色々下調べを終えてから三日後、大体一か月ぶりに歓楽街の奥の奥、街の北端部分にあるお店をアリスと共に訪れる。少し懐かしさを覚えながらそのお店の扉を開き、気持ちよく居眠りしていた店番の人に声をかけた。
「店主はいるか」
「へっ、あっりゅ、『竜骸』様!? お、おおおお、おま、お待ちください!!」
迷宮で命からがら逃げだす探索者もびっくりの速度で、店番の人はお店の裏へ走り出す。一分もしない内にこのお店の店長さん、奴隷商人のヤードさんが脂汗を滴らせながら滑り込んで来た。ヤードさんは腰がへし折れそうなほどの低姿勢を保ちつつ、恐る恐る僕に問いかける。
「お、お久しぶりです『竜骸』様。ほ、ほほ本日は、何用でございますか?」
「奴隷契約をしに来た」
「は、え? こ、こちらの方と、ですか?」
「ああ」
しげしげと、ヤードさんは今日も今日とて僕のローブを着込み、フードも被るアリスを眺める。足先から頭の天辺まで何往復もしていた視線は、やがてアリスの右手辺り、決闘の印が光るところで止まった。大きく唾を飲む音が聞こえる。これだけピカピカしてたら目立つし気づくよね。
「まさかこちら、巷で噂の決闘の」
「そうだ」
「……それは、それは流石に、無理な」
聞いていた通り、この状況だと契約に二の足を踏んでしまうらしい。事前に決めた作戦に従って僕は黙る。ヤードさんの相手は交代だ。一歩前に出たアリスが、僕に代わって屹然とした口調で話し始める。
「私を販売していたそうですね」
「……は?」
「このお店に石像として御厄介になっていたと、ダアト様よりお聞きしました」
「あ、あんた、あの石像の、まだ生きて」
「また、聖王国で私を仕入れたことも聞きました。あの国では石化した人間の取引は禁じられている。ご存知ですよね」
「……え、えぇ、もちろん。ですが、ここはデルファです。この街でなら」
「その通りです。しかしこの街でも人身売買は、『奴隷』以外の取引は当然禁止されております」
されているらしい。アリスは自分の国だけじゃなくて、デルファの法律にもとっても詳しかった。凄いなぁ、僕なんか法律の本読んでも三ページ目で眠くなっちゃうのに。呑気な感想を抱く僕とは違い、アリスとヤードさんの間には緊迫した空気が漂い始めていた。
「そして御覧の通り、私はこうして生きています」
「まさか、俺を脅して、だがそれは『竜骸』様も」
「帳簿を見せていただけますか?」
「な」
「私をどのように販売したのか、確認させてください」
反論に開きかけた口は、アリスの鋭い要求であっさり縫い付けられた。そしてその圧倒的なプレッシャーは他の行動を許さない。ヤードさんは言われるがままお店の奥に駆けて行き、すぐに一冊の本を、このお店の帳簿を持って来た。
手渡されたそれをぱらぱらと捲り、アリスはほっと息を吐く。
「予想通り、雑費で計上していますね。雑な経理で助かります。これなら、奴隷販売に修正しても問題ないでしょう」
「俺に帳簿の書き換えをしろって」
「それは人身売買よりも重い罪でしょうか?」
穏やかで優しい、鈴の音みたいなアリスの声は超神秘的、超怖い。横で聞いている僕でもそうなんだから、向けられているヤードさんはもっとだろう。元々青白かった顔が、白を超えて透明になろうとしている。そろそろ死にそう。会話で人は殺せるのかもしれない。
「だ、だけど、決闘法に逆らうと、裁きの雷が下るって」
「詳しいですね」
「古いダチが、そういうことに詳しくて、俺、俺はまだ、死にたくは」
「安心してください。記録上死者は出ていません」
「そもそも、そもそも『竜骸』様、どうしてわざわざ、このお嬢さんを奴隷に」
「……聖王騎士団への対策だ。奴らの望みを断つ」
僕に直接聞かれてしまったから、ありのままを答えた。これはあの人達が求めている『聖女』リリアンさんを、この街から消すための一手。
