【コミカライズ】探索者イリアスは人見知り   作:差六

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第十八話「指きり」

 リンドウさん達と別れた僕は重い足取りで帰路についた。普段考えないこと、今まで考えもしないことをずっと悩んでいたからか、体はともかく心が疲れた。

 

「……ただいまー」

 

 のっそりとした気持ちそのままの声を出すと、正反対の、お気楽なものが返って来る。

 

「おうお帰り、遅かったな。今日も無駄な足掻きしてたのか?」

「ううん、三層のあれは一瞬だけ。あとはずっと、お土産探してた」

「土産ってそれか。随分大量に、あぁそうだお前、結局あの後アリスと揉めただろ」

「うっ」

 

 あの時もうオウルは逃げ出していたはずなのに、まるで見てたみたいに言う。そんなにアリス、怒ってたり落ち込んでたりするのかな。予想から目を逸らすために、言い訳を口にした。

 

「だってアリスが、先生のこと悪く言うから」

「言われてもしょうがねぇと思うけどな、あいつ」

「むっ。オウルも先生の悪口言うの?」

「おういくらでも言えるぜ。あいつは頭でっかちで意地っ張りでへそ曲がりの、ついでに思い込みも激しい似合わねぇ少女趣味のアホアホ小娘だ。いやもう、年だけはとっくに婆さんだったな。若作りメルヘンメンヘラクソババアだ」

「滅茶苦茶言うね……」

 

 あまりにもぼろくそに、そのくせ親しみを込めて言うから毒気が抜かれる。ここまで言えるなんて、結局オウルと先生はどういう関係なんだろう。先生も実年齢はお婆ちゃんらしいから、もしかして兄妹だったりするのかな。

 

 でも二人のことを想像するのはここまで。今僕がするべき、もっともっと考えるべき人は別にいる。

 

「それでその、アリスは?」

「あいつは」

 

 オウルはそこで言葉を打ち切り、思案するように顎髭を弄る。

 

「見た方が早ぇな。部屋にいるからさっさと行ってこい」

「オウルは?」

「一緒に行く訳ねぇだろ。言い忘れたが、ノックはしないで入れよ」

「……なんで?」

「しない方が多分上手くいくからだ」

 

 いいか、絶対するなよ。そんな念押しをしつつ、オウルは僕の背中も文字通り押し出した。

 

 おっかなびっくり階段を上り、アリスの部屋まで抜き足差し足忍び歩く。これもオウルに言われた。バレないよう部屋の様子を見ろって、それただの覗きじゃ。そうは思いつつ、アドバイスには従った。そのままそっと扉を開け、中の様子を窺う。

 

「────」

 

 窓から差し込む唯一の光、月光が部屋を照らしている。それを反射するアリスの髪はキラキラと星みたいに、それ以上に美しく輝いている。まるでこの世の神秘をここに閉じ込めたよう。一つの宗教画をそのまま現実に持ち込んだみたいだ。

 

 アリスは膝を着いて、何かに祈っていた。あの日石になっていた時と同じように、何かを悔いるよう縋るように、静かに祈っていた。身動ぎもせず、ただただ懸命に、ただただ儚く。微かに聞こえる呼吸音が無ければ、命を感じられないほどだった。

 

 美しいな、と思った。そしてそれ以上に、なんだか寂しいな、と感じた。

 

「ただいま、アリス」

 

 だからそれを壊すため、近づいて声を掛けた。

 

「……お帰りなさい、イリアスくん」

「ずっと、そうしてたの?」

「はい。私はこれくらいしか、出来ることを知らないんです」

「そんなこと、ないと思うけど」

 

 僕の言葉を否定するように、寂しそうに小さく笑うアリスには、さっきまでの神聖さは感じられない。残っているのは、今すぐにでも折れてしまいそうな儚さだけだった。

 

 その雰囲気のまま静かに立ち上がり、アリスは僕の全身を隈なく観察する。二度三度見回し、それでも足りなかったのか、今朝と同じ瞳を僕に向けながら問いかける。

 

「イリアスくん、怪我は」

「してないよ。ほら、元気」

「……よかった」

 

 両手を広げて何度か目の前で跳ねると、アリスの肩からようやく力が抜ける。僕も一安心、はしたけれど、今度は神秘や神聖さではなく、代わりに気まずい空気が流れ始めた。アリスの方も、今朝のことを思い出しているのかもしれない。

 

「……」

「……」

 

 それでも、ここで黙っていてもしょうがない。顔を上げると、アリスと目が合った。

 

「話したいことがあるんだ」

「私もです」

「じゃあ外、ついてきてくれる? ここだとなんだか、話しにくい」

 

 頷いたアリスを連れて部屋を出て階段を降りる。ちらっと見た居間では、オウルが暇そうに酒瓶で遊んでいた。今は気にしないことにする。

 

 二人一緒に外に出て何歩か歩き、お互い向かい合う。さて話、話をしないと。ちゃんと言いたいことを、言うべきことを言わないと。そう思って帰り道あれこれ考えていたはずなのに、いざこうなると迷いが出てくる。一言目が出て来ない。

 

