【コミカライズ】探索者イリアスは人見知り   作:差六

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第十六話「対決『森』の守護者と」

 襲撃事件の翌日早朝、『竜骸』による同行訓練は当初の予定通り実施されていた。予定と異なるのは参加者。本日は助手、アリスではなくエリーが『竜骸』の横に控えている。

 

 一層『森』のはずれ、『森林』の最奥に存在する不自然な石造りの門の前で、今日も『竜骸』はエリーが夜なべして作った教本を読み上げた。

 

「迷宮の奥へ進むためには、各層にいる守護者を打倒しなければならない」

 

 朗々と語る様子は初日と比べてすっかり慣れたもの。その姿は九割ほど目を瞑れば、ひとかどの教官に見えないこともなくはないかもしれない。

 

 『竜骸』の説明を聞く二人、ユズリハとソマリもこの期に及べば耐性も出来ている。いつも通りの威圧感に冷汗を流しながらも、この後に必要な集中力や精神力を保ち続けていた。

 

「そして守護者へ挑むためには、各層でそれぞれ条件を満たす必要がある」

「ここの、一層の条件は?」

「一層は『草原』『森林』『湿地』、各地の採取物を守護者へと捧げることだ」

「……いや私たち、『湿地』で何も釣れなかったんだが」

「故に、今回はこの魚を使う」

「この氷漬けの? あっもしかして、これ助手さんが釣ったものか?」

 

 見覚えのあった魚形から出た質問に『竜骸』は無言で首肯した。釣果ゼロ二人組への贈り物だ。生まれて初めて個人的に寄付をしました、とは本人の談である。

 

「ところでその助手、今日は違うんだな」

 

 ソマリの素朴な疑問に『竜骸』とエリーの肩が僅かに、ユズリハの全身が大きく揺れる。よってそのあまりにも大袈裟な動作に注目が集まるのは当たり前のこと。

 

 不審なものを見るソマリの目。誤魔化しを促すエリーの瞳。『竜骸』。

 

 三者三様の視線を受けたユズリハの返事は、とてもお粗末なものだった。

 

「……え、えーっとー、あっ、わ、わざわざそこに引っかかるなんてー、ソマリーまさか助手さんのことー」

「やめろアホバカ恋愛頭。頭の軽いお前と一緒にするな」

「なんかお前今日口悪いな!?」

 

 それでも中身のおかげか無事に場は流れ、質問のお鉢はエリーへと移る。

 

 ユズリハとは異なり当然質問を想定していた彼女は、用意していたものをそのままソマリへと差し出した。

 

「同行訓練の監査のために参りました。本来であれば途中に行うべきなのですが、今回は都合により最終日に実施します」

 

 半分は事実であり、もう半分は嘘である。

 

 訓練を外部へ委託した際、途中に監査を入れることは迷宮協会の規則で決まっている。また諸々の事情、主に誰が担当すべきか、という問題により最終日にもつれ込んだ、というのも事実だ。

 

 違うのは目的。今回エリーが同行するのは同行訓練の監査のためではない。端的に言えば『竜骸』へ護衛を依頼するためだ。

 

 これがヘーゼルの考えた画期的な護衛策。命を守るという点に限れば、確かにそれは最も確実な方法だった。

 

 なお、助手ことアリスは迷宮協会で待機中だ、昨日出された滞在願いは未だ解かれておらず、時々親切心から聴取を担当した迷宮協会長の秘書が部屋へ様子を窺いに来る。

 

 この状況で二人分の外出を誤魔化すのは難しく、またエリーもいる以上ブレーキ役は事足りている。

 

 そう判断したアリスは、現在イリアスのアリバイを作っている真っ最中だった。

 

 そんなことは露とも知らず、ソマリは礼を言って引き下がった。単に気になったから程度の疑問であり、表向きの理由に納得したからだ。

 

