【コミカライズ】探索者イリアスは人見知り   作:差六

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幕間「『予言者』ヘーゼル 下」

 目を覚ました時、ヘーゼルは自分の正気を三度疑った。

 

 一つは死んだはずの自分にまだ意識があったこと。もう一つは眼前の光景があまりにも美しかったこと。そしてその景色を美しいと感じる感性がいつの間にか蘇っていたこと。

 

 そこは呪われた森において異様な地だった。見上げた空は抜けるように青く、太陽は暖かく全てを照らし、風は穏やかに吹き甘い花の香を運んでいる。

 

 花。それが一番の異常だった。

 

 寝転ぶ彼を包むように、黄金の如くきらめく花が辺り一面に咲き誇っている。エルフとして数多くの花や植物に触れて来た彼が、今まで夢ですら見たことも聞いたこともないもの。

 

 困惑の中彼は起き上がり、改めて目の前の風景を観察する。澄み切った空。清廉な空気。見知らぬ黄金の花々。どこを切り取っても、現実とは思えないほど美しい景色。

 

 まだ完全に覚醒しきっていない彼は、朧げな意識のまま妄言を繰り出した。

 

「ここは、天国?」

「いいえ。貴方はまだ生きています」

 

 零れ出た疑問に、熱を失った声が言葉短く答える。反射的にヘーゼルが振り向くと、そこには喪服のような装束に身を包む、極めて陰気な雰囲気の女が座っていた。

 

 だが美しい女だった。その手の話題を嫌悪するヘーゼルですら一瞬見惚れてしまうほどに、

 

 そうして目を見開き呆然と見つめていれば、やがて彼もその特徴に気がつく。

 

 深い夜を思わせる蒼の瞳。空に瞬く星のような白銀の髪。そして命を超越した者のみが纏う神秘。

 

 かつて里の老人から、今朝妹からも伝え聞いた姿を前にして、ヘーゼルの身体は自然と跪いていた。

 

「失礼を承知の上お尋ね申し上げます。貴方様は森の守り神、かのシロガネ様でいらっしゃいますでしょうか?」

「神もその名も名乗った覚えはありませんが、貴方たちエルフが私をそう呼んでいることは知っています」

 

 回りくどく奇妙な答えではあったが、それは確かに彼の問いかけを肯定するもの。

 

 この方があの、森の女神シロガネ様。

 

 そう確信した彼は恭しく礼をし、そのまま感謝の言葉を女へ捧げた。

 

「本日は愚昧をお救いいただきまして誠にありがとうございました。心よりお礼申し上げます」

「……」

「ユズリハは里にとっての至宝。もし失うことがあれば、里は悲嘆の雨に暮れていたことでしょう」

「であれば貴方も、命を投げ捨てるような真似はやめなさい」

 

 だが礼を受けた女は厳しい口調でぴしゃりと言い放つ。

 

「迂闊に魂喰み森林へ足を踏み入れればどうなるかなど、貴方たちエルフも十分理解しているはず。現にこの子が通りかかり、ここに連れて来なければ貴方は森の一部となっていました」

 

 守り神と崇める相手から説教である。ヘーゼルであっても、普段なら恐縮しきって萎縮していた。

 

 しかしこの時彼の注意は女の視線の先、彼女の膝に頭を乗せて仰向けに眠る子供へ吸い寄せられていた。

 

「この方が、先ほどの……?」

 

 黒髪の、妖精と見紛うほどに愛らしい子供だった。およそ暴力や争いとは縁遠く見える。

 

 よって彼がそう疑うのも無理はない。気持ちよさそうに寝息を立てる姿は先ほどの異様、黒い鎧の化物とはまるで似ても似つかない。魂を鷲掴みされるような圧迫感はどこへ行ったのか、ついまじまじと寝顔を眺めても彼に生じるのは穏やかな気持ちのみだった。

 

 本当にこの子が。駆け巡るヘーゼルの疑問を埋め合わせる答えが、突如として彼の頭に舞い降りた。本人としては恐らく天啓に感じられた。

 