 僕の意気地なしが伝わったのか、アリスがおずおずと提案する。

 

「私から、いいですか?」

「うん」

「ありがとうございます」

 

 僕が言うべきお礼をしてから、アリスは瞳を閉じ、深呼吸を大きく数回する。

 

「ここで目が覚めてから私、毎日が夢のようなんです」

 

 そして今までで一番穏やかな、何かを抑え込むような口ぶちで語り始めた。

 

「毎日毎日とても楽しくて、ずっと嬉しくて。起きる時、朝日が怖くないんです。眠る時、何も寂しくないんです。これまでもこれからも、今がきっと、私の人生で一番幸せな時間です」

 

 大袈裟だな、なんて言葉は、アリスの顔を見れば途端に消える。

 

「だから私、つい調子に乗ってしまいました」

 

 微かな笑みを浮かべ、自嘲するように、少しおどけたように言う。だけどきっと、そこには冗談なんてひとかけらも含まれていなかった。

 

「全てが夢のようだから、たくさん望みが叶うから、思い通りにならないことが突然現れて、それが我慢出来なくなって」

「僕の迷宮のこと?」

 

 問いかけにアリスは頷くと、一拍置いてすぐに深く、深く頭を下げた。

 

「ごめんなさい。イリアスくんにも大事な理由があって、イリアスくんにも色んな考えがあって迷宮に潜っているのに、私は心配するふりをして、ただ自分の我儘を押し付けていました」

「それは違うと、思う。ううん、思うじゃない。違うよ」

「でも」

「……あのね、こっち来て?」

 

 部屋でお祈りをしていた時からアリスはネガティブで、何を言ってもそれは止めらない気がする。だけど、でもとかごめんなさいとか、これ以上聞きたくないし言わせたくもない。勇気を出して、実力行使をすることに決めた。

 

「きゃっ!?」

 

 傍に来たアリスの背中と膝裏に手を回し素早く、なるべく力を抜いて抱き上げる。瞬きを繰り返して僕を見上げるアリスに、説明も言い訳もせず注意だけする。

 

「じっとしててね」

「えっあ、あの、イリアスくん?」

「口も閉じてて。舌噛むかもしれないから」

「は、はい」

 

 アリスが両手を口にあてて、こくこくと頷く。それを確認した僕は一足で跳び、家の屋根に着地した。大体オウル三四人分くらいの高さ、アリスが落ちたら足の一本や二本は折れるだろう。

 

「……え?」

「分かんなかった? ならこっちの方がいいかな」

「え」

 

 今度は屋根から飛び降りる。当然アリスが痛くならないよう、衝撃は全て僕が吸収した。さっきから驚きが止まらないらしく、アリスはまた瞬きを忙しく繰り返しながら辺りを見回す。そしてすぐ、心配そうに僕を見上げた。

 

「え? え? い、イリアスくん、大丈夫ですか!?」

「うん。僕は丈夫だから、これくらいは全然」

「これくらいって、屋根から飛び降りたんですよ!?」

「大丈夫、もう一回口閉じてて」

 

 無事をアピールするため、もう一度屋根に飛び乗る。アリスはちゃんと口を閉じながらもぽかんとした顔をしていた。念のため、言葉でも説明しておく。

 

「こんな感じで、僕はアリスが思ってるよりずっと動けるし、ずっとずっと強いよ」

「びっくり、しました」

「だから心配なんて必要ないって、余計なお世話だなって家を出る時は思ってた」

「ごめんな」

「でもね、それだけじゃなかった。あの後思い出してみたら、実はちょっと嬉しかったんだ」

 

 アリスの瞳に宿る不思議そうな光がますます強くなる。そっか、そこも説明しないといけない。

 

「よくよく考えると、命の心配なんてされるの初めてだったから」

「先生や、オウルさんにも?」

「二人は僕のことをよく知ってるからしないよ。他の人は僕が迷宮に行ってるなんて知らないから、アリスが初めて」

 

 あんまりにもされたことが無いからよく分からない感覚になって、過敏な反応をしてしまって、落ち着いてからようやく実感出来て。くすぐったさを思い出しながら、しっかりとアリスに告げる。

 

「だからありがとう。僕のこと心配してくれて」

 

 お礼を言って、またアリスが謙遜する前にすぐ言葉を続けた。

 

「それでね、アリスもきっと僕と同じ」

「イリアスくんと、私が?」

「うん、気持ちが一緒。アリスの言う通り、我儘もあったかもしれない。でもそれだけじゃないよ。ちゃんとアリスは、僕のこと心配もしてくれてたよ」

「どうしてそんな、言い切ることが」

「お祈りしててくれたから。我儘な人のお祈りは、絶対あんな綺麗じゃない」

 

 僕が思うに、お祈りは心の表れだ。何を祈ってるかなんて目で見ても分からない。声に出さないから耳でも当然分からない。その筈なのに浅ましい祈りは誰であってもどこか醜く、真摯に祈る姿は見目に関わらず美しい。アリスは今日も綺麗だったから言い切れる。

 