「救難信号の確認、もしくは突入後二十分経過した時点で中断させる。その場合最終試験は不合格だ」

「二十分って短くないか?」

「長いが、迷宮協会の規定だ」

 

 何故迷宮協会が守護者との戦闘時間を限定しているのか。端的に言えば、混雑と混乱を防ぐためだ。

 

 つい先ほど『竜骸』が語った通り、夢幻迷宮の奥へ進むためには守護者を倒す必要がある。ではその守護者はどこにどの程度存在するのかなると、説明が複雑になる。

 

 前提として、守護者とは各層に必ず設置される守護者の間でしか、それも限られた人数でしか戦うことは出来ない。そしてその守護者の間は、迷宮再編の状況にもよるが一度に数か所、場合によっては一か所しか生まれないこともある。

 

 そのため無秩序に開放すれば、その枠を巡り探索者同士で争いが起きることは想像に難くない、というよりも実際に多発した。よって迷宮協会は再発防止のため法整備に取り組み、今では事前の予約と時間制限が課せられている。

 

そしてその守護者は、挑戦者が守護者の間へ侵入する度に再生復活する。このため絶え間なく探索者は次層へ挑戦する機会を得ることが出来る。

 

 余談だが、この不可思議な再生能力と死亡後瞬く間に消滅するという特性から、守護者とは生物ではなく迷宮が生むある種の現象ではないか、と一部では考えられている。

 

 また、守護者への挑戦権は二層未踏のみの者に限られる。一度でも守護者を倒した者がいる場合、守護者の間は沈黙を守り続ける。なお、途中乱入されてしまえばその瞬間守護者は消失、挑戦は失敗となる。

 

 そのため、今回『竜骸』は外で待機だ。

 

「じゃあ行ってくる。吉報待っててくれ!」

 

 疑問が晴れ意気揚々と門をくぐるユズリハ達を見送れば、辺り一面には沈黙のみが広がる。周囲の魔物は『竜骸』を恐れるものは全て逃げ、怯えぬものは既に全滅した。

 

 自身の呼吸だけが響く中、エリーはおもむろに『竜骸』へ深々とお辞儀をする。

 

「……『竜骸』様、本日はご迷惑をおかけします」

「これも依頼だ」

 

 

 

 守護者の間への門を抜け、薄暗い木々の間をユズリハ達は進む。歩み続けて約五分、やがて彼女達は、森の中にぽっかりと空いた円形の空間に辿り着いた。

 

 この不自然さが溢れる闘技場のような地の中心には、更に周囲の様子と不釣り合いなものが主張している。真新しい雰囲気の人工的な台座が四つ、一つを三角形で囲うような形で立っていた。

 

 これらは守護者へ捧げる供物の座。三角形を作る台座にはそれぞれ産出物を捧げる皿が用意されている。この三角形を全て満たした時、どこからか守護者が現れる仕組みだ。

 

「あとはこの魚を置いたら守護者が現れる、らしい。だからその前におさらいするぞ」

 

 氷漬けの魚を片手に、ユズリハは守護者に関する情報を語り始めた。

 

 夢幻迷宮一層『森』の守護者はジャイアントベアー。その名もずばり巨大な熊型の魔物だ。

 

 一層に発生する他の魔物同様火や雷などの特異な能力は持たず、用いる武器は己の肉体のみ。潔いほどに物理的暴力一辺倒である。

 

 なんだそれだけか、などと拍子抜けする探索者もいるが、それは大きな間違いだ。単純な力こそ恐ろしいという事実に気づかない愚か者が、これまで幾度となく四つ目の供物となった。

 

 ジャイアントベアーの体躯はおおよそ二階建ての家屋に匹敵する。その巨体から繰り出される攻撃はどれも圧巻、クラスシステムの恩恵を受けていたとしても到底人類に耐えられるものではない。侮り、正面からぶつかれば文字通り粉々と化す。

 

