」
ジュモは動揺のままに、おっぱいを両手でわし掴んで左右に引っ張ってみるが、不思議なことに左右の乳房が二つに分かれることはなく、その谷間が少しばかり深くなるだけだった。
(確かにこの構造なら左右にちぎれねぇ分、独りでに行動しやすいな――)
気が動転するあまり、もはや逆に冷静である。
そしてジュモは、スライムもどき――もとい、おっぱいもどきの乳房の先端。いわゆる乳首にあたる部分が、まばゆい翠色に光っていることに気づく。
そう、ジュモが見た光の正体は、乳首から放たれていた光だったのだ。
(なんだこの光? これじゃ魔物に見つかりやすくなるだけで、乳首が隠せてる以外に利点がねぇんじゃ……?)
気が動転するあまり、妙な冷静さを発揮するジュモ。
それでも尚、おっぱいを揉み続ける手は何かに突き動かされているかのように止まらない。
もにゅり、むにゅり、ぶるるん、もにゅ――
「――いい加減揉みしだくのを辞めなさーーーーーーーーーい‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
雷でも落ちたのかと、錯覚するほどの怒声にジュモは正気を取り戻した。
ジュモはとりあえず、肺の空気を全て吐き出しながら叫んだ。
「おっぱいがしゃべったあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
その衝撃はジュモの体を突き動かし、気づけばジュモは、渾身の力でおっぱいを天高く放り投げていた。
「きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
めちゃくちゃな力で放られたおっぱいは、ジュモのはるか前方へと飛んでいってしまった。
「しまったあああぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
ジュモは夜空に輝く乳首の光を頼りにおっぱいの着地点に滑り込むと、間一髪で受け止めた。
「あっぶねぇ……!」
「いきなり何するんですか‼︎」
おっぱいは、身を捻ってジュモの手からすり抜けるとジュモに抗議を始めた。
「おっぱいが喋ったら驚くだろうがよ‼︎‼︎」
「おっぱ……!」
おっぱいは、自身がおっぱいと呼ばれたことに動揺したようだった。
「それよりも! 問題なのはあなたが大きな声を出してしまったことです! どう責任とってくれるんですか‼︎」
「あぁ⁉︎ さきに叫んだのはそっちだろうが! 大体、ちょっとでかい声出したところで近くにいた魔物が何体か集まるくらいだろうが!」
普通の人間やビーストであれば、その“何体か”が命取りになるのだが、既に無数の修羅場を潜り抜けてきているジュモにとってはその程度問題ではなかった。
ざりっ、ざりっ
そんな矢先、何者かが地面を踏みしめる音が聞こえてくる。
「はぁ、仕方ねぇ、いっちょやるか……」
ジュモがガントレットを構えながら足音の方向を向くと、魔物共通の特徴である真っ赤な目が暗闇で光っていた。
――――それも、おびただしいほどの数が。
「おいおい……随分話がちげぇぞ……?」
そのおぞましい光景に、ジュモは思わず身震いした。
聞こえる足音はあっという間に数十を超え、『ギャルル……』と、人でもビーストでもない。“異形”のうめき声が無数に聞こえてくる。
まず姿が見えた魔物は、子供ほどの背丈に濁った緑色の皮膚、ギラついた瞳をした小鬼――ゴブリンだ。
そして次々に
――その異様な集まり方はまるで、何かに誘い出されているかのようだった。
「……おい、お前なんか知ってるのか?」
「……奴ら、私を執拗に追いかけてくるんです! ようやく撒けたと思ったのにあなたのせいで見つかってしまったではないですか!」
「あぁ⁉︎ だから先に悲鳴上げたのはそっちだろうが!」
「いきなり背後から掴み上げられたら誰だってああなります!」
「そんな珍妙な見た目してるから気になっちまったんだろうが! なんでおっぱいの癖に喋ってんだ! 一体何なんだお前は!」
「それが人に質問をする態度ですか! 貴方、非常識で無礼ですよ‼︎」
「喋って動くおっぱいがジョーシキどうこう言ってんじゃ――――」
『ギャアッ‼︎』
会話を遮るように飛び込んできたゴブリンが、おっぱいに向かって棍棒を振り下ろす。
「きゃあぁぁっ‼︎」
武器はおろか、腕すら持たないおっぱいに成すすべはなく、ただ体を伏せることしかできなかった。
ガギンッ!
甲高い金属音が森に響き渡る。
おっぱいがおそるおそる体を起こすと、ガントレットでゴブリンの攻撃を受け止めるジュモの姿があった。
「っぶねぇ……。油断してんじゃねぇぞ、このおっぱいが」
「貴方、どうして……」
「どうしてもこうしてもあるか。お前が
それが当たり前だと言わんばかりのジュモに、彼女は問いかけた。
「貴方は――足も、翼も、尻尾もない。こんな私を見てなお、私をビーストだというのですか……?」
彼女の言う通り、その姿はビーストには決して見えない。
そのあまりにも奇怪な見た目は、ジュモが初め、彼女をスライムだと勘違いしたように、多くの者にとっては魔物に見えるだろう。
――だが、それでもジュモは、彼女をビーストだと言った。
「まさか、そのナリで人間だって言い張るんじゃねぇだろうな。俺は人間が嫌いなんだ。マジで言ってんならこっちにも考えがあるぞ」
「い、いえ、そうではなく……!」
「――なら!!」
ジュモは棍棒を跳ね返すと、ゴブリンのガラ空きになった腹に鋭い蹴りを放った。
『アギャッ!』
急所を的確に蹴り抜かれたゴブリンは、他の魔物を巻き込みながら大きく吹き飛んだ。
そして、体はたちまち黒い霧となって跡形もなく消えてしまった。
これこそが、魔物にとっての死だ。
闇が形を持って生まれた彼らの終わりには、一片の肉体すら残らず、それ故にそれを弔う同胞すらいない。
だからといって、魔物が己の定めを嘆くわけもない。
当たり前だ。魔物には、心なんてものはないのだから。
それを十分に知っているからこそ、ジュモは問う。
「――お前は死んでも欠片ひとつ残らない、血も涙もない魔物か?」
「――それは。――それだけは違います」
彼女はきっぱりと言い切った。
その言葉には、断固たる意思が宿っていた。
その様子を見たジュモがニッと笑う。
「生き物は魔物か、人間かビーストか。そのどれかに当てはまる。俺みたいな野生児のガキだって知ってる常識だ。――なら人間でも、魔物でもねぇお前はきっと……いや、間違いなくビーストだ」
――だから、助ける。
包囲していた魔物が一斉に襲いかかってきてもジュモは一歩も引かず。
彼女を左腕で抱え込むと、迫るオークを踏み台にして大きく飛び上がった。
「きゃあっ!」
「荒っぽくなるぜ! ちゃんと捕まってろよおっぱい!」
すると、ジュモの腰に巻かれた鋼のベルトがほどけだし、後ろ腰の一点を軸にして垂れ下がる。
その様はまるで、ジュモに尻尾が生えたようだった。
「
ジュモの声に応じてベルトは正面の木に向かって勢いよく伸びていき、高い位置の枝へと巻きついた。
「すごい! ベルトが何倍もの長さに……!」
「まずはここを突破するぞ!」
ジュモは枝を支点に、体を振り子のようにスイングさせ勢いよく空中へと飛び出した。
「上から魔物がきます! ……三体‼︎」
「わかってらぁ!
今度は右腕のガントレットから三本の鉤爪がせり出し、空から迫る
「その武器は一体……!」
次から次へと変形していくジュモの武器におっぱいは驚いた。
「獣形装
行手を阻む魔物を切り払いながら、ジュモはニヤリと笑った。
◇
それからというもの、一度は魔物の包囲網を突破したジュモ達だったが、魔物の勢いは衰えず、彼らはなおも草原を全力で駆け続けていた。
どころか、数を減らしたと思っても新たな魔物が合流してくるため、追手の数は増える一方だった。
「ハーピィが来ています! 五時の方向!」
「あ? えーと五時っつーと……あっぶね‼︎」
ゼリルの指示に首を傾げていると、魔物から放たれた空気弾がジュモの頬を掠めていった。
ジュモは振り向きざまにハーピィのいる方向へ向かってベルトを振るうと、ベルトは鞭のようにしなり、魔物を吹き飛ばした。
「おい! 五時の方向ってなんだよ! 訳わかんねぇ指示するな!」
「ひょっとして、時計の針に準えて方向を示す方法を知らなかったですか?」
「……パザラめ、教え忘れやがったな」
「パザラ? どなたですか?」
ゼリルが聞き返す。
「なんでもねぇ。だがなるほど、そういう方法があるんだな! 教えてくれてありがとよっ……!」
ジュモは、不満をぶつけるかのように、正面に回り込んできたコボルトへと、渾身のかかと落としを見舞った。
街ごとに一つは必ず設置されている時計。――その文字盤を基準に方向を示す方法は、街の学校に通った者なら誰もが知っている。
だがジュモの育ての親である、獣人のパザラは、ジュモにそれを教え忘れたらしい。
「……次から魔物が来たら「後ろ」とだけ言ってくれりゃ、それでいい」
「でも、それでは情報が不正確になってしまうのでは……?」
「それくらい勘でどうにでもなる」
「勘⁉︎ 信用していいんでしょうね⁉︎」
「まあ見てろ。それにしても次から次へとキリがねぇ……! つーか、この異常な集まり方、明らかにお前を狙ってるだろ! お前、本当に一体何なんだよ⁉︎⁉︎」
好転しない状況に、ジュモはいよいよ不満をぶつけた。
「……そんなの、私だって知りませんよ‼︎」
だが、不満を抱えていたのは彼女も同様だった。
「はあ⁉︎」
「何も覚えていないんです! 目が覚めたら洞窟の中にいて、やっと洞窟を抜けたと思ったら奴らに追いかけられてたんですよ‼︎‼︎‼︎」
「覚えてないだぁ⁉︎ 冗談はそのおっぱいだけにしやがれ‼︎‼︎」
「ああ! また私をおっぱ……下品な呼び方をしましたね!」
「おっぱいはおっぱいだろうが! おっぱいをおっぱいって呼んで何が悪い‼︎」
「私だって好きでこんな見た目なわけじゃないんですよ! だからその呼び方やめてください!」
ゼリルと終わりのない言い合いを続けながらも、ジュモは魔物を蹴散らしていく。
奮闘の甲斐もあり、追っ手はまだまだ多いものの、その襲撃が一瞬止んだ。
「奴らを振り切るなら今しかねぇ!」
「振り切るって、何か方法はあるんですか⁉︎」
「“アレ”を使う」
ジュモが顎で差した先には、周りの木よりも幹が細く、それでいて一際背が高い木が生えていた。
「また荒っぽくなる、ちゃんとくっついとけよ!」
「ま、待ってください、説明を……!」
「
ジュモが腰からベルトを伸ばすと、名の通りベルトは蛇のように木へと巻きついた。
「どっこい……しょ‼︎」
ジュモは空いている片腕でロープのように伸びたベルトを握りしめ、思い切り引っ張った。
ミシ……ミシミシ……‼︎
長木は引っ張られる方向へ、軋みながらも大きくしなり始めた。
「あの……とても嫌な予感がするのですが……」
「いくぜ! ……どっせい‼︎‼︎」
ジュモがベルトから手を離すと、木に溜め込まれた反動が一気に解き放たれ、ジュモたちは引き絞った弓から放たれた矢のような勢いで宙へと放たれた。
「きゃあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ ちゃ、着地! 着地できるんですか⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「心配するな、俺を信じろ」
その言葉にむしろ不安を覚えたおっぱいだったが、着地点が川であることに気づいた。
「怖いことには変わりないじゃないですかああああぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
そんな叫び声の最中、バシャーン‼︎ と、特大の水
飛沫を上げながら二人は川へ着水した。
ぷかーー。
全身の力が抜け切ったゼリルが、浮力に身を任せて水面に浮いてきた。
「ひ、酷い目に会いました……」
続いて、ジュモも水面から顔を出した。
「ぶはぁっ! ……うわっ、おっぱいが浮いてら……」
「うわっ、じゃないですよまったく……」
「わりぃわりぃ」
ジュモは、おっぱいを拾い上げると川を上がった。
ようやく地に足(?)を着けた彼女は、全身を振るわせて体の水を払う。
ぶるん、ぶるん、ばるん、ばるん。
豊満なおっぱいが、これでもかと揺れると、自然とジュモの視線も釘付けになる。
「おお……」
「――ふ、不埒者‼︎‼︎ こっち見ないでください‼︎‼︎」
ジュモの視線のわけに気づいた彼女は、羞恥に肌を赤く染めながら、ジュモに背を向けた。
「へいへい……」
ジュモは木陰に落ち葉を集めると、ガントレットから生やした爪を両手で打ち鳴らす。
すると散った火花が落ち葉へ着火し、あっという間に焚き木ができた。
「風邪ひく前に体乾かしとけ。この位置なら魔物にも多少気づかれにくいから、少し落ち着ける」
そしてジュモは、先ほどの話を切り出した。
「――で、俺の聞き間違いじゃなけりゃお前、記憶がないっていったか?」
「ええ、先ほど話した通りです……」
「……嘘じゃないんだろうな」
「そんな嘘、ついても意味がありませんし、そもそも、嘘は好きではありません」
「そうか、ならお前の話を信じることにする」
「……? なんだか、やけにあっさりと信じますね」
「俺も嘘は嫌いだからな。……にしても、おっぱいのビーストねぇ。ちょっと体見せてくれよ」
ジュモが手を伸ばすと、彼女が全力で身を引いた。
「辞めなさい! 破廉恥な‼︎‼︎」
「破廉恥って……。全身おっぱいなんじゃ、どこ触っても破廉恥扱いじゃねぇか。……もう魔物が襲ってきても運んでやらねぇからな」
「そ、それは困ります!」
「冗談だ。俺は困ってるビーストを見捨てたりしねぇよ。 お前がこの後どうするのか知らねぇが、とりあえず朝までは俺が守ってやる」
――魔物は光に弱く、日光をまともに浴びればたちまち消滅してしまう。そのため、魔物は朝が来ると同時に暗所へと逃げ込もうと去っていくのだ。
「ありがとうございます。……とても助かってます。あなたがいなければ、私はとっくに彼らの餌になっていたでしょう」
人やビースト――全ての聖物が少なからず持っている生命のエネルギー『聖力』。
その力を持たざる魔物は、聖物を襲うことでのみ、聖力を自らの力として取り込むことができる。
魔物が聖物を襲うのは、それが理由だ。
「なあ、おっぱいは――」
「さっきからその呼び方、なんとかなりませんか⁉︎」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ!」
「普通に名前で呼んでくださいよ、私の名前は――」
「記憶、無いんじゃなかったか……?」
「……そうでした」
ゼリルは少し、しょぼくれた様子だ。
「でもおっぱい呼びは嫌だ、と。……難しいこと言いやがる」
するとジュモは名案を思いつく。
「よし、じゃあ俺がお前に名前を付けてやる!」
「はい?」
「そしたら問題解決だろ?」
「ま、まあそうかもしれませんが……」
「じゃあ決まりだな」
ジュモはうんうんと名前を考え始めた。
懸念があるとすれば、森で獣人に育てられたジュモに、まともなネーミングセンスがあるかどうかだが――。
「なあ、パイパイとニュウニュウだったらどっちがいい?」
「どっちもお断りです‼︎‼︎‼︎」
――無論、そんなセンスは持ち合わせていなかった。
「なんだよ折角考えてやったってのに。文句の多い奴だな」
「明らかにどっちも胸から連想された名前でしょう⁉︎⁉︎ つけるならもうちょっと普通の名前にしてください‼︎‼︎」
「普通だぁ⁉︎ くっそ、また難しいこと言いやがって……」
ジュモは、大きく首を傾げながらしばらく考えた末、ようやく別の名前を思いついた。
「“ゼリル”ってのはどうだ?」
「ゼリル……ですか?」
どうせまた珍妙な名前が出てくるのだろうと身構えていた彼女は、意外にもまともな答えが返ってきたことに驚いていた。
「ああ、前に人間の街で見かけた菓子の名前から取ったんだ」
「なるほど、菓子ですか……」
検討をはじめたゼリルに、ジュモはジュモで「どうせまた文句言ってくるんだろう」と身構えたが、帰ってきたのは少し意外な答えだった。
「――気に入りました」
「……へ?」
「貴方が付けてくれた名前が気に入ったって言ったんです」
「本当に言ってんのか?」
「ええ。ですから、私は“ゼリル”と名乗ることにします。だからあなたも、ゼリルと呼ぶように」
「わかったぜ、おっぱ……じゃねぇ、ゼリル」
「あなたまた……」
はぁ、とため息をつきながらも、おっぱい改め、ゼリルは嬉しそうだった。
――――実のところ『ゼリル』という名前は、人間の文化に疎いジュモの覚え違いであり、正しい名称である『ゼリー』という菓子は、“適度な弾力がありプルプルとした質感”が特徴である。
つまるところ、それもおっぱいから連想されたものであったが――その残酷な事実をゼリルが知ることになるのは、もう少し先の話だ。
「ところでいい加減、あなたの名前も教えていただけますか?」
「そういや言ってなかったな。俺はジュモ。ジュモ・オレンジバック。旅のビーストテイマーだ」
「ビーストテイマー……なるほど、そうでしたか」
「森育ちの俺にとっちゃ、ビーストはみんな同族……いや、家族みたいなもんだ。だから助けないわけにゃいかねぇんだ」
「森で育った……ですか?」
「ああ。ガキの頃両親を人間に殺されてな。行く宛ての無かった俺を拾ってくれてのが、森に住んでたパザラ……オレンジバックの獣人だったんだ。それ以来、俺は森でビーストと一緒に暮らしてた」
ジュモはなんでも無いように答えたが、ゼリルの声色は真剣だった。
「ご両親を……。それは、とても辛かったですね……」
「……気にすんな。俺が三、四歳ごろの話だ。実の親のことなんざ、ほとんど覚えちゃいねえよ」
そして「そうそう、オレンジバックってのはパザラの種族名だ。パザラにゃ家名が無かったから勝手に名乗らせてもらってる」と付け足した。
「ええ。ジュモ、あなたに似合った、とても良い名前です」
「――ま、そんな感じで色々あったもんで、俺は人間が大っ嫌いなんだ」
「……そう、ですね。あなたの境遇を考えれば、人間を嫌いになることはごく自然なことだと思います」
「そりゃどうも」
「――ジュモ、あなたのことが今少しわかりました。その上であなたは伝えておこうと思います」
「あ? なんだよ改まって」
「私は、全ての人間を嫌うという考えに私は賛成できません。確かに、この世には盗みを行ったり、嘘をついたり、他者を傷つける人間もいます。それは事実です。……ですが、そうした行動を選んでしまう背景には、必ず何かしらの理由があるのです。真に“悪”と呼べる存在がいるとすればそれは――」
ゼリルの話をあくび混じりに聞いていたジュモだったが、周囲の異変に気づいた。
「説教垂れてるとこ悪いが――奴ら、思ったより鼻が効くらしい」
『ギャアァ……』
わざわざ追いかけてきたのか、はたまた近場にいた魔物が嗅ぎつけてきたのかは分からないが、気づけばジュモたちは魔物に囲まれていた。
「面倒だが、この程度の雑魚魔物、何度囲まれたって突破してやるぜ。しっかり捕まってろよ」
ジュモは肩にゼリルを乗せると、ゼリルの肌が吸盤のように吸い付いてくるのがわかった。
「こりゃ楽だ、精々振り落とされないように気をつけろよ!」
「はっ、はい!」
戦闘体勢に入ったジュモは、襲いくる無数の魔物に、ジュモは
ガントレットから爪や鎌を生やし、時にはそのまま拳を振るう。レガースから突き出る棘や刃で魔物を踏みつけ、伸縮自在のベルトは、鞭や槍となり、多くの魔物を屠った。
「すごい……!」
「この
すると、まるでジュモの腕を試すかのように、木々の中から巨大な人影がゆらりと立ち上がった。
「あれは……!」
「ははっ、こいつはラッキーだぜ何せ、あんなどでかい魔物が生まれる瞬間を見れるんだからよ」
魔物は大気中の“魔素”が集まることで初めて形作られる。巨大な魔物が現れるということは即ち、それだけ大量の魔素が集まったということだ。
その巨の名はギガント・オーガ。まるで岩のように隆起した灰色の肌に、どんなものでも噛み砕いてしまいそうな鋭い牙を持つ魔物だ。
そして、この周辺で最も脅威となる魔物である。
『グオオオォォォ‼︎‼︎‼︎』
オーガの巨椀が、木々や他の魔物を巻き込みながら振り下される。
その地響きの大きさが、拳の威力を物語っていた。
「このっ! デカブツが‼︎」
拳を避けたジュモが振り下ろされた腕に刃を突き立てるが、硬い皮膚に弾かれる。
「クソっ、やっぱ硬いか!」
「あ、あんなの、どうやって倒すんですか⁉︎」
するとジュモはニヤリと笑った。
「見てろ、戦い方ってのは色々あるんだぜ?」
ジュモは襲いかかる他の魔物を躱しながらオーガの足元に飛び込むと、右腕のガントレットから、再び鎌を生やした。
「それではまた弾かれてしまいます‼︎」
「よく見てみろ」
一見鎌のように見えたそれは、よく見れば先ほどよりも分厚く、細く、なにより刃がついていなかった。
まるで、一点のみを抉り取るような鋭利さのそれは――。
「ツルハシ……?」
「大正解だ」
ジュモが右腕で、逆手持ちのようにしたツルハシを振るうと、ガッ! と音を立てて刃がオーガのアキレス腱に食い込んだ。
「は、入った……!」
「まだまだぁ!」
ガチャリ。左腕をハンマーに変形させると、刺さったツルハシの反対側、平たくなっている部分へと思い切り打ちつけた。
「
ガコン! ツルハシの先端が大きくめり込み、オーガは絶叫しながら膝をついた。
『GYAAAAAAAA‼︎』
「すごい……」
「あとは同じように脳天かち割ってやればおしまいだ!」
オーガは、なんとしてもジュモを潰そうと、膝立ちになりながらも暴れ始める。
ジュモはそれも避け、オーガの肩を踏み台にして大きく飛び上がると、落下の勢いの乗せた『
だが運悪く、がむしゃらに振るわれたオーガの拳がジュモを横から殴りつけた。
「ぐえっ!」
「きゃああっ!」
木々の間を突き抜けながら大きく吹き飛ぶ二人。
ゼリルが背後に視線を向けると、落下地点に底の見えない渓谷が待ち構えているのが見えた。
「ジュモ! 後ろは谷です‼︎」
「クソっ!
ジュモは、伸ばしたベルトを木の枝に巻き付け手繰り寄せ、なんとか崖際ギリギリのところで着地することができた。
「おいしっかりしろ!」
「ぎゅめっ!」
着地の際、肩から落ちたゼリルを引っ掴んで肩に乗せると、迫り来るオーガを再び睨む。
ずんずんと歩く様子を見るに、ジュモが与えたアキレス腱へのダメージは、既に回復したようだった。
「さて、こっからどうするかな。いっそ逃げるってのも得策だが――」
「背後の谷に突き落とす、というのはどうでしょう」
「よし、それ採用!」
ゼリルの鶴の一声で崖際までオーガを引きつけると、ジュモは再び背後に回り込もうとする。
すると、それに気づいたオーガもジュモに合わせて体を反転させジュモに向き直った。
「ちっ、魔物のくせに一丁前に学習しやがって」
「どうするのですか⁉︎」
「――不思議だよなあ、ゼリル。魔物ってのは体が闇だけでできてるのに、ヒト型なら急所も人と同じなんだからよ!」
そう言ってジュモは、今度はオーガの“足の小指”
へツルハシを振り下ろした。
「
『GAAAAAAAAAA‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎』
悶絶したオーガは、たまらず後ずさりし、再び一心不乱に拳を振り下ろし始めた。
「あともうひと押しです!」
「いいや、もう終わりだ」
「え?」
「こんな崖際で暴れたらどうなるか、簡単に想像できるだろ?」
すると、ミシミシという音とともに、オーガの立つ崖際の地面に亀裂が入り始めた。
「……! 地面が!」
ゼリルが驚くと同時に、オーガの立っていた地面がごっそりと崩れ落ちた。
「あばよ! 木偶の坊!」
『GAAAA‼︎‼︎』
落ちゆくオーガは最後の抵抗に、ジュモを道連れにしようと腕を伸ばした。
「今更捕まるかよ」
そう言って崖から離れるように跳んだ瞬間のことだった。
ジュモの体が、背後から掴まれ、空中で静止した。
「は?」
見ると、空中に留まっていたハーピィがジュモの背を掴んでいた。
そして、ハーピィはしっかりと崖の真上まで移動すると、足の指を開き、ジュモたちを奈落へ放り出した。
「「あっ」」
思わず漏れた二人の声がシンクロした。
「――あの鳥野郎‼︎‼︎ ちくしょう! こんなところでくたばってたまるかよ!」
「ジュモ、ベルトを!」
「分かってる!
ベルトの尾の先端がジャギン!と槍のように変形し、岩壁に向かって勢いよく打ち込まれるが、ジュモの体重に加え、落下の勢いが加わったことで、すぐに楔が外れてしまう。
「クソッ! 岩はダメか‼︎」
「岩でも、飛び出た箇所に巻きつければいけるのでは!」
「……! それでいく! ――――今だ‼︎
タイミングを測り、飛び出た岩へベルトを伸ばし、木の枝と同じ要領で巻き付ける。
「やりました!」
「このまま壁に取り付くぞ!」
ジュモはそのまま石壁に向かってスイングすると、ガントレットから爪を出し、壁へ食い込ませる準備を整えた。
――その時だ。
「ジュモ! また上からきます! ハーピィが三体!
」
「なにっ⁉︎」
ハーピィは半人半鳥の魔物である。それはつまり、まがりなりにも人間の半分程度の知能は持っているということだ。
ハーピィの放った空気弾は、今やジュモたちを一点で支えている飛び出た岩へ命中した。
「クソッタレが‼︎‼︎‼︎‼︎」
岩は容易く崩れ、ジュモたちは再び空中へ放り出された。
そして、再びベルトを放るだけの時間が無いのは、誰の目にも明らかだった。
「……こうなったら、せめてお前だけでも」
ジュモはゼリルを胸に抱え、自身の体をクッションにする体勢を取ろうとした。
「――諦めてはなりません‼︎」
だが、ゼリルはそれを一喝した。
「んなもんわかってる! けどこの状況で一体何を――」
「――祈りましょう」
ゼリルが、凛とした声色で言った。
――祈り。
それは尊ぶべき行為だが、この状況において直接的な解決策には成り得ない。
それ故に普段のジュモであれば「何ふざけてるんだ」と文句を言っていただろう。
だがどういうわけか、ジュモは今のゼリルに、有無を言わせない、どこか神秘的な印象を感じていた。
「……分かった。ただ諦めながら死ぬよりかは、いるかもわかんねぇ女神に祈るほうがよっぽどマシだ‼︎‼︎」
ジュモはヤケクソで目を瞑り、ゼリルを抱えながら慣れない手つきで手を組んだ。
――女神ニューリア。
二千年前の『
森で育ったジュモにとって、神だの教えだのと言うものは御伽話同然だった。
故に、ジュモが女神ニューリアへ祈りを捧げるのは、初めてのことだった。
だからだろうか。
ジュモたちが谷底に叩きつけられる瞬間――奇跡は起きた。
暗闇の中で、翠色の光が煌々と輝いたかと思うと、光は球体となり、ジュモの体を守るように包んだ。
そして、地面に追突することなくゆっくりと谷底に着地した。
いつまでもこない衝撃に、ジュモは恐る恐る目を開ける。
(助かった……のか?)
ジュモが光の球体を視認すると、球体はまるで役目を終えたとばかりに消えてしまった。
「なんだったんだ……?」
ジュモは、ゆっくりと立ち上がると、胸元で抱えたゼリルに語りかける。
「おいゼリル、なんだか分からんが俺たち助かったぞ!」
だが、待てども返事がない。
「ゼリル?」
ジュモは不審に思いゼリルの様子を伺うと、彼女の身に異変が起きていることに気づいた。
「な、ない……!」
「乳首の光が……ない……‼︎‼︎」
ゼリルの乳房の先端から放たれていた光は消え、今や光で隠れていた乳首が露わになっていた。
暗闇でよく見えないが、ジュモにとってそれは初めて見る、女性の乳首だった。
だが、ジュモは赤面している場合ではなかった。
「光が消える」、ジュモにとってその光景は、一つの命が消えることを連想させたからだ。
「おいゼリルしっかりしろ! おい! 死んでねぇよな!」
咄嗟にジュモは、ゼリルの胸に耳を当てた。
すると、とくんとくん、と確かな鼓動が伝わってきた。
「はぁ……心配させやがって……」
ジュモはようやく胸を撫で下ろすことができた。
「気を失ってるだけ、なのか……? ったく、おっぱいの診断なんてどうやってすりゃいいんだよ」
「おっぱいじゃぁ……ありません……」
するとゼリルはそんな寝言を呟いた。
「ま、これなら大丈夫そうか」
ところで、ジュモは一つ気になることがあった。
ジュモを守るように光る球体が現れたかと思えば、その消滅と同時にゼリルの光も消えていた。
「……ひょっとして、お前が守ってくれたのか?」
ジュモがぼやくように尋ねるが、ゼリルは寝息をたてるだけだった。
◇
「よっ……ほっ……よっ……はっ……」
あれから、ジュモはすぐに崖を登り始め、一時間以上が経とうとしていた。
そして、一定の間隔で聞こえてくるジュモの声に、ゼリルは目を覚ます。だがどういうわけか、ゼリルの視界は真っ暗だった。
「んん……」
「おっ、ようやく起きたか」
ジュモは両手両足で壁を登りながら、ゼリルに話かける。
「えーと……今どう言う状況ですか? 真っ暗で何も見えなくて……」
「……? そういやお前の目ってどこだよ」
尋ねると、ゼリルは恥じらうような様子を見せた。
「その……」
「あ?」
「視界情報は……ち、乳首の部分から……得ています……」
「は〜〜、なるほどな。そりゃ夜とは言え、何も見えねわけだ」
すると、ジュモは珍しくボタンをとめていたベストの胸元を捲り、“胸元にしまい込んでいた”ゼリルを露出させた。
「これで少しは見えるだろ?」
「あ、あなた! まさか自分の胸元に私をしまい込んでいたのですか⁉︎」
「しょうがねーだろ、背中に縛り付けたらもしお前が落ちた時に助けられねぇしよ」
断崖絶壁を登るためにジュモは両手を開ける必要があった。
そのためにはゼリルを胸元にしまうことが最適解だとジュモは判断したのだ。
――そして、ゼリルを胸元にしまったことで、あたかもジュモが巨乳……いや、爆乳の持ち主になっているかのような様相になっていた。
「けど、知らなかったぜ。……まさかおっぱいがデカいと自分の足元すらロクに見えないとはな」
ジュモが足元を見ようとすると、はちきれんばかりの
「は、はぁ……」
「でもまぁ、元気そうじゃねぇか。乳首もまた光ってるし」
「“また”とはどういうことです……? いえ、そもそも私たちはあの状況からどうやって助かったのですか?」
「覚えてねぇのか」
「……はい?」
「谷底に落ちる瞬間、俺たちを包むみたいに光の球体
が現れて助かったんだ。球の色がお前の乳首と同じミドリ色だったから、てっきりお前がやったんだと思っていたが……」
「光の球体……? すみません、覚えがありません」
「そうか、ならいい」
「それより、私の身を案じてくれるのは有り難いですが、私の収納場所はもう少し何とかならなかったのですか……?」
「俺だって他の方の方法を思いついていたらそうしてる」
「……確かに。不服ですが、この方法がベストだったと私も思います。……精々、ズボンの中に仕舞われるよりはよかったと考えることにします」
「ズボンか……、それは考えてなかったな」
「本当にやめてください‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
その後も売り言葉に買い言葉の喧騒を撒き散らしながら、ジュモはついに崖を登り切った。
「よっこい……しょ!」
ジュモは久しぶりに地に足をつけると、胸に収まったゼリルを地面へ放った。
「ぎゃ! ちょっと! もう少し優しく――」
「上、見てみろ」
二人が空を見上げると、長かった夜が明け、白番だ朝日が差し込みはじめるところだった。
「空が……!」
「ああ、夜明けだ――」
すると、ジュモ達のもとへ再び集まり始めていた魔物が、散り散りに逃げていく。
そして、日陰に入ることができず、日光を直接浴びた魔物は、一瞬にして消滅してしまった。
「魔物が、消えていく……。そうでした、彼らの弱点は光――」
「思い出したのか?」
「はい……といっても魔物のことを断片的に思い出した程度ですが……」
「そうか……詳しいことはわからねぇが、ともかくこれで落ち着いて話ができそうだ」
ジュモは、夜の騒ぎが嘘のように、魔物一体いなくなった平野を見渡しながら言った。
「――お前、これからどうするんだ?」
「どうする……ですか?」
「ああ。故郷に帰りたいなら帰郷の旅をするだろうし、
俺みたいに旅をしてるなら、目的地があるはずだろ?