「その気持ちは嬉しい、嬉しかった。でもね、それでも、僕は迷宮の一番奥に行かなきゃいけない」

「……先生に、そうお願いされたからですか?」

「うん。あっでもね、これは僕から言い出したことだから。先生は何度も止めたんだ」

 

 むしろ僕が大きくなるにつれて、先生は迷宮どころか僕が森から出ることすら反対するようになっていた。ある意味今日のアリスと同じで、ずっとあの生活を続けることを提案していた。でも、僕はそれが飲み込めなかった

 

「先生はいつでも無表情だったけど、迷宮のことを話す時だけはいつも一瞬泣きそうな顔になってた。迷宮のどこかに、多分一番奥に、先生をそうさせてた理由があるんだと思う」

 

 僕が迷宮に向かうことを認めても、先生は求めるものがどこにあるのかは教えてくれなかった。だけど僕には分かる。本能が告げている。きっとそれは迷宮の奥に、迷宮を成す中核に存在している。

 

「僕はそれを何とかしたい。大事な人に笑ってもらいたいのは、僕も人と同じだから」

「私も、私も同じです。大事な人に、イリアスくんに危ないことはしてほしくありません」

「……ごめん、それは聞けない」

 

 出かける前と同じ平行線。僕は譲れないし、アリスも僕を心配してくれるのはやめないだろう。今日みたいに強引に振り切ることは出来る。見て見ぬふりも出来る。でもそんなことは、アリスを悲しませることはもうしたくなかった。

 

「だからアリス、指切りしよう」

「指切り、ですか?」

「知らない? 約束する時にするやつ」

「それは知っていますけど」

 

 どうしていきなりそんなことを。言葉ではなく表情で続きを語るアリスへ、僕は誓うように口を開いた。

 

「約束する。僕は迷宮から絶対帰って来るし、絶対怪我もしない。アリスの心配するような目には、絶対合わない」

「……そんなの、無理に決まってます」

「僕なら出来る。今日だって無事だった」

「次もそうだとは限りません」

「次もその次も、ずっとずっと絶対大丈夫。それを信じて欲しいから、少しでもアリスに安心して欲しいから、約束したいんだ」

 

 言い切って、アリスの空色の瞳を見つめる。春の空のように透き通っていて、そんな場合じゃないのに綺麗だな、なんて今日も思う。

 

 アリスも同じく僕の目をじっと見ている。だけどその色は全然違う。もっと必死で、もっと何かを掘り返し探すようで、瞳を通じて僕の中身全てを暴こうとしてるんじゃ、なんて感じるくらいだ。

 

 それを黙って受け入れる。もう僕から話せることは無い。アリスが信じてくれるのをひたすら待つ。

 

 数分かもっとか。僕と目を合わせ続けていたアリスがぽつりと呟いた。

 

「………………破ったら、酷いですよ」

「どうなるの?」

「泣きます。私今まで泣いたこと無いはずなので、きっと凄く、凄く酷い泣き方をすると思います。赤ちゃんみたいに、ずっとずっと泣き続けます」

「……今まで聞いた中で、一番怖い脅しだと思う」

「だから意味があるんです」

 

 冗談めかして笑った後、アリスはそっと小指を差し出した。それに優しく慎重に、丁寧に僕も小指を絡める。細くて柔らかくて温かくて、気を抜けばうっかり折ってしまいそう。だからアリス本人へするように、大切に大切に指切りする。

 

そうして無事に約束を結んだ後、アリスは宝物を抱えるようにもう片方の手で小指を包んだ。

 

「指きりなんて、初めてしました」

「記憶喪失だからね」

「いいえ、記憶を失くす前もしてません。イリアスくんとしたのが、絶対絶対初めてです」

「戻って無いのに、分かるの?」

「女の子はそういうものです」

 

 そういうものらしい。とりあえず納得しておく。女が女云々言い出したら流しとけ、よく分かんねぇのに触れると大火傷するぞ。酔ったオウルの格言だ。全然分からないから言う通りにしよう。

 

 疑問を流しに流し、嬉しそうに、満足そうに浸るアリスを眺める。そういうものがどういうものでも、喜んでもらえて、約束してもらえてよかった。一日中抱えていた重りを下ろし、ニコニコアリスの顔を見ている内に思い出した。

 

「忘れてた、お土産持って帰って来たんだ」

「お土産?」

「仲直りの時必要かなって。アカザリンゴって果物、美味しくて体にいいんだって。一緒に食べよう?」

「……もしかして、もしかしてですけどイリアスくん、私のこと食べ物渡せば喜ぶ女だと思ってますか?」

「うん」

「す、素直な返事。もうちょっと、隠してもいいんですよ?」

「これって隠すこと? 食べるのが好きって、僕は健康でいいと思う」

「う、うーん、それはそうかもしれませんけれど。私もその一応、一応女の子なので、少しばかり抵抗が」

「一応なの?」

「いえ私は、今の私は、ちゃんとした、普通の女の子です!」

「……ちゃんとしてない女の子ってなんだろう?」

 

 そうやって結局、おなかの空いたオウルが呼びに来るまで、月の下で僕達は話し続けた。




次回幕間「騎士の報告」です。
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