首の断面から血をまき散らす姿を見て、このトカゲについての文章を思い出した。バジリスクの体液は非常に強力な毒であり、人が浴びれば肉も骨も溶けてバラバラになるほど、とかなんとか。明日には迷宮が再編されるとしても、こんな汚物を放っておくのは気が引ける。とりあえず首と体、両方とも氷漬けにしておいた。
まあこんなものはどうでもいいや。この人の治療の方がずっと大事。庇っていた石像が無事か確認しようとして、僕は正直びっくりした。まだ呪詛とトカゲを引っこ抜いただけなのに自然と治り始めている。この人の自然治癒力かな、たくましい。顔に足に手。見えているところだけでも、まだら模様にじわじわと石から肉へと戻っていく。
そういえば石化した人が治る瞬間初めて見る、こんな感じなんだ。興味深くてぼーっとそれを見ていると、何かの煙が視界の隅に映る。なんだこれ、あぁトカゲの血が海を蒸発させて出来た毒煙か。このくらい別に、じゃなかった、これ不味いやつだ。はっとして石像の顔を見る。
石像の人は順調に回復していて、顔はそろそろ鼻と口が生身に戻りつつある。つまり、そろそろこの人の呼吸が始まる。今僕達の周りに浮かぶ毒煙が聞いた話通りなら、これを吸った瞬間この人は肺が溶けて即死する。肌が爛れた程度なら僕でも治せるけど、死んでしまったらどうしようもない。
どうしよう、抱えて離脱する? でもこの半端な状態で無理に動かせば、文字通り肉と石に分解されてしまうかもしれない。風を起こして吹き飛ばす? 感じ取れないけれど、飛ばした先に人がいたら死んでしまう。治るまで守る? 僕はその手の魔法が苦手だ。これを防ぐものを発動させるには、短くても数十秒は欲しい。その間に多分呼吸が始まって、この人は絶対に死ぬ。
跡形もなく消し飛ばしておけばよかった、なんてのは後の祭りで、僕は一人わたわたと慌てていた。せっかく助かりそうなのに、僕のこんなうっかりで死なせたくない。この状況で僕が出来ること、今僕が持っている物。頭を整理している内に一つ思いついた。
先生からの誕生日プレゼント。今僕が着ているローブなら、この程度の毒は防げるはずだ。迷っている暇は無い。急いで鎧を解除してローブを脱ぐ。それから石像に、もう女の子と言った方がいいかもしれない、ローブを包み込むように被せる。
これで大丈夫かな。緊張を胸に女の子の様子を観察していると、やがて小さな呼吸音が聞こえた。苦しげでも儚げでもないただの寝息。よかった。なんとかなったみたい。安心して一息ついたところで、毒煙の対処法についても思いついた。
僕と女の子を中心に竜巻を引き起こし、毒煙を上空の一点、僕の頭上に集める。少し待って全部纏まったのを確認した後、その中心に太陽をイメージした火の玉を作り上げる。昔からよく言うはず。悪いものは燃やせばなんとかなる。汚れは熱湯で落とす。そういうのと同じだ、きっと。
この時の僕は、それはもう油断していた。石像の治療が出来て、女の子も守れて、後始末もちゃんと出来て。間抜けにも鎧も展開し直さず満足し、自分が作った太陽を晴れ晴れとした気持ちで眺めていた。我ながら綺麗に出来たな、なんて戯言まで考えていた。
だから、女の子の意識が戻っていたのも、僕をぼんやりと見上げていたのにも、全然気づいていなかった。
「てんし、さま…………?」
聞きなれない呟きに耳を疑い、振り返り、青空と目が合ってしまった。ローブから覗く、金色の髪と透き通るような青い瞳。動揺して動けず、見つめ合ったまま数秒過ぎる。何かを口にしようとした女の子が崩れ落ちそうになったから、僕もやっと動けてそれを支えた。どうやら、また意識が落ちたみたいだ。
胸元ですぅすぅと、気持ちよさそうな寝息を漏らす女の子を抱え、僕が思うことはたった一つ。
顔、見られちゃった。
