幸い、かどうかは分からないけれど、アリスのもの凄い声は、目の前の騎士の人には届いていないようだった。届いてたら多分、体のどこかが震えているはず。そこには安心しつつ、まずは間違いを訂正する。
「あの、僕、男です」
「勘が外れたか。すまないな、ではなくてえぇと、こういう時のセリフは」
慌てふためきながら、騎士の人は再びせわしなく本を捲っていく。やがて目当てのページを見つけたのか、にやりと笑みを浮かべた。
「よし、あった。んん、『いかなる華であっても華は華。その美しさに陰りは無いでしょう』」
「???」
この人はいったい何を言ってるんだろう。意味不明過ぎて、いつも感じている人と関わる怖さもどこかへ飛んで行った。僕はそんなだけど、賢くて物知りなアリスならどうだろう。
「あり」
「しっ駄目です。こういう不審者の前で、名前は出しちゃいけません」
「この人が、あの」
時々オウルや街の人に警戒するよう言われるあの不審者、変態の人。噂話では聞いたことがあるけれど、実物を見るのは初めてだ。凄いなぁ、僕だと全然分からない。普通の騎士、ただのお兄さんにしか見えない。下半身に脳があるって本当なのかな。気になるけど、まさか確かめるわけにもいかない。
「……チョイスが悪かったか? なら次は、『おぉ麗しの君よ、その美しさで我が穢れし罪を雪いでくれ』」
またまた訳の分からない言葉。今回のも含めて、僕の中で何かが引っかかっていた。これまでのものどれも全部、何故かどこかで聞いたことがあるような。それと根本的な疑問をひっくるめて、フードの中でとんでもない渋面を作っているアリスを見上げた。
「どういう意味か、分かる?」
「分かる必要はありません。こういう方に絡まれた場合は」
「協会内であれば、速やかに職員をお呼びください」
窓口から出て来たエリーさんがアリスの言葉を繋ぎ、僕らを庇うよう騎士の人の前に立った。
「少々、よろしいでしょうか」
「どうしました? もしかして、聖王騎士団の依頼を」
「迷宮協会規程第三十七条により協会施設内では、いわゆるナンパ行為は禁止されています」
「……は? えっナンパ? えっ俺が?」
「また、迷宮都市デルファ自治法では成人を迎えていない、十五歳未満の子供へ手を出すことは違法です」
「いやえっ、えっ!?」
淡々と法律を並べられ騎士の人、リンドウさんは身を硬くしていた。エリーさん流石だなぁ、僕は全然法律に詳しくない、興味が無いから覚えられない。どうして法律って、あんなにやたら細かくて複雑なんだろう。
「なんぱって、しちゃいけないことなんだ」
「私は嫌いですが、犯罪ではありません。ただし迷宮協会では、設立当初に起きた探索者の女性を巡る三国の争い、『暁の三角関係』が発端となり、施設内では禁止しているそうです」
「……アリス、やっぱり物知り?」
「し、知ってること、だけですよ?」
記憶を失くす前は有名な学者さんだったりしたのかな。それでフィールドワーク、変なところに行って研究してたらトカゲに遭遇しちゃって石になっちゃって、みたいな。それっぽくはあるけれど、それだとあの罠の説明がつかない。あのトカゲにあれは作れないだろうから、この線は違うかも。
僕がアリスについて想像の翼を広げている間も、エリーさんの攻撃は続いていた。
「後者は未遂ではありますが、前者については私も確認しました。この件は聖王騎士団へ後ほど報告させていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってください、待ってくれ! それは誤解だ!! 俺はただ、聞き込みのため声をかけただけで」
「こうおっしゃっておりますが、お二人はいかがでしょうか?」
リンドウさんの主張を受け、エリーさんが振り返る。いかがと聞かれても。
「……ごめんなさい、僕には分かりません」
「不審者です」
「ちょ」