 ただし、ジャイアントベアーは普通の熊とは比べ物にならないほど知能で劣る。そのため罠や細工、誘導などはどれも非常に有効であり、駆使して戦えば時として傷一つ負うことなく討伐することも出来る。

 

 単純な力押しでは歯が立たず、代わりに頭を捻り工夫を凝らせば圧勝出来る。こうした要素から、ジャイアントベアーを超えて初めて探索者は一人前になれる、と考える者も多い。

 

「調べた限りこんな感じらしいが、油断さえしなければ私とお前なら楽勝だ」

「……ああ」

「それで二層もそんな感じに知られてるらしいけど、三層はまだ全然だって聞いた。二足歩行のお化け魚が守護者だとかなんとか、聞くのはそんな与太話ばっかだ」

 

 お化けに足は、魚にも無いんだから二重でありえない。そう冗談めかして笑うユズリハだったが、実は噂がそれなりに正しいことを彼女は知らない。

 

「……『竜骸』なら、もしかしたら知ってるかもな」

「なんならもうとっくに倒したぞーなんて言われても納得だな」

 

 実際、もう三枚に下したことも彼女達は知らない。

 

 知る由も無いが、けらけらと笑う内に交わす冗談が現実味を帯びていった。眉をひそめ斜め下を見ながら、やがて彼女は大きく一度頷く。

 

「うん、なんだかそんな気がしてきた。気になるしこれ終わったら、一緒に聞いてみよう」

「……ああ、そうだな。聞けたら、聞いてみるか」

「約束だからな!」

 

 ソマリは返事をしなかった。

 

 

 

 それから始まった守護者との戦いは、非常に一方的なものとなった。

 

「土出した!」

「よし、『ガスト』!」

 

 無論、ユズリハ達が有利で。

 

 ソマリが打ち砕いた地面を、露出した土や砂をユズリハの生み出した暴風が運ぶ。舞い上がった砂煙はジャイアントベアーの顔面に直撃した。

 

 視界を奪われた魔物はたまらずその巨大な手足をむやみやたらに振り回すが、そんなものが当たるほどユズリハもソマリも迂闊ではない。二人とも一歩引き、無様に暴れるジャイアントベアーの様子を観察している。

 

 先に隙を見出したのはユズリハだった。魔物の手ぶりに一定の空白があることを見抜いた彼女は、傍らの相棒へ鋭く呼びかける。

 

「ソマリ、後ろから足首! 撃って、駆け抜けろ!」

 

 返答代わりにソマリは大地を駆けた。そして斧を振りかざし、巨木のような魔物の右足首へ切りかかる。

 

「『崩旋刃』!」

 

 回転により破壊力を増した一撃は魔物の足首を裂き、更にはその勢いのままソマリを離脱させる。残るのはジャイアントベアーがあげる悲鳴と吹き出る血、そして無防備な傷口。

 

 一流の戦士であるユズリハは、一片の慈悲も無くそれを貫く。

 

「『空破・断』!」

 

 溜めることで通常よりも威力を高めた剣閃が、寸分違わず傷口へ炸裂する。この連携によりジャイアントベアーの右足首、そのおおよそ半分が切り裂かれた。出血量もあり既に死に体と言える。

 

 にもかかわらずジャイアントベアーの目には未だ戦意が、殺意の炎が宿っている。うすら寒いものを覚えながらもユズリハに生じたのは、迷宮の魔物への疑念だった。

 

 何度見ても普通の、外の生物ではありえない反応だ。多くの生き物は死が近づいた場合逃亡を、生存を優先する。徹底抗戦など子や群れを守る時くらいしか見られない。

 

 しかし迷宮の魔物は、目の前の守護者やあのスカイディアーも含め、どれだけ負傷しようと皆最期まで強烈な殺意を胸に戦い続ける。まるで、親の仇にでも会ったかのように。

 