「……まさかこの方は、シロガネ様のご子息」

「違います。この子は私の弟子です。『預言者』とは思えぬ救いがたい節穴ですね。言葉を慎みなさい」

「た、大変失礼いたしました、申し訳ございません!」

 

 しかし守り神から矢継ぎ早に否定され、更には容赦ない罵倒までいくつも重ねられる。ヘーゼルが慌てて頭を地に擦りつけるのは必然だった。

 

「…………姉さまを差し置いて母を名乗るなど、そこまで恥知らずにはなれません」

 

 そのせいで女の独り言に気がつかなかったのは、両者にとっても幸運だっただろう。

 

 彼女は常に抱えている罪悪感を零した後、続けて大きなため息を吐く。それから地獄の底のように冷たい目で、今も土下座し続けているヘーゼルを見下ろした。

 

「酷く気分を害しました。罰として、酷な事実を貴方に告げましょう」

「も、申し訳ございません、どうか、お許しを」

「死をもってしても、貴方は『預言者』の呪縛から妹を解き放つことは出来ません」

 

 打ち抜かれたようにヘーゼルの謝罪が止まる。代わりに跳ね上げた顔は驚愕に満ちていた。

 

「貴方の過去は読みました。森に踏み込んだ目的も理解しました。しかしそれは、貴方の死では絶対に叶いません」

「よ、『預言者』は私です。あの悍ましい夢も知るのは私と祖父だけ、私が消えれば実現する訳が」

「かのクラスは『勇者』や『聖女』と同じ枠組み、円滑な世界運営のため特別に用意したものです。あれらと同様必要がある時にのみ生まれ、その際は空席を許しません」

 

 もっとも『聖女』に関しては、よほどのことがなければ恒常的なものですが。続く言葉もその前の説明も、世界の本当の歴史を知らないヘーゼルではまったく理解することが出来ない。

 

 そのため彼の理解が及んだのは途中の僅か一説、『預言者』は空席を許さないのみだった。

 

「つまり、私が死んだとしても、代わりに里の誰かが次の『預言者』になるだけ…………?」

「誰がなるにせよ、引き継いだ者は貴方と同じ苦しみを味わうことになるでしょう」

 

 ヘーゼルの推測を何の躊躇いもなく女は肯定する。これはヘーゼルを大いに動揺させた。

 

 彼の甘い想像上では自分さえ死ねば『預言者』は消える、よってあの悪夢はその後絶対に実現しないはずだった。だがそうではないと女は語る。

 

「『預言者』のクラスは耐え難きことを耐え忍び、最も多き幸福のため苦渋の決断を下せる者を選定します。種の運命を読み仲間の未来を選択するには、何よりも強い精神力が求められるためです」

 

 そこで言葉を区切り、彼女は呆然と地に顔を伏せるヘーゼルの顔を見つめた。

 

「貴方が最初に選ばれた。その意味は分かりますね?」

「……私の後は、私よりも早く心が折れるということでしょうか」

「己の命を絶つか、あるいは夢に屈するか。どちらを選ぶのかはその者によります」

 

 ユズリハやホリーが『預言者』に選ばれてしまえば、今の自分と同じ苦しみを背負うことになる。もし別の者がなったとしても、その者はいずれ自分のように夢に破れる。そしてそれを実現し、残された家族は生き地獄を味わうことになる。

 

 故にどう転んだとしても、ヘーゼルの死が導く家族の行先は筆舌しがたい悪夢である。

 

 宣言通り酷な事実を告げられ、彼は歯が砕けかねないほどに強く噛み締めた。無意識に握られた両手は震え、息も荒く乱れている。

 

 しかし彼は世界にその心の強さを認められてしまうほどの男。呼吸を重ねる度に平静を取り戻し、顔を上げる頃にはなんとその瞳に強い意志と決意を宿らせていた。

 

「シロガネ様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「構いません」

「私は何故、あの状態から助かったのでしょうか?」

 

 女はその唐突な話題の転換に思い切り眉を顰めた。理解不能だからではない。既に質問の意図が分かってしまったからだ。

 

