【コミカライズ】探索者イリアスは人見知り   作:差六

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第十話「同行訓練 下」

 空回りするやる気に燃え上っていたユズリハの頭は、意味不明な未知の生物を前にしたおかげですっかり冷めていた。

 

 身の丈ほど高い草に潜みながら彼女はその原因を、心からの疑問を口にする。

 

「……なんだあれ?」

「鹿だ」

「えっ鹿、あれ鹿なのか? 二足歩行だぞあれ、なんかさっきから拳振ってるぞあれ」

「スカイディアーです。『草原』で最も狂暴な魔物と言われています」

 

 一切のぶれを感じさせない華麗なステップ。空を裂くリズミカルなシャドー。姿形を、どう見ても全身鹿だという事実さえ無視すれば、どこを取っても目を見張るほどの武道者である。

 

 ただしユズリハに言わせれば、その違和感に目を瞑るのはとても難しい。強大な魔物や恐ろしい生命などはこれまでにも数多く見て来た彼女だが、このような奇怪なものを見るのは初めてだった。

 

「一体しかいないようだが、これはつまりあれか、どちらが倒すかの競争だな?」

「違う。共闘の訓練だ」

 

 潜みながらの会話だからか、ただでさえ不気味な『竜骸』の声がますます怖気を増している。前後化け物に挟まれてしまった、などと彼女がつい考えてしまうのも無理はない。

 

 もちろん『竜骸』がそんな彼女の感想に気づくこともなく、例のごとく冊子を開いたまま続ける。

 

「探索者である限り、他者と協力する機会は必ずある」

「……貴方はあるのか?」

「………………」

 

 いかなる魔剣よりも鋭い指摘が『竜骸』に突き刺さった。

 

「ところで、お二人とも経験はございますか?」

「たくさんあるぞ。狩りは最低でも四人からするべし、というきまりになっていた」

「……俺は、あまり無い」

 

 ぼそりと告げられた答えにユズリハの瞳がきらりと光る。瑞々しい緑髪が風に靡く。不思議なことに、先輩風が物理的に吹こうとしていた。

 

「ふふん、じゃあ経験豊富な私が助言しよう。いいか、背中を合わせるというのは」

「『竜骸』、どうすればいい?」

 

 腰に手を当て語り出そうとするユズリハから、ソマリは機敏かつ滑らかに距離を取る。そして得意げな彼女との間に防壁を作るため、本日最速の口調で『竜骸』に問いかけた。

 

 けれども当然『竜骸』に答えはない。一度として誰かと肩を並べた経験が、その必要性も無かった以上、やり方など考えたことないからだ。

 

 また、挑まれた経験こそ多分にあるものの、大抵は腕の一振りで粉々に砕け散る。参考にしようとした『竜骸』が懸命に記憶を掘り起こそうと、浮かび上がるのは人の知恵と勇気が圧倒的暴力に踏みにじられる凄惨な光景のみだった。

 

 そのため今回も『竜骸』は自力での教導を諦めた。丁寧に書き込まれた文章をそのまま読み上げる。

 

「……複雑な連携を目指せば、かえって足並みが乱れる」

 

 そして冊子から顔を上げ、あたかも自分で考えたかのようにソマリへ告げた。

 

「まずは死角を補い合え」

「分かった」

「むぅ」

 

 私が一番経験あるのに。不満げにそう零すユズリハをアリスは人知れず慰めていた。

 

 

 スカイディアーは腕の渇きを許せない。だから彼は動くもの、内に液体を潜む者を見つけ次第、それを打ち抜くのだ。

 

 スカイディアーは冷たい腕を我慢出来ない。だから彼は温かいもの、命を持つ者を見かけ次第、それを突き抜くのだ。

 

 スカイディアーは他者の存在を認められない。だから彼は人や魔物が、何かが視界に入り次第、それをぶち抜くのだ。

 

