ヘーゼルさんのどこか挑発的な言い回しに首を捻りつつ、答えは一瞬で出た。
「別に、何も」
「………………今、なんと」
「えっと、別に、何もしません。別に、いらないから」
何故だか呆然と聞き返すヘーゼルさんに、もう一度同じことを告げる。宣言通り僕はヘーゼルさんの語る罪に対して、特に何かをするつもりはなかった。
僕としてはそれ以上言うこともなかったけれど、アリスの方はどうだろう。答える前に確認すればよかったなと反省しつつ、神妙な顔をするアリスに声をかけた。
「アリスもそれでいい?」
「イリアスくんさえよければ、私は構いません」
「ほんとに?」
「はい」
本当は全然よくなさそう。そう感じたのはあくまでも僕の直感に過ぎない。それに本人がいいって言ってるから、今日のところはよしとしておこう。
こんな風に僕がさっさと切り上げたのは意地っ張りアリスの気配がしたから。こういう時のアリスは、根気強く説得しないと中々本音を話してくれない。それをしないで諦めたのはちょうど迎えが、オウルがこの病院に到着した気配を察知したから。
僕がいるから迎えなんていらないのだけれど、僕とアリスだから、子供二人だから必要らしい。日が落ちた後に子供だけで帰したことを知られたら、後々オウルがご近所さんにとてつもない集中砲火を食らうとかなんとか。前に町内会でえらい目に遭ったと言っていた。
オウルはあんまり待たせると後でうるさいから早く合流しておきたい。聞くべきことは聞けたし、あんまり長居するとヘーゼルさんも大変だろうし、今日はもうこの辺でお暇しよう。
「オウルも来たみたいだしそろそろ、僕達は帰りますね」
「イリアスくん、お見舞い品は」
「あっそっか、忘れてた」
「お待ちください!」
道中買っておいた焼き菓子を取り出しかけたところで、ヘーゼルさんから強い制止がかかる。もしかして持ち込み禁止だったりするのかな。案内をお願いする前に受付の人に聞いておけばよかった。
呑気な感想を抱く僕とは反対に、ヘーゼルさんは暗く幽鬼のような表情を浮かべていた。
「……お待ちください、お二人とも。何故、何故何も私に言わないのですか」
「な、何故って、だって特に何も、言うことが見当たらなくて」
「何も!? 私は大恩ある貴方を利用し、何も知らせぬままエルフの絶滅という大罪に加担させました! これを罪と言わずに何を言うのでしょうか!?」
自分の頭を掻きむしりながらヘーゼルさんはかすれた声で叫ぶ。こっそり病室に防音の結界を張っていなければ、警備の人がすぐさま飛んで来るくらいには大きい声だった。
それにしても、さっきまでの落ち着いた態度とはまるで別人だ。いきなりここまで興奮されるとちょっとびっくりする。
何がそんなに気に食わなかったのかはぴんと来ないけれど、ひとまず僕の考えを説明してみよう。それで上手く宥められるかもしれない。
「ヘーゼルさんは、頼るのと利用するの違いって分かりますか?」
「突然何を」
「僕もちょっと考えてみましたけど、正直全然よく分かりません」
言葉って難しいですよね、なんて続けても、ヘーゼルさんは返事もしてくれなかった。
魂に刻まれたクラスシステムにより基礎言語が自動的にインストールされる現行人類とは違って、僕の語彙は勉強して覚えたものしかない。意味や使い方の理解もそうやって自分で学んだ分だけだ。
だから思う。言語、日本語って本当にややこしい。そもそも『日本』の意味が分からない。場所の名前らしいけれど、国なの、地域なの、それとも世界の名前なのって疑問が未だに解決されていない。先生に聞いても、いつも何故だか濁されちゃうし。
そんな言語の愚痴は脇に置いといて、少し待っても僕の質問にヘーゼルさんは、アリスも答えてくれなかった。この感じだと人類に共通して刻まれる基礎言語の中にも、明確な解答はないみたいだ。
だから僕は自分なりの答えを二人に告げるため、ついさっき思ったことを口にする。
「エリーさんが襲われたあの日、僕はアリスに頼りました」
襲撃者とはいえ相手はエルフ、つまりは脆弱な人類の一種。うっかり殺してしまわないよう注意する必要があった。
でも『鎧人形』制御の問題もあって『絶対死なせない魔法』は使えない。そこで代わりにアリスに頼んで抱っこさせてもらうこと、原初の魔法を応用することでなんとかかんとか無事に手加減は出来た。
あれは一応ちゃんとお願いして、その上で受け入れてもらった。だからよく言えば、僕はあの時アリスに頼った。