しばらくの間固まっていたけれど、もうやってしまったことはしょうがない。女の子をローブに包んだまま、僕は迷宮を離脱して家に帰った。
氷漬けにしたトカゲはあんなものでもお金になるらしいから、そのままエリーさんに届けておいた。大きいままでも迷惑だけど、細かくするとそれはそれで毒をまき散らして迷惑になる。最後までガッカリ感溢れるトカゲだった。エリーさんも似たような気持ちだったのか、冷めた目で僕が持ち込んだそれを二十秒くらい黙って見てた。
「大体こんな感じだったよ」
「不憫だな、その嬢ちゃんも」
「……あっそうだね、この人も大変だよね」
「そっちじゃねぇんだが。まあこっちもか」
行って帰って来るまでのことを話すと、オウルはほんの一瞬酷く憐れむような表情を浮かべた。石になんかされて、しかもトカゲなんて仕込まれて。確かにこの人、考えれば考えるほど可哀想だ。納得する僕へ微妙な目を向けながら、オウルは仕切り直すように咳払いをする。それからベッドに寝かせた女の子の方を向いた。
「一瞬意識は戻ったんだよな?」
「うん。それで、顔も見られちゃった」
「それは別にどうでもいい。そっからまた寝たのは、呪詛の影響とかか?」
「……多分?」
「おいおい、お前が治したんだろ。患者の容態ぐらいしっかり把握しろ」
「さっきも言ったけど、なんか自然に治ってたからよく分かんない」
僕がしたのはあくまで毒抜きみたいなもので、本格的な治療はあの後やるつもりだった。治療って言っても、回復魔法をかけるくらいだけど。僕はお医者さんじゃないから適当に回復魔法で治せても、何がどうしてあの人が治ったなんて理屈はさっぱり分からない。
「ならしゃあねぇ。呼ぶか、医者」
「えー」
「俺もお前も分かんねぇんだからしょうがねぇだろ。このままなんか悪化したらどうすんだ」
「……はーい」
それを言われるとぐうの音も出ない。僕のやだなぁって気持ちとこの女の子の命。どっちが大事かなんて比べる意味も無かった。
それからオウルが呼んだのは近所に住む『癒し手』のお婆ちゃん、ウィザさん。『癒し手』は回復魔法、じゃなくて回復系のスキルが使えるクラスで、お医者さんみたいなことをしている人が多いそうだ。ウィザさんはこの道六十年の大ベテラン、デルファでもかなり腕がいい方だとか。
「ただの疲労だね」
「本当か?」
「怪我も無いし呼吸も正常、なんのスキルも感じないよ。放って置けばその内目が覚めるはずさ」
見たり触ったり聴いたり、あとは何かのスキルを使ったり。なんだか色んな検診をした後、ウィザさんの出した結論は過労だった。石化の後遺症とかトカゲのあれとか、心配事はたくさんあったけど、どれも杞憂だったみたい。ちゃんと生きていてくれてよかった。
部屋の外から覗き見、盗み聞きして一安心していると、ウィザさんは傍らのオウルに意地悪く問いかけた。
「それより一体こんなめんこい子、どこから連れて来たんだい? まさか男やもめに」
「アホ抜かせ。イリアスが連れて来たんだよ」
「坊やが?」
意外そうに声を吊り上げ、ウィザさんがこっちに振り向いたから陰に隠れる。顔だけちょっと出して、オウルにアイコンタクトを送った。僕だと絶対石化の誤魔化しとか出来ないから説明お願い。ため息と一緒に頭を抱え始めたから、無事に伝わったみたいだ。頑張って。
「あー、どこから拾ってきたかは知らねぇが、なんかその辺にぶっ倒れてたんだとよ。で、イリアスはあれだからな、とりあえず家まで運んだらしい」
「坊やは酷い人見知りだからねぇ。今日も私の前には出て来てもくれない」
「……お前に寄り付かねぇのは、また別の話だと思うがな」
「坊やがあんまり可愛らしいのが悪いのさ。私がこんな干物じゃなくてあと四十若ければ、絶対に唾つけていたね」
「お前、今年でいくつだ?」
「ぴちぴちの七十五歳さ」
