四層への転移魔方陣は最奥、嵐に囲まれた孤島の地下遺跡に、諸々の罠や仕掛けを超えた先にある。しばらくぶりに訪れた魔法陣を前にして、僕は抱えっぱなしだったアリスに問いかけた。
「やっと着いた。アリス、平気?」
「大丈夫です、私は抱えられていただけですから。イリアスくんこそ疲れていませんか?」
「全然元気!」
この間久しぶりに戦えたおかげで、いつもより調子がいいくらいだ。なんならこのまま迷宮を突き進めば、最後まで踏破出来るような気すらする。そもそも何層まであるのか知らないけど。
僕の顔を見て安心したアリスは、目の前の魔法陣に視線を下ろす。隠しきれない興味の光が瞳に宿っていた。
「それでは、こちらが例の」
「うん。仲良し二人組で使ってねってやつ」
今回迷宮に潜った、アリスを連れて来た理由。迷宮で僕を最も苦しめた魔法陣を突破するためだ。仲良し二人組、ついこの間まで絶望的だった単語が、今日はまったく怖くない。僕はアリスが好きで、アリスも僕のことが好き。二人は友達、間違いなく仲良しだ。
その筈なのに、魔力を流しても魔法陣はうんともすんとも言わない。
「……あれ?」
「作動、しませんね」
「おかしいなぁ、ちゃんと条件満たしたはずなのに」
仲良しアピールが足りないのかな。手繋いだり、肩を組んだりした方がいいのかな。疑問に思いつつ、とりあえず魔法陣の解析を始める。前はこれで例の条件が分かった。もしかしたらと試してみれば、今回も同じように不足条件が出てくる。それを見た瞬間、僕の全身が凍り付いた。
『仲良し三人組で使ってね!!!』
「???」
脳が理解を拒んだ。
ところ変わって迷宮都市デルファ、鍛冶屋『残り火』作業所地下。イリアスも存在を知らないその部屋で、オウルは銀の鏡に向かい適当な姿勢で座っている。その鏡の先にはイリアスが先生と呼ぶ、白銀の魔女が悠々と佇んでいた。
「そうですか。結局、あの少女は貴方の元で過ごすことになったと」
「なんだ、なんか気に入らなそうだな」
「以前見た限り、あれはイリアスに大きく依存しています。あのままではいずれ、あの子に重い負担を掛けるでしょう」
「昔のお前みたいに?」
「……傍でその光景を見ていた貴方なら、対処法も知っているはずです」
「つっても、イリアスはあいつほど滅茶苦茶じゃねぇからな」
しかもお前に似てかなり甘ぇし。続いた言葉に魔女の顔が固くなる。一見単純に気分を悪くしたようだが、実際は複雑だ。喜ばしい気持ちに罪悪感、自身の厚かましさへの恥などがとめどなく入り混じっている。それを噛み締めるための仏頂面だった。
気付きながらも、オウルは意図的にそれを無視した。突けば爆発することを、冷徹な相貌とは反対に、彼女がとてつもない激情家であることを長い付き合いで知っているからだ。ついでに嫉妬深く執念深く、頑固なくせにやたら繊細、ひたすら面倒くさいことも。
「まあともかく、そのあいつらは仲良し二人組で四層に向かった訳だが」
「恐らく辿り着けません。私の予測では、現在迷宮は踏破を拒んでいます」
「予測、あぁ因果律予測だったか。確か、迷宮の制御機構にも搭載してたよな」
「再編日や資源配分決定等、各種調整に使用されています」
「それで、拒む理由は分かるか?」
「中核は依然として変わらない、人類の迷宮への依存でしょう。現状迷宮が踏破され消滅すれば、同時に人類社会も崩壊します」
「腐ってもあれ、人類保護用施設だからな。そりゃ防衛はするか。にしても五、六は当然として、四も行けねぇのは過敏だが」
「……先日の強制再編と『門』での大規模魔法により、セキュリティレベルが急上昇したためだと思われます」
「あいつの自業自得じゃねぇか」
「いずれにせよ、しばらくすれば元に戻るでしょう」
研究者が聞けば心臓を止める会話を、二人は何でもないように交わし続けていた。それがひと段落したのを見計らい、オウルは本題を口にする。
「予測と言えば、お前に聞かなきゃならねぇことがある」
「言ってみなさい」
「今回の一件、どこまで読んでた」
「……因果律予測はクラス、スキルシステムを含む通常物理法則下でのみ確実な精度を誇ります。外界で魔法使いが、イリアスが自由にしている今確かな予測をするには、迷宮のように絶え間なく」
「長ぇ。いや言い方間違えたな。聞きてぇのは違うことだ」
分かり切った解説を打ち切り、オウルは銀の鏡に顔を寄せる。微塵も揺らがない夜のような瞳を前に、彼は内心呆れた。嘘を吐く時、誤魔化す時に普段以上の鉄仮面になるのは、人形のようだった子供の頃からまるで変わっていない。
「お前は何を狙って、イリアスにこんなことさせた?」
「何のことでしょうか」
「誤魔化すな。イリアスの動きで未来が変わろうが騎士団のあれは、ゴルゴンの出現は変わらなかったはずだ」
その後の怒涛の出来事に流されていたが、あの日オウルは魔女の言動に疑問を覚えていた。
「アリスが連れてかれたあん時、あいつは例の癖を知らなきゃ何も考えず連れ戻そうとして、絶対にその場で騎士団と揉めていた。んでいつも通り全部ぶん殴って終わってただろうよ」
イリアスがこの街を訪れて約半年、組織を問わず幾度となく繰り返された出来事だ。アリスが、誰が絡もうとそれに変わりは無いはずだった。
「だが、お前がわざわざあのタイミングで癖を教えたせいで躊躇って、結局ここまで大事になっちまった」
