あの決闘からしばらく経ったとある日、僕とアリスはヤードさんのお店から帰る途中、鑑定のため迷宮協会に寄り道していた。お願いをしたエリーさんが戻るのを待っていると、アリスが変なことを言い出す。それは今日出発する前にも聞かれたことだった。
「本当に、契約解除してもよかったんですか?」
「いいに決まってるでしょ。友達を『奴隷』にしたままなんて変、絶対不健全だって」
当然のことを言っている筈なのに、アリスは妙に納得してくれない。でもちょうどいい機会かもしれない。今までにも何度か注意しようと考えていたことを、唐突に思い出した。
「あのね、前から言おうと思ってたんだけど」
「……はい」
「アリスはいつも、自分のこと適当にし過ぎ。アリスはアリスのものなんだから、ちゃんと大事にしないと駄目だよ」
「分かりました、気を付けますっ」
ぺかぺか輝く笑顔に反省の色は見えない。本当に分かってるのかな。しらっとした目になるのが自分でも感じられた。それを受けてもアリスはずっと、結局エリーさんが声を掛けてくるまでぴかぴかしていた。
「お待たせしました。準備はよろしいでしょうか?」
「……あの、エリーさん」
「なんでしょう」
「僕達は大丈夫なんですけど、その、その人は大丈夫ですか?」
「……申し訳ございません。ただいま手の空いている鑑定職員は、この者しかおりませんでした」
びっくりするほど冷え切った表情のエリーさんが連れて来たのは、決闘の日にアリスを『鑑定』してくれたお姉さんだった。赤い顔にお酒の匂い、どう見ても酔っ払いだった。
「へーきへーき、だいじょうぶだよぉー」
「……あ、は、はい」
「うわーめっちゃ引かれてるー、余計涙出て来たー」
「その顔で来られたら私も引きます。というか酒臭いです。悼むのは結構ですが、そちらは仕事が終わってからにしてください」
「だって飲まなきゃどうしようもないんだよー、慰めてよー!」
「こっち来ないでください。せめて顔拭いてください」
大人としてダメダメなその様子に僕は、アリスも目を逸らすことしか出来ない。だって多分、これは僕がリンドウさんに渡したもの、あの証拠とアリスの手紙が引き起こしたものだから。
「うぅー、『聖女』様ぁー。どうしてー」
「それだとアカシア様が亡くなってしまうのでは」
「うぅー、リリアン様ぁー。どうしてー」
「……喪に服す人へイラッとしたのは、生まれて初めてです」
結論だけ言えば、アリスの想定はものすっごく甘かった。
決闘が終わってすぐ、聖王騎士団は駐屯部隊も含めて帰国することになった。僕があの石像を壊したおかげでなんだか色々大変らしい。そんな忙しい中、僕はリンドウさんを呼び出した。あの証拠を任せるならこのタイミング、この人しかいないと思ったからだ。
アリスに整理してもらったこと、隊長の人のこととかを全部そのままリンドウさんに伝えた。青くなったり赤くなったり、忙しなく顔色を変えて右往左往していたリンドウさんは、やがて僕のお願いにゆっくりと頷いてくれた。
『分かり、ました。お任せください』
『出世が遠のくと聞いた。いいのか』
『恥ずかしながら未だ不安や疑念、多くの雑念があります。ですが必ず、こちらをアカシア様へお届けします』
『それは、恩のためか』
『いいえ。たとえ『竜骸』殿以外から、誰に託されても私はこれを届けに行くでしょう』
『何故だ』
『……現実が絵本のようにいかないことは、この街で身に沁みて理解しました。それでも私はあの日夢見たような、人々を守る騎士になりたいのです』
その結果を後日、速報を耳にして思い切りむせたアリスの推測はこんな感じだ。
『かの暴挙の証拠に歴代『聖女』の末路、よくぞ伝えてくれました。感謝いたしますわ、騎士リンドウ。おかげで先日の決闘前、あの子から突然私にお鉢が回って来た訳も納得出来ました』
『もったいないお言葉です。……失礼を承知でお聞かせください。アカシア様は今後』
『クーデターを起こします』
『え』
『これは時間との勝負です。貴方もついて来なさい!!』
証拠を受け取ってから数分もしない内に、『聖女』の名において爆速でその事実を公表、怒り狂った民や騎士と共に王城へ突撃。そこで決闘の責任を押し付けあう政府、聖教の上層部をまとめてちぎっては投げ、ちぎっては投げ。アカシアさんなら勢い余って聖王まで牢獄に叩き込むらしい。凄いパワーだ。