 そんな狂気と暴力で構成された彼の耳に視野に、突然不快なものが飛び込んだ。

 

「やあやあ! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にもっと」

「シッ!」

「うわっいきなりとは、本当に狂暴だな!」

 

 一般的に心地よい声、美しい相貌のユズリハであっても、スカイディアーに生じるのは狂おしいほどの苛立ちだけだ。彼はその衝動のまま地を跳ね、草陰から飛び出して来た敵を屠るため拳を振り上げる。

 

 無論、それを黙って受け止めるユズリハではない。彼女はスカイディアーの跳躍に合わせ自身も横に跳び、ついでとばかりに木剣を、スキルを振るう。

 

「『空破・乱』!」

 

 置き土産に生み出された無数の斬撃が草を刈り、スカイディアーの全身へ細かな切り傷を刻んだ。傷つけられた表皮から勢いよく血を吹き出る。

 

 それでもスカイディアーの動きは止まらない。彼は避けられた、逃げられたと見るや否や、踏み込んだ足を軸に回転、低い姿勢でユズリハの方へと向き直る。

 

 強烈な力が加わった下肢はこれまで以上に血しぶきを上げる。しかし彼女の懐へ飛び込もうと大地を踏み締める力、常識はずれの筋肉は傷口を圧迫して両足の、それどころか全身の止血を一瞬にして成し遂げていた。

 

 目の前で成された人外の所業、迫りくる筋肉の塊にユズリハは内心舌を巻く。しかし戦士としてしかるべき緊張こそあるが、彼女に焦りや恐怖は微塵もない。それは何故か。

 

「怯みもしないか、だが」

 

 あと三歩、瞬き数回後に死が迫る瞬間、その所以を彼女は叫んだ。

 

「今だ、ソマリ!」

「――『剛断』ッ!」

 

 声に合わせて飛び出したソマリは、無防備なスカイディアーの腹に向けて全力で斧を薙ぎ払った。

 

 結論から言えば、ユズリハは死角を補い合えという『竜骸』の指示を真っ向から否定した。そこには無視されてムカついたから、などという極めて幼い個人的な感情ではなく、共闘の先達としての立派な理由がある。

 

『簡単に死角どうこう言うが、あれ意外と難しいぞ』

 

 当然の話ではあるが、基本的に戦闘中は絶え間なく動き続ける。つまり死角も変わり続ける。出会ったばかり、戦い方や動きの癖などお互いに理解しきれていない二人がフォローし合うのは難しい。

 

 その上ソマリは顔も体もボロ布で包まれている。死角はおろか顔もまったく見えず、体の向きも分かりにくい。これではそもそも、死角を把握することすら不可能だろう。

 

 よって彼女が提案した作戦はもっと単純なもの、囮と攻撃という役割分担だった。機敏かつ手慣れたユズリハが敵を引きつけ、見出した隙をソマリがスキルを用いて貫く。

 

 作戦通りの一撃が決まり、スカイディアーは先ほど以上に血をまき散らしながら吹き飛ぶ。遠目に映る魔物の体は半ば裂けており、黒々とした液体が流れ落ちる腹にはピンク色の何かが垣間見えた。

 

 間違いなく致命傷、戦闘終了だ。そう確信したユズリハは構えを解き、未だ残心を取るソマリの背中を叩く。

 

「いい一撃だったな! お前に任せて正解だった」

「空いてた腹にぶつけただけだ。あれくらい誰にでも」

 

 唐突に息を吞んで言葉を切る彼に、彼女は理由を問えなかった。

 

「どけっ!」

 

 尋ねる前にソマリから力いっぱい突き飛ばされたからだ。ユズリハの胸に衝撃が走り、体は宙に浮く。突然の暴挙に一瞬視界がちらつくものの、すぐさま痛む肺に空気を送り、彼女は怒り混じりの視線を上げる。

 

