迷宮都市デルファは世界の中心と呼ばれている。
大陸北東の聖王国メイシス、北西の魔帝国ミストラル、南の連合国オストロ。三大国国境のちょうど真ん中にある、という位置関係も大きい。だがそれ以上に世界全体の、あらゆる分野の中核に迷宮が存在しているからだ。
例えば鉱石。各国で燃料や武具に使われている魔石の多くは迷宮産のものだ。迷宮外でも発掘こそされているものの、質、量ともに迷宮産には遠く及ばない。銅や鉄、銀等の鉱物についても、迷宮内外で比較すると純度に平均二倍以上は差がある。
例えば食料。古くから世界各地で食べられている黒麦は、かつて迷宮から持ち帰られた数粒の種から広がったと伝えられている。一説によるとこの麦が無ければ、世界の人口は今より三割ほど少なくなっているそうだ。
例えば医療。時折迷宮各地で出現するという宝箱。そこから発見された多くの薬品が、現代の医療の根幹を担っている。現在では簡単なポーションの類こそ量産出来るようになったものの、奇跡とも称されるエリクシールのような最上級品については、未だ材料の目途すら立っていない。
その他にも数え切れないほど多くの場面で、もっと言えば世界の生活基盤そのものが迷宮に依存している。その依存度の高さはとある学者が迷宮の影響力について研究を行った際、迷宮が滅びた時こそ人類の滅ぶ時だ、などと結論付けたほどだ。
「だからよエリーちゃん、実質俺達探索者が世界を支えている英雄みたいなもんなんだよ」
「……つまり、そんな探索者の皆さんを支える私も英雄みたいなものってことですか?」
「えっお、おう、そうなる、のか?」
「英雄エリー、中々いい響きですね……」
「マジかよ、とんでもない大型新人が入って来たな……」
そんな世界の中心である迷宮都市デルファには、迷宮協会という組織がある。迷宮の入口を始めとする、迷宮に関するあらゆる施設、物品、事象の管理を目的としており、およそ数百年前に結成されたという。迷宮の管理を担う、言い換えれば世界の運営に携わるということもあり、各国より多くの有力者の支援を受けた、将来を嘱望された者達が集い、日々多くの業務をこなしている。
(仕事を初めて一週間、あの時あんなことを言ってしまったのがいけなかったのでしょうか)
迷宮協会の施設、探索者用の窓口で働く赤髪の少女、エリーもその一人だ。デルファ生まれデルファ育ちの彼女は、幼い頃から人一倍迷宮と探索者への憧れが強かった。残念ながら探索者としての才能は絶無であり、そちらの夢は幼くして断たれたものの、それでも彼女は折れなかった。
やがて努力の果てにもう一つの夢、迷宮協会への就職という夢を叶えた当時の彼女は、はっきり言って調子に乗りに乗っていた。気持ちに浮力があれば、空のかなたへ飛び去るほどには浮かれていた。浮かれポンチだった。
それがあの人の目に留まってしまったのかと、今でもエリーは後悔している。
「奴隷はどこで買える」
過去へ現実逃避をしていたエリーの意識は、地獄の底から響くような身の毛もよだつ声により引き上げられる、戻ってしまう。反射的に顔を上げた先にいたのは、具現化した恐怖、もしくは絶望だった。
絶望の名前は『竜骸』ダアト。半年前突如デルファに現れた、最も新しき英雄にして災厄の化身、黒き竜の鎧を纏う狂人。人、魔物を問わずあらゆる障害全てを粉砕し、気付けば最強の探索者として名をあげていた謎の男。
エリーはまったく気がついていなかったが、その『竜骸』が訪れたことで窓口はガラガラになっていた。つい先ほどまでの活気ある喧騒は嘘のよう。列を作っていた探索者はおろか、両隣で業務に励んでいた同僚もいつの間にか姿を消している。薄情者共め。吐き出したい気持ちと言葉を我慢して、彼女は目の前の脅威に立ち向かった。
「……そういったものは、こちらでは取り扱っておりませんが」
「迷宮に関することだ」
エリーの控えめな言葉に、二段三段飛ばした返事が飛んでくる。『竜骸』はこういう人だったと、心中で彼女はため息を吐いた。思考のスピードが違うのか、会話のタイミングがいつもどこかずれている。さりとて愚痴を零してもどうしようもない。今度はいったいどんな難題なのか。エリーが考え始める前に、逃げた探索者達のひそひそとした囁きが彼女の耳に届いた。
「『竜骸』が奴隷……? それも迷宮に関することだと?」
