あれから十数分後、ベッドに腰掛けるアリスはもの凄く気まずそうにしていた。もじもじと落ち着きなく肩を揺らし、時折横に座る僕へ目配せを送る。なんとなくそれに僕も合わせてみると、アリスはあわあわと目を泳がし、ぎゅっと瞑って体を固くする、次はどうなるんだろう。黙って見守り続けて数十秒、今度は勢いよく頭を下げた。
「……お、お恥ずかしいところを、お見せしました」
「そう? なんだか小さい子みたいで可愛かったけど」
「そういうこと言われると、もっと恥ずかしくなります!」
「心から褒めてるのに」
「それが分かってしまうから、余計に恥ずかしいんです……」
消え去りそうな声で呟く俯いた顔も、髪から覗く耳もびっくりするほど真っ赤。部屋に入ってすぐ見た、あの冷たくすんとした雰囲気が嘘みたい。慣れ親しんだ、賑やかで明るいアリスだ。嬉しくてしばらく眺めていると、かすれたうめき声と共にアリスが顔を上げる。その視線には、確かな非難が宿っていた。
「なんですか、その顔」
「ううん、なんでも。つーんってしてるより、いつものアリスの方がやっぱり僕は好きだなって思っただけ」
「……イリアスくんは、ずるいです」
「なにそれ人聞き悪い。どの辺りがずるいの?」
「教えてしまうと、もっとずるくなりそうだから言いません。危険です!」
「そういう言い方だと余計気になっちゃう。ねね、教えて?」
「だ、駄目です、いけません、めっです!」
「えー」
ずるい、つまり卑怯。格好悪くてあんまり使われたくない言葉だ。どこが引っ掛かったのか知りたくて何度も聞いたけれど、アリスはまったく教えてくれない。とうとう咳払いで話を切り替えられてしまった。
「は、話を戻しましょう。えぇと、イリアスくんが聞きたかったことは」
「アリスが家を出た本当の理由。話してくれる?」
「……ここまで来たら隠しようもないですね。分かりました、お話します」
ようやく顔色が戻って来たアリスは、つい先ほどのように深呼吸をした。でも今回は儚いものを感じない、どこか晴れやかな雰囲気すら漂わせている。だから安心して次の言葉を待った。
「私があのお家を離れることを決めたのは、先日のゴルゴンの一件です。あれは恐らく、ダアト様の手中から私をおびき出すための罠。十中八九聖王騎士団の仕業でしょう」
「えっそうなの?」
「まだ証拠は掴めていません。それでも、デルファ駐屯部隊長ライラックが主導したと、私は考えています」
「へー。隊長さんってあの、なんだか白々しい感じの人?」
「ふ、ふふっ、はい、あの白々しい男です」
僕の印象がツボに嵌ったみたいで、堪えきれずにアリスは吹き出した。くすくすといくらか笑った後、気持ちを切り替え、真剣な眼差しで隊長さんについて説明を始める。
「彼は入団当時から聖戦派に属していましたが、あまりにも強いその思想を危険視され、二十年ほど前に中央からデルファへ飛ばされたと聞いています。聖戦派の中でも相当な過激派である彼をわざわざ迷宮に近付けた理由は、騎士団長がその危険性を考慮してなお彼の才能を惜しんだため、らしいです。また迷宮の実態や迷宮協会の活動を現地で学ぶことで、彼の病的な信仰心が治まるのではないかと。団長の思惑通り、今日まで彼は問題を起こさず駐屯部隊長にまで上り詰め、温厚な街の隊長さん、などという的外れな評判まで立つようになりました。ですが実際はデルファから他国他勢力を排除し、『トラゴエディア』の名の下に迷宮を管理すべき、そしてその恩恵を大陸中の人々へ平等に分け与えるのが天命である、という聖戦派の主義を盲信したまま。あまつさえ配属された部下に対し、密かに聖戦派の思想教育までしていたようです。確かに私自身、現在の迷宮の取り扱いには思うところがあります。公表されている資料を鵜呑みにすれば、迷宮の恵みを等しく分配することで、世界中の飢えに喘ぐ人々は著しく減少します。場合によっては貧困を無くすことも、ある種の理想郷を創造することも出来るでしょう。しかし、仮に迷宮を手に入れたとして、平等を実現出来るほど人の理性は」