 しかし、幾多の文句が浮かぶ彼女の視界に映ったのは、スカイディアーのアッパーが突き刺さるソマリの姿だった。

 

「なっまだ」

 

 腹から血を、臓腑を零しながらも、スカイディアーの武に淀みはない。熱のような痛みも薄れゆく命も彼を止めるどころか怒りを燃やす薪となり、高く打ち上げられたソマリへの追撃まで可能にさせる力を与えていた。

 

 通常、人は空中での移動手段を持たない。まして吹き飛ばされたとなれば、苦し紛れの抵抗すら困難となる。このままスカイディアーが本懐を成し遂げた場合、ソマリは赤い花として大地に散ることになるだろう。

 

 ユズリハが反射的に思い描いた想像は正しい。だからこそ彼女は、その未来を切り捨てるために動き出す。

 

 咄嗟に右手の木剣を地面に突き刺し、吹き飛ばされた勢いを利用してぐるりと半回転。流れを利用した跳躍で身を翻し一気にソマリの元へ、膝を曲げて拳を振り上げるスカイディアーの懐へ飛び込む。

 

 僅か一瞬の内に舞い戻った彼女は、追い打ちのために飛び跳ねたスカイディアーを見上げた。

 

 攻撃は始まっている、防御は間に合わない、ならば一撃で仕留める、どこを、どれで。

 

 脳裏に浮かぶ数多の選択肢、スキル。長年の狩りと訓練で染みついた戦闘経験は、思考を置き去りに最適解を選択する。

 

「『旋花昇』!」

 

 竜巻の如く回転し、その遠心力と風を力に変えて切り裂くスキルが炸裂する。その一撃はスカイディアーの腹部へ、寸分違えずソマリが撃ち込んだ場所へ直撃し、魔物の体をたやすく両断した。

 

 重たいものが落ちる音が三つ、軽やかな音が一つ辺りに響く。二つは液体を垂れ流しながらいくらか震えた後、やがて動かなくなった。

 

 冷徹な瞳で魔物の死を確認した彼女は打って変わった様子、大慌てでソマリへと駆け寄る。彼女が膝を下そうとしたところで、彼はゆっくりと起き上がった。

 

「大丈夫かソマリ!? 今すぐ助手さんを」

「……かすっただけだ。このくらい放っておいても」

「それを判断するのは私たちです。診せてください」

 

 無理に立ち上がりかけたソマリを止めたのはアリスの落ち着いた、それでいて鋭い静止だ。それは先ほどまで、ずっとはらはらしていたことを欠片も感じさせない見事な声色だった。

 

 なお隣の『竜骸』は、風穴空いちゃったら助けに入ろう、などとズレた思考の元、二人の戦闘を呑気に見学していた。

 

「だが」

「大人しくしろ」

「……分かった」

「では、そちらのローブの方を」

「いい。自分で外す」

 

 『竜骸』の言葉は重力に似た圧力を持つ。加えてむやみに反抗したとして、あっさり鎮圧されることは目に見えていた。もとよりソマリに逆らうという選択肢、自由は無い。

 

 しかし外すと決めたものの負傷のせいか、それとも葛藤の表れか。彼の手つきはゆるゆると遅い。

 

 それでもいずれ終わりは訪れる。はらりと落ちるボロ布から現れたのは、雄々しいたてがみが眩しい金色の獅子だった。

 

「獅子の、顔?」

 

 ユズリハが思わず呟いたのも無理はない。瞬き一回で済ませたアリスと微動だにしない『竜骸』の方が異常な反応である。その動じなさに、かえってソマリの目が泳いでいた。

 

 ついたじろいでしまう彼に、拳に抉られた頬と腹部に向けてアリスが手をかざす。小さく鈴の音のような声がした瞬間光が灯り、傷口が埋まっていく感触にソマリはむず痒さを覚えた。

 

