例えば道端に咲く花を眺めて。
「イリアスくんイリアスくん、あの花見てください!」
「あっあの、ピンクの花?」
「はい! あれはマグノリアと言って今の季節、春にしか咲かない花なんです」
「綺麗で、いい花だね」
他には通り過ぎる人を見て。
「イリアスくんイリアスくん、あの同じ格好した人達って」
「えっと確か、探索者の学校? に通ってる人達。皆、あれ着なきゃいけないんだって」
「あれがあの、学校の制服。初めて見ました、可愛いですね!」
「……アリスは、大体そうなんじゃ?」
「………………知識にはありました!」
これ以外にもわぁとかへぇとか、後頭部でアリスの声を聞きながら街を歩いていく。配達途中もそうだったけど、アリスは見るもの全てが新鮮で珍しいみたい。僕も初めてこの街に来た時は、似たような感じだったのを覚えている。それをなんだか、周りから生ぬるい目で見られたことも覚えている。なるほど、あの時あそこにいた人達は、今の僕と同じ気持ちだったんだ。
半年越しに届いた恥ずかしい気持ちに耐えつつ、街を見回すアリスの歩くペースに合わせる。ゆっくり歩いたせいか、いつもより数倍の時間をかけて迷宮協会前に到着した。
「ここが、迷宮協会……!」
巨大な円形の建物、迷宮協会を前にして、アリスが感嘆の声を漏らした。
「イリアスくんイリアスくん、大きいですね、丸いですね!」
「そ、そう、だね?」
「あの地図、誇張されてた訳ではないんですね、びっくりしました!」
アリスのテンションがあの質問に答えてからおかしい。声のトーンも一段高くなって、さっきからはしゃぎっぱなしだ。おかげで迷宮協会を出入りする人達から、これまで以上に温かな視線を向けられているのを感じる。アリスがぴょんぴょん跳ねるとますます増えた。
どうしてこうなったのか。不思議ではあるけれど、どうせ考えても僕では理解出来ないだろう。それに暗く沈むくらいなら楽しく浮かれる方がいい。出来るだけ前向きに結論付けて、アリスが落ち着くのを待つ。
やがて少し興奮が収まったアリスが、素朴な疑問を口にした。
「どうしてこんなに大きいか、イリアスくんは知ってますか?」
「知っては、いるけど。僕説明下手だよ」
「イリアスくんに教えてもらいたいです!」
「わ、分かった、頑張る。えぇとね、アリス、もう一回この地図見て」
もう一度地図を取り出すと、アリスは僕の肩口から顔を出してそれを眺めた。そこから見るんだ。頬に触れるアリスの髪にくすぐったさを覚えながら、地図に沿って説明を始める。
「大きさと同じで、迷宮協会の建物はこの地図通り、ドーナツ状になってるんだ」
「真ん中は空洞ということですか?」
「空洞というか、そこに『門』、夢幻迷宮への出入口があるから」
夢幻迷宮への出入口は物質的なものではなく、いわゆる転移魔法陣だ。魔法という概念が廃れた今の世界だと単純に設備とか陣とか『門』とか、そういう風に呼んでいるらしい。呼び方はともかくその『門』は大きい、とにかく大きい。普通の人が横断するために歩くと三十分はかかるほどだ。
「それでね、最初はこれ、建物じゃなくて壁だったんだって」
「壁、ですか?」
「うん。『門』を隔離するために、大昔に作られたって聞いた」
大昔、迷宮協会がまだ無い頃、迷宮周辺は地獄のように混沌としていたそうだ。国の命令で迷宮へ潜る軍。生きるため命を賭ける一般人。一攫千金に目が眩んだ無頼者。そしてそれらを襲い、成果だけを奪おうとする賊の人達。様々な人や事情が入り乱れ、迷宮内より迷宮外の方が死傷者は多かったとか。
そんな状況をなんとかするため、当時の英雄達によって結成されたのが迷宮協会、らしい。まず手始めに迷宮を取り囲むよう石壁を作り上げ、誰もが好き勝手に迷宮へ入れないようにした。それから各組織と色んな折衝やら何やらを繰り返し、最終的に今のような管理体制に落ち着いたとか。ちなみに反対する人達は暴力で何とかしたらしい。