何か覚えてないのか?」
「――そう、ですね。目的、と言ってよいのかはわかりませんが……」
ジュモの問いに、ゼリルは自信なさげに答えた。
「私は、どこかに行かなければならない。そんな気がしているのです」
「どこかって……どこだ?」
「それは……わかりません」
それを聞いたジュモは、「がはは!」と笑い出した。
「そんなことだろうと思ったぜ」
「な……! 何も笑うことはないじゃないですか!」
ジュモは「わりぃわりぃ」と謝るとゼリルを両手で持ち上げ、目を合わせた。
「――なあゼリル、俺と来ないか?」
「あなたと……ですか?」
「ああ。ビーストに乗って移動できるから、お前一人より何百倍も速く移動できるぞ」
「それはそうでしょうが……ジュモ、あなたにも旅の目的があるのでしょう? それを、私の宛てのない旅に巻き込む訳には……」
「そういやまだ言ってなかったな。俺は『聖都』を目指して旅をしてる」
「聖都?」
「聖都ってのはな……」
ジュモはしゃがむと指で地面にニューヴァリアの地図を描きはじめた。
海に囲まれたニューヴァリアの大地は、北に行くにつれ狭まっていく、
「で、俺が目指してるのはここだ」
ジュモは大陸の最も北、雫の頂点の部分をは指さした。
「このてっぺんの場所が聖都、なんですね」
「ああ。なんでも聖都には『聖女』がたくさんいて、『闇の国』の入り口を結界で塞いでるんだってさ」
「闇の国……」
「今でこそ、暗い場所から勝手に湧き出てくる魔物どもだが、元を辿れば闇の国からの侵略者だったらしい」
「そうなんですか?」
「大昔に『
「そうですか……つまり先の魔物たちは、いわば大戦がこの世界に残した傷跡、なんですね」
「ま、そういうことなんだろうな。なにより、肝心の闇の国そのものまでは滅ぼせなかった。だから今でも封印し続けてるんだとさ」
「それでは今、結界の向こうの闇の国は……?」
「……さあな。今もこっちに侵入してこようとしてるかもしれないし、案外魔神がいなくなったことで向こうも滅びてるかもしれねぇが……ま、考えるだけ無駄だな」
「そう、ですね。そう思うことにします。――ジュモは、そんな聖都をどうして目指そうと……?」
ジュモは少し間を開けると、ポーチからペンダントを取り出し、自身の首に巻きつけた。
「それは……ペンダント、ですか?」
ペンダントには、茶と黄色が混じり合った小さな鉱石が埋め込まれていた。
だが、鉱石は確かに綺麗な色合いをしているものの、決して、宝石と呼ばれるほどに価値があるものには見えなかった。
「俺はこいつを、パザラの妹に渡すために聖都に向かってる。普段はずっと首につけてるんだけどな、お前を胸に入れるのに外してたんだ」
「確か、パザラさんはあなたの育ての親、でしたよね? その妹へ渡すとなると、一体どんな理由で?」
「さあな。パザラは「聖都にいる妹に渡してくれ」としか言ってくれなかったんだ。それに、パザラが妹の話をするなんて、あの時の一度きりだったしな」
「……それが理由でジュモはこの危険な旅を?」
「馬鹿な旅ってのは自分でもわかってる。だけど、あれがパザラの最後の言葉だったんだ。叶えてやらないわけにはいかないだろ」
「今、なんと――」
ゼリルは自分の耳を疑い、咄嗟に聞き返してしまった。
だが、その軽率な行動をすぐに後悔することになった。
「――パザラはもう死んでる。半年も前にな」
そう言い放ったジュモの表情は、達観とも諦観とも取れるものだった。
「そんな……!」
「半年前まで俺は、大陸のずっと南にある森で暮らしてた。……だけど、人間の軍がいきなり攻めてきやがった」
ニューヴァリアの大陸は幾つもの国に分かれて統治されているが、それとは別に、決して人が立ち入ることを許されていない『禁足地』と呼ばれる森や川などの自然区域が存在する。
ジュモが住んでいた森もまた、禁足地だったが、ある時、隣国が攻め入ってきたのだ。
「やつらは領土拡大だの、なんだの言ってたが――パザラは、そんな身勝手な人間に殺されたんだ」
「ジュモ、それは――」
「パザラだけじゃねぇ。
ゼリルはようやく、ジュモが人間を嫌う理由を知った。
そしてそれは、十分すぎる理由だった。
「だから……あなたは人間を憎んでいるのですね」
「ああ、人間はクズの集まりだ。文句あるか?」
どうせ説教が始まるのだろうと思っていたジュモだったが、返ってきたのは意外な答えだった。
「――ありません」
「あ?」
「今のあなたが人間を憎んでいることは……あなたの身に起きた出来事を考えれば自然なことです。そのことを誰も非難する権利はありません」
「お、おう……」
「ジュモ、私を旅に連れて行ってください。私にとっては宛てのない旅ですが、今一つ、目的ができました」
そう言って、ゼリルは優しく“微笑んだ”。
どうしたっておっぱいな彼女だが、少なくともジュモには、そう見えたのだ。
「全ての人間が悪ではないと、あなたに少しずつ説いていくことにします」
「はっ、なんだやっぱり説教するんじゃねぇか」
ジュモは笑い飛ばした。
普段から、人間の話を持ち出されると不機嫌になるジュモだったが、今は不思議と嫌な気分ではなかった。
『人間嫌いの野生児テイマー』と、『正体不明のおっぱい』。
後に、世界の命運を左右することになる、奇天烈珍妙なコンビが誕生した瞬間だった。
「じゃ決まりだな。さて、とりあえずの目的地は――」
ジュモが言いかけたその時、ゼリルの乳首光が眩く輝きはじめた。
「きゃあっ!」
「うおっ! なんだぁ⁉︎」
光は、二人の視界を覆い尽くしたかと思うと、次の瞬間収束し、
「熱っ……くねぇ? むしろあったけぇ……? って、今度は一体何なんだよ!」
「――ジュモ、分かりました」
慌てふためくジュモとは反対に、ゼリルは落ち着き払った様子だった。
「あ?」
「この光が指し示す先に、私が目指すべき場所があるはずです」
「……本当かぁ? だってほら、こうやって方向を変えたら――」
「光線の方向を変えたら意味がないだろう」。そう思ったジュモはゼリルを持ち上げ、ゼリルを反対の方向へ向けようとすると――
「うおっ!」
ジュモの怪力をも上回る勢いで、ゼリルは勢いよく元の方角を指す方向に戻った。
――まるで、方位時針が北を指し続けるように。
勢いに振り回され、吹き飛ばされたジュモが地面に転がる。
「これで分かりましたか?」
「……ああ、まるで何か強ぇ力に引っ張られてるみてーだった」
「私も同じように感じました。きっと、この光は私を導く光なのです」
「となると、少なくともお前の目的地が真北の方角ってのはわかったな……。確か『ジラーマ』っつー人間の街があったはずだが……」
ジュモの露あまりに露骨な嫌そうな表情に、ゼリルはなんだか申し訳なくなった。
「その……無理に街に入らず、避けていただいても……」
「……ま、近づいたらその時また考えるさ。じゃ、よろしくな」
ゼリルの上に手を置くと、ジュモは無意識のうちに
「これは……テイムの光ですか?」
「ああ、いつもの癖でつい出しちまった。……まあテイムつっても、特に行動を縛ったりするわけじゃないから安心しな」
ジュモから飛び出た光が、普段のテイムと同じようにゼリルへと吸い寄せられていく。
だが、光はゼリルの体に吸い込まれることなく弾かれ、すぐに消えてしまった。
「あ?」
「ジュモ、どうかしましたか……?」
「いや、普通だったら光が体に吸い込まれて、そのままテイム完了ってことになるんだが……」
不思議に思ったジュモが一度
「消えてしまいますね」
「こんなの初めてだ…………なあお前本当にビーストか?」
「わ、私を助けてくれた時はビーストだって断言してくれたじゃなにですか! 今更疑うんですか⁉︎」
「わかったわかった、冗談だって! 初めてのことだから驚いただけだ」
「も、もう! 一緒に旅してくれるって話、断るなら今のうちですよ!」
その言葉に、ジュモは可笑しそうに笑った。
「バーカ、今更お前が何の聖物かとか関係あるかよ」
ジュモはゼリルを肩に乗せると北に向かって歩き出す。
こうして、一人と一房の旅路が幕を開けた。
なお、ジュモが寝床にした木にリュックを置き去りにしたことに気づいたのはこの直後のことである。
◇
「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」
ジュモは大柄なシカの
「さっきからため息ばかりついて……、聞かされるこっちの身にもなってくださいよ」
呆れたように返答するのは、ケリューディアーの首元に跨がった……もとい、へばりついているゼリルだ。
ケリューディアーが地面を蹴るたびに、その乳房がばるんばるんと盛大に揺れている。
「だってよ〜〜〜〜……」
ぼやくジュモの背には、相変わらずリュックが無いままだった。
――遡ること、一時間前。
ジュモは置き忘れたリュックを取りに、昨晩寝床にした木まで戻ったのだが――
「――リュックがねぇ‼︎」
木の上を見渡してみても、そこにリュックはなかった。
「本当にこの木で合ってるんですよね?」
ジュモの方に乗ったゼリルが尋ねた。
「それは間違いねぇ。でも一体誰が……」
ジュモは木を降りてあたりを見回していると、ついにリュックを盗んだ犯人の痕跡を見つけた。
「こいつは……なるほど、そうだったか」
「何か見つけたのですか?」
すると、ジュモは木の幹を指差した。
「この傷だ」
よく見れば木の幹には、ビーストが木を登った跡だろうか、小さな傷が一定間隔でついていた。
「これが……犯人の痕跡ですか?」
「ああ……そんで、これを辿れば……」
幹の傷を追っていくと、木の根本あたりに小さなビーストの足跡と、それからリュックを引きずっていったであろう跡が残っていた。
「人間のリュックを盗むビーストがいるなんて……」
「シーフラビットの仕業だな。あいつら、珍しいものを見るとすぐ盗んでっちまうんだ」
シーフラビット――二足歩行に進化したウサギのビーストで、その最たる特徴は、珍しい物を見つければ、それが何であろうと巣穴に持ち帰ってしまう手癖の悪さだ。
「では、この足跡を追いかければパックが見つかるわけですね」
「まあな。だけど、追いかけるのは辞めだ」
ジュモの大胆な提案に、ゼリルは驚いた。
「……いいのですか?」
「あいつらが物を盗っちまうのは本能だからな、人間が欲に眩んで盗むのとは訳が違う。……それに、この帰りの足跡を見てみろ」
ジュモにならって、ゼリルもよく観察をしてみると、確かに行き帰りで足跡に違いがあることに気づいた。
「帰りの足跡の方が地面が深く抉れている……?」
「そうだ。俺のバッグにゃ色んなもんが詰まってた。だから運ぶには、地面を蹴りながら相当踏ん張る必要があったはずだ」
「痕跡からそんなことまで……」
「長いこと
「ジュモ、あなたは本当にビーストを愛しているのですね」
「かもな」
――ということがあったのだが……
「自分でリュックを取り返さないと決めたのだから、もっと堂々としてなさい!」
「そうは言ってもよぉ、あのバッグには旅の途中でビーストからもらった物とか色々入ってたんだぜ? それとこれとは話が違うんだよぉ……」
ジュモは腹いせとばかりに無言でゼリルを揉みしだき始めた。
「あっ! こらっ! なんで私を揉むんですか!」
「いいじゃねぇか、減るもんでもねぇし」
「理由になってません!」
「改めて見ても……つーか触ってみても、やっぱ人間のおっぱいだよな……」
「やめてください! 私だってこの姿がおかしいことくらい分かってます! 水面に映る自分の姿を見て驚いたんですから!」
「ふーん、記憶がねぇとは言え、自分の姿に驚くってのもおかしな話だな。……つーか、この光も一体なんなんだ?」
ジュモは好奇心のままに、両手でゼリルの先端の光をつついた。
――すなわち、乳首をつついた。
「ひゃんっ‼︎」
「なっ……なんだよ妙な声だして!」
「あ、あなたこそ何考えてるんですか!」
「だって気になるだろうが! 触ったらどうなるのかとかよ!」
「信じられません! 次に同じことしたら許しませんからね!」
「ちぇっ、ケチなおっぱいだぜ……」
「なんですって⁉︎」
「はぁ……悪かったって……」
ジュモは、これ以上怒らせるのは後が面倒だと思い素直に謝ることにした。
「……それで?」
「あ?」
「それで、何か分かったんですか、私のちく……胸の光を触って」
「あー……いや……」
ジュモは気まずそうに目を逸らす。
「なんですか、分からなかったのならハッキリ言ってください」
「……おっぱいの部分と違って……ちょっとだけ固かった」
ゼリルは肌を真っ赤にして抗議した。
「あ、当たり前でしょう⁉︎」
ぷりおぷりと起こり続けるゼリルを見ていると、ふとジュモはあることを思い至った。
「――あ」
「今度は何を言いはじめるつもりですか⁉︎」
「いや、なんつーか……、思い出したんだけどよ、お前が気絶して光が消えてる間、魔物が襲ってこなかったんだよな」
「……? そうなんですか?」
「ああ。だからもしかしたら、その光が魔物を惹きつける原因なんじゃないかと思ってな。なあ、その光消せないのか?」
「消すってどうやって……」
「あー、気合いか感覚か……」
「つまりはとりあえず試してみろ、と」
ゼリルはため息をつくと、とりあえず光が出ている箇所へ、集中して意識を向けてみた。
「はあぁ…………!」
「おおー、なんか起きそうな感じだぞ」
「……! どうですか! 何か変わりましたか?」
「……いや」
勿論、特に何も起こらず、光も健在だった。
「参ったな。次の街まで丸一日以上は掛かる。このままじゃ今日の夜も魔物に追われ続ける羽目になるぞ」
「それは……困りますね」
「……光を消せないなら仕方ねぇ、かと言って何の策も打たないわけにはいかない、か」
◇
あれから数時間が経ち、草原には再び夜が訪れようとしていた。
「じゃ、包んでいくぞ」
「お、お願いします……」
そう言ってジュモはゼリルを切り株の上に乗せると、大きな葉っぱでくるみ始めた。
「本当にこれで魔物が襲ってこなくなるんですか……?」
「さあな。やってみてのお楽しみだ」
「光を消せないなら、包んで物理的に光を遮断してしまおう」というのが、ジュモたちが思いついた作戦だった。
「よし、こんなもんか」
ゼリルを何重にも葉で包むと、植物のツタを巻いてきゅっと縛る。
そして、そんなゼリルの姿を見てジュモは思った。
「なんか……本当に饅頭みたいだな……」
「(むごご! むごごごごご‼︎)」
すると、葉っぱの中からゼリルの抗議の声が聞こえてくる。
「わりぃ、何言ってるかわかんねぇわ」
『はあ、人を包んでおきながらこの仕打ち、あんまりです……』
「……お?」
今度はゼリルの声がはっきりと聞こえた。それも、他のビーストと会話する時のように念話で。
「なあ、念じるみたいにして、もっかい喋ってくれ」
『念じるって……。何だか、さっきからずっと無茶ばかり頼まれている気がします……』
その声はやはり、ジュモにはっきりと届いた。
「おお……! お前念話もできるのか」
『念話……? ひょっとして、今私の声が聞こえているのですか?』
「ああ、バッチリ聞こえてるぜ」
「それは……不思議ですね」
「まだ色々気になるところはあるが、とにかくこれでで今晩の準備は整ったな」
ジュモは、葉に包まれたゼリルに肩紐をつけて背負うと、あらかじめテイムしておいた馬のビースト、ヘイスティホースに跨った。
この馬は、通常時の速度はイマイチだが、とにかく逃げ足の速さに定評があり、魔物から逃げるのに持ってこいの種だった。
「じゃ、作戦開始だ」
それからすぐに夕日がすぐに沈みきり、魔物の蔓延る夜が幕を開けた。
◇
「失敗じゃないですかあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
――作戦は失敗であった。
「俺に聞くなあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
阿鼻叫喚の状況が示す通り、ジュモ達は今日も魔物の大群に追われることとなっていた。
「なんであいつらゼリルに気づけるんだよ‼︎‼︎‼︎‼︎」
「全身を包んでなお光の遮断が不十分だった、もしくは私が狙われることと光の見える見えないに因果関係はなかったということではないでしょうかあああああああ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「この状況の中冷静な分析ありがとうよ‼︎‼︎ 頼むヘイスティホース‼︎ 全速力だ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
『ブルヒヒヒヒャーーーン‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎(言ワレ無クテモ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎)』
この瞬間、ジュモとヘイスティホースの思いが心の底から一致したことによりテイムによる能力上昇が上乗せされ、ヘイスティホースは魔物という魔物を引き離しながら走り抜いた。
そして、二人と一頭の体力が底を尽きる頃、ようやくまた、朝が来た。
◇
わずかばかりの仮眠を取った後、ジュモとゼリルは旅を再開した。
なお、ヘイスティホースはその後すぐにジュモたちの元からも逃げ出してしまったので、現在乗っているのは、背中に大きなコブが一つついたヤギ、『ハンプゴート』だ。
「ひどぇ夜だった……」
「それはこっちのセリフですよ……」
「お前だって俺の作戦に賛同してただろうが」
「それは……そうですが」
「……夜になるたびあの調子じゃ命がいくつあっても足りなねぇ。幸い今日中には街に着くから一旦大丈夫だろうが、街で何か解決策を考えねぇとな」
ジュモは街でするべき事に思考を巡らせていると、あることに気づいた。
「あーーー‼︎‼︎‼︎‼︎」
「ど、どうしました⁉︎」
「ギルドカードがねえ‼︎ リュックの中に入れっぱなしだった……‼︎‼︎」
「は、はい? ギルドカード、ですか……?」
その聞き馴染みのない響きに、ゼリルは首を傾げた。
「ギルドカードってのは……そうだな、ゼリル冒険者ってわかるか?」
「冒険者、ですか……?」
「やっぱそこから説明しなきゃだよな……」
ジュモは「どっから説明したもんかな」とぼやいた。
「えーと、ニューヴァリアには魔物を狩って金を稼ぐ『冒険者』って仕事があってな、冒険者になるには『冒険者ギルド』に入る必要があるんだ」
「……とすると、ひょっとしてギルドカードは、自身がギルドに所属していることを証明するための証、というところですか?」
ジュモの言わんとする事をすぐさま理解したゼリルに、ジュモは驚いた。
「……よく今の話でわかったな。話が早くて助かるぜ」
「……確かに、証明証を失くしたというのは大変な話ですね。今のジュモは冒険者として活動することができないということでしょう?」
「一応な。ま、正直それはどうでもいいんだ。ほとんど人間の街なんか行かねぇから活動もなにもあったもんじゃねぇしな。……問題なのは、街に入るための金が圧倒的に足りねぇってことだ」
「なるほど……つまりギルドカードの有無で、街に入るのに掛かる金額が異なる、ということですね」
「お前の言う通りだ。ギルドカードがありゃ街に入るのに金は掛からねぇ。だがカードがねぇと金が掛かる。」
「そしてジュモはお金をほとんど持っていない。そうですね?」
「そういうこった」
ジュモがウエストポーチを漁ると、底の方からようやく出てきたのは数枚の銅貨だった。
「これは……決して高額では、なさそうですね」
「金の価値に疎いから何ともいえねぇが、たぶん一食飯が食えるか食えないか、だな」
「なるほど、街に入るのにどのくらいの金額が必要かは分かりませんが、何か街に入るための策が必要というわけですね」
「そういうこった。さて、どうしたもんかな」
すると、ジュモはすぐに何かを思いついたようだった。だがその表情は、明らかに悪だくみをしている様子だった。
「お前の特性を利用して、一丁案を一つ思いついたぜ」
「特性って……ひょっとして魔物を引き寄せてしまうことを言ってますか?」
「ああ。まず適当な商人か何かの馬車を見つけて「今夜お前は魔物に襲われる。死にたくなければ俺を護衛につけろ」って言ってやるんだ」
ゼリルは、もうここまで聞いた時点で嫌な予感しかしなかった。
「一度は断られるかもしれねぇが、夜になりゃお前に釣られて大量の魔物が押し寄せてくる。そうなったら商人は俺たちを雇うしかなくなって、金が貰えるって寸法だ」
「却下です」
「なんでだよ」
「関係ない他人を意図して危険に巻き込む案だからですよ‼︎‼︎」
「それでも、俺たちを追ってきた魔物を商人になすりつけて襲わせるって案よりはまともだと思うんだがなあ」
「そんなことまで考えていたのですか⁉︎ まったくあなたと言う人は! いいですか! 人間もビーストも等しく
「やべっ」
道中、すでにジュモはゼリルからお説教をくらっていたジュモだったが、今回は今までにも増して長引きそうだと悟った。
その予感は正しく、ジュモのゼリルは数十分にも及んだ。
「――――はあ、じゃあどうやって街に入ればいいんだよ」
耳にタコができるほど説教を聞かされ、へとへとになったジュモが尋ねる。
「単純に“商人に物を売る”というやりかたでは駄目なのですか?」
ジュモは目からウロコが落ちたようだった。
「……その手があったか」
「真っ先に思いつくべき手段だとは思いますが……」
「しょうがねぇだろ。人間と関わらなきゃいけねぇ手段なんざもはや無意識に避けてるんだから」
「そう言われると弱いですね……」
「それよか、売るっつっても何売ればいいんだ? 知っての通り俺は今、何にも持ってねぇぞ」
「そうですね……ジュモ、ビーストに木の実などを採ってきてもらうことは可能ですか?」
「ああ、お手のもんだ」
「では、道中それを集めて売るというのはどうでしょう」
「地道な事この上ないが、他に策もなさそうだしそれでいくか。ただし、ビーストが食料を採り尽くさない程度にな」
「馬鹿な事言わないでください。そんなの当たり前でしょう?」
(その馬鹿が大勢いるのが人間なんだがな)
ジュモは思ったが、これをゼリルに話せばまた面倒なことになりそうだったので、口を噤んでおいた。
◇
ゼリルの案通りジュモ達は街までの道中、ビーストの力を借りながら薬草や果実を集めていった。
その甲斐もあって、ジュモが植物のツルで作った即成のカゴの中には、それらがぎっしりと詰め込まれていた。
そして、この旅路も一旦の区切りが近いようだった。
「みろ、街道だ」
ずっと道なき道を進んできたジュモたちの目の前に、石畳で舗装された道が見えてきた。
「このまま道なりに進んでいけば街につく、ということですよね?」
「そういうこった。……ん? あれ、商人の馬車じゃねぇか?」
街道に差し掛かると、ジュモは前方に荷馬車を見つけた。
「どうでしょう、ここからだと遠すぎて何とも……」
「ま、聞いてみりゃわかることだ」
そう言ってジュモはハンプゴートを走らせると、先行していた馬車に横付けした。
近づいても荷馬車の中身は分からなかったが、馬車の手綱を握っていたのは、顎鬚を蓄えた体格のいい男だった。
「いいですかジュモ、コミュニケーションは穏便に――」
「おいテメェ!」
ゼリルの静止も聞かず、ジュモは男を睨みつけた。
「ヒッ! な、なんだ! 盗賊か‼︎」
「あ? 誰が盗賊だ! あんな奴らと一緒にすんじゃねぇ‼︎‼︎」
ゼリルにとって想定外だったのは、ジュモが予想以上に人間とのコミュニケーションの取り方が下手だったこと。そして――。
「こらジュモ、やめなさい! すみません、私たち実は取引を――」
「うわぁ! おっぱいがしゃべった‼︎‼︎‼︎‼︎」
動揺した男が手綱を無理に引っ張ると、混乱した馬は激しくいなないて、街道から外れ明後日の方向へと走りだしてしまった。
「あんな話し掛け方をするなんて、何考えてるんんですか!」
「俺のせいにするな! おっぱいが急に喋ったら普通ああなるだろうが‼︎ ――それよりマズい、あっちは川だ‼︎」
「……! とにかく今は追いかけてください!」
「分かってる! 人間は勝手に助かるだろうがあの荷物じゃ馬の命が危ねぇ!」
みるみるうちに暴走する馬車は川岸へと近づいていく。
「間に合え‼︎‼︎‼︎」
ジュモのテイムによって身体能力が上昇しているハンプゴートは、着実に馬車との距離を詰めていく。
「うわあああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」
もはや水面が目の前まで迫り、男は目を瞑った。
「ジュモ、間に合いません‼︎‼︎‼︎」
「間に合わせるんだよ‼︎‼︎‼︎」
ジュモはハンプゴートの背を蹴って跳躍すると、暴走する馬車の前へ滑り込むように回り込んだ。
「止まりやがれえぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎‼︎」
叫ぶと同時にジュモから
ようやく理性を取り戻した馬は必死にブレーキを掛けるが、間に合わないことは明白だった。
「俺が止めてやるから安心しろ! 大樹象の足棘《エレファントスパイク》‼︎」
すると、レガースの足裏からスパイクが迫り出し、足を地面へ固定させた。
そしてジュモは、馬車を止めようと両手を突き出した。
「うぎぎぎぎぎぎ……!」
それでもなお、馬車の勢いの押されてジュモは後ろに押し込まれたが、すんでのところで馬車を止めることができた。
あまりに突然の出来事に口をパクパクと開け閉めする男を傍目にジュモは額の汗を拭う。
「っぶねぇ…………‼︎」
「ジュモ、大丈夫ですか……!」
そして、ハンプゴートに乗ったままのゼリルも、後からジュモに追いついてきた。
これに驚いたのは、やはり男だった。
「ほ、本当におっぱいが喋ってる……」
喋るおっぱいが現実のものだと理解した男は、崩れ落ちるように馬から降りた。
「あ、あんたら何もんだ……一体何が目的なんだ……」
「あんた商人か」
「あ、ああ……」
「はあ……ったくこれでようやく話が進むな――俺たちは、あんたに物を売りたい」
「……は?」
◇
街道の脇にまで戻った一行は、改めて顔を合わせていた。
「――ったく、こっちは大事な取引が控えてるってのにヒヤヒヤさせやがって……」
ジュモたちへ不満を漏らす商人の男だったが、その視線はちらちらとゼリルへ向いていた。
「で、結局その喋るおっぱいは一体なんなんだ」
「おっぱ……まあいいでしょう。私のことは珍しいビーストと思っておいていただければ構いません」
この返答はジュモたちが事前に、ゼリルの素性について尋ねれられた場合の返答として考えていたものだった。
「ビーストって……一体なんのビーストだっていうんだ?」
「さあな。でもテイムできたんだからビーストだろ?」
もちろんテイムができたというのも、もちろん嘘である。
ゼリルはこの嘘を用いることを嫌がったが、こうでも言わなければ、「喋るおっぱい」というあまりに異端な存在に納得してもらうことは不可能だろう。
それに、ジュモとゼリルの流暢な意思疎通は、既に一般的なテイマーとビーストの関係以上のものだ。
そのため、あながち嘘でもない。
「……つまり、兄ちゃんテイマーか?」
「ああ、そうだ」
すると、商人はニヤリと笑みを浮かべた。
「そういうことなら話は早い。まずはその売りたいものとやらを見せてくれ」
ジュモたちが幸運だったのは、この商人が生粋の珍品好きのギャンブラー気質であり、そしてジュモたちの物珍しさを感じ取ったことだ。
そうでなければ、素性の全く分からないジュモたちとは、取引にすら応じなかっただろう。
「こいつだ」
ジュモは背中の籠を下ろすと、道中で採ったその中身を見せた。
「ふむ……。どれもこの辺りで採れるもんではあるが、質がいいな。全部合わせて四千リアってところだ」
「街に入るにはいくら必要だ?」
「そうか、そのために金が必要なわけか。だがあいにく、通行料は五万リアだ」
「全然足りねぇじゃねぇか。もっと高く買い取れねぇのか?」
「ジュモ、無理を言ってはいけません」
「おっぱいにしちゃ、話がわかるじゃねぇか。そこらの商人じゃ難癖つけてもっと安く買い叩いてるところだ。適正価格で交渉に応じてやってるだけでも有り難く思って欲しいね」
「へいへい……」
「そんな珍妙なビースト連れてるくらいだ。もっと珍しいもん持ってるんじゃないのか? それこそビーストの毛皮やら“鱗”やら」
「鱗……、そうですジュモ! ドラゴンから鱗を貰ったと話していたじゃないですか!」
それを聞いた商人は見事に食いついた。
「本当か⁉︎ だとしたら、どんなに小型のものでも最低数万リラの価値はあるぞ!」
「鱗か……」
ジュモはポーチから、フォレストドラゴンからもらった鱗を取り出した。
すると、商人はさらに興奮した様子で身を乗り出した。
「そ、そいつはフォレストドラゴンの鱗じゃねぇか‼︎そうそう、そういうのを待ってたんだよ! さあ交渉をはじめようじゃねぇか。そいつなら五万どころか、五十万リラは出すぜ」
「……! やったじゃないですか!」
だが、ジュモは首を横に振った。
「――いや駄目だ」
「どうしてだ!」「どうしてですか?」と、商人とゼリルの声が重なった。
「こいつは汚ねぇ金に換えるためにもらったもんじゃねぇ」
「ジュモ、汚いだなんて。貨幣での取引は人間の立派な文化じゃないですか」
「駄目だ」
ゼリルとジュモには、金――つまり貨幣への価値観に大きな隔たりがあった。
ゼリルは、ビーストも人間も等しく尊重しているため、貨幣も人間が生み出した興味深い文化の一つであり、それ故に、不当な取引でなければ、売買することについて抵抗はなかった。
だがジュモにとって、ビーストとの交流の末に貰ったものは、最も尊いものであり、そして貨幣――自身の嫌う人間が生み出した文化には大きな嫌悪感があった。
「おっぱいの嬢ちゃん、諦めな。それなりに長いことこの商売やってる俺にはわかる。こいつは、絶対に売らないって目をしてやがる。……そんなわけで、取引はおしまいだ。珍しいもん見せてもらった例に、色つけて五千リアで買い取ってやる」
商人は銀貨を五枚取り出してゼリルの上に乗せてやると、ジュモから引き取ったカゴを馬車に載せた。
「……しかたねぇ。あんまりこういう事はやりたくなかったが……」
「ジュモ、どうしましたか?」
「俺が今からやることについて、説教なら後にしてくれよ」
「え……?」
戸惑うゼリルを余所に、ジュモは馬車に乗り込もうとする商人の背中に声を掛けた
「待てよ」
「なんだ? もう取引は終わって――」
「あんた、結婚してるよな」
「ん? ああ、これのことか。だがそれがどうかしたか?」
そう言って出された、男の左手の薬指には、指輪が
嵌められていた。
「いいや? ただちょっと疑問に思っただけだ。“浮気なんかして大丈夫なのか?“って。それともこういう場合、不倫っていうんだったか」
「あ……?」
ジュモ商人は当然、怪訝な顔をした。
「五万リア。くれるってならあんたの嫁にチクるのはやめといてやる」
それを聞いた商人は笑いはじめた。
「おいおい坊主、まさかそれが脅しのつもりか? だがカマかけってのはもっと巧くやらなくちゃぁ成功しないぜ?」
商人は、交渉経験の無さが滲み出るジュモの脅しを、でたらめな子供のイタズラとして捉えていた。
「――嫁の名前はミシュア。不倫相手はジェロニカ。どっちもラージェスって街に住んでいる。……あってるな?」
「ジュモまさか……!」
そして、ジュモの問いの正否は、一瞬にして顔面蒼白となった商人の顔色が物語っていた。
そう。ジュモが話した内容は全て事実だったのだ。
「お、お前……どこでそれを」
「聞いたのさ」
ジュモは顎で手綱に繋がれた二頭の馬を指した。
「あの二頭、随分賢いんだな。あんたの周りの人間関係なんか、ちゃんと理解してるみたいだぜ」
「あいつらの声が聞こえるってのか……? じょ、冗談はよせ」
「さあな。そうそうあいつらは「不倫相手に会いに行く時は香水の匂いがキツイ」とも言ってたぜ、商人のグルゼさんよ」
商人――グルゼは開いた口が塞がらなかった。
(……百歩譲って、探偵通して俺の事を調べていたんならまだわかる。……だが、ビーストから直接話を聞いただって……? だが、思い返してみれば、
「あんたがどう捉えるのかは自由だが。俺たちは宛のない旅をしてるんだ。次の旅先をあんたの家がある街にしたっていいんだぜ?」
すると、グルゼは両手を上に挙げた。
「はあ、分かった、降参だ。……ビーストの声が聞こえるなんてにわかには信じ難いが、五万リアで済むなら安いもんだよ」
グルゼはくたびれた様子で、今度は金貨を五枚取り出してジュモへ渡した。
「どーも」
「……これで義理は果たしたからな」
今度こそグルゼが馬車に戻ろうとした。
「待った」
「今度はなんだ、勘弁してくれ……」
「……詫びってわけじゃないが、教えておいてやる。右の馬、最近後ろの右脚が痛むらしい。診てやってくれ」
「なんだって……?」
「いいか、絶対だぞ」
「……分かった」
するとグルゼは荷馬車から何かを取り出し、ジュモに向かって放り投げた。
「これは、リュックか?」
それは、既に使い込まれた革製のリュックだった。
「無いと何かと不便だろう。俺のお古だが、使い勝手は悪くないはずだ」
グルゼはそれだけ言うと、振り返らずに馬車を進め去っていった。
ジュモたちが後ろに見えなくなるとグルゼは思わずため息をついた。
「ったく、あんなデタラメな奴らに弱みを握られるとはな」
そして、「街へ入ったらまずは馬の脚を見てもらおう」と、心に決めたのだった。
◇
ジュモたちはハンプゴートのテイムから解き放ったあと、街道を歩いていた。
こころなしか、ゼリルの機嫌は良さそうだった。
「なんだ、今回は説教はねぇのか?」
「……? そんなにしてほしいですか?」
「……言うんじゃなかったな」
「まあ、あれは妻を娶りながら他の女性とも関係を持っていた彼に非がありますから。……それに私自身もあなたの、ドラゴンから譲ってもらった鱗を手放すまいとした気持ちを軽んじていた部分がありましたし……」
ゼリルはどうやら、そのことを気に病んでいる様子だった。
「お前がそんな調子だと、変な感じだなぁ……」
「私がしおらしいのがそんなに面白いですか……⁉︎」
「……まああれだ、気にすんなよ」
「そういえば、あの馬たちは大丈夫でしょうか?」
「お前が何の心配をしてるのかは分からないが、少なくともあいつはあの馬たちを大事にしてる様子だった
、問題ないだろう」
「……? 川岸から引き返す最中の馬たちの会話は私も聞いていましたが、彼の馬たちの扱いなんて。よく分かりましたね」
「まあな。単純に毛並みがよかったし、
「……! ああ、今合点が行きました! “彼女たち”は、嫉妬していたんですね」
「ああ。ビーストだって案外、あれこれ考えているもんだ」
〈第三節 ジラーマの街〉[#「〈第三節 ジラーマの街〉」は中見出し]
通行料を手に入れたジュモたちは無事にジラーマの街に入ることができた。
ゼリルを不審に思った衛兵とジュモが口論になるという一悶着があったものの、概ね無事である。
「見てくださいジュモ! 人々が活気付いていますよ!」
「うげぇ……やっぱり街は人が多すぎて嫌になってくるな……お前はよくそこまではしゃげるな」
「あたりまえじゃないですか! 建物も、服装も、市場も! 全て初めてみるんですから!」
街に入ったジュモたちはその人の多さに圧倒されていた。
尤も、初めて見る街の様子に目を輝かせるゼリルに対し、ジュモはひたすらげんなりしているという、対象的な状況ではあるが。
――このニューヴァリアでは、闇の国に近いほど。即ち、北に行けば行くほど強力な
そのため、南部に位置し東西の中心にあるジラーマは、多くの旅人や商人が訪れる貿易街として発達していた。
「ジュモ! ひょっとして、あれは市場ですか⁉︎」
街を少し歩くと、より一層人の密度が高い区域があり、見れば布張りの屋根の露店が所狭しと並び、そこらじゅうで売り声が飛び交っていた。
「……まさか、あそこに見に行きたいなんていい出すんじゃねぇだろうな……」
「はい! ぜひ見に行きたいです!」
「うっ……」
ゼリルのあまりにまっすぐな好奇心に負けたジュモは、結局渋々露天へと向かった。
「ジュモあれは……」
ゼリルが真っ先に興味を持ったのは、髪飾りやブローチ、指輪などの装飾品が売られている店だった。
「すみません! この装飾品は、何の素材でできてるのですか?」
「ああ、こいつはシーライトって、ここらで採れる鉱石を加工した――」
店主は説明しながら顔を上げると、おっぱいと目があった。
「……うわあ! おっぱいが喋ってる!」
「なるほど、ではこれは……?」
その信じ難い光景に店主は目を擦る。
「おい、だからおっぱいが急に喋り出したらビビるっていってるだろうが」
「に、兄ちゃん、そいつは一体」
「ああ、こいつは……俺がテイムしたビーストだ」
「いや、そんなビースト見たことも聞いたことも……」
「ビーストだ」
頑なに意見を変えないジュモに、店主はこれ以上踏み込むのを辞めた。同時に、おっぱいがしゃべっているという事実についても、考えるのをやめた。
「は、はあ、わかった。なんだかわからねぇが欲しいもんがあるならとっとと買っていきな。面倒ごとは御免だ」
「ではその髪飾りを……」
「どこにもつけるとこねーだろうが。馬鹿なこと言ってないでさっさと行くぞ」
「ああ! もっと色々なものを見たかったのに!」
ジュモは珍しく駄々をこねるゼリルを肩に押し付け、引きずるように露店を後にした。
すると、ジュモたちの周囲が次第にざわつき始めた。
当たり前だ。上半身はベスト一丁の半裸男がおっぱいを肩に乗せて連れ歩いているのだから。
「ったく、お前を連れ歩いてたら目立つったらありゃしねぇ。こんな街さっさとおさらばしたいが……なあゼリル、この街について何か変化はあったか?」
この街に訪れた目的はそもそも、ゼリルが放った光線がこの街の方向を示したからであり、用が済めばとっとと出ていってしまいたいというのがジュモの本音だった。
「そういえば……特に変わったことはありませんね……」
「あれだけ派手な光線出しといてそれかぁ、しかも乳首から」
「あー! 言いましたね! 言ってはいけないことを‼︎」
「なんだよ、だって事実じゃねぇか」
「第一、出したくて出したわけではありません! この体が勝手に出したんです‼︎」
「もう一度確かめようにも、その光線もあれから出なくなっちまうし、どうしたもんかねぇ」
街に来るまでの道中、ジュモたちはもう一度光線が出るかどうか試したのだが、光線は出ないどころか、その予兆すらなかった。
「私の件は後回しにして、まずはギルドカードの再発行、でしたっけ。そちらの件を済ませてしまってはいかがでしょうか」
「だな。じゃあまずはギルドを探さねぇと。今回みたいに街に入るまでにごたごたするのは御免だからな」
「――ジュモ、なんでしょう、門の方が何やら騒がしいような……」
「道を開けてくれ‼︎‼︎‼︎‼︎」
声を上げながら現れたのは、防具を身にまとった三人の冒険者たちだった。
そのうち二人が、真ん中の冒険者を肩で支えており、
中央の冒険者は、生気を失ったような青白い顔色でぐったりとうなだれていた。
「ぐっ、あぁ……」
「しっかりしろ! 教会までもう少しだ。すぐに聖女様に治してもらえる‼︎」
冒険者たちが側を通り過ぎると、ゼリルはジュモに尋ねた。
「あの方……負傷していたみたいですが……」
「あれは多分、毒だな……」
すると、答え合わせをするかのように、隣に立っていた男が、「また冒険者が毒にやられたか……」と声を漏らした。
「ひょっとして、ああいうことは、頻繁にあるのですか?」
彼をこの街の事情に詳しいと見たゼリルが、話しかける。
得体の知らないおっぱいが話しかけてきたことで男はぎょっとしたが、事情が深刻なこともあってか、ゼリルへの疑問をぐっと飲み込んで話し始めた。
「ジラーマの周辺には危険な魔物は湧かないはずだったんだが、最近になって毒を持つ魔物が大量に湧くようになったんだ。その結果、解毒ポーションの需要の高まりに合わせて値段も急激に跳ね上がってな。貧乏な冒険者は、ああやって担いで帰ってきて聖女様を頼るしかないんだ」
「そんな……」
「こんな有様だから、治療は聖女様に頼りっきりで随分負担を掛けているらしい」
「聖女というと、確か街ごとに派遣されている『聖術』使いの女性、でしたよね。教会での治療は、金銭を要求しないのですか?」
「ああ。教会は寄付と税で成り立ってるから直接金はかからねぇ。今の聖女、ヒルナ様が派遣されてきたのは数年前だが、みんな感謝してる。なにより、美人だしな」
「――湧き出す魔物の種類が変わるなんて妙だな」
神妙な面持ちでジュモが呟く。
「ええ、そうですね」
出現する魔物の種類が特定の地域の中で変動するのは極めて稀なケースであり、それには何らかの原因が存在するというのが定説だった。
「急に毒の魔物が増え出した理由について、教会とギルドが協力して原因を探っているんだが、どうも行き詰まっているらしい。この街にはあまり強い冒険者がいないからな……」
「そうですか……」
「ギルド……そうだ、この街のギルドはどこにある?」
「ああ、やっぱりあんたも冒険者か。ギルドなら、この通りを真っ直ぐ行って右曲がったところだが……」
「ありがとな」
それを聞くなり、ジュモはその場を後にしようとした。
「ちょ、ちょっとジュモ! すみません! ご丁寧に対応いただきありがとうございましたーー!」
「あっ、ちょっと君! 少しでいいからそのおっぱいを揉ませてくれないか……⁉︎」
あっと言う間に去りゆくジュモたちにその願いは届かず、雑踏に紛れて消えてしまった。
「な、何だったんだ…………」
呆然とする男に話しかける影があった。
「ねぇ、今ここに……そうだな、“存在感のある人”ってこなかった?」
振り返り、声の主に気づいた男はまた仰天した。
「あ、あなたは‼︎‼︎ ……実は先ほど、おっぱいを連れ歩く半裸の男が――――」
◇
ジュモたちは男の案内に従って、ギルドへと向かっていた。
「ジュモ、親切にしていただいたのなら、お礼はちゃんといいなさい!」
「へいへい、わかりましたよ……」
「なんですかその返事は!」
「うるせー。それよりお前、どう考えても目立ちすぎだ。どいつもこいつもビビってるぞ」
「い、いえまさか、そんなはずは……」
ジュモは肩に乗ったゼリルを掴むと、隣を通りがかった男に向かって突き出した。
「うわあぁ! なんだそのおっぱい‼︎‼︎‼︎」
男が逃げていくと、ジュモは再びゼリルを肩に乗せた。
「――な?」
「……今のはいきなりあんな行動をしたジュモに否があるような気もしますが……。いえ、それでも私の異質さは異様ですよね」