アリスの氷より冷たい言葉を聞いて、エリーさんの瞳も同じくらい冷えていく。それを向けられたリンドウさんは凍えるように青くなって、両手を前に突き出しながら懸命に弁解し始めた。
「ち、違う! 俺は、私は、誉れある聖王騎士団の末席! ナンパなんて、まして子供をそんな目で見たことは無い!!」
「では、何故あのようなことを?」
「それは、聖王騎士として振る舞うためだ!!」
「は?」
また凄い声をアリスが出す。今回も僕以外には聞こえなかったらしい。その証拠にリンドウさんは顔に熱を取り戻し、どこか自信すら感じさせる口ぶりで説明を続ける。
「先日こちらの受付の方への態度を、恥ずかしながら隊長に咎められてな。それは騎士の振る舞いではないと」
そこで言葉を区切ったリンドウさんはエリーに向き直り、深く頭を下げた。
「改めて、あの時は申し訳ございませんでした。貴女も仕事をしていただけなのに、酷く失礼なことをしてしまった」
「構いません。それより、騎士として振る舞うためとは?」
「あの後、騎士としての振る舞いを学び直そうと色々調べたのですが、これがどうも奥が深い。栄えある聖王騎士団の一員に十分なものを身に付けるには、私のような下民出身では一朝一夕では足りない。だが隊長のおっしゃった通り、その間にも私の粗野な行いで聖王騎士団の名に傷を付けてしまう」
「はあ」
「そこで私は閃きました。自分で身に付けられないのであれば、高名な騎士の真似をすればいいと!」
「……はあ」
エリーさんのため息のような返事に熱はまるで無い、まるでリンドウさんの話を信じていない。僕にも伝わるくらい、何言ってるんだろうこの人って気持ちが浮かんでいる。アリスも似たような顔。胸を張るリンドウさんはまったくそれに気づいていない。このままだと不審者一直線、牢屋行きかもしれない。
それは可哀想な気がする。それに僕は、二人と違ってこの人が何を言っているのか、どこから台詞を引っ張って来てるのか気づいてしまった。しょうがないから確かめてみよう。
「あ、あの」
「どうした少年?」
「も、もしかしてさっきの、『薔薇の騎士』の台詞ですか?」
「おぉ! 分かるか、少年!」
「あっは、はい。最初のはあれの、ヒロインと出会ったシーンの、ですよね」
「そうだ、その通りだ! 何を隠そう、俺はあれを読んで騎士を目指した口でな。はぁ、よかった、分かる子がいて」
しゃがみ込んで息を漏らすほど、リンドウさんは安心していた。想像してたよりずっと不安だったらしい。これなら、勇気を出して話しかけた甲斐もあったかな。同じくほっとする僕の袖をアリスが引いて、耳打ちしてくる。
「それって、小説か何かですか?」
「えっと、絵本、すっごい昔の。家にあったから、読んだことある」
「聞いたことありません。ちょっと、興味あります」
「えっじゃあ、じゃあ帰ったら、探してみるね」
「ありがとうございます!」
先生の家にはあったけど、オウルのお家はどうだったかな。頭の中の本棚から探している間にリンドウさんは立ち上がり、体勢を整えていた。
「とにかく、これで私の無実は証明されただろう。……されましたよね?」
「一応は」
「い、一応は? まあ、いい。話を戻すと、君達二人に聞きたいことがあってな」
本当にようやく、話が戻って来た。リンドウさんが聞きたいこと。聖王騎士団はトカゲについて調べている最中らしいけれど、今の僕達、ただの子供にそんなことは聞かないだろう。
「ずばり、『竜骸』をどこかで見なかったか?」
「えっ!?」
そのはずなのに欠片も予想していなかった名前、僕の別名が飛び出て、変な声とともに身を引いてしまった。いやなんで今の僕に。どうしようかと悩んでいると、アリスが代わりとばかりに一歩前に出て、打ち返すように質問をする。
「『竜骸』とは、かの探索者のことでしょうか?」
「し、知ってるの?」
「聞きかじりの知識だけ、ですけどね。知っているのは、デルファに突然現れた最強の探索者で、目的のためなら全てを破壊する極悪非道の男、という噂くらいです」