 その上で彼女は周囲を指し示し、ヘーゼルの求める答えを口にする。

 

「ここに生い茂る植物はかつて黄金草と呼ばれていたもの。貴方も知るあのエリクシールの原材料の一部です。加工をせずとも黄金草には相応の薬効があります。死に体だった貴方の身が癒えたのは、この植物に包まれたからでしょう」

「でしたらこちらの植物を、いくつかいただけないでしょうかッ!?」

 

 前のめりな願いに彼女は小さくため息を吐く。読み通りだったからだ。

 

 その反応には気がつかないままヘーゼルの勢いは増し、倒れそうなほどの姿勢で懇願を続けた。

 

「こちらの薬効により身だけではなく心も癒えた実感があります。これさえあれば、私はまだ『預言者』の任を務めることが出来ます!」

「……持って行き、どうするつもりですか?」

「持ち帰り栽培を。それが困難であれば、再びこちらに出向き」

「どちらも難しいでしょう。今の現世ではこの植物の栽培は不可能です。また、クラスに縛られた貴方たちでは、この森を歩くことすら自殺行為そのものです」

「私の力があれば」

「この森は摂理の歪む地、貴方の力は役に立ちません」

 

 予知夢は因果律予測の一種である。これは世界の物理法則が規則正しく運営された状況、魔法などの外法を排除した環境でなければ成立しない。

 

 そして魂喰み森林は多くの都合により現在も歪んだままであり、クラスシステムに許された予知程度では到底歯が立たない。

 

 さらにもう一つ、魔女が否定する理由がある。

 

「加えて薬と毒は表裏一体。黄金草の常用はかえって貴方を蝕み、心身を容易く破壊するでしょう」

 

 強い薬効を持つということは、逆に言えばそれだけ強い副作用を秘めていると考えてもよい。奇跡的な配合により副作用を帳消しにしているエリクシールとは異なり、黄金草単体の服用では相応の負荷が生じてしまう。

 

 淡々と簡潔にまとめられた説明は、かえってヘーゼルの心をかき乱した。

 

「では、どうすればいいと言うのですか!?」

 

 自分の死は安らぎどころか、家族を地獄に誘いこむという。ならば生きるしか、生きて役目を果たすしかない。だが独力で成し遂げられると思うほど、彼は自分を信用出来ていない。現に今日、彼は心折れて諦めてしまった。

 

 だから降って湧いた幸運、黄金草の力によって自分を保とうとすればそれすらも否定される。ヘーゼルは目の前の存在が何かも忘れ、感情のままに怒鳴り上げた。

 

 興奮に呼吸を荒げるヘーゼルと、そんな彼を無機質な瞳で眺める魔女。一瞬、辺りに沈黙が流れる。それから先に動き出したのは自分が何を言ったのか理解し、息を呑んだヘーゼルだった。

 

「申し訳、ござい」

「……せんせー?」

 

 その謝罪を、子供特有のふやけた甘い声が差し止める。

 

 ヘーゼルの叫び、怒りが女の膝で眠っていた少年の意識を浮上させていた。

 

 寝ぼけ眼で彼女を見上げながら、彼は不思議そうに師へ問いかける。

 

「せんせー、どうしてここいるの?」

「貴方の様子を見に来ました。それよりもまだ寝足りないようですね。目を瞑っていなさい」

「ぅん」

 

 女は目を擦ろうとする少年の手を優しく握って止め、もう片方の手で宝物を扱うように何度も頭を撫でる。そのぬくもりで眠気が蘇ったのか、やがて少年はうつらうつらと舟をこぎ始めた。

 

 その流れには逆らわず、眠りに引きずられながらも彼は女に微笑みかける。

 

「お昼寝きもちいーよ? せんせーもしよ?」

「分かりました。用事を済ませましたら、私も」

「えへへっ、やたー」

 

 ふにゃふにゃとした口調で小さく喜びの声をあげ、ほどなくして彼は再び眠りに落ちた。

 