奴隷堕ちした人はクラスが『奴隷』に固定される。アリスと出会ったあの日、エリーさんが僕に教えてくれたことだ。これは魂のコーティングを初期化する都合上固有クラスも、『聖女』であっても例外じゃない。不思議とクラスについて詳しいオウルが、マジかこいつ、みたいな目をしながらそう保証してくれた。
「奴隷契約をすれば、聖王騎士団が絶望するんですか?」
「どうだ」
「間違いなくします。……なんだか、自意識過剰みたいですけれど」
「確実にする」
もらった太鼓判をそのままヤードさんへ横流しする。反応は無言。黙って俯いて、じっと考え込んでいるようだった。追撃は、アリスが口の前に人差し指を立てたから中止する。
それからヤードさんは少しの間震えに震え、その後急に勢いよく顔を上げ、拳を握り締めながら宣言した。
「……分かりました! あいつらに一泡吹かせられんなら、俺ぁ、俺ぁ、男になります!!」
「今まで男じゃなかったのか」
「ダアト様、今はそういうのはちょっと」
案内されたお店の奥、ほの暗い一室の床には魔法陣が刻まれていた。小さな三つの円陣を囲う巨大な魔法陣。ついこの間見た、使ったものと同じ構成だ。ぽろりと出た感想にアリスが素早く補足する。
「決闘の契約に似ている」
「なんでも、源流は同じらしいですよ」
傍で囁くアリスの声色は軽い。これから『奴隷』にされてしまうのが嘘みたいだ。この世界で生きる人々にとって、クラスとスキルは神様の祝福とされているらしい。言い換えてみれば、神様からの愛情。実際はどうでもそう信じられているものを、僕は今からアリスから奪うのに。
「本当に、いいのか」
「もちろんです」
確認しても最初に提案した時と同じく、その返事に迷いも躊躇もない。あまりにも無さ過ぎて、僕の方にそういうのが芽生えて来た。ただ、それを出す時間も機会も無い。奴隷契約の手順や道具を確認していたヤードさんが、大きな声で僕達を呼んだからだ。
「準備終わりました!」
「行きましょう」
「……ああ」
アリスに催促され一歩踏み出した瞬間、背後の空間が歪む。同時にデルファでは、人類社会では中々味わえない、具現化しかねないほどの怒りと敵意が体中に突き刺さる。輝きに振り向けばそこには、過ちを照らし出す黄金の天秤が浮かんでいた。
「来たな」
虚空から出現したアストラエアの天秤は、何の前振りも無く裁きの雷を放つ。ターゲットは僕とヤードさん。アリスが狙われていないことを確認してから、その雷光を手刀で打つ。弾かれた雷が壁を焦がした。
「ひやぁっ!?」
「契約を始めろ。雷は防ぐ」
「は、はいぃ! わ、我、『商人』ヤードの名に、名に、な、ななっ」
回らない舌で口上を並べようとするヤードさんへ向け、休むことなく雷が続けられる。おかげでヤードさんは満足に口を開けず、催促しても契約口上はまったく進まない。やがて完全に止まってしまう。
大きな一撃、散発的なもの、裏をかく挙動。多種多様な雷を防ぐのに魔法は使えない。僕の魔力がスキルを圧し潰し、契約の魔法陣を歪める可能性がある。そうなれば、ほぼ確実に契約は成立しなくなる。だから一つ一つ、丁寧に手作業で砕いていく。
「一度では終わらないか」
「記録通り、中止するまで続くのでしょう。ここからは私にお任せください」
「分かった」
奴隷契約を結ぼうとすれば、必ず天秤が裁きを下しにやって来る。アリスの予想はここでも当たっていた。賢いアリスは前もってその対策を考えて、ここまでの流れで準備してきた。さっきヤードさんをもの凄く怖がらせていたのもその一環だ、多分、きっと。
「天秤の君、どうか私の声をお聞きください」
フードを外し跪くアリスの声を受け、雷が一度止む。静寂の中、アリスは天秤に訴えた。