「昔は本当に『門』だけ、出入りの管理だけしていたんだけど、その内他のこと、探索者の情報や迷宮から持ち帰った資材、探索者間の利害関係調整とか、本当に色々やるようになって。それでこんなに仕事をするなら、近くに建物があった方がいいよね、せっかくだから壁を利用して作ろうってなったから、こんな感じ、なんだって」
「……暴力でなんとかしたという話は、初めて聞きました」
「あっ正確には、大体初代会長が黄金の右飛び膝蹴りで何とかしたって教わったよ」
「もっと初耳です」
オウル曰く、雷より速く炎より激しかったらしい。踏み込みと同時に足元を爆発させて加速、途中身体を雷に変化させて空気抵抗と反撃を無効化、膝蹴りを当てる瞬間に実体化して、更に爆発で追撃する。きっとそういう技なんだろう。派手で面白くて、僕はとてもいいと思う。今度真似しよう。
昔の人の技を、敬意を持って再現する。これがきっと、先生の言っていた温故知新だ。誰にそれをぶつけるか考えていると、アリスが僕の説明を補足し始めた。
「ちなみにその初代会長ですが、ここデルファよりはるか北の森、エルフの里出身だと言われています。旅の途中遭遇した迷宮を巡る争いに心を痛め、先ほどイリアスくんが教えてくれたように、志を共にした仲間と一緒に迷宮協会を設立したそうです。この時のメンバーが現在の三大国の」
「……アリス、僕より詳しい?」
「あ」
そういえばアリスは記憶喪失だけど、知識の類は残っているとウィザさんも言っていた。しかも驚くくらい深くて広いらしい。偏っている僕の知識くらいならほとんど持っていそうだ。わざわざ僕に質問する理由が分からなくて問いかけると、アリスは見るからに焦り始めた。
「いえ、あの、知識だけの私より、実際ここで暮らしてる、実感あるイリアスくんの意見を聞きたくて、というよりもその、もっとたくさんお話がしたくて」
もじもじと指を僕の肩の上で合わせたアリスは、何かを誤魔化すように早口で並べ立てる。話ならずっと、昨日から今日までし続けている気はする。それでも足りないってことは、アリスはお喋りが好きなのかもしれない。好きなもの、ちゃんとあるみたいでよかった。
あたふたするアリスの対応に困って、よかった探しへ意識を飛ばす。慌てるアリスとそれを眺めるだけの僕。そんな変な時間は、アリスが強引に落ち着きを取り戻したことで終わった。
「えっと、い、イリアスくん!」
「は、はい、じゃなくて、うん」
「それ、そちら、オウルさんのお使い。どこに届ければいいんでしょうか?」
「窓口。本当は探索者用だけど、こういうのも受け取って貰えるから」
「どこもそういうところは大変そうですね……」
迷宮協会の中に入り窓口へ近付いて早々、アリスがひゅっと息を呑んだ。
「っ!?」
「わっ」
そして僕の背中に、家を出る前の時のように隠れる。ただ、オウル相手にしたのとはまるで本気度が違う。微かに覗く瞳には深い警戒心が宿り、唇は固く閉じられている。あの時のような遊びなんて感じられない。その視線の先には一人、鎧を着た男の人がいた。
「銀の鎧に盾と剣。探索者?」
「……あれは、聖王騎士団の装備です」
あれが例の。あの鎧の人達、街で何回か見たような、迷宮で何回かぶっ飛ばしたような。そんなあんまり見覚えも印象も無い騎士の人は、受付で何かをしつこく要求しているようだった。
「もう他の探索者からは目撃情報が上がっています。後は貴女さえ証言してくれれば」
「申し訳ございません、規則ですので」
「我々は既に、ほぼ確定の情報を掴んでいます。なので」
「申し訳ございません、規則ですので」
しかも熾烈なそれの相手はエリーさんだった。
「エリーさん、大変そう」
ああやって詰め寄られるの、僕だったら絶対嫌だな。思わず零れた同情を拾い上げたアリスは、意外そうに目を細めた。
