鎧を纏った、『竜骸』に姿を変えた僕を見上げ、アリスは声を震わせた。
「イリアスくんが、『竜骸』ダアト様……?」
見開いた目から伝わるのは、ただただ大きな衝撃。想像していた反応、怖がる、泣く、間近で『竜骸』を見たショックで失神する、どれでも無かった。けれどもすんなり受け止めた、というには様子がおかしい。その証拠に、突然アリスは頬を胸にくっつけて来た。その体勢のまま瞳を閉じてひっそり呟く。
「……本当に最初から、ずっと今の今まで、イリアスくんが助けてくれていたんですね」
またまた予想外の反応だ。これはいったい、どういう気持ちから。多分感謝、感謝されてるのかな。そんな感じはするのだけれども、なんとなくこう、何とも言えない何かが違うような。全然判別出来ない。それはそれとして一旦鎧は解除した。ほっぺくっつけると冷たそうだし。
鎧が消えたことで密着していた頭が動き、今度は僕の体にぶつかる。その衝撃でアリスはゆっくりと目を開けた。
「ごめんなさい。つい、浸ってしまいました」
「あっまた謝った。今日はもうごめんなさいは駄目って、さっき言ったよ」
「…………ふ、ふふふっ。少し、厳し過ぎませんか?」
「アリスの敬語チェックと一緒ですー」
「敬語は駄目ですよ? そう言えば、先ほど簀巻きの話をした時も」
「ほら一緒。厳しい」
そうやってお互いに厳しい厳しい言い合って、どちらからともなく笑ってしまった。上品にくすくすと笑うアリスにはもう動揺の、驚きの気配すらまったくない。あまりにも早すぎる落ち着きに抱えた疑問は、どうせバレるからすぐに聞いてみた。
「それでさ、アリスそこまで驚いてないよね。もしかして気づいてた?」
「可能性は考えていました。ある意味では一番筋が通っていましたから」
「うーん、秘密まで分かりやすいのかなぁ」
「いいえ、私も万が一程度です。他の人ではまず、イリアスくんとダアト様を繋げないでしょう」
だったら平気かな。うるせー知らねーの精神を知った今でも、『竜骸』の正体は秘密にしておきたい。もしバレたら、僕がぼんやり想像するだけでもとんでもないことになりそう。だから現実にはもう、それはもう大変なことになるだろう。僕が改めて決めている間に、アリスは別のことを考えていた。
「イリアスくんがダアト様なら、確かに聖王騎士団への対応も出来るでしょう。具体的にはどうするつもりですか?」
「とりあえず、出て来た分から叩いていけばいいかなって」
「……恐らくそれでは、永遠に終わりません」
永遠とまで言われてしまった。確かに、デルファに聖王騎士が何人いるかなんて知らない。百か千か、はたまた万か。それでも殴り続ければいつか在庫は無くなるはず。納得していない僕を言い含めるよう、アリスは続けて理由を語った。
「『聖女』は『トラゴエディア』の象徴にして最大の御旗。それを奪われた、しかも一人の探索者にとなれば、聖教の威光は間違いなく地に堕ちます。いくら叩こうとも、死に物狂いで挑み続けるでしょう」
「そんなに?」
「本国も含め、全ての聖王騎士が動員されるはずです」
「じゃあ騎士団全滅させなきゃなんだ」
「させたとしても信仰の熱に当てられ、新たな騎士が補充されるだけでしょう」
じゃあ聖王国滅亡させなきゃなんだ。いくら僕でもこれは口にしなかった。それに誰も殺すつもりは無いから、流石に滅亡まではしないよね。精々全国民入院くらい。あれでも、看病出来る人もいなくなるから、これある意味滅亡では。くだらないことを考えている間にも、アリスの話は進んでいた。
「応急処置ではありますが、私に考えがあります」
「ほんと? 教えて教えて」
「けれど、そろそろ巡回の騎士が来るはずです。詳しく説明する時間は」
