アリスは記憶喪失じゃない。しかも僕達にそれを隠して黙って、ずっと嘘を吐いている。先生の言葉は僕に大きな衝撃を与えた。だけど落ち着いて考えてみると、僕も同じようなことをしている。
巷で噂の狂人、『竜骸』ダアトの正体は僕。このことを知ってるのは先生とオウルだけ。アリスには言ってないし伝えるつもりも無い。だから僕に文句を言う資格は、というか元々そんな気も無かった。アリスの正体や過去がなんであれ、アリスはアリス。それは変わらない。
ただ気になるのは、アリスが自分のことを隠している訳。僕はオウルに迷惑をかけないためっていうのが一番大きいけれど、他にも理由ってあるのかな。
「ねぇねぇオウル」
「おう」
「自分の正体を周りに隠す理由ってさ、変な人に追われないため以外にもある?」
「なんだ急に。小説か何かの話か?」
「後で話すから」
分かんないことはなんでもオウルに聞いてみよう。早速部屋に行って肩を突いてみると、オウルは数秒程頭を捻った後、いくつか例を挙げてくれた。
「これは俺の経験だが、味方のふりして悪事を企んでいる奴はいたな」
「悪事」
「あとはそうだな、過去を捨ててやり直したい、とかもあったな」
過去って捨てられるものなのかな。例え誰も自分のことを分からなくなったとしても、自分は自分のことを知ったまま。だから何があってもずっと、過去は一生一緒にいるはずだけど。
出来る出来ないなんて、今はどっちでもいいか。大事なのはそういう理由もあるよってこと。そしてこっちがアリスの理由なら、僕から何か言ったりやったりする必要は無いということ。内緒にしたいのならそのままでいいと思う。
「ありがとうオウル。そういうの、全然思いつかなかった」
「おう。で、なんで急にこんなこと」
「さっそくアリスに聞いて来るね!」
「は?」
でも悪事だったら大変だ。気の迷いか勘違いか、はたまた誰かに騙されているのか。どれでもちゃんと止めてあげないと。口を半開きにするオウルを置いて、僕は急いでアリスの元へ確認しに行く。
ぱたぱたと急ぎ足で到着した時、アリスはちょうどお茶を入れようとしているところだった。
「アリスアリス、今ちょっといい?」
「もちろんです」
「突然だけど、これから何か悪いことしようとか思ってる?」
「えっ?」
「やっぱりそんなことない?」
「ありませんけれど……?」
心底不思議そうなアリスは右手の指を頬に当て、首を傾げて僕を見つめている。その視線を避けて、アリスの左手をじっと観察する。動いていない、なら大丈夫だ。アリスは本当のことを言っている、悪いことなんて考えていない。安心して胸を撫で下ろしかけて、別の可能性も思いついた。
「じゃあ最近、何か悪いことした?」
「えっと、イリアスくん?」
「つまみ食いでも放火でもなんでもいいよ」
「幅広すぎです。もう、どれもしたことはありませんし、する気もありません!」
ちょっと怒ってますみたいな顔をしたアリスは、そっと左手で手首を握っていた。それを見つけた瞬間から、ここ数日のアリスの動きを脳内で掘り下げていく。何か悪いこと、悪いことしてたかな。考えて思い出して、一つ出てきたものをそのまま口に出す。
「……一昨日の晩御飯」
「……」
「ハム」
「なんのことでしょうか?」
超然とした微笑を浮かべるアリスは、今もなお右の手首を握っていた。やっぱり嘘吐いてる、誤魔化してる。先生の言った通りだ。あの一瞬で見抜くなんて、やっぱり先生は凄い、頭いい、格好いい。
頭の中で先生を称えつつ、どうしようか迷う。つまみ食いは行儀が悪くていけないこと。でもお説教しようとしても、誤魔化しが上手なアリスにはなあなあにされてしまいそう。だからとりあえず、一言忠告だけしてみた。
「あのねアリス」
「はい」
「つまみ食いは、太るよ」
ぴしりと、アリスが石のように固まる。一度石になったことがあるからか、なんだか説得力の違う反応だ。変な風に感心を深めていると、訝しげなオウルが雑な足取りで近づいてきた。
「訳分からんところで話を打ち切るな。さっきのあれなんだ?」
「確かめ終わったから、あっちで説明するね」
「おう。で、なんでアリスは固まってんだ?」
「一言お説教したらこんな感じになっちゃった」
「……これは勘だが、お前が言ったのは説教じゃなくて暴言だな」
「太るよって暴言?」
「暴力そのものだな」
ため息とともに僕の頭へ拳を振り下ろしたオウルは、痛そうに手を摩りながらアリスに声をかけた。