「ま、おっぱいだしな。……あれ、ギルドじゃねぇか?」
見えてきたのは、他の建物の数倍の大きさの建物――冒険者ギルドだった。
「……お前肩に乗せてたらまた面倒ごとになりそう だし、しばらくリュックの中に入ってろ」
ジュモは背に手を伸ばして、背負っていた、商人グルゼから貰ったリュックのの口を開けた。
「……そうですね。入るには少々不清潔なのが気になりますが、致し方ありません」
そしてゼリルはリュックの中へと飛び込んだ。
「中はどうだー?」
『うぇぇ……なんか色々な匂いが混ざって少々不快です……』
「そうかー、ちっと我慢しといてくれ。後で洗うなり香草を詰めるなりすりゃ少しはマシになるだろ」
「はい……」
巨大な木製の扉を引いてギルドへ入ると、ジュモは騒々しい喧騒に、早速顔を顰めた。
室内では、武具を身に着けた冒険者たちが所狭しと集まっており、笑い声を響かせ会話に勤しむ者、食器を打ち鳴らして飯を喰う者、ジョッキを掲げて酒を飲む者。それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
『随分賑やかなんですね……。あの奥にある、たくさん紙が貼られたボードは一体?』
「ああ、ありゃ……待て、お前今見えてるのか?」
『確かに、不思議ですね……。どうやらジュモの視界が共有されているみたいです』
「なるほど……、こういう時は便利だが、一体どういう原理だ?」
「さあ……私にはなんとも……」
「そうだった、お前何にも覚えてないんだったな。……ありゃクエストボードだ」
「クエストボード?」
ジュモはクエストボードと呼んだ、隅に置かれた掲示板を見上げると、その視界はゼリルにも共有される。
「ええと、『ゴブリンの討伐』に『コボルトの討伐』、こっちは『カリア草の採取』……これは“依頼”でしょうか……」
「ああ。書かれた依頼を達成できたら、金が貰える仕組み……だったはずだ」
『なんですか、はっきりしないですね……』
「しょうがねぇだろ、依頼なんて受けたことないんだから」
『そうなんですか?』
「金なんて滅多に使わないからな」
『ああ、そうでしたね。なるほど、報酬用意することで積極的に魔物を狩ってもらえる仕組みですか。ですが、それでは依頼外の魔物は放置されてしまうのではないですか?』
「あっ、そういや……」
ジュモは思い出したかのように、ポーチから卵くらいの大きさの丸い結晶を取り出した。
なにより異質だったのは、その結晶は隅々まで真黒に染まりきっていることだった。
『なっ! なんですかその闇の塊のような結晶は! 捨ててきなさい!』
「そう焦んなよ。この結晶は倒した魔物から出た闇を吸い込んでくれるんだ。だからこうなってる」
「な、なるほど……」
「確か、これを窓口に持ってくと、集めた闇の量に応じて金がもらえるんだ。ま、今金なんか渡されても邪魔になるだけだ、必要になったら持っていく。……ともあれ、まずはギルドカードだ」
ジュモが受付嬢に事情を話すと、ギルドカードの再発行はどうやら二階で行なっているようだった。
早速二階に上がると、二階は、開けた間取りとなっていた一階とは異なり、受付のある待合室からいくつかの部屋へと繋がっている作りのようだった。
受付近の椅子には、真新しい軽装備の少年少女といった、初めてギルドカードを取得するであろう面々から、歴戦の荒くれ者のような風貌の者までいる。こちらはおそらくジュモと同じように再取得する者だろう。
ジュモは足早に窓口へ向かうと、黒髪に眼鏡を掛けた受付嬢に話しかける。
「なあ、ギルドカード作り直したいんだけど」
『ジュモ! 敬語!』
「ですけど…………」
ゼリルの抗議を無視するとあとが面倒なので、ジュモは素直に訂正することにした。
「は、はい。ギルドカードの再発行ですね。まずはお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ジュモ。ジュモ・オレンジバックだ」
オレンジバック――元を辿ればサルの一種であるその名前に彼女はキョトンとした。
「オレンジバック様……でよろしいですね?」
「長いからジュモでいい」
「……ではジュモ様、過去に当ギルドでカードを発行されたことはありますでしょうか?」
「ねぇ……ですけど、それが何か変わる……んですか?」
「当ギルドでの発行履歴がある場合はすぐにギルドカードの再発行ができるのですが、そうでない場合は再発行試験を受けていただくことになります」
『発行試験……?』
「試験だあ……? あの面倒なのをもっかい受けなきゃならねぇのかよ……です」
ジュモは旅を始めた一年前、ギルドカードを初めて取得する際にも試験を受けていた。
その内容は、冒険者に関する数日間に渡っての講義のほか、パーティを組んでの実地試験などもあり、今よりも人間への忌避感が強く、文化にも疎かったジュモは相当に苦労した。
「今回は初取得ではなく再発行ですので、ジュモ様に受けていただくのは一日間の実地試験となります」
「一日くらいならまあ、仕方ねぇか……。どっちにせよ面倒だけどな」
ぼやくジュモに受付嬢は苦笑いだ。
「かしこまりました。申請はお一人でしょうか?」
「ああ」
「そうしますと、本試験は三人で受けていただく試験のため、他の受験者と合同で行っていただくこととなりますがよろしいですか?」
「げっ……またそのパターンかよ……。どうせ知らねぇやつとパーティ組まされて魔物狩りするんだろ?」
『こらジュモ、露骨に不満を漏らすんじゃありません』
ゼリルからの小言にジュモは顔をしかめたが、ゼリルの声は当然受付嬢には聞こえてないため説明は続いていく。
「試験内容は、ジュモ様を含めた三人パーティで、こちらが指定した数の魔物を討伐してもらう、という内容となりますが、どうなさいますか」
ジュモは諦めたように頷いた。
「それでいい。つーかそれしかねぇ。予め仲間をつくるのはもっと面倒だからな」
「かしこまりました。……それでは日程についてですが、本日は適性検査のみ行い、試験は明後日の朝七時に、城門前の馬車乗り場に集合してからの出発となります」
『ジュモ、明後日の朝七時からですよ。いいですね?』
「……わかった。どうせ駄目っていっても日付が早まることはねぇんだろ? なら早いほうがいい」
「かしこまりました。ではこの記入用紙を」
受付嬢は、ジュモの名前を記入した用紙を手渡すと待合室の奥を刺し示した。
「適性検査を行いますので、廊下の突き当たりの部屋までお進みください」
◇
指示された通り奥の部屋へと進む最中、ジュモは受付嬢の目から解放されたことで、ようやくゼリルへの不満をぶつけることができた。
「お前、真面目に話聞いてる時に茶々入れてくるなよな」
『茶々って、ジュモの態度がなってないからでしょう⁉︎ あれでは受付の方に失礼ではないですか!』
「へいへい、気をつけますよ」
『はあ、またそんな態度を取って……そういえば、再発行にはギルドカードの再発行には試験を受ける必要があるのですね』
「みたいだな。試験が明後日つーことは、明日から数えて……あと二日ははこの街にいることになるわけか」
『……三日です。ジュモの計算だと、試験がその日のううちに街を離れる計算ですよ? その頃にはもう夜でしょうし、危ないでしょう?』
「計算間違いで悪かったな。苦手なんだよ、日付とか時間とか」
『ところで、その場でパーティを組むとのことですが、初回の試験の時は上手くいったのですか?」
ゼリルは、人間関係で上手くいくとは思えないジュモに、不安を抱いていた。
「あー、ギルドカード取った時のことか。他の奴らがへっぴり腰のザコで使い物にならねぇから、一人でさっさと終わらせてやったよ」
『やはりそうでしたか。……急に先行きが不安になってきました。それに、皆駆け出しなのですから、弱いのは当たり前でしょう』
「へいへい」
『それにしても、ジュモはギルドカードを取得した時から、既に強かったんですね』
「ま、森に住んでた時は魔物と戦うなんざ日常茶飯事だったからな。ここらに住んでる軟弱なやつらと一緒にされちゃ困る」
「ああ、そういえばそもそも、街は魔物が湧かない地域に作られる、ということでしたね。何と言ってましたっけ、ええと」
「『聖素だまり』な。大気中の聖素量が極端に多い場所だ。だから夜でも魔物が湧かないし、近づいてもこない」
――そもそも、なぜ暗い場所でのみ魔物が湧くのかといえばそれは、聖素が日光の元で活発化するのとは反対に、魔素は闇の中でこそ活性化するからだ。
『ああそうです、魔素だまりでした』
「その話は後でいいだろ、さっさと進むぞ」
ジュモが突き当たりの部屋に入ると、先客の金属製の武具を身につけた男が測定を進めており、その様子を、茶髪をツインテールに結ったギルド職員が見守っていた。
部屋には、中央に大きな机が置かれているのみで、椅子や他の家具は見当たらない。
その他に唯一置いてあるものは、机の上に置かれた様々な戦闘職の人物が描かれたボードと、先客の男の手に握られている八面のサイコロだけだった。
『検査というからにはもっと色々な器具が置かれていると思っていましたが……、そうでもないよですね』
「後でわかる」
男がボードに向かってサイコロを振るうと、まるで吸い寄せられるかのように、男に似た様相の、金属鎧に剣と盾を構えた、冒険者の絵に止まった。
「職業適性は『戦士』、『聖力』は一。事前申告通りですね、問題ありません!」
『戦士? 聖力??』
「それも後でわかる、とりあえずじっとしてろ」
職員は男にいくつかの説明をすると、検査は終わったようだった。
そして、振り返った男とジュモの目が合ったかと思うと、男はジュモの装備を一瞥した。
「兄ちゃん初心者……じゃあねぇな。カードの再取得か――『拳闘士』か?」
「……ビーストテイマーだ」
すると、男の視線が同胞に向けるものから、嘲笑と憐れみが混ざったものへと変わった。
「テイマーねぇ。そいつはご苦労なこった。ビーストはお家で留守番中か?」
「……何が言いてぇ。文句があるならハッキリ言えよ」
「いや、俺はただちょっとばかし思っただけだ。どれだけ頑張っても俺たちみてぇな前衛職の
瞬間、ジュモは男の首を掴むと、部屋の壁へ叩きつけた。
『ジュモ!』
「かはっ! い、いきなり何しやが――」
「これだから人間はクソなんだよ」
そう言ってジュモは空いた左手首からかぎ爪を伸ばした。
「ひっ! やっ、やめ……!」
「ストップーーーーー‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
大声をあげながら駆け寄ってきた職員が、ジュモと男の間に無理やり入り込む。
「この人を下ろしてください!」
「あ? なんでだ――」
「なんでもです! ギルドでの争い事は御法度ですよ‼︎‼︎‼︎‼︎」
見るからに戦闘能力はジュモより劣っているだろうに、一才物怖じせずに割って入ってきた彼女に、ジュモはゼリルに似た頑固さ、すなわち面倒臭さを感じた。
「はいよ……」
持ち上げ、宙ぶらりんになっている男をそのまま離すと、男はその場に放り出された。
「クソっ、俺が動きを見切れなかっただと……? お前本当にテイマーか!」
男が懲りずにジュモを糾弾すると、職員は今度、男の方へ振り向いた。
「あなたもあなたです! 他の職業に対する差別的な発言はトラブルの元だと、再三伝えているはずです!」
「いや、それは……」
「ギルドでの揉め事は絶対禁止です。従って規則に則り、カスターさん、あなたには一ヶ月間報酬一割減の罰則とさせていただきます」
「なっ! なんで俺だけ! こいつは俺を殺そうとしてきたんだぞ!」
「二割……三割……」
職員は男――カスターの言葉には一才耳を傾けず、にこにこしながら無慈悲に罰則を刻んでいく。
「わかった! そうだ、俺が原因だよ! 分かったから一割に留めおいてくれ!」
「ふう、わかっていただけたようでなによりです!」
そして、カスターは逃げるように去っていった。
「……今回は明らかにカスターさんに非があったので、あなたは不問としますが、あまり仕返ししすぎると問題が大きくなってしまいますので、それだけは気をつけてくださいね」
「お、おう……」
ジュモはてっきり、自分にもさっきのような説教がはじまると思っていたので、この対応は少々意外だった。
彼女はジュモから用紙を受け取ると、ぺこりとお辞儀をした。
彼女が小柄で童顔なこともあり、まるで人形のようである。
「ジュモ・オレンジバック様ですね。改めまして、イレーナと申します。ジュモ様にはこれより
「ああ、このサイコロ振るやつか。それなら前回もやったから説明はいらな――」
『要ります!』
『オンザボード』という聞き慣れない単語に、ゼリルは好奇心が抑えられず、ジュモに抗議した。
「……一応、やっぱ聞かせてくれ」
「わかりました。
「じゃあ、そっちも頼む」
『
「『
「ああ」
「例えば『戦士』の
「逆に言えば、テイマーの俺は、近接向けの能力強化や『
ジュモは、ゼリルが気になりそうなのことを、すでに聞いてしまうことにした。
「……そうですね。ビーストテイマーの
『なるほど、剣士の彼があれほど驚いていたのは、身体能力上昇の無いテイマーが、想定以上の身体能力を発揮したからだったんですね……』
「
「そうですね……。自身の力を最大限に発揮しようとするなら、やはりそこを基準にするのが鉄則、というところでしょうか」
……残念ながら。戦闘職におけるビーストテイマーは他の
「でも、テイマーは悪い
そして「ジュモ様にはあまり関心のない話かもしれませんが」と付け足すとサイコロを手に取った。
「では続いて、
そう言ってイレーナは卓上のボードを指す。
ボードには、巨大な三角形が一つ描かれており、三角形の頂点にはそれぞれ、『力』、『技』、『精神』の文字が描かれている。
そして、三角形の中には様々な戦闘職の様相をした人間が描かれていた。
「やり方は簡単で、ボードに向かってサイコロを振るだけ! サイコロは
そう言って、イレーナはジュモにサイコロを渡した。
「ビーストテイマーは三角形の……あそこ! 『技』と『精神』の間で、『力』からは最も離れた場所ですね」
「技とか精神とか言われても、いまいちピンとこないけどな」
『……ですが確かに、力のカテゴリには剣士や武闘家といった筋力が必要な職業が。技のカテゴリにはシーフやアサシン、アーチャーのような器用さが求められる職業が。精神のカテゴリには魔法使いや、踊り子などの不思議な力を操る職業が、それぞれ分布されていますね』
「さあ、どうぞ転がしちゃってください。ちなみに、出目――つまり聖力が四以上になると、聖女や聖剣士といった、聖職の適正アリ、という基準になっています」
「前の出目は確か……二だったな。俺には関係ない話だ」
ジュモがサイコロをふるうと、まるで意志を持っているかのようなら挙動で三角形内の最も外側、ビーストテイマーの絵柄へと転がっていく。
勢いをつけすぎたのか、一度は大きく三角形の中から飛び出したものの、再びビーストテイマーの絵柄の上にまで戻ってきた。
そして、後はサイコロの回転が止まるのを待つだけ、というところで、異変が起きた。
「ええっ⁉︎ サイコロが……⁉︎」
「止まんねぇ……?」
あろうことか、サイコロは止まらず、ビーストテイマーの絵の上で回り続けていた。
「前はこんなことなかったぞ、どうなってんだ」
ジュモが尋ねるが、一番驚いていたのは職員だった。
「わ、私にもわかりません! こんな事初めてです⁉︎⁉︎ ……ジュモ様、以前検査したときと比べて何か変わった所はありませんか⁉︎」
「変わった所ぉ……?」
「例えば、何らかの加護のついた装備を身につけているとか……」
「装備……? いや、ずっとと変わらねぇが……」
すると、助言を出したのはゼリルだった。
『ジュモ、私を置いてもう一度サイコロを振ってみてください』
「……? ああ、そういうことか」
「はい? どうかされました?」
不思議そうに首を傾げる職員をよそに、ジュモが再びサイコロを振るった。
すると、テイマーの絵で止まることは変わらなかったものの、今度はすぐに『二』の出目を出して止まった。
「これで前と同じだな」
「ああ……! 先輩たちにも見てもらおうと思ったのに!」
「じゃ、もう帰っていいのか?」
「……正常に結果が出てしまった以上、お帰りいただいて大丈夫です。……あっ、試験は明後日の七時に馬乗り場ですから忘れないように!」
イレーナは帰っていくジュモの背中を見ながらぼやく。
「それにしてもさっきのあれ、何だったんでしょう……」
すると、ぐう〜と、ジュモの腹が鳴った。
「あの〜、よろしければこの辺りの美味しいお店、お教えしましょうか?」
「……肉を使わない料理で頼む」
◇
「シチュー、オムレツ、リゾット……どれも美味そうだな……」
あれからジュモは、イレーナに勧められた店でメニュー表を眺めていた。
ジュモの要望通り肉料理を一切扱わない、エルフが営む食堂だ。
それもあって店内の客は、ビーストを愛するテイマーやエルフ、ヘルシー趣向の人間などが主であり、ギルドと比べて幾分かジュモも気が楽だった。
「ジュモ、ひょっとして彼女がジュモの言う獣人ですか?」
ゼリルは座っているテーブル席からカウンター席を覗き込むと、人間に近い容姿ながら長い耳を持ったうさぎの獣人を見た。
耳とひげ、白い毛に覆われた手足以外にはビーストらしき特徴は見当たらなかったが、心底美味しそうに野菜スティックを齧る姿はうさぎそのものだ。
「ああ。つってもあれは大分人間寄りだな。パザラはもっと……なんつーか、喋って二足歩行するサルって感じだった」
「なるほど……獣人にも度合いがあるんですね」
ちなみに、今ゼリルは平然とテーブルの上で喋っている状態である。
これは入店時、ゼリルの姿を見てギョっとする店員にジュモが「ビースト連れ込みしていいんだろ?」の一言で押し通したためだ。
「ところで、さっきサイコロが止まらなかったのってよ」
「……まず間違いなく、私が原因でしょうね」
ゼリルの入ったリュックを置いた途端に正常になったのだから、それは明白だった。
「めちゃくちゃ魔物に襲われたりもしてるあたり、まず間違いなくお前の持つ聖力が原因なんだろうが……」
「……! ジュモ! 誰か来ます!」
突如叫んだゼリルにジュモは首を傾げる。
「あ? 誰かって誰――――」
「――その理由、知りたい?」
そんな見知らぬ声と共に、ジュモの視界に栗色のロングヘアが映り込んだ。
「誰だ」
ジュモが顔を上げると、まず女の顔が見えた。
艶のある栗色のロングヘアに整った目鼻立ちで、佇まいにもどこか気品を感じる女だった。年齢は二十歳ごろだろうか。
次に服装を見た。
――服は着ていなかった。
「ち、ちちち、痴女だ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「破廉恥‼︎‼︎‼︎ 破廉恥ですよジュモ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
突然の痴女に、ジュモとゼリルは顔を真っ赤にして糾弾した。
「人間の街じゃ服は着ないといけねぇんだぞ‼︎‼︎‼︎‼︎」
「そんな格好で恥ずかしいとは思わないのですか‼︎‼︎‼︎ 品性を疑います‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
「めちゃくちゃ言うね君たち……いやいや、着てるから、服」
よく見れば、確かに彼女は“一応”服は着ていた。
問題なのは、ジュモたちが裸と見間違えるほどに布面積が少ない服装だったということだ。
上半身は最低限の幅しかない、極細の白いチューブトップのみを身につけており、当然その上下からは、たわわなおっぱいがはちきれんばかりにこぼれている。
下半身についても、丈がとてつもなく短いミニスカートを履いているせいで、既に純白の下着は見え隠れし、鼠蹊部すらはみ出てしまっていた。
「そんなの服はじゃねぇ‼︎‼︎‼︎」
「そうです! ましてや下着ですらありません‼︎‼︎‼︎」
「いやいや、それ君たちだけには言われたくないから
。街で噂になってたよ? おっぱいを連れ歩く半裸の男がいるって」
痴女は、ゼリルをぷにゅんとひと突きするなり、しれっとテーブルを挟んでジュモの反対側の席に着いた。
「話はご飯でも食べながらしようか。おいしいんだよ? ここのオムレツ」
「おい、何かってに話進めようとしてんだ」
「すみませーん、注文ーー!」
「はーい! 今行きまーす!」
女が手を挙げると、すぐにエルフのウェイトレスが返事を返した。
「あ、そうだ。おっぱいちゃんはご飯食べるの?」
「おっぱ……! い、いえ、私は食事を取りませんが……」
「へぇ〜〜」
ウエイトレスがやってくると、痴女の姿を見て驚いた表情を浮かべた。
「お待たせしましたー……って、ヒルナ様じゃないですか! この方達は……お知り合い? ですか?」
「うーん、客人かな、今のところは。それじゃ、オムレツ二つ。あとスープも二つお願い」
「かしこまりました!」
ウェイトレスが去っていくと、ゼリルは首を傾げていた。
「ヒルナ……ヒルナ……?」
「そうした?」
「いえ、先ほどの『ヒルナ』という名前、どこかで聞いたような……」
「ああ、もう耳に挟んでたか」
すると、痴女――もといヒルナは胸の谷間からむぎゅっと何かを引き抜いた。
金色に光るそれは、どうやら五角形のペンダントのようだった。
「はい、ヒント」
「ジュモ、わかります?」
「いいや、知らねぇ」
「嘘⁉︎ 教会の聖印しらないの⁉︎」
「……教会だって?」
二人の世間知らずっぷりが想定外すぎたため、ヒルナはうっかりペンダントが教会の物だと漏らしてしまた。
「聖女ヒルナ……! 私たちにギルドの場所を教えてくれた男性はそう言ってました!」
「あちゃー、バレちゃったか〜〜実は私――」
「あんたが聖女ぉ……?」
「自己申告があったとはいえうーーん…………」
「あれおかしいな、全く信じて貰える気配がないんだけど」
「だって教会の服つったらあれだろ? 真っ白い頭巾に筒みたいな服だろ?」
「君が言ってるのは修道服の事なんだろうけど、筒って……
「でも他の客はお前に注目してねぇみたいだしなぁ……」
「ジュモ、その理由が『彼女の人望が無い』だった場合、彼女を傷つけてしまう可能性があります。そこはあまり触れないほうが……」
「君たちねぇ……」
いよいよヒルナのこめかみがヒクヒクと引き攣り始めた。
「私が気づかれてないのはちょっとしたおまじないを掛けてるから。……仕方ないから解除するけど」
そう言ってヒルナがパチンと指を鳴らすと、他の客が次々にヒルナの存在に気付きはじめた。
「なあ、あれ聖女様だよな!」
「本当だ、ヒルナ様だわ!」
「ヒルナ様ー!」
「こっち向いてくれー!」
「やほ〜〜」
ヒルナが手を振りかえすと店内は一気に色めきだち始めた。
「こうなっちゃうから、解きたくなかったんだけどなぁ」
「まさかお前、本当に聖女なのか……⁉︎」
「いやいや、ずっとそう言ってるじゃん」
目の前の痴女が本当に聖女だと判明したことで、ゼリルの脳内には、ここまでの失礼な発言の数々が思い返される。
「大変失礼いたしました!」
ゼリルは勢いよくテーブルに突っ伏して謝った。
「あはは、そんなぺしゃんこになるまで謝らなくて大丈夫だよ」
「そうだ。いくら聖女だからって痴女なのには変わりないしな」
「君はもうちょっと反省の意を見せようか」
ヒルナはこほん、と咳払いすると改めて話し始めた。
「改めて、私はヒルナ。このジラーマの聖女よ」
「ゼリルと申します。ほらジュモ、挨拶をしてください」
「……ジュモ・オレンジバック……です」
「それにしても、まさか感知した聖力の発生源がおっぱいだったとはね、さすがにびっくりだ」
「感知? 何のことだ?」
「ある程度聖力を持っていると、自分以外の聖力も感知できるようになるんだ。それこそ、私が来る時もゼリルちゃんは気づいてたみたいだけど?」
「そういや『誰か来る』って、お前言ってたよな」
「……はい。なにか強い気配のようなものが近づいてきているような気がして……それがあなたの言う感知だったんですね」
「ふんふん、やっぱり“そう”だったか」
ヒルナの含みのある言葉にゼリルは首を傾げた。
「“そう”、とは?」
「そのあたり含めて君たちとはじっくりお話しをしたいんだけど……」
ヒルナがちらりと周りを見渡すと、席の周りには彼女を一目見ようとする客たちが集まってしまっていた。
「続きは、教会で話そうか」
ヒルナが席を立つと、二人分のオムレツを盆に乗せやってきたウェイトレスと目が合った。
「あの〜〜……お料理ができましたけど……」
「ああ、それなら――」
「「持ってきてこい(ください)、食べ物を残しちゃ勿体ねぇ(ないです)」」
ジュモとゼリルは息ぴったりに言った。
「そうだね、そうしようか」
ヒルナは運ばれてきた料理を受け取ると、再び席についた。
手を合わせてからオムレツを頬張り始めたジュモを見て、ヒルナは思う。
(得体が知れなさすぎてどう対応しようかと思ったけど、案外信用に足る二人かもね)
「さて、私も食べるとしよう。ここのオムレツは本当に美味しいんだから」
◇
店を出たジュモたちは、ヒルナに連れられ教会を訪れた。
教会はいくつかの建物に分かれており、最も大きい礼拝堂は装飾の施されたドーム状の屋根となっていて、存在感を放っていた。
「正面のでっかい建物が礼拝堂。せっかくだから覗いていきなよ」
ヒルナが慣れた手つきで大きな両開きの扉を開くと、外見に違わない、奥行きのある広々とした空間が広がっていた。
木製のベンチが奥までずらりと並び、所々に礼拝客の姿が見えた。
「すっげ……」
「この絵、ひょっとして……」
ジュモたち何より興味を引かれたのは、全ての壁一面に描かれた壁画だった。
壁画には、多くのビーストを引き連れ、七色に輝く月桂樹の冠と、純白の衣装に身を包んだ女性が、闇の軍勢へ立ち向かう様子が描かれていた。
「すごいでしょ。『
「彼女が女神ニューリア……なんですね」
「そう。千年前、人やビーストを従えて魔神カラボスと戦った女神様」
「でも、最後は……」
ゼリルの問いかけに「そう」と答えるとヒルナは天井を見上げた。
天井には、滅びゆく魔物たちと、身体が頭、左腕、右腕、胴体、左足、右足の六つに分かれていく女神ニューリアの姿が描かれていた。
「女神様は自らの身を犠牲に魔神カラボスを滅ぼして戦いを終わらせた」
「……でも今度は、ニューヴァリアに残ってしまった魔素から、魔物が生まれるようになってしまった」
「よく知ってるね、関心だ。……でも、二千年前は、今じゃ考えられないほど魔物は凶暴で、数も多かったって話だよ」
「うげぇ、それじゃあこれでも昔よりはマシになってるってことか」
「そうだね。今は歴史的に見れば、かなり平和な時代だよ……それも、いつまで続くか分からないけど」
「……あ?」
「ごめんごめん気にしないで。さ、そろそろ本題に入ろうか」
「こっちだよ」と手招きするヒルナ。
礼拝堂の右横から続く渡り廊下を進んだ先の部屋に入ると、ハーブがいくつも混ざり合ったような、独特の香りがジュモの花をついた。
招かれた部屋は、礼拝堂とは打って変わって、ほとんどの調度品が真っ白な、随分無機質な部屋だった。
部屋の端にはベッドがいくつか置かれており、棚の中には分厚い本や乾燥させた植物が詰められた瓶などが所狭しと並んでいた。
そして、部屋の中央に置かれているのは人を横に寝かせるための手術台のようだったが、これらを含めたすべての物は丁寧に清掃されているのか、清潔さが保たれていた。
「ここが
すると、ヒルナの声が聞こえたのか、さらに奥の部屋から、ベージュの髪をボブカットに切りそろえた少女が現れた。
「お、普通の教会の服だ」
ジュモの言った通り、彼女の服装はヒルナのものとは違い、肌の露出を極力抑えた一般的な純白のシスター服だった。
「だ、誰です……?」
ジュモたちを見るなり怪訝な顔をする少女。
自分の仕事場に、いきなりおっぱいを肩に乗せた半裸の男が現れたのだ、そう思うのはあたり前である。
「客人だよ。彼女はユーハ。私の治癒助手だよ」
「ゼリルです。こっちはビーストテイマーのジュモです」
「おい、なんでお前が俺の紹介までするんだよ」
「は、はあ……よろしくお願いします」
ユーハは困惑しながら会釈をした。
「ヒルナ様、この男性の方はともかく、こっちの……あの……その……」
ユーハは『このおっぱいはなんだ』と言いたかったのだが、十四歳の乙女がおいそれとそんな言葉を言えるはずもなく、しどろもどろになってしまった。
「ああ、このおっぱいね」
「「おっぱ……‼︎‼︎」」
ユーハとゼリルのリアクションが重なった。
「ヒルナ様! 聖女なんですから使う言葉はくれぐれも……!」
「まあまあ、そう固くならなくてもいいじゃない。ユユーハももう十五歳なんだし、そろそろ処女のひとつやふたつ――ぐぇっ!」
ユーハが咄嗟に投げた布巾が、ヒルナの顔へ張り付いた。
「最ッッ低です!」
ユーハはバタンとドアを閉め、再び奥の部屋へと戻っていった。
「やれやれ、ユーハも思春期だなぁ……ってどうしたの二人とも」
ヒルナが振り返るとジュモたちの冷たい視線が刺さった。
「聖女ヒルナ……あまり言いたくないのですがその……」
「今の対応は最悪だって、俺でも分かったぞ」
「えぇー? そうかなぁ?」
「あいつも聖女なのか?」
「ああ、ユーハは見習いというよりは、聖女助手かな? 聖職になれるほど聖力は高くないけど、薬品や道具の扱いに精通してるから、色々手伝ってもらってる。
「そういや、聖女なんかは聖力が高くないとなれねぇってギルドで言ってたな」
「そ。その上、聖職は魔物に対抗する上での重要度が高いから、王都か聖都にある育成学校に行かなきゃならないし、見習い聖女から一人前の聖女になるにはもう数年掛かる。重要なだけに、大変なんだよ?」
「……なんつーか、あんた本当に聖女だったんだな。」
「ちょっと、ひょっとしてまだ私のこと疑ってたの?」
「ジュモ失礼ですよ!」
「だ、だってやっぱりそんな格好のやつが聖女だなんておかしいだろ!」
「んー?」
ヒルナは、その口ぶりに反してジュモが自分の事をちらちら見ているのを感じた。
さらに言うなら、その視線は自分の胸や腰回りへと向けられていた。
「ジュモくん……だっけ、さっきから私の胸とかお尻とか、見てるよね?」
「……ッ! バカ言え!」
ジュモの顔がカァッと赤くなる。ヒルナの言葉が図星だったのだ。
「ふ〜〜ん」
「……そもそもなんでそんな格好なんだよ」
「なるべく動きやすい格好の方が私の性にあってるんだ。それに、私程度の聖力ならこのくらいの布面積でも十分抑えられるし」
「“聖力を抑える”……ですか?」
「――そうそう、本題を見失うところだった」
ゼリルが尋ねると、ヒルナの纏う雰囲気が鋭いものへと変わった。
「――ここからが本題だよ。何も私は、物珍しさで君たちを招いた訳じゃない」
「なら、なんだってんだ」
「担当直入に聞くよ。彼女――ゼリルはいったい“ナニ”?」
「何ってそりゃ、こいつは俺のテイムしたビーストで――」
「――わかりません」
ジュモの言葉に被せるように、ゼリルは言った。
「おっ、おい」
「……おそらく、彼女に誤魔化しは効きません」
「そうしてくれると話が早くて助かるよ」
「……私は数日前、目覚めると森の中にいました。それ以前の記憶はなく、自分が何者で、何故ここにいるのかも分かっていません。唯一、どこかへ行かなければならないのだと、それだけは分かりますが、どこへ行けばいいのかそれすら分からないのです」
「……なるほど、そうきたか」
「ジュモ――彼は私をビーストだと言ってくれましたが、実際には、
流石に予想外の回答だったのか、ヒルナは苦笑した。
「……はあ、稀有な存在だとは思っていたけど、まさかそう来るとはね――それに、よくもまあそんな状態でよく無事にこの街まで辿り着けたもんだ。魔物に襲われまくっただろうに」
「無事なもんか、何回も死にかけたぜ」
「ですが、聖女ヒルナが何故それを……?」
「その前に、魔物に襲われる原因に心当たりは?」
「――私、ですよね。さらに言うなら、私の持つ聖力に惹かれて魔物は集まってきていると、私は考えています」
「それだけ分析できているなら上出来だよ。……原因は君が特大の聖力を漏らし続けている状態だからだ」
そう言ってヒルナはゼリルの乳首……のあたりから漏れ出ている翠の光を指差した。
「その光はまぎれもない、聖力の光だ……えいっ」
そしてそのままつついた。
「ひにゃっ! や、やめてください!」
「あはは、光で覆われてるけど、やっぱりそこは乳首なんだ」
ヒルナは笑いながら手のひらを上に向けると、手の中にぽう、と淡い緑色の光が灯った。
「聖力をコントロールできれば、魔物を祓う以外にも、治癒や、ご飯の時みたいに気配を遮断したり、色々できる」
「これが、聖力の光……」
「――さて、聖女として、キミたちをこのまま野放しにしておくわけにはいかない。いくら街の周辺には魔物は湧かないとはいえ、聖力を持ったしゃべるおっぱいなんて、どんなイレギュラーな事態を引き起こすかわからない」
すると、ジュモたちへ向け、ヒルナは二本指を立てた。
「選択肢は二つ。――一つ目、その子を教会に預けること。「言葉を話す」「聖力を保有している」この条件に当てはまる以上、彼女は『聖獣』に分類される可能性が高い。そう悪い待遇にはならないはずだ」
「聖獣? このおっぱいが……⁉︎」
「今までの分類に無理やり当て嵌めるならね。――そして二つ目、聖衣を身につけた上で、今まで通り旅を続ける。聖衣ってのは今私たちが着てる、聖力が外に漏れるのを防いでくれる特別な服だ」
「ジュモ……」
「自分のことだ、自分で選べ」
ヒルナは「ゆっくり考えていいよ」と促すが、ゼリルの返答は早かった。
「ありがとうございます。しかし、私は既にジュモと共に旅をすると決めています」
「了解。ただ、ゼリルのこと、教会には報告させてもらうよ」
「なんだ、やけにあっさりだな」
「実を言うと、そう答えると思ってたからね。どこかも分からない目的を探すなら、そっちのほうがいいだろう」
「それで、聖衣ってのはどこで手に入れられる? それがありゃ、魔物の群れに襲われる事も無くなるんだろ?」
「私からすぐに渡すことはできるけど、タダで渡すわけにはいかない」
「なんだよケチ臭いな」
「ちょっとジュモ、失礼ですよ」
「聖衣は一着で一等地に小さな家を建てられるくらい価値がある。それだけに、予備や端切れでさえも教会で厳重に管理されているんだ、理解してくれるかな?」
「じゃあどうすりゃいいってんだよ」
「幸い、ゼリルに必要な面積は少ないから端切れでどうにかするとして、あとは交換条件だ」
「交換条件?」
「君たちには聖衣を渡す代わりに、おつかいを頼まれて欲しい」
「おつかいだって?」
「ジュモくん、キミの等級は?」
「等級?」
「ジュモ等級ってなんですか?」
「さあ?」
ジュモとゼリルは顔を見合わせた。
「いやいや、等級って言ったら冒険者等級に決まってるじゃない」
「ああ、そういやそんな説明受けた気もするな。ギルドカードみりゃ分かるか」
ジュモはポーチを漁ってギルドカードを取り出そうとするが、今は失くしていることを思い出す。
「そうだ、今カード持ってねぇからわかんねぇや」
「ええ⁉︎ カードが無いのはいいとしても、冒険者なんだから自分の等級くらいは覚えてるでしょ⁉︎」
「その……ジュモはどうやら人間の街に滞在したり、冒険者として活動することはほとんどなかったようでして……」
「なあ、等級って確か、試験受けないと上がらねぇんだろ?」
ゼリルのフォローと、相変わらずピンと来ていない様子のジュモに、ヒルナは嫌な予感がしていた。
「……そうだけど」
「なら一番下の等級だ。俺、試験受けたことねぇもん」
冒険者ギルドの等級は鉄、銅、銀、金、プラチナ、ミスリル、オリハルコンと、金属の質に比例して高くなって行く。
すなわち、現在のジュモの冒険者ランクとは、ゴブリン一体にすら極力複数人で戦うことが推奨される鉄等級である。
「はああああああああ⁉︎⁉︎」
ヒルナは思わず天を仰いだ。
「うおっ、なんだいきなり」
「君……今、昇格試験を受けてないって行った……?」
「おう、面倒だからな」
「はあ……変わり者だとは思ってたけど、まさかここまでとは……」
「そこまで言うほどか?」
「十分言うほどよ……」
ヒルナが頭を抱えるのも無理はない。
なにせ、等級とは冒険者としての技量を示すものであり、依頼の数や報酬の量、ギルド運営の店や宿での待遇、その他にも信用や人望など、あまりに多くのものに関わってくる。
すなわち、昇格試験を受けないというのは、人の街で暮らすには、あまりに非効率的なのだ。
だが、それもあくまで人間の中での常識である。
生憎、ヒルナの目の前にいるのは、森で獣人に育てられた男だった。
人間の街に滞在することを好まず、金銭にも執着のないジュモにとって冒険者等級とは、興味がないどころか、“面倒な試験を、やたら受けるように推奨してくる”という面倒事だとしか思っていなかったのだ。
」
「……じゃあ仕方ないから質問変える。あなたが今まで倒した魔物の中で、最も強かったのは何?」
「一番強ぇやつか、なんだろうな……」
ジュモが思い返している間に、何の気無しにゼリルは尋ねた。
「昨日倒したあの魔物はどのくらいなんです? ギガントオーガ、でしたっけ」
「ギガントオーガ⁉︎」
ヒルナが声を上げた。
「うおっ、どうした」
「ギガントオーガって言ったら銀等級の中でも最難関クラスの魔物じゃない。」
「よくわからんが、すごいのか?」
「少なくとも、単身でギガントオーガを倒せる人間はこの街にはいないわ。それに君、見たところ十四、五歳ってところでしょ? あなたの年でその強さなら、相当筋のいい冒険者よ」
「やっぱりジュモは強かったんですね」
「分からんが、どうやらそうらしい」
「相変わらずピンときてないみたいね……ともかく、それならお願いしても大丈夫そうね」
「……で、おつかいってのはなんなんだ? 大方荒事なんだろうが、人間の悪事には加担しねぇぞ」
「はあ……、聖女を何だと思ってるの。教会がそうなっちゃニューヴァリアはおしまいよ。……君たちにお願いしたいのは、この街の北東にある『ジーダ
「ポワラス……聞いた事ねぇな」
「解毒ポーションの調合に必要な花よ」
「解毒……そういうことか」
「この街の状況は既に知っているみたいね。そう、今ジラーマの周辺では毒を持つ魔物が異常発生してる」
「ポーションの値段が高くなってるって聞いたぜ。でも、街にあれだけ冒険者がいるなら、そいつらに採ってこさせればいいんじゃないのか?」
ヒルナは少し疲れた様子でため息をついた。
「それがそうもいかないのよ……ポワラスの花はそもそも数も少ない上に花も小さくて見つけづらいせいで、花を長時間探している間に魔物に襲われて毒を受けて――って感じで、むしろ足を引っ張られることが多いの。だから、それなりに強い冒険者に絞ってお願いしてるんだけど、成果が不確実な花探しよりも、街道近くに住み着いた魔物の討伐なんかの方が、どうしても優先度は高いわけで、ほんと結構手詰まりなのよ」
「……それでは、このあたりの土地勘がない私たちが行っても、尚更見つからないのでは?」
「花探しか……、俺ならビーストの力も借りれるから他の奴らよりはマシだろうが……」
「そこは方法があるから大丈夫。実はポワロスの花は微量なんだけど聖力を発してるから、それを探知できればいいってわけ」
も見つける方法があってね。それは、ポワロスの花が持つ聖力を探知すること。できるでしょ?」
ヒルナがゼリルに視線を向ける。
「探知……私が、ですよね?」
「ええ、だって今私の聖力も探知できてたし、実際今も感じてるでしょ?」
実際、ゼリルは今もヒルナの体内から“力”のような物を感じていた。
「……わかりました。ポワロスの花を採ってくればいいんですね」
「話が早くて助かるよ。……本当は私が行ければよかったんだけど、情けない話、私が常にここにいなくちゃいけないくらいに解毒薬不足が深刻でね――まったく、もっと早く手を打てていればなぁ……」
ヒルナはどうも、自分を責めているらしかった。
それを見たジュモは、どうにもむず痒い気分だった。
「……まあなんだ、あんたが予想できなかったくらいの異常事態だと捉えておけばいいか?」
「……ジュモくん、君ひょっとして気を遣ってくれてる?」
「うっせぇ。……そのジーダ林まではどのくらいかかる」
「馬車で半日だ。今からだと向こうに着く頃には夜だから、出発は明日の朝だね。それと……ちょっと待っててね」
すぐに戻ってきたヒルナの手元には、手のひらサイズの白い布切れが握られていた。
そして徐に、スカートの中に下から手を入れた。
「聖女ヒルナ⁉︎」
「おまっ! なにしてやがる⁉︎」
するとヒルナは、太ももにくくりつけていた小さなナイフを取り出した。
「これをこうして……っと」
ヒルナはナイフで布を切り初め、手のひらに収まるくらいの大きさの円を二つ切り出した。
「はい、できた」
「そりゃなんだ?」
するとヒルナは切り出した円を二つ、ゼリルの胸の光へと当てがった。
「よし、大丈夫そうだね」
「ヒルナさん、まさかとは思いますが……」
「そう、これがゼリルの聖衣」
そしてヒルナは、切り出した聖布をゼリルの光――乳首へ押し当てた。
「ひにゃんっ!」
ヒルナが手を離すと、布はぴたりとゼリルに張り付き、なにより光も収まっていた、
「お? 光が見えなくなったぞ」
「ふうよかった〜……これで聖力の放出が止まったね。成功成功! ……やっぱそこは普通に乳首あるんだね」
「ち、ちくっ……! 揶揄わないでください!」
ぷりぷりと怒るゼリルの姿を、ジュモは改めて見てみる。
白い布が、ゼリルの局部のみを覆い隠すように貼り付けられていた。
「なんつーかその……」
ヒルナもつられてゼリルの姿をじっと見る。
「あー……これはあれだね。人間のおっぱいっぽさが増して、逆にえっちになっちゃったね」
「ちょ、ちょっとどういうことですか!」
慌てふためくゼリルにヒルナが鏡を渡すと、ゼリルは瞬く間に全身を真っ赤にした。
「〜〜〜〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎ も、もうちょっと面積増やせないんですか⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「あははー……」
ヒルナが目を逸らす。
「おい」
「いやー、さっき話した通り、聖衣って高級品だからさ、渡せるのはこれが限界かなー。でも予想通り聖力の放出場所が乳首に集中しててよかった〜〜!」
「…………事情は、わかりました。見た目はどうあれ、効果があるのなら……文句は……あ、ありません……!」
