時は遡って決闘の前、アリスを連れて帰った次の日のこと。椅子を軋ませながら、オウルが心底面倒臭そうに口を開いた。
「結局のところ、『聖女』をどうかしねぇとどうにもならねぇだろうな」
「やはりオウルさんもそう思われますか?」
「ああ。『聖女』を諦めるってのは、あいつらにとっちゃ自殺みたいなもんだからな」
「へー。アリス愛されてるね」
「私ではなく『聖女』リリアンのこと、ですけどね」
不思議なことに、アリスは自嘲気味にそう零す。頑張って『聖女』をやっていたという証拠なんだから、むしろ胸を張って自慢してもいいと思うのだけれども。その疑問はオウルが視線で止めて来たから聞くのを止めた。代わりに根本的な問題、聞き忘れていたことを確認してみる。
「そもそもなんだけど、『聖女』って普通に辞められないの?」
「私の知る限り、引継ぎ式に伴う特別な儀式でのみ退任出来ると伝えられています」
「うーん。オウルは何か知らない?」
「知ってんならとっくに言ってる。まあ、手段を選ばなきゃ、あるにはあるんだが」
「ほんと?」
「……どのクラスも、死ねばなくなる。『聖女』だろうが関係ない」
自分で言っておきながら、オウルはそのアイデアを鼻で笑った。
「論外だろ?」
「うん。絶対駄目」
「……」
だけど歴代『聖女』の大半が引継ぎ式と同時に姿を消して、恐らくはそのまま死んでいる。そんなアリスの調査結果を知っている僕達はどこも笑えない。引継ぎ式に特別な儀式なんて無くて、皆オウルの言う方法で引退した。どんどんこの説に信憑性が増していく。
顔を伏せてしまったアリスを戻すため、思い出した疑問を解消するため、僕はもう一度問いかけた。
「そういえばアリス、昨日は何か考えがあるとか言ってなかったっけ?」
「なんだ、何かあんのか」
「……あれは実践出来ても、応急処置くらいにしかならなかったと思います」
こちらをご覧ください。そう言ってアリスが机の上に置いたのは独特な装飾、封印の術式が刻まれた、見覚えのあるガラス瓶だった。それを掴み取り、オウルは手の中でくるくると回して観察する。
「こいつは封具の類。そうか、ゴルゴンに使ってたやつだな」
「はい。隊長室より押収しました。例のゴルゴンとの照合結果を聖王国に送ることで、ライラックを更迭させられるはずです」
アリス曰く、この封具は対象との間に共通する印が浮かび上がるらしい。それを確認した後聖王国の書類と照らし合わせることで、隊長の人の罪を証明出来るとか。法律の話だ。理解出来たことにしておこう。神妙な顔を作って無言で頷く。それを見たアリスがくすりと微笑んだ。
「あの隊長の処理方法は分かった。その後どうすんだ?」
「迷宮都市デルファへ魔物を解き放つ。これは人類社会への挑戦であり、歴史に残る暴挙です。いくら聖王国とはいえ、この国を揺るがす事態を前にしては引継ぎ式を優先出来ません。少なからず延期をします」
「じゃあそれが応急処置?」
「いいえ、これだけではおおよそ一か月程度にしかなりません。加えて、このような事件を引き起こしたのは、本国のデルファ駐屯部隊に対する管理が甘かったから、という風に国内の意見を誘導します」
「しれっとヤベーこと言ってんな」
「実権こそほとんど持ちえませんが、曲がりなりにも『聖女』ですから。『私』が黒と断言すれば、一般信徒の方々は白でも黒だと信じてしまいます」
言葉尻も表情も、まったく冗談を口にする時のものじゃなかった。正直信じられないことだけど、ここまでアリスが言うなら聖王国の人はそうなんだろう。でもやっぱり、どうあっても白は白、黒は黒のままだと僕は思う。
「決闘は駐屯部隊の暴走を止めるため、『竜骸』の協力を得て『聖女』が提案したもの。再発を防ぐため、しばらくの間『聖女』は現地で睨みを利かす。この説明で国民と諸外国については、ある程度の理解が得られると思います」
「についてはってことは、出来ないのもいんのか?」
