時は『竜骸』が、イリアスがユズリハ達と共に迷宮へ潜った直後に遡る。
彼らを見送ったシルヴァが会長室にて総会の準備を進めていると、突如として乱雑に扉が開け放たれる。顔を上げた彼の目に映るのは、息を切らし俯く友人の姿だった。
友人、ヘーゼルの様子に嫌な予感を覚える彼だったが、予想する暇も与えられなかった。それよりも早くヘーゼルが声を上げたからだ。
「シルヴァ、兵を出してくれ」
「唐突ね。いきなりどうしたの?」
「朧げだが夢を見た。今すぐ向かわなければ、お祖父様達は行方をくらましてしまう」
『予言者』の持つ大いなる力、予知夢に基づいた言葉。
どれほど唐突で突拍子もない発言であっても、これまで重ねた実績が多大な説得力を与えている。ましてシルヴァは何度もこの力に、ヘーゼルに命を救われてきた。彼が迷宮協会長の椅子に座れたのも、今も座していられるのも、ヘーゼルの協力があってこそであった。
そのため彼は何一つ疑うことなく用意していた傭兵、彼の数少ない手勢を差し出し、そしてヘーゼルを何一つ心配することなく送り出した。それが過ちかもしれないと考えもせずに。
十数人の傭兵を連れたヘーゼルが向かったのは前里長、祖父ホリーが滞在している『錬金術師』ワイラーの住居。
デルファ南の住宅街、そのはずれにぽつんと建つその家の扉をヘーゼルが叩くと、すぐにホリーが出迎える。その服装は旅装とはかけ離れた、とても簡素な装いだった。
「ヘーゼル、どうしてお前がここに」
「語らずともお分かりでしょう。昨日の件で参りました」
「……ふん。あれはお前の、お前に惑わされた同胞達の目を覚まさせるための処置だ」
吐き捨てる言いざまに傭兵達から殺気が立ち上る。
迷宮協会の傭兵は例外なく『竜骸』の被害に遭っている。その力、その恐怖を誰もが一度は、運の悪い者は複数回味わっている。
だからこそ彼らは事実上『竜骸』専属となった、なってしまいながらも懸命に職務を全うするエリーに対して深い、海よりも深い敬意を抱いている。よってその彼女を狙った、あまつさえ殺めようとした者への怒りもまた相当に根深いものだった。
しかし十数人、それも暴力を生業とする者達からの殺気を受けてもなおホリーに怯える様子はない。それどころか頭に血を上らせる傭兵達を眺め、鼻で笑う余裕すらあった。
「たかがかすり傷でここまで大騒ぎするなど、やはり人間は」
「年橋もゆかぬ少女を殺めようとして、それですか」
だがそれも、声を抑えたヘーゼルの問いかけに崩れ落ちる。
「……何?」
「更には口封じのため同胞を異形に変えるなど、どれも到底看過出来ません」
「待てシルヴァ。お前は今なんと」
「残念ですお祖父様。お話の続きは、迷宮協会にて聞かせていただきます」
「なっ、よせ、触るな下郎が!」
視線を切り、ヘーゼルは傭兵達に確保の指示を出した。いかなエルフとはいえホリーは老齢、更に人数の差もある。あっさりと拘束されて、家の外へと引きずり出される。
重要参考人を一人確保したが、まだ傭兵達の仕事は終わっていない。あと一人、『錬金術師』ワイラーの捜索及び連行が残っている。
そしてその目標は、ごく自然な動作で家の奥から影を覗かせた。
「あら、団体さんのお客様?」
「わ、ワイラー殿! お逃げくだされ!」
傭兵達が一様に息を吞んだのは緊張感か、それとも別の理由か。
いずれにせよワイラーは受けた視線に微笑みを返すと、困ったように頬へ手を当てる。そして悩ましげに息を漏らしてから、顔の横で両手を合わせ、傭兵達に向けてたおやかに頭を下げた。
「ごめんなさいね。ちょーっとおもてなしの準備をするから、少しお休みしてもらえるかしら~?」
甘い声の後、辺りに沈黙が訪れる。それから数十秒も経つと、家の中には誰もいなくなっていた。
以上が連絡のため遠くに控えさせていた者からの、唯一帰還出来た者からの報告である。
「要するに、まんまと攫われたのか!? お前、信頼出来る部下を用意するとか言っておいて!」
「本当にごめんなさい。私が判断を間違えたせいよ」
「間違えたで済む話じゃない! これからどうするつもりだ、どこ行ったのかも分からないんだろ!?」
シルヴァの胸倉を両手でつかみ上げ、ユズリハは怒鳴り続ける。びりびりと窓や扉が震え、机の上の調度品が揺れ動く。
そのうち一つが床に落ち壊れる音で、シルヴァの相貌に気を遠くしていたソマリがようやく正気を取り戻す。彼はシルヴァの爪先が浮きかけていることを見て、慌ててユズリハの肩に手を置いた。