あいかわらず真っ赤なまま、体を震わせるゼリル。誰がどう見ても強がりである。
「はあ、これでようやく目処がたった……」
すると、ヒルナはふらりと、ほとんど倒れ込むようにして椅子に座り込んだ。
「おい、大丈夫か!」
その表情には疲れが滲み出ており、よく見れば目の下には隈も出来ていた。
「恥ずかしいところを見られちゃったね。……実のところ、一連のゴタゴタであまり寝れてなくてね」
「……この異常に、終わりはあるのですか?」
「過去の事例からしておそらくどこかに発生源があるはずなんだ。……けど、その調査も難航しててね。でもこれで、君たちがそれなりの量ポワロスの花を持ち帰ってくれれば、ここでの治療はユーハに任せてようやく私が直接調査に出向けるってわけ」
「……わかりました私たちに任せてください」
「おい、勝手に決めんな」
「でも、報酬の聖衣は既に受け取りました。それに、この街の現状と彼女を見ては、放って置けません!」
「…………もらった借りをきっちり返すだけだ。それと、ポワロスの花の実物をもらいたい」
「それもそうか。――ユーハ、ポワロスの花を一輪とポーションを二つお願い!」
ヒルナが奥へ呼びかけると、小さな青い花と、二つのガラス瓶を持ったユーハがやってきた。
「……話の流れは隣で聞いていました。でもいいんですか? 今ある最後のポーションを彼らに渡してしまって」
「構わないよ。聖衣まで渡したってのに、毒でくたばってもらっちゃ困るからね。ああ、それと……」
「なんだ、まだあるのか?」
「今夜はここに泊まって行ってくれないかな」
「…………は?」
◇
「こちらがお二人の宿泊部屋となります」
ヒルナとの邂逅の後、ゼリルの探し物がないかを観光がてら探したジュモたちが教会に戻ると、ユーハが部屋へ案内してくれた。
決して豪華とはいえない簡素な部屋だが、日頃から清掃を怠っていないのか、とても清潔に保たれている。
「それと廊下の先に、大きくはありませんが浴場もありますので使っていただいてかまいません」
「お、おう……」
ヒルナからの宿泊の提案を受けるかどうか迷ったジュモだったが、ヒルナの「今から宿取るの大変だと思うよ。ギルドカード持ってない君たちを泊めてくれるかも怪しいし」の言葉を受けてジュモは渋々首を縦に振ったのだった。
ユーハが去ると、ジュモは防具を脱ぎ捨て、とりあえず背中からベッドに飛び乗った。
「こらジュモ! 汚いですよ‼︎」
ジュモは「へいへい」と辟易しながら体を起こす。
「……なあ、結局なんであいつは俺たちを泊めてくれたんだ?」
「さあ、考えられるとすれば、何か聞きたいことがある、とかでしょうか」
「ふうん……まあ聞かれたら答えるけどよ」
「それよりもジュモ、まずはお風呂に入りませんか?」
「風呂? 風呂かぁ……まあ行ってくるか。……お前はどうするんだ?」
ジュモがベッドから立つと、ふとゼリルを見た。
この姿では、自分で体を洗うことはまずできないだろう。
「その……あ、洗っていただけませんか?」
ゼリルは顔を真っ赤にして言った。
「……まあ、しょうがないわな」
ゼリルを連れて浴場に訪れたジュモは、脱衣カゴの前で首を傾げていた。
ちなみに、防具は
「なあ、風呂入る時はその乳首隠し剥がすのか?」
「ちくっ……その呼び方やめてください! 聖衣でいいでしょう、聖衣で!」
「お、おう……」
「剥がす……が正解でしょうね。聖女の方々も入浴時はさすがに脱ぐでしょうし」
「おっ、そうか」
ジュモがゼリルの聖衣を剥がそうと、しゃがんゼリルへ手を伸ばすと、ゼリルは後ずさった。
「おい」
「じ、自分で剥がしますから!」
またしても、その表情は真っ赤だ。
「自分じゃ剥がせねぇだろ」
「そ、それはそうですが……その……ううぅ……!」
ゼリルが見せた謎の抵抗にジュモは疑問を抱いたが、すぐにその理由を、身をもって理解することになった。
「あっ……んっ……ひっ……ひにゃっ……」
「おい変な声だすな! くっそ、これ結構強く引っ付いてやがる、全然取れねぇ……」
聖衣は中々剥がれず、イラだったジュモは力を強めてカリカリと聖衣の端を引っ掻く。
「んひゃっ……! 声出すなって……んひっ……しょ、しょうがないで……しょう……! んおぉっ……!」
その後、数分の格闘の末ジュモはゼリルの聖衣を剥がすことに成功した。
そこには、翠に輝く聖力に光が、煌々と輝いていた。
「はあ……はあ……や、やっと取れたんですね……」
「はあ……はあ……手こづらせやがって……」
ジュモは息を切らしながらさっさと服を脱ぐと、ゼリルを掴んで浴場へ入った。
浴場は、確かに公衆のものに比べれば小さく、入れて五人程度の大きさだったが、ジュモたち二人が入るには、十分な広さだった。
「これでようやく入れるぜ……」
まっすぐに湯船へ向かうジュモ。
「こら! 湯船に浸かる前に体を洗いなさい」
「……へいへい」
それからというもの、ジュモがゼリルの体を洗う際に、脱衣場と同じような一悶着があったが、二人はようやく湯船に浸かることができた。
「「はああ〜〜極楽極楽」」
湯船に浮かべたゼリルが、浮力でぷかりと浮かび上がってくる。
「おお……おっぱいが浮いてる」
「やっ、やめてください!」
「そういや、さっき「先に体を洗え〜〜」とか言ってきたが、風呂入ったことあるのか?」
「言われてみれば確かに……。覚えていませんが、もしかして、過去入ったことがあったのかもしれませんね」
二人がしばらくくつろいでいると、不意にガラガラガラと、出入り口の引き戸が開けられる音がした。
ジュモたちが振り返ると、そこには正真正銘一糸纏わぬ姿の聖女ヒルナがいた。
その姿は聖女の名に相応しい美しさで、陶器のように白くなめらかな肌に、大きくくびれた曲線を描く体から、ジュモは目を離せなかった。
「「な……な……な……‼︎」」
ジュモとゼリルは同時に絶句していた。
特にダメージを受けたのはジュモの方で、一瞬で顔が茹で上がってしまった。
そして、ヒルナと目があった。
ヒルナは、目を見開いて固まったかと思えば、意外にもジュモと同じように顔を真っ赤にして体をタオルで覆った。
「なんでお前が⁉︎⁉︎⁉︎」
「なんで聖女ヒルナが⁉︎⁉︎⁉︎」
「なんで君たちが⁉︎⁉︎⁉︎」
三人の叫びが重なった。
「だって掛け札は『使用中』になってなかったわよ⁉︎」
「掛け札ぁ⁉︎ なんだそりゃ!」
「入り口にかかってたでしょ! ユーハから聞いて無いの⁉︎」
「聞いてねぇよ! なあゼリル!」
「え、ええ確かに聞いてないですね……」
それを聞いたヒルナはぐったりとうなだれた。
「……ユーハが伝え忘れたのね」
年相応の乙女のような反応を見て、ゼリルはホッとした。
「……でも安心しました。聖女ヒルナも男性に羞恥心は持っていたのですね」
(……当たり前でしょ! だって裸よ⁉︎)
ヒルナは内心そう思ったが、口を突いて出たのは全く真逆の、強がりだった。
「〜〜〜〜‼︎‼︎ そ、そんなことないから! 私は聖教の教えを受けた聖女! そんな弱い心はとっくに捨てたわ!」
何を思ったかヒルナは、あっという間に体を洗い終えると、タオルを脱ぎ捨て、とうとうジュモたちのつかる湯船の中に入ってきた。
「あ、あ〜気持ちいい〜」
「な、何考えてんだテメェ!」
「へ、へぇ〜〜、もしかして恥ずかしがってる? 案外初心なんだね〜〜」
「は、はぁ? んなわけあるか。テメェの体見たって何も思わねぇよ!」
羞恥に顔を真っ赤にしながら言い争うを二人は、誰がどう見ても意地を張っているだけだった。
「ふ、二人とも落ちいてください!」
「ほっ、ほら! 聖女のおっぱいだよ〜〜!」
「ッッ!」
もはやヤケクソになったヒルナがジュモに近づくと、ジュモは咄嗟に背を向けた。
すると今度は、ヒルナが驚かされる版だった。
向けられたジュモの体には、無数の傷跡が残っていた。それも、古いものから、つい最近できたものまで。
「すごい傷……」
「本当ですね。ジュモ、どうしたんですか、この傷」
「あ? 魔物と戦ってりゃ、誰だってそうだろ」
「それにしたって多すぎるわよ……君、旅してるの?」
ジュモはどう答えようか迷ったが、ふと、彼女が自身の目的地『聖都』と切っても切れない存在、聖女であることを思い出した。
「――聖都」
「えっ?」
「俺は聖都を目指してる。あんた聖女だろ、行ったことあるんじゃねぇのか」
ヒルナは首を横に振った。尤も、背を向けているジュモにはその姿は見えなかったが。
「あそこに行く聖女は軒並み聖力適性が飛び抜けた聖女なんだ。私みたいなのはお呼びじゃないよ」
「そうなのか?」
「私、聖力適性もそんなに高くないし、何だったら聖女の中じゃ、下から数えた方が間違いなく早い。南の方で小さな街を守ってる方が性に合ってる」
「あんた弱そうには見えないけどな。そういうもんか」
「君はどうして聖都へ? 興味本位だって言うならやめたほうがいい。北の方は恐ろしいほどの強さの魔物がウヨウヨしてる。はっきり言って自殺行為だ」
「知らねぇな。俺は行かなくちゃなんねぇんだ」
「それ、聞いてもいい話?」
「何か手掛かりになるんじゃねぇかって、こっちから話そうとしてたところだ。『パララ』って名前に聞き覚えはあるか?」
「パララ……ううん、無いね」
「そうか」
「君は、その人を訪ねて聖都へ?」
「ああ。聖都にいる妹にペンダントを渡せって、親の遺言なんだ」
「……そっか、力になれなくてごめんね」
「気にすんな。元より大して期待しちゃいねぇよ」
「ははっ、ひどいなぁ」
ジュモはふと、頭がくらくらとすることに気づいた。
(いけねぇ、湯に浸かりすぎたな……)
「ゼリル、そろそろ上がるぞ」
熱で思考がぼんやりし始めたジュモは、お湯に浮かぶゼリルを掴むため、ヒルナの方へ振り返った。
「きゃあっ!」
ヒルナは案の定叫んだものの、咄嗟に体を覆い隠したことと、そもそもお湯が白ばんでいることが幸いし、裸体を見られることはなかった。
――問題はその後だった。
「わっ、わりぃ!」
咄嗟に立ち上がると、丁度ヒルナの目と鼻の先に、
ジュモの、太く、長く、逞しくいきり立った“ソレ”があった。
ヒルナは“人生で初めてみる”男性の“ソレ”を、あろうことか超至近距離で拝むことになり――――
「ぎゃああああああああ〜〜〜〜〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
ヒルナは、おおよそ聖女が出すべきではない絶叫とともに、白目を剥きながらお湯へと倒れ込んだ。
「お、おい! しっかりしろ!」
すると、ヒルナの絶叫を聞いたユーハが駆けつけてくる。
「ヒルナ様ご無事ですか‼︎ ――ってなんでアナタが……‼︎‼︎」
状況を見るなり、彼女もまた、絶句した。
「り……り……リヴァイアサン――‼︎‼︎‼︎」
〈第四節 少女ローロ〉[#「〈第四節 少女ローロ〉」は中見出し]
翌朝、教会を出たジュモは街の外で馬のビーストをテイムし、ジーダ森へと向かった。
森へ着きテイムを解除すると、ゼリルを肩に乗せて森の中を進んでいく。
「昨日はなんと言いますか……賑やかな夜でしたね」
ゼリルは乾いた笑みを浮かべた。
「……これであいつも懲りただろ。ムキになって風呂に入ってくるのが悪いんだ」
「それはまあ……そうですね」
「さっさとポワロスの花を見つけて帰るぞ」
早朝から出発したためまだ日は高く、夜までにはまだ時間があるが、それでも森へ入ったら警戒を怠ってはならない。
昼であろうと、森や洞窟などの薄暗い場所であれば、魔物は節操なく湧き出てくるからだ。
「そういえば、ヒルナの奴がくれた聖衣、ちゃんと役にたってるみたいだな」
ジュモに言われ、ゼリルははっと気づく。
「言われてみれば、さっきから魔物に遭遇していませんね。たしかに効果はあるみたいです……見た目は大分アレですが……」
「ああ。これだけ薄暗い森だ、魔物だってそこらに湧いてる。昨晩までの調子じゃ、今頃とっくに追いかけられてるはずだぜ。――花の聖力は感じるか?」
「……いえ、とくには感じませんね。ポワロスの花が放つ聖力は、やはりそれほど大きいものではないのでしょう。それまではしらみつぶしに探していくしかない……ですかね」
「そんなこったろうと思ったぜ。やっぱりこいつを持ってきて正解だった」
そう言ってジュモが取り出したのは、ヒルナからもらった一輪のポワロスの花だ。
「……? それを一体どうやって使うんです?」
「まあ見てな」
するとジュモは道中集めておいた木の実を地面にばらまいた。
「おーい、誰か来てくれーーー‼︎‼︎‼︎‼︎」
ジュモが呼びかけると、リスやネズミ、鳥などの小さな動物たちがたちまち集まり、きのみを啄み始めた。
「わっ、ビーストが!」
「飯食ってるとこ悪いが、お前らこの花知らないか?」
ジュモはビーストたちに花の匂いを嗅がせていくと、口々に答えが帰ってきた。
『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ッテル!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』
「誰も知らねぇか……」
「……ん? ジュモ、今一人だけ知っていると答えていませんでしたか?」
「本当か! どいつだ!」
「ええと、一斉に喋っていたのでそこまでは……」
「分かった、もう一回聞く。お前ら、この花知らないか?」
『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ッテル!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』『知ラナイ!』
「ちょ、ちょっと待て! さっきより増えてないか⁉︎」
「じゅ、ジュモ、いました! 右のリスです!」
しかし、指のないゼリルでは曖昧な指示にしかならず、ジュモは当てずっぽうで指を指した。
「こいつか!」
「違います! その二つ右隣!」
「こいつか!」
「そっちは左です!」
「じゃあこいつだな!」
ジュモがリスを拾い上げると、リスは不思議そうに、こてんと首を傾げた。
「この花の咲いてる場所、知ってるか?」
『知ッテル!』
「よしきた、案内してくれ!」
ジュモがリスをテイムすると、リスは駆け出し、森の奥へと向かっていった。
「やりしたねジュモ!」
「ああ、追いかけるぞ!」
しばらく追いかけていると、やがてリスは立ち止まった。
『ココ!』
立ち止まった場所には、本当にいくつかの青い花――ポワロスの花が咲いていた。
「でかした!」
「なるほど……、確かにそれほど大きくはありませんが聖力を感じます」
「なあ、他に花が咲いてる場所は知ってるか?」
花を摘みながらジュモが尋ねると、リスは首を横に振った。
『ワカラナイ!』
「そうか、ありがとな。もう戻って大丈夫だ」
リスが去っていくのを見送りながら、ジュモは腰を上げた。
「じゃ、また探し直しだ」
「今ので聖力の感覚は掴みました。ようやく私も力になれると思い――」
「ちょっと待て」
ジュモの機敏な聴覚が“戦いの音”を捉えた。
それは魔物の唸り声であり、武器を振るう音であり、ビーストと、人間の少女の悲鳴だった。
「ジュモ、どうしました?」
「誰かが近くで戦っている――」
◇
「――はあっ!」
ジータ森の中、赤髪の少女が身の丈ほどの槍を魔物へ必死に振るう。
その傍では、高さ三、四十センチほどの幼い飛龍――レッドリドラが少女を守りながら懸命に戦っていた。
真紅の髪を大きなポニーテールに結い、焦茶の外套を纏った彼女の名はローロ・リーデ。ジラーマを拠点に活動するビーストテイマーだ。
ローロがやっとの思いで一体のゴブリンを倒した頃、周囲には彼女を取り囲むように、
「どうしてこんなことに……。私って、本当ツイてない……」
ローロは力のない声で呟くと、自分がこんな目にあっている理由を重出していた。
(いくら花の採集が目的だからって、私一人で行けだなんて、あんまりだ……)
ローロは、自身が所属するパーティ『黒牙の団』のリーダーから命令を受け、自身のビーストのレッドリドラを連れ、一人で森に訪れていた。
目的はジュモたちと同じ、ポワロスの花の採取である。
だが、いくら目的が討伐ではないとしても、幼い少女一人で森へ向かわせることが無謀なのは、誰の目に見ても明らかだった。
(自分が“役立たずのテイマー”なのは分かってるけどっ……!)
「きゃあっ!」
ポイズン・トードの体当たりを受けたローロは姿勢を崩し、地面に倒れこんだ。
(ああ……、私ここで死ぬんだ。弱いままで、なんにも成し遂げられないままで……。――嫌だ、そんなのは嫌……)
「死にたく……ない……!」
ローロが目を瞑ったその時、どこからともなく声がした。
「あれは……人間のガキに、レッドリドラか! こんなところで何してやがる!」
「ジュモ! まずは手助けを‼︎‼︎」
「ああ、人間は嫌いだが、まだガキとなりゃ話は別だ」
ローロがおそるおそる目を開けると、目の前には橙髪の少年の背中があった。
おかしなことに、肩には肌色の饅頭のような何かが乗っていた。
「あぁ……」
ローロの喉から、声にならない声が漏れる。
すると、少年は無愛想に言った。
「すぐに片付ける。リドラの事、しっかり抱きしめとけよ」
ローロには、その背中が頼もしく見えて仕方がなかった。
◇
突然現れたジュモに魔物たちも驚いたのか、動きが一瞬止まる。
「ジュモ!」
「ああ、やるぜ」
誰かが魔物と戦っているのを聞きつけたジュモたちは、すぐさま駆けつけた。
そして、魔物に襲われているのが、子供とビーストだとわかると、すかさず戦闘に割り込んだのだった。
「
ジュモはジャキリと、両手のガントレットからカマキリのような鎌を展開すると、スティング・ヴァイパーが襲いかかると同時に、その細長い体を輪切りに切り刻んだ。
「ひとつ!」
そして、流れるようにトキシック・マッシュの胴体を縦に切り裂く。
「ふたつ!」
さらに、すぐさまポイズン・トードの背後に回り込み、両手の鎌を振り下ろす。
「みっつ!」
ヴェノム・スコーピオンが両手の鋏をジュモに振るうが、それ難なくいなすと、腕の付け根に鎌を振り下ろし、鋏を切り離した。
『GYAAA‼︎」
腕をちぎられ怒り狂うスコーピオンは尻尾の毒針を突き立てようとする。
「読めてるんだよ!」
ジュモは左手で尻尾を受け止め、空いた右手で尻尾を断ち切った。
「これで最後だ‼︎」
そして、甲殻に覆われていない尻尾の切断面に鎌を突き刺すと、スコーピオンも霧となって消滅した。
「魔物が一瞬で……アンタ……一体……」
ローロは立ち上がろうとすると、体が大きくフラついた。
「あ……れ……」
「おい! 大丈夫か!」
見れば、その顔からは血の気が引き、たちまち精気のない土気色になっていた。
そして、ゼリルもジュモもこの症状には覚えがあった。
「ジュモ、これは……」
「――毒だ。戦闘中にやられたんだろう」
ジュモは、ローロの手の中のレッドリドラに目を落とす。
やはり、ローロと同じように顔色が悪かった。
「やっぱり、リドラも毒をもらってやがる。おいガキ、解毒ポーションは!」
「……持ってるわけない、あんな高級品……」
「ジュモ――!」
「分かってる! ビーストとガキの命より大事なもんはねぇ! 出し惜しみはナシだ‼︎‼︎」
ジュモはポーチから、ヒルナにもらった小瓶を二本取り出すとローロに押し付ける。
「解毒ポーションだ飲め。話はそれからだ」
ローロは小瓶を受け取ろうとして、手を止めた。
「……そんなお金、持ってない。払えません……」
「馬鹿野郎! 誰が金なんか取るか! いいから飲め、死にたいのか‼︎」
すると、ジュモの言葉に裏が無いと信じたのだろう。ローロは小瓶の中身を一気に飲み干した。
「それでいい。一旦休んでろ」
「この子にも……飲ませてあげなきゃ」
「大丈夫だ、俺がやる」
「待って……レッドリドラは……」
「水分は少しずつ飲ませる、だろ。一気に飲ませると火炎袋に水が流れちまうことがあるからな」
ジュモがすらすらと答えると、ローロは驚いた顔をした。
「安心しろ、俺もテイマーだ」
ジュモは、ローロの手の中のレッドリドラに話しかけ始めた。
「苦いだろうけど、少し我慢しろよ」
リドラの頭をやさしく上に向かせると、少しずポーションを飲ませ始めた。
「これですぐに楽になるはずだ。調子はどうだ?」
『ウウ……、ツバサ イタイ』
「……翼か、確かに切り傷があるな」
ジュモはこんど、ポーチから緑色の液体が入った小瓶を取り出すと、傷口に掛けた。
「回復ポーションだ。これでじきに傷も塞がる」
「分かるの……?」
「ああ。俺はビーストの声が聞こえるからな」
「え……?」
「話は後だ、このままここにいちゃ危ない。確か途中に、潜みやすそうなほら穴があったはずだ。一旦そこで休むぞ」
ジュモは、戸惑うローロをリドラもろとも肩に担ぐと歩き出した。
◇
ジュモは、二人と二匹がちょうど収まるくらいの洞穴に入ると、ローロを座らせた。
「ちょっとばかし薄暗いが、この狭さなら中で魔物が湧くこともないだろう」
魔物は、聖力から一定以上離れたところにしか湧かない特性がある。
ビーストも人間も、
「ずっと気になってたんだけど、“それ”もビースト?」
ローロはゼリルを指して尋ねる。
「はい、私ですか?」
「ああ。出会ったばっかりで俺もよく知らないが、そうらしい」
「さっき喋ってるように聞こえたの、幻覚じゃなかったんだ……」
物心ついた時からテイマーのビーストの常識を学び続けてきたローロは、その常識を覆し続けるジュモたちを目の前に、呆然としていた。
「ビーストの声が聞こえるのも、本当なの……?」
「信じられないってなら、証拠をみせてやる」
するとジュモはレッドリドラに話しかけた。
「お前の主人の名前、分かるか?」
ローロには「ぎゃう!」と鳴き声をあげたようにしか聞こえたなかったが。ジュモには勿論、言葉として聞こえていた。
『ゴ主人ノ名前、ローロ! 僕の名前リド!』
「へぇ、リドにローロか」
「ウソ……、どうやって……」
「生まれつきだ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」
「そんなテイマーがいるなんて話、聞いたことない……」
「ま、珍しいって自覚は多少あるけどよ――それよか、なんだって一人でこんなところにいるんだ?」
「それは……」
ジュモが尋ねると、ローロは俯いてしまった。
「……ジュモ、彼女はついさきほどまで生死の堺にいたのです。今あまり問い詰めるべきではありません」
「だって、んなひょろっちいガキがチビドラゴン一匹連れて森に入るなんておかしいだろ! 死ににいってるとしか思えねぇ!
「ジュモ‼︎」
「現にこいつらは俺たちが来なかったら死んでたんだぞ‼︎」
「それは……」
言葉こそ悪いが、ジュモの言ったことは全て事実だ。
そして、この場にいる全員が、その事実を理解していた。
『ゼイラー! 悪イ奴! ゴ主人虐メル‼︎』
答えたのは、羽をばたつかせ、興奮した様子のリドだった。
「ゼイラー? 誰だそいつは」
するとローロは諦めたように語り出した。
「……ゼイラーは、私の所属しているパーティ『黒牙の団』のリーダー。……「お前みたいな能無しはトカゲを使って森で探し物でもしてろ」ってさ」
「そんな、ひどいっ……!」
「しょうがないよ、私が弱いのは事実だから。……一度にテイムできるビーストは一体だけだし、この子の考えてることだってほんの少ししか分からない。それに、槍の扱いだって下手くそなんだから」
ローロは力無く笑った。
「――だからって、どうして一人で森に出る事になる。おかしいだろうが」
「『黒牙の団』に入ってから半年間。今までは、戦いは駄目だけど、雑用とビーストを使った索敵はできるからって、なんとかパーティに入れて貰えてた。……けど、この前のクエストで、私は失敗した。――索敵から漏れた魔物の群れがパーティを襲ったの。その結果一人が大怪我をして、道を引き返す羽目になった」
「んなこと、よくあることじゃねぇのか」
ジュモの言う通り、百パーセントの索敵などない。ましてや、ローロが一度にテイム下におけるビーストは一体なのだから、パーティは索敵漏れが発生する事を見越しておくべきなのだ。
だが、ローロは首を横に振った。
「私はただでさえ足手纏いなのに、さらにパーティの足を引っ張った。……だから私は罰として一人でぽわロスの花の採集クエストに出る事になった。…………きっと、みんな私が死んでも構わないって思ってるはずだけど」
「――そんな勝手な話があるかよ!」
ジュモが苛立ちに任せて木の幹を蹴り飛ばすと、木は大きく揺れてミシミシと軋み出した。
「ジュモ、落ち着いて」
「そのゼイラーって野郎はどこにる。ジラーマか!」
「う、うん……」
「決めた。街に戻ったら絶対にそいつをぶっ殺す」
「ジュモ、気持ちはわかりますが……」
「傲慢で自分の事しか考えねぇ、そうやって他の命をを軽んじる。俺が一番嫌いなのは、そういう人間だ」
そう言ってどこかを睨みつけるジュモの顔は、まるで鬼の形相だった。
「……あんた、ジュモって言ったよね。どうしてスキルも無いのに、一人であんなに強いの……?」
「あ? どうしてっつってもなぁ……」
「スキルというと、自身の
「うん。――だけど、テイマーの
「それは……」
苦々しいテイマーの戦闘事情に、ゼリルは掛けるこ言葉が見つからなかった。
「戦闘面がそんな有様だから、索敵や斥候が主な仕事になるけど、それさえも魔法や消費アイテムで代用できる。――人呼んで『最弱の職業』。それがビーストテイマー……」
「そういや、ギルドでも俺をテイマーと知った途端に突っかかってくる馬鹿がいたな」
「テイマーの中で、銅等級以上の人が、どのくらいか知ってる?」
銅等級。ようやく単身でもゴブリンなどの最下級モンスターを複数相手取ることができると判断される、ようやく冒険者になったと言える階級だ。
「さあ、その辺は詳しくねぇんだ」
「……最も多い『戦士』は、少なくとも五人中三人は銅等級に上がれるって言われてる。それに大して、テイマーは“五十人に一人“。……はじめの一歩とされる銅等級でさえ、それだけの人数しか上がれない」
「そんなに少ないのですか……?」
「それが、ビーストテイマーでありながら冒険者をやっていくってこと。
……そもそも、テイマーの半分は、冒険者にならずに、物や人を運ぶ仕事に就くから」
「なるほど、そういう仕事もあるのですね」
「……あたり前よね。運送の仕事ならいくらでもあるし、冒険者になったってイバラの道なんだから――それでも私は冒険者がいいの……。お願い、強さの理由を聞かせて」
ジュモは「参考になるかはわかんねぇが――」と前置きしてから言った。
「……俺が一人で魔物どもと戦えてるのは慣れてるからだ」
「慣れって……アンタだってまだ十五、六でしょ? 冒険者歴だって、早くて五年じゃない」
「――十年以上」
「え……?」
「俺は物心ついた頃から森で魔物と戦ってた」
「森って、どういうこと……?」
「……ジュモは、幼少期から、森でオレンジバックの獣人に育てられたんだそうです」
「戦い慣れてるとは思ってたけど……そんなの真似しようがないじゃない……」
「お前だって経験を積めば、今よりは多少マシにはなっていくはずだ。――だがどうしてお前はそこまで冒険者にこだわる。暮らしてくなら物運んでりゃそれでいいんじゃねぇのか?」
「ちょっと、ジュモ!」
「俺は別に揶揄って言ってるわけじゃねぇ。ゼリル、お前はまだピンと来てねぇかも知らないが、魔物と戦うってことは、命を奪い合うってことだ。……生半可な覚悟じゃ、魔物の養分にされるのがオチだ」
「……生半可なんかじゃない!」
ローロはキッとジュモを睨みつける。
ジュモに比べれば遥かに弱々しい視線だが、それでも彼女の思いの断片は二人に伝わったようだ。
「……相当な理由があるって口ぶりだな」
ローロの、槍を持つ手に力が籠った。
「……お母様みたいに、なりたいから……」
ジュモは、ローロの言葉から、並々ならぬ重みを感じ取った。
「……まだ生きてんのか、その……母親は」
ローロは、首を横に振った。
「そんな……」
するとローロは槍と、それからレッドリドラを抱きしめた。
「この槍と、この子。お母様の形見なの」
「槍はわかるが、そのドラゴンもか?」
「うん。お母様は、
――
ビーストテイマーがなれる身分としては最上級のものであり、そして、国のため戦う騎士でもある。
「……私はグラウリア王国の出身で、お父様も、お母様も国の騎士として魔物と戦ってた。……でも、お父さんは私が生まれてすぐ魔物に殺された。……お母様も、私が小さい頃、魔物との大きな戦いに参加して死んじゃった。――でもお母様も、そうなる事を薄々わかってたんだと思う。そうでなきゃ、わざわざ卵なんて置いていかない」
「その子は、お母様のドラゴンが残していった卵から産まれたのですね」
「――お母様がこの子達を残してくれたから、私はお母様みたいに強くなる。だから、どれだけ弱くても、どれだけ情けなくても、冒険者を辞める訳にはいかないの」
「ローロ……」
志は気高くとも、その体はどこまでも小さくて華奢だ。
ゼリルは、喉元まで出掛かった「冒険者なんて辞めなさい」という言葉を、どうにか飲み込むことしかできなかった。
「――ああ、そりゃ諦められねぇよな」
だが、ジュモは驚くほどあっさりと、ローロのことを肯定した。
てっきりまた否定されると思っていたローロはきょとんとした表情だ。
「え……?」
「ポワロスの花を探してるってなら、目的は一緒だな。……そろそろ毒は癒えたか?」
「う、うん……」
「ならいくぞ」
ジュモは腰を上げると、さっさとほら穴から出ていこうとする。
「いくぞ、って……」
「お前がどう生きようとお前の勝手だ、俺には関係ない。だが、お前がテイマーで、ビーストを連れ歩くって言うなら、それはビーストを危険に晒すってことだ」
「それは……」
「だから、俺はお前にビーストを守るための、戦うための術を教えなきゃならねぇ」
「教えて……くれるの……?」
「さあな。それは一度お前の戦いを見てからだ」
ずんずんと突き進むとジュモ。
すると、ふと振り返って言った。
「それと……、親の後を追いかけたいって気持ちは分かってるつもりだ、痛いほどな」
◇
ジュモとローロが共に行動し始めてからすぐのこと。二人の目の前に、体のあちこちからヌメヌメの突起が生えた巨大ナメクジが現れた。
「うげぇ、あいつ苦手……」
「ゾルスラッグか。ちょうどいい、あいつと戦ってみろ」
「えっ?」
「強くなりてぇんだろ?」
「……わ、わかった」
「ビビることはねぇ、ヤバくなったら俺が助けてやる。それと、魔物は一対一の場合なら、弱点さえ知っておけば対処はそう難しくねぇ」
「そ、それ本当?」
「例えばトキシック・マッシュは笠に攻撃を当てたりすると毒の胞子を撒き散らすから、柄の部分を横に切り裂いて倒す。ポイズン・トードなら喉元の毒袋を破裂させないように攻撃する。ヴェノム・スコーピオンなら殻の隙間に刃を突き立てるか、殻ごとハンマーで叩き潰す」
「なら、ゾルスラッグは?」
「あいつは近づくと触手を伸ばしてきて厄介だ。触手の届くギリギリの距離まで近づいて、一本一本落ち着いて切り落としていけばいい」
「リドにはなんて指示したらいい?」
「下手に引っ掻きやフレイムブレスで攻撃させても捉えられちまう。先行させて、奴の気を引かせる程度にしておけ」
「わかった……!」
ローロへ的確な指示を出したジュモに、ゼリルは素直に感心していた。
「この短時間でよくそこまで分かりますね」
「言っただろ、慣れてるって」
ジュモは戦闘体勢に入りながらも、ゾルスラッグへと駆けていくローロを見守った。
「リド! 先行お願い!」
『ぎゃう!(任セテ!)』
ジュモの助言通り、ゾルスラッグは先行したリドに気を取られ、ローロから目を離す。
「今だ!」
その隙を好機と見たローロはゾルスラッグに接近し槍を突き出した。
「馬鹿! 近づきすぎだ‼︎」
ゾルスラッグは接近するローロに反応し、全身の触手をローロへと伸ばした。
「しまった! ――きゃああああぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎」
ローロは咄嗟に体を逸らすが、無数の触手相手ではなすすべなく、全身を絡め取られ、あっという間に逆さ吊りになってしまった。
すると、焦茶色の外套が盛大かつ真っ逆さまに捲れ、隠されていたローロの生足、純白の下着、そしてお腹までもが顕になってしまう。
「ジュモ! みてはいけません!」
「言ってる場合か馬鹿! 槍から絶対に手を離すなよ‼︎」
「ひぃ……わ、わかった……!」
ローロはパンツ丸出しで全身粘液まみれになりながらも、槍をしっかりと握り締め、振り回しはじめた。
『ぎゃう‼︎(ゴ主人助ケル‼︎)』
リドも、ローロを助けようと近づくが、自身を捕えようとする触手を捌くのに手間取り、中々近づけないでいた。
「ジュモ! 彼女は大丈夫なのですか⁉︎」
「安心しろ、毒はない」
「よかった……」
「ただちょっと、体の穴という穴から触手を捻じ込んでこようとするだけだ」
「だから、そうなりそうになったら俺が助ければい」――そのつもりでジュモは言ったのだが、ゼリルこローロをパニックに陥らせるには十分な衝撃だった。
「ジュモ! 一刻も早く彼女を助けなさい!」
槍を振ること、数回に一度は触手を切り落とせてはいるものの、現に今も触手はローロの
「ひぃ〜〜〜〜‼︎」
ローロはついに目と口を精一杯閉じ、股を前から両手で押さえた。
そして、その表紙に槍を取り落としてしまった。
「なにやってんだ馬鹿!」
ジュモは地面を思い切り蹴り、ゾルスラッグに急接近すると、右腕のガントレットから刃を展開し、すれ違いざまに切り裂いた。
「
ゾル・スラッグはあっという間に塵となり、触手も消滅したことで落下してきたローロを受け止めた。
「近づきすぎるなって言っただろうが」
「だって、いけると思ったんだもん……」
ローロは拗ねた様子で唇をとがらせた。
「……お前、会った時は萎らしかったが、案外ワガママだろ。――ま、お前の腕は今ので大体わかった。そのベトベト乾いたらもう一回戦うぞ。リド、ローロを乾かしてやってくれ」
『ぎゃう!(分カッタ!)』
「はあ……リドもアンタの言うこと聞いちゃってるし……」
「一応、またゾルスラッグに捕まった時のために教えといてやる」
「何? ……ロクな事じゃないとは思うけど」
「捕まったときは股の前の方守っても意味ねぇぞ。奴らが狙うのは、より体の深くまで繋がってる――ケツの穴だ」
「最ッッッッ低〜〜〜――‼︎‼︎‼︎」
ローロは顔を真っ赤にしながらジュモを睨むことしかできなかった。
◇
次にローロの前に現れた魔物は、前傾姿勢の二足歩行が特徴の犬型の魔物、コボルトだった。
「ローロ、やってみろ」
「コボルト……銅等級の中では難敵だけど……」
「コボルトは群れると連携して襲ってくるから厄介だが、一体だけなら今のお前でもやれるはずだ」
「分かった……どうやって戦えばいい……?」
「下手に近づかずに、向こうから襲ってくるのを迎え撃て……来るぞ!」
ローロを視認したコボルトは、一目散にローロへと襲いかかった。
迫りくる魔物に、ローロは「ひっ」と声を上げてしまう。
「腰引けてるぞ! 目は閉じるな! どっしり構えろ!」
目の前にまで迫ったコボルトは跳躍し、ローロから見て、左上から襲いかかってきた。
(怖い……! でも目は閉じない……! そして構える……!)
「あっ」
ジュモの方の上でゼリルが声を上げた。
ローロは飛びかかってくるコボルトの体の中心に合わせるようき、構えた槍の角度を変えた。
――そして、コボルトの爪がローロに届くことは無かった。
『GYA ……?』
コボルトの腹の中心には、ローロが突き出した槍が深々と刺さっていた。
『GYAAAA‼︎』
コボルトが、塵となって消えていく。
「や……やった……私が……私一人でやったんだ」
「ローロ! すごいです‼︎」
「やっぱできるじゃねぇか」
「じ、自分でも信じられない……」
「ヘッポコでチビでガキなお前だが、さっきの戦闘でお前の長所と短所が分かった」
「ちょっと、その呼び方やめてよ! ……長所と短所?」
「ほいっ」
するとジュモはいきなり、ローロの顔目掛けて泥団子を投げつけた。
「ジュモ⁉︎」
ローロは顔を逸らしてそれを避けようとするが、惜しくも避けきれず、頬のあたりに着弾した。
「ぐぇっ……なっ何するの!」
「それだ」
「え?」
「ゾルスラッグの触手を目で追えてた辺りから察しちゃいたが、お前の長所は動体視力だ。そして短所は身体能力の低さ。攻撃は見えてるのに、反射神経やら筋力が全く追い付いてないから上手くいかねぇんだ」
ジュモの指摘に、ローロはハッとした表情を浮かべた。
思い返すのは、幼少の記憶――。
(そうだ……。小さな頃から剣の訓練や雪合戦が苦手で、怖くてすぐに目を瞑ってた。……でもそれは、私が「視えるのに動けない」からだったんだ)
「思い当たる節、あっただろ?」
「じゃあ、今私がコボルトを倒せたのは……」
「優れた動体視力でコボルトの動きを捉え、足りない身体能力は、迎撃対応をすることで最小限の動きで対処したからってわけだ」
「じゃあ、この戦い方なら私も……!」
「……ただし、今お前が勝てたのは一対一で、真正面から攻撃してくる相手だったからだ。複数体が相手だったり絡め手を使う相手が来たらアウトだ」
「……そっか」
「……つーか、そもそもお前は槍には向いてない。それでも、流石に剣や槌よりはマシだと思うが、近接戦闘が向いてない」
ジュモの指摘に、ローロは顔をくしゃりと歪めた。
「……そんなの、自分でも分かってる。でも、私は槍がいい! この槍じゃなきゃだめなんだ‼︎‼︎」
「ローロ……」
――「危険だ」「いつか死んでしまう」、ゼリルの頭にはいくつもの言葉が浮かんでいたが、彼女の亡き母への想いの強さに口をつぐんだ。
「ジュモ……」
「どうするのか」と、ゼリルは目で訴える。
「――わかった。気の済むまでやれ」
「いいのですか?」
「どうせ俺たちが止めても無駄だろ。止まるまでとまらねえよ。んじゃ、そろそろ本格的に花を探しに行くか」
「私たち、探し物は得意なの。任せてよ」
「得意ったって、一人と一匹だろ?」
「何よ、アンタだって同じじゃない。リドが空を飛べる分、こっちの方が探し物には利があるはずよ」
「何言ってんだお前、俺たちだけで探すわけないだろうが」
「へ? 他に誰がいるっていうのよ」
「その辺のビーストに決まってるだろ」
「アンタねぇ……いくらビーストの声が聞こえるって言ったって、一匹テイムするのにも一時間くらいは掛かるでしょ? そんなことしてたら日が暮れちゃうわよ」
ビーストにとってのテイムとは即ち、自分の人生の主人を決めることである。
当然、弱い者や心の穢れた者ではテイムできず、そうでなくても時間を要する。
ましてや、複数体を同時にテイムするなど、前例がなかった。
「何言ってんだお前、そんなの一瞬だろ。――おーい、誰か力貸してくれー」
ジュモが呼びかけると、先ほどと同じように森のビーストたちが集まってきた。
「ちょ、ちょっと何これ! 一体どういうこと⁉︎」
「お前ら、この辺りにこの花が咲いてないか見てきてくれないか? 見つからなかったらすぐ戻ってきてくれればいい」
すると、ジュモの体から無数の
その数にして、およそ三十匹ほどだろうか。ジュモは、それだけの数のビーストを一度に、それも一瞬でテイムしてみせた。
「――嘘、ありえないわ……」
(餌を使わないテイム、複数体同時でのテイム。それぞれは聞いたことあるけど、それを同時だなんて! それも一瞬で……。そんなテイマーがいるなんて話、聞いたことない――‼︎)
「あ、アンタ等級は⁉︎ 銀等級異常は間違いない、金等級――それとも白金級――⁉︎」
ジュモは「またか……」と辟易した様子だった。
「ギルドカードは紛失中、紛失前は鉄等級だ」
「はっ、はあ……? 何かの冗談よね……?」
「……どいつもこいつも同じような反応するんだな。等級ってのは、やっぱそんなに大事なもんなのかねぇ……俺にはさっぱりわからねぇ」
「ええとその、ジュモは人間の街に滞在することは殆どないので、等級を上げる必要がないんです」
「いやいや、だからって……。あんたそれでよく冒険者……?」
「俺は別に冒険者になったつもりはねぇ。身分証がねぇと街に入るのに苦労するから、仕方なく持ってんだよ」
「実際、無くした状態ではジラーマに入る時も大変でしたからね……」
「あんたたち、本当に何者……? ビーストを連れ歩かずに謎のおっぱいを連れ歩いて、魔物は謎の絡繰武器で自力で倒す、あげくビーストを大量テイム。それがただの旅人なわけないでしょ! はっきり言ってメチャクチャよ⁉︎⁉︎⁉︎」
ローロは、自分の常識が一気に崩され、頭がクラクラしていた。
――ここまではジュモとゼリル。世間知らずの野生児と、記憶喪失のおっぱいの二人旅だったので、その異常さのほとんどはスルーされてきたが、当然ながらこの二人、人間の常識に当てはめると相当のイレギュラーである。
「おい、しっかりしろ」
「だ、だって〜〜!」
「ジュモ、この先に小さな聖力の反応を探知しました。数は……かなり多いですね。もしかして、群生しているのでしょうか」
「だとしたら最高だな」
「ちょ、ちょっと、その子聖力まで使えるの?」
「いえ、使えるというほどのものでは――」
引き続きローロが驚きながら、聖力の方向へと進んでいくと、ほんのりと甘く、澄んだ香りがジュモの鼻腔をくすぐった。
「花の匂いだ!」
「え? 私は何も感じないけど……」
「私も感じませんが、ジュモはどうやら感覚が鋭いみたいなんです」
「何ていうか……ますます野生児って感じね」
さらに進んでいくと、ついに、木々の間を埋め尽くすように、地面一面にポワロスの花が咲いていた。
その様はまるで、上質な青い絨毯が敷き詰められているようだった。
「わあ、綺麗……」
「間違いありません、ポワロスの花です!」
ローロが花畑へ駆けていくが、ジュモは言いようの無い違和感を覚えていた。
(妙な予感がしやがる……、なんだ……? なにがおかしい……?)
ジュモは花畑を観察した。
(……所々、花が大きく散ってる場所がある。自然にこうはならないはずだ)
するとジュモは、花が大きく散った場所に、奇妙なものが落ちているのも見つけた。
それは、千切れた赤い布切れのようだった。
(人間の物だ……、先にここにきた奴がいたのか……? いや、だとすれば花はとっくに狩りつくされているはずだ)
――そして気付いた。
赤い布の所々に白が混じっているのを。
そして、赤い布は、“血で染まった白い布”だという事に。
「待てローロ‼︎」
ジュモが咄嗟に叫んだ瞬間、ローロの足が何かに絡め取られ、一瞬にして宙吊りとなった。
「きゃああっ‼︎」
太陽に照らされ、透明な糸がきらりと光った。それこそが、ローロを宙吊りにした紐の正体。
(蜘蛛の糸――!)
