聖王国が『聖女』と主張する少女が、実際は『奴隷』だった。急展開への困惑と沈黙に支配された空気を破ったのはエリーだった。
「……約一月前、御相談を受けた件に関わることでしょうか?」
「ああ」
『竜骸』の頷きに彼女はほっと息を吐く。そのやり取りを合図に外野の時も動き出す。ざわざわと、それぞれが好き勝手にヤジや推測を加速させた。
「そういや、一時期噂になってたよな。『竜骸』が『奴隷』を生贄にするとかどうとか」
「聞いた聞いた。でもあの子、どう見ても生きてるぞ」
「……死霊術を試したとか?」
「やめろよ怖ぇよ。顔見せない理由納得しちゃったじゃねーか」
野次馬達の注目、無遠慮な目が集まるもアリスはまったく動じない。『聖女』だった頃はより多くの視線、より重い信仰を常に向けられていた。その人間味を感じないあまりにも堂々とした立ち姿は、『奴隷』の少女ゾンビ説を補強したらしい。
そんな中、未だライラックは動揺を鎮められずにいた。
「……馬鹿な。その方が『奴隷』な訳が、あの輝きを、確かに私は」
「見間違いだ」
「ありえない、『聖女』様の光を、我々が尊き祝福を見誤るなど!!」
「取引は一月前に完了している。決闘後に調べればいい」
その怒りをすげなく『竜骸』は切り捨てる。歯嚙みするライラックはその表情とは裏腹に、心中では冷静な思考を重ねていた。あの方が『聖女』でなかった。絶対にありえない。だが現実は。どうすれば辻褄が。時間にして数秒後、彼はその答えを導き出した。
「読めたぞ。貴様が本部を急襲したあの日、団員達の前に現れるまで僅かな間があったと聞いている。その間に『聖女』様をかどわかしたあげく、その少女を『聖女』様と偽り入れ替えた、という訳か」
「……」
「我々がお連れした方とその子が同一人物という証明、どうやら出来ないようだな」
いささか無理のある言いがかりではあるが、それはアリスも指摘した穴だった。この可能性がある限り、聖王国は決闘に臨む。そのため戦わずして勝つことは出来ないが、それでも今暴露したのは多くの意義があるからだ。
まず、聖王国が現『聖女』を認識しているか確認出来る。アリスが『奴隷』となった時点で次の『聖女』は誕生している。だが彼女の予想が正しければ、彼女の思う『聖女』が目覚めていれば、聖王国はその動向を把握していない。ライラックの反応はそれを証明していた。
アリスが立てた作戦、その第一条件の成立を確認した『竜骸』は、事前に教えられた追及を思い浮かべようとする。しかし彼が思い出す前に、野次馬からその言葉は飛びだした。
「なら逆に、あん時連れてったのが『聖女』サマって保証も無くね?」
挙げられた疑問の声にざわめきが再び止まる。声の主は気づかないふりをして、横の同僚に問いかけた。
「確か騎士達、あの子に『鑑定』なんてしてなかったよな?」
「あっはい。み、見た限りそうでした」
「でもよ、あの嬢ちゃんが『奴隷』ならどうやって石化治してたんだ?」
「『奴隷』でも魔道具は使えるだろ。『竜骸』ならなんか持ってんじゃねぇか?」
『門』に集まる者全てに届くよう、声高々に雑談するのは迷宮協会のとある傭兵と自警団。あの日、ゴルゴンに最後まで立ち向かっていた者達だった。集まる視線、『竜骸』のそれも察知した傭兵は引き攣った笑みを作って返す。一流の探索者は、元が付く彼も受けた恩は忘れない。
エリーはその逆転した疑問を拾い上げ、またしても代表としてまとめ上げた。
「『鑑定』等、確認はされていなかったのでしょうか?」
「……そのような非礼、『聖女』様に出来るはずもありません」
「では、その方が『聖女』様であったか真偽は不明と」
実際聖王騎士団はアリスに『鑑定』を、それどころか顔の確認すらしていない。
『聖女』を妄信するライラックはアリスの言葉を、暗に自身の正体を認める発言を微塵も疑わなかった。防護効果のある服を常に身に纏い、誰にも顔を見せない理由も一人で納得していた。後見人である前教皇に暗殺されかけた『聖女』様が周囲を警戒するのは当然。我々を信用出来ないのも無理はない。その危機感は尊重されて然るべきだ。
一方、騎士の中には懸念を持つ者もいた。しかしその誰もが、隊長が確信されているのであれば問題無いだろう、と次の瞬間にはそれを投げ捨てていた。ライラックの思想教育が実を結んだ結果である。
『竜骸』が連れ出した少女と聖王国が保護した少女が同一という証拠は無いが、そもそもその少女が『聖女』だったという保証もない。前提が揺らぐ今、ライラックはそれを押さえようと試みた。
「……決闘について、追加の要求をする」
「何だ」
「我々が勝った際には『聖女』様を、『聖女』様に関する情報を、全て渡せ」