「だけどあれってよく考えると利用してた、道具扱いしてたって言えるかもしれません」
けれどもその時、僕はアリスに原初の魔法はおろか何の説明もしていなかった。だから悪く言えば、僕は何も知らないアリスを緩衝材代わりに使ったとも言える。
「イリアスくん、私はそんなこと」
「僕はよくなかったって思ったから、僕にとっては利用しちゃったで。でもアリスはそうじゃないって言ってくれるから、アリスにとっては頼られたで」
この違いは何かって聞かれたら、僕は一つしか答えらない。
「だから頼ると利用するの違いは、お願いされた人の気持ちの問題でしかないんじゃないかなって」
やったことは同じ。目に見える結果に違いはない。判断材料は当事者の心の内だけ。頼るのも利用するのも、表面上の事象はほとんど変わらない。
「それでこれ、ヘーゼルさんにも言えるなって。今の僕と同じだなって」
「いいえ、違います。共にいらっしゃったアリスさんと遠くから隠れ、何も告げずに利用した私は」
「同じだと、僕は思います」
僕はヘーゼルさんに頼られたのだと、ほかならぬ僕自身がそう考えている。だから僕にとって、今日言われたあれこれは全部利用じゃなくて信用だ。
「頼られたって感じた僕がヘーゼルさんを怒るのは、なんだか変な話になっちゃいますよね」
「しかし、それは!」
反射的に大きな声で否定して、それっきりヘーゼルさんは唇を噛んで黙ってしまった。
ここまで食い下がられるといくら僕でも察しが付く。理由はまだ分からないけれど、ヘーゼルさんはきっと僕に怒られたいんだ。
それならそれで、ずっと不思議と感じていたことがある。
「……どうして怒られたい時って、皆変に悪ぶるんだろう」
ヘーゼルさんがさっきしていたなんだか持って回った、妙に挑発っぽい言い回しもきっとそう。今思えばあれは僕を怒らせたくて、あえて気に障りそうな口ぶりを選んでいたんだろう。
ああいう変に芝居がかった話し方を聞いていると、ほんの少し前のことなのに、何故だかとても懐かしく感じる思い出が蘇る。
「アリスもああいうのしてたよね」
「えっ私も、ですか?」
「うん。ほら、聖王騎士団のところから連れ戻しに行った時」
「……あっ」
「あの時のアリス、なんか弱そうな、残念なアカシアさんみたいな話し方してたじゃん」
「ざ、残念なアカシア。それはただの、居丈高で高飛車なお嬢様じゃ」
「そうそう、そんな感じ。しかもびっくりするくらい下手だった」
ガーンって言葉がぴったりな仕草をしてからアリスが固まった。
そんな空気を読まない漫才をした後でも、ヘーゼルさんの考えはまだまとまっていなかった。様子を窺っても口から出るのは苦し紛れの否定だけ。
「私は、そのようなこと」
「そうじゃなかったら、こんな風に話してくれなかったと思います」
怒られたくないのなら全部黙っていれば、最初からしらばっくれてればよかった。ちゃんとした証拠がない以上、ヘーゼルさんにそうされたらアリスだって引き下がるしかなかったはずだ。
ヘーゼルさんは僕の正体を、力を知っている。だから僕が本当に怒って見境がなくなったらどうなるのか。その予想は簡単につくだろう。少なくともヘーゼルさんは跡形もなく消滅する。場合によってはこの病院も、果てはエルフの里も。
その上であんな振る舞いをしていたのだから、考えられる可能性は三つ。ヘーゼルさんが単に考えなしなのか、僕を舐めていたのか、もしくは死んでもいいと思っていたのか。
「さっきも言いましたけど、僕はヘーゼルさんに利用されたんじゃなくて、頼られたんだって思ってます。そっちなら、別に怒ることもないかなって」
エリーさんを殺そうとしたって聞いた時はさすがにむっとした。だけども中身を聞いて、僕がいるから絶対平気だと思ってたと言われて、なんだかすっかり納得してしまった。
やったことは明らかにおかしい、どう考えてもとても悪いことだけれども、そこには僕への絶対的な信頼があるように感じる。それを思うと手を振り上げる気持ちが薄れるというか。結局エリーさんには何の被害もなかったし。
それにヘーゼルさんがさっき叫んでいたエルフの滅亡を手伝わせた、というのも実感が薄い。もしかするともっと未来、絶滅が形となって現れる数十数百年後に思うところが出来るかもしれない。僕からすれば想像も出来ないほど未来だから、はっきり言ってまだ怒りようもない。
今日この病室で僕にヘーゼルさんの色んな表情を見てきた。でもヘーゼルさんは凄い大人で嘘を吐くのも上手みたいだから、その内どれが本当でどれが偽物なのか判別がつかない。