「上層部は納得しないでしょう。恐らくは適当な王族、継承権の薄い第三、四王子の派遣でお茶を濁そうとします」
突然出て来た王族、王子という単語にはっとする。そう言えば聖王国、王国だった。王様がいる国だった。僕がその影の薄さにびっくりしている間にも、アリスの説明は続いていく。
「そこで申し訳ないのですけれど、イリアスくんを、『竜骸』ダアト様を名目にさせていただくつもりでした」
「僕?」
「探索者『竜骸』ダアトは単独でゴルゴンを圧倒出来る在野の猛者。今回の縁を利用して聖王国に引き入れるため、『私』自ら説得します。そのような理由をいくつか用意していました」
「そんなんで納得すんのか?」
「します、というよりもさせます。この状況では引き継ぎ直前の『聖女』を遊ばせる余裕は無い、などと予め幾人かに吹き込んでおけば容易いでしょう」
涼し気に語るアリスには、またまた冗談の気配はまったく無い。そのさっぱりとした真顔にオウルは思い切り引いていた。それに気づいた上でスルーして、アリスは言葉に迷いながら視線を落とした。
「このための時間を稼ごうと、昨日はイリアスくんに駐屯部隊への決闘提案をお願いしたのですが」
「アホのイリアスが聖王国そのものに宣戦布告したから、もうこの手は使えなくなったと」
「あ、あほというか、えぇと」
困ったように微笑んで視線を泳がせた後、アリスは控えめに僕へ視線を向けた。
「い、イリアスくん、どうして聖王国全体に決闘を申し込んだのですか?」
「だって、面倒じゃない?」
僕の発言にアリスはぱちくりと瞬きを繰り返し、オウルはいつものようにおでこへ手を当てる。二人に、特に失礼な反応をするオウルへちゃんと伝わるよう、その理由をしっかり語った。
「アリスも、オウルもさっき言ってたでしょ。何をしても言っても、聖王国は絶対アリスを諦めない、ずっとずっと追いかけ続けるって」
「それは、はい、確実に」
「そういう言っても聞いてくれない人はね、最後はもう殴るしかないんだよ!」
「脳筋過ぎる。もっと頭使え」
「むっ。ちゃんと不殺殺法するから凄く使うよ!」
「そうじゃない。つーか、あれを不殺殺法呼ばわりすんのはやめろ。魂の殺人だ」
とてもとても深いため息と拳骨を同時に繰り出したオウルは、赤くなっていない方の手で封具をもう一度手に取る。光を反射しキラキラ輝くそれをぶらぶらさせながら、胡乱な目線もぶつけた。
「それはそれとして、こいつもったいねぇな。せっかく相手の弱み握ってんだから、何かに使いたいところだが」
「現状ですと難しいですね。国を挙げての決闘になった今、『赤剣』のライラックは貴重な戦力。『聖女』が掛かっている以上、各派閥も争うどころか協力し合うはずです。下手に本国へ送ったところで、揉み消されるだけでしょう」
「難しいの範囲なのか、それ」
「……一応、この状況でも正しい沙汰を下ろしてくれる子に心当たりがあります」
断言するアリスは確信に、その子への信頼に満ちていた。珍しい。思い出してみると、ずっとアリスは聖王国の全てに微妙な反応をしていた。それなのにこれってことは。期待を込めて聞いてみる。
「アリスの友達?」
「残念ながら友人ではありません。『聖女候補』のアカシアという少女です。聖王国で最も苛烈かつ公平な彼女なら、絶対に揉み消しなどせず、周りにもさせません。家の力を使ってでも、必ず明るみに出してくれます」
「ならそいつに渡せばいいじゃねぇか。何が難しいんだ?」
「問題は送る手段です。通常の郵送手段では届く前に検閲が入ってしまいます。かといってアカシアへ直接渡すことの出来る伝手を、手段を私はこの街に持っていません」
「そりゃそうだろうな」
無念そうに首を振るアリス。がっくりしてガラス瓶を置くオウル。そんな二人の様子を見てしまえば、自分がやらかしていたことを深く深く実感する。殴ればいいや、じゃなかった。僕が、『竜骸』が出くわす問題は大体いつもそれで何とかなってたから、手癖でつい暴力が出てしまった。