そのとんでもパワーは処刑を求める人達を宥め説得し、恩やら何やら脅迫やらを使って上層部に何重もの首輪をつけてこき使い、ついでにあらゆる実権も掌握した、というのがアリスの推察だ。それが正しいのか混乱こそしているものの、聖王国は今日もそこそこ平穏とのこと。
『名とは体を表すものです。我々が『聖女』の皆様を人ではなく『リリアン』として、象徴として縋り崇め続けたことが、このような悲劇を生みました。故に私は襲名いたしません。かのお名前は悲しみや後悔と共に語り継ぎ、永久に我々の戒めとすべきなのです。そのために』
推測を語っていたアリスが、アカシアさんの就任挨拶予想中に勢いよく立ち上がる。
『これからはこの私、新たな光である聖女王アカシアが、聖王国を清く正しく導いて参りますわ~! おーほっほっほっほっほー!!』
『……ほへー』
『こほん。彼女のことですから、恐らくはこんなことを言っていたはずです』
『ね、ね、アリス』
『はい?』
『今の面白かったから、もう一回やって?』
『……や、やりません!』
『俺からも頼むわ』
『オウルさんまで!?』
結局そこはもうやってくれなかった。高笑いするアリス、凄く面白かったのにな。オウルと一緒にがっかりした。
ぼんやりとあの日のことを思い出している間に、エリーさんの態度はますます冷えていた。雑な手つきで先輩さんの両肩に手を置き、催促するようぐいぐいと前後左右に押している。
「とにかく先輩、早く仕事してください」
「冷たい! 英雄ちゃんに人の心は無いの!? 『聖女』様が皆、あんな若くして亡くなってたんだよ!?」
「……気持ちは分かりますが」
「しかもちょっといいなぁって思ってたイケオジが、とんでも犯罪者だったんだよ!?」
「とにかく先輩、気持ちは分かりませんのでさっさと仕事してください」
「超冷たい!!」
「あの、そこまで急いでいないので」
「わっ優しい! あっ可愛い! えっずるい、英雄ちゃんずるくない!? イリアスくんだけじゃなくて、こんな可愛い子も独り占めしてたの!?」
「私もお顔を拝見するのは初めてです。人聞きの悪いことと英雄ちゃんはやめてください」
エリーさんの要求を無視して、先輩さんはアリスの顔をじろじろと眺め続ける。感心したようにほほうほほうと繰り返す姿はとても怪しいけれど、同時に凄く好意的なものも感じる。初めて見るタイプの不審者だったから、どうしていいか分からない。アリスもそんな感じだった。
「おぉ、何度見ても顔がいい。良すぎて心なしか後光が見える、というか最近ずっと『聖女』様のこと考えてたから、アリスちゃんが『聖女』様に見えて来たかも」
「先ほどから一周回って『聖女』様への侮辱では?」
「あ、あはは」
御本人だから反応に困る。アリスもやっぱりそうだった。だけど困ってる場合じゃない。エリーさんの先輩さんは聖王国の人らしいから、このまま見続けられるとバレるかも。そろそろ帰りたいし、僕からも催促しよう。
「え、えっと、すみません、そろそろ『鑑定』を」
「わぁイリアスくんが話しかけてくれた、ってどうして逃げるの!?」
「お、お構いなく」
「私が構いたいんだよ~!」
「そういうところじゃないですか?」
エリーさんに冷たくあしらわれた先輩さんは、それからようやく仕事を始めてくれた。ふらふらした足と口調で『鑑定』を行い、結果を興味深そうに持ち上げる。
「ふっふーん。どれどれー、アリスちゃんのクラスはー」
帰り道、先輩さんが渡してくれた鑑定結果をもう一度アリスに見せてもらう。
「『癒し手』かー。便利なやつでよかったね!」
「以前の経験が生かせるもので助かりました」
「それにしても、アリスの言う通り『聖女候補』じゃなかったね」
「今の私では、あの条件は満たせませんから」
『癒し手』は医学の勉強をしたり、たくさん人を治したりして取得出来るクラス。癒しの力を持つ『聖女』として、今までアリスが頑張っていた証だ。気に入らないみたいだから口には出さないけれど、アリスはもっと誇りに思っていいと思う。
そのまま『癒し手』のこととか聖王国で起きたこととか、リンドウさんがアカシアさんのお付きの騎士になったらしいこととか、色々話しながら歩いていく。家の前まで近づいた時、ずっと聞きそびれていたことをふと思い出した。