「そうか。早くくたばれよ」
とても酷いことを言うオウルに、何故かウィザさんはきひきひと上機嫌な笑みを返していた。僕にはさっぱり笑いどころが分からない。おそらくこれはきっと、噂に聞く老人ジョークってやつだ。一人納得している内に、話は別の方向に進んでいた。
「にしてもその辺で拾ったねぇ。それを聞くと、やっぱり妙だね」
「そうか? イリアスが変なもん拾ってくんのはいつものことだが」
「男の子らしい可愛い趣味じゃないか。そうじゃなくて、この子が疲労以外健康そのものってところがだよ」
「……具体的には?」
「見てごらん。肌は真っ白で髪も艶やか、どっちも丁寧に手入れされている。お貴族様でも早々見ないよ、こんな大切にされている子」
「……あー」
「それにこの服も絹か何か、結構な上等品だねぇ。私ら庶民には到底手が出ない、というよりどこで買うかも分からないくらいさ。しかも倒れてたって割にはほつれ一つ、汚れ一つどこにも見当たらない。どれも行き倒れにはあり得ない特徴さ。本当にこの子、その辺で拾ったのかい?」
返答に困ったオウルがこっちを見る。見ないで。オウルは確かに嘘が下手だけど、僕のはそれ以上にダメダメだ。そうして男二人で押し付けあっている間に、僕はとあることに気がついた。これ言わなきゃ駄目かな。言わないと駄目だよね、多分。
「まぁ、このババアには関係ないことさね。私はしがない『癒し手』、探偵の真似事はここまでに」
「……あの、ウィザさん」
「おぉなんだい坊や! 今日も赤いお目目が真ん丸で可愛いねぇ、食べちゃいたいくらいさ!」
「なんでこのババア、牢に繋がれてねぇんだろうな……」
心底疑問そうに、オウルが顎髭を弄りながら呟く。なんでも何も、ウィザさんは別に何の犯罪もしていないからだけど。僕こそオウルの言葉を不思議に感じつつ、頑張ってウィザさんに気づいたことを告げようとした。
「えっと、えっとね、その、その人」
「うんうん、坊やが拾って来たお姫様のことかい?」
「お姫様、かは分からないけど、その人ね、もう、起きてるよ」
「……ふむ、本当だ。このババアの目を誤魔化すとは、中々したたかなお姫様だね」
僕の言葉を受けてウィザさんも見抜いたらしい。それにしても、なんでこの人狸寝入りなんてしてるんだろ。首を傾げる僕をウィザさんが舐めるように見てから、にやりと笑いながら女の子に顔を寄せた。
「その辺の話は本人に聞こうじゃないか。さあ目を開けな、悪いけど問診の時間だよ!」
はきはきとしたよく通るウィザさんの声から少しして、ゆっくりと女の子の瞼が開かれる。
「…………おはよう、ございます」
この場で誰よりもか細く頼りない、それでも確かに生きている人の声だった。ウィザさんの診察を疑っていた訳ではないけれど、やっぱり声を聞くと生きてるって実感があって安心する。ほっとしながら、僕は女の子が目を覚ました一瞬で部屋の隅へと移動した。
「おはよう。早速だけど、自力で起き上がれるかい?」
「すみま、せん。からだが、うまく」
「あぁいい、無理するんじゃないよ。喋るのも無理そうなら問診も後回しにする、どうだい?」
「だい、じょうぶです」
力無く、微かに頷いたようだった。ウィザさんはそれに大きく頷き返すと、ゆっくり、それでいてはっきりといくつか質問を重ねて、その答えを紙に書き込んでいく。数分経って問診が終わると、ウィザさんは確かめるようにそれを読み上げた。
「痛みは特になし。ただとにかく全身に力が入らない。この感じは疲労、それもスキルを過度に使用した症状だろうね。それで、念のためもう一度聞くけど名前は?」
「すみま、せん」
「何度も謝らなくていいよ。記憶が無きゃ、あんたが悪いのかどうかも分からない」