 とめどなく溢れる疑問を彼女は振り払った。こうした雑念や油断が危険を呼ぶ、仲間を傷つけると理解しているからだ。

 

「今からもう一度目くらましをする。上手くいけばあいつは体勢を崩すから、そうしたらお前は足に全力で一撃かませ」

「分かった。お前は?」

「私は首を狙う。決まればこれで終わり、ずれてもお前の攻撃で身動きは取れなくなる、そしたらまた追撃だ」

 

 簡単な打ち合わせを終え、再び二人は動き出す。それから生まれたのはつい先ほどの繰り返し。異なるのは、ジャイアントベアーが足首の負傷を忘れて暴れ、その痛みに耐えかね倒れ伏したことだ。

 

 これは既にユズリハが予期した隙。故に彼女は、教えられたソマリは見逃しなどしない。

 

「『剛断』!」

「『風牙一閃』!」

 

 渾身のスキルがジャイアントベアーの体に叩き込まれる。左足が吹き飛び、首もまた体を離れて行った。紛れもない即死である。

 

 その証拠に数秒もすればジャイアントベアーの死骸は光を放ち始め、やがて解けるように光の粒子となって迷宮へと消えて行った。そして入れ替わるように、いつの間にか消えていた供物を捧げる台座が地面から生えて来る。

 

 ユズリハ達が残心を解いたのは、その不可思議な光景が終わってからだった。

 

「快勝、快勝。思ったよりあっけなく終わったな。この後はどうするんだったか」

「……中心の台座に触れると二層への転移陣が出現する。一度進んだ後すぐ帰還して、『鍵』に討伐の証が刻まれているか確かめろ。『竜骸』はそう言ってたな」

「そうそう。それじゃ早速見てみよう」

 

 戦闘後というのが嘘のような、非常に軽やかな足取りでユズリハは中心へと歩いていく。

 

 途中途中で他の供物が消えているのを興味深げに眺めながら、彼女はぽつりと呟いた。

 

「なぁソマリ」

「なんだ?」

「私たちって、なんだかんだ結構いい感じになったよな」

 

 返答は無かった。

 

「ほんとのこと言うとさ、最初はヤバい『竜骸』さんに加えて変なぐるぐるもいて、正直私の訓練終わったーなんて思ったりしたよ」

「……誰が、変なぐるぐるだ」

「悪い悪い。あの時はお前の事情なんて知らなかったから」

 

 告げる言葉とは裏腹に、今でもユズリハはソマリの事情をよくは知らない。彼女が興味本位で何度聞いても、彼が決して口にしないからだ。

 

 ただ、それでも彼女には胸を張って言えることがある。確信していることがある。

 

「だけど、こうして一緒にいてみればお前は滅茶苦茶いい奴だった」

「違う。俺はそんなんじゃ」

「いい奴じゃなきゃ、咄嗟に私を庇ったり興味もない話に付き合ったりしないだろ?」

 

 また返答は無い。しかし彼女は気にせず、伝えるべきだと信じることを続けた。

 

「あれから二週間か。今じゃすっかり仲良くなれた、友達になれたと思ってる」

「………………俺は、俺はそんなこと、認めてない。俺とお前は、友達なんかじゃ、ない」

「なんだよ冷たいなぁ。まあ、私がそう思ってるからいいんだ。お前は私の新しい友達。だから」

 

 そこでユズリハは言葉を区切る。息を整える。心を落ち着かせる。

 

「だから、さ」

 

 そして意を決し、彼女は懇願した。

 

「だからその斧、下ろしてくれないか?」

 

 高く斧を構え、今にも自身に振り下ろそうとする、背後の友へ。

 

「……気づいてたのか」

「これでも誉れあるエルフの戦士だからな。見てなくても、それぐらいは読める」

 

 息遣い、足音、武具の音。どれもが振り上げた斧の気配を、彼女が望むと望まなくとも友の裏切りを囁いていた。

 