 しばらくの間、少年の静かな寝息だけが流れ続ける。女は彼の胸を黙ってとんとんと叩き、ヘーゼルはその様子を何も口に出来ず見守るのみ。

 

 やがて少年が完全に寝入ったのを確かめた女は、おもむろに片手を虚空に掲げる。次の瞬間にはヘーゼルの足元に白銀の魔法陣が広がった。彼は知る由もないが、これは転送魔法の一種である。

 

「森の外へ転送します。二度とこの森には足を踏み入れないように」

「……はい」

「それとこれを。手を出しなさい」

 

 魔女が指示を出した瞬間、今度はヘーゼルの胸元に白銀の魔法陣が広がる。言われるがまま彼が手を伸ばすと、そこから上質な布で作られた白い大きな袋が落ちて来た。

 

「これは、なんでしょうか?」

「貴方に手土産をと、眠る前にこの子が摘んでいたものです」

 

 その袋は彼の身長半分ほどに大きく、また相応に重い。その重みに彼が身を傾けかけたところで袋の口が開きかける。そこには無数の黄金が顔を覗かせていた。

 

 口を開き何度も袋と女を見比べるヘーゼルを置き去りにして、彼女は平然と説明を続ける。

 

「効果は薄れますが必ず煎じて飲みなさい。半年に一度の服用であれば毒には転じず、その量なら十年はもつでしょう」

「は、えっ?」

「ただし、それでも副作用は生じる可能性もあります。今日のように、どうしようもなく追い詰められた時のみ頼るように」

「は、はいっ!」

「この子が起きます。声を控えなさい」

 

 黄金草の詰まった袋を抱えながらもヘーゼルはなんとか口を手で封じた。なんとも言えない奇妙な姿勢だったが、その程度の奇行で魔女の様子は変わらない。彼女はその手のことは義兄や義姉でよく慣れていた。

 

 彼女は凍り付いた表情のまま、それからもう一つ、と更なる助言を繰り出す。

 

「望みを叶えたくば、絶滅の危機を失くしなさい」

 

 そして何も察していないヘーゼルの顔を見て、すぐさま言い換えた。

 

「『預言者』は種が滅亡の岐路に立った時のみ現れるクラス。退くのか進むのか、どのような道であれ、貴方が選んだ瞬間にその力は役目を終えるでしょう」

 

 曖昧な補足をされ、ようやく彼も思い至る。これは死以外の『預言者』から逃れるための方法。滅亡の危機を失くす、つまり再興か滅亡を己の手で確定させること。

 

「ですがこの力は、エルフを救う使命のためのものだと」

「使命など」

 

 この時初めて、ヘーゼルの前で女は大きく表情を崩した。使命を嘲り吐き捨てた。

 

「そんなくだらないもの、早く捨てなさい。それは人を呪う愚かな言葉遊びに過ぎません」

 

 思いも寄らない答え、言いざまにヘーゼルは呆気にとられ、何も考えずに頷いてしまう。

 

 常と同じ、あるいは少しだけ満足げにそれを見届けた後、彼女は別れの言葉代わりに話を結ぶ。

 

「この子がわざわざ拾った命です。無駄にすることは許しません」

「……そ、そうだ、名前を、そちらの方の御名前をッ」

「無用です。この子のことではなく、貴方は自分のことを考えなくてはなりません」

 

 そして一呼吸、躊躇いを飲み込んでから彼女は続けた。

 

「両親を失った日を思い出し、家族のことをよく考えてから道を選びなさい」

 

 返事をする間もなくヘーゼルの視界は光に包まれ、そこで夢は終わった。

 

 

 すっかり見慣れた天井を見上げながら、ヘーゼルは薄く笑みを浮かべた。

 

「……昔のことを夢に見るなんて、不思議な気分だ」

「それが普通よ。未来を読んでいたこれまでがおかしかっただけ」

 

 彼が呆れた調子の声の方を向くと、そこには肉団子のような体型の持ち主、迷宮協会長にして彼の友人でもあるシルヴァが座っていた。

 