「落ち着け! 落ち着いて対処しろ!」
(落ち着け、落ち着け私……! 落ち着いて糸を捉えるんだ……‼︎)
「たぁっ‼︎‼︎」
先ほどの戦闘の成果だろう。ローロは槍を手放さすに的確に糸を切り、自力で拘束を解く事ができた。
『ぎゃう!(ゴ主人、大丈夫カ?)』
「ありがと、大丈夫」
「ジュモ、これは一体!」
ゼリルが尋ねると、ジュモは首を上にあげた。
「さぁ、犯人のお出ましだぜ」
樹上から木を下ってゆっくりと降りてくるのは、二メートルはあるだろう巨大な蜘蛛だった。
大蜘蛛は鋭い顎を持ち、その体は殻に覆われており、一目でその凶暴性が見てとれた。
「
ローロが呟く。
「あいつ、人間がポワロスの花を探してることを知ってやがるな」
「どういうことですか!」
「人間がポワロスの花を探してるのを知ってて、ここで待ち伏せして人間を喰ってるんだ」
――そう。所々の花が散っている場所は、人間が争った痕跡であり、血に濡れた布切れの持ち主の末路は想像に難く無かった。
ジュモはローロの前にでると、獣形装
「待って! 相手は銀等級クラス――」
「お前は下がってろ‼︎ ゼリル、お前は肩にちゃんと捕まってろ!」
「はい!」
次の瞬間、大蜘蛛は木の幹から離れ、ジュモへと飛びかかった。
「だろうと思ったぜ!」
ジュモはすかさず前方へ滑り込み、飛来する大蜘蛛の腹の下へと潜り込んだ。
その瞬間、命の危機は一転して、攻撃の勝機へと変わる。
「食らいやがれっ‼︎」
ジュモは腕を振り上げ、空中でガラ空きになった腹に、鉤爪を突き立てた。
だが、ジュモの予想に反して大蜘蛛は腹までもが、硬い殻で覆われていた。
ギャリギャリギャリ‼︎ 殻と爪が擦れ合う摩擦で火花が散り、戦いの壮絶さを物語る。
(こいつに爪は通らねぇ……なら!)
ジュモはすぐさま身を翻し、大蜘蛛へと飛びかかる。
ガントレットはガシャリと変形し、まるで金槌の頭のような形となった。
「
ジュモの方へ向こうと体を回転させる大蜘蛛を、勢いづいた金槌が外殻を殴りつける。
大蜘蛛は少しよろめくが、致命傷を与えた様子はなかった。
「ちっ」
大蜘蛛は今度こそジュモを眼前に捉えると、鋭利な前脚をジュモへと振るい始めた。
槌と前足の打ち合いが始まり、幾度となく、けたたましい金属音があたりに響く。
「ここだっ!」
ジュモは力を込め、迫る前足を上に弾くと、ついに大蜘蛛の大勢が崩れる。
そして、八つ目の顔面に槌の拳を打ち込もうと振りかぶった。
だが、大蜘蛛は素早く後ろに跳ぶことで避け再び木の上にまでよじ登った。
そして、ジュモを侮れない相手と判断したのだろう。
膨らんだ尻をサソリのように頭上に持ってくると、地面に向かって糸を撒き散らし始めた。
「ちっ、面倒なことしやがって。それに、花が駄目になったらどうしてくれる!」
そんなジュモの事情を知ってか知らずか、糸を撒く勢いが衰える様子はなかった。
「ジュモ、ここからどうしますか?」
「心配ねぇ。こっちが糸に引っかかるまでそうしてるつもりだろうが、そうはいかないぜ、
ジュモは飛び上がると、蛇腹状のベルトを伸ばして木に巻きつけぶら下がった。
そして、巧みな尻尾捌きで木から木へ飛び移りながら大蜘蛛へと迫っていく。
「よう、来てやったぜ!」
ジュモはついに、樹上の大蜘蛛へ接近すると、大蜘蛛はジャンプ中で無防備になったジュモへと飛びかかる。
「ジュモ!」
「想定済みだ!」
迫る大蜘蛛に槌に変形したガントレットを打ち付けると、再び打ち合いの火花が散った。
互いに木から木へと飛び移りながら、空中での交錯が続く。
「そこっ‼︎」
数度の打ち合いの後、ジュモは空中で大蜘蛛の姿勢を大きく崩した。
そして、木に糸を取り付けたままの大蜘蛛を木の幹へと叩きつけると、逆さまに宙吊りになった、間抜けな大蜘蛛の完成だ。
「トドメっっ‼︎‼︎‼︎」
ジュモが大蜘蛛の腹の上に飛び乗り、ギガントオーガにしたように片腕をツルハシに変形させたその時、不意に大蜘蛛の顎が開いた。
『GISYAAAAAAAAAAAA‼︎‼︎‼︎‼︎』
思わぬ絶叫に、ジュモは反射的に耳を抑える。
「てめっ! ビビらせやがって‼︎‼︎」
「ジュモ! ローロが‼︎‼︎」
「あ⁉︎」
ジュモが振り返ると、“もう一体の”
「仲間を呼びやがったな‼︎」
ジュモは飛び乗った大蜘蛛の腹に、急いで
(倒せなくても、何とか持ち堪えなきゃ……!)
ローロは、リドラに炎で牽制してもらいながら槍を構える。
(振らずに構える……、私は攻撃を見切って合わせるだけ……!)
大蜘蛛が刃物のように鋭い前足を振るうと、ローロは槍を横に構えることで何とか防いだ。
だが、その巨躯から放たれる攻撃は重く、二撃、三撃と振るわれると、ついに槍を手放してしまった。
(まだよ……、まだ何とかして避ければ……!)
「――
そこへ駆けつけたジュモがガントレットから鋼鉄の針を飛ばすと、大蜘蛛の目を突き刺した。
『GYAAAAA‼︎』
「こっちを狙いやがれ![#「!」は縦中横]‼︎‼︎‼︎
だが、大蜘蛛はジュモの予想を裏切り、
ローロへと牙を剥いた。
「きゃあああっ‼︎」
「させるかよ‼︎‼︎」
ジュモは咄嗟にローロを押し退けると大蜘蛛の口内へと左腕を突っ込み、かぎ爪を突き立てた。
『GISYAAAAAAA‼︎‼︎』
悶絶する大蜘蛛はジュモの腕を噛みちぎらんと、口を勢いよく閉じる。
ぐちゅりと、ジュモの前腕に牙がのめりこみ、ジュモを不快な痛みが襲った。
「ジュモっ‼︎」
「ぐっ……なんのこれしき……、
ジュモは痛みを堪えながら大蜘蛛の口内で鉄の針を放ち続ける。
「これでも……喰らっとけ‼︎」
バシュン、バシュン、と射出音が大蜘蛛の体内で響くたび、噛む力は弱っていく。そしてついに、その体は塵となって消えた。
「ハァ……ハァ……ったく、守りながら戦うってのは随分難しいもんだな……」
「ジュモ、腕が!」
大蜘蛛に噛みつかれたジュモの左前腕は、外傷は表面に噛み跡がついた程度だが、傷口の付近からゆっくりとドス黒い紫色に変色していっていた。
「まさかこれは、毒……ですか?」
「……大丈夫だ、ツバつけときゃ治る」
言いながらも、ジュモの額には冷や汗が滲み、顔色からも血の気が失せ始めている。痩せ我慢なのは明白だった。
「もうポーションはないの⁉︎」
尋ねるローロに、ゼリルは苦虫を噛み潰した様子で告げた。
「……私たちが持っていたのは、あの二本きりです」
「そんな……それじゃ、私を助けたせいで……」
「いいから、とりあえず腕縛ってくれ、とびっきりきつくな。これで毒の巡りが少しはマシになる」
「うん……!」
ローロは近くに生えていたツタを切ると、慣れた手つきでジュモの二の腕にきつく縛りつけた。
その最中も、「自分にできることは何かないのか」と考え続けたゼリルは、広がる花畑を見てふと閃いた。
「……ローロ! 今ここでポワロスの花から、解毒薬は作れないのですか⁉︎」
解毒ポーションがないのならば、今ここで作ってしまえばいい、明快な理屈だった。
だが、ローロは首を横に降った。
「解毒薬を作るにはポワロスの花以外にも、『アニル草』って薬草が必要なの……。アニル草も、ポワロスの花ほどじゃないけど珍しい植物だから、どこに生えてるか……」
「そんな……」
すると、木々の隙間から数匹のリスが現れ『きゅる……』と鳴き声を上げながらジュモを見上げた。
ゼリルとローロは、気づいた。
「この子達、さっきジュモがテイムしてたビーストたちだ」
「きっと、ジュモを心配してやってきたんです……」
「悪いなお前ら、ちょっと蜘蛛野郎にやられちまってよ……」
「そうです、彼らにアニル草を探してきてもらえれば!」
「……駄目だ。俺もゼリルもアニル草がどんな匂いで、どんな色で、どんな形の植物なのかを知らねぇ」
「じゃあ、私が今教えるから……!」
「駄目だ。言葉だけで伝えたって、無数にある植物のなかからアニル草だけを探すのは無理だ」
「それじゃ、私は……」
すると、ジュモはゼリルの肩に手を置いた。
「だから、お前がやるんだ」
「え……?」
「お前がアニル草のイメージをこいつらに伝えるんだ」
「……私なんかがそんなの、できるわけない」
「今までのお前はやり方を知らなかっただけだ。落ち着いてこいつらの頭ん中にお前のイメージを送るイメージでやればいい。だが、もしできなかったら俺は死ぬ。それだけの話だ」
「……そうだ、私がやるしかないんだ」
ローロはその場にしゃがむと、リスたちに語りかけはじめた。
「お願い、ジュモを……彼を助けるために力を貸して……!」
ローロは目を閉じると、アニル草のことを思い浮かべる。
(アニル草……、一つの根っこから柔らかくて細い茎がたくさん広がって、それぞれの茎には丸い葉っぱがたくさん生えてる。色は……、明るい緑色だけど、葉っぱを裏側から見るとほんのり紫色。それで、たっぷり水分を蓄えていて、いつも濡れている。葉っぱを触るとさらさらしていて、匂いはほんのりハーブみたいな香り――)
『アノ草カナ?』
『キットソウ!』
『今日見タヨ!』
(――え?)
目を開けると、ビーストたちは意見を出し合っているかのように見合って、互いに何かを話しているようだった。
「もし私のイメージが伝わってたらお願い――、アニル草を採ってきて……!」
すると、ビーストたちはすぐに散り散りに駆け出していった。
「――できたじゃねぇか」
「……ええ! ローロ、すごいです‼︎‼︎」
「上手く行ったのかな……」
「あとは……心配なさそうだな」
するとジュモは、どさり力なくその場へ座り込んだ。
「ジュモ!」
「……ゼェ……ハァ……、最悪だ、目眩はするし何もしてねぇのに息が上がる……」
「じっとしてて!」
ローロは自分のリュックから乳鉢と乳棒、それから小さな鍋を取り出し、そして水筒に入っていた水を鍋の中へ空けた。
「ローロ、一体何を」
「解毒ポーションをつくるには、アニル草は煮る必要がある。だから、先にお湯を湧かすの!」
ローロは落ちている枝を素早く集めて薪を組んだ。
「リド、着火お願い!」
「ギャウ!」
薪に火がつくと、火が大きくなり始めたのを確認してから水の入った鍋を乗せ温め始めた。
「……随分慣れてんな」
「喋らないで安静にしてて……私が黒牙の団じゃできることは索敵以外には雑用くらいしかないから戦闘以外のことは大体やらされてた。……でも、今だけはそれに感謝かもね」
水が湧き始めたころ、ローロたちの元へ、徐々にアニル草が集まりはじめていた。
「みんなありがとう、これなら……!」
ローロはアニル草を鍋で煮ると、ポワロスの花と一緒に乳鉢の中ですり潰す。すると、たちまち青緑色の絞り汁がたっぷり出てきた。
「できた……!」
「ローロに渡した解毒ポーションとは色が少し違うようですが、これでも十分に効くのですか? それに、量も少ないような――」
ゼリルの言う通り、ヒルナからもらったポーション透き通ったターコイズブルーだったのに対し、乳鉢の中の液体は少し濁った色をしていた。
「大丈夫。ポーションは聖水を混ぜ効力を上げてるから水かさが多くて色も透き通ってるんだけど、今回は新鮮な素材で作るから、私が貰ったものと同じくらいの効果はあるはずよ」
ローロはジュモの元へ乳鉢を持っていくと、そのまま口へ当てた。
「苦いけど我慢して!」
ローロは、絞り汁が全て無くなったのを確認すると乳鉢を離す。
「――がはっ、苦げっ! うぇっ! げほっげほっ!」
「ジュモっ!」
「よかった……」
「まっじぃ……」
「もう、開口一番にそれですか?」
いつも通りの様子のジュモに、ゼリルは安堵した。
それから少しすると、ジュモの顔色は徐々に戻っていき、回復の兆しが見えていた。
◇
ポワロスの花をたっぷりと採取したジュモたちは森の出口へと向かっていた。
「そういや、お前街からどうやってここまできたんだ?」
「行きは馬車。でも、帰りはいつになるかわからないからって迎えの馬車はなし……笑えるよね、テイマーなの歩きってさ」
「なら、ビーストに乗って帰ればいいじゃねぇか」
「だから、アンタと違って私はこの子以外テイムしたことないの。……というかこの子も、初めから懐いてたようなもんだし」
「なら、次にビースト見つけたら一回やってみろ」
「ええ? 無駄だと思うけど……」
ほどなくして、森を出た先の平原で、ケリューディアーを見つけたジュモは、ローロのテイムを見守ることにした。
「スゥー…………お願い! 私のビーストになって!」
ローロは深呼吸してケリューディアーに詰め寄ると、
だが、ケリューディアーはそっぽをむくと後ろ蹴りで
「あぁ〜〜……。ほら、上手くいかないでしょ?」
「……そりゃ上手くいかねぇわけだ」
「何が悪いっていうの?」
「例えばそうだな……お前初対面のやつに結婚してくれ、って頼まれたら、お前どう思うよ」
「それは……、いきなりすぎてちょっと怖いかも」
「それと同じだ」
「……え?」
「ビーストからしたら、知らない人間がいきなり「一生私についてきてください」って言ってくるようなもんだ。断られてあたり前だろ。お前はテイムの時、ビーストに向ける感情が重すぎる……」
「……でも、それをやるのがテイマーだし、そんなこと言われても」
「何も、ずっとついてくるようにテイムしなくても、その時だけテイムすればいいだろ」
「ど、どういうこと?」
「あ? だから、「街まで送って欲しい。そうしたらすぐに住処へ帰って大丈夫」ってはじめから伝えるんだよ」
「そ、そんなことができるの……⁉︎」
「できるも何も、さっきお前もそうやってアニル草を採ってきてもらってただろ」
「本当だ……!」
ローロは、目から鱗が落ちるようだった。
テイムと言えば、ずっと自分のパートナーとしてついてきてくれるビーストをテイムするという意味であることが常識だった。
だが、ジュモのテイムはいわば、『一時的なテイム』であった。
「そんなの考えたこともなかった……」
「ジュモのこの考えかたはそんなに驚くものなのですか? 一時的なテイムなんて、既に誰かは思いついていそうなものですけど」
ふと思った疑問をゼリルが投げかける。
「一応、現地でビーストをテイムして、その場所を離れる際にはテイムを解除するってやり方はあった。でもそれだとテイムに掛かる時間は通常のテイムと変わらなかった。……でも、ジュモの方法ならそれが一瞬でできるようになる! これが皆できるようになったら革命よ!」
「ふうん、どれほどすごいかってのはイマイチわからねぇが、ま、やってみろよ」
「う、うん!」
ローロは今度、別個体のけリューディアーに近づいていくと、街への帰り道をイメージしながら話しかけた。
「お願い、私たちを街まで連れていってほしいの。道のりは……、あなたの速さなら、この草原から三時間くらい。もちろん、食べ物もたくさん食べさせてあげるわ」
すると、ケリューディアーはローロに横付けになると足を折りたたみ、姿勢を低くした。
そして、ローロが
「じゅ、ジュモ! できた! 私にもできたよ!」
「わぁ、ローロ、やりましたね!」
「わかったから落ち着け、そいつがびっくりするだろうが」
「そ、そっか……ごめんなさい」
そしてジュモも別個体をテイムするとようやく出発の準備が整った。
「じゃ、日が暮れる前にさっさと出発するぞ」
ジュモのテイムによる、ビーストの能力上昇の恩恵は凄まじく、田安kうローロを置いていってしまう。
「ちょ、ちょっと! 置いてかないで!」
「なら、追いついてみろ!」
「くっそう! 今にみてなさいよ!」
そんな意気込みが伝わったのか、ケリューディアがフンス、と花をならし駆け出した。
◇
ローロがまだまだビーストの騎乗に慣れていないこともあり、途中何度も休憩を挟む事になったが、一行はなんとか門が閉じる前に街に戻ることができた。
「へぇ、なんとか夜になる前に戻ってこれたぜ」
「……ねぇ、返したケリューディアーたちは大丈夫かなぁ」
「なに、あいつらは夜目が効く。そうそう
「そっか、よかった……」
「じゃ、さっさとヒルナのとこに、花渡しに行くか」
「ヒルナって……聖女ヒルナ様⁉︎」
「うおっ、なんだ、急にでかい声出すなよ」
「だって、ヒルナ様から依頼されるってすごいことだよ⁉︎」
「すごいことねぇ……あの痴女が?」
「ヒルナ様に対してその物言い、信じられない!」
「ああ⁉︎ だってありゃ痴女だろうがよ」
「あれはヒルナ様の戦い方に合わせて作られた聖衣だからあれでいいの!」
「へいへい」
「……ね、ねえ! 私もついていっていい⁉︎ 私もヒルナ様に会いたい」
「まあ勝手にしたらいいんじゃねぇか?」
「本当⁉︎」
ジュモの返答に、ローロは目を目を輝かせていると、ゼリルがそっと耳打ちする。
「(……いいのですか? 勝手にそんなことを言って)」
「いいだろ、減るもんでもねぇし。それと、そろそろ人通りの多い道に出る。リュックにしまうぞ」
「……仕方ありませんね」
そうして一行は教会へと向かった。
そしてその道中、酒場の立ち並ぶ繁華街を通っている時のことだった。
「あ……」
ふとローロの足が止まった。
「どうした?」
ローロの視線の先には酒場の軒先で、数人の冒険者であろう男たちがテーブルを囲み、愉快そうに酒を仰いでいた。
「げぇ」
下品な笑い声を上げながら大騒ぎする様子にジュモは顔をしかめるが、男たちはジュモに気づかず、呂律の回らない舌で話始めた。
「そういや、今頃あのガキどうなってると思う?」
「さあ、洞穴に閉じこもってガタガタ震えてるんじゃねぇか?」
「馬鹿言え、とっくに魔物に食われてるに決まってるだろうが!」
「そりゃそうか!」
「「「「「ぷっ……ぎゃはははははは‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」」」」」
『……なんだか、不愉快な人たちですね』
リュックの中でゼリルが呟くと同時に、席の奥に座る黒髪をオールバックにした巨漢がジュモたちの方を見ると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「おいおいおい、噂をすればじゃねぇか! 生きて帰ってくるとは驚いた、とっくに野垂れ死んでると思ってたぜ!」
すると男たちは一様に驚いた様子だった。
「なんだ“ガキ”じゃねぇか! ったく、こんなことなら賭けておくんだったぜ」
手前に座る男が、振り返りながら可笑しそうに話した。
「お前が逃げ帰ってくるか、魔物に食われて帰ってこないか賭けようって話になったんだけどよ、全員『帰ってこない』に賭けようとしたせでい賭けならなかったんだよ」
「「「ぎゃはははは‼︎‼︎‼︎」」」
「――ローロ、こいつらはなんだ」
ジュモがローロの前に出た。
その言葉には、鋭い怒気が込められていた。
すると、男たちはようやくジュモの存在に気がついた。
「へぇ……、その男に助けて貰ったってワケか」
「ゼイラー……」
『ゼイラー……ローロの所属するギルド『黒牙の団』のリーダー。つまり目の前の彼らこそが、ローロ森へ向かわせた張本人、ということ」
「……どうしてこいつ一人で行かせた」
ジュモが睨むと、ゼイラーはオールバックの髪を撫で付けながら太々しく答える。
「戦闘に使えねぇテイマーの仕事つったら物探しって相場が決まってるだろ?」
「答えになってねぇ。どうして一人で行かせた」
「なに、俺たちはこいつに訓練を与えてやっただけだ、ちょっとばかし厳しい訓練を、な」
「てめぇ――」
「そいつはうちの
するとゼイラーに続いて、手前の男がニヤニヤと不愉快な笑みで言った。
「アンタひょっとしてローロが気に入ったのか? リーダー、一晩銀貨十枚くらいで貸してやるのはどう――」
――次の瞬間、けたたましい破砕音と共にテーブルが破壊され、黒牙の団は騒然となった。
そして、その中心には、崩れたテーブルに男の頭を押し付ける、ジュモの姿があった。
「て、テメェなにしやがる!」
「何しやがった!」
「俺たちゃ黒牙の団だぞ!」
「――殺すまでその減らず口は止まらなそうだな」
ジュモは凍つくような視線で残る男たちを視界に捉えると、リュックをその場に置き捨て進んで行く。
「ジュモやめて! 黒牙の団は全員銅等級以上! それにゼイラーはアーティファクトを持ってる!」
――アーティファクト。特殊な製法によって造られたとされる、同じものは二振りとない希少な武器の総称である。
そして、それらには例外なく、“固有の能力”が宿っているのが特徴だった。
そして、ローロはリュックへ駆け寄ると、中からゼリルを出した。
「ゼリル! ジュモが……!」
「ええ、ジュモの視界を通して私も見ていました」
「なら、ジュモを止めて……!」
ゼリルはローロの手から飛び降りると、ジュモへ呼びかけた。
「ジュモ――――殺さない程度に、懲らしめてやりなさい」
「ゼリル……⁉︎」
ジュモを止めてくれると思っていたゼリルの裏切りに同様するローロに、ゼリルは語る。
「彼らは罪を犯してきて、そして今その報いを受ける時が来た、それだけの話です。……それに、ジュモが彼らなんかに負けるはずがありません」
「――な、なんだよ、やろうってのか!」
「テメェら何ぼさっとしてやがる! 黒牙の団を舐めたらどんな目に合うか、さっさと思い知らせてやれ‼︎‼︎」
迫りくるジュモの気迫に同様する団員たちだったが、ゼイラーが発破をかけると、各々武器を抜き、取り囲むようにジュモに襲いかかった。
だが、それすらもジュモは流れ作業のように
掴み、地面に叩きつけ、別の男に投げつけ、確実に意識を潰していく。
あまりに一方的なその様は、まるで蹂躙であった。
「――へぇ、少しはやるじゃねぇか」
ただ一人、ゼイラーだけは、剣の柄を握ってはいるが、椅子に座ったままどっしりと構えていた。
ジュモは言葉を返すことなく、ゼイラーの顔面へ右ストレートを放つ。
びゅんと風を切り放たれたその拳は、ゼイラーの鼻っ柱を――折ることは無かった。
「速いな」
「あ?」
ゼイラーは首を捻りそれを躱していた。
「なぜ避けられたかわからねぇって面だな」
ゼイラーはようやく腰を上げると、その手に持った装飾華美な両手剣をジュモに見せつけた。
「こいつは予剣ロノス。この件を握っている間は、五秒間先の未来を予知することができる。これがお前の攻撃が当たらなかった訳だ」
「そんなことベラベラ喋っていいのかよ」
「分からねぇか? それほどまでにこいつは強力ってことだよ……次はこっちから行くぜぇ!」
ゼイラーは予剣ロノスをジュモに向かって振りかぶる。
「ロングソードの弱点である振りの遅さを未来予知で補う。予剣ロノスこそ最強の武器なり――!」
現に、ゼイラーの視界には、予剣ロノスに貫かれるジュモの姿が見えていた。
だが、刺さる寸前のところで横に薙ぐように振られたガントレットがそれを受け止めた。
「――なっ‼︎」
今度は、ゼイラーが驚く番だった。
ゼイラーは再び未来視を行う。
(見えた! 俺の下段の切り払いが奴の足を切り裂くビジョンが……!)
だが、太もも目掛けて振るわれた剣は、今度は蹴り上げられ、防がれてしまう。
――それから、何度未来視を行っても、予剣ロノスがジュモを貫くことはなかった。
(な、なぜだ……! なぜ当たらない……‼︎)
「未来予知ってのもたいしたことねぇな」
ジュモの挑発に、ゼイラーは動揺した。
「て、テメェ……さっきからどうやって防いでやがる……‼︎」
「その未来視ってのがどんなもんかしらねぇが、要するに“超精度の高い予測”なんだろ? ならその予測を超えてやりゃいい」
「だから! それをどうやってるか聞いてるんだ‼︎」
「あ? んなの、考えずに反射で動けばいいだけだろ」
簡単に言ってのけるジュモだが、その隙はごくわずかな間しかないことは明白だった。
「考えないで……だと……⁉︎ そんなことがあるものか‼︎」
ゼイラーはさらに顔を真っ赤に染め、ジュモへ剣を一心不乱に振るう。――それこそ、周りが見えなくなるくらいに。
「――そんなんじゃ、視えるもんも視えねぇぞ」
「何をっ……!」
するとゼイラーは、ぐにゃりとした何かを踏んだ。
「痛っ!」
「な、なんだっ……!」
不意に足元から聞こえた少女の声に目を向けると、そこにあったのは、おっぱいだった。
「は……?」
ゼイラーは訳もわからぬまま足を滑らせ倒れ込むと、拳を鳴らしながら自分を覗き込むジュモの姿があった。
「いくら見えるったって、結局テメェの視界に依存してちゃなぁ!」
「や、やめっ……!」
「知るかよ」
「ぎゃあああああああああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
◇
「ジュモ、もういいでしょう」
「あ? いいわけあるか。殺さない分、二度と戦えないくらいに精神をへし折ってやらねぇと」
「いえ……だからもういいと言ってるのですが……」
ジュモは、倒れ込んだゼリラーの顔面を一方的に殴り続けた結果、顔はパンパンに膨れ上がり、所々葉もかけており、元の傲慢な顔立ちは見る影もなかった。
すると、いつの間にか集まってきていた野次馬の中から、修道服を着た少女が出てきた。
「一体何の騒ぎですか!」
「ああ、あんた確か……」
「ユーハさんじゃないですか、どうしてここに」
「それはこっちのセリフですよ。一体どういう状況です?」
ユーハの視線の先には、崩壊したテーブルと、そこに積まれた意識の無い黒牙の団の山があった。
「あ、あの! その……ジュモは悪くなくて、私のために……」
ローロが弁解しようとするよ、ユーハはもう一度状況を見渡した。
「……少なくとも、あなたから仕掛けたわけではなさそうですね」
「……ジュモは、私がちょっとゼイラーたちに悪く言われてるのを聞いて、ジュモは怒ってくれたんだ」
「ちょっとだって? あれがちょっとなもんか。あんなやつら殺して当然だ」
ジュモの不穏な発言に、ユーハの瞳が鋭くなる。
「「ジュモは一回黙ってて1(ください!)」」
「……うっす」
ローロとゼリルの波状攻撃に、流石のジュモも身を引かざるを得なかった。
「……まあ、今回はこれ以上罪を追及することもないでしょう。あとは衛兵の仕事です。それで、花は集まったのですか?」
「ああ、ポワロスの花ならそこのリュックの中だ」
その吉報をきくと、ユーハは胸を撫で下ろした。
「では今からでも教会に戻るといいでしょう。あなたも来ますか?」
「えっ、は、はい……1」
◇
ユーハに再び治癒室に通されると、何やら薬の調合をしているヒルナの姿があった。
「ジュモくん……! ポワロスの花は見つかった……⁉︎」
「ああ、安心しろ、大量だ」
「よかった〜〜〜〜〜」
ヒルナはあまりに安心したのか、そのままベッドに倒れ込んだ。
「おい、大丈夫かよ」
「……本当にジュモ様が最後の頼みだったので、気が気じゃなかったんですよ、ヒルナ様も私も」
「これでようやく事態が好転しそうだよ…………。それで、その子は?」
ローロの様子は明らかに緊張しているものだった。
「お、お初にお目にかかります、ローロです……」
「ヒルナ様、そのあたりのことも含めて、お話したいことがございまして――」
それから、ユーハが黒牙の団を巡る一連の騒動について話し終えると、ヒルナは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「ポワロスの花が大量なのはいいけど、揉め事まで持ってこいって言った覚えはないよ?」
「しょうがねぇだろ、ガキほっとくわけにはいかねぇし、あんな最悪な奴らを野放しにしておくわけにもいかねぇ」
「……正直、そう言いたくなる気持ちも、わからないではないけどさ」
「あの、ヒルナさまも黒牙の団のこと、知ってるんですか」
「それもよくない方向でね。彼らも何度か治療を受けに来たことがあったけど、そのときもやれ早くしろだの、もっと上手くやれだの、まあ横暴だったね」
「ご、ごめんなさい……」
「ああ、君は別だ。君も私と同じ、黒牙の団から迷惑掛けられた身だからね」
「でも……」
「正直ジュモくんが助けに入ってくれてよかったよ。『恨みばかり買ってたらいつか痛い目を見る』いい灸になったんじゃないかな」
「あいつらのこと知ってたんなら、もっと早くなんとかできなかったのかよ。俺がこなけりゃこいつは死んでたんだぞ!」
「――この毒騒ぎでそれどころではなかった、とか、
そこはギルドの管轄だから、とかは、言い訳にはならないだろうね」
すると、ヒルナはローロに頭を下げた。
「私の目が行き届かず、すまなかった。この件はすぐにギルドに報告し、しかるべき処分をしてもらうよう約束する」
「そんな! ヒルナ様、頭を上げてください!」
「私からも、謝罪させてください」
続くように頭を上げるユーハ。
ここまで誠意の籠った謝罪を受けるのは人生で初めてのことだったローロはただただ慌てふためくしかできなかった。
「え、えーと、私も花を採ってきたきたんですけど、それは……」
「おそらく、ギルドで依頼を受けてきたんだろう? 結局は巡り巡って教会に入ってくるだろうが、ギルドに持っていくのが一番面倒がない。
「わ、わかりました」
「んじゃ、これ花だ」
ジュモはリュック机に置くと、いっぱいに詰まったポワロスの花を見せた。
「こんなに……⁉︎ すごいね! 群生地でも見つけたの?」
「ああ。蜘蛛野郎が人間を誘き出すための狩場にしてやがったけどな」
ざっくりしたジュモの説明に、ローロが補足した。
「
「……なるほど、通りで群生地の情報が上がってこないはずだ。でも、勝ったんだね?」
「あやうく死にかけたけどな。……これでももってこれるだけ持ってきたつもりだが、花はまだ大量に残ってた。足りないなら取りに行かせるといい」
「本当⁉︎ それなら、すぐに冒険者を手配してもらうことにするよ」
「群生地のあった場所なら私が覚えてます」
「そっか、じゃああとで教えてくれる」
「……でも、銀等級の大蜘蛛が出るなんて、やはり異常事態と言わざるを得ませんね」
「そうだユーハ、あの薬持ってきてくれる? 三種全部」
「……はい? 一体なにに使われるんですか?」
ユーハは首を傾げながら、奥の部屋から三つの小瓶を持ってくるとテーブルの上にならべた。
小瓶の中には、灰色、水色、黄色と、それぞれ異なる色の液体が入っていた。
「なんだこりゃ?」
「報酬は聖衣で前払いって話だったけど、ここまで働いてもらって聖衣だけってのは味気ないと思って」
「この薬……毒、とかですか?」
ローロが尋ねると、ヒルナは関心して頷いた。
「そ。ただし、単なる毒じゃなくて、属性毒だ。より効果の高いポーションを作る過程で生まれたものでね、使い所がなくて困ってたんだけど、ジュモくんなら上手く使ってくれるかなって」
「ようするに要らねぇもん押し付けただけじゃねぇか。どうやって使えばいい?」
「それぞれ石化、凍結、麻痺の薬になってる。刃物とか矢に塗って使うといい。ただし、強力だからくれぐれも自分の手にこぼしたりしないようにね」
「……いまいち使い所は思いつかねぇが、とりあえずもらっておくことにするか――じゃ、俺たちは」
「――うし、そろそろ出るか。なあヒルナ――」
「すう……すう……」
一瞬目を離した隙に、ヒルナは目を閉じ寝息を立てはじめていた。
「ひょっとしてこれは……」
「まさか、こいつ寝てるのか?」
ユーハがヒルナへ顔を近づけて、様子を確認する。
「……はい、ヒルナ様はお眠りになっています。おそらく、ポワロスの花が手に入ったことで緊張の糸が切れてしまったのでしょう。……こうなってしまうとヒルナ様は中々目を覚しませんし、せっかくですのでお休みいただきたい所です」
「ま、仕方ねぇわな」
「私はこれから、仲間の調合師を呼びつけて解毒ポーションの量産に入ります。今日も泊まっていただいても構いませんが、お世話は――」
「いや、必要ねぇ。宿はこっちでなんとかするさ」
「それは……正直ありがたいですね。それに――」
ユーハは、昨日の浴場での一幕を思い出し、顔を真っ赤に染めた。
「あ? どうしたいきなり」
「な、なんでもありません!」
彼女は昨日の浴場での一幕を思い出し、赤面した。
◇
教会を後にした一行は、ローロを送るため、宿があるという方向へ向かっていた。
「……ジュモ、ありがとう」
「ありがとうって、どの事だ?」
思い返せば森でローロを助け、街では黒牙の団を倒し――と、既に二度もローロを救っているジュモだった。
「全部だけど……特にゼイラーたちをボコボコにしてくれて」
「あいつらが許せねぇから勝手にやっただけだ。それに、俺はまだあの場であいつらを殺さなかったこと、納得いってないからな」
「こら、物騒なことを言うんじゃありません。懲らしめる程度に留めなさいと言ったでしょう」
「わからねぇな……ま、ともあれ、これでお前もあんな奴らから離れられるな」
「うん……」
頷くローロの顔には、不穏な影が落ちていた。
「どうした」
「そ、そうだ、私あんたを連れていきたい店があるんだ。私がたまに行くカフェなんだけど」
「かふぇ……つーと、なんだ、食い物か?」
「そう! 食い物!」
「そうこなくっちゃな!」
そうして案内されたのは、大通りから一本外れた場所にログハウスの店舗を構える、小さなカフェだった。
「いらっしゃいませー、あらローロちゃん! 随分久しぶりじゃないの!」
出迎えたのは恰幅のいい中年の女性の店主だ。
ローロとは顔見知りらしく、きょとんとした顔でジュモとその肩に乗ったゼリルを交互に見つめた。
「あら、そちらの方……たちは?」
「こいつはジュモと、ビーストのゼリル。命の恩人だよ」
「あら、あらあら! 変わった人たちだと思ったけど、それじゃあおもてなししなきゃね。注文はいつも通りでいい?」
「うん! ジュモも私と同じもので!」
「おい、俺にも選ばせろよ」
「その……私が好きなもの、ジュモにも食べて欲しくて……だめ、だったかな?」
「俺は肉は食わねぇ。ただ、それ以外なら食ってやる」
少女らしいあどけない上目遣いに、ジュモは頷く他なかった。
程なくして、盆に料理を乗せた店主がやってきた。
料理を準備し終えたおばさんがやってきた。
両手に持った盆にはティーポットと、黄金色に輝く熱々ののパイが乗っていた。
「はい、スナップベリーの紅茶とはちみつパイだよ」
「わあぁ……!」
(何かと思えば、茶と菓子か……)
ジュモは一瞬不満に思ったが、目を輝かせるローロを見て、さすがのジュモも口に出すのを躊躇った。
「ん〜‼︎」
「そんなに美味いもんなのか……」
「ジュモも食べなよ、今日は私がご馳走してあげる」
「へっ、ガキにたかるほど落ぶれちゃいねぇよ。俺にだってそのくらいの金……」
「ほとんど使っちゃったんじゃないでしたっけ?」
「……そうか」
「それに私には、これくらいしかお礼できないから」
「あ? なんだそんなこと気にしてたのか」
ローロは頬を少し赤らめて尋ねる。
「だって、ジュモは私の体とか……興味ないでしょ?」
ジュモはすぱん、とローロの頭をはたいた。
「くだらねぇ冗談はもっと大人になってから……いや、大人になったって言うもんじゃねえ」
「だ、だって……!」
「いいぜ、そんなに美味そうに食うんだ、どれ、食ってやることにしよう」
一口パイを口に入れた途端、ジュモの口の中を濃厚な甘味が駆け抜けた。
「なんだこりゃ⁉︎」
ジュモはハチミツは食べたことがあったが、サクサクのパイの美味さは初めて知るものだった。
あまりの美味さに無意識に二口目の手が動く。
「ジュ、ジュモ! 私にも一口ください!」
「おっぱいが何寝ぼけたこと言ってやがる!」
「さ、差別! 差別です‼︎」
「バカ、お前が物食えたところで、これは一口もやらねぇよ!」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて〜〜ー‼︎‼︎‼︎」
パイをひとしきり食べ終え、腹も満たされてきた頃、ローロはジュモに尋ねた。
「なあ、ジュモはこれからどうするんだ? まだこの街にいるのか?」
「いいや、ギルドカードが手に入ったらここを出て、旅を続けるつもりだ」
「そっか、すぐ行っちゃうんだ……」
「ローロ……」
いつも気丈に振る舞おうとするローロだが、見せたのは年相応の子供らしさだった。
「あいつらはボコボコにしたし、お前はこれからどうするんだ?」
「私は――」
言い淀むローロにゼリルは声を掛けた。
「よろしければ、私たちと一緒に旅をしませんか?」
「おい、言っておくが今日みたいに守ってやれるとは思うなよ」
「……大丈夫。私はまだこの街に残るから。ジュモの言う通り、私じゃ二人に着いていていける気がしないし、この店もあるし」
「おう、そか」
そう言ってジュモは席を立った。
「ね、ねぇ今日泊まるところはあるの? ちょっとボロボロだけど、私、部屋も借りてて――」
「いや、大丈夫だ。――じゃあまた、縁があったならな」
「ちょっと、ジュモ!」
ジュモは留まろうとするゼリルを引っ掴むと店を後にした。
〈第五節 男と娘〉[#「〈第五節 男と娘〉」は中見出し]
店を後にしたジュモは、夜の街をアテもなくジュモは歩いていた。
「……どうしてですか」
「何がだ」
「ローロのことです。何もあんな去り方しなくても。それに、私の考えが外れていなければ、彼女はジュモと一緒に旅をしたいと思っていたはずです」
「……かもな」
「なら……」
「言ったろ、今のあいつじゃ連れて行くのは無理だ。……旅に連れ出して死ぬよりも最悪なことってないだろ?」
「ジュモ……」
「少しだが、武器の扱いもテイムの仕方も教えた。あとはあいつ自身が上手くやるさ。この街に残るってのも、あいつが決めたことだしな」
「そう……ですね。――それで、今日の宿はどうしましょうか。教会からは追い出されましたし、ローロからの誘いもジュモが断ってしまいました」
「それは……これから考える」
実のところ、ローロの提案はジュモにとって渡りに船たった。
だが、それでもジュモは断ったのだ。ローロがこれ以上自分達に情が湧かないように。
大通りはすっかり日が落ちているにも関わらず街は活気で溢れており、多くの人々が行き交っていた。
「あ?」
ジュモは正面から歩いてくる、痩せた初老の男がやけに目についた。
「ジュモ、どうかしたのですか?」
「いや……」
そしてすれ違いざま、男はジュモのウエストポーチへと手を伸ばした。
その手にはナイフが握られていた。
ポーチを斬りつけ中身を奪う魂胆だろう。
「そう来ると思ったぜ!」
そして当然、それを見逃すジュモではなかった。
ジュモは男の手首を掴みあげると、道路脇の壁へと叩きつけた。
「ジュモ!」
「テメェ今、ポーチを盗ろうとしやがったな!」
「ひ、ひいっ!」
ジュモは男に向かって拳を引き絞る。
「やめなさいジュモ!」
「分かってるよ、殺すなってんだろ。黒牙の奴らと同じように、ちゃんと死なない程度にぶちのめして衛兵に突き出す」
「そうではありません!」
再度のゼリルの制止に、ジュモはため息をついた。
「はぁ、じゃあなんだってんだ。こいつはビースト達からもらったもんがつまったポートを盗もうとしたんだぞ! まさか、許せなんて言うつもりじゃないだろうな」
「無論、彼が行おうとしたことは許されることではありません。罪を犯したものは、相応の罰を受ける必要があります」
「なら」
「――ですが、私は彼がこのような行動を取った理由が気になるのです」
「はぁ?」
自分の物を盗もうとした男を擁護しようとするゼリルに、ジュモは疑念の目を向けた。
「……彼にもそうせざるを得ない事情があったのではないかと、私はそう思うのです」
男は、ゼリルが喋る様子に一瞬目を剥いたが、すぐにジュモの方へ向き直り、腕を捻られながらも頭を下げた。