 その輝きに釣られるかのように草むらが揺れる。ユズリハが反射的に振り返るとそこには目の血走った鹿が、二匹目のスカイディアーが拳を揺らし立っていた。当然のように臨戦態勢である。

 

 治療中の二人を守るため咄嗟に木剣を構えたユズリハを制すよう、『竜骸』は手に持つ冊子を読み上げた。

 

「倒す以外にも対処法はある」

 

 一体どういうもの、と問いかけるより先、『竜骸』が空に火球を作り上げる。人の頭ほどのそれは太陽のごとく眩く輝き、誘うかのように上空を動き彷徨う。

 

 スカイディアーの視線はあっさりと『竜骸』達から外れ、その輝きに魅せられていた。火球の導きに従い、彼は明後日の方向に踏み込み何度も虚空へ拳を振るう。

 

「スカイディアーは動体や熱に過敏な反応をする。故に、簡単に誘導出来る」

「おぉ、これは凄いって、あれ?」

 

 ユズリハの感嘆の声を塗りつぶし、三体目のスカイディアーが現れた。

 

 更なる新手に彼女が目を見開くと、その視界に四体目と五体目、次々とスカイディアーが飛び込んでくる。

 

 どこからか集まった彼らはユズリハ達には目もくれず、一様に『竜骸』の生み出した火球へ向けて決して届かない殺意を振り回していた。

 

「……どうも目立ちすぎて、他のも寄って来たみたいだが」

「……」

「魔物の牽引に繋がるからこういうのは駄目って、この間エリーが言ってたような」

 

 牽引とは意図的に集めた魔物の群れを、偶然を装い他の探索者へぶつける行為だ。これを利用した殺人やその報復による抗争などの事案が多発したため、迷宮協会結成初期に禁じられた。

 

 『竜骸』にそのような意図はないとしても、実際にスカイディアーは集まってしまっている。仮に現状を放置して帰還した場合、スカイディアーの群れは確実に被害者を生むだろう。

 

 どうするべきか、という彼女の悩みは一瞬で解決した。

 

「問題ない」

 

 『竜骸』が言葉少なく呟いた瞬間、この場に集まった全てのスカイディアーそれぞれを高い氷壁が囲う。そして彼らが、ユズリハが声を発する、何か反応を見せるよりも早く、大地から天を貫く火炎が立つ。

 

 唐突に生じた巨大な火柱を前にして、ユズリハは口をあんぐりと開けることしか出来ない。幸い氷壁により抑えられたため、彼女の口に火花が飛び込むことはなかった。

 

「今、全て燃やした」

「えぇ……」

 

 この時、今回の再編で誕生したスカイディアーは絶滅した。

 

 こうして生まれた火柱が沈む頃、ちょうど癒しの光も収まった。傷口を慎重に確認し終えたアリスは、柔らかい口調でソマリへ問いかける。

 

「治療は終わりましたが、他にもどこか痛むところはございますか?」

「無い、平気だ」

 

 ソマリは返事をしてすぐにそそくさと、凶暴な相貌に見合わない動きでアリスから離れた。その軽やかな仕草は彼が完治した証であり、また獅子というよりもどこか子猫を思わせるものだった。

 

 所在なさげに佇む彼にユズリハは遠慮なく近づき、露わになった獅子の顔を物珍しげに見上げる。

 

「それにしても癒しのスキルで直るなんて、随分変わった兜だな。こういうのも迷宮産なのか?」

「いいえユズリハ様、こちらはお顔、ソマリ様の素顔です」

「これが? ははっ意外とお茶目なんだなぁ助手さん。こんな顔の人間がいる訳無いだろー」

「いてっ」

 

 ソマリが反射的に漏らした悲鳴が沈黙をもたらす。ユズリハは自分が引いた彼のたてがみを無言でまじまじと眺めていた。艶やかで滑らか、けれども少し痛んでいる部分もある。

 

 もう一度だけ、今度は慎重に引っ張ると確かな抵抗を、ソマリの無言の抗議を彼女は感じた。

 