女の子曰く、どうして倒れてたかはおろか、自分が何者かも覚えていない。俗に言う記憶喪失。何をどこまで覚えていて、何を失っているか。それはまだうまく話せないから分からない。
初めて見る記憶喪失に驚きを隠せない僕とは反対に、ウィザさんは流石の貫禄だった。片目を閉じて考えこむ素振りを見せるだけで、落ち着き払った診療を続けていた。
「しっかしあてが外れたね。どうしてあんたみたいな子が路上に落ちてたのか、聞けばすぐ分かると思ったのに」
「……………………わた、し、みちに?」
「あの黒髪の、天使みたいに愛らしい坊やが言うにはそうらしいよ。あとで礼を言っておきな。あの子が拾わなきゃ、あんた今頃畜生共の餌になっていたはずさ」
二人分の視線を向けられて反射的に隠れそうになる。それを摘まみ上げたのは、女の子が目覚めてから僕と同じく部屋の隅にいたオウルだ。筋肉ダルマはいるだけで患者に負担がかかる、とウィザさんに追いやられたからだ。反論出来ないオウルは可哀想で、あと少し面白かった。
「わっ、お、オウル?」
「顔の一つでも見せてこい。誰に拾われたかくらい気になるのが人情だろ」
「そういうものかなぁ」
「そういうもんだ。ぐちぐち言ってねぇで行け」
そう言って、摘まみあげた僕を女の子の方へ放り投げた。猫じゃないんだから、こういう扱いには不満がある。でもちょっと楽しかった。また今度やってもらおう。僕がこんな思考に走っているのは、着地とともに女の子と目が合ってしまったことへの現実逃避だ。
「……」
「……」
空色の矢が僕に突き刺さる。酷く弱弱しいのに、僕を見つめる視線は食らいつきそうなほど何かに必死だ。何言えばいいんだろう。何か僕が声をかけるべきってことは流石に分かるけど、それ以上は分からない。病人なんて相手にしたことない。言うこと言うこと、聞きたいこと聞きたいこと。
「えっと、だ、大丈夫? 生きてる?」
「ろくでもねぇ質問だな」
オウルがいきなり投げるからでしょ、と心の中で反論しつつ、正直自分でも無いと思った。こんなこと言って傷付いちゃったらどうしよう、それで体調もっと崩しちゃったらどうしよう。踏ん張ってオウルに抵抗しておけばよかった。そんな後悔をする僕を見て、何故かその女の子は緊張を崩し、軽い笑みまで零す。
「ふ、ふふっ。は、い。おかげ、さま、で」
「よかった」
「……ありが、とう、ございま、す」
それだけなんとか言って、女の子は再び瞼を閉じる。そしてまた、安らかな寝息をし始めた。
「寝ちゃった」
「限界だったんだろうね。問診した私が言うのもなんだけど、この状態でよくあそこまで話せたもんさ」
「……大丈夫かなぁ」
「安心しな坊や。一晩寝れば歩けるくらいにはなってるはずだよ。さて、じゃあ私はもう帰るとするかね」
ぽんぽんと僕の頭を軽く、軽くないな、なんだかじっとりと撫でた後、ウィザさんは荷物を片付け始めた。お仕事完了らしい。また安心を重ねる僕と打って変わって、慌て始めたのがオウルだ。
「おい、こいつ置いてくのか?」
「何度も言っただろう。記憶のこと以外はただの過労、入院するほどじゃないよ。それにこんな得体の知れない子、うちに置いといたらえらいことになりそうだ」
「……薄々わかっちゃいたが、やっぱ面倒の種か、こいつ」
「だろうね。まあ、あんたさえいればどうにでもなるだろ」
苦い顔をするオウルの肩を思い切り叩いて、ケタケタ笑いながらウィザさんは帰った。玄関が閉まる音を聞いてから、僕もオウルの腕をちょんちょんとつついた。
「ねぇねぇオウル」
「……安心しろ、お前が助けた命だ。面倒だからって追い出しは」
「凄く眠くなってきたから、僕もう寝てもいい?」
「…………………………そういやお前十徹だったな。とりあえず、飯は食え」
頭痛でもするかのようにオウルは頭を押さえていた。飲み過ぎかな。
次回「初めての命名」です。