「俺の言うことじゃないが落ち着け。お前の兄貴達は多分、あいつに実験体として捕らえられた」
「実験体だと!?」
「だから落ち着けって。認めるのも癪だが、あの女は実験体を丁寧に扱う。今すぐどうこうはされない」
ソマリの諭すような、そして確信を持った言い回しに彼女の怒りが微かに収まる。そのおかげか手元が緩み、シルヴァはなんとか地に足を着くことが出来た。
それから呼吸を整え人心地ついた彼は、当然の問いを口にする。
「お初の顔の貴方、随分とワイラーについて詳しいわね」
「ああ。俺はあの女の手先だったからな」
「ちょ、そ、ソマリ!」
突然の自白にユズリハの怒りはどこかへと飛んでいく。代わりに慌てふためくもすでに手遅れ、シルヴァは目を見開いている。つまりは聞き届けている。
黙っていればソマリの犯行はバレない。そう考え、エリーにも『竜骸』にも口止めを頼んでいたユズリハだったが、肝心の本人へそのことを説明し忘れていた。もっとも、仮にされていようと彼の行動は一切変わらなかったが。
ソマリの思惑はどうあれ、現在起きている重大事件の関係者、それもほぼ確実に犯人の手先という暴露。穏当な反応など返ってこないと考えている二人だったが、シルヴァが口にした言葉は予想外のものだった。
「そう。じゃあソマリちゃん、ワイラーが向かった先の心当たりなんてある?」
「えっあ、ある、けど」
「なら教えてくれないかしら。一刻も争う事態なのよ」
一切棘を感じさせない、柔らかい口調でのお願い。
エリーも鳥肌を立てつつ首を捻ったが、一人ですぐに納得した。何故ならある意味、ソマリは最悪の状況に現れた貴重な手がかり、天の助けとも考えられるからだ。
「……迷宮協会に睨まれてることが分かった以上、あの女はこの街から逃げようとする」
「もうデルファから脱出した、ということかしら」
「いや、それでもまだ街に、研究所にいると、思う」
決意とともに吐き出した自白は放置され、代わりに矢継ぎ早に質問を繰り返される、それも奇怪な生命体に。そんな過酷な状況に置かれても、ソマリは懸命に言葉を選び続けた。
「あの女は研究に狂ってる。だから逃げ出すにしても器具とか本とか、絶対に色々持ち出そうとして、それで選び切れなくて、今頃多分、全部持っていこうとして苦戦している筈だ」
「ふぅん。それでその研究所の場所は?」
「……条件が、ある」
「へえ?」
「あの女が連れて行こうとしている中に、実験体の一人に、俺の妹がいる」
「その子を助けて欲しいってこと?」
「そうだ。俺と違ってあいつは、ルーシャは何も悪いことなんてしていない。ただ、あの女のところにいただけなんだ。あんた達にも見捨てられる理由なんて、絶対にない」
それは交渉と呼ぶのも憚られる、子供の言い訳のような物言い。
思わず眉間に皺を寄せるシルヴァの前に、自身の胸元を握り締めながら語るソマリの横に、その時ユズリハが並ぶ。そして勢いよく頭を下げた。
「私からも頼む。条件とかそういうの抜きで、こいつの妹を助けてやって欲しい」
「お前……」
彼女の姿勢に、言葉にソマリは困惑を隠し切れない。つい先ほど襲ってきた相手のために、どうしてここまで。
理解は追いつかないものの、彼の体は自然と動く。隣のユズリハに倣い、彼も深くお辞儀をしていた。そんな二人を前にして、シルヴァは自身の胸を強く叩き宣言する。
「任せなさい。迷宮協会に名において、必ず貴方の妹を救うと誓うわ」
それが何の保証にもならないことをソマリは知っている。
「ああ、そうだ! 約束する、私が必ずお前の妹を助けてみせる!」
しかし続くユズリハの勢い任せの約束が、彼に微かな笑みを与えた。一方、それを聞いたシルヴァの表情は渋い。
「いや、貴方はここで留守番」
「止めても無駄だぞ。というか、お前じゃ私は止められないだろ」
「ぐっ」
ユズリハの言う通り、彼女は制止されても必ず救助へ向かう。そしてそもそも彼女を止めるだけの戦力がシルヴァには残っていない。
「さて、それじゃあ誰を派遣するか、という話なんだけど」
その現実に打ちのめされた彼は、咳払いの後に部屋を見回す。お目当て、出来得る限り干渉を避けたかったそれがまだ室内にいることを確認し、彼は喉の調子を整えた。
そうして声が震えていないことを口の中で三回確かめてから、彼はそれに向け声をかける。