「たっ、頼む……! せめて明日まで待ってくれ‼︎」
「明日までだぁ……?」
「ああ! それを過ぎたらどんな罰でも受ける! だからせめて、明日まで待ってくれ!」
ゼリルの言う通り、確かに男の必死は異常だった。
それは人間嫌いのジュモにでも「裏に何か事情がありそうだ」と思わせるほどだ。
「……」
ジュモは渋々、男を壁に押し付ける力を弱めた
「とりあえず、話だけは聞いてやる」
「ジュモ……!」
「あ、ああ……ありがとう……」
男は膝から崩れ落ちると、額が地面に擦れるほど頭を下げた。
「……いいから話せ」
(……こんな事する奴だ、どうせ理由だってしょうもないに決まってる)
ジュモは自分にそう言い聞かせながら、男を睨み続けた。
――だがそれも、男が話し始めるまでの話だ。
「――娘の病を治すために、金が必要だったんだ」
“娘のため”。その男の言葉に、ジュモの内心は揺れ動いた。
なぜなら、子供にいは何の罪もないからだ。
「教会にいけば、金を払わなくても治してくれるんじゃないのか?」
男は頭を垂れながら首を横に振った。
「勿論、すぐに教会で娘を見てもらった。……だが、娘の病は教会の聖術じゃ治らないと言われたよ」
「どういうことだ……、まさか嘘じゃないだろうな」
「ジュモ……。ですが聖女でも直せない病があるなんて……」
男は、ジュモが納得するまで自信を逃すことはないと悟る。それからの行動は早かった。
「……家へ案内する。ついてきてくれ」
男は立ち上がると、裏通りの方へゆっくりと歩き始め、ジュモたちは古びた宿へ案内された。
軋む階段を登りながら、ジュモは尋ねる。
「いいのかよ、俺たちを上がらせて」
「……私は、どうしても今ここで捕まるわけにはいかない。だが、あんたから逃れられるとも思えない。だから、出来うる限りのものを見せて、信じてももらうしかないんだ」
項垂れながらも男の双眸には、ジュモが身構えるほどの意思が見て取れた。
「……それに、私にはあなた達が悪人には見えない」
男は軋む扉を開けながら呟いた。
そこは、テーブルやソファーなど、いくつかの家具が置かれただけの、殺風景な部屋だった。
そして、部屋の隅にあるベッドには、十二、三歳くらいだろうか。
ローロと同じくらいの少女が、静かにベッドへ横たわっていた。
頬が少し痩け、痩せているようには見えるが、穏やかに寝息を立てる姿は一見、病を患っているとは思えない。
「彼女が……」
「娘のアンナだ……眠っているみたいだろう。だが、一ヶ月はこのままだ」
「それだけの間、寝たきりなんですね……」
ジュモに椅子を差し出すと、自身はアンナが眠るベッドの横に腰掛け、ポツリ、ポツリと話し始めた。
「私は商人をやっていてな。妻を早くに亡くし、預ける宛もなかった故に、娘を連れながらあちこち旅をしていた」
ニューヴァリアでの子供を連れての旅。それがどれだけ過酷なものか、ジュモはもちろん、ゼリルでさえ想像に難くなかった。
「もちろん、できるだけ危険な目に遭わないよう、護衛は複数人雇い、天候も必ず占ってもらっていた。……最善は尽くしてきたつもりだった。……だがあの日予報は外れ、空には分厚い雲が空に掛かり、まるで夜だった」
夜が原因で起こる事故。その要因は決まり切っている。
「魔物……だな」
ジュモが聞くと、男は静かに頷いた。
「私たちは魔物の群れに襲われた。護衛の奮闘もあってなんとか一命は取り留めたものの、その際に娘は重傷を負ってしまった。……襲われた地点から、この街までそう遠くなかったのが不幸中の幸いで、すぐに教会に駆け込んで聖女ヒルナに治療をしてもらったよ」
「……ですが、意識が戻らないということは、聖女ヒルナの治療は失敗したのですか?」
「いや、治療は問題なく終わり、娘が身体に受けた傷は、跡も残らないほどに完治した」
「なら、なんでそいつは目覚めない」
「『魂隠れ』、だと言われたよ」
「魂隠れ?」
「……身体には何の異常もないにもかかわらず意識が戻らない。いわば“魂の病”だそうだ」
「彼女は、魂に傷を負っているということですか?」
「ああ。魔物に襲われた者の中で、時折このような症状になる者がいるそうだ。特に子供の未熟な魂ほどなりやすいと」
「その魂の病ってやつは、教会は治せないんだな」
「そうだ。教会では、怪我や風邪、毒など、肉体の損傷は治せるが、魂の病は王都や聖都にいる、魂の扱いに長けた聖女でないと直せないそうだ」
「王都か……」
ジュモは頭の中にニューヴァリアの地図を思い描く。 このジラーマの街は大陸南部に位置している。
一方、王都は大陸の中心にあり、聖都にいたっては最北端だ。今の彼女を連れて王都まで連れて行くのは不可能に近いだろう。
「何か手はないのですか!」
「打てる手は全て打った。……私はすぐに商人時代のツテを使い『目醒め石』を届けるよう依頼した」
「目醒め石……それがあれば彼女は目覚めるのですか?」
「ああ、王都の聖女の手を借りずとも魂隠れを癒す石だ。……だが、その希少さから並の宝石よりも値の張る品で……とにかく金が必要だった」
「それが、あんたが盗みに走った理由か」
「……本当に、申し訳ないと思っている。だが、今私の手元にはそれだけの金がない」
「その……どのくらいの金額になるのですか?」
「二千万リラだ」
「にせっ……!」
二千万リラ――例えるなら、王都の土地に小さな家が建つほどの金額だ。
金銭感覚に疎いジュモとゼリルでも、その膨大さは推し量れるものだった。
「全ての貯金をかき集め、売れるものは全て売り払い、借りられるだけの金も借りた。……それからは、盗みも始めた。それでもまだ、三十万リラ、足りていない
男は床に手をつくと、額が床に擦れるほど深々と頭を下げた。
「頼む、この通りだ……どうか、どうか今だけは見逃してくれ……! もう、時間がないんだ……!」
「あ? 時間がないだと?」
「教会に通い、肉体は衰えないようしてもらっているが、このままでは魂が消え去ってしまうそうだ……!」
「……いつまで持つんだ」
「三十日以内だ……それまでに手を打てなければ、魂は霧散し、娘は二度と目覚めることはない」
「そんな……!」
「あんた、一ヶ月は目覚めないって言ったよな。あとどれくらい持つ」
「……聖女ヒルナの言葉を信じるならば、明日の夜までだ」
「……それまでに目醒め石は手に入るのか:」
「ああ、日が登ると同時に相手がこの宿にやってくる手筈だ。だが、金が足りないのでは……!」
「……交渉して、後から払うということにはできないのですか?」
「ダメだ……! そんなことをしたら、俺はそのばで殺されちまう」
「そんな、どうして……」
「……目醒め石ってのは、いくら金を積んでも、本来手に入れることすら難しい品なんだ。だから、取引条件として『一リラでも足りなければ、取引は不成立とする』という条件をつけたんだ」
男は、取引の内容が書かれているらしい手紙をなぞった。
「誠意を見せるため、ということですね……、三十万リラ……ジュモ、なんとかなりませんか……!」
「俺だってガキが助かるならそうしたいけどよ……」
ゼリルもジュモも、男が盗みを行おうとしたことは、とっくに許していた。
「そうです、まだギルドで収魔結晶の換金をしてなかったじゃないですか!」
男は項垂れながらそれに応えた。
「はは、気持ちはありがたいがそれではとても足りないだろう……。もちろん、戴けるなら是非欲しいというのが、本音だがな……」
「そう、ですか……」
ゼリルが視線を落とすと、ふと手紙に書かれた差出人の名が目に入った。
「マージス・グルゼ……?」
「……ああ、それが取引相手だ。なによりも筋を重んじる男だ」
「グルゼ……? どこかで聞いたような……」
「なんだ、彼を知ってるのか?」
そしてゼリルは思い出した。
「――そうです、街に入る前に出会った商人、グルゼと名乗っていました」
「ああ、言われてみれば、そんな感じの名前だったはずだ」
「ジュモ、たった一つだけ、確実に足りる方法があります」
「あ?」
ゼリルの視線は、ポーチに向けられていた。
その意図に気づいたジュモはポーチの中を覗く。
そこには、フォレストドラゴンの鱗が収まっていた。
「三十万リラ。確かにあいつ自身がそう言ったんだ」
ジュモはポーチからフォレストドラゴンの鱗を取り出すと、押し付けるように鱗を男へ差し出した。
「あ、あんたそれはフォレストドラゴンの鱗じゃないか……」
「……持ってけ。どんな宝も命にゃ代えられねぇんだからよ」
突然のことに、商人は手を伸ばしかけ、戸惑いで手を振るわせた。
「こ、これを受け取ってい、いいのか……?」
ジュモが頷くのを確認すると、男は鱗に手を伸ばす。
「だ、だが今の私はあなたに何も払えるものがない……」
「いらねぇよ。ただそのガキが無事に目を覚ませばそれでいい」
「嗚呼……、ありがとう……ありがとう……ありがとう……」
男は、堪えていた感情が吹き出したように嗚咽し、しばらく涙を流し続けていた。
「罪のないものから盗みを行ったことを償うべきです。ですが今は、彼女を目覚めさせることだけを考えなさい。――事情は、聖女ヒルナを通して、他のものに説明します」
「いいのかよ、勝手にそんなん約束して」
「聖職に勤める者なら、彼の事情は理解し、そして許すことでしょう。心配ありませんよ」
「あなたも、聖職に関わる方……なのですか?」
「いいえ、私はただの記憶喪失のビーストですよ」
「じゃ、乗り掛かった船だ。夜明けまでここで待たせて貰うぞ。――なにより、俺たちはグルゼの弱みを握ってる」
ジュモはニヤリと笑った。
◇
それからしばらく。床に横になり寝ていたジュモだったが、何者かがドアをノックする音で目を覚ました。
「グルゼだ。用意はいいな?」
「ああ、入ってくれ」
部屋を見渡し、ジュモたちの存在に気づいたグルゼは、目を丸くして驚いた。
「おいおい、なんであんたらがここにいるんだ? ……噂になってたぜ、おっぱいを連れた半裸の男が出たってよ」
「やっぱアンタだったか。ま、訳あって同席することになってな。それより馬は診てもらったか?」
「ああ、お前さんの言うとおり足を痛めてやがった。早くに気づけて感謝してる。……だが、それとこれとは話は別だ。二千万リア、きっちり払ってもらうぜ」
「その前に、物を見せて貰えるかな」
「はいよ」
ほとんどの荷物はどこかへ置いてきたのだろう、肩掛けの鞄のみを身につけたグルゼは、中から手のひら大の小箱を取り出した。
蓋を外すと、中に入っていたのは乳白色の結晶だった。結晶の中心では、翠色の光が淡く輝いている。
「これが目醒め石……、わずかですが、聖力を感じます」
「おいおい、心配しなくても偽物なんか掴ませねぇよ。
つーか、おっぱいの癖にそんなことまでわかるのかよ」
「……ああ、質は申し分ないようだ」
「それじゃ、今度はこっちの番だ」
「分かっている」
男はテーブルの上に硬貨の詰まった袋を置いた。
「ざっと三百枚ってとこか。……それじゃ、数えさせてもらうぜ。それと、偽物が混じってないかも調べさせてもらう」
グルゼは椅子に座ると、自前のランプ置き灯りをつけた。
袋を開けると中身は、最大の価値を持つ貨幣『白金貨』以外にも、金貨や銀貨も入り混じっていた。
グルゼはそれらを驚くべき速さで調べ、数えていき、ついに最後の銀貨が袋から出された。
「おい、三十万リラ足りてねぇぞ、どうなってんだ」
そして、ジュモがフォレストドラゴンの鱗をテーブルの上に置いた。
「ならこいつも、勘定に入れてくれ」
「おいおい、まさかそいつは……」
「『鱗は三十万リラはくだらない』あんたが言ったことだ、文句ねぇだろ?」
「ああ、これできっちり二千万リラ。交渉成立だ」
「ほっ……よかったです……」
一行が胸を撫で下ろす中、グルゼは尋ねた。
「あんた、“良くない方法”にも手を付けたみたいだな」
「……娘のためなら、なんだってするさ」
男はただ、そう答えた。
「そうか。ま、俺には関係ないことだ。それと――」
グルゼがジュモに何かを放った。
「あ? ――ってこれ、白金貨じゃねぇか」
「お前がうちの馬の不調を教えてくれなけりゃ、俺が負った損害は相当なものになっただろう。――借りを受けた筋は通さなきゃな」
そしてグルゼは背中を向けると「だから、そいつを誰に渡そうとお前の自由だ」そう言い残して去っていった。
グルゼが去ると、男は改めてジュモたちに頭を下げた。
「ありがとう、二人とも……」
「気が早いぜおっさん。礼を受け取るのはガキが目覚めてからだ」
「そうですね。目醒め石はどのようにして使うのですか?」
「あ、ああ。娘のすぐそばで、石を握って念じればいい。本当は、聖力の扱いに長けたものが行ったほうがいいらしいが、背に腹は――」
ジュモは男の背中を小突いた。
「焦ってんじゃねぇ、もしものことがあったらどうする」
「だ、だが……」
「ええ、ジュモが考えていることは分かります」
「ああ――餅は餅屋だ」
◇
ジュモ達が外に出ると、夜は終わり、空が白ばみ始めていた。
アンナはジュモが背負い、向かった先は聖術使いの本拠地、教会だ。
「確かに、頼むならここだろうが、さすがにこの時間では、誰も起きていないのではないだろうか?」
すると、ジュモは教会の居住部屋がある方へ回り込むと、窓を叩き始めた。
「おーい! 誰か起きてるかー!」
「ジュモ! 何してるんですか!」
「ユーハでもヒルナでも、どっちか起こせばどうにかなるだろ」
「ひょっとして、教会の方と知り合いなのか?」
男が訪ねていると隣の部屋の窓がガラリと開き、 眠たい目を擦りながらユーハが顔を出した。
「誰ですかこんな時間に……ってジュモ様と――」
ユーハは、ジュモがアンナを背負っていることに気づくと、一瞬、哀しみの表情を浮かべた。
「彼女は……」
「魂隠れのアンナだ。知ってるな」
「……申し訳ございません、この教会では、魂隠れを治すことは――」
「目醒め石なら、ここにあります」
そう言って男は木箱に入った石をアンナに見せた。
その途端、ユーハの表情は祈りを捧げる聖職者のものではなく、最善で患者を救う、医療者のものへと切り替わった。
「それは……! 今すぐ治癒を始めましょう。治療室へ」
それからの対応は速く、ジュモ達を治療室へ通すと、アンナを治療台へと寝かせた。
「ヒルナは起こさなくていいのか」
「ヒルナ様は、あなたがポワロス花を持ってきてくれたことでようやく安心してお眠りになっています、起こしたくありません。それに、目醒め石ならば一度使ったことがあります」
「アンナをお願いします……!」
ユーハは頷くと、目醒め石を握った手をアンナの額へかざした。
「アンナちゃんの手を握っていてください。彼女もきっと、お父様に存在に気づいて目を覚ましてくれるはずです」
そして、ユーハと男がアンナに声を掛け始めて数分のことだった。
目醒め石が翠に輝くと、光の球が放たれ、アンナの胸の中へと入り込んでいった。
「こ、これは……!」
「アンナちゃん、さあ、お目覚めの時間ですよ」
その直後のことだ。
ぴくりとアンナの瞼が動いたかと思うと、目を見開き、不思議そうに辺りを見回し始めた。
「おとう……さん……?」
「アンナ……! アンナ……‼︎」
感極まった男は、横になったアンナを抱き寄せた。
「わっ、おとうさん、苦しいよ……?」
「ああすまない! どこか悪いところはないか!」
「悪いところ……? そうだなぁ……」
すると、アンナの腹から、ぐうぅぅと、音がなった。
「私、とってもお腹が空いてるの!」
「ははっ、そうかそうだな……!」
「では、何か簡単なスープか何か、こちらで作りますね。いきなり重いものを食べては体が驚いてしまいますから」
そして、ジュモとゼリルは、そんな光景を微笑ましく見守っていた。
「――よかったですね、ジュモ」
「ああ」
いつものように肩の上からジュモを見ると、穏やかな笑みを浮かべていた。
ゼリルはそんなジュモの様子を、初めて見た気がした。
その後、アンナに食事をしてもらっている間、一行が訪れたのは礼拝堂だった。
男はアンナに全ての罪を話し、懺悔した。
驚くべきことに、彼は自分が盗みを行った品物や場所、時刻、被害者までを正確に覚えていた。
「……そうですか。今お聞きした犯行の内容については、実際にいくつか被害の報告が出ています。そして、その詳細な内容までがあなたの発言と一致しています」
「はい……」
「ユーハさん、状況を鑑みて、彼の罪を軽くすることはできないのでしょうか」
「大丈夫です。彼は元より、彼女の目を覚ました後、自首すする予定だったと考えられます。一応、裁判の場には立っていただくことにはなると思いますが、犯罪を行った事情からも、十分に情状酌量の余地があると判断されるでしょう」
「自分で言うのもなんだが、盗みを働いた身で、そこまで許されていいのだろうか」
「……それほどまでに深刻なのです。目醒め石の産出不足というのは」
スピトゥールは十分に食物が採れ、病は聖女によって癒される大地であるため、生きるために犯罪に走るものは、そう多くない。
そのため、犯罪の動機によっては罪が許されるということも少なくないのだ。
「おそらくあなたの処遇は、被害者へ誠心誠意謝罪し、品の買い戻し、あるいは被害額の補填を行うことで和解することで赦されるでしょう」
「そ、そうですか……。ですが、今の私の懐には、それだけの資金は――」
「――これを」
ユーハは、一枚の書類を男へ渡した。
「これは……? まさか……!」
「教会からの借用書です。教会は、目醒め石の入手についてはお力添えできませんが、その後のことについては助力することができますから」
「ああ、ありがたい……!」
「そんなのがあるならもっと早く教えておけばよかったじゃねぇかよ」
「……申し訳ございません。お貸しできることが確約できてからでないと、お伝えできない状況だったのです。実際、届けをいただいたのも晩のことで、朝からお話しをするつもりでした」
「そうか……いや、いいんだ」
「……で、いくら貸してくれるんだ?」
「被害額は百万リラ。その賠償や、生活の立て直し、その他から借りた金を鑑み、合計八百万万リラ、教会からお貸しさせていただきます」
「これなら金がないことには変わりはないが、生活が回らなくなることはないだろう」
「だが、おっさんこれからどうするんだ? アンナを連れて旅するわけにもいかねぇだろ」
「ああ、そもそも、商売をする品も元手になる金もない」
「それなのですが……」
ユーハは「こほん」とわざとらしく咳をしてから言った。
「最近、例の魔物騒ぎのせいで、教会内での仕事が非常に増えていてですね、”仕入れと物品の管理”。それから“家事手伝い”で、それぞれ一名ほど雇いたかったところなのですが……」
「はは、そこまで便宜を図ってくれるのですが」
「アンナちゃんのことは、私もヒルナ様も気にしていましたから。もちろん、彼女の体調が安定してからの話ですが」
「それでは、しばらくの間お言葉に甘え、働かせていただきます」
「ええ、よろしくお願いしますね」
すると、男は再びジュモたちへ向き直った。
「本当にありがとう。あなたたちには、とても大きな恩ができた」
「ああ。これからは、アンナを危ねぇ目に巻き込むんじゃねぇぞ」
そう言ってジュモは、ポケットに入っていた白金貨を男へ放った。
「これは、グルゼがあなたに渡した……」
「これから何かと大変だろ。くれといてやるよ」
「いやいや、流石にそこまでは受け取るわけには……!」
そこへゼリルが訳を話す。
「グルゼさんは「誰にあげようと勝手」そう言っていました。ここからは私の想像になるのですが――彼は筋を通す上ではあなたを贔屓はできなかった。そこで、
ジュモの金銭への執着の無さとアンナちゃんを助けたい気持ちを見込んで、その白金貨をジュモに渡したのではないでしょうか」
「ああ、そうだな。グルゼはそういうことをする男だ」
「ま、多分そういうこった。だから遠慮なく受け取りな」
「……この恩はいつか必ず返す」
「んじゃ、その時を楽しみにしておくぜ。つっても、俺たちはこのまま聖都に向かうんで、次会えるかどうかはわからねぇけどな」
ジュモはそれだけを言うと、教会を後にしたのだった。
◇
教会を後にし、再び街に出たジュモたち。
日が沈むと眠り、日が昇ると活動し始めるニューヴァリアの人々だが、流石に日が登り始めたばかりなこともあって街は静けさで満ちていた。
深呼吸をすると、澄んだ空気がジュモの肺を満たし、実に清々しい気分だった。
「どうですか? 人助けをした気分は」
「……悪くない。お前があの時、おっさんの様子がおかしいって気づいてくれてよかったぜ。さもなきゃ、アンナは助かってなかった。……だが、子供が関わってたから助けただけだ。――俺は人間が嫌いだ。そこのところ勘違いするんじゃねぇぞ」
「……聞かせてくれませんか? ジュモがどうしてそこまで人間を嫌っているのか」
そしてジュモは「面白い話じゃないぜ」と言ってから話始めた。
「……実の親が、人間に殺されたって話はしたな」
「ええ、三、四歳の頃と、そう聞きました」
「馬車での道中、盗賊に襲われて殺されたんだ」
「盗賊に、そうですか……」
「はっきりじゃないが俺は覚えてる。盗賊の男が母親の首を掻き切る光景と、地面に広がった血だまりを」
幼い子供が、自身の親が殺される光景を、覚えてしまっている。その残酷さにゼリルは絶句した。
「今にして思えば、俺の両親はそれなりに裕福だった。それもあって、金品目当ての盗賊に襲われたんだろう――ってのが、俺がパザラに拾われるまでの話だ」
「そうでしたね、ジュモはそこで拾われたと、そう聞きました」
「それと、パザラも人間に殺されたって、そんな話もしたっけな」
「ええ、少しだけ」
ゼリルは、これから離されるであろう悲劇に、覚悟を込めて返答した。
「俺が旅に出るきっかけになった話だ。ある時、俺たちが住んでた森に、人間の軍が火を放った」
「人間の……それも軍、ですか……?」
魔物の巣食うスピトゥールは、人間とビーストが協力し合うことによって力の均衡が保たれている。特に森には協力な『神獣』が眠り、力を蓄えていることもあるため、森を焼き払おうとするなど、万死に値する行為である。
その罪の重さは最上級であり、ましてや組織的に行うなど、その国が滅ぼされて妥当なほどである。
――だが、それでも悲劇は起きてしまった。
「ガロノールって国の軍だ。ガロノールは大陸の南西、一番隅っこにある国でな。他国との旅路を遮るようにあった俺たちの森が邪魔だったらしい」
「そんなこと、教会が許すはずが――」
「だから、教会にバレねぇように進めたんだとさだd――それで、俺たちの森はある日突然燃えていた。なあゼリル、火炎放射器って知ってるか? でかい大砲がドラゴンみてぇな炎を吐くんだ」
「そんな――」
「俺たちは必死に戦ったさ。だが、あいつらは俺たちを……ビーストを殺すための戦争を仕掛けてきやがった」
ジュモの口から語られたのは、地獄の光景だった。
――曰く、意識を削ぐための眠り煙幕。
遠方から蹂躙するための火の矢。
肉を断つ、ノコギリのような刃。
森を焼き払う巨大な火炎放射器。
火によって全てが照らされた森に、魔物が湧き出ることはなく。
そこにはただ、同じ聖物同士、人間とビーストの共食いのような争いがあるだけだった。
「仲間の悲鳴と、焼け焦げる臭い。……地獄だったよ」
「……それでも、戦いは終結したんですね」
「ああ。防戦一方だった俺たちの戦いを終わらせてくれたのは『ヌシ』だった。――俺の森のヌシは、ヒゲの生えた馬だった。あっという間に森の火を消して、
人の軍を聖素の霧に変えちまったよ」
「そんな強大な力が……」
「ヌシはずっと森の奥深くで力を溜め込んで眠ってたんだ。俺がヌシを起こしに行って……パザラはその時間稼ぎで死んだ。――少しの森と、少しの仲間は残ったが、たくさん失ったんだ」
「……攻めてきたガロノールはその後どうなったんですか?」
「関わった人間全員処刑して、新しい王様を無理やり作ったらしい。魔物が増えすぎないためにも、国は必要なんだとさ――っと、まあそんな感じだ」
「ジュモにそんな過去があったとは知らず……思えばジュモにとっては辛い言葉を投げかけていたかもしれません」
「あ? あー、まあ気にすんな」
「わかりました。ですがもし、あなたが人間を憎むあまり、誤った道に進もうとしたその時は、私が止めます」
「へっ、やれるもんならやってみろ」
すると、ちょうど目の前のカフェが、開店するところのようだった。
「……腹が減ったな」
「そうですか?」
「ああ。そりゃ生きてるんだ、腹は空くさ」
それからジュモたちは、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごした。
そして、ギルドカード再発行試験の集合時間を過ぎていることに気づくのは、この直後のことである
〈第六節 試験〉 [#「〈第六節 試験〉 」は中見出し]
ジュモたちがカフェでくつろいでいる頃、馬車乗り場ではジュモと共に試験に望むはずの三人が立ち往生していた。
一人はギルドスタッフのイレーナ。ジュモの
「ねえ、あと一人、全く来る気配がないんだけど」
苛立ちを隠さずに職員に尋ねるのは、跳ねた金髪のボブカットをしたアーチャーのキューロ。
「はっはっはっ、冒険者たる者、それくらいの豪胆さがなければな!」
それを豪快に笑い飛ばす大柄な男は、ガリオス 。カイトシールドと直剣を身につけた戦士だ。
イレーナは苦笑いを浮かべると、懐中時計を取り出した。
「予定より三十分が過ぎましたので、馬車に乗り込みましょう。御者さん、出発お願いします」
御者は「はいよ」と返事をすると、街門へ向かって馬車を歩かせ始めた。
その頃、ジュモたちはようやく馬車乗り場に到着しようとしていた。
「ジュモ、今イレーナさんが馬車に乗り込むのが見えました!」
「あ⁉︎ どの馬車だ!」
「あそこです!」
「わかった、走るぞ!」
ジュモは馬車に並走すると、外から無理やり扉を開けて飛び乗った。
「ジュモ様⁉︎」
「何あんた⁉︎」
「はっはっは! 三人目がようやく来たか!」
「野暮用でちょっと遅れた」
「は、はぁ……とにかく間に合ってなによりです」
「野暮用ってあんたねぇ……」
キューロがこめかみを引き攣らせていると、相変わらずジュモの肩に乗ったゼリルが話し始めた。
「――ジュモ、ちゃんと謝罪しなさい。みなさまお待たせして申し訳ございませ――」
急ぐあまり、ジュモはゼリルをリュックに詰め込むことを完全に忘れていた。
「「「おっぱいが喋ってる⁉︎⁉︎⁉︎」」」
「あちゃー」
また面倒なことになるぞ、とジュモは額に手を当てた。
◇
「――つーわけで、こいつは俺がテイムしたビーストだ」
一通り大騒ぎになった後、ジュモはいつものように嘘の説明をした。
「いやいや……それにしてもおっぱいすぎでしょ」
キューロがゼリルを指でつつく。
「ひゃっ! やめてください!」
「おお〜、ほんとにおっぱいだ……」
「そうかそうか。どれ、俺も少し」
「ひゃっ! や、やめてください!」
「えー……こほん。それでは、この後行っていただく再発行試験について、説明させていただきます」
咳をして場を区切ると、イレーナが話始めた。
「戦士、ガリオス様。アーチャー、キューロ様。ビーストテイマー、ジュモ様。あなた方には今から森の中の探索および、魔物との戦闘を行っていただきます」
「なるほど、戦闘だけでなく探索時の判断も試験の対象になるわけですね」
「え、ええ……」
イレーナは、関心するゼリルに(いやいや、これじゃその辺の話聞かない冒険者よりも利口じゃないですか……!)などと思いながら話を続けた。
「えー、今回の目標としまして、銅等級以上の魔物を、各五体以上討伐していただきます」
「あ? たった五体でいいのか?」
そのあまりにも簡単な条件に、ジュモは首を傾げる。
「昇格試験と違って、あくまで対象外の――新規の試験を飛ばして再発行試験だけを受けようとする方などを選別するのが主な役割ですので」
「確かに、要項を書けば受験自体はできる以上、そういったことをする方がいるのですね……」
ごく自然にイレーナとの会話を進めていくゼリルを、キューロは気になって仕方がないようだった。
「……しゃべるビーストを連れてるってのはいいんだけど、ゼリル……だっけ? 彼女は何ができるの? 広範囲の索敵ができるとか?」
「いや、そういうのは特にできないぞ。強いて言えば、戦闘中に背後を見張らせてるくらいだ」
「ちょっとジュモ! もう少しこう……あるでしょう! 手心といいますか……!」
「だって事実じゃねぇか」
「……あんた、それでどうやってテイマーやってきたってわけ? テイマーの仕事なんて、ほとんど索敵でしょ?」
「索敵なら、現地にいるビーストにその都度協力してもらってる。“その場限りのテイム”ならパッとできるからな」
「ジュモ様、今のお話本当ですか?」
特に反応を見せたのは、テイマーの価値が低く見られがちな現状に悩んでいるイレーナだった。
「ああ。気になるんだったら後で見せてやる」
「はあ……何だか私たちと違う常識の人間みたい。パーティメンバーはよくあんたとやっていけるわね」
「いや? 俺はずっと一人旅だ」
「はあ⁉︎ 一人って、なんの戦闘
「――いや、あながち嘘ではないかもしれんぞ」
口を開いたのは、先ほどから腕を組み、傍観していたガリオスだった。
「その身につけた仕掛け武器の状態、丁寧に手入れされているようだが、かなり使い込まれている。相当な数の修羅場を掻い潜ってきたのだろう」
「よくお分かりで。ジュモはこう見えて――」
「なんでお前が話そうとするんだよ」
ジュモが褒められたことが嬉しかったのか、勝手に喋り出そうとするゼリル。
それはまるで、息子自慢をしたがる母親のようだった。
「伊達に冒険者をやってるわけではないさ――だが、仕掛け武器だろうが本当に珍しいな。どのようにして使うのか、開目検討もつかん」
「あ? まあこう使うんだよ」
ジュモは
「おお!」
「殴る以外にも、こうやって変形させていろんな使い方ができるんだぜ」
「ほほう、中々に面白い。だがそれだけ繊細な機構だ、脆いだろう」
「いや、壊れたことは一度もねぇな」
「ふぅん、さぞ腕のいい職人が造ったのだろうな」
「たしか、ラーギッシュつー、鍛治師がつくったって聞いてる」
「ふむ、知らぬ名だな――」
会話が武器に移ってからというもの、女性陣は蚊帳の外だった。
「……ったく、武器の話になると男ってすぐこうなんだから」
「はは……」
思い当たる節があるのか、イレーナは苦笑した。
◇
ジーダ林に着いた一向が森の中へ進むと、すぐに何匹かの魔物が目についた。
「皆さん、ご存知の通り、現在この付近は毒持ちの魔魔物が異常発生しています。また昨日
「勘弁してよ、銀等級の中でも厄介なやつじゃないの……」
「ええ。確認された個体についてはその場で討伐されたそうですが……」
「ふうん、この街にも肝が座った冒険者がいたものね」
(俺のことじゃねぇか……)
「じゃ、そろそろ戦闘準備ね。ガリオスが前衛、私が後衛なのは確定として、アンタはどうする? 適当に遊撃するでもいいけど」
「なんか……作戦とか面倒になってきたな……」
魔物から離れた地点で大人しく話を聞いていたジュモだったが、いきなり魔物の前へと飛び出した。
「ちょっとアンタ!」
「ジュモ! 何してるんですか!」
「この程度の魔物一人でもさっさと倒せるだろ! 作戦とか全部面倒くせぇ……!」
魔物に飛び掛かると、さながらローロを救出した時のように辺りの魔物を一瞬で狩り尽くした。
「ジュモ様、すごい……!」
「む、やはり魔物の弱点を的確に狙っているな」
「何なのよあいつ、めちゃくちゃ強いじゃない……」
他に魔物がいないことを確認すると、ジュモはキューロたちの元へと戻ってきた。
「何体倒したかは数えちゃいねぇが五体以上は倒したろ? もうこれで終わりでいいか?」
「独断専行って……これパーティでの戦闘演習よ? ねえ、これどういう評価になるの?」
キューロはジュモに文句を言うと、こんどはイレーナへ疑問を投げた。
「そうですね……、連携を無視した独断での行動は評価できませんが、それを差し引いても余りある実力を持っている――そう判断できます」
「ほれみろ」
「キッ」
「――ですが」
「あ?」
「問題なのは、ジュモ様がビーストテイマーとしての能力を一切使わずに倒してしまったことです」
「あん? だめなのかよ」
「この試験の目的の一つは、冒険者の“
「なんだよ、それを先に言えよ」
「言ってたわよ、あんたが来る前にね。それにあんた、さっきテイムを見せるって言ってなかった?」
「あ? ……そういやそうだ。だが、ビーストを直接戦わせるのは無しだ」
そうなれば、ジュモが行おうとしていることは、当然索敵である。
「さて……と」
ジュモが森を見渡すと、目が合ったのは、腕の下から胴体にかけ、鳥のような羽毛が生えた、ムササビ型のビースト『グラリス』だった。
「なあ、ちょっと手を貸してくれるか?」
『何ー?』
「この近くに、他に魔物がいるか、見てきてくれ」
『ワカッタ!』
テイムが成功すると、グラリスは木の上から羽毛を羽ばたかせ、先の方へと飛んでいった。
「今の一瞬でテイムしたのですか⁉︎」
「ああ。テイムつっても、索敵の間だけだがな」
「なるほど……これが一時的なテイム……でもどうやってそれを伝えれば……」
イレーナは律儀に、手帳を取り出してその内容を記入していた。
「テイムする時に、ちゃんと念じて伝えてやればいい。そうすりゃテイムに成功したことのないヒヨッ子テイマーでもできる」
「な、なるほど……」
すると、グラリスがジュモの元へ帰ってきたら。
『イタ! ニョロニョロ! ゲロゲロ!』
「なるほど、あっちか。わりぃが、もう一仕事頼むぜ」
ジュモは小石を拾うと、グラリスの足に掴ませた。
「これを魔物の頭上に落としてくれ」
『分カッタ!』
そうして再び飛び立ったグラリスを一行が追うと、移動した先には、確かにヘビとカエルの魔物がいた。
『エイッ!』
グラリスが魔物へ小石を落とすと、ダメージにはならなかったものの、注意がそちらへ向けられた。
「どこ見てんだ……よっ!」
ジュモはその隙に魔物へ忍び寄ると、一瞬で急所を切り裂き倒した。
そして、イレーナに尋ねる。
「これでいいだろ? できる限りビーストは戦わせたくねぇんだ」
「は、はい、結構です……」
「あいつ、めちゃくちゃだわ……」
「仕方ない、さっさと俺たちの分も片付けるぞ。冒険者らしく連携してな」
「精々やってやろうじゃないの、普通の冒険者の、普通の戦いってやつを」
意気込む彼らの前に現れた最初の魔物はゴブリンだった。
握りしめた槍の先端は、ドス黒い紫色の液体で濡れている。
「げっ、アレ、手に持ってるの毒槍?」
「ゴブリンまで毒使いとは、世も末だな」
戦闘が始まり、ゴブリンと鍔迫り合いになったガリオスは、今度は左手のシールドで殴りつけた。
そうして無理やりダウンを取ると、仰向けになった体へ剣を突き刺す。
『GYAAAA!』
その粗暴な戦い方にニューロは顔を顰める。
「これだから戦士は……、戦いが泥臭いったらありゃしない」
そうしてキューロが矢を放つと、ガリオスの背後から迫っていたもう一体のゴブリンの眉間を貫いた。
「む? これは、助けられたな」
「冒険者ってのはこうあるべきでしょ? あんな規格外と一緒にされたら堪んないわよ」
その後も、初対面とは思えない連携で、ガリオスとキューロは討伐を重ねていった。
「当たれっ!」
素早く動き回るポイズンスネークをキューロが矢で射抜く。
「よくやった!」
そして、動きが鈍ったところを、ガリオスが串刺しにしたことで、目標の討伐数が達成となった。
「ふう、これでようやく帰れるわね」
「はい。皆さん、討伐お疲れ様でした!」
「俺としては、もう少しここで狩っていってもいいのだがな……」
「勘弁してくれ、俺はさっさと帰りてぇんだ」
そうして一行が出口へ向かって歩き出した、その時だった――。
「ぐわあああああああ‼︎‼︎‼︎」
男の悲鳴が、森に轟いた。
「ぎゃあああああああ‼︎‼︎‼︎」
それも、一度ではない。
「うあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎」
立て続けに何人もだ。
そしてそれは、冒険者なら誰もが耳にすることになる、死に際の断末魔だった。
「皆さん、警戒を‼︎」
イレーナが呼びかけた時には、既に全員が武器を構えていた。
「一体何よ……」
「決まっている、魔物だ」
緊迫した空気の中、ジュモは逃げるように飛び立つ鳥たちに声を掛けた。
「何があった‼︎‼︎」
『出タ!』『大キナ蜘蛛!』『殺シタ!』『人間ヲ沢山!』『デモマダ居ル!』『子ドモ!』『直グニ!』『殺サレル!』
「ジュモ、大きな蜘蛛というと――‼︎」
「ああ、昨日の奴だ‼︎」
ジュモは瞬く間に叫び声の方向へと走り出す。
「ジュモ様!」
「ガキが残ってるらしい! 助けに行く!」
取り残された三人は顔を見合わせた。
「あいつ、子供がいるっていってたわよね。どうやって知ったかしらないけど、それが本当なら……」
「――状況確認のため、私は現場へ向かいます。したがって、試験もここまで、全員合格とします。先に帰還していただいて構いません」
イレーナはそう言って二人に背を向けると、ガリオスがその背中をドンと叩いた。
「バカ言うなねーちゃん。この程度でビビってて冒険者がやれるかよ」
「同感。さっさとあの問題児を追いかけるわよ」
◇
ジュモが木々を飛び移りながら、悲鳴の方向へ向かって行く。
すると、次第にむせ返るような血の匂いが濃くなっていった。
「うっ……ジュモこれは……」
「ひでぇことになってるのは間違いねぇ……くそっ、生きててくれよ……!」
ジュモが辿り着いた先に広がっていた光景は、やはり惨状だった。
木々はへし折れ、地面にはいくつもの血溜まりがあり、壮絶な戦いがあったことを想起させる。
そして――。
ぐしゃり、めきり。
巨大な蜘蛛の魔物が冒険者の亡骸を食らっていた。
「ひどいっ……‼︎」
「……昨日よりデカいな」
「ジュモが昨日戦った、スパイダー・スカージ《災の大蜘蛛》ですよね……でも、色が……」
その体は、ジュモたちが昨日戦った個体よりも大きく、その体はまるで、返り血で染まり切ったような、ドス黒い赤だった。
大蜘蛛は、次の獲物を見定めようと八つの目をギョロリと動かす。
その視線の先にいたのは、尻餅をついたまま動けずにいる少女だった。
――少女は、炎のように紅い髪をしていて、傍には小さなドラゴンを連れていた。
「ジュモ! 彼女、ローロです!」
「あいつっ! なんでこんなところにいやがる‼︎‼︎」
ジュモは咄嗟にガントレットから針を放ち、大蜘蛛の注意を引きつけようとする。
そして、大蜘蛛の背中に針が命中すると、その視線はジュモの方へ向けられた。
「そうだ! そのままこっち見てやがれ!」
だが、すぐに元の方向へ向き直り、視線は再びローロへと注がれた。
「ふざけんなよ蜘蛛野郎……!」
ジュモは木から飛び降りると、ローロを庇うように、大蜘蛛とローロの間に降り立った。
「――ジュモ……⁉︎ どうしてここに!」
「こっちの台詞だ馬鹿野郎! ……今どういう状況――」
その刹那、ジュモの直感が大きく警鐘を鳴らし、咄嗟に身を捻った。
ビュン――
次の瞬間、何かが風を切ったかと思うと、ジュモの背後の木がミシリと鳴り、そして轟音を立てながら地面に沈んだ。
(――見えなかった。奴は今ひょっとして、糸を飛ばしたのか……?)