「この契約は正当なものです。帳簿上、私は奴隷として販売されました。この身を買い戻す金銭を持たず、保証人になり得る血縁も知らない以上、自由である今がおかしいのです。これは決して、私を損なうものではありません。正しい形を取り戻すための契約です」
アリスが作りあげたお膳を、天秤は最後まで聞き届けてくれた。けれども返答は雷の光線だった。今回も叩き落す。今のは恐らく、ヤードさんに当たっていれば片手が消し炭になっていただろう。
「のほぉっ!?」
「威力が上がったな」
「……大変申し訳ございません。この期に及んで私は、また見栄を張りました」
僕に、そして天秤に恥じるよう告げてから、アリスは黙り込んでしまった。天秤も同様に動きを止める。微動だにせず空中に佇むその姿は、何故か悪いことをした僕を見つめる時の先生を思い出させる。ヤードさんの契約口上が進まない今、この場は沈黙に支配されていた。
アリスの静かな、深く大きな呼吸。ヤードさんのひたすら荒い呼吸。二つの呼吸音のみが流れる時間は、アリスが再び天秤へ希うことで終わる。
「私は」
『……』
「生まれ落ちたその瞬間に襲名し、私は『私』とされました。これまでずっとそれでいいと、そのまま終わるのだと、受け入れたつもりで生きてきました。何かになるため努力したことも、望んだことすらありませんでした」
けれど、そう続けたアリスが顔を上げる。
「『私』は幸運にも、私を頂いてしまいました。私を想ってくれる方と、出会ってしまいました。『私』を捨て、私でありたいと願ってしまいました。だからこの契約は、私を縛るものではありません。私から未来を奪うものでありません。私を繋ぎ止めるものです。私に明日を与えてくれるものです」
そこまで言い切ったアリスはじっと天秤を見つめた後、再び頭を下げる。最初の跪くような、祈るような姿勢よりもっともっと低く、やがて床に届いてしまう。天秤と同じ色、綺麗な金色の髪が魔法陣の上に広がっていく。
「屁理屈を、無礼不義理を承知でお願い申し上げます。この契約を認めてください。どうか、何かを選ぶ、何かになる権利を私に」
震える声と呼吸で、アリスは懇願した。
「どうか私に、人生をください」
アリスの願いはそこで終わった。聞き終えた天秤はすぐに動き出す。今度は雷を放出せず、黄金の光をその身に集め始めた。
「裁きが、治まって……?」
治まってはいない。あれは収束、力を溜めているだけ。やがて凝縮された魔力の雷は質量を得て、一本の槍として世界に顕現する。天秤、一介の魔道具では、スキルでも到底届かない、許されない力。不自然なまでに強力なそれの照準を、天秤は僕に向ける。
ただ、威力よりもっとおかしいことがある。ついさっきまであった怒りと敵意が何故か、そこには一切感じられなかった。
僕の疑問などどうでもいいとでも言うように槍は放たれる。当然それも粉々に砕いた。どれだけ威力を上げようと僕には届かない。
しかし、それが天秤の狙いだったらしい。砕かれた槍から新たに雨粒ほどの雷槍が生まれ、一瞬にして天井付近まで浮かび上がった。そしてすぐさま文字通り、裁きの雨として降り注ごうとする。瞬きの後には着弾しているだろう。
そのわずかな間で数、位置、威力を可能な限り推測した。数十、数百、数千、数えきれない。部屋全体。一撃は軽い火傷程度。ただし、数が揃えば体も魔法陣もただでは済まない。人は大怪我、魔法陣は壊れるだろう。全てを防ぐのは難しい。どう対処すべきか。
迷うはずもない。まずは拳圧を飛ばし、ヤードさんに当たりそうなものを適当に吹き飛ばす。何発か当たったらごめんなさい。それから魔法陣に落ちる雷は無視し、アリスへ飛ぶものだけに集中する。数が増えてもやることは変わらない。向かう全てを破壊する。
追撃が無いことを確かめてから、座り込むアリスに手を差し伸べた。