 胸中で暴れる嵐を彼女は懸命に抑える。彼女は今この瞬間が自分の命、友人達の未来を左右するものだと、頭ではなく勘で理解していた。

 

 だからこそ密かに深呼吸を重ねてから、未だに斧を下ろさないソマリへゆっくりと語り掛ける。

 

「まだ私しか気づいていない。まだ、なかったことに出来る。よく考えろソマリ。もし私を倒せたとしても、次は『竜骸』さんがお前の相手だ。あの人を敵に回したらどうなるか、お前だって分かってるはずだ」

「そんなこと分かってる。分かってるけど俺は、俺には、やらなきゃいけないことが、ある」

「そのやらなきゃいけないことを、お前が抱えている事情を私は知らない。だから教えてくれ、どうしてこんなことを」

「……駄目だ。言ったところで、どうにもならない」

「それも分からないだろ。ちゃんと教えてもらって、もし私だけじゃ何も出来ないことでも、エリーや『竜骸』さんにも話して、それで一緒に考えてもらえば」

「絶対に、どうにもならないッ!」

 

 咆哮じみた叫びに森が震える。ユズリハにはそれが、悲鳴のように聞こえた。

 

「話せばどうにかしてくれるなんて、誰かが今更俺達を助けてくれるなんて、俺は、絶対信じられない!」

「……ソマリ」

 

 ソマリの声は震えている。構える斧もまた、迷うように揺れている。それでも決して下ろしはしない、ぶれる戦意も無くなりはしない。

 

 その気配を背中で察し、ソマリの意思が固いことを知り、彼女は決めた。

 

「分かった。もう、説得は諦める」

 

 結局ユズリハはソマリの事情を、やらなくてはならないことを聞くことは出来なかった。しかし、その代わりに自身のやるべきことを、使命を確信した。

 

 決意と共に抜刀、振り返りの勢いのままソマリへと斬りかかる。

 

「くっ!?」

 

 彼が咄嗟に斧を振り、この一撃が防がれることは予測済み。斧と木剣越しに視線を交わし、彼女は友へ向け宣言した。

 

「話の続きは、ゆっくり病院で聞かせてもらうッ!」

 

 目を見開き受け止めるソマリに、ユズリハは口角を上げることで答える。すぐに彼はその笑みから目を逸らし、強引に彼女を押しのけた。

 

「お、らぁッ!」

 

 力任せに押されたユズリハは、その勢いを利用して後方へと跳躍する。

 

 そして木剣の具合と手の痺れを確かめつつ、そんな場合じゃないと理解しながらも苦笑いを零す。

 

「相変わらず大した力だ」

 

 クラスシステムの恩恵により、性差がもたらす力の差は埋められている。だが種族、エルフと獣人の先祖返りという違いが、彼女達の間に圧倒的な筋力差を生み出していた。

 

 引いたユズリハを追いかけ、ソマリは真正面から突撃する。先の通り筋力差は歴然。このまま当たれば、彼女はあっさりと弾かれ吹き飛ばされてしまうだろう。

 

 無論、優れた戦士であるユズリハはそのような無策は取らない。

 

「だが、雑なのも相変わらずだな!」

「つぁ!?」

 

 上段から振り下ろされる斧を受け流し、滑るように横へと回り込む。そして無防備な腕、斧を持つ右手へ向けて木剣を打ち付ける。

 

 肉を打つ強烈な音が響き、ソマリは骨の芯まで届く痛みに一瞬身を固めた。その硬直をユズリハは更に突く。追い打ちをかけようと踏み込む彼女を追い払うため、彼は咄嗟にスキルへ縋った。

 

「ぐっ、『崩旋刃』!」

 

 つい先ほどジャイアントベアーにも使用した、回転と共に斧を振り回し、破壊力を人外の領域へと上げるスキル。転じてこのスキルを発動させれば、使用者の体は自動的に斧を携え一周することになる。今の彼のように、痛みに耐えかねていたとしても。