「何か生贄が必要なもんでも見つけたのか?」
「だがあの『竜骸』だぞ。それくらいならその辺の探索者を捕まえればいいはずだ」
『竜骸』はソロの探索者、探索者の互助団体であるギルドにも、共に迷宮を歩むパーティにも所属していない。そんな『竜骸』が持つ情報、『竜骸』自身のプロフィールも含めて、その価値は計り知れない。ものによっては金貨の山一つ二つでも足りないないほどだ。それが今、有象無象の探索者に盗まれようとしている。
「分かりました。場所を移しましょう」
移したくないよ~! という内心の悲鳴をエリーは押し殺した。迷宮協会は探索者の活動を支えるために存在している。例え必要が無さそうであっても、最上級の探索者である『竜骸』の不利益は避けなければならない。エリーにも迷宮協会職員としてのプライドがあった。
迷宮協会事務局の奥、通常協会の会議等で使われる別室へ移動して早々、『竜骸』が開口一番ぶちまけた。
「十日前守護者を倒し、三層の最奥へたどり着いた」
「……は?」
「だが階層移動用の設備は、二人でなければ使うことが出来ないものだった。ゆえに四層へ進むため、迷宮探索の出来る者を求めている」
夢幻迷宮三層の突破。それは迷宮が発見されてから数百年の間、人類の誰もが果たすことの出来なかった偉業であった。三層に辿り着く探索者は全体の二割にも届かず、守護者へ挑戦出来た者と言えば、長い長い迷宮協会の歴史の中でもほんの一握り。それをこんな、話の枕のようにあっけなく。冗談か嘘か、どちらかだろうか。
それはないな、とエリーは一瞬で己の疑念を切り捨てる。かつて一層『森』を牛耳っていたギルド、『ブラウンウィード』の半壊を始めとする『竜骸』の成した様々な事故、もとい数々の偉業の被害にあった、もしくは見届けたエリーには、それを信じるだけの土壌があった。また、無駄口を嫌う『竜骸』はそんな戯れをしない、という確信もあった。
言うだけ言って黙り込む『竜骸』を前に、その圧倒的なプレッシャーからエリーの頭は急回転し始めた。人が必要だからと迷宮の奥へ奴隷を連れて行く。常識外れの、はっきり言ってしまえば、あまりにも愚かな行為だ。そんなことをするのは精々悪趣味な金持ちか、何の知識も無い素人。ならば『竜骸』は前者だろうか。
だが、この半年でなし崩し的に『竜骸』担当になってしまったエリーは、とあることに気がついていた。この人、人? あんま常識無いな、と。無視をしているとか軽んじているではなくて、そもそも常識自体を知らないんじゃないかな、と。
こうして迷宮に奴隷を連れて行く、などと常識外れを気軽に言うのも、恐らくは奴隷についての詳しい知識を持っていないから。そう推測したエリーは、彫像のように固まっていた『竜骸』に恐る恐る進言をする。
「事情は分かりました。しかし、奴隷を迷宮に連れて行くのは難しいかと」
「何故だ」
「奴隷堕ちした者はクラスが奴隷に固定され、スキルが事実上消滅するからです」
クラスとスキル。それは神が人類に齎した祝福と言われている。
クラスとは、神から与えられるその人の在り方を示すもの。『戦士』や『商人』、『農夫』などそれぞれのクラスを得ることで、人々は強大な身体能力や頭脳、適応力の上昇という恩恵を受けている。
そしてスキルとは、クラスを修めることにより得られる神の奇跡のこと。例えば『戦士』であれば斬撃を飛ばす、『癒し手』であれば傷を瞬間的に治すといった超人的な技能があげられる。クラスによって得られるものは大きく違うが、どれも只人では成しえない超常現象ということに変わりはない。
ちなみにエリーの知る中で最も超人的で、存在そのものが超常現象の『竜骸』だが、未だそのクラスとスキルについて知る者はいない。迷宮協会に提出された資料には『戦士』と書かれているが、当然誰も信じていない。言うまでもないが『戦士』は空を飛ばないし、当然火も吹かない。
上層部が問い詰めても『竜骸』は口を割らず、無理矢理読み取ろうとした『鑑定士』は一時的に発狂して病院送りになった。こうした経緯から酒場の与太話では『魔王』か『魔人』、どちらも御伽噺に出てくる架空の怪物、が『竜骸』の持つクラスの最有力候補になっている。