「あの方、お知り合いなんですか?」
「知り合いというか、いつもこれ、お届けもの受け取って貰ってるというか」
「………………………………たくさんの受付から、わざわざ、あの人を選んで?」
「えっと、うん」
「……イリアスくんも、実は男の子だったんですね」
何故か自分の胸元に両手を置いたアリスが、唐突に衝撃的なことを言い出す。アリスもなんだか驚いているようだけど、僕の驚きは絶対にそれ以上だった。
「今まで僕のこと、女の子だと思ってたの?」
「えっ!? あっご、ごめんなさい、そういう訳じゃ、私の勘違いでした」
勘違いだったらしい。えっ何が? まさか本当に僕のこと、女の子と勘違いしてたってこと? 聞くに聞けない。聞いて、はいそうですなんて言われたら、これでも結構プライドが傷つく。僕が葛藤している間も窓口の攻防は続いていた。
「こちら、聖王騎士団デルファ駐屯部隊より正式な依頼文」
「申し訳ございません、規則ですので」
「いやですから」
「申し訳ございません、規則ですので」
「あの、せめて話を」
「申し訳ございません、規則ですので」
さっきから見て聞いていて、とてつもなく強い対応だ。考えてみればいつも僕の、『竜骸』の相手しているエリーさんに心配なんていらなかった。それにもし騎士の人がエリーさんに暴力を振るおうとしても、この距離ならいくらでも間に合う。
じゃあ心配するのはこっちだ。今度は僕がアリスの袖をこっそり引いた。
「アリス、こっち来て」
「あっは、はいっ」
そのまま窓口近くにある待機スペースまで移動する。そこにある椅子にアリスを座らせて、騎士の人から隠すような位置取りで僕も座った。
「あの人帰るまで、ここで待とう?」
「えっでも、他にも窓口は」
「あるけど。どこ行くにも、あの騎士の人の近く、通らなきゃだから」
「……ありがとう、ございます」
事情はまったく分からないけれど、どうやらアリスはあの騎士の人が怖いらしい。僕の知る限りアリスが騎士の人を見るのは初めてのはず。だからおそらく、今は思い出せないところに理由はある。なら聞いてもしょうがない、別のことを話そう。
「それにしても、そんなに僕、男に見えない?」
「いいえ、イリアスくんは立派な男の子です、私が保証します。そういうの、まだ無いだけです」
「……そういうのって?」
「そういうのです」
どういうのだろう、身長とか髭とか? 確かにそういうのはまだまだ足りない。でも僕だって、いつか成長期が来ればオウルみたいに全部手に入るはず。つるつるの顎を撫でながらまだ見ぬ未来を夢想する僕のことを、アリスは和やかな微笑で眺めていた。まあ、アリスが落ち着いたからなんでもいいや。
「とにかく、こちらの文書をあの方に」
「申し訳ございません、規則ですので」
「……あぁもう、分かった! 自分で探して、直接渡しに行きます!」
「お気をつけて」
「ありがとうございます!」
やけくそなお礼の言葉を告げて、騎士の人は勢いよく窓口から離れて行った。とりあえず終わったらしい。あの人がここから出て行ったら立ち上がろう。そう思って眺めていると、ふとその騎士の人と目が合ってしまった。
合ってしまったどころか、何故かこっちに向かって歩いて来た。どう見ても考えても、目的は僕達。なんでどうして。理由を探っている内に騎士の人は僕達の前で立ち止まり、あろうことか声を掛けて来た。
「そこの君、少しいいか?」
「っ」
「え、あ、ぼ、僕達、ですか?」
「あぁ突然すまない、じゃなくて」
騎士の人は一旦頭を下げかけたと思えば、何故か顔を上げ、懐から一冊の本を取り出す。ペラペラといくらかページを急いで捲った後、声を張り上げてそれを読み上げた。
「あ、あー『失礼可憐なお嬢様方、お二人の薔薇のごとき美しさに足を、胸を射貫かれてしまいました』」
「は?」
アリス声こわ。
次回「騎士道?」です。