どれだけ薄い可能性であろうとも、聖王国はこの提案をせざるを得ない。仮に決闘で勝った上で迷宮を支配出来たとしても、そこに『聖女』がいなければ片手落ちとなる。ライラックは聖王国の代表として、『聖女』を取りこぼしかねない行動は取れなかった。
「いいだろう」
苦みの走る彼の要求に『竜骸』はあっさり頷いた。眉間へ皺を寄せるライラックに、『竜骸』は台本通りのセリフを返す。
「代わりにこちらも追加だ。負けた者はこの決闘に賭けたものに、二度と手を出すな」
「……分かった」
受け入れがたくとも、ライラックは飲まざるを得ない。渋面で了承するのを確認した『竜骸』が見届け人であるエリーに視線を送ると、ちょうどアストラエアの天秤を呼び出すところであった。
そして数分後、天秤は変更を受け入れた。
契約変更を終えた天秤が虚空に消えるやいなや、ライラックが勝利のために動き出す。
「皆様、今一度お力をお貸しください」
彼の号令に従い、デミウルゴス像は宙へ浮かび上がる。迷宮の再編に巻き込まれてもなお、その威容は健在。時空を操る聖女像の集合体にとって迷宮の干渉程度、防ぐのは容易であった。
陽の光を浴び一層輝く姿に見惚れた後、ライラックは握りしめた剣を『竜骸』に向ける。
「降伏をしろ、『竜骸』」
「……どういう意味だ」
「迷宮内での貴様の一撃、恐ろしいことに『神の息吹』と拮抗していた。だが、拮抗止まりだ。無限の力をお持ちになる『聖女』の皆様とは違い、あのまま続けていれば貴様は力尽きただろう」
どれだけ消耗しようと、その身を逆行させれば一瞬にして全快する。時を操る者と戦うというのはそういうことだ。
光の速度。クラスとスキルの否定。そして逆行による完全再生。一つでも人が抗うには過ぎた力を、デミウルゴス像は三つも兼ね備えている。全てに対抗出来る『竜骸』は確かに凄まじい。それでもこの神の奇跡の前ではいずれ倒れ伏すと、ライラックは心の底から信じていた。
「今からでも遅くない。こちらに下り聖教の教えを受ければ、貴様でも人としての生を」
「……聖王騎士団デルファ駐屯部隊長、ライラック」
話を遮られたライラックが、その場にいた全員が驚愕に息を止める。あの『竜骸』が個人の名を口にした、それも声を掛けるために。最も衝撃を受けたエリーが直立したまま倒れそうになるのを、アリスが懸命に支えていた。
周囲の様子など気にも留めず、『竜骸』は更に予想外の行動を、称賛の声を上げる。
「今日はいい出し物だった。流石は劇団『トラゴエディア』だ」
「貴様、何を言って」
「喜劇の返礼に、手本を贈ろう」
続くのは意味の分からない、通じないはずの呟きだった。
「
にもかかわらず、それを耳にしたライラックの背筋に人生最大の悪寒が走る。家族を失った時、賊の刃が心臓を貫いた時、『聖女』の末路を知った時。どの記憶よりも流れる脂汗は、暴れだす心臓は、主の意思をよそに激しく働き続ける。
ライラックは自身の本能、直感に従った。降伏勧告などという甘い思考は捨て去り、デミウルゴス像へ飛び乗り過去最大、最速の祈りを捧げる。目の前の化物を、神敵を打ち倒す力を、どうか今ここに。
上空から地上の『竜骸』を狙うため、『門』にも余波が及ぶ可能性は高い。それでもライラックが躊躇しないのは、神の恩寵たる迷宮を『聖女』の力が破壊する訳がない、という妄信もある。だがそれ以上にそんな配慮や思考をする余裕など、今の彼には存在しないからだ。
自身へ向けて急速に膨らむ光を『竜骸』は、イリアスは冷めた目で見ていた。魔法と違いスキルは感情に威力を左右されず、どれだけ祈ろうと迷宮内で見たものと出力は同じ。一度スキルの枠組みにとらわれないものを見て期待した分、落差は大きかった。
これは確かに自分を傷つけ得る輝きだ。魔法をも否定する力は『鎧』を剥がし、生身を焦がすだろう。けれどそれだけだ。百人もの人を捧げておきながら、未熟な自分すら殺せない。その程度で神の祝福を、ブレスを名乗るのはあまりにも片腹が痛い。
だからイリアスは宣言通り、ライラックに手本を見せることを決めた。
「
ライラックの、デミウルゴス像の全力が、存在否定の白光が地上へ堕ちる。本質を知らない野次馬達は呑気に見上げるだけ、警戒する者も密かに防護のスキルを使うのみ。その脅威を身に染みて理解したエリーだけは、アリスを連れて出来る限り退避していた。
その手を引かれるアリスはエリーを、デミウルゴス像のことも見ていない。彼女の目が惹かれているのは、ずっと地上にある黒い輝きだった。
「黒い、星……?」
彼女の視線の先で『竜骸』はゆっくりと息を吸い、同時に魔力を収束させていた。竜の血により活性化した心臓は、巡る魔力に耐えながら力を増幅させ、全てを破壊する業を成していく。