 声をかけたのにも関わず、彼の視線は手に持った書類に向けられている。ぺらぺらと忙しなく紙をめくる様子を見て、ヘーゼルは思わず分かり切ったことを聞いてしまう。

 

「仕事はいいのか?」

「まっっっったっく、全っ然よくないわね。おかげさまで、毎日キレそうなぐらい忙しいわ」

「だったら」

「でもだからって、ダチの見舞いをサボるってのもおかしい話でしょ」

「……ああ、いつもありがとう」

「それと今日は報告もあるの。ワイラー達の処遇が決まったわ」

「処刑ともみ消し?」

「半分は合ってる。ワイラーは『奴隷』堕ち。あのエルフ達は実験体で、ホリーさんについてはもみ消した。もちろんその分、色々と働いて貰うつもりだけど」

 

 エルフ達はともかく、『錬金術師』ワイラーの処遇に関しては迷宮協会内でも非常に紛糾した。命を容易く弄ぶ恐ろしい研究を知り、多くの者が彼女の処刑を求めた。

 

 だがその途中、シルヴァの発言により議論は覆る。

 

「うちの子を襲ったあのエルフ達、癪だけどあのままにはしておけないでしょ?」

 

 アカシアの温情を受けたソマリ達とは異なり、襲撃者のエルフ達は今も異形のままである。生みの親であるワイラーを葬ってしまえば、彼らは元に戻る手段、手がかりすらも失ってしまう。

 

 それからあれよあれよと議論は転がり、結局ワイラーは迷宮協会の所有する刑務『奴隷』となった。これから彼女は魔石によって変えられたエルフ達を戻すための研究を強制されることになる。

 

 簡単な経緯と説明を聞いてから、ヘーゼルは至極どうでもよさそうに呟いた。

 

「別に、そのままでもいいんじゃないか?」

「いやいや不味いでしょ。ただでさえエルフは数が少ないんだから」

「だが彼らに言わせれば、エルフとは誇り高い森の守護者らしい。ならあの程度の甘言に乗るような愚か者にはあの姿すらもったいない、むしろ先祖返りの方々に申し訳ないくらいだ」

「……アンタ、やっぱ裏だと滅茶苦茶口と性格悪いわー」

 

 呆れつつ、シルヴァは安心したように笑みを浮かべた。

 

「それだけ憎まれ口叩けるなら、この間来た時よりずっとよくなってるってことよね」

「ああ。なにせ最近はよく眠れているから」

「それは何よりだけど、それよりいったいどうしたのよ。アンタずっと死んだ魚みたいな目してた癖に、今は不気味なくらい生き生きとしてる。何かいいことでもあったの?」

「今日はイリアスさん達が来てくれてね、色々とためになる話をしてくれたんだ」

「へえ。あの子達が?」

「巻き込んでしまった件について色々とお詫びしたのだけれど、とてもあっさり許されてしまった。許されるどころか、むしろ励まされてしまったよ」

「……いい子達ね」

 

 浸るように呟いてから、シルヴァは気持ちを作るため、あえて固く作った声に切り替える。

 

「言いにくいけれど、実はそのいい子達に関して相談したいことがあるの」

「二人の素性について?」

「いつもいつも、恐ろしいぐらい話が早くて助かるわ」

 

 皮肉げに口元を歪めた後、シルヴァは表情を引き締めた。

 

「結論から言うと、アリスちゃんは聖王国の前『聖女』リリアンかもしれないと私は考えている」

 

 へぇ、と辛うじて音になったヘーゼルの声が病室に響く。

 

「それじゃあイリアスさんは?」

「アリスちゃんの正体が当たっていれば、間違いなく『竜骸』ダアトの関係者。限りなく低い可能性だけど、我ながらとても信じがたいけれど、もしかすると本人かもしれない」

「それは、本当なら心臓が飛び出そうな事実だ」

 

 言外に根拠を求める相槌に応えるため、シルヴァは語り始めた。

 