「噂は噂です。おおよそ七割程度しか合っていません」
「七割は合ってるのか……」
七割以上、大体合ってると思う。僕がかつてやらかしたことを考えると、極悪非道もちょっと否定しにくい。
「ですが、私たちが『竜骸』について知っていることは、今話した噂だけです」
「そうか、やっぱりそうだよな。すまない二人とも、変に時間を取らせてしまった」
「……ところで、何故聖王騎士団が『竜骸』を探しているのですか?」
「あー、悪いがそれは言えない」
「そうですか」
言葉短く言い放ち、アリスはリンドウさんの話を打ち切った。けんもほろろなその対応に、リンドウさんが気まずげに頬を掻く。沈黙が訪れそうになった瞬間、エリーさんが疑問を引き継いでくれた。
「……『竜骸』様は謎多き方です。何故この子たちに質問を、何か当てでもあったのですか?」
「まさか、期待はしていません。ですが、情報というのは足で稼ぐものです。しらみつぶしに聞いて回っていれば、いつか『竜骸』の友人に当たるかもしれないでしょう」
「万が一でも、それは無いと思いますが」
万が一、友達どころか本人に直撃していたりする。
「『竜骸』の目撃情報があったら、いつでも聖王騎士団の詰所へ来てくれ」
それからリンドウさんはそう言い残して、足早に迷宮協会から立ち去って行った。存在しない『竜骸』の友達を探しに街中を駆け回るんだろう。正直なんて言えばいいのか分からない。頑張ってください?
複雑な思いともにリンドウさんを見送ってから、僕はアリスに声を掛けた。
「……アリス、ごめんね」
「?」
「その、あの騎士の人苦手そうだったのに、返事させちゃって」
「いいえ、気にしないでください。話してみれば、どうとでもなりました」
確かにリンドウさんを、騎士の人を見つけた瞬間の青さと硬さはすぐに消えていた。代わりに凍えるような冷たさが滲み出ていたけれども。騎士に何か嫌な思い出が、いや、そもそも思い出が今は無いんだった。記憶を失くす前、何か嫌なことされたのかな。
これ以上考えても答えは出ない。とりとめのない思考を打ち切ってもっと大事なことを、エリーさんにお礼を告げよう。
「エリーさんもありがとうございました」
「いえ、これも迷宮協会職員の仕事です。そちらの方も、大丈夫でしょうか?」
「はい、ありがとうございます。えぇと、エリーさん」
「……申し遅れました。迷宮協会の窓口で受付をしております、エリーと申します」
「こちらこそ申し訳ございません。私は、私はアリスと言います。今はイリアスくんのお家でお世話になっています」
「そうですか。それで今日は、お二人で配達を」
なんか大人っぽいやり取りだなぁなんて眺めている内に思い出した。配達。そう、配達だ。このためにわざわざ迷宮協会まで来たんだった。抱えっぱなしだった袋をエリーさんに差し出す。今日は軽い物が多いから、このまま渡しても平気だろう。
「エリーさんこれ、今日の御届け物です」
「お疲れ様です。…………確認しました、全て揃っています。支払いは、いつも通りでお願いします」
「分かりました。オウルにもそう伝えておきますね」
「……ほうほう、へー」
心なしか、アリスの声が平たい。当然さっきまでの絶対零度とはまったく違うけれど、似たような気配を感じるというか。そんなものを向けられる覚えのない僕は、びっくりしてアリスの方を見る。フードの奥に潜む瞳も、同じく平たいような気がした。
「ど、どうしたの?」
「イリアスくん、エリーさんとはしっかり話せるんですね」
「えっう、うん。頼りになる、いい人だから」
「それはまあ、私にも分かりますけど」
「光栄です」
うっすら嬉しそうなエリーさんとは逆に、アリスはなんだか納得してなさそうに見える。と言っても見る目が無い、鈍感と評判の僕視点だ。間違ってるかもしれないし、と逃げの思考からエリーさんの方へ話を流した。