 

 ただし、そんな苦し紛れの一撃が当たる筈も無く、彼女はひらりと華麗に避ける。内心はさておき、その素振りは戦闘中に助言を行えるほど余裕に満ち溢れていた。

 

「そうやって焦ると、すぐスキルに飛びつくの悪い癖だぞ!」

「うる、さい! 戦いの途中だ!」

 

 踏み込み、乱暴に振るわれる斧へ木剣を合わせ弾き、逸らし、受け止める。再度の鍔迫り合いはまたしてもソマリが打ち勝った。

 

 先の再演のように後方へ跳びながらも、ユズリハの挑発染みた助言は止まらない。

 

「でも、その気持ちはよく分かる。ものによっては一撃で勝負を決める力があるからな。だけど強いスキルはその分、それ相応の隙もある」

「うるさいって、言ってるだろ!」

 

 大人ぶった言い回しにソマリの頭へ血が上る。力量、心情、状況。どれも彼から冷静さを奪い取っていく。

 

「だからそのための隙を見抜くか、自分で作らなきゃいけない」

 

 ユズリハの読み通り、狙い通りに。

 

「『風牙』」

 

 そして三度目の鍔迫り合いの最中、ユズリハはスキルを発動させた。風を纏う剣筋はこれまでの数倍の力を発揮し、目の前に迫る斧を斜め上へと跳ね除ける。

 

 今回も自分が押し勝つと無意識に信じ込んでいた彼の意識は、弾かれ上がる自身の手を前に一瞬真っ白となる。

 

 敵を前に、戦闘中に陥ってはならぬ絶大な隙。ユズリハが狙っていた、最もソマリを傷つけない勝機である。

 

「しまっ」

「シッ!」

 

 残る風の刃を一閃、斧へと飛ばして明後日の方向へと弾き飛ばす。更に返す一手は強かにソマリの右腕を打ち払った。

 

 木剣の一撃に彼は吹き飛ばされ、地面を数回転がってからようやく止まる。痛みに耐えながら、右腕を抑えながら立ち上がろうとした彼の眼前に、木剣が突き出された。

 

「勝負ありだな」

「……まだ、だ。まだ終わってない」

「武器は吹き飛ばした。利き腕も使えなくした。もうやめろソマリ。私はこれ以上、お前を傷つけたくない」

 

 返答は魔石だった。

 

 ユズリハが堪えるように視線を逸らした一瞬で、ソマリは懐から小さな魔石達を投げ捨てる。それらは空中で輝くやいなや、それぞれ小規模な火や雷を無造作に放つ。

 

 だがその程度、今更ユズリハに効果は無い。一刀にて切り捨て、無様に引いたソマリへ視線を送る。

 

「舐めるな! こんなこけおどしで」

 

 そしてその目は一瞬見開かれ、続いて鋭く尖った。

 

「本命は召喚か……!」

 

 彼女の視線の先には白銀の力、つい昨日見た忌まわしい輝きが地面に焼き付いていた。

 

 その光は数秒もせずに消える。代わりに彼女の目の前に現れたのは、これもまた昨日目にした生物兵器だった。

 

「これは、キマイラ? だが昨日のとは様子が」

「……こいつは普通のやつより力を高めた試作品。そのせいで、細かい制御は効かないらしい」

 

 赤く燃える獅子のたてがみ。毒息を漏らす紫の蛇。雷を纏う黒山羊。

 

 知識の無いユズリハに見て分かるのは表面的な変化のみ。それでも戦士としての勘が、ソマリの言葉が正しいことを感じていた。

 

 そしてキマイラはその脅威をすぐさま示した。咆哮と共に、炎のたてがみが膨張する。

 

「ッ!? 『エアプレッシャー』!」

 

 直感に従い回避ではなく迎撃、暴風を選んだユズリハは、自分の勘の正しさを今日も感じていた。

 