「初めてアリスさんを見た時、実は私腰が抜けかけたの。だってあの子の顔、以前会った『聖女』リリアンそのものだったもの。化けて出たのかと思ったわ」

「その時どうして確かめなかったんだ?」

「聞いたところで、はいそうですなんて認める訳ないでしょ。それに顔はともかく雰囲気が全然違ったから、その場は勘違いと思って流したのよ」

 

 襲撃のこともあってそんな場合じゃなかったし、という締めにヘーゼルは内心目を逸らす。彼は例の事件について真相を、自分の本当の狙いを伝えていなかった。

 

 国交の回復による『預言者』の消失。その過程における自身の死。それに責任を覚えた祖父へ里の今後を押し付けること。計画の後者二つを知られた瞬間、全力で殴られ止められると理解していたからだ。

 

 幸いと言っていいのかは不明だが、今のところシルヴァは何一つ知らなかった。

 

「全て終わってから念のために調べてみたら、これがまあ引っかかることがあってね。アリスちゃんが現れた時期と、前『聖女』リリアンが失踪した時期がちょうど一致したの」

「それだけなら偶然だけれど、顔まで瓜二つとなるとつい線を結びたくなるね」

「でしょ? しかも総会のために来たあの『聖女』アカシアが様子を確かめに何度も何度も部下を派遣していて、その上帰国前に一回だけ、なんとご本人様まで確認しに行ってたみたいなのよ」

 

 リンドウに与えられた特命はこの仕事だった。アカシアを除いて唯一聖王国でアリスの正体を知る彼は、他の仕事もないからと総会の期間中何度も何度も鍛冶屋『残り火』に派遣されていた。

 

 そして最終的にはアカシアが密かに出向くため、随伴まで強制されていた。胃がねじ狂いそうだった、というのは後日リンドウの出した始末書に頻出した感想である。おかげで先輩からの説教はとても優しくなった。

 

 無論イリアスはその気配に気がついていた。ただ以前聞いた、言いたいことはその内自分から話す、という会話を覚えていたため、そっと見て見ぬふりをした。話しかける勇気が出ないんだろうなー、とあながち間違いでもない勘違いを一人でしていた。

 

 それはさておき、シルヴァの推測を聞いたヘーゼルは沸き立つ疑問を一旦横に置き、話の続きを友人に促す。

 

「なるほど。アリスさんについては分かった。そうすると、どうしてイリアスさんが?」

「ここからは仮定に仮定を重ねたものになるわ。また時期の話になるんだけど」

 

 先日ゴルゴンが街中に出現した時の話である。

 

 端的に言えば、鍛冶屋『残り火』からアリスがいなくなった時期と聖王騎士団が『聖女』を手にした時期が一致した。そして逆もまたしかり、『竜骸』が聖王騎士団から『聖女』を奪い返した時期とアリスが『残り火』に戻ってきた時期も同一だった。

 

 これは何故か。アリスこそが『聖女』リリアンだから。ならば何故『聖女』は元々あの鍛冶屋にいて、『竜骸』は奪還後再びそこに戻したのか。

 

 両立する考えは二つ、そこに協力者がいるから。もしくはその場所こそが『竜骸』の本拠地だから。

 

「と言ったところね」

「……ふむ」

 

 本人すら疑っている薄い根拠、信じ切れていない乱暴な推理ではある。僅かな可能性でも偏執的に考慮するシルヴァだからこそ辿り着いた、信じる者もおおよそ少ない説ではある。だが、いずれ真に受ける者が出かねない話でもある。

 

 瞳を閉じて数秒間、ヘーゼルは思考に耽った。それで答えは決まった。

 

 彼はおもむろに笑みを浮かべ、いつも里のエルフ達へ語る時のような、自信に満ち溢れた口調で語りかける。

 

「いい機会だ。友人として君に最後の予言を送ろう」

「予言ってアンタ、もうその力はないんじゃ」

「国交回復前夜に見たのさ。何故あんな夢を見たのか分からなかったけれど、今の話を聞いてようやく合点がいった」

「……待って。その言い方だともしかして」

「ああ、もう答えはある。君の言う通り、アリスさんは聖王国の前『聖女』リリアン様そのもの」

 