遅れて、ジュモの頬に液体が伝う。
拭うと、それは血だった。
(もし今避けなかったら……俺は確実に死んでたな)
「ジュモ逃げて! そいつは
その能力の上昇幅は一等級ほど。
すなわち、通常個体が銀等級の
「馬鹿言うな! お前のほうこそさっさと逃げろ!」
「でも……」
「ローロ! 行ってください!」
「う、うん! ……あ、あれ……?」
ローロは懸命に立ちあがろうとするが、その脚はがくがくと震え、逃げることを許さなかった。
「ゼリル、後ろどうなってる!」
「それが……! 足が震えて動けないようで……!」
「……あいつが立ち上がるまで、やるしかねぇか……!」
ジュモは真正面の大蜘蛛を睨む。
そして今度こそ、尻を持ち上げ糸の発射口を向けるのを見逃さなかった。
高速で放たれた糸の軌跡は相変わらず見えない。
だが、ジュモは発射口の角度から瞬時に軌道を見切り、爪を振るった。
爪が糸を捉え、ギャリギャリギャリ! と火花が散る。
だが、ジュモは糸を切り払い背後のローロも守った。
『GYAA‼︎』
それが癇に障ったのか、大蜘蛛は糸を乱れ打った。
ジュモは懸命に切り払っていくが、全てを払い斬ることはできず、一筋、また一筋とジュモの体に傷が増えていく。
(このままじゃジリ貧だ……! こうなったらローロを担いで逃げるしかねぇが、そんな暇与えちゃくれねぇ……!)
すると、ジュモに単なる糸では仕留めきれないとふんだのか、大蜘蛛は槍のように尖った足を動かし、牙を剥き出しにしてジュモへと飛びかかった。
「力比べがしてぇなら……やってやろうじゃねぇか……‼︎」
ジュモが大蜘蛛を迎え撃とうとしたその時、大蜘蛛の背後から飛来した矢が大蜘蛛と捉えた。
大蜘蛛の外殻の継ぎ目へと刺さった。
『GYAAAAA‼︎』
見れば、遠方から弓を引き絞っているキューロの姿が見えた。
「キューロさん!」
「あいつ……」
そして、続くようにイレーナとガリオスも加勢にやってきた。
「特殊個体とは! いい腕試しだ!」
キューロの矢に悶える大蜘蛛へ、ガリオスは足の節へと剣を振るった。
「ぬっ、一度では斬れんか!」
ガリオスがもう一度剣を振おうとしたその時、ジュモは、大蜘蛛の狙いがガリオスへと移り変わったのを悟った。
「避けろ‼︎‼︎‼︎‼︎」
ジュモが叫ぶのと、大蜘蛛がガリオスへ前足を振るうのは、同時だった。
「――なん……だ……」
気づけば、ガリオスの腹には大蜘蛛の足が、深々と突き刺さっていた。
「――カハツ……!」
前足が抜かれると、体の中心に、拳大の穴がぽっかりと開いていた。
ガリオスは、そのままうつ伏せに崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。
――冒険者の掟、その第一項には、こんな項目がある。
『魔物に喰われるべからず。生き延びる事こそ最大の勇気にして成果なり』
魔物は聖物を喰らうことでその力を増幅させる。
最も避けるべきことは、魔物に殺され、その体を魔物の糧とされることだ。
ガリオスの呆気ない死によって、この場にいた全員が悟った。
「この大蜘蛛に、五体満足で勝てる保証はない」と。
イレーナはすかさず叫ぶ。
「全員撤退! 街へ戻れた者は救援要請を! 分散して、少しでも生存率を上げてください‼︎」
そして、
「私にできるのはここまでです、幸運を祈ります――‼︎」
「ジュモ、これは……」
「体が軽い……敏捷魔法か!」
ジュモは生まれた隙を逃すまいと、ローロを小脇に抱え、駆け出した。
「わっ!」
「ぼさっとしてんじゃねぇ!」
そして、キューロ、イレーナ、ジュモたちの三手に分かれ、それぞれの逃走劇が始まった。
◇
ジュモは、ローロを抱えながら、木から木へと飛び移りながら移動していた。
「――なんであんなところにいた。昨日死にかけたばっかりだろ」
「……」
ローロは俯いたまま話さない。
「ローロ、私の見間違いでなければ、あそこで襲われていた者たちは、黒牙の団……ですよね」
「何だって……?」
ゼリルはあの場に、怯えて動けずにいる黒牙の団の男がいることに気づいていた。
そして、それはつまり、ローロが未だ黒牙の団と行動を共にしているということだった。
「どういうことだ! あいつらに行かされた森で死にかけて、まだあいつらとつるんでるのか!」
「ジュモ! 何もそんな言い方することはないでしょう!」
「ああ⁉︎ だって死にかけてたんだぞ! 縁を切るなならあいつらをボコボコにした昨日以外ねぇだろ!」
「…………そう、だよ」
今にも消え入りそうなか細い声でローロは答えた。
「私は昨日の騒ぎの後、すぐに黒牙の団に戻った。……それで、教会を通してギルドに処罰があるかもって事も全部話した。……それで今は、その前に成果を出そうって言って、森の調査に出て――」
「――で、今度は
「落ち着いてください! まずは事情を聞きましょう‼︎」
「ゼリル……」
「ローロも……何かこうなった理由があるのでしょう?」
「理由……でもそれも、二人にはきっとわからない理由だよ。……自分でもわかってる、馬鹿なことしたって。結局ゼイラーたちは逃げ遅れた団員を囮にして真っ先に逃げたし」
ローロは消え入るよな声でその理由を話した。
「黒牙の団以外で、冒険者やっていける場所なんてないから……」
「……そんなことねーだろ、他のパーティに入れてもらうとか、自分でパーティを作るとか、いくらでもあるんじゃねぇのか?」
ローロは首を横に振った。
「言ったでしょ、戦えない、ろくに索敵もできない。武器も扱えない。私みたいな弱小の中の弱小テイマーと組みたがる人なんて誰もいないの」
それは確かに、ジュモやゼリルにはわからない。ローロが冒険者たろうとする故の、過酷な現実だった。
「お前……」
「私はアンタみたいに、一人で逞しく生きていけるわけじゃない。世界には、私みたいなどうしようもない奴だっているの……!」
物心ついた時から魔物と戦い、生き抜いてきたジュモにとって、ローロの境遇は、自分とあまりに違いすぎた。
「……でも、この結果がこの様。散々こき使われて、あげく囮にされる。蜘蛛の餌くらいしか価値のない、それが私!」
ローロの痛烈な思いに、ゼリルはかける言葉を失っていた。
(……残酷なことですが、ひょっとしたら、ローロに冒険者は向いていないのかもしれません。……けれど、彼女に安易にそれを伝えることはさらに残酷です)
「ローロいいか――」
そんな時、口を開いたのはジュモだった。
「何……」
「お前、槍以外の武器を使ったことはあるか?」
「無いわよ。いったでしょ、私はお母様の形見を使いこなすって決めてるって」
「……ローロ、俺はお前の事情も気持ちも、よくわからねぇ。だから、一つ言えることがあるとすれば、お前が多分、そうやって自分の可能性を狭めてるんだと思う」
「え?」
「その槍だって、今のお前は母親のやり方をなぞってるだけだ」
「でも、だって……!」
「お前の母親は、自分に合った武器やら戦い方を試行錯誤して、その槍に辿り着いたんじゃねぇのかよ?」
「お母様が……?」
「実際のところは知らねぇけどよ。始めから槍だったってことはないんじゃねぇの」
「それは……そう、かも」
「帰ったら、その槍は飾るなりしてよ――他の武器も握ってみたらどうだ?」
「……うん、考えておく」
「ああ、ともあれまずは無事に帰るところからだな」
だが、そんな希望を否定するかのように――
「――うああああああああああ‼︎‼︎‼︎」
今度は女の叫び声が森に響き渡った。
「この声は、キューロさんです! ジュモ、今すぐ彼女を助けに‼︎」
ゼリルの要請に、ジュモは首を横に振った。
「駄目だ。今行っても手遅れだ」
「――ですが! 彼女はまだ一人で抵抗していて、今なら間に合うかもしれません!」
「馬鹿野郎、こっちは
「……」
「この敏捷魔法だっていつまで持つかわからねぇんだ、さっさと行くぞ」
「…………ないでしょう」
ゼリルは絞り出すような声で訴える。
「あ? 今なんて――」
「――どちらの命が大事かなんて、優劣がつけられるわけないでしょう!」
ゼリルは、魔物が聖物を襲い、喰らうことを知識としては知っていたが、その光景を実際に眼にするのは初めてのことだった。
故に、常に死がつきまとうこの極限状況に――そして、魔物によって命がいとも容易く奪われていくこの状況に、激しい怒りと哀しみを覚えていた。
例えその対象が、ローロを虐げていた黒牙の団の者だったとしてもだ。
「……あのキューロって女も、ムカつくやつだったが、間に合うんなら助けてやらないこともなかったさ。だが、あいつは遠距離に特化したアーチャーだ。そいつが悲鳴をあげたってことは……もう、わかるだろ……」
――単騎のアーチャーが魔物からの接近を許す。その先に待っているのは死のみだ。
「ですが……」
なお、現実を割り切ることのできないゼリルに、ローロも口を開いた。
「……あの人だって命の危険があるとわかって冒険者をやってたんだ、こうなることはきっと、覚悟してたと思う」
「ローロ……」
「私だって同じ。私だって、弱いけど、命の危険があることは承知の上。それで冒険者やってるんだ。だから、子供だからって私を守ることばかり考えないでほしい……守ってもらってる私が言えることじゃないっていうのは……わかってるけど」
ローロは非力ではあるが――だからこそ、次に大蜘蛛に襲われたら、より戦力にならず、より魔物の養分にならない自分こそが囮になってジュモとゼリルを逃すべきだ、とすら考えていた。
「――ジュモ、約束してくれませんか」
「なんだよ、急に改まって」
「次に、もし目の前に助けられる命があったら、ローロを助けた時のように、飛び込んでくれると」
ジュモは、少し考えて、答えた。
「…………その代わり、遠くで悲鳴が聞こえても、今度は割り切って我慢しろよな。それでよけりゃ、助けられる奴は助けるさ」
――そして、その時はふいに訪れた。
「あっ」
最初に気づいたのはローロだった。
視線の先には、真っ先に逃げ出した、ゼイラーをはじめとする黒牙の団の姿があった。
数人は悲鳴を上げる間もなく葬られたのだろう、既にその人数は、ゼイラーと二人の団員を残すのみとなっていた。
「この蜘蛛野郎がぁっ‼︎」
身体中が血に塗れになったゼイリーが、中程でへし折れた予剣ロノスを握りしめ斬り掛かる。
残る二人が恐怖でもはや動けないところを見ると、腐っても銀等級のパーティリーダーということだろう。
「ちっ、あいつらか……丁度いい、このまま囮にして、逃げる時間を稼いでもらう」
――だが、それに意を唱えたのはゼリルだった。
「ジュモ、約束が違います!」
「あ?」
「次は目の前の人を助けると言ったじゃないですか!」
「まさか、あんな奴らまで助けろっていうんじゃないだろうな」
「……確かに、彼らはローロに対して、決して許されない事をしてきました。……ですが、その償いも生きていなければできないのです! ――罪人だからと、彼らを見殺しにしてよい理由にはなりません!」
ジュモの脳裏に、昨晩助けた男とアンナが過ぎる。
「――十分なるだろうが。あいつらは、アンナを助けようとして必死だったおっさんとは違う。自分の都合で他の命を軽く見るクズ共だ……!」
――ジュモがスリの男を許したのは、男の動機がすべて娘のためだったからだ。
ジュモにとっては、ゼイラーたちと比べることすら嫌悪があるほどに、両者には差があった。
「ジュモの気持ちも理解できます。……ですが、彼らもこれで懲りたはずです。ならばここで命を救った後に償ってもらえばいいでしょう……⁉︎」
「人間がそう簡単に心変わりするかよ!」
「いいえ……! 切っ掛けさえあれば人は変われます!」
「ふ、二人とも落ちついて――」
際限なくヒートアップしていく二人を、ついにローロが遮ろうとする。
だが、最早それだけでは二人は止まらない。
自分の全てを奪ってきた、悪人を憎むジュモと
全ての聖物を平等に愛するゼリル。
その二つの主張が交差することは決してなく、ひたすらに平行線が伸びていくのみであり――決着がつくとすれば、それはどちらかが“動いた時”のみだ。
「――どうせお前は、俺なしじゃ何もできねぇおっぱいなんだ、俺に従うほかねぇだろ。さっさとクズ共囮にして街へ戻るぞ」
「ジュモ! その言い方は――!」
ジュモが動き出すと、ゼリルは抵抗をやめた。
「――そう、ですね。分かりました」
ジュモがゼイラーから視線を外し、街の方角を見据えた瞬間のことだ。
――ゼリルもまた、動きだした。
ゼリルはジュモの肩の上で方向転換し、街に背を向けると、大蜘蛛の待ち構える木の下へと飛び降りた。
「ゼリルッ!」
「何してんだ馬鹿野郎‼︎」
「(ごめんなさい――無理だと、無謀だろうとわかっていても、それでも、見過ごすことはできないのです。動かずには、いられないのです……‼︎)」
最早無抵抗となったゼイラーに、大蜘蛛がゆっくりと近づいていく。
ゼリルは懸命に体を跳ねさせそこへ割り込んだ。
「――狙うなら! 私を狙いなさい‼︎」
大蜘蛛の視線が、ゼイラーの視線が、団員の視線が、ゼリルへと集う。
「今のうちに逃げなさい! 早く‼︎‼︎」
黒牙の団の男たちは驚きながらも、なりふり構わず、
一目散に逃げ出した。
そうして残ったのは、大蜘蛛を前にしたゼリルただ一人だ。
「何考えてやがる、あの馬鹿おっぱい……‼︎」
咄嗟にゼリルを追おうとするが、小脇に抱えたローロを見て踏み留まる。
(ここで飛び込んだとして、その後ローロは逃げ切れるのか……? ゼリルを守り切れるか? 俺はあいつに勝てるのか……? ――畜生、こんな面倒な判断するはめになってるのも、全部あのアホおっぱいのせいだ……!)
ぎりりと、ジュモが歯を食いしばる
「……んでだよ。なんであんなクズ助けようとするんだよ! わけわかんねぇ……戦えねぇ癖に威勢だけは一丁前で…………!」
「――私にはわかる、かも」
「……何が、分かるって?」
「ゼリルの気持ち……。力もないのに、志だけは曲げられない頑固者の気持ち」
「何が志だ……。それで死んだら元も子もねえだろ……!」
「――ジュモは、自分じゃどうやっても勝てないほど強い魔物に、ビーストが襲われていたとしたら、助けに行く?」
「当たり前だろ」
ジュモは考える間もなく答えた。
「それが、悪いビーストだったとしても?」
「悪いビーストなんていねぇよ。たとえ物を盗んでも、作物を食い荒らしても、毒を持っていても、そいつらはそういう種族で、そういう生態のビーストってだけだ。――悪いわけじゃない」
「……勝てないんだよ、死んじゃうんだよ?[#「?」は縦中横]」
「そんなの、やってみなきゃわかんねぇだろ。……それに、襲われてるビーストを見たら、俺は体が勝手に動いてる」
ジュモの答えを聞いたローロは静かに頷いた。
「きっと、それと同じなんだよ」
「同じ……?」
「ゼリルにとっての人間と、ジュモにとってのビーストは同じなんだよ。勝てないって、無謀だって分かってても、体が勝手に動いちゃう……そうでしょ?」
ジュモは、ローロの言わんとすることに気づき、ハッとした。
「それに、ゼリルはきっと、ジュモが悪いビーストなんていないって考えるのと同じように、心の底から悪い人間なんていないって考えているのかも知れない」
そして「だから、ゼイラーたちのことも助けようとしたんじゃない?」と、ぶっきらぼうに付け足した。
「わかるけど……、わかんねぇよ」
――ジュモにとって人間を信じることは、できない。
だからまず、尋ねてみたのだ。
「……お前は、どうなんだよ。お前はあいつらに死んでほしいだろ」
「……あいつらは許せないし、憎んでるし、恨んでる。……でも、死んでほしいかと言われたら」
ローロは、とびきりの笑顔で言って見せた。
「途轍もない後悔で、もがき苦しみながら生き続けてほしい!」
「はっ! ははっ! はははは! そりゃいい! ――いいぜ、俺は人間の頼みは聞かないが、お前はガキだから特別に、その願い叶えてやる。――精々あいつらを生き延びさせてやるよ!」
(――ああ畜生、ビーストと違って人間ってのはどうも複雑でよく分からねぇ!)
ジュモは勢いよく木から飛び降りると、ゼリルを庇うように大蜘蛛の前に立ち塞がった。
「ジュモ、あなたどうして……」
「……お前が人間を助けようとする気持ちってのが、俺にはどうも理解できねぇ。……だがな、人間すら助けようとすることすら、
割り込んできたジュモに腹を立てた大蜘蛛が、前足でジュモに切り掛かると、ジュモはガントレットでそれを防いだ。
「ったく、どいつもこいつも世話かけさせやがって! ゼリル! てめぇ終わったらしこたま揉みしだいてやるからな! 覚えてろよ!」
「なっ! 破廉恥ですよ!」
「ついでにローロ、お前もだ!」
「ええっ!」
「それと黒牙のカスども! 言っておくが、俺はお前みたいなクズを助けに来たわけじゃない。感謝ならそこのおっぱいとローロに言うんだな!」
「ろ、ローロだと⁉︎」
予想だにしなかった名前にゼイラーは驚いた。
大蜘蛛の斬撃をいなしたジュモはガントレットから伸ばしたクローを八つの眼球へ向けて突き出した。
「潰れろっ‼︎」
大蜘蛛はそれをバックステップで避ける。
「もってけ!
その隙を逃すまいと、ガントレットから放たれた針が大蜘蛛のいくつかの眼へと刺さり、悶絶の声があがる。
『GYAAAAAAA』
「カス共はさっさと逃げろ! ローロ! お前もゼリルを連れて森を出ろ!」
ジュモは背後のゼリルをつかむと、リュックに詰め込もうとする。
「お前はリドと一緒にローロを守れ! 後始末は俺がやる!」
そう言って、樹上のローロにリュックごと放り投げた。
ローロはゼリルを取り出してからリュックを背負う。
「ローロ、このままではジュモが!」
「私たちがここにいてもジュモの邪魔になるだけ! 今は逃げることだけ考えて!」
ローロは木から飛び降りると、ジュモに背を向けて走り出した。
(何とか逃げきってくれよ……)
ローロが無事に逃げ出したことを確認すると、ジュモは再び大蜘蛛を正面に見据えた。
『GISYAAAAAA‼︎』
「たかが二、三個目を潰されただけだろ、そうキレるなよ。……さて、こっからは正真正銘、小細工なしのタイマンだ。
――両者が同時に飛びかかり、闘いがはじまった。
◇
「リド! 索敵お願い!」
『ギャウ!』
森の出口へと向かうローロとゼリルは、先行するリドに索敵を任せながら森を駆けていた。
「ローロ! 今からでも私をここに置いて行ってください! あのままではジュモが!」
「分かってる! だから今は街に戻って救援を呼ばなきゃいけないんでしょ!」
「ですが……!」
その先に言葉は続かなかった。
ゼリルは理解していた。自分が行ったところでできることは何もないと。
自分に出来ることと言えば、精々ジュモの死角を見ておく事くらいだ。
だがそれも、有効なのは乱戦の時くらいで、一対一の戦いではむしろ自分が乗っていることでジュモの動きを制限してしまっていることにも気づいていた。
(でも……、何もできないからと、何も動かなかったら、私は本当に無力じゃないですか……!)
「あんたの気持ちもわかる……私も自分が弱いせいで、二回もジュモに助けられた。……ゼリル、アンタはどのくらいジュモに助けられたの?」
ゼリルはふと、これまでのジュモとの旅を思い返していた。
「……私たちが出会ってすぐ、私たちは魔物の大群に囲まれて、ジュモは私を抱えて逃げ続けてくれました。……それからは、ずっとです。魔物を惹きつけてしまう私を抱えながら、途中、谷底に落ちながらもジュモはこの街まで運んでくれました」
こうしている間にも、ジュモのいる方向から地響きと轟音が聞こえてくる。
「……ローロすみません、私は冷静さを欠いていました。……あなたの言う通りです。今の私たちにできるのは一刻も速く街へ戻り、救援を要請すること」
「うん。イレーナさんも街へ向かってるけど、それでも無事に辿り着けるとは限らないから」
すると、血相を変えたリドが引き返してくる。
『ギャッ!(
「リド、魔物なのね!」
「蜂の魔物だそうです!」
それを聞いたローロは狼狽した。
(スティング・ビー⁉︎ まずい、奴らは……!)
スティング・ビーの最も恐ろしい点は、強力な毒針や顎もさることながら、群れで連携をとる点にある。
ローロが咄嗟に周囲を見渡すと、すでに周囲には蜂の包囲網ができていた。
「やっぱり、囲まれてる……!」
『BEEEEEEE……!』
次第に不快な羽音が近づいてくると、ローロは槍を握る手に力が籠った。
「ど、どうすれば……!」
「ローロ! 五時の方向が比較的、包囲網の間隔が空いています!」
「わかった……!」
ローロは全速力で、ゼリルの示した方向へ走りだした。
「後ろは私が見ます! ローロは前方にだけ集中してください!」
ゼリルはローロの肩の上で、せめて冷静に状況を見ようと努めた。
(スティング・ビーの速度はローロと同程度……このままでは、敏捷魔法が解ければすぐに追いつかれてしまう……!)
「ローロ、なるべく木々の隙間をすり抜けながら進んでて、撹乱してください!」
「わかった!」
ゼリルの機転により、少しずつスティング・ビーとの距離が離れていくが、それでも思うようには距離が開かない。
(……これだけでは思うように距離が空かない。どうにかもっと奴らとローロを離さなければ……)
すると、ローロの進む先は崖のように大きく窪んでいて、渡るにも下りるにも、一筋縄では行かなそうだった。
「っ……! ゼリル、どうすれば……」
するとゼリルは、空洞の大木が崖下に向かって倒れた、まるでトンネルのようになっていることに気づく。
「そこ! 滑り降りてください!」
「わかった……!」
ローロは迷いなく木の中へと飛び込んだ。
すると、スティング・ビーも後を追って無理やり穴に入り込み、ローロを追い続ける。
さらに、ローロの正面には、幾本ものツタが穴を塞ぎローロを阻むかのようにに生えていた。
「ローロ! ツタを薙ぎ払って! リドは背後にフレイムブレスを!」
「わかった!」『ギャウ!』
ゼリルの咄嗟の指示で、ローロは止まることなくトンネルを滑り降りる。
さらに狭い穴でのフレイムブレスは効果覿面で、ローロに迫っていた数体が、身動きが取れずそのまま消滅した。
「三体撃破! 少し距離が空きました!」
「……よしっ!」
――だが、トンネルから出る途中、吊り下がったツタに槍が引っかかりローロはそれを手放してしまう。
「あっ!」
だが、気づいた時には遅く、ローロはトンネルの外へ弾き出されてしまった。
咄嗟に振り返るが、トンネルの傾斜は急で、とてもじゃないが取りに戻る時間はないだろう。
「ローロ! 槍は後で取りに戻りましょう! 今は走り続けて‼︎」
ローロは奥歯を噛み締めながら、再び走り出した。
ローロはやがて、開けた場所へ出た。
よく見ればそこは、至る所で木々がへし折れており、まるでつい先ほどまで激しい戦闘を行っていたようだった。
ローロはそれが気になったが、それでもなお走り続ける。
そんな最中、ゼリルは気づく。
(いけない……、おそらく街への方角からズレてきている……。いえ、今はまずローロが逃げきることだけを考えなくては)
――イレーナがかけた敏捷魔法が切れたのは、その時だった。
身体能力が急に落ちたことで、ローロは足をもつれさせた。
「きゃあっ!」
ローロはそのままうつ伏せに転び、肩に乗っていたゼリルは前方へ勢いよく転がった。
「立ってローロ!」
一度は引き離したスティング・ビーたちが、再びローロへ追いつこうとしていた。
『ギャァ!』
リドはローロを助けようと、スティング・ビーへ、ブレスを吐き出した。
炎が弱点のスティング・ビーは怯み身を引く。
だが、ローロが立ちあがろうとすると、左足に強い痛みを覚えた。
「ッ……!」
「ローロ、ひょっとして今ので足を……!」
進み続けたローロの動きが、止まった。
「あはは……今ので捻っちゃったみたい。はぁ……本当、私ってついてない……」
「――ローロ! 諦めてはなりません!」
「諦めるなって……、どうすればいいのさ……」
(何か……何か手立てを……!)
ゼリルは、ローロが半ば諦めかけているのを悟るが、自身はまだ諦めてはいなかった。
その時ふと、ゼリルの視界の端に映るものがあった。
「……リド、あと十秒だけ堪えてください!」
『ドラアアッ!(まかせろ‼︎)』
リドが炎の威力を強めると同時に、ゼリルは一本の木の裏へと走り込む。
「ゼリル、一体何考えて……」
そして、“何か”を表まで引きずり出すと、ローロに向かって放り投げた。
ローロはそれを拾い上げる。
「これって……弓……?」
ローロが手にしたそれは、弓だった。
丈夫な木材で作られた、無骨な作りのそれは、グリップ部分が翡翠色に塗られており、持ち主の趣向を反映させたものになっていた。
「これもっ!」
ゼリルは今度、まだ十分矢が残った矢筒を放り投げた。
ローロは気づく。
弓にも、矢筒にも、血飛沫の跡があることに。
「ゼリル、これって……!」
「――これは彼女……アーチャーのキューロが使っていた弓矢です‼︎」
この場所で見られる戦闘の跡。それは、キューロが大蜘蛛と戦った痕跡だった。
「これなら動けなくても戦えます……」
「でも、私弓なんてほとんど触ったこと――」
――それでも、時は進んでいく。
あれから十秒。リドは吐けるだけの炎を吐き切った。
それでもなおスティング・ビーの勢いは止まらず、一体がリドの羽へと噛み付いた。
『ギュアァ!』
「リドっ……!」
「――やるしかありません! その弓で生き抜いて! 彼女の死が無駄ではなかったと! 知らしめてください‼︎‼︎‼︎」
「――わかってる!」
ローロはがしりと弓を掴む。
自分を守ろうと、必死で戦うリドの姿に。
故人を想いながらも未来を生きようとするゼリルの姿に――ローロは覚悟を決めた。
その瞳に、さっきまでの不安や迷いは、もうどこにも無い。
「……そうだ、やるしかない。死ぬのは嫌だ。リドも、ゼリルも、ジュモも、誰かが死ぬのは嫌だ。……だから、やってやる。最後の最後の最後まで! 足掻いてみせる‼︎‼︎」
ローロは片膝立ちのまま矢を番え、思い切り引き絞る。
「私は……母様みたいな一人前のテイマーになるんだ! こんなところでくたばってたまるか――――‼︎‼︎」
リドの体がスティング・ビーに貫かれんとする刹那。
――バシュッ
ローロが放った矢がスティング・ビーの体を撃ち抜いた。
「やった……!」
その正確な射撃にスティング・ビーは警戒を高め、一斉にローロを囲むように散らばった。
「ローロ、後ろは私が見ます。あなたは正面を!」
「わかった!」
ローロは再び矢を放つと、またもスティング・ビーの体を正確に撃ち抜いた。
(まぐれじゃない……! 魔物の動きが見える……‼︎)
すかさず矢を番え放つと、さらに一体の魔物を葬り去った。
「二百十度の方向! 次、百十度の方向!」
ゼリルが叫ぶと、ローロは迷いなく体を捻り矢を放っていく。
「最後! 三十度!」
「はああああ‼︎」
最後のスティング・ビーが目の前まで迫り、その針をローロへ向け迫る――!
(今までだったら怖くて動けなくなってたはず……だけど、不思議と怖くない……!)
バシュッ! ――その音を最後に、ずっと鳴り続けていた羽音が全て、ようやく止んだ。
ゼリルが辺りを見回すが、魔物の姿はどこにも見えない。
「はあ……はあ……。やった……信じられない……私、やったんだ……!」
「これがジュモの言っていたローロの才能、なんですね」
「ジュモが……?」
「ええ、ジュモはあなたが優れた動体視力を持っていることを見抜いていましたから」
「そうだ……、そういばジュモ、私に槍以外の武器も使ってみろって……この事だったんだ」
低い身体能力と、それを補い、余りあるほどの胴体視力。
弓は、今のローロにとって最適な武器の一つだった。
「いけない、街へ向かわなきゃ……ッ……!」
ローロが立ちあがろうとするが、足の痛みで思うように動くことが出来なかった。
「ローロ、救援の要請はイレーナさんへ任せましょう。
幸い、彼女の悲鳴は聞こえませんでした。状況から、彼女は無事だと判断できます」
「そっか……。ねぇ、今の私なら、ジュモの力になれるかな……」
「ローロ……」
「ジュモのとこなら、森を出るよりは遠くない。そうでしょ?」
「ですが、ただの矢ではあの大蜘蛛に効果があるとは言えないでしょう」
「……でも!」
「――ローロ、リュックの中に聖女ヒルナに貰った毒薬が入っています。今のローロなら、それも使いこなせるはずです」
「……! ありがとう、ゼリル」
ローロはリュックから三色の液体が入った小瓶を探し出すと、手始めに黄色の毒薬にハンカチを染み込ませた。
「麻痺薬ですね。……どうするのですか?」
すると、ローロはハンカチを、自身の負傷した左足首へ当てた。
「ローロ、何を⁉︎」
「……すごい、もう痛みの感覚がなくなってきた。即効性、効き目は十分だね」
ローロは、未だ戦闘の音が鳴り止まない方向へ足を踏みしめた。
「――これでようやく、ジュモの元へ急げる」
◇
ローロとゼリルを横目で見送ったジュモは、大蜘蛛と対峙した。
飛びかかる大蜘蛛の下へスライディングで滑りこみ、ガラ空きになった腹下へ爪を差し込む。
――が、やはりその腹は硬い殻に覆われていて、攻撃は通らなかった。
「やっぱ、倒すなら昨日と同じ方法か……」
ジュモが木の上へと登ろうとすると、大蜘蛛はすかさず尻尾から毒液を発射する。
「あぶねっっ!」
ジュモは咄嗟に別の木へ飛び移ることでそれを避ける。
その直後、先ほどまでジュモがいた地点に毒液が着弾し、ジュウウ、と音を立てながら木が腐りたちまちへし折れてしまった。
「あいつ、あんなのも出せるのかよ……、食らったら即死だな」
ジュモは飛来する糸と毒液を、持ち前の身体能力と
「くたばれ!
木から勢いよく飛び降り、渾身の杭の一撃を振り下ろす‼︎
ジュモの気迫に危機感を抱いたのか、大蜘蛛は落下するジュモへ糸を射出した。
「ちっ、
ジュモは咄嗟に、背後の木へ尻尾を打ち込むと、腕でそれを掴む。
そして思い切り手繰り寄せ、空中で無理やり自分の軌道を変え、糸を避けた。
「やっぱ、これじゃだめか……作戦変更だ」
ジュモは体を翻すと、さらに木が生茂った方向へと逃げ始めた。
「てめぇみたいな化け物と、まともにやりあうのは悪手なんでね!』
『GYAAA‼︎』
「てめぇの図体じゃ、木の間すり抜けるだけでも一苦労だろ!」
ジュモは、できるだけ木が密集している方向へと逃げ始める。
木は大蜘蛛にとっては障害物となり、ジュモにとっても遮蔽物になるからだ。
撒き散らされる毒液や糸をジュモは避け続け、時折追いつかれそうになるも、ジュモは都度フェイントを掛けて引き剥がした。
(そろそろ頃合いか――)
ジュモが地面に足を着いたその時、あらかじめ地面に張られていた蜘蛛の糸がジュモの足に絡みついた。
「ちっ……、さっき散々撒き散らしてた糸か!」
ジュモが足を取られたのを確認すると、大蜘蛛は嘲笑うかのようにゆっくりとにじり寄ってきた。
「てめぇ……」
大蜘蛛は、ジュモに見せつけるように鎌状の前足を大きく広げると、ジュモの首を撥ねようと振りかぶった。
「
その瞬間、右足のレガースがガチャリと前後に開き、蜘蛛の糸に囚われていた右足は自由となった。
「よしっ!」
ジュモはレガースを脱ぎ捨て、その勢いで後方に宙返りし、大蜘蛛の攻撃を間一髪で避けた。
そして、そのまま空中に向かって、レガースの残った左足の回し蹴りを繰り出す。
「レーガスショットォ‼︎」
ジュモの回し蹴りに合わせてレガースが展開し、大蜘蛛に向かって射出される。
その瞬間、先ほどまでジュモのつま先が入っていた部分が直角に折れ曲がり、杭のようなフォルムへと変形した。
「もう片方もくれてやる!」
予想だにしなかったジュモの攻撃に不意をつかれた大蜘蛛は真正面からレガースのするどい爪先を受けた。
『GYAAAAA‼︎‼︎‼︎』
再びいくつかの目を潰され激昂する大蜘蛛。
その狂乱ぶりは凄まじく、あっというまに周囲の木を軒並み薙ぎ倒しながらジュモを追いはじめた。
「これで足が軽くなったぜ……!」
ジュモは、ゼイラーや大蜘蛛と出会した広場まで走った。
広場の中心に出ると、ジュモは不敵な笑みを浮かべて大蜘蛛を待ち構えた。
『GISYAAAAAAA‼︎‼︎‼︎』
「蜘蛛野郎、俺は前々からお前ら見たいな外見の奴らが気に入らなかったんだ。――なんでか知らねぇだろうから教えてやる。ビーストにも蜘蛛がいるんだよ。そいつらと同じ見た目で悪さするテメェらが俺は許せねぇ」
大蜘蛛は、ジュモの言葉など耳を貸さずに迫ってくる。
「あー、つまり俺は何が言いたいかって言うよよぉ!」
ジュモが腕を引くと空中で何かキラリと光った。
よく見れば、ガントレットから“蜘蛛の糸”のようなものが伸びていた。
「――俺にだって蜘蛛の真似事はできるんだよ!」
そしてジュモは、漁師が網を引き上げるかのような動きで糸を手繰り寄せた。
「おりゃあぁっ!」
すると、糸がピンと張り詰め、先に括り付けられていた物が勢いよく飛び出してくる。
――糸の先に括り付けられていたのは、先が鋭く尖った大木だった。
「へっ……逃げ回ってる間にを仕掛けておいたんだよ!」
接近する大木気付いた大蜘蛛は、咄嗟に自身の最も硬い部位――背の甲羅を向け受け止めようとした。
――だが、ジュモの渾身の力で手繰り寄せられ、遠心力で超速で飛来するそれは、甲羅すらもも容易く貫いた。
『GYAAAAAAAAAA‼︎‼︎‼︎‼︎』
傷口から勢いよく、大量の闇霧が吹き上がり、大蜘蛛やがて力なく地面に潰れるように倒れ伏した。
「はぁ……はぁ……手こずらせやがって……。靴取りに戻んなきゃな」
ジュモが歩み始めるが、ふと違和感に気づく。
「……あ?」
振り返ったジュモの視線の先にあるのは大木が刺さったままの“大蜘蛛の死骸”だ。
――魔物は、死ねば塵になるにも関わらず。
(どういうことだ……?)
「何かヤバい事が起きようとしている」ジュモの第六感がそう告げていた。
めきり。
すると背中の殻がさらにヒビ割れ、中から一本の、細長い触手のような何かが生え出てくる。
その“何か”は、ドス黒く無機質な蜘蛛の体とは対象的で、どこまでも純白で滑らかだった。
ジュモにしてみれば、その不釣り合いさこそ、不気味で仕方がなかった。
そして、さらにもう一本。同じく白くて細長い何かが這い出てきた。
それは、体に食い込んだ大木を両側から挟み込むと、上へと持ち上げ始めた。
――ジュモはようやく気づいた。その細長い何かの先端から、五本の指が生えていることに。
(――あれは……“手”だ。それも、人間の……女の手だ……!)
ず、ずず、ずずずず。
大蜘蛛を縛り付けていた杭はだんだんと迫り上がっていき、ついにその体から完全に抜け去った。
そしてドシンと、大木が地面に打ち捨てられると共に、割れた殻の中から“中身”が――窮屈に折り曲げられた真っ白な体が生え出てきた。
体は勢いよく起き上がり、その全貌があらわになる。
艶やかな、真っ白な髪がたなびいた。
そして魔物の特徴である、赤い、赤い目。
そこに、人間ならば多かれ少なかれ持っているはずの、理性の面影は存在しなかった。
ばるん、と揺れるたわわな乳房は、当然一切隠されてはいなかったが。そこにあるべき乳首もなかった。
つまりそれは、ただ人間のカタチを模倣した化け物に他ならない。
そこに血は通っていなく、人間の上半身と蜘蛛の下半身をした化け物がそこにいるのみだ。
この場にヒルナかユーハ、あるいはイレーナがいれば目を剥いただろう。
ジュモの目の前に立つのは、ただの
聖教の歴史において、過去に二度のみ観測されたことのある――超特殊個体 アラクネだつた。
たらり、と、ジュモの額に汗が垂れる。
「一丁前におっぱい晒しやがって……そんな軟そうな体、一瞬で真っ二つにしてやるよ‼︎」
ジュモはガントレットから鎌を迫り出させ、駆け出そうとした瞬間、アラクネが人差し指をジュモに向けた。
(ヤバイッ……!)
刹那、ドシュ、という音が、自身の体から聞こえた。
「あ……?」
見下ろすと、ジュモの腹部から鮮血が流れ出ていた。
それを知覚した瞬間、遅れて痛みが生じる。
「ガッ……!」
(指から何か撃ちやがったな……だが、何も見えなかった……!)
ジュモはわけもわからないまま、本能で走りだしていた。
(こいつはヤバい! 止まれば確実に死ぬッ……‼︎)
その攻撃の速度は、先ほどまでの比ではない。
(指……指の向きを見て予測しろ……!)
ジュモはすぐさま対抗策を講じ、アラクネの動きを読み始める。
被弾を完全に防ぐことは難しいものの、森という地形を利用した立体的な機動で、致命傷は避け続けることに成功していた。
(さて、ここからどうする……)
――だが、イレギュラーがイレギュラーたる理由は、これだけではない。
ジュモが木から着地した、一瞬の硬直。そこをつけねらい、アラクネは攻撃を放った。
(まさか、読まれっ……!)
「がぁっ!」
ジュモの体をついに糸が貫く。
そして弄ぶかのように振り回すと、明後日の方向へ放り投げた。
抵抗叶わず転がって行くジュモに、アラクネは魔物らしからぬ笑みを浮かべ、ジュモへと近づいていく。
「人間みてぇにニヤニヤしやがって、ムカつくぜ……」
(このままじゃ確実に死ぬな。精々あいつらが逃げる時間稼ぎはしてやりてぇが――)
ジュモはふと、無意識のうちに自分が死ぬことすら勘定に含めていることに気付いた。
(馬鹿か……、まだパザラとの約束が微塵も果たせてねぇだろうが……!)
「諦めて……たまるか!」
ジュモは飛び起きると、何かを目指すように、木々の中を疾走し始めた。
それを妨げるようにアラクネは糸を伸ばすと、ジュモは再び貫かれ、振り回される。
「そうくると思ってたぜ!
ジュモは素早く、腹を貫く糸を断ち切った。
すると、慣性の勢いのままジュモは地面へ放り出される。
だがそれは、ジュモの計算の内だった。
その場所は、先ほどまでゼイラーたちが立っていた場所だ。
(確か、この辺りに……!)
すると、痺れを切らしたアラクネが、両手の指を突き出し、その全てから糸を放った。
その威力は凄まじく、ドォン! 激しい音と共に、大きな土煙が舞い上がった。
勝ちを確信したアラクネが、再びニヤリと笑う。
――その時、煙の中からゆらりと、ジュモが立ち上がった。
「ふぅ……間一髪、助かったぜ」
血塗れなりながらも不敵な笑みを浮かべるジュモの右腕には、中程で刀身が折れた大剣が握られていた。
――予剣ロノス。五秒先の未来を見ることが出来るアーティファクト。
「思ったより、予測できる時間が短いな……。真っ二つだから視える未来も二・五秒ってか?」
ジュモが探していたのは、この剣だった。
「さぁて、俺がこいつを使いこなせるかどうか、賭けといこうか!」
瞬間、ジュモは自身の喉が貫かれるビジョンを視た。
(こうかっ……!)
ジュモは咄嗟に体を捻ると、糸は予知通りの地点へ放たれ、掠めつつも避けることができていた。
(これなら、いける――!)