「おいアリス、悪いがイリアス持ってくぞ」
「……………………」
「あー、こりゃ駄目そうだな。お前、後で謝っとけよ」
「はーい。アリス、ごめんね?」
「……………………」
「分かってねぇ。こっちも駄目そうだな」
僕の言ったことはよっぽどだったらしい。謝っても目の前で手を振ってみても、アリスは全然反応しない。どうしようもなさそうだし、反省しつつアリスに背を向けてオウルとその場を後にした。
「…………………………………なるほど」
だからアリスが自分の右手を見つめていたことなんて、僕達はまったく気がつかなかった。
それからオウルの部屋に移動して諸々を説明した。アリスが嘘を吐いているということ、アリスが嘘を吐く時の癖、それと噓を吐いていた理由、二つのことを確かめていたこと。
「アリスには嘘を吐く時、右手首を握る癖があると」
「うん。つまみ食いしてたのに誤魔化そうとしてたから、先生が言ってたことは本当だと思う」
「しょうもねぇ確かめ方だな」
呆れたため息を吐いた後、何故かオウルは真剣な眼差しを僕に向ける。
「んでどうする?」
「何が?」
「元々あいつをここに置いたのは、身寄りも記憶も無かったからだ。だが記憶があるなら居候させる理由も、お前がわざわざ面倒を見る責任も無くなるはずだ」
「あ」
「他人が家にいるのは嫌なんだろ。問い詰めて追い出すか?」
「オウルはどうなの?」
「質問に質問で返すな。俺は別にどっちでもいいからお前が決めろ」
「でも、ここはオウルのお家だし」
「お前の家でもある。それに、アリスを連れて来たのはお前だ」
急に大事な大事な決定権を渡されてしまい、あたふたとそれを持て余す。どうすべきとかどうしたいとか、色々考えようとした矢先、扉を叩く音が聞こえた。
「まあ、よく考えとけ。お前が何も言わなきゃ、多分このまま何も変わらないからな」
僕の頭を乱暴に撫でた後、オウルは部屋の外に声をかける。おずおずと扉を開けて部屋を覗き込むアリスは、ほんのりと遠慮に眉を曲げていた。
「もしかして、真面目なお話をされていました?」
「おう。つまみ食い犯の密告を受けてな」
「えっ」
「しかもどうやら再犯らしい。どうしたもんか」
「…………え、えぇと、ご、ごめんなさい」
「謝んな、飯足んないならちゃんと言え。無駄に遠慮される方が鬱陶しい」
「いえ、ご飯は十分いただいています。ただなんというか、その、別腹というか、台所だと、不思議と美味しく感じて」
「それは分かる。なんで酒も飯も、つまみ食いだとあんな美味いんだろうな」
「びっくりですよね。人類最大の謎です」
「そこまでは言ってねぇ」
アリスの用事は買い物のお誘いだった。調味料が色々切れそうだから、一緒に行きましょう。一人で送り出せば途中で力尽きるか、そもそも辿りつけないか。無事に終わる未来が見えなかった僕は、促されるまま家を出た。
二人並んで脇道を歩く。大通りは人が多いし、裏路地はアリスにはちょっと物騒。折衷案のこの道は、ほどよく静かで歩きやすい。普段はそれで落ち着くのだけれど、今日は緊張を抱えていた。アリスもそれに気づいているのか、いつものようにお喋りを始めない。代わりに伺うよう、時折僕に視線を向ける。
黙ってても仕方ない。オウルの言葉を借りれば、僕が何も言わなければ何も変わらない。だけど僕はずっと黙ってることなんて、きっと出来ない。意を決してアリスの顔を見上げる。
「……アリスは」
「はい?」
「アリスは前、毎日が楽しいって言ってたけど、今もそう?」
「もちろんです!」
お日様みたいな笑顔を浮かべ、アリスは元気に、何一つ陰りなく続ける。
「こうしてイリアスくんとお買い物に出かけられて、今日も楽しい気持ちで一杯です!」
「そんなに?」
「はい。今が永遠に続けばいいなんて、あり得ないことも願ってしまうくらいです」
「そっか」
時々アリスは大袈裟なことを、何一つ冗談を混ぜず口にする。今のもきっとアリスの本心。両手は祈るように胸の前で握られていて、手首には触れてもいない。聞きたかったことが聞けて、確認したかったことが出来て、僕は胸を撫で下ろした。
「ならさ、アリスがよければ」
それから安心して提案しようとして、街の中心に広がる魔力を感知した。いつか、つい一月前に感じたものと似た、あのトカゲに近い気配。何かが召喚された時の反応。街中で覚えるはずのない感覚に足を止める。何歩か先に歩いてからアリスはそれに気づき、僕の方を振り向いた。