長い。しかも終わる気配が無い。実は滅茶苦茶不満が溜まっていたのか、アリスが次々と隊長の人について口にしていく。とても大事なことを話してくれている気がするのだけれど、初めて聞く単語、情報ばかりでまったく理解が追い着かない。知らない言葉が口から勝手に崩れ落ちていく。
「せいせんは。しそうきょういく。りそうきょう」
「ご、ごめんなさい、いきなり話過ぎてしまって。えぇと、簡潔にまとめると、迷宮は聖教が管理すべき、と考えているのが聖戦派で、ライラックもその一員です」
「ふむふむ。その人はなんでアリスのこと狙ってたの?」
「『聖人の儀』にて聖戦派に近い『聖女候補』を、次代の『聖女』に指名させるつもりなのでしょう」
「あ、そう、それ! 『聖人の儀』! さっき教えてもらったよ。それ終わったら、アリスもう『聖女』じゃなくなるんでしょ?」
ようやく知っている単語が出て僕は飛びついた。リンドウさんが教えてくれた次のチャンス。アリスが『聖女』を辞める日のお祭り。聞きかじりを説明出来て、つい得意げに笑ってしまった僕とは逆に、何故かアリスは表情を硬くした。
「……はい、結果的には」
「それなら一回一緒に聖王国行った方が、平和に終わるかなって言おうとしてたけど。もしかして、また隠し事?」
「……」
「言って」
言うまでずっとお願いするよ。そんな気持ちで見つめ続けた結果、アリスはすぐに根負けした。
「『聖人の儀』は『聖女』の就任式、引継ぎ式でもあります。引退後の『聖女』は市井に紛れ、一般市民として終生過ごすことになる。かつて私はそう教わりました」
「僕もそう聞いたよ。違うの?」
「こちらも確証はありません。いえ、ある意味無いことが何よりもの証拠でしょう」
「どういうこと?」
「自分の番が近づき、独自に調べ分かったことです。『聖人の儀』を終えた『聖女』の消息が、戦で早世された七代目以降から全て途絶えていました」
「……え?」
「元『聖女』の行方は安全のために調査、公表していない。これが聖教の見解です。しかし人の口に戸は立てられず、どれだけの対策をしようと情報は洩れます。まして『聖女』は私で百七人目、百六人の先達がいらっしゃいます。その内百人の消息が知れないなど、どう考えてもありえません。生きてさえいれば必ずどなたかが、何かしらの痕跡を残すはずです」
「……………………つまり『聖人の儀』の後、皆すぐ死んじゃってるってこと?」
「憶測に過ぎませんが、その可能性が高いです」
しれっと平気な顔でアリスは言うけれど、僕はそんな簡単に流せない。だってそれは、アリスは自分が死ぬかも、いや、ほぼ確実に死ぬと分かっていて、家から出て行ったということ。自然と目と口調がきつくなってしまった。
「分かってたのに、黙って戻ろうとしてたの?」
「……はい」
「なんで?」
「イリアスくんとオウルさんを、これ以上聖教の問題に巻き込みたくなかったから」
水臭いとかなんとか、文句を口には出来なかった。アリスが自嘲するように薄く笑い、懺悔のような口ぶりですぐに続けたから。
「なんて言うのは、卑怯ですよね。嘘ではありませんが、無駄に格好つけてます。一番はただ私が弱かった、臆病だっただけです」
正直なところ、またアリスが何を言いたいのかさっぱり分からない。死に向かって歩けるのに臆病なんて。けれども今のアリスはちゃんと全部話してくれる、説明してくれる。そう信じているから僕は次の言葉を静かに待つ。次に来たのは、少し予想と違う解説だった。
「『聖女』には多くの力が宿ります。代表的なのは経典にも書かれている、『癒し手』を上回る回復能力や時を操る固有スキル」
「へー、便利」
「ふふふっ、その一言で済まされたのは初めてですね。そしてもう一つ、瞳を通じて嘘を、心を見抜く力」