「しばらくばたばたしてて、全然聞けてなかったことなんだけど」
「なんでしょうか?」
「アリスって、アリスのままでいいの?」
「……リリアンは嫌です」
「そっちじゃなくて。それって役職名みたいなものでしょ。だからたとえば、ほら、アカシアさんとか」
「分かりました。『聖女』になる前の名前、ということですね」
「うん」
「ありません」
さらっと言われた衝撃の事実に足が止まる。無い。名前が、無い。頭の中で何度も反響する。立ち止まった僕にアリスが振り返るまで、口を開くことも出来なかった。
「……な、ないの?」
「そういえば、お話していませんでしたね。私は誕生と同時に『聖女』として見出されたので、両親が俗名を付ける暇も無かったそうです」
「えっ、じゃ、じゃあ、契約の時言ってた、血縁を知らないって」
「ずっと口を閉じているのか、閉ざされたのか。少なくとも、私には心当たりがありません」
またまた何でもないように告げられたことが、僕の頭を思い切り叩いた。あれは天秤への言い訳とかじゃなくて本当に血縁を、家族を、お母さんのこともお父さんのことも知らない。同じく会ったことの無い僕だってもらえた、名前すらも受け取っていない。
いつかちゃんと、自分のお家に帰れますように。あの日、僕がアリスという名前に付けた願いと意味。お家の無い、帰る場所の無いアリスの事情を知ればこれはとても、とてつもなく酷い。この街に来て最大級の焦りが僕を襲い始めた。
「あ、あわわ、あわわ」
「どうしたんですか?」
「だ、だって、アリス、名前、意味、酷い」
動揺のあまり単語を並べることしか出来ない。それでもアリスには伝わったみたいで、納得したように微笑んだ。
「気にしないでください。あの時も今も、イリアスくんにお話していなかったのは私です」
「けど、知らなくても、嫌な思いさせちゃったから」
「大丈夫です。十三年持ち合わせていなかったものに、今更未練なんてありません」
そうは言うけれど、本心じゃない気がする。伏せた瞳に寂しさを感じた。どうすればいいんだろう。寂しさ、寂しさを埋める方法。僕がそういう時先生は、オウルは何をしてくれたっけ。
うんうんと唸り始めた僕へ困り眉を向けていたアリスが、急に明るい声で提案する。
「でしたらイリアスくん、今日は先に入ってもらってもいいですか?」
「う、うん」
「あっドアは開けたままにしてください。閉められると、泣いてしまうかもしれません」
それはとても困る。今日ほどじゃないけれど、アリスを迎えに行ったあの日も大慌てだった。言われるがまま鍵を開け、家の中に入る。入ってどうするか、どうなるか。考える必要はなかった。
外で深呼吸を重ねたアリスが意を決して玄関へ、僕に向かって駆け出す。躊躇ない速度は間違いなく止まれない、僕か壁にぶつかる。咄嗟に振り向いて受け止めると、アリスはそれを予知していたように僕の背中へ腕を回した。その体勢のまま、僕に抱き着いたままアリスは耳元で囁く。
「私はアリスでいい、ううん、アリスがいいんです」
密着した体から伝わる鼓動は、痛そうなほどに強く早い。それをまったく感じさせない声色でアリスは続けた。
「アリスは、私が生まれて初めてもらった大事な贈り物。一番大切なのは、名前をくれたイリアスくんの気持ちです」
「でも、意味が」
「その意味も、今の私には宝物です。だって」
僕の肩に乗せているアリスの顔は見えない。声は落ち着いていて感情は読めない。けれど手は微かに震えていて、頬からは熱を覚えて、心臓はさっきよりも大きく揺れていた。
「ここが私の、帰る場所ですから」
そう言って、アリスは手に力をぎゅっと込める。そのほのかな温もりで思い出す。寂しい時にしてもらったこと、して欲しかったこと。何でもよかったんだ。僕を想ってしてくれたことは、いつも何でも嬉しくて、僕を温めてくれた。
だから僕も、精一杯アリスを想って何かしよう、言おう。宙ぶらりんだった手を動かし、アリスを抱き締め返す。そして言うべき言葉を、伝えたいことをそのまま告げた。
「おかえり、アリス」
「──はい! ただいま帰りました、イリアスくんっ!」
最終話「貴方の隣のアリス」
多分一旦完結です。中期間のご愛読ありがとうございました。