アリスがちらちらと扉に目を向け、外の様子を懸命に窺おうとしていた。本人としてはとても真剣なんだろうけど、ついつい微笑ましくなってしまう。だってこの段階で巡回を警戒しているのは、まったく外の状況を掴めていないという何よりの証拠だから。
「それなら大丈夫! もう僕が、『竜骸』が来たのバレてて、皆外で待ち伏せしてるから」
「え、い、いつからですか?」
「ちょうどついさっき? なんか急にばたばた準備し始めてたよ」
「でしたら時間をかけるほど、この後イリアスくんが大変になるんじゃ」
「平気平気。十年かけても大差ないから」
数分数十分、数時間なら尚更意味が無い。ざっくばらんな口調に真実味を感じたのか、アリスは焦りをしまい込んだ。代わりに何か考え込むように瞳を伏せ、顎に手を当てる。お話でしか見たことが無いけれど、なんだか探偵さんみたい。知的な雰囲気が漂っていて格好いい。
「……分かりました。それではつまり、今は誰も建物にはいない、ということですか?」
「うん。簀巻きにした人も外に連れてったみたい」
「だとすればこれは予想外の、絶好の好機かもしれません」
「なんの?」
首を傾げる僕に、アリスは片目を閉じて悪戯っぽく微笑み告げた。
「家探しの、です」
『聖女』リリアンの寝所がある棟を前に聖王騎士団は陣形を組み、『聖女』救出のため『竜骸』を待ち伏せしていた。かつてないほど強大な敵、そして重大な任務。時が経つにつれ高まる緊張感と戦意とは別に、彼らの間には動揺もまた、ざわめきと共に膨らみつつあった。
「『竜骸』め、まさか本当に『聖女』様を狙ってくるとは」
「待て、本当に侵入者は『竜骸』なのか? もしかして、ただの物取りじゃ」
「確かにそっちの方がマシだが、それはそれで大問題だろ」
「いや、間違いなく『竜骸』だ。なんでも隊長が用意していた、竜の力を探知する魔道具が動いたらしい。そんな狂人は『竜骸』だけだろう」
「というよりも、我々はここで待ち伏せしてていいのか? 一刻も早く『聖女』様をお救いに行くべきではないのか」
「あの部屋はさほど大きくない。数の利を生かせない以上、突入は避けるべきだ」
「そうだ! 何より『聖女』様を人質に取られたらどうする!」
「しかし、『聖女』様と『竜骸』を二人きりにして大丈夫なのか? 相手はあの『竜骸』、何をされるか分かったものじゃないぞ」
「『竜骸』はこの一ヶ月『聖女』様に危害を与えず、ただ純粋に保護していたらしい。変な心配はいらないんじゃないか?」
「それならそもそも、『竜骸』への警戒自体必要無い気がするんだが。むしろ賓客として迎えるべきでは」
「『竜骸』への警戒は、あの隊長の命令だぞ。必ず何か、深い理由があるに違いない」
『聖女』の危機、隊長の不可解な命令、何よりもあの『竜骸』の襲撃。全てが騎士達の心を激しく乱し、釣られて陣形と警戒も崩れかかっていた。士気の低下を察知した副隊長は大きく息を吸い、部下達を一喝した。
「狼狽えるな馬鹿者共!!」
「し、しかし副隊長、隊長が留守の今、我々だけでは」
「逆に考えろ、奴は隊長がいない時間を狙って来たのだと! すなわち奴は、隊長との戦いを避けている! いや、恐れていると言ってもいいだろう!!」
熱く語る副隊長の口調とは裏腹に、部下の騎士達の反応は冷ややかだった。
「あの『竜骸』が、ですか。それはあまりにも楽観的ではありませんか?」
「お前たちも知っているだろうが、『竜骸』は暴虐の限りを尽くす最悪の探索者だ。これまでいくつものギルドや組織が奴の力に屈してきた。その手法は常に単純明快。全ての案件において、正面から暴力を振りかざしている」
他国の組織同様聖王騎士団デルファ駐屯部隊もまた、迷宮協会の監視及び迷宮を巡る主導権争いのために設置されている。それゆえ迷宮に関わる情報、『竜骸』の引き起こした事件についても調査は欠かしていない。だからこそ、その業務に携わった騎士達は今も震えている。