それは竜の象徴。それは破壊の具現化。それは遥か昔、勇者と共に神を打ち破ったもの。
「……おやすみなさい」
その力はかつて、『竜の息吹』と呼ばれていた。
別れの言葉とともに放たれた黒き極光が神の輝きを食らい尽くす。竜の力を前にして、偽りの神では拮抗どころか抵抗すら夢のまた夢。一瞬にして全ての白が黒に染められていく。それは白磁の擬神、デミウルゴス像も例外ではない。ライラックのいる掌を除く全身が黒の奔流に飲み込まれていった。
「なんという、いやまだだ、まだ、神の力は!!」
神を砕かれ墜落しつつも、ライラックは未だ諦めていない。デミウルゴス像の真骨頂はその無限とも言える再生、継戦能力にある。一度や二度打ち破られた程度で、その身は滅びない。そう信じているからこそ、彼の目には今も信仰の火が燃えている。
しかし、現実は彼に冷や水を浴びせた。彼が何をしようと、スキルを使おうと祈ろうと、デミウルゴス像の欠片、腕の一部は身動ぎ一つしない。石片に縋り悲痛な叫びをあげる彼の横へ、『竜骸』は緩やかに歩み寄る。
「何故だ、何故戻らないッ!?」
「存在しないものは操作出来ない」
『竜の息吹』には竜独自の特性がそれぞれ色濃く反映される。イリアスに流れる血、暴竜の特性は『破壊』、転じて『消滅』である。この力により因果を消し飛ばされたデミウルゴス像はもはやただの石。その欠片は決して再生することなく、動き出すことは二度と無い。
理屈は分からずとも万能感の消失と、代わりに覚えた空虚感によってライラックもそれを痛感していた。してはいたが、認めることなど出来ない。それは彼の人生の、これまで積み重ねた希望の否定にほかならないからだ。
虚空に向けて足掻き続ける彼の横顔を、『竜骸』は容赦なく打ち抜く。
「あ、がぁ」
骨肉が砕け散る音と共に、彼はありえない軌道で何度も跳ね回る。これで決闘も終わりかと再び静けさが満ちる『門』に、ライラックの荒い息遣いと立ち上がる音が響いた。
「……まだ、だ」
「ほう」
「私が倒れない、限り、まだ、戦いは終わらない」
自身の声で震える喉。大地を踏みしめる足。強化された感覚は僅かな抵抗すら地獄の苦しみに変化させる。その上でライラックは剣を拾い上げ、『竜骸』に構えてみせた。その姿を英雄と見るか、狂信者と見るか。どう受け取ったにせよ、『竜骸』はそこに興味を抱いた。
「何故そこまで戦う」
「真なる平等の、ため、『聖女』様を、取り戻すために」
「ここにはいない」
「だ、として、も、貴様を、帝国の兵器である、貴様、だけでも」
「全て見当違いだ。あの少女は『聖女』ではなく、この身は帝国の兵器でも無い」
「帝国、暴虐の、あの帝国に、だけは」
もはや『竜骸』の声も聞こえていないのか、ライラックはうわ言のように繰り返す。その様子に、イリアスは好奇心を抱いたことを一瞬で後悔した。質問をしても意味不明、否定をしても頭から拒絶される。人の最も理解出来ない文化、信仰から生まれる言動。耳にする度うんざりしていく。
そのせいか、ぽろりと本音が漏れ出てしまった。
「ずっと違うって言ってるのに、しつこいなぁ」
「………………子供の、声?」
「あ」
あまりにも場違いな少年の声が、ライラックの耳にだけ届く。数十年間孤児院へ足繫く通った彼は、これまで数百人もの成長を見届けた彼は気づいてしまう。それは甘えが許された子供の、愛されて育った者だけが出せる音。兵器では絶対に発することの出来ない声色。
『竜骸』が、子供。思いもしなかった事実が、苦痛で透き通るライラックの頭脳を巡る。理解しがたいが矛盾はしない。それどころかこれまでの『竜骸』の不可解な、考えたらずな、常識はずれの行動にはかえって一定の説明がつく。
『聖女』の行方同様、証拠は何一つ無い。空耳という可能性すらある。けれども彼は深く納得してしまい、膝から崩れ落ちて地面に転がった。
「……は、はは、はははははっ! ああそうか、そうだったな! 私に見る目が無いなど、とうの昔に、幼い頃より分かっていたはず!」
依然としてライラックの痛覚は過敏なまま。笑うだけで筆舌しがたい苦痛が全身を襲う。それでも彼は大きな声で笑い続ける。自身の滑稽さを、成長の無さを、変わらない無力を。あの日から、妹に与えた薬が偽物だった時から、自分は何も変わっていないと。
そうして息も絶え絶えになった後、沈黙を守っていた『竜骸』へ、おじさんの急な大笑いにドン引きしていた少年へ、ライラックは告げる。
「完敗だ」
「……」
「我々が求めたものはここには、私が求めていいものは、もうどこにもなかった」
遠い昔に向けて、彼は続けて呟いた。
次回最終回「○○の○のアリス」です。