「まさか、本当に?」

「……考えてみればエルフの皆様は純血種、先祖返りの方はいらっしゃらないのですね」

 

 先祖返りとは、この大陸に住まう人間特有の現象である。

 

 およそ千年前に全人類は滅びかけた。最も数の多い人間でさえ数百人、魔族や獣人に至っては種にもよるが僅か数人まで減少した。語るまでも無いが種族を保てる数字ではない。

 

 当然の帰結としてこれらの種族は、あらゆる人種と子を成すことの出来る人間と結びついた。通常人間の血は弱く、一代二代程度であれば元の種族の特色が現れる。しかしそれにも限度があった。やがて人間の血が濃くなるにつれて彼らの特徴は薄れ、最終的に血の奥底へ潜むようになる。

 

 この現象はあらゆる種族に起こり、人間となった彼らはまたお互いに結び合う。この繰り返しの先が現在の人間であり、ある意味では全員が様々な種の入り混じった混血の存在、とも言える。

 

 そしてこの血が目覚めることこそ、いわゆる先祖返りである。

 

 異種族の血が覚醒した彼らの体は変容する。その変化は角や牙が生えるといった外見上にとどまらず、身体能力や頭脳などの能力面でも著しく発生することが多い。

 

 現に金色の獅子の如き容貌のソマリもその異形に見合う力、スカイディアーの拳が直撃しても軽症で済む耐久力を今さっき発揮していた。

 

 このように人間の限界を超えた身体能力や異能を体現するため、先祖返りのことを人間の上位種であると見なす声も存在する。

 

 ただし、彼らを取り巻く実情は厳しい。巷に蔓延る迷信や物珍しさから人狩りに狙われることも多く、先祖返りは可能な限りその特徴を隠して生きる者が多数という。

 

 以上の説明をアリスから聞いたユズリハは、非常にのどかな感想を抱いた。

 

「そっかぁ人間は不思議だなぁ」

「エルフに言われたくない。こっちからしたら、そっちの方がよっぽど変だ」

「確かにそれもそうか。じゃなくて」

 

 笑って返して、それからユズリハはぶんぶんと首を横に振った。笑っている場合ではないと、自分にはまだその資格が無いと、今更ながら思い直したからだ。

 

 突然の奇行に集う訝し気な視線も彼女は気にしない。頭にあるのはなすべきこと、人として当然の礼儀のみだ。

 

 それに従い彼女はソマリへ向き合い、心の底から頭を下げた。

 

「すまなかった。私が油断したせいでお前に無駄な傷を与えて、その上秘密まで打ち明けさせてしまった」

 

 悪目立ちするほどに素顔を隠す理由。いくら鈍いユズリハでもアリスの説明を聞いた後では察しが付く。そして異種異形がどれほどの注目を集めるか。こちらは彼女も身をもって実感していた。

 

 対するソマリは目を逸らし、気まずげに答える。

 

「別に、いい。探索者が危険なのは当たり前で、怪我をしたのも隠せなかったのも、全部俺が弱いせいだ」

「……お前」

「なんだ?」

「お前、滅茶苦茶いい奴だな!」

 

 勢いよく上がった顔には、満面の笑みが広がっていた。

 

 思わず一歩下がるソマリをユズリハは逃がさない。無駄のない踏み込みで彼の手を取り、ぶんぶんと上下に振る。握手、それもやんちゃな子供がやるような、やたらと元気溢れるものだった。

 

「なっ」

「ふーん、毛は生えてるけど大して変わらないんだな。まあ、肉球じゃ斧は握りづらいか」

「やめろ、放せっ」

「いいだろこれくらい。一緒に戦った戦友なんだし、これからもよろしくって握手だ」

 

 ソマリの抵抗を鮮やかにユズリハはいなす。無駄な技巧を遺憾なく発揮していた。

 