「だが、今日の奴は違う! 詰所へと忍び込み、見張りはおろか、非番の騎士にすら姿を見られぬよう、卑劣にも不意打ちした! 理由は分かるか!?」
「……騒ぎを大きくしたくなかったから、でしょうか」
「その通りだ! 重ねて聞こう、それは何故だ!?」
「聖王騎士との戦いを、避けたかったから」
「現に奴は、我々が『聖女』様をお連れした場面に居合わせていた。しかしその場では意味不明な問いかけをしたのみ。こうして今、『聖女』様をかどわかそうとしているにもかかわらずだ!」
「確かに、それはおかしい」
「『竜骸』は聖王騎士団を恐れている……?」
「お言葉ですが副隊長、過去に何人か、既に『竜骸』の被害にあった騎士もいますが」
「だがその場に、隊長はいらっしゃらなかっただろう」
「あっ」
納得の声を漏らし、騎士達は思わず目を合わせた。その目に先ほどまでなかった光をお互いに感じ合い、その輝きは、希望はますます強くなっていく。膨れに膨れて大きくなり、やがて自然とそれぞれの口から言葉となって放たれた。
「そうだ、隊長はあの『赤剣』、デルファ最速の剣。最強の聖王騎士だ!」
「ああ! いくら『竜骸』とはいえ、恐れをなしてもおかしくないはず!」
「何を恐れていたんだ俺達は! 隊長さえいれば、『竜骸』であっても必ず対抗出来る!」
騎士達の間に再びざわめきが広がる。しかしこれは先の恐怖と疑念に満ちたものではなく、希望と期待が零れるもの。副隊長はその声へ満足げに耳を傾け、音が途切れた瞬間にもう一度檄を挟んだ。腹の底から部下への、自らへの激励を叫び、固く握ったこぶしを高々と挙げる。
「我々のやるべきことは一つ! 隊長がお戻りになるまで『竜骸』の逃亡を、『聖女』様が連れ去られることを防ぐ、ただそれだけだ! さあお前ら、力の限り」
その瞬間突如猛烈な勢いで飛んで来た扉が衝突し、副隊長はそのまま吹き飛ばされた。
「ふ、副隊長――――――!?」
飛ばされた先で壁に突き刺さった副隊長からの返事は無い。完全に気絶している。音速の扉という質量攻撃の前では、鍛えぬいた近接クラスとはいえ人間など脆いものだった。その現実を直視した騎士達の悲鳴が、悲痛にも空へと響く。
原因を作り出した、入口の扉を蹴り飛ばした『竜骸』は、その悲鳴を当然のように聞き流す。そしてフードの下に極めて微妙な表情を隠す傍らのアリスへ、白銀の籠手を片手に軽く問いかけた。
「これは誰に叩きつければいい」
「……現在隊長は留守なので、副隊長です」
「どこにいる」
「……今吹き飛ばしたのが、副隊長です」
「……」
「……」
「………………また叩きつけたら」
「それは、ただの追い打ちですね」
「後で叩きつけるのは」
「今この場でなければ隙を与えてしまいます」
「他の人は」
「残念ですが、難しいでしょう。ライラックを待つしか無いと思います」
二人のどこか間の抜けたやり取りは騎士団まで届かなかった。届いたとして、耳を疑うだけで意味はなかっただろう。それはそれとして、騎士達が『竜骸』達の姿を見つけるのに時間はかからない。彼らはすぐに態勢を整え、副隊長を庇うように陣形を作り直した。
「出て来たぞ、『竜骸』だ! 『聖女』様もいらっしゃる!」
「おのれ卑劣な! 副隊長も不意打ちするとは!」
「だがこれではっきりした、奴は我々を警戒している、恐れている!!」
いきり立つ騎士の様子を見て、声を聞いて、『竜骸』はひっそりとため息を吐く。アリスにのみ聞こえたそれは、内心彼女に大きく首を傾げさせた。続けて『竜骸』が発した言葉も彼女の疑問を解消せず、むしろより一層深めるだけだった。
「……予想は当たっていたか」
「?」
「何でもない。待つ間することを決めた。少しここで待て」