「そ、そうだ、エリーさん。行方不明の捜索とか、そういう話知りませんか?」
「迷宮協会はそうした依頼も受け付けていますから、ある程度は。それがどうかしましたか?」
「実は」
かくかくしかじか。アリスの事情、記憶喪失のことを簡単に説明する。依頼を出すのは駄目らしいけど、こうして相談するくらいなら大丈夫だろう。しかも相手はあのエリーさんだし。この街でオウルの次に信頼出来る人だ。
いくつか質問を交えながら、話を聞き終えたエリーさんは納得したように深く頷いた。
「お二人でいらしたこと、アリスさんがそのような恰好をされている訳、協会内を物珍しそうに見回していた理由。全て把握いたしました」
「……そんなに、分かりやすかったですか?」
「えぇ。人除けが目的なら、なるべくその態度も控えた方がいいでしょう。言葉を選ばなければ、よいカモに見えます」
「か、カモ」
ショックを受けたアリスが、かもかもと何度も繰り返す。実際アリスは隙だらけだ。なんというか、今日もずっと浮足立っている。本人も言ってた通り、街中で目を離したら一瞬で攫われそうだ。迷いなく同意する僕を見て、アリスはさらにショックを受けていた。
それはともかくとして、エリーさんはアリスの事情を聞いて、何か思いついたらしい。
「……記憶を取り戻すには刺激が必要。そうですね、よろしければ協会内を見学されて行きますか?」
「迷宮協会って、そんなこともやってるんですか?」
「協会の必要性や活動を周知するため、希望者の方へ行っております。案内する職員の都合上通常は事前予約が必要ですが、今日は私がおりますので問題ございません」
「エリーさんが?」
「はい。ここだけの話、私は今とても暇です」
見学するしないは置いといて、エリーさんは忙しいんじゃ。その証拠に今日も迷宮協会の窓口、エリーさんの同僚の人達は忙しそうに働いている。アリスも同じ思いだったのか、そのまま疑問を口にした。
「どの窓口も、並んでいるように見えますけれど」
「私のところには、誰も来ませんから」
「えっ?」
「……とある、非常に周囲から畏怖されている方が何故か私の窓口にだけ来るので、最近はその方に関わるのを恐れ、ほとんど誰も寄り付かなくなりました」
多分、いや、ほぼ間違いなく僕のせいだった。ご迷惑をおかけしてます。
「とはいえ他の仕事に触れる機会も増え、悪質な探索者に絡まれることは無くなりました。悪いことばかりではありません。それに」
「……それに?」
「いえ、申し訳ございません。わざわざ話すことではありませんでした」
「だ、大丈夫です」
「ですから、私でよろしければ御案内させていただきます」
僕の罪悪感を横に置くと、エリーさんの都合はいいらしい。あとはアリスの気持ち次第。そしてそれは、僕から確認するまでも無かった。
「イリアスくん、その」
「い、行こう?」
「……いいんですか?」
「うん。アリスは、ほら、たくさん色んなことを体験した方が、きっといいから」
「ありがとうございます、イリアスくん!」
本音を言うと、もちろん早く帰りたい。迷宮協会は今日も混んでいるし、見学なんてしたらいつも遭遇しない人とも会ってしまうだろう。それはとてもとても疲れるし、とてもとても緊張する。
だけどこれはきっと、オウルの言うアリスにとって必要な経験だ。アリスも遠慮に目を伏せながらも期待のきらきらを隠しきれていないし、提案してくれたエリーさんの親切も大切にしたい。全部、僕が覚悟を決めるだけで済む話だ。
僕に跳ねるようなお礼を言った後、アリスはエリーさんにも頭を下げていた。
「よろしくお願いします、エリーさん」
「こちらこそよろしくお願いいたします。では準備をして参りますので少々お待ちください、アリスさん、イルくん」
「はい、えっ、はい!?」
何故かアリスが首の取れそうな勢いで、僕の方を振り向いた。
次回「いわゆる設定の話」です。