 膨らんだ炎のたてがみは一瞬の内に弾け、辺り一面へ弾け飛んでいた。風で防いだ彼女の周囲を除けば、他は既に火の海。彼女達を囲う森は、誰も逃がさぬ火の牢獄と化している。とりわけ二層へ向かう転移陣と守護者の間の出入口は、近づくことすら困難なほど赤く燃え盛っていた。

 

 立ち上る火、煙に眉間の皺を抑えられないユズリハに向け、ソマリは平坦な口調で囁く。

 

「エルフは、火が苦手らしいな」

「……ふっ。よく知ってるな」

「狩りの前に獲物の情報は調べろ。この訓練でも言われたことだ」

 

 エルフは遥か昔、木の精霊が実体を得たことで生まれたと言われている。実際の歴史などユズリハは知り得ないが、事実木が近くにあれば落ち着くし、火への恐れは人一倍ある。これは彼女だけでなく、エルフ全体としての傾向だ。

 

 今も火に囲われた影響かは判別つかないが、彼女は全身が重くなるような心地を覚えていた。

 

「さっきの言葉を返す。これで勝負ありだ、大人しくついてこい」

「断る。まだまだこれからだ」

 

 それでも彼女は笑って、ソマリの誘いを断ち切る。

 

「……お前は、生かして連れて来るよう言われている」

 

 対するソマリに笑みは無い。有利になろうと、勝ちが決まろうと、蝋で固めたように表情は動かない。

 

「だから頼む。死ぬなよ」

 

 そこに情を見出して、その言葉が紛れもない本心だと感じて。ユズリハはつい笑みを深めてしまった。

 

 訝し気に動きを止めるソマリと殺意に身を震わせるキマイラを一目し、それからそっと彼女は目を閉じた。

 

 隙だらけのユズリハを前にしても、両者に未だ動く様子はない。正確には、獲物を引き裂こうと身を屈めるキマイラを、ソマリがなんとか抑えようとする気配はある。

 

 だから彼女は、改めて決意を固めた。

 

「ああ、当たり前だ。私は死なない、死ねない。お前に私を、殺させるわけにはいかない」

 

 まだ死にたくない。何より死ねば誰もが不幸になる。自分を愛する皆が悲しむ。そしてソマリも『竜骸』に討たれ、望みは決して叶わないだろう。最後には無為な悲しみしか残らない。

 

 そんな未来は認めない。だから必ず生きる。そして絶対に勝つ。

 

 こうして決死の覚悟を決めたユズリハが瞳を開いた時、世界は既に変わっていた。

 

「……?」

 

 息が、白かった。

 

 黒く上がる煙はどこかへ消え、代わりに白銀の雪がはらはらと舞い落ちる。無意識に動かした足元からは、しゃりりと氷を踏み荒らす音が聞こえる。触れる空気はひんやり寒く、汗に濡れる彼女の体をぶるりと震わせた。

 

 そして森を燃やす炎は、燃やしたキマイラは、時が止まったかのように凍り付いていた。

 

 前兆のない世界の変貌にユズリハの、ソマリの思考が止まる。響く音は動揺が生む足踏みと、二人の浅く早い呼吸のみ。

 

 そんな凍り付いた、しんとした空気の中、足音が二つ。

 

「迷宮一層『森』には一つ、他層とは異なる決まりがある」

 

 悲鳴を漏らしたのは静寂を引き裂かれた世界か、それともソマリかユズリハか。

 

 いずれにせよもたらした者は何一つ気に留めずゆっくり、重々しくその歩みを続ける。やがて両者の間へ辿り着くと、二人へ向け突き刺すような声で忠告を告げる。

 

「森を燃やすと多額の罰金を課される。気を付けろ」

 

 『竜骸』ダアトが、そこに立っていた。




(一敗)
次回「自白と懺悔」です。
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