説明を終えたアリスは、再びじっと空色の瞳を僕に向けた。これまでアリスに見つめられている時に何度も覚えた、心の底をさらわれるような違和感。これってアリスが僕の心を見てたからだったんだ。害は無さそうだからと放置しておいてよかった。うっかり反撃していたら、危うくアリスが弾けるところだった。
本人が聞いたら、知ったら絶対に気分が悪くなる想像。今も頭の中で漂っているのにもかかわらず、アリスは平然としたままだ。あれ、色々見抜けるって話だったのに。
「いいえ、思考そのものは読めません。分かるのは、あくまでも嘘と感情のみです」
「今僕の考え当ててるのに?」
「慣れと工夫ですよ。それに、イリアスくんはとても分かりやすいですから」
「それって褒めてる?」
「はい。私の、大好きなところの一つです」
じゃあいっか。心の中で納得した途端、アリスは嬉しそうに微笑む。どれだけ僕は分かりやすいんだろう。でもアリスは好きらしいし。ならいっか。ますますアリスの笑みが深くなる。それを見て釣られて笑ってしまったから、僕は分かりやすい上に単純だった。
「この力が教えてくれました。イリアスくんは常に本当のことを言っていると。出会った時から私のことを純粋に心配し、思いやってくれていると。ずっと『私』を私として扱ってくれていると。だから、怖くなってしまったんです」
「怖くなるところ、ある?」
「あります。イリアスくんは生まれて初めて『私』に私を見てくれた、見つけてくれた人。『私』に私をくれた人。もし私が『聖女』だと知って、私を『聖女』として見るようになってしまったら。イリアスくんの瞳に、敬意や畏れを感じてしまったら。想像するだけで足が震えて、息も出来なくなりました。私にとってそれは何よりも、死よりも遥かに恐ろしいことです」
「……アリスの話って、時々やけに難しくなるよね。『聖女』でもなんでも、アリスはアリスでしょ」
「イリアスくんはずっと本心からそう言ってくれているのに。ごめんなさい。私はその言葉を信じ切れていませんでした」
またまた謝られてしまった。アリスのごめんなさいはどれも真剣で、一生懸命で、ずっと心の底から出ている。だからもう十分以上必要以上、お腹いっぱいだ。
「よく分かんないけど、いいよ。今日は何でも許してあげる」
「何でもなんて。そういうこと、軽々しく言ってはいけませんよ?」
「軽くないつもり。アリスはずっと頑張ってたみたいだから、僕からのちょっとしたご褒美。さっき僕が怒ったことも、アリスが今気にしてることも、全部全部僕は許す、気にしない。だからアリスも、今日はこれ以上謝っちゃ駄目だからね!」
「……イリアスくん」
ありがとうございますと囁きながら、ゆっくりともう一度だけアリスは頭を下げた。その様子を見てほっとして、頭と肩から重荷が下りた気がした瞬間、許してないことと話してないことを一つずつ思い出した。
「あっそれでも一つだけ、かなりムカつくことあったかも」
「…………それは、なんでしょうか?」
「えっとね、アリスに限った話じゃないんだけどさ。聖教の人達って僕のこと、はっきり言って滅茶苦茶舐めてるよね?」
「え?」
アリスのことで隅っこに追いやられていたものが、ようやく熱を取り戻して来た。そんな場合じゃないから、暇はないからと後回しにしていた苛立ち。むやみやたらと膨らむ前に、冷静な自分がすかさずツッコミを入れて来た。アリスは違くない? 確かに。
「うん、アリスはしょうがないか。あの時中途半端に見せたのが悪かったのかな」
それに、アリスが甘く見ていたのは僕のこと、鍛冶屋に住む探索者の子供のこと。アリスのそれは、聖王騎士団のものとはまるで毛色が違う。前喧嘩した時と同じ、どこまでも僕を思いやる、優しさと心配から来るもの。どう考えても怒るのは筋違い、それどころかやっぱり今日もくすっぐったい嬉しさがある。
だから許していないことは放り投げて、話していないことをアリスに聞こう。その準備のためにベッドから立ち上がる。不思議そうに見上げるアリスの足元と腰に手を回し、そのまま抱え上げた。いつかと同じ抱っこ、なんでもお姫様抱っこって言うらしい。