 ヘーゼルの回答にシルヴァは全力で目を見開く。

 

「──ではなく、その影武者だ」

 

 そしてその続きに、今度は口がぽかんと開いた。

 

「……影武者?」

「そう。偽物、替え玉、そっくりさん。言い方は色々あるが君にもいるだろ、その類は」

「まあ、いるはいるけれど」

 

 各国上層部が備えているように、迷宮協会長であるシルヴァもいざという時のため身代わりの類は用意している。

 

 なお、おおよそ常軌を逸した体型の彼に似た者を見つけるのにどれほどの時間と手間がかかったか。聞くも涙、語るも涙の話だが、特に必要もないので割愛する。

 

 それはさておきシルヴァの推理に負けず劣らず唐突な話、影武者説についてヘーゼルは説明し始めた。

 

「これはあくまで未来で君が調査した結果を私が見たものだが、『聖女』リリアン様は自身に訪れる脅威を理解していたらしい。自分がいずれ聖教の闇に飲まれることも、そうなれば己の影武者達も道連れになってしまうことも」

「それで『聖女』リリアンが、秘密裏に自分の影武者達を逃がしたってこと?」

「そうらしい。その内の一人、アリスさんは身を隠すためにデルファへ忍び込んだそうだ」

「確かに木を隠すなら森の中、人を隠すならデルファの中が一番よね」

「だが頼れる当てもない彼女は生活に困りすぐさま行き倒れた。そこを親切な通りすがりのイリアスさんに拾われた、というのが未来の君に教えてもらった情報だ」

 

 だがその論拠は反則的なものだった。なにせ未来の知識、それも語る相手の調べた結果だと断言する。

 

 普通であれば証拠もへったくれもないと切り捨てられるはずだが、生憎彼は元『預言者』、つい先日まで異常の最北端にいた男だ。説得力が違う。

 

 しかし何度もその恩恵に与っていながらも、シルヴァは疑いを持ったまま粘り強く問い返した。

 

「でも、それじゃあゴルゴンの時に失踪したのは?」

「聖王騎士団が『聖女』を確保したという話を耳にして、アリスさんは影武者の自分にも手が伸びることを、そしてイリアスさん達にも累が及ぶことを恐れたそうだ。そのため一人飛び出したが、すぐに『竜骸』が騎士団本部を襲撃し『聖女』を、実際は違ったらしいけれど、誘拐した。その後当然のことだが、騎士団は激怒し血眼になって『竜骸』達を探し続けた」

「それが何かって、あー、そのせいでアリスちゃんも追い詰められたってこと?」

「その通り。ただの影武者でしかなかった彼女では逃げるのも無理があったのだろう。デルファに入った時同様すぐに限界は訪れた。このまま不幸になるところを」

「ところを?」

「ずっと彼女を探していたイリアスさんに再び拾われた。そこで迷惑をかけまいと意地を張る彼女を彼が懸命に説得し、結局二人仲良く家に帰ったそうだ」

「はー、いい話ねー」

 

 これはヘーゼルがその場で考えた話だったが、恐ろしいことに一部合っている部分もある。偶然か想像力が高いのか、どちらにしてもアリスが聞けば凄まじく微妙な表情を浮かべることは間違いなかった。

 

 それはともかくとして、己の推測を念入りに否定されたシルヴァは深いため息を吐く。そこには悲嘆と納得が籠っていた。

 

「だから『聖女』アカシアも彼女を放って帰国したのね」

「というと?」

「もしアリスさんが本当に『聖女』リリアンだったのであれば、彼女をこのままデルファに置いておく筈がない。『聖女』として知り得た門外不出の情報もあるだろうし、何より『聖女』リリアンの生存はこの間アカシアが起こした革命の正当性を揺らがす。だから味方にするにせよ、裏で処理するにせよ、彼女ならとっくに手を回していなきゃおかしい。放置なんて絶対ありえないわ」

「ということはつまり、今もアリスさんがこの街にいるのは、わざわざ連れて帰る価値もないから、か。そこまで考えているのにあんな予想を?」

「縋ってみたかったのよ、藁に」

 