再び、ジュモに向かって数多の糸が放たれる。
「どりゃあああああ‼︎」
ジュモは無数の糸を避け、予剣ロノスで糸を斬り刻みながら距離を詰めていく。
突然の起死回生に、アラクネは目を見開くと、後ろに後退するが、ジュモはそれすら予知していた。
「
ジュモは左腕のガントレットから蜘蛛の糸を射出すると、宙のアラクネに貼り付け、そして自身の方へたぐり寄せる。
そして、ついにジュモとアラクネの距離は、衝突寸前にまで迫った。
「終わりだぁっっっ‼︎‼︎」
ジュモは、左手で宙のアラクネを手繰り寄せながら、右手の予剣ロノスを振りかぶる。
剣はアラクネの腹部へ吸い寄せられるような軌道で迫っていく。
その一太刀は、確実にアラクネを一刀両断する力が込められていた。
――だが、それは空振りに終わった。
「あ……?」
アラクネの青白い肌に、刃を食い込む瞬間――その上半身が、消えた。
……いや、消えたのではない。アラクネは、ジュモに上半身が消えたと錯覚させるほどの速度で自分の体を逸らしたのだ。
それも、ほとんど直角と言えるほどに折れ曲がり、
今やアラクネの上半身は、蜘蛛の下半身の上に寝そべるような体勢だった。
ジュモは、空振ったまま視点を下に向けると、ニヤリとほくそ笑むアラクネと目が合った。
(こいつ、背骨がねぇのか……!)
そしてこの瞬間、ジュモは最も大きい隙を晒すこととなった。
――アラクネが、折れ曲がった上半身から繰り出した手刀が、ジュモの腹を貫いた。
「ガハッ――‼︎」
ジュモから吹き出した血飛沫が、まるでシャワーのようにアラクネの体を濡らす。
『GI、KI――キシシッ♪』
(こいつ今、喋っ――)
そしてアラクネは、薄気味悪い笑みのまま、ジュモを再び放り投げた。
「がああああああっ!」
(畜生、完全に油断した……。それより、血を流しすぎた……止血……止血しねぇと……)
ジュモがふらりと起き上がる。
――だが、アラクネの姿は既に、目の前にあった。
そしてアラクネは、ガリオスを切り裂いたのと同じ、蜘蛛の前足を大きく振り上げた。
(ダメだ……体が動かねぇ……。――パザラすまねぇ、やっぱ頼みは成し遂げられねぇらしい)
「――だけどよ……、最後に一発入れてやりてぇよな」
ジュモはガントレットから爪を出し、決死の攻撃を放とうとそたその時――。
バシュッ――。
飛来した矢が、振り上がったアラクネの腕に命中した。
『ナニ――――?』
その腕は急に力を失ったかのようにだらりと垂れ下がり、今度は脚に矢が突き刺さると、アラクネはその場に崩れるように倒れた。
「これは麻痺矢か……? でも、一体誰が……」
ジュモはかすみゆく視界で、矢が飛んできた方向を見つめると、木の上から弓を構えるローロの姿があった。
その姿に迷いはなく、気迫だけならば、熟練のアーチャーにも匹敵するほどだった。
(ローロの奴……! 経緯はわからねぇが、どうやら、やっぱりあいつには弓矢が向いてたらしいな)
『コロス……サッサト……オマエ……!』
アラクネは、無理やりに体を起こそうとするが、再び矢が命中し、今度は着弾部分から、アラクネが氷漬けになりはじめた。
――そして、駆けつけた応援はジュモだけではなかった。
「ジュモ……‼︎‼︎‼︎ ああ、こんなに血が……!」
『ダイジョブカ! ダイジョブカ!』
足にゼリルを抱えたリドが、ジュモの元へと飛来してきた。
「カハッ……、お前ら……なんで来た……殺されちまうぞ!」
「……これ以上喋らないでください! ローロと話していて、思い出したのです。私でもジュモの役に立てるかも知れない方法を」
ゼリルは、リドに地面に降ろしてもらうと、ジュモへ駆け寄った。
「ジュモと初めて出会ったあの夜。谷底へ落ちた私たちを、聖力の結界が包み守った。覚えていますね」
「まさか、それを再現しようってのか? ……だが無駄だ」
ジュモは自分の腹へと視線を落とす。
大きな傷口から、おびただしい量の血液が流れ出していた。
「今更結界一つあったところで、俺はもう助からねぇ」
「――ですから、これは賭けなのです。私が
「あ?」
「私が結界を張ったあの時、もう一つ私たちがしていたことを思い出したのです」
ジュモの元へ向かう途中、ゼリルはローロと、その力について話し合った。
――「そんな力があるのに、それ以降は一度も結界が出てないのは何でだろうね」
――「すみません、何も覚えておらず」
そして、大きな糸口となったのは、ローロの一言だった。
――「そういえば聖術も魔術も、発動の切っ掛けはイメージらしいよ」
――「イメージ?」
――「そう。火の魔術なら火を。治癒の聖術なら傷が癒えるイメージをするの」
ゼリルは思い出す。あの時自分は、歴史上最も優れた聖術の使い手、女神ニューリアに祈っていたのだと。
「ジュモ、今から私は女神ニューリアに祈り、そしてジュモを治せるよう働きかけてみます」
「でも、ニューリアはバラバラになって死んだんだろ?」
「ですから、これは賭けになります」
すると、ゼリルは祈りだした。
思い描くのは自身の中にある漠然としたニューリアの姿、そして礼拝堂で見た壁画――。
「女神ニューリアよ。もしも今どこかで私たちのことを見守っているのならば……どうか、どうか私の恩人であり、友である彼――ジュモを助けるため、その癒しの力を私にお貸しください――」
ゼリルが祈る最中、矢による状態異常が解けたアラクネが、その凶刃を今度はゼリルへと振り下ろした。
『殺ス――!』
そして、それを阻んだのは翡翠色の結界だった。
『ナニ……?』
戸惑うアラクネが何度もその刃を振り下ろすが、結界にはヒビ一つ入らない。
ジュモは薄れゆく意識の中で、ゼリルの胸に翡翠色の輝きを見た。
ヒルナに貰った聖衣はいつの間にか剥がれており、その先端からは、吹き上がるように聖力が溢れ出ていた。
「――横になってください。目を閉じて、そして、口を開けて」
――一度めの時にも感じた違和感。
聖術を使い、ジュモに語りかけるゼリルは、ゼリルのようであり、どこか別人のようであった……。
(まさか、記憶をなくす前のお前……だったりするのか……?)
瞼を閉じたまま言われるがままに口を開けたジュモ。
口元のあたりに柔らかく、温かい感触と、それなら心地よい重みが生じた。
(何だ……? ゼリルが乗っかってきたのか……?)
すると、ジュモの口の中に、何か液体が注がれ始めた。
ジュモは驚いたが、舌に触れたその味は、知っているものだった。
(これは……ミルクか……? 温かくて……ほんのり甘いような……)
注がれていくそれを、こくり、こくりと飲み込んでいくと、活力の失われたジュモの体に、再び力が戻っていく。
いや、それどころではない。
むしろ、今までよりも大きな力が、ジュモの体の中でみなぎりはじめていた。
(不思議だ……もうどこも痛くねぇ……)
ジュモは、顔の上に乗ったゼリルを持ち上げると飛び起きた。
「体が軽い……! それに、やっぱ傷が治ってやがる! ゼリル、お前一体何飲ませた!」
すると、どういうわけか、ゼリルは頬を赤らめた。
「ひ、秘密です!」
その時、ジュモはゼリルの先端から、白色の雫が垂れたのを見逃さなかった。
合わせてゼリルが乗った感触、ミルクのような味――これらを総合すると、ジュモは自ずと答えに辿り着いた。
「ゼリルひょっとして、今のって……お前の母乳――」
「言わないでください!」
「いや、だって――」
(いきなり母乳が出始めるなんて、どう考えても
「……って、言ってる場合じゃねぇか」
張られていた結界は薄くなり、アラクネは今にもこちらに侵入してきそうだった。
「ジュモ……、すみません……なんだかとても疲れて……」
すると、あの時と同じように、ゼリルの乳首から光が褪せていった。
「いい。理屈は知らんが、お前が頑張ってくれたのはわかった……リド、ゼリルを連れてってやってくれ」
『任セテ!』
リドが去ると、ジュモは再びアラクネを睨みつけた。
「――さて、逆転開始だ」
その目には、ゼリルと同じ翡翠色の光が宿っていた。
結界は消え、アラクネの鎌は再びジュモへと振り下ろされた。
だが、ジュモはそれを右腕一本で掴み、容易く止めて見せた。
『ナ――ニ――?』
「自分でも驚いた……。さっきまで勘で避けるしかなかったお前の攻撃が――今は視えるし、止められる」
そして、そのまま左腕を鎌に変形させ、受け止めていたアラクネの前足をへし切った。
『グアアアアア‼︎‼︎‼︎』
たまらず後ろに引き下がるアラクネへ、ジュモは追撃を仕掛ける。
「今度はこっちが追いかける番だなぁ!」
バックステップで後退するアラクネは、十本の指と尻の先端をジュモヘ向けありったけの糸を放つが、それすら今のジュモにとっては脅威ではなかった。
ジュモはもはや糸を切り払うことすらなく、軽々と糸を掻い潜ってアラクネへ迫る。
そして形勢は完全に逆転し、ジュモがアラクネに追いつくたび、一本、また一本とアラクネの脚は本数を減らしていく。
そして、ついにはすべての脚を斬り落とし、残る上半身の両腕をも斬り飛ばした。
『ギャアアアアアアア‼︎‼︎‼︎』
「今度こそ、その体、なき別れにさせてやるぜ!」
ジュモは、確実にアラクネの体へと鎌を押し当てると、力を込めていく。
『ヤメロ‼︎ ヤメロオオオオオオォォォォォォォォ‼︎‼︎』
「
――ズバリ
切り離された上半身が、黒霧を撒き散らしながら宙を舞う。
「あばよ、おっぱい蜘蛛」
アラクネの上半身は抵抗なく地面に落ちると、乾き切った喉から、しゃがれた声を絞り出す。
『アア……カラボスサマ……』
「あ……? お前今、なんて……」
そして突如ガクンと、ジュモは地面に倒れた。
「なん……だ……」
ジュモは、体から急激に力が抜けていくのを感じていた。
「時間切れか……!」
ゼリルに蓄えられた力を使い切ったのか、傷こそ塞がったままではあるが、ジュモの瞳からは既に翡翠の光は失われ、普段通りの茶色の瞳へと戻っていた。
――だが、まだ目の前のアラクネの上半身は消えてはいない。
(確実に仕留めねぇと……!)
ジュモに異変に気付いたローロは、木の上からすぐさま矢をつがえた。
「仕留めなきゃ……!」
ローロが放った矢はアラクネの上半身に突き刺さり、ようやく消滅した。
――だがこの瞬間、致命的な隙が生じていた。
動けぬジュモからは上半身しか見えておらず、ローロもまた、狙いを定めるため上半身にのみ集中する。
そして、ゼリルとリドはアラクネに背を向け、ローロの元へ移動していた。
――つまりこの瞬間、未だ消えぬ“アラクネの下半身”を、誰も見ていなかったのだ。
ベキ、ベキベキ――
殻が割れていく音が、既に脚も上半身もなくなった、物言わぬ胴体から聞こえ始める。
――そして、腹が割れた。
――中身が飛び出す。
出てきたのは、無数の子蜘蛛だった――。
子蜘蛛は腹からとめどなく溢れ出ると、押し寄せる波のように、動けぬジュモへと迫っていく。
(な、なんだ……! 何が起きてる……!)
一体一体が小さくとも、これだけの数に群がられてしまえばどんな聖物もすぐに殺されてしまうだろう。
毒が回るのが先か、啄まれ骨となるのが先か、たったそれだけの違いだ。
「――まずい! リド! ジュモのとこへ戻って!」
ローロは叫びながら、矢を三本まとめて番え、放とうとする。
シャン――。
――そんな音が響いたかと思うと、ジュモの視界に、光の軌跡が走った。
杖が回転しながら飛来し、あっという間に蜘蛛の子を一掃してしまった。
「今度は何だ……」
「――お待たせ、生きてる?」
飄々とした声と共に、倒れたジュモの視界一杯に、かかとの高い純白の靴と、脚どころか尻たぶまで惜しげもなく晒された下半身が映る。
聖女ヒルナが、駆け付けたのだ。
「あん……た……」
蜘蛛が一掃されると、杖は一人でにヒルナの手へと戻った。
「救難信号信号の方向で、おそらく君たちがピンチだろうってのは予想がついた。そうなれば、私が行かないわけには行かないよね。
「ああ、マジで助かった」
「ふああ、それにしても久しぶりによく寝た。――それも君がポワロスの花を調達してきてくれたお陰だ。
すると、今の状況を好機と見たのか、まだ息がある大蜘蛛の下半身はヒルナへと糸を放った。
「甘いね」
ヒルナは被弾直前に、自身の前へ結界を張った。
そしてそれは、ゼリルが展開したものと比べピンポイントに展開され、なにより素早く正確だった。
何度も放たれる糸を、ヒルナは的確に防いでいく。
「結界は燃費が悪い。広く張ればそれだけ聖力を持っていかれるからね。聖力の少ない私にはこれが丁度いいんだ」
そして、アラクネは遂に力を使い果たしたのか、攻撃が止み、身体は霧へと帰った。
大量の霧がジュモの腰の収魔結晶に吸い込まれていく。
「ここで霧ごと消滅させちゃってもいいんだけどね、ギルドで換金するといい……内緒だよ?」
ヒルナは口元に人差し指を当てながら言った。
「それと、戦闘はまだ終わってないよ」
『『『GURURURURUUUU
……!』』』
周囲には、ジュモ等を取り囲むように大量の魔物が押し寄せていた。
「なっ……! どうしてこんなに!」
「事情は知らないが、一度ゼリルちゃんが聖力を解放したでしょ? 彼女の聖力に惹かれて集まっちゃったみたいだ」
「クソっ! 力が入らねぇ……」
「まあまあ、たまには聖女に頼ってよ……って言っても、君と出会ってからはカッコいいとこ見せられてなかったね」
ヒルナは人差し指の上に杖を乗せると、回転させ始めた。
すると、次第に杖は聖力の光を帯びていく。
「これでも、冒険者で言えば、金等級以上の力はあるんだから」
そして、杖を放ると魔物目掛けて飛んでいく。
杖が触れた魔物は一切の抵抗敵わ魔霧すら残さずに消えて行った。
圧倒的な蹂躙。
ジュモが弱点を狙うのとはまるで違う、触れるだけで溶けていく絶対的な相性。
「これで最後、かな?」
あっという間に、取り囲んでいた魔物は一体残らず消滅してしまった。
「すげぇ……」
そこへ、一足遅れてローロと、イレーナもやってくる。
「ヒルナ様!」
「
「それがどうやら、アラクネだったみたい」
「アラクネ……ってええ⁉︎ そんなの大昔の記録でしか見たことありませんよ⁉︎」
「だからまぁ……、よっぽどの事が起きてるってわけだね。ジュモ君、立てる?」
「いや、力を完全に使い果たしちまったらしい、指一本たりとも動かせねぇや」
「それは大変だ。
ヒルナは指先に聖力の球を作ると、ジュモの体の中に放った。
「お? なんだこれ」
「私の聖力を少しだけ分け与えたんだ。これで時期に歩けるようになると思うよ。……と、君たちも怪我してるみたいだね」
ヒルナはローロとリドにもヒールを掛けると、ヒルナはジュモの体を軽々持ち上げ、まるで米俵のように担いだ。
「のわっ! なにすんだ!」
「動けないんじゃこうするしかないでしょ?」
ヒルナの方に垂れ下がったジュモ、ローライズで見え隠れする尻を上から覗く形になった。
「ケツが! ケツが近い!」
「さて、帰ろうかと言いたいところなんだけど、私はもう少し調査していく必要があるから、君のことは森の出口まで運んでいくね」
「……なあ、あんたは人の言葉を喋る魔物を見たことがあるか?」
「何言ってるのジュモ、魔物が喋るわけないじゃん」
「――それ、本当?」
空気が一変する。
「……ああ、アラクネはカタコトだったが確かに人の言葉を喋ってた」
「……私自身は出会ったことはない。けど、聞いたことならある」
「本当か?」
「一定の知性を持つ魔物は人の言葉を話す事があるの。そして、そのほとんどが金等級以上の力を持ってる」
「金等級……⁉︎」
「通りであのアラクネも、ここらに出てくる魔物にしちゃ強すぎると思った。よっぽど北の方じゃないと、あんな化け物はそうそう出てこないだろ」
「でも、どうしてこんな南にアラクネが……」
「……それなんだけどね、原因わかったかもしれない」
「本当か?」
「このまま奥に進めば、きっと珍しいものが見れるよ。ローロ、君もついてくる?」
「は、はい!」
一行は森の奥に進んでいくと、森はさらに暗くなっていく。
当然、それに比例して魔物の数も増えていくが――
「ほいっ」
ヒルナは相変わらず、放り投げた杖で魔物を一掃していった。
そして、ヒルナが次に足を止めるころには、ジュモは自力で歩けるまでに回復していた。
「やっぱりあった」
ヒルナが呟くと同時に、一行は目を見開いた。
「なんだこりゃ……」
そこにあったのは、闇だった。
森の中に、一切の光を通さない闇が、塊のように渦巻いていた。
「ヒルナ様これは……? 魔素の塊……のように見えますけど……」
「通称『闇だまり』。もしかしたら、って思ってたけど、やっぱり見つかったか」
ヒルナは「まいったね」と天を仰いだ。
「この闇の塊が、急に毒持ちの魔物が出てくるようになったり、アラクネみてぇな、やけに強い魔物が出てくるようになった原因なのか?」
「そういうこと。ジュモくん、そもそもニューヴァリアでは北に行けばいくほど強力な魔物が出現しやすくなる理由って、覚えてる?」
「何ってそりゃ……えーと……」
「大気中の魔素が濃くなるから、ですよね」
ジュモに変わってローロが答えた。
「ご名答。だから本来、魔素の薄いこの辺りでは強力な
「それで、湧き出す魔物に異常が起きてたのか」
「……そんなものがあるなんて」
「ギルドの講習では闇だまりの話なんて無かっただろう? この現象は本来、発生したとして数年に一度、ニューヴァリアのどこかで観測されるくらいなんだ」
「……じゃあ、この街は運悪く、その数年に一度を引いてしまったんですね」
するとヒルナは、ばつの悪そうな表情で答えた。
「それが、聖都からの教会への連絡によると、この数ヶ月、既に複数箇所で闇だまりが見つかったらしい」
「それって……」
「うん、異常事態だ。原因は各地の聖女が調査してる最中だけど、まだこれといったものは――」
各地での魔物……ひいては魔素の異常。
それを受けジュモは、アラクネの最期の言葉を思いだした。
「――カラボス」
「ジュモくん、今なんて――」
「聞き間違えじゃなきゃ、アラクネは最期「カラボス様」って、そう言ってたな」
「カラボスって! まさかあの、魔神カラボス……⁉︎」
「魔物が言い残したってんなら、それしかないんじゃないのか?」
「カラボス……そうか、カラボスか……」
ヒルナは神妙な面持ち考え込む。
「ヒルナ様……ありえないですよね、魔神カラボスは二千年前に、女神ニューリアによって滅ぼされて……」
「だが、魔物ってのは魔素がありゃ湧き出てくる化け物だ。魔神だってそこに違いはねぇはずだろ?」
「そう、だね。……魔神カラボスが復活、あるいは復活しかけているって可能性は……考えたくないけど、十分あり得ると思う」
「そんな……」
「ともかく、帰ったらすぐに手紙を送らなきゃね」
「……で、この闇だまりはどうするんだ?」
「見つけさえすれば、消すのは簡単だよ」
ヒルナは闇だまりへ向けて杖を構えると、聖力をその先端へ集中させはじめた。
「
そして、放たれた光は闇だまりを包み込み、瞬く間に浄化された。
「これでもう、アラクネも毒を持った魔物も湧かなくなるはずだ。さ、早く街へ戻ろう。イレーナちゃんがギルドで待ってる」
〈エピローグ〉[#「〈エピローグ〉」は中見出し]
ローロの槍を回収したジュモたちは、ヒルナが待たせていた馬車に乗り、ジュモたちはジラーマへ戻ると、夕方に差し掛かる頃合いだった。
ジュモたちはすぐにギルドへ行くと、すぐに、気が気でない様子のイレーナと目が合った。
イレーナはジュモたちに気づくと、あっという間に瞳を涙でいっぱいにして、ジュモたちの元へ駆け寄り飛びついてきた。
「皆ざん! よかったご無事で……‼︎‼︎‼︎」
すると、必然的に、先頭にいたジュモがイレーナなのハグを受け止めることとなった。
「ぐぇっ!」
だが、激戦で体力を消耗しきっていたジュモは、受け止めきれず、そのままイレーナに押し倒されてしまった。
「あらあら〜」
「ジュ、ジュモ! 大丈夫ですか⁉︎」
だが、イレーナ自身もそれどころではないようで、ジュモの胸で泣きじゃくりながら話続けた。
「黒牙の団数名から、ジュモ様が残って彼らを助けたとの報告があり……よかった……無事で……」
「わ、わかったからとりあえずどけ! どいてくれ!」
すると、イレーナはようやく自分が何をしていたのか気づいたようで、ジュモに跨ったまま、たちまち真っ赤になった顔を手で覆った。
「わあああ〜〜す、すみません!」
「とりあえずどけって言ってんだろ!」
◇
一悶着の後、ジュモたちは報告のため、会議室へと通されていた。
ジュモたちは大机を囲むようにしてイレーナへとことの顛末を話す。
「あの、これ……」
ローロは机の上に、あの時拾ったキューロの弓と矢筒を差し出した。
「キューロさんはやはりあの時……」
「私が見つけられたのはこれだけでした。逃げている最中に見つけたんです。……この弓がなかったら、私はあそこで死んでいました」
イレーナは「そうですか……」と目を伏せると、ローロの目を見て柔らかく微笑んだ。
「あなたのような、未来ある者を守ることに繋がったのなら、彼女の死も浮かばれるでしょう。こちらは遺品として、ギルドで預からせていただきます」
キューロにも、ガリオスやジュモのような即席パーティとは違う、本来の仲間がいる。この弓はきっと彼らに返されるのだろう。
「それではヒルナ様、今回の顛末をお聞かせ願えますか?」
「それなら、まずはジュモくんに話してもらおう。なにせ、私が行ったときには既にほとんど終わってたんだから」
◇
話を聞き終えたイレーナは、やはり神妙な面持ちだった。
「スパイダー・スカージがアラクネに変異を……。それに、人の言葉で喋る個体ですか……」
「なんだ、嘘じゃねぇぞ」
「い、いえ疑ってはいませんが……」
とはいえ、信じがたい様子のイレーナへ、ヒルナがフォローする。
「遠目からアラクネの上半身が消えるところが見えたし、間違いないと思うよ。それと、原因はやっぱり闇だまりだった」
「そう、ですか……。でもこれで、ここ数ヶ月の魔物騒動の原因がわかりましたね」
「うん。……それと、これはあくまで最低最悪のケースの、それも憶測なんだけど……魔神カラボスが復活する可能性がある」
「……どういう、ことですか……?」
「アラクネが「カラボス様」って言い残したんだってさ。信じたくないけど、近頃闇だまりの発生頻度が異常なのもまた事実だからね」
「そう、ですか……。わかりました。あくまで可能性の一つとして、報告しておきます」
「うん、それがいい。――って感じで、報告は以上! それと……ちょっといい?」
「はい? なんでしょう?」
「あ、ジュモくんたちはここで待ってて?」
ヒルナはイレーナを連れ、外へ出ていってしまった。
「なんだ?」
「さあ?」
「きっと内密な話なのかも……」
しばらくして、二人が戻ってきた。
「遅かったじゃねぇか、どうしたんだ?」
「ああ〜、ちょっと話通すのに手間取っちゃってね……イレーナちゃん、例のものを」
「はい。ジュモ様、これを」
イレーナの手の中にあったのは、ギルドカードだ。
その紙面にはぶっきらぼうな顔の、ジュモの写真が貼り付けられている。
「ジュモ、やりましたね」
「はあ……、ギルドカードを作ろうとしただけなのに、ガキ拾ったり、アラクネに殺されかけたり、やたら遠回りをさせられた気がするぜ……」
ジュモは念願のギルドカードを受け取ると、一目で以前と違うことに気づいた。
以前はなんの変哲もない鉄でできたカードだったが、今回のそれは、眩い黄金色だった。
「こりゃ……金か?」
「金……⁉︎ 金等級ってこと⁉︎」
ローロが驚くのは当然だ。ジュモが受けたのはあくまで再発行試験。等級を上げるには、別の昇級試験を受けるのが常識だ。
それに、昇級試験にしても原則は一段階しかあがらないところ、ジュモは鉄から銅、銀をすっ飛ばして金等級まで上がっている。
これは過去類のない事だった。
「いやあ、流石に前例のない昇級すぎて話通すのに時間掛かっちゃったよ」
「俺は身分証としてしか使わないし、別にわざわざ上げてもらわなくてもよかったんだが……」
「だって君、こうでもしなきゃずっと鉄等級のつもりだったんでしょ?」
「? そうだが、問題あるのか?」
申し訳なさそうにイレーナが答える。
「ギルドとしては、冒険者様には、しっかり自分の実力相応の等級を所持しておいてほしいのです」
「そうなのか?」
「ジュモ様、時折ギルドが冒険者を招集して、大規模な討伐作戦を行うことがあるのをご存知ですか?」
「いや、知らないな」
「そうした有事の際、犠牲者を減らすため、討伐対象よりも等級が低い冒険者は参加できないことになっているのです。……ですが、一人でも多くの戦力が欲しいというのが本音です」
「確かに、アラクネを倒せる実力者が、鉄等級だからって、コボルトの大量発生にすら参加できないのは惜しいもんね」
「そういうことです」
「……要するにそれ、今までは出なくてよかった討伐作戦とやらに参加する必要が出てきたってことじゃねぇか」
「まあまあ」
「討伐作戦ってのは大抵、街道近くに魔物が住み着いて、馬車の行き来ができない時なんかに行われるんだ。ジュモが参加したことで守れる子供の命があるかもしれない」
「……ま、出会したら考えてやる」
「ああそれと、収魔結晶も今お預かりしましょうか?」
「ああ、そういやすっかり忘れてた」
「「「「ひぃぃっ……‼︎」」」」
ジュモがポーチから結晶を取り出すと、見ていた全員から悲鳴が上がった。
元々無色透明で卵型のそれは、一切の光を通さないほどドス黒く変色し、形状も至る所が歪に膨らんでいて、今にも破裂しそうな状態だった。よく見れば、既にヒビも入り初めている。
「イレーナちゃん、すぐ浄化装置にもってって! やばくなったら私が直接浄化するから!」
「はっ! はい‼︎‼︎」
ドタバタと部屋を駆け出していくヒルナとイレーナ。
「なんか、大変そうだな」
「「アンタ(あなた)のせいでしょ‼︎‼︎」」
ローロとゼリルは、突っ込まずにはいられなかった。
◇
「――ひいいいいいいい⁉︎」
どすんっ、と金貨がパンパンに詰まった皮袋が机の上に置かれると、ローロは悲鳴を上げた。
「はあはあ……こちら、収魔結晶の魔素を換金した結果、合計二千万リラとなります」
「「二千万……⁉︎」」
「ダメだ、数字が大きすぎてどのくらいすごいのかさっぱりわからねぇ」
「ええと、数年は遊んで暮らしていける……とか、王都に小さな家が立つ……とか、そんな感じかな」
「ええと、ゴブリンなら一万三千体、オークなら四千体、オーガなら二千体分……そのくらい狩っている金額ですね……」
「はあ〜、随分倒したなぁ……」
「ジュモ、使い道は決めてるの?」
「……特には決めてねぇな。武器を整備するための道具と……あとは食料とポーションくらいか? そのへん買っても、たぶん余るよな」
「そりゃもうたくさん。使い道がないなら商人ギルドなんかに預けるって手もあるよ。ギルドカードみたいに、預けた金額が書かれたプレートを作ってくれるから、それがあればどこの街でもお金を引き出せる」
「へぇ、便利な仕組みを考えるもんだな。……つっても、どうせそのカードも無くすしなぁ……」
「あはは……」
「なあ、人間は大金が手に入ったら何に使うんだ?」
「ん? さっき言ったとおり家とか……あとは、やっぱり酒に女かな?」
「うぇ……いかにも人間が考えそうなことだな」
「あと、冒険者ならオーダーメイドの武器とか防具とか作ってもらうことが多いわね。……武器はともかく、あんたずっと裸同然の格好だし、防具でもつくってもらったら?」
「なるほど、その手があったか」
「なあ、もう出ていいか?」
「え? はい、いいですけど」
すると、ジュモは徐にローロの手を掴んだ。
「よし、いくぞ。俺をこの街一番の武器屋に案内してくれ」
「わ、わかった!」
そうして、ジュモたちはギルドを飛び出し、武器やへと向かった。
「おい店主、この金でとびきりの弓を作ってくれ」
「え?」
ジュモの言葉に、ローロは驚いた。
「だってお前、弓は遺品として返しちまっただろ? どうせ使うアテもねぇし、なによりお前が弓を引いてくれなきゃ、俺はあの時死んでた」
話を聞いていた店主は、無愛想ながらも、ニンマリと笑った。
「よし、その話承った。だが嬢ちゃんほどの小柄な弓使いは珍しい。実際に射って調整しながらになるから、数日もらうぞ」
「ああ。その分こいつにぴったりのを頼むぜ」
「あたぼうよ。嬢ちゃん、弓は何色にする?」
ローロは肩口を飛ぶ、リドと目があった。
「じゃあ……この子みたいな真っ赤な色に」
「はいよ。じゃ、まずは尺から測るぞ」
◇
ジュモは武器屋を後にすると、アテもなく街をブラついていた。
「よいお金の使い方をしましたね」
「さあな。俺はあいつに恩を返しただけだ。……ま、そもそもあいつがいなきゃ、アラクネと戦ってない可能性もあったけどな」
「……ところで、あの母乳はなんだったんだ?」
「ぼにゅっ……! やめてください!」
「じゃあ何て言えばいいんだよ。おっぱい乳?おっぱいミルク?」
「それもやめてください‼︎‼︎‼︎‼︎」
「そういえば相談しそこねましたね。あとで行ってみましょうか」
「ともかく助かった。力が湧き上がってきたんだ。ま、すぐ切れちまったけど」
「なあゼリル、結局お前の光線が差した場所って、この街じゃなかったんだな」
「そうみたいですね……、せめてもう一度あの光線が出てくれれば判別がつくのですが」
すると、ゼリルの乳首がチカチカと光はじめた。
「のわっ! なんだ!」
「これは……で、でます!」
ゼリルの胸から光線が発射され、それは、前回と同様に、北の方を指していた。
「どうやら、まだ北に進む必要があるみたいだな」
「はい。いつ街を出ますか?」
「ローロの弓が出来たらな」
「ふふ、今度こそ、ローロを旅に連れていくんでしょう?」
「ま、あいつがどうしてもって言ってきたらな」
和気藹々と話すジュモたちだったが、ゼリルが光線を放ったのは街のど真ん中。
見ていた者たちは気が気ではなかった。
「な、なんだ魔法か⁉︎」
「あいつ、噂になってた半裸でおっぱいを連れ歩く変態じゃないか⁉︎」
「おっぱいから光線がでたぞ⁉︎」
「衛兵かヒルナ様を呼べー‼︎‼︎‼︎」
「あの、ジュモ……なんだか騒ぎが大きく」
「やべっ、逃げるぞ!」
◇
あれから数日。ローロが武器屋に行くと、ニンマリ顔の店主がローロを待ち構えていた。
「出来上がったぞ」
ローロに渡されたのは、
細く、しなやかなボディにぴんと張った弦。
深みのある美しい赤色にの美しい弓だった。
「わぁ……!」
「赤く塗ってもよかったんだが、長旅じゃ塗装は剥がれちまうからな。金も気にすんなって話だったし、紅玉樹っつー、真っ赤な木で作らせてもらった」
「それと、矢筒だな。ここでもう背負っていくか?」
「……はい!」
ローロにとって初めて背負う弓。決して軽くはないが、重すぎることもない。慣れればすぐに走り回れるようになるだろう。ローロにとってそれは、丁度いい弓だった。
帰りのことだ。ローロはあの一件以来、久しぶりに黒牙の団のギルドを訪れた。
団員が半数以下になったことで、荒れ果て、
数人が、出発時の早朝だというにに飲んだくれていた。
カーテンも閉め切っていて薄暗い。
「酒くさ……」
「んぁ……なんだぁ、ローロじゃねぇか」
すると、ゼイラーはようやくローロに気づいたようだった。
「ここんとこ顔も出さねぇで、どこほっつき歩いてやがった! ……まあいい、さっさとクエストでも身売りにでも行って俺様のために金稼いでこい!」
これ以上ないほどゼイラーを嫌っていたローロだったが、それをゆうに超える最低っぷりに、呆れ果てていた。
「あんた、救いようもないね」
「あぁ? なんだ俺様に刃向かおうってのかぁ? てめぇ、今まで誰のおかげで食えてきたと思ってやが!」
「そうだね」
ローロはゼイラーに向けて弓を引き絞った。
「な、なんだその弓は! 俺たちとやろうってのか! 使えねぇガキの癖に生意気な――」
バシュ、と放たれた矢は、ゼイラーの手元……テーブルへと突き刺さった。
「ヒッ!」
そして、矢には数枚の金貨が入った袋が括り付けてあった。
「だから、手切れ金だよ」
ローロはそのまま翻ると、振り返らずにギルドを去った。
「ざまーみろ、このまま生きて苦労しやがれってんだ!」
◇
一方その頃、街門近くでは、旅立つジュモを見送るべく、ヒルナとユーハがやってきていた。
「ジュモくん、はいこれ」
ヒルナが渡したのは、ハンカチほどの大きさの純白の布だった。
「えーと、確かこれって」
「聖衣ですね。……ですが、どうして?」
ゼリルが尋ねると、帰ってきた答えは至って単純だった。
「予備用だよ。だって、すぐに剥がれたり無くしたりしそうだし」
「ぐ……否定できません。でもいいのですか? あんなに貴重だと仰っていたのに」
「さすがに恩人が危険な目に遭うリスクを放ってはおけないからね。上にはどうにか話つけるさ」
「じゃ、ありがとな。ここ数日泊めてもらって世話にもなったし」
ジュモが翻ろうとすると、遠くから声が聞こえた。
「おーい、ジュモーー! 私も連れてってよー!」
ゼイラーに一矢報いたローロが、手を振りながらやってきたのだ。
「ローロ!」
嬉しそうなゼリル。
「戦えるようになった以上、文句は言わねぇよ、好きにしろ」
「それと……ジュモ、これどうしよう」
ローロが手にした皮袋には、換金した金貨がまだ半分以上残っていた。
「そうだな……」
ジュモは中身を一掴みすると、ポーチへしまった。
「ローロ、お前もやれ」
「え? うん」
ローロも同じように金貨を手掴みし、ポーチへとしまった。
「じゃ、ほい」
そしてジュモは、金貨がたんまり残った袋をヒルナへ投げ渡した。
「……へ?」
「あとやるよ。つっても、この街で貰った金だから、返すだけかもしれねぇけどな」
「ううん、魔素の換金費用は国から出てるから、この街のお金は増えたことになるけど……いいの?」
「ああ、何かと入り用だろ? 俺たちがもってても意味ねぇし。な?」
ジュモは、ゼリルとローロの方を見た。
「はい、アンナちゃんたちのこと、よろしくお願いしますね」
「え? うーん……でも、ジュモがそういうなら……」
「はは、そういうことならありがたく頂戴しようかな」
「おう。じゃ、達者でな」
ジュモはさっさと門の方へと歩いて行ってします。
「ジュモくーん、ゼリルちゃんの光線のことだけど、きっと聖力に関係ある場所を指してるんだと思う! この街の北にある、『ワルトの街』へ行ってみて!」
ヒルナの助言を聞き受けたジュモは後ろ手で手を振ると、ジラーマの街をようやく後にした。
◇
ニューヴァリア最北端の地、聖都。
極めて優秀な聖女が集い、育てられるその場所は、ここ数年――いや、“二千年ぶり”の慌ただしさを見せようとしていた。
聖都の地下には広大な空間があり、そこは聖素で満たされた、エメラルドグリーンに輝く泉になっていた。
そして、見回りをしていたとある聖女は“それ”を見つけた。
「ひっ……! あ、頭……?」
泉の中央に、少女の頭がぷかりと浮かんでいた。
意を決した少女は、腰までを濡らしながら頭の方へと進んでいき、頭をまじまじと見た。
「でも誰だろう……、聖女にはこんな子いないし……」
聖女は、思ったより自身が動揺していないことに気がついた。
そして、その理由に気付く。
(まるで、まだ生きてるみたい……)
普通、頭と胴が離れれば、瞬く間に失血して真っ青な顔になるはずだ。
だが、頭は自分たちと変わらない血色で、泉には血が流れた跡もなかった。
聖女は、恐る恐る頭を両手で持ち上げた。
濡れていても分かる、絹のように繊細で手触りの良い、ブロンドの淡い髪。
そしてなにより、語るべく点がないほどに、一点の綻びすらない、恐ろしいほどに端正な顔立ちは、出来の良い彫刻のようであった。
だが、それに反して、頭からは、確かな体温を感じていた。
(間違いない……まだ生きている――‼︎)
その時だった。
頭が――目を開けた。
(嘘……!)
そして聖女は、虹色の瞳と目が合った。
そして、“彼女”は言った。
「――私は女神ニューリア。来たる魔神カラボスの再誕に備え、残る五つの体を集めなさい」
「右腕、左腕、胴、右足、左足――どうやら、左腕は、何者かが手にしようとしているようです」
そして聖女はようやく気づいた。
彼女の頭に、壁画で飽きるほど見た、七色の葉で編まれた月桂樹の髪飾りがあることに。
◇
その頃、ジュモたちが穴蔵で野宿していると、ゼリルがいきなり輝き出した。
「うおっ、いきなり光るんじゃねぇ!」
「そ、そう言われましても!」
そしてそのままゼリルは光線を放つ。その方向は、どうやら穴倉を出てすぐそこのようだった。
「街で出したときはずっと北を指してたのに、どういうことだ?」
ローロたちも叩き起こし地上に出ていくと、異様な数集まった魔物が、何かを取り囲んでいるかのようだった。
「なあ、俺この光景に大分見覚えがあるんだが……」
「奇遇ですね、私もそう思います」
「……とりあえずローロ、リド、援護頼んだ!」
「任せて!」
『任セロ!』
ジュモは魔物の中へ飛び込み、群れる魔物をかき分け薙ぎ倒していく。
だが、中心へいくにつれ、魔物の密度が増していき、魔物を引き寄せている“誰か”の姿は未だに見えない。
「誰かいるなら手でも足でも……それが無いならおっぱいでも伸ばせ! 俺が助けてやる!」
ジュモが呼びかけると、中心からぬっと色白の左手が伸ばされた。
「なんだ人間か……」
「なんだじゃないです! 早く助けてください!」
「わかってるよ!」
ジュモは飛び込み左手を引っ張り上げると、魔物の群れを潜り抜けた。
そして、魔物を撒こうと走っていると――。
「きゃああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
「いきなり叫ぶな! どうした!」
「う……腕が! 腕が千切れてます‼︎‼︎‼︎‼︎」
「はあ? そんな手応えどこにも――うわっ、マジじゃねぇか!」
確かに、引き抜いた左手の先には、本来あるべき胴体はなく、二の腕から手先の部分がぶらりとしているだけだった。
「こ、この人殺し! 殺人者!」
「うるせぇ、腕の一本や二本お前のおっぱいミルクでどうにか治るだろ!」
「その言い方やめてください! 早く本体を助けてください!」
「わかってるっての! ……ってかこの腕邪魔だな、一回そこらに投げとくか……」
すると左腕は、「手間は掛けさせません」とばかりに空いているジュモの左肩によじ登り、がっしりと掴まった。
「ああ、これなら支障ねぇや…………ん?」
ジュモはようやく、左手が一人で動いた事実に気付いた。
「「うわあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」」
「えっと……何が起きてるわけ……?」
ローロは大騒ぎするジュモとゼリルを、ついでに作ってもらったゴーグル型の双眼鏡越しに覗き込む。
ジュモの方に取り憑いた左腕はよくみれば、その断面から翠色の光が溢れていた。
「左手……だよね。あれって……ようはゼリルと一緒じゃない……?」
『ギャウ?』
ローロは既に、これからやってくる面倒ごとの気配を感じていた。
余分に聖衣をもらっておく
壁画に七色の月桂樹