「イリアスくん?」
「……こっち来て」
「どうしたんですか?」
「僕から離れないで」
「は、はい」
今日もアリスは僕のローブを着ているから、隕石くらいなら大丈夫。それでも、それ以上が呼び出された可能性もある。クラスとスキルに縛られた人類とは違い、今も魔物の力に上限は無いと先生も言っていた。
不安そうなアリスの視線を受けつつ、魔力の発生元を探る。当然現場に走って直接見た方が早いけれど、まさかアリスを連れて行く訳にも、置いて行く訳にもいかない。
一体何が出て来たのか、誰がどうして呼び寄せたのか。考えている内に、やがてもう一度魔力がはじける。どうやら、呼ばれたものが何かを打ち上げたらしい。
それは捉えるのが難しいほど小粒な気配となって、街のあちこちに降り注ぐ。この感じだと、その内の一つは僕達の目の前に落ちてくるはず。空中で撃墜するか迷って、一旦見送った。まずは正体を確かめた方がよさそう。何かの間違いで人だったら大変だ。
目視するため空を見上げ、こっちに向かってくる物の名前を口にした。
「卵か」
薄透明に白く丸っこく、中には命の気配。ただし大人くらい大きくて、薄汚い臭いがする。恐らくは魔物のものだ。
地面に着弾して爆散しないかな、という僕の期待を裏切り、その卵は地上目前で不自然な減速をし、無事着陸する。表面のぬめりから強烈な腐臭を発しているそれを見て、アリスは鼻を曲げながらも疑問の声を上げた。
「イリアスくん、あれは」
「多分、魔物の卵」
間髪入れずに出した答えにアリスは目を見開き、僕の肩を掴みながらきょろきょろと辺りを見回し始めた。それに倣って僕も軽く確認する。幸いなことに誰もいなさそうだ。
「こういう時、こういう時は、そうです、警備隊。デルファには確か元探索者の警備隊が」
「難しいと思う」
「ど、どうしてですか?」
「これ、街のあちこちに飛んだみたいだから」
いいのか悪いのか、ここ以外は警備隊の詰所周辺に落ちたらしい。もちろん最寄りの詰所近くにも。警備隊はそっちにかかりきりになるだろうから、呼びに言ってもこれの対処は難しいだろう。
僕の説明を聞いて顔色が悪くなったアリスを安心させるため、一言付け加えた。
「だから、ここのは僕が処理する」
「でも」
「大丈夫。前も言ったけど僕強いから」
そんなやり取りをしている間に、卵の方は準備が終わったようだ。中の命が蠢いたと思うと、表面に罅が入り割れていく、裂ける音が少しずつ路地に響く。そして一段と大きい音を立て、とうとう完全に卵が砕けた。めでたくはない誕生の時だ。
『シャアァァァァァア!!』
それは天を見上げ甲高い、耳障りな産声を上げる。そういえば産声って初めて聞いた。初めてがこれか、なんか嫌だなぁ。
微妙な気持ちを押さえつつ観察を続ける。見た目はそのままヘビ。ただ、どれだけパンパンに卵の中に詰まっていたのか、やたらと大きい。一階建ての屋根くらいに頭があって、胴体は丸太のように太くて長い。
そのヘビはチロチロと長い舌を揺らしながら、にちゃりと嫌な音を出して瞼を開く。露わになった紫色の瞳が転がっている卵の破片を映すと、やがてそれは浸食されるように石へと変化していく。その光景にアリスは驚き、小さく耳元で叫んだ。
「ヘビに、石化。まさか、ゴルゴン!?」
「へー、初めて見た」
「イリアスくん、あれは無茶です! 早く」
また石化関係らしい。二度も見ると新鮮味がない。トカゲの時みたいに血を出すとまた不味いことになりそうだから、とりあえず凍らせとこう。先生がおすすめするだけあって、氷って凄い使いやすい。大抵凍らせば死ぬし、周りは汚さないし、夏は涼しいし。便利さをしみじみと実感している間に、ヘビはあっさりと凍り付いた。
「逃げ、ましょう?」
「もう大丈夫だよ」
「……えっ? こ、これ、イリアスくんが?」
「うん。あっでも、僕がやったってことは内緒にしてね」
人差し指を立ててしーっとお願いすると、アリスはこくこくと何度も頷いてくれた。よかった、安心。
次回「蛇の狩り方」です。
ゴルゴンの幼体
ゴルゴンの卵から産み出る魔物。石化させた生物、物体を食らうことで成長し、数日で成体のゴルゴンにまで至る。その生態と石化能力こそ厄介ではあるものの、それを除けば魔物としてはさほどでもない。平均的な能力を持つ4,5人のパーティであれば、問題なく討伐出来る。