『竜骸』はともかく、脆弱を極めた人類が今もこの大陸で繫栄出来ているのは、この二つの祝福と迷宮があるからだ。どれもあまりにも人類に都合がよい存在のため、これら三つを合わせて三種の神器と呼ぶ声もある。それほどまでにクラスとスキルの影響は大きく、どちらも縛られた奴隷の立場はどうしようもないほど低い。
だからこそ迷宮に奴隷を連れて行くなど、拷問か道楽以外の何物でもない。いくらあの『竜骸』だとしても三層最奥まで足手まといを守れる保証が無い以上、協会職員としては奴隷の使用を勧めることなど到底認められない。だがエリーがそんな理由を語っても、『竜骸』の意思は変わらなかった。
「戦力とは期待していない」
「あくまで設備稼働のためと。ですが、自衛能力の無い者を迷宮に連れ込むのは」
「問題ない」
「……ちなみに、本当に奴隷ではなくては駄目なのですか?」
「魔道具や分身で対処出来なかった以上、人がいる」
えっこの人分身出来るの怖っ。咄嗟に言葉を飲み込んだ自分をエリーは褒め称えた。それによく考えてみれば、これまでのことを思い出せば分身くらい可愛いものだ。なんで私こんな驚いたんだろう、不思議だな。残念ながらこの半年で『竜骸』に釣られ、エリーの常識も少しぶっ壊れていた。
分身などという些事はさておき、『竜骸』に奴隷商を紹介するかどうか。エリーの問題はそこにあった。スキルを持たない足手まといを迷宮に連れ込むなど、多くの探索者は考えていない。仮に何か人手が欲しくとも、その手のクラス持ちを探すだけで十分だからだ。
ならば知識だけでも使える経験者、元探索者の奴隷ならどうか。重大な罪を犯した探索者が奴隷堕ちした例も無くは無いが、非常に珍しい上その沙汰を下すのは上層部。まだ半分新人のエリーがその類の仕事をしたことは当然無い。加えて十五年間平穏無事、清廉潔白に生きて来た彼女には、その手の伝手も知識もまったく無かった。
「事情は把握いたしました」
「それで、どこで買える」
刻一刻と増す『竜骸』の威圧感によって、再びエリーの灰色の脳みそに電流が走り始める。思考時間は一秒にも満たない、熟練の軍師のような冴えがこの時の彼女には備わっていた。そして瞬きとともに導き出したその答えを、彼女は『竜骸』に叩きつけた。
「……申し訳ございません。私ではわかりかねますので、上長を呼んでまいります」
エリーは逃げ出した。
その十分後、休憩室で優雅に茶をしばいていたエリーの耳に、ドアが殴り開かれる音が届いた。振り向くとそこには仕事を押し付けた、ではなく信頼して任せた彼女の先輩が、脂汗を滴らせながら立っていた。
「ちょっと英雄ちゃん酷いよ! 『竜骸』の担当は英雄ちゃんでしょ!?」
「その呼び方、やめてくださいって前にも言いましたよね?」
「最初にそう呼んでって言ったのは英雄ちゃんじゃない!」
「うっ」
調子でサーフィンしていた頃の話である。今はもう『竜骸』という荒波に飲み込まれた。
「私、奴隷のお店なんてさっぱり分かりませんから。『竜骸』様にご案内出来なくてとても残念でした」
「いやあなた地元民でしょ!」
「地元民だから、そういう危なそうなところには近づかないんですよ」
「くぅ一理ある!」
「というよりむしろ、なんで先輩は知ってるんですか? 先輩聖王国出身ですよね」
こてん、と心底不思議そうに首を傾げるエリーを前に、彼女の先輩はつい苦笑いをしてしまう。クールに見えてその実馬鹿みたいなお調子者ではあるが、時折見せる世間ずれしていない微笑ましさを彼女はとても気に入っていた。
「知り合いがこっちで店やってんのよ」
「……奴隷の?」
「そ、奴隷の。聖王国も色々とあれだからね~」
「そうなんですか」
そう、こうして無表情で聞いているように見えて、内心口を半開きにして、ほへーとでも言ってそうなところとか。だからこそ『竜骸』の相手を一時変わらせるという殺人的行為も、ちょっとした嫌味一つで済ませたのだ。そんなさっぱりとした気性の彼女だから、『竜骸』への対処もさっぱりしていた。
「私もそこ以外知らないから、もうそこの紹介状書いて投げちゃった!」
「……先輩、今日友達一人減りましたね」
「えっそれそのままの意味? それとも命的な意味?」
「明日になれば分かりますよ」
「こっわ」
『竜骸』様なら命までは取らないから、精々店と骨が消し飛ぶくらいかな。今日の仕事はもう終わったと勘違いしたエリーは、呑気にお茶を楽しみながら他人事のようにそう思った。
次回第四話「かわいそうなお店の人」です。