 シルヴァは両手を放り投げ、降参とでも言いたげな素振りをする。続く苦笑いには色濃い疲労が感じられた。 

 

「疑いは晴れたと思うが、一応イリアスさんについても聞くかい?」

「お願い。でもくたびれたから分かりやすくして」

「では簡潔に。君の調べた限り彼はどうも、何かしらの先祖返りみたいだ」

「何かって何よ」

「さあ? 残念ながら、未来の君でもそこまでは分からなかったらしい」

 

 そう言いつつ、ヘーゼルはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「もしかすると、君の想像通り竜かもしれないな」

「嫌な冗談」

 

 シルヴァは思い切り肩を竦めた。ちなみに彼が知る由もないがこれは冗談ではない。先祖返りどころか半分竜の血が流れているため、むしろ現実はより過酷だった。

 

「不幸があって両親と別れることになった彼は、幸運にも辺境に住まう親切な女性に拾われた。そこですくすくと育てられ、今は社会勉強のため頼れる知人に預けられた、ということらしい」

「……今更だけど、寝てるだけでそこまで分かるなんてつくづく反則的な力よね」

「残念ながら、もうないけれどね」

 

 なお、この経歴もヘーゼルが今考えた出まかせである。イリアスがぼんやり考えていた通り、彼は詐欺師よりもはるかに嘘が上手だった。

 

 おかげですっかり騙されたシルヴァは、かえって清々しいとでも言いたげに思い切り伸びをする。

 

 ヘーゼルはその気の緩みを見逃さない。彼は続けざまに言葉を叩き込んだ。

 

「あのアカシア様があえて放置してるんだ。これ以上何も知らないイリアスさん達に干渉しても」

「単なる彼女への挑発にしかならないと。帰ったら撤収の手配しておくわ」

 

 目論見通りの結果となり密かに安心するヘーゼルとは対照的に、シルヴァは全身の疲労感に従い項垂れる。

 

「あーあ、ようやく『竜骸』の手がかりを掴んだと思ったのに」

「そう簡単に尻尾を出さない、ということだろう。彼の正体はさておいて、今は立て込んでいる仕事に集中した方がいいんじゃないか?」

「半分原因のアンタにそれ言われると無性に腹立つわね」

「君がもう半分だから仕方ない。退院したら、すぐにでも手を貸すよ」

 

 本心からの提案をシルヴァは笑って蹴り飛ばした。

 

「中途半端ならいらないわ、ゆっくり体を休めなさい。元気になったら、嫌ってくらいにこき使ってやるから」

 

 気味の悪いくらい上手なウインクを残して、シルヴァは病室から立ち去っていた。

 

 その背中を見送ってすぐ、ヘーゼルは姿勢を崩し天井を見上げる。脳裏に過ぎるのは後悔と反省、そして不安。

 

 シルヴァがイリアスとアリスの正体を知ったところで何も得をしない。むしろ『竜骸』への無用、無理解な干渉を繰り返すことになり、早晩迷宮協会を巻き込んで破滅することになる。曲がりなりにも両者を知るヘーゼルはそう予想を立てていた。

 

 彼が数十年もの間見た予知夢とは、因果律予測を用いた一種のシミュレーションである。そしてアリス同様、特異な力を失っても積み重ねた経験はなくならない。必要な情報さえ揃っていれば、彼の推測はおおよそ確実に的中する。

 

 まだその自覚を持たない彼は、無限に湧き出る嫌な想像を誤魔化すように独りごちる。

 

「さて、果たしてこれは償いになるのか」

 

 恩人の秘密を守り、友の身を助けた贖いか。それとも信頼する友を騙した新たな罪か。

 

 もはや『預言者』ではない彼に未来を知る力はない。不安を抱えたまま、ただその結果を待つことしか出来ない。

 

「結果が、未来が分からないというのは、想像していたよりもずっと恐ろしいな」

 

 けれどもその言葉とは裏腹に、彼の口元はほのかに緩んでいた。




次回最終話です。
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