「その、ごめんね? アリスが一生懸命考えたの、なんだか無駄にしちゃったみたいで」
「今更か」
「いいえ。先ほどお話しました通りこれは時間稼ぎ、逃げでしかありませんから」
そうは言ってくれるものの、こんなにたくさん作戦を立てていたアリスなら、その作った時間でもっともっと色んなことが出来たはず。僕が後悔し始めかけた時、オウルがざっくりと口を挟む。
「まあ、終わったことにぐちぐち文句言っても仕方ねぇ。イリアス、さっさと話戻せ」
「……アリスの、『聖女』をどうするのって話?」
「ああ。さっきも言ったが、こいつをなんとかしねぇと根本的な解決にはならない。お前がいくら決闘で暴れようが、アリスがどれだけ時間稼ごうが、聖王国はいつまでも諦めないだろうよ」
「ごめんなさい、こんなにも迷惑をかけてしまって」
「大人の都合でガキが謝んな。んな暇があるなら自分のこと考えろ」
アリスの謝罪を鬱陶しそうに切り捨て、オウルは言葉を繋いだ。
「で、どうだ。なんかあるか」
「クラス、クラスかぁ。全然縁が無いから分かんないなぁ」
「恥ずかしながら、私もです。『聖女』を辞める方法など、皆目見当もつきません」
「……こういう時は、そうだな」
うんうん唸る僕達を前にして、オウルがおもむろに立ち上がる。そして部屋の隅からスケッチブックを持ち出し、素早い手つきでペンを走らせ始めた。唐突なお絵描きに揃って首を傾げていると、あっという間に描き終わったらしい。オウルはそれを乱雑に置いた。そこには女の子、多分アリスが適当に描かれていた。
「いいかお前ら、『聖女』だクラスだって考えるからややこしくなる。必要なのは発想だ。これを、ここから、無くす手段があればいい。何も考えずにとりあえず言ってみろ」
そう言って、超雑な字で聖女と書かれた小さな紙片が女の子の上に重ねられる。聖女、この紙片を女の子から無くす方法。思い付きのまま手を伸ばし、紙片をひょいっと持ち上げた。
「外す!」
「無理だな。クラスシステムは魂をコーティングして、その表層に術式を刻んで発現させている。変に干渉すればそのままお陀仏だ」
「差し替える、別のクラスを取得するというのはどうでしょうか?」
「それも難しいな。確か固有クラスの術式優先権は最上位に設定されてたはずだ。仮に他のクラスの取得条件を満たしても、『聖女』に弾かれるだけだろうよ」
「壊す!」
「死ぬわ」
それから僕もアリスもオウルも、あれこれ色んなやり方を言ってはボツを食らい、出してはダメ出しをされる。そんな試行錯誤の途中、少し問題を勘違いしていたことに気がついた。
「これってさ、紙じゃなくて聖女の部分が無くなればいいんだよね」
「まあ、そうだな。問題なのはそこだ」
「だったら、そこだけ塗り潰す、とか」
「……悪くねぇ、いい線行ってるとは思うが、方法が思い浮かばねぇ」
顎髭を弄るオウルが、ニヤリと笑みを浮かべる。
「だが、お前は違うみたいだな」
「うん。でも、えっとね、これは」
オウルの推測通り、あるにはある。けれどもこれは凄く、とても悪いこと、いけないことのはず。言葉に迷ってアリスの方を向くと、背中を押すみたいに力強い頷きと穏やかな微笑みが返って来る。
「イリアスくんなら、私は何でも平気です」
「だけど多分、ものすごく酷いこと、最低な提案だと思うから」
「大丈夫です。私はイリアスくんを信じています。だからイリアスくんも、私を信じてください」
「……そこまで言うなら」
言葉にも瞳にも強い信頼が宿っている。アリスのような力が無くても、それは僕にしっかり伝わった。だったら言ってみよう、話してみよう。大事な話をする時のオウルを思い出し、咳払いを真似てから切り出した。
「あのね、アリス」
「はい」
「ちょっとだけ、ほんの少しの間だけ、僕のものになってみない?」
「なります」
「こっわ、即答かよ」
一切迷いがなかった。
次回「決闘前にしていたこと 後」です。一万字を超えたので分割します。