「探索者『竜骸』ダアト、協力をお願い出来るかしら?」
ここまで蚊帳の外にいた、いつまで話してるんだろ、早く助けに行けばいいのに、などと他人事のように考えていた『竜骸』にようやく水が向けられた。
急に話かけられて驚き、思わず飛び上がりそうになっていたことは、幸いなことに誰にも気づかれていない。そして更に幸運なことに、今回はそうならなかった。本日迷宮協会の屋根に穴は空いていない。
「自分たちでやらないのか」
「痛いところを突くわね。だけど今動かせる私の手勢はほぼ全滅。恥ずかしい話、打つ手なしなの」
「……あんた、会長なんだろ。この街で一番偉い奴が、もう何も出来ないのかよ」
言葉の棘はともかく、ソマリの疑問は『竜骸』も感じたものだった。
かつて『竜骸』は迷宮協会に所属する傭兵を全て打ち倒した。人数こそ数えていないが、文字通り人の山をいくつか作った覚えはある。だから迷宮協会の傭兵は十数人程度ではないはず。
その質問に答えるシルヴァの顔は、社会に疲れ切った者特有の悲哀に満ちていた。
「名目上はね。でも実際のところ、迷宮協会の会長なんてのはただの中間管理職。バランサーの一種でしかない」
肩を竦める彼の前でソマリは首を傾げる。
「……ばらんさぁってなんだ?」
「バランサーな。えぇと、組織とかにいる色々調整して頑張る人、でいいんだよな?」
「ええ。利害関係や思惑を調整し、組織が円滑に動くため働く役割、という意味合いです」
古来より、迷宮都市デルファは世界の中心と呼ばれている。
その所以は、デルファが人類の屋台骨である夢幻迷宮を抱えているからだ。そして迷宮協会はその迷宮を管理しており、デルファという街そのものも統治している。よって迷宮協会とは、ある種世界を管理している組織とも考えられる。大げさだが、ここまでは事実と言ってもいい。
ただし、ならばその頂点に立つ迷宮協会長は世界を支配しているのか、となると話は変わる。
先日ライラックが引き起こした決闘事件から分かるように、こと現在に至っても迷宮の独占を狙う国や組織は多い。繰り返しになるが、迷宮とは人類社会の要。つまり迷宮を手中に収めることは、そのまま世界を手にすることを意味する。
そのための足掛かりとして、迷宮協会は常に様々な干渉を受けている。それは多額の出資であったり、息のかかった人材の派遣であったり、他国を貶めるための条約の推進であったり、例を挙げればきりがない。
また、生え抜きの職員や歴戦の元探索者の傭兵でさえ、鼻薬を嗅がせられている者も数多くいる。このため迷宮協会職員であっても、シルヴァが心から信頼出来る者は一握りしかいない。
その上で各国の思惑を時に受け入れ、時に利用し、時に他の策略とぶつけて相殺し、主に三大国が無茶な行動を起こさぬよう国同士の均衡を密かに維持する。
このようにあらゆる手、卑怯卑劣と呼ばれるようなものを使ってでも、迷宮が誰の手にも渡らぬよう調整し続けることが迷宮協会の、ひいてはその長であるシルヴァの役目だ。
長年なんとかその職務を全うしてきた彼だったが、最近になって大きく状況が変わった。『聖女』を巡る決闘、それに伴い巻き起こった聖王国メイシスにおける動乱である。
三大国の一つが迷宮を独占するため、各国が保有しているという最終兵器を持ち出したこと。それを『竜骸』、規格外とはいえ個人に易々と破壊されたこと。そして『聖女』の末路の暴露やそれを理由に引き起こされた『聖女』アカシアによる革命。どれもシルヴァの胃に穴を開けるには十分過ぎた。
幸い国内の混乱こそアカシアの剛腕により収まりつつあるが、最終兵器の損失や『聖教』の威光の陰りなど、聖王国の国力低下は凄まじい。それこそ、三大国の均衡が崩れかねないほどに。
この状況が続けば、最悪の場合魔帝国と連合が結んで聖王国に攻め入る可能性もある。そしてそうなれば、戦後残るのは二大国のみ。第三国を失った二大国は迷宮を巡り対立を深め、やがて大陸中を巻き込んだ全面戦争を始めてしまうかもしれない。
あまりにも悲観的な仮定ではあったが、シルヴァにはそれに備える義務があった。
そしてそのために相談、協力を求めたのが旧知の中であるエルフの里長ヘーゼル。彼の助言と予言によって生まれた解決策が、エルフとの国交回復である。
「お言葉ですが会長、それは聖王国の代わりに、他国への抑止力になるのでしょうか」
「微妙ね」
「えっ微妙なのか? だってエルフだぞ」