それでもきっと、どこにも僕達への悪意や嘲りはなかった。僕の魂が落ち着いているのがその証拠だ。
だからたとえヘーゼルさん側が利用してしまったと後悔していたとしても、僕の方は頼られたんだと胸を張って受け止められる。
ただ僕はもうそれでいいけれど、このままで済ませてはいけない人もいる。
「あっでも、エリーさんにはちゃんと謝った方がいいです。エリーさん、あの時怖がってましたから」
「……私の罪は公には出来ませんから、彼女へ謝罪することは不可能かと」
「えっあっそっか。じゃあ、どうすればいいんだろ」
理由も言わずに突然謝られてもエリーさんだって困るだけだろう。かといって謝らない、何もしないのも僕の中にしこりが残る気がする。
頭を悩ませる僕の横でアリスが唐突に不可思議な、難しいことを言い出した。
「聖教の神は、人を裁きません」
そしてアリスは青空のような瞳をヘーゼルさんに向けながら、更に難解な言葉を続ける。
「かの神はただ人を愛すのみの存在です。またエルフの崇める神、シロガネ様は貴方の背を押し、クロガネ様、イリアスくんは貴方に罪があると考えておりません。そしてこの街の法は貴方の罪を見逃すと、先ほどご自身でおっしゃいました」
「それでは、私の罪は」
「認定されていない罪を裁くことは不可能です。よって誰も貴方の罪を知らず認めない以上、誰かが貴方を裁くことは決して、未来永劫にありえません」
ヘーゼルさんの罪は絶対に裁かれない。アリスはそう断言した。
通常物理法則下において観測出来ないものへの干渉は不可能。それは概念上のこと、罪も同じだろう。誰も知らない罪を裁くことは出来ない。
当然のことを言われたヘーゼルさんの瞳から、不思議なことにじわじわと光が消えていく。わなわなと震える面持ちが絶望に染まっていく。
アリスはそんな不気味な反応を見ても眉一つ動かさなかった。少しの間黙って観察をし続け、やがて神聖さすら感じさせる静謐な声色を発した。
「ですから貴方の罪をどうされるかは、貴方自身の手に委ねられています」
「私、の?」
「自身に罪などないと投げ捨てるのか、怯え隠し一生背負い続けるのか、自ら罰を定め贖うのか。全て貴方の自由、貴方の意思のみで決めなければいけません」
ゆっくりと凪のような、横で聞いているだけの僕にも染み入るような口調だった。
その甲斐あってか、ヘーゼルさんの瞳から徐々に絶望の色が薄れていく。代わりに今度は揺れる焦燥が浮かんだ。
それにしても罪やら罰やら贖いやら、どこを取ってもやけに難しい話だ。当事者じゃない僕でもこんがらがって来たから一度まとめてみよう。
ここまでの流れからして、ヘーゼルさんは自分が凄く悪いことをしたと思っている。事実、アリスの態度や言葉、あとは聞きかじりの法律とかも考えると、ヘーゼルさんのしたことはごめんなさいで済む範囲じゃないんだろう。
けれどもその悪いこと、罪を公に裁くとせっかく結んだエルフと人間の国交がまた断裂してしまうかもしれない。それを防ぐために迷宮協会はヘーゼルさんのも含め、エルフの罪を全部なかったことにするつもり、らしい。
ヘーゼルさんはそれを認められない。特に悪いことをした自分は罰せられなきゃいけないと思っている。だから法律が裁いてくれない分、利用してしまったと考えている僕に怒って欲しかった。
でもその僕がまったく怒らず、しかもアリスに誰も罪を裁ける人はいない、自分だけだと言われて。当てにしていた罰はなくて、償いや贖いも自分で作らなきゃいけないと指摘されて。
僕がまったく経験も想像もしたことのない状況に今ヘーゼルさんはいる。改めて考えてみても、やっぱり複雑でよく分からない状況のままだ。
「今、無理に決めなくても、いいと思います」
だから僕は横から口を挟んだ。
「エリーさんに謝って欲しいって言いましたけど、色々事情とかもあるからどうすればいいのかなんて僕も分かりませんし。贖いどうこうって、言葉だけでもなんだか難しいですし」
罪の贖いなんて、少し考えただけでも訳が分からなくなってしまった。あれがこれがそれがってなって、全部が全部絡み合って混乱してしまうのもきっと当然のこと。
こんな難しい問題、どれだけ頭がいい人でもいきなり答えを出せるはずもない。ゆっくりじっくり悩んで迷って、それから決めた方が絶対にいい。中途半端なものを選んでしまえば相手に、自分にも後悔が残ってしまいそう。
「まだまだこれからも、人生先は長いから。もっとゆっくり考えてもいいと思います」