「高々国一つとの決闘、軽いものです」
「決闘はそうだろうが今後は別だ。『竜骸』、あいつへの警戒はますます厳しくなるだろうよ。しかもイリアスに限った話じゃない。聖王国は最終兵器を露呈した上に損失までした。国家間のバランスも崩れて、この先どうなるかも読めたもんじゃねぇ」
「……あの子にとても悪いことをしたとは、思っています」
「分かってんならもう一度聞く、お前は何を狙っていた?」
落ち込むイリアスのフォロー、アリスに纏わり続けた『聖女』の消去。両者の解決を優先し後回しにしていた問題を、オウルは鋭く切り込んだ。悪戯にイリアスを傷つけるようなことを、この魔女がする訳がない。だが、それにしては疑問が多すぎた。
長い長い沈黙の末、魔女は消え入りそうな声で囁く。
「……テスピスを、覚えていますか?」
「当たり前だろ、仲間を忘れる訳がねぇ。しかも、聖教云々話してる真っ最中だぞ」
聖教『トラゴエディア』を開いたとされる聖者テスピス。しかし実物を知る彼らからすれば、聖者という響きはまったくお笑い種だった。他称聖者が立てた数々の恥を思い出し、ため息交じりで魔女は語り出す。
「貴方も知っている通り、彼はどうしようもない男でした」
「いきなり酷ぇな」
「金に汚く女にもだらしなく。一度金を貸してくれと土下座をされた時は、いっそ殺してやろうとも思いました」
「それ聞くと否定しにくいけどよ、それでも」
「貴方も、その横で同じ姿勢をしていましたね」
「……まあ、誰だって金欠の時くらいあるだろ」
「確か当時の私は十歳、貴方達は二十半ばでしたか」
「……………………」
目が泳ぐという比喩表現を体現するオウルに向け、彼女は再びため息を吐いた。
「貴方同様、本当にろくでもない男でした。しかし同時に、彼は我々の中で最も笑顔を尊び、人々の弱さに寄り添える男でもありました」
「今度は急に評価高ぇな」
「でなければ神と戦った身でありながら、神無き世界で生きる人々に希望を与えるため、新たな神話を作りなどしません」
明るく楽しく、頭空っぽに楽しめる神話。その名も喜劇神話『トラゴエディア』。現代に伝わるものよりもはるかに下品で不真面目なそれを、二人は揃って思い出す。とても宗教とは思えないその神話は、教えは、創造神に滅ぼされかけた人々の大きな支えになっていた。
「『神はあまねく全てを愛している』、『汝、愛と平和を尊ぶべし』。たった二つの教えですが、足りない頭でよく考えたものです。神に見捨てられた絶望を癒したい、愛する者を失った悲しみを慰めたい。彼の数少ない美点が表れています」
「お腹痛い時に祈る神様くらい欲しくね? とか言ってたのが、今じゃ大陸を支配する教えだ。どうなるか分かんねぇもんだな」
「……えぇ、本当に。このような現状、誰も予想してなかったでしょう」
懐かしみ温かだった魔女の口調に、突然激情が混じり始める。
「繰り返しになりますが、あれは本当にどうしようもない男でした。彼について思い返すと、今でも苛立ちの方が多く募ります」
「やめろ、殺意抑えろ。イリアスが帰って来てたらここがバレる」
「しかしその思いは、成し遂げた偉業はどこまでも笑顔のため、人々を幸福にするためにあります」
けれどもそれは、テスピスに向けられたものではなかった。
「その全てを、現代聖教を支配する者達は長年踏み躙っていました」
「……まさかお前、あいつのために?」
「冗談にもなりません。ただ、存在を認められないだけです」
澄ました言葉にオウルは苦笑いを禁じ得ない。彼に言わせれば、誰よりも仲間を愛していたのが目の前の魔女だ。どう見ても考えても、照れ隠しの類としか感じられない。
そして長年の付き合いで相手の内心を推し量れるのは魔女も一緒だ。オウルのニヤつきを察した彼女は、感情のままに通信を切ろうとする。
「……今回の定時連絡は、これで終了とします」
「っと待て、まだ確認することが」
「あと数分もすれば、イリアスが迷宮を脱出します」
「マジか早ぇな。さっさとここ隠さねぇと」
「オウル」
「へいへい。適当に慰めとくよ」
イリアスの帰宅は一応事実である。その慌ただしいやり取りを最後に通信が終わった。鏡面に映るのは自身の姿のみ。少し乱れた白銀の髪を整えてから、魔女は外へ向かう。なんとなく、空を見たくなったからだ。
扉を開けば鬱蒼とした、只人が歩めば一秒と持たず消滅する魔の森が広がっている。森に漂う悪霊や魔獣の気配をものともせず、彼女は南の空を見上げた。
「そちらからでも見えるでしょうか。お二人の愛し子はあんなにも強く、優しく育っています」
彼女の脳裏に浮かぶのは、今よりもはるかに幼いイリアスの姿。無邪気に駆け回り、些細なことで喜び、泣き、自分を困らせ、幸せにし続けた子供の姿。その子が今では、気が遠くなるほど長く抱き続けていた自分の願いを、叶えてしまいそうになっている。
「しばし、今しばらくお待ちください。いつか必ず、あの子はお二人の元へ辿り着きます。それまでどうか、イリアスをお見守りください」
この森に意思疎通出来る存在は無く、誰に呼びかけようと独り言にしかならない。それでも彼女は呼ぶ。誰よりも愛しく何よりも大切な、イリアスの、自分の家族を。
「兄さま、姉さま」
その声は、まるで幼い少女のようだった。