「お待ちしております。ところで、することとは?」
「これを、全員に叩きつける」
握りしめた籠手を見せられて、アリスは苦笑いするしかなかった。
聖王騎士団本部に戻って来たライラックと側近の騎士達が目の当たりにしたのは、いくつものクレーターとその中心に倒れる騎士達だった。奇妙なことにその誰もが片手の籠手を失くしており、すぐ近くには白銀の金属片が転がっている。それはまるで、叩きつけられたように粉々だった。
「ど、どうした、だ、大丈夫か!?」
「……あ、あぁ、た、隊長、やっと、やっと来て、くれた」
「しっかりしろ。何があったのか、ゆっくりでいいから報告するんだ」
ライラックの指示を受けた満身創痍の騎士は、震えた指で虚空を指し、そのまま意識を失う。騎士を丁寧に下ろした後その方向を向いた瞬間、彼らはここで何が起こったのか、誰がこの事態を引き起こしたのか、瞬きの間に全てを理解した。
「ようやく来たか」
何故なら聖なる少女を従えた、黒い悪夢がそこに立っていたから。
「『竜骸』……!」
「た、隊長、あちらを!」
「……『聖女』様を取り戻しに来たか。ではやはり、奴の正体は」
本能的な反射、脅威への防衛反応により、ライラック達は一斉に武器を握りしめた。日の光で輝く刃は彼らの姿を鈍く映す。その顔はどれも、怒りや恐怖により深く歪んでいた。心に従い強く柄を握るものの、誰一人として動くことは出来ない。下手な動きを見せれば、自分達もクレーターに沈むことを理解しているからだ。
十数秒、荒い呼吸が流れるだけの時が過ぎる。その沈黙を裂くようにして、『竜骸』が重い口を開いた。
「この少女は返してもらう」
「それを、我々が許すとでも?」
「不要だ」
その答えは既に証明されていた。本部に控えていた数十人の騎士で無事な者は一人としていない。その上クレーターに沈んでいないのは、敷地の隅に安置されている三人と壁に刺さった副隊長のみ。まさしく死屍累々という様相だ。誰であってもこの状況では、許しではなく命乞いを出すべきと判断するだろう。
「だが、何度も草を毟るほど暇では無い」
倒れた騎士を見下ろす『竜骸』の言葉に、ライラックは眉を顰めた。部下を草扱いされた不快感、そして意図の読めない発言に苛立ちが募る。けれどまだ動くべきではないと判断した彼は、部下に待機の指示を出し、そのまま耳を傾け続けた。
「デルファ自治法、第一条は知っているな」
「『口で決まらないなら拳で決めろ。敗者は勝者に従え』。今では廃れた、野蛮な法だ」
迷宮協会設立時に初代会長が決めた掟、通称決闘法。かつて荒れ果てていた迷宮周辺ではまともに法を施行するのは困難であり、されたとして従わない者が非常に多かった。それらを物理的の解決するための法、というより一方的な主張。これを用いて迷宮協会は多くの問題を制圧、もとい鎮圧していった。
しかし協会の体制が整うに連れて決闘を悪用する者が現れ、それを防ぐため手続きや制約が煩雑化していく。また、治安の改善や遵法意識の向上が進み、問題を拳ではなく論理や法で解決することが、探索者の間ですら当然のことになった。そのためライラックの言う通り現在ではほとんど使われていない、一種記念碑のような法である。
カビの生えた法を『竜骸』が、何故今この時に。ライラックの疑問は一瞬にして氷解した。
「……まさか!?」
ライラックが顔を上げると同時に、白銀の籠手が目の前の地面に叩きつけられる。炸裂したそれは新たなクレーターを作り出し、衝撃は側近の騎士達を四方八方へ吹き飛ばした。ただ一人地面に剣を突き刺し耐えたライラックへ、その背後に控える全てに向けて、『竜骸』は告げる。
「決闘だ、聖王騎士団。いや、聖王国メイシス。この少女を賭けて戦え」
次回「決闘 前」です。