「……先、か。そうか、俺にも、先が出来たのか」
予想外の幸運が舞い降りた、まるで宝くじでも当たったみたいに呆然とした面持ちで、ヘーゼルさんは誰に聞かせるでもなく囁いた。
力のない声だった。そして、直前までいた絶望も焦燥もそこにはなかった。ぼんやりとした希望のようなものは、微かに感じられた。
なんとなくこれで、アリスのお説教みたいな言葉から続いた会話がひと段落したような気がする。
「あっそうだ」
そこで途中言おうかなって思って、だけどタイミング悪いかなって考えて、言うのをやめていたことを思い出した。
「今更なんですけど、クロガネ様より、イリアスの方がいいです。これ、お父さんとお母さんがつけてくれた名前らしいから」
「……それは、大変失礼しました。以後改めます、イリアスさん」
「あっ、でも、あだ名みたいなのつけてくれたのは、凄く嬉しいです。ネーミングも、先生とお揃いみたいで」
「あだ名ですか。それはなんとも、イリアスさんらしい感性ですね」
僕らしいとは。
疑問を覚えつつ、ヘーゼルさんの薄っすらとした笑みを前にしてそれはひっこめた。こんなに笑ってるんだから多分褒めてくれてるんだと思う。
僕も合わせてなんとなく苦笑いを交わして、ちょうど話のキリがよくなったことを感じた。
もういいかな。これで僕から話したいこと、話すべきことは本当になくなったと思う。
アリスに目で確認してみれば、緩やかな頷きが返って来た。心なしか満足げにも見える。その様子に一安心した僕は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「はい」
色々片付けて、すっかり忘れていたお見舞い品を改めて渡して、ヘーゼルさんにお別れの挨拶をして。
全部済ませてさあ帰るぞって扉に手を伸ばした時、後ろから控え目に声をかけられた。
「イリアスさん、アリスさん、最後によろしいでしょうか」
「あっはい。どうぞ」
「恥ずかしながらまだ、私が成すべきことは分かりません。己の罪に見合う罰も贖いも、甚だ見当もつきません」
それでも一つだけ言えることは、言うべきことはあると、ヘーゼルさんは続ける。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」
今日はよくごめんなさいを聞く、見る日だなって思った。半分以上は覗き見だから僕が悪いのだけれど。
真摯に謝るヘーゼルさんの様子はその時のことを、ソマリの格好よかった姿を思い出させる。同時に耳にしたこと、勝手に勉強させてもらったことが頭を過ぎった。
「あの、今日初めて聞いたんですけど、ごめんなさいには、これからもよろしくお願いしますって意味もあるらしいです」
「初耳ですが面白い解釈ですね」
「僕もそう思います。だから今、ヘーゼルさんから聞けて安心しました」
「……ありがとう、ございます。貴方様の寛大なお許しに、心からの感謝を」
顔を上げたヘーゼルさんの表情は、憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとしていた。顔色がしわしわなのはまだ変わらないけれど、この調子ならその内身体もよくなるだろう。
そんなヘーゼルの様子をじぃっと観察していたアリスが、僕にしか分からない程度に小さく息を吐く。何か言いたいことがあるみたいだ。
「すみません。私からも一つ、言い忘れたことがありました」
「お聞かせください」
「貴方の望みはもう、既に叶っています」
今日一番柔らかくて温かい、優しさと思いやりだけが籠っている話し方だった。思えばこの病室に入って以来、アリスは今初めてこの類の声を出したような気がする。
それはともかくヘーゼルさんの望みって『予言者』のクラスを失うことじゃ、しかもそれはもう叶ったってさっき本人も言ってたような。
疑問に思う僕を、続くアリスの言葉が更なる謎へと誘い込む。
「私の知る限りですが、この街で過ごすユズリハさんはいつも自由に、楽しそうにされていました」
「──」
僕には理解出来ない意味合いをヘーゼルさんは読み取れたらしい。数秒ほど唖然とした後、両手を挙げてから観念するように呟く。
「……まったく末恐ろしい方だ。最初から私など敵うはずもなかったか」
ちなみにヘーゼルが「ぐへへ、クロガネ様超ちょろい。上手く利用してやったぜー」みたいに内心舐め腐っていた場合、冒頭でノータイムグーパンが顔面に炸裂して今回の話が三行で終わります。