 そんなじゃれつく二人を眺めながら、アリスはひっそりと『竜骸』に問いかける。

 

「ダアト様、この後の予定は」

「迷宮協会に帰還し鑑定に向かう。終わり次第、今回の訓練は終了とする」

「分かりました」

 

 頷き、ソマリとユズリハの注意が向いていないことを確認し、アリスは一歩『竜骸』へ寄り添う。そのまま常と異なる、自らよりも大きくなった手に指をそっと絡ませた。

 

「もう少しです、頑張りましょう」

「うん」

 

 

 

 空が黄色と赤に染まる中、アリスと並んで帰路に着く。

 

 あの後、スカイディアーとの戦闘が終わってからは、至って何も起こらない平和な訓練だった。もう帰るだけだった、ということも大きかったのかもしれないけれど。

 

 無事に迷宮から脱出して、『鑑定』の受付について説明して、次回の集合時間を話しておしまい。打ち上げ行こうと執拗に誘うユズリハとそれから逃げるソマリさんを見送って、めでたく解散となった。

 

 あとはいつも通り迷宮協会のストーカーを適当に撒いたから、こうしてのんびりと肩の力を抜くことが出来ていた。

 

「つかれたー」

「お疲れ様です。無事に終わってよかったですね」

「ねー。アリスとー、エリーさんがくれた教本のおかげだー」

 

 今日何度もお世話になった冊子、エリーさんお手製の教本は今回の依頼書と一緒にもらったものだ。市販のものと比べても、僕に不足する一般的な考え方や迷宮協会の観点を踏まえた解説は見事な、アリスも舌を巻くほどだった。流石エリーさんだ。やっぱりいつでも頼りになる。

 

 こんな感じに、帰り道の僕達が話すことは今日の訓練に関することばかりだった。ユズリハさんの振る舞いやびっくりするくらい下手だった地図、スカイディアーの凶暴さ。そしてソマリさん、先祖返りについて。

 

「まさかソマリさんが先祖返りだなんて、想像もしていませんでした」

「アリス、ああいう人見るの初めて?」

「耳や尻尾をお持ちの方をお見かけしたことはありますが、あそこまで見事なたてがみの方は初めてです。イリアスくんはいかがですか?」

「話したことは初めてだけど、見たことは何回かあるよ。探索者の人にもいるから」

 

 ボコボコにしたことも何回かある。犬とか猫以外にも鳥や魚、鬼や悪魔なんかもいたような。先祖返りの人は普通の人よりちょっと頑丈だから、相手するのもほんの少しだけ気が楽だったりする。

 

「ソマリさんも間者の人なのかなぁ」

「……どうでしょう。人選に格好、立ち居振る舞い、どれも悪目立ちし過ぎています。講習会に参加した理由こそ分かりませんが、今のところユズリハさんと同じ可能性は低いです」

 

 そう言いながらもアリスは空いた手を顎に当て、ソマリさんの目的について考え込んでいた。

 

 僕の分まで悩んでくれる気持ちは嬉しい。でもせっかく今日は無事に終わったのだから、もうこれ以上難しいことは考えたくない。もっと楽しいこと、面白いことを話したい。

 

 だから代わりの話題を考えて、アリスの好き嫌いを一つ思い出した。

 

「そういえばアリスって猫好きだったよね。今度ソマリさんに触らせてもらったら?」

「イリアスくん、それは失礼ですよ。どのような特徴があっても先祖返りの方は皆様人間です。そもそもソマリさんは猫ではなく獅子の獣人ですから」

「たてがみと大きさくらいしか変わらないと思うけど」

「全然違います」

 

 出来の悪い教え子を見るような、悩ましさと微笑ましさが入り混じった目を向けられる。先生やオウル、時々お客さんから貰う視線をとうとうアリスからも受け取ってしまった。

 

 そんなアリス先生は僕から目線を切って、周囲を注意深く見回している。多分この感じ、教材を探している。

 