「そりゃエルフもエルフの里との交易も魅力的だけど、とにかく数が少ないもの。聖王国の暫定的な代わりにもならないわよ」
じゃあどうして。一同が抱いた疑問にシルヴァはすぐに答えた。
「大事なのは、迷宮協会が主体となって国交を回復させたという事実。迷宮協会そのものの力を高める、あるいは高まったように見せることで、二大国に少しでも足踏みさせるのが目的だから」
「だとしても、エルフの里と迷宮協会の間でほぼ確約済みの条約です。決議を行う通常総会は間近ですから、今更気が付かれても特に問題ないのでは」
「その総会に出席するために、もうデルファに到着している理事もいるのよ。特にあのとんでもない辣腕っぷりを見せつけた彼女なら、ここから一丁噛みしようとしても、出来ても不思議じゃないわ」
だからこそ彼はこのような状況に陥っても、未だに自身の勢力のみでの事態解決を諦めていない。
これをどう見るかは個々人それぞれの考えによるが、少なくとも『竜骸』、イリアスにとっては理解しがたい愚行だった。
「だが、今はこうだ」
「その通り。甘えた考えのせいで大失敗。親友まで危機に晒してしまっている」
冗談めかして肩を竦めるものの、その笑みは硬く醜い。
迷宮と迷宮協会を巡る陰謀になど興味はなく、くたびれた大人の様子は目に毒でしかない。『竜骸』はシルヴァの話を容赦なく断ち切り、強引に話を本題へと戻した。
「御託はいい。報酬はなんだ」
「この契約書でどうかしら?」
シルヴァが差し出したのは協会長の名と印、そして契約書とのみ書かれた書類。肝心の契約内容については白紙のものだった。
内心首を傾げる『竜骸』と同様、ユズリハも腕を組んで頭を悩ませていた。
「兄さんを助けてもらう以上、エルフからも何か出すべきだよな。でも私が約束出来るものなんて何かあったか?」
ぶつぶつと呟く彼女には誰も触れず、シルヴァの説明が続く。
「決裁済みの契約書、それも白紙のね。ここに貴方の望むものを書いてもらえれば、私の権限で出来る限り何でも叶えるわ」
「バランサーがか」
「信用出来ないのは分かる。だけど、それを傾けてでも叶えるつもり」
迷宮協会は以前ゴルゴン討伐において、報酬として白紙の小切手を『竜骸』へ送った。未だにそれが清算されていない以上、金銭の類を提案しても意味がない。
「……じゃあエルフからも、私があとで何でも言うことを聞くからー、なんて」
そのため出した苦し紛れの一手に、何を考えたのかユズリハも便乗する。笑みも真剣味もない表情から、友人が何も考えずに戯言を漏らしたことをエリーは察した。
ユズリハの冗談未満の発言からおよそ十秒、冷え切った空気が会長室に流れる。エリーが友人の冥福を祈りかけたその時、予想外の返事が彼女の耳に届く。
「いいだろう。その二つで依頼を請ける」
「えっこれでいいのか、じゃなくて、あ、ありがとう!」
喜び勇んでお礼を告げるユズリハとは異なり、他三名には沈黙が宿ったままだ。協会長であるシルヴァならともかく、ただのエルフでしかない彼女に何を願うのか。
少しの間それぞれ異なる想像を巡らせていたが、とうとう一人堪え切れなくなる。ソマリは言葉に迷いながらも『竜骸』へと問いかけた。
「……『竜骸』、その、こいつにいったい、何をやらせるつもりなんだ?」
「四層へ向かう陣稼働の補助だ。何度か試したが、人手が必要だった」
何気ない返事が三人、エリー以外に絶大な衝撃を与える。エリーはこっそり頭を抱え始めた。
その言葉が意味することは一つ。『竜骸』は人類の歴史上誰一人超えられなかった壁を、三層の守護者を既に打倒している。前人未到の場所に辿り着いている。
僅かに芽生えた嫌な予想は一瞬で消え去り、常に生じている気持ちがソマリの瞳に舞い戻った。
「依頼の準備をしに行く。三十分後、迷宮協会の南側入口に集合しろ」
「あ、ああ、分かった! じゃあ俺もう行って、待ってるから!」
「あっ待てソマリ! その前に装備の点検ぐらいしろ!」
『竜骸』はいつも通り幽鬼のような静けさで足早に立ち去り、ソマリとユズリハもドタバタ音を立てながら外へ駆け出していく。
こうして会長室に取り残されたエリーとシルヴァの間には、奇妙な沈黙が再び訪れていた。
じわりじわりと増す緊張感の中、彼はじろりと彼女へ視線を送る。その視線は猜疑心に満ちていた。
「……もしかして、知ってた?」
「いえまったく全然」
エリーはしらを切った。