「きゃっ」
「怒らない、許すって言っちゃったからそっちはしないよ。でも、お仕置きはするね」
「お、お仕置き? そ、その、この体勢から、何を」
「このまま家に連れて帰る。絶対に置いて行かないから」
再び赤く染まりかけた頬と耳が、一瞬にして白くなる。やっぱり、ここに残るつもりだったんだ。この後のこと何にも話さないから、もしかしたらそうなんじゃないかなとは思ってた。このアリスの考えは、心配は、僕への侮りは、よほどのことじゃなければ消えないだろう。だから、話すことを決めた。
「イリアスくん、それは」
「だーめ。これはお仕置きだから、やだって言っても連れて帰る。オウルにもう、アリスの分も晩御飯用意してもらってるし」
「ですが、外には聖王騎士団が」
「もちろん聖王騎士団にもちゃんと、相応のものは受けてもらうよ」
アリスは僕の友達、大事な人、大切な宝物。それを傷つけたこと。奪おうとしたこと。その上で、この程度の準備しか用意していないこと。たかが数十人の騎士と砦で、僕からアリスを守ろうとしていたこと。全て、どこまでも嘗め切った対応だ。
あの日、アリスが出て行った時の対応がよくなかったのかな。アリスを黙って見送った理由を、まさか騎士に竦んだと勘違いしたとか。だとしたら本当、面白いくらい逆撫でしてくれる。つい失笑が漏れてしまった。それを聞いてアリスがびくりと、僕の腕の中で震えた。
いけないいけない。アリスは悪くないのにびっくりさせてしまった。安心してもらうために、言うべきことを伝えるために、なるべく穏やかな声を絞り出す。
「アリス」
「は、はいっ」
「今日は急に来たのにちゃんと話してくれて、たくさん秘密を打ち明けてくれてありがとう。こうして会えて、話せて嬉しかった」
「……いいえ、お礼を言うのは私の方です。イリアスくんと会うのが怖かったはずなのに、名前を呼ばれただけで舞い上がってしまいました。酷いことばかりしたのに、それも許してくれて」
浸るように声を漏らし、アリスは僕の首に手を回す。僕を見つめる瞳は軽く潤んでいるけれど、恐怖とか驚きから来るものじゃなさそうだ。ならよし。どういうものか分からないのは、この際問題にはならない、はず。自分の無理解を放棄して、そのままアリスに提案をした。
「それでね、アリスばっかりで不公平だと思うんだ」
「何がですか?」
「秘密のこと。言いにくいこともきっとあったのに、アリスにだけ話してもらうのってよくないよ」
「そんなことはありません。全て受け入れてもらえて、許してもらえて、私は」
「僕がそう思ったの。だから話したい、見せたい、僕の一番の秘密。いい?」
「……一番の。もちろんです。私でよければなんでも話して、見せてください」
「なんでもは駄目なんじゃないの?」
「私も軽々しくないから、イリアスくん以外には言わないからいいんです!」
アリスは僕のなんでもを受け止めてくれるらしい。その言葉を信じて、僕は瞳を閉じた。
僕の体に流れる血、お母さんからの贈り物に意識を集中する。誇りを傷つけられたことにぐつぐつと煮えたぎるそれは、お父さんがくれた楔が、外なる人の血が無ければ、もうとっくに暴れ出していただろう。宥め、抑え、制御するため、先生が僕のために考えてくれた魔法を唱える。
「
騎士団相手に爪も翼もいらない。内的宇宙から溢れ出す力を選別し必要分のみ抽出、黒鱗を現出させた後、いつもの鎧に再構成していく。唐突に始まった変身を目の当たりにし、驚きに瞳を開くアリスを眺めながら、ふとこれから叩き潰す相手のことを考えた。
アリスが語った聖王騎士団の、隊長の思惑はどうでもいい。何を思い信じるかは個人の自由だと、昔先生が言っていた。僕も同じ考えだ、好きにすればいい。けれど、それを形にするのなら、武器にするのなら話は変わる。そしてそれをアリスと僕に、『竜骸』に向けて振りかざした以上、代償は必ず支払ってもらう。
「
只人が、竜の財宝に手を出した報いを。
次回「手袋投げたら壊れた」です。