「怪我は」
「は、はい。イ、ダアト様は」
「問題ない」
そんな返事はしつつ、内心自分の行動に引っかかってしまった。冷静に考えてみれば、アリスは僕のローブを着たままだ。守らなくても別に、怪我なんてしなかったかもしれない。でもでも、あの天秤はなんだかおかしい。予想を超えた万が一があったかも。貫通効果とか。
何のためかも分からない言い訳を頭の中で回していると、ほっとしていたアリスの顔が突然固くなる。それは天秤がふよふよと近づいて来たから、そしてそのまま僕達の周りを飛んで回り始めたせいだった。
「なんのつもりだ」
この行動だけじゃない。アリスを巻き込む攻撃をしたことも含め、天秤に問いかける。
色んな事情があって僕達は、アリスも決闘の契約に背こうとしている。そして、実際に天秤と交渉しようとしたのもアリス。それでもこの奴隷契約において、アリスは奪われる人、どうあっても被害者だ。そんな子にあれだけの脅威を向けるのは絶対に筋が違う。抑えきれなかった怒気が、声に混じってしまった。
『……』
けれども天秤は何も語らず、そのまま音もなく虚空へ消える。その一連の挙動に、僕達二人は一緒に首を傾げてしまう。どういう意図があったのかは理解出来ない。出来ないけれど、こうして裁きは止まって、天秤は去って行った。ということは、つまり。
「認められた、ということか」
「……恐らくは」
それでも念のため、周囲を警戒して観察する。その途中視界の隅に、というか部屋の隅で小さく丸まるヤードさんを発見した。完全に忘れてました、ごめんなさい。
「無事か」
「お、終わった、んですか?」
「そのようだ。契約は続行出来るか」
「あっか、確認します!」
僕の質問を受け、ヤードさんは床の魔法陣をぺたぺたと触って確かめ始める。実際はどうなのか、まだ分からない。けれどもここから、僕が見る限り魔法陣は無事だ。それどころか、雷が落ちる前より精度が上がっているようにすら思える。数分もすればヤードさんの作業も終わる。その結果は、僕の勘が正しいことを証明していた。
「ふ、不思議なこともあるもんですねぇ。早速、契約の準備をやり直します!」
一度中断したからか、また初めからになってしまうらしい。ヤードさんがあたふたと動き回る間、消化しきれない疑問を口にする。
「はたして天秤は、何を狙っていたのか」
「……これは、あくまで想像ですが」
「構わない」
「試されたのかもしれません」
「何を」
「私の覚悟を。ダアト様の、お心を」
覚悟に心。範囲が広すぎて、僕では何も分からない。分からないものの、結果は上々で、アリスもなんだか納得したような雰囲気だ。なら、今はいっか。お家に帰った後、機会があったらアリスに教えてもらおう。そう整理をつけて、僕達は契約に臨んだ。
そして決闘の時と同様、奴隷契約も意外なほどあっさりと済んでしまった。
「そ、外でお待ちしてますので、ご確認を、お願いします!」
ヤードさんはそう言って、部屋からそそくさ逃げて行った。やっぱり『竜骸』が恐ろしいらしい。その割には外から扉に耳を当てて、聞き耳を立てているみたい。行儀が悪いから扉に軽く電流流し、悲鳴が聞こえた後防音の結界を張る。
その様子を苦笑いで見守っていたアリスは、ぱっと見た感じだとそんなに変わらない。それでも何かあるかもしれないから、傍に寄って聞いてみた。
「どうだ」
「なんだか凄く、不思議な感じです。全身に力が入らなくて、頭もぼんやりして回りません」
「大丈夫なのか」
「平気、です。体は重いですけれど、心はむしろふわふわしてます。これはきっと」
「?」
「今までで、五番目くらいに嬉しい気持ちです」
「…………それは、微妙だね」
「はいっ」
本人が言う通り、それはとてもふわふわした笑みと返事だった。
次回「決闘 終」です。