 そのまま数歩進んでから、突然アリスが目を見開く。お目当てを見つけたようだった。

 

「いいですかイリアスくん。猫ちゃんというのは、あちらにいる子のような方です!」

「……」

 

 興奮したアリスが手で指し示す先、塀の上で子猫が顔を洗っていた。薄めの茶色が夕日に照らされ、まるで金色の輝きを放っているようにも見える。

 

 その光を反射しているのか、それともアリスが自分で発光しているのか。どちらか分からないけれど、その子を見つめるアリスの瞳はものすごくキラキラしていた。

 

「イリアスくんイリアスくんっ」

「どうしたの?」

「あの子、触ってもいいと思いますか?」

 

 僕に聞かれても。こういうのは本人の意思が大事だ。

 

 だから聞くよう促しても、アリスは何故かあのその言うだけで動かない。いつもは僕の代わりに話してくれるくらいなのに、なんだか珍しい反応だ。

 

 よく分からないけれど、せめてこういう時くらいは頑張ろう。アリスの手を引いて一歩踏み出し、僕からその子へ問いかけた。

 

「えっと、そういうことなんだけど、へ、平気?」

「にゃー」

「よ、よかった、ありがとう。アリス、いいですよー、だって」

 

 返事をそのままアリスに手渡すと、耳元で小声の叫びが返ってくる。アリスは変なところでも器用だった。

 

「イリアスくん、猫ちゃんの言葉が分かるんですか!?」

「猫語というか」

 

 猫語は知らないけれど、今言われたことは分かる。でもその原理を説明するのはちょっと難しい。

 

 クラスシステムに搭載されている基礎言語変換機能を読んだというか、かつて創造神が破壊した共通言語の残響のおかげというか。どっちもまだオウルが教えていないこと、まだ話さないって決めてることだ。僕が言ってもいいのかな。

 

 僕とアリスがそれぞれ別のことを悩んでいる間に、子猫の方が痺れを切らしたみたい。その子は軽やかに塀を降りてちょこちょことした足取りで近づき、アリスの足に頬を擦り始める。

 

「みゃぉ」

「わっわっ、イリアスくんっ、猫ちゃんこっち来ましたっ、ど、どうしましょうっ!?」

「……触りたくて、触らせてくれるんだから、触ったら?」

 

 いいよってさっき言ってたし、そもそもこうして自分からくっついて来るんだから、少し撫でるくらいなら大丈夫のはず。

 

 疑問混じりの提案にアリスは生唾を飲み込み、空いた手を胸に当てて深く深呼吸する。そんなに緊張することなのかな。オウルとかお客さんとかは、僕には当然のようにすることなのに。

 

「そ、それでは、失礼します」

 

 おずおずと手を伸ばし、こわごわとした手つきをしていたのはほんの一瞬。気づけばアリスは僕から手を離して、両手いっぱいを使って子猫を堪能していた。

 

 無邪気に手を動かすアリスはそれでもいつもの優しさを忘れていない。興奮こそしているものの、僕から見ても丁寧で細やかな触り方だ。現に子猫の方も気持ちよさそうに目を細めている。

 

 どっちも楽しそうで、どっちも幸せそう。だからとても長引きそうだ。ちらっと空を見上げて、さっきよりも赤が深くなったのを確認する。僕がいるアリスはともかく、暗くなるとこの子が危ないかもしれない。もうちょっとしたら声かけよう。

 

 僕が時間を気にしている間もアリスはずっと気分よく猫を撫でていた。そんなニコニコでご満悦なアリスを眺め、僕が抱く感想は二つ。

 

 声かけてよかった。それはそれとして、アリスは不思議な趣味してるなぁ。

 

「もこもこです、ふわふわです……!」

「みゃー」

 

 あそこまで遠慮なく知らない人を、それもあんなに小さな女の子を撫でまわすなんて。




次回「エルフの事情」です。
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