今日は月一回の先生への定期連絡の日。今月も振り返ってみれば先月に負けず劣らず、本当に色々なことが起きた月だった。
「……そうですか。あのエルフはそのような愚行を」
僕の部屋に置いてある通信用の魔道具、銀の鏡の向こうで先生が緩やかに相槌を打つ。
ヘーゼルさんの目論んだあれこれは、なんと先生にとっても予想外の出来事だったらしい。僕の報告を聞いた先生は徐々に微かに眉をひそめていき、最終的には顔にちょっと出るぐらい不快を露わにしていた。珍しい。
それ以外は特に変わったこともなく、いつも通り報告は終わる、終わってしまいそうになる。
「今月もよく頑張りましたね。それではイリアス、次の報告日ですが」
「あっちょっと待ってください先生」
だけどまだ、僕としては本題に入ってすらいない。
それを話すために通信を切りかけた先生を呼び止める。
「この間のこと、ちゃんとアリスに謝ってください」
「謝るようなことがありましたか?」
「ありました! アリスを怖がらせようとしたこと!」
あぁ、なんて先生は生返事をする。反応的に覚えてはいるみたい。だけどこれだけでもう、先生がアリスに悪かったなとか欠片も思ってないことが完璧に分かった。
それでも一応、ちゃんと先生の口から聞くために改めて質問してみる。
「先生、あれからごめんなさいしようとか思いました?」
「思っていません」
「全然?」
「まったく」
「一回も?」
「一度も」
「……分かりました。それなら、僕にも考えがあります」
オウルは絶対こうなるって言ってた。だからこういう時、どうすればいいかってのも教えてくれた。
受け取った指南書を懐から取り出し、もう片方の手で勢いよく先生のことを指差す。無作法な僕の態度に先生が顔を顰めた。
「イリアス、人に指を差すのは」
「先生の、行き遅れ!!」
「──」
顰めて、その表情のまま先生は固まった。気のせいか銀の鏡の表面も固まった気がする。というかぴしりと音を立てて、どこかに罅が入ったような気配すらするような。
きっとこれは先生に効いているという証拠。そう確信した僕はオウルから貰った指南書、先生への悪口表を続けて大きく読み上げた。
「無限敗北者! なんでその出会いで負けるの選手権第一位! 永年横恋慕!」
「……イリアス」
あんまり聞かない音色の声に思わず視線が上がる。目が合った先生の瞳には声と同じ雰囲気があった。地獄の炎をこれまた地獄の氷で包み込んだような、とにかく相反する強大なエネルギーを感じる。
先生はそのメラメラとひやひやを滲ませながら、僕にゆっくりゆったりとした声で問いかけた。
「意味を、分かって言っていますか?」
「さっぱりです!」
「ならやめなさい。言葉は道具。使い方を知らずに振り回せば、いずれ大きな怪我をします」
「えっでも」
「でもではありません。先ほどの言葉は誰に教わりましたか?」
「オウルに教えてもらいました。先生が言うこと聞かない時は、これ言えばよく効くって」
「やはりそうですか。……とうとうラインを超えましたね、愚か者」
多分僕が先生に滅茶苦茶な悪口を言うほど怒ってるってアピールして、それで先生に反省してもらってアリスに謝ってもらって、というのがオウルの作戦なんだと思う。
この通り先生にはまったく通用しなくて、ただ僕が悪口言っただけになっちゃったけれども。
次はどうしようかなぁと考えている間に、先生が鏡の向こうで白銀の魔力を輝かせ始める。
「ぐあああああああああっ!?」
それに気づいた瞬間、無数の爆音とオウルの断末魔が家の中に響いた。あれはお仕置きの魔法だったらしい。こんな距離でも狙えて手加減も出来るなんて、やっぱり先生は器用だなぁ。
呑気に感心する僕へ向け、先生が次はお前だと怜悧な言葉を投げ放つ。
「貴方もです」
言うや否や、僕の前にも白銀の魔弾が出現した。一目見た感じ、あの金ぴか程度なら何度も消し飛ばす威力が秘められている。下手に避けたり弾いたりしたら結界ごと家がなくなるかもしれない。
それにどう考えても僕が悪いから、甘んじて額で受け止めた。ちょっと痛い。
「わー、ひりひりする」
「……強く育ち過ぎるのも考えものですね」
さすが先生、僕でも赤くなってるかも。そう思いおでこを摩る僕を見て、先生は物憂げに息を漏らしている。
その様子で次に僕がやるべきことが分かった。
「先生、変なこと言ってごめんなさい」
「二度と、決して他の者にも言わないようにしなさい。私ならば平気、まったくもって効きませんが、場合によっては死者も出ます」
「そ、そんなに酷い言葉だったんだ……本当にごめんなさい……」
まさかそこまでの破壊力があったなんて。戦慄のあまり生唾を飲み込む。オウルがものすごく雑に悪口用意してくれたから、これもっとじゃれ合いみたいなものだとばっかり。
深く反省しつつ、それはそれとしてなんだか話がずれてしまったことに気がついた。
「じゃなくて、いや今のは僕が悪かったけど、謝って欲しいのは先生で」
「謝罪というのは悪事をした際にするものです。あれは必要なことでした」
「むっ」
あれを必要と先生は言う。謝る必要なんてないと先生は言う。その頑な態度にいい加減ちょっとずつ、お腹に悪いものが溜まって来たのを感じる。むかむかしてくる。
話は平行線で、だけども雰囲気は変化していって。そんな高まる緊張感は、唐突に開け開かれた扉があっさりと崩した。
「い、イリアスくん、大変です! オウルさんが突然爆発しました!」
続けて焦り切ったアリスが飛び込んでくる。オウルが爆発したくらいでこんなにあたふたするものなのかな。
だけど考えてみれば先生の魔弾は大体光速、普通の人では到底見えない。だからアリスの目だといきなりオウルが爆死したように見えたんだろう。これだけ動揺するのも当たり前だった。
なんて僕が納得している間に、アリスもいくらか冷静になっていた。僕と先生、二人分の視線を受けて部屋の中の状況を理解した、もしくは思い出したらしい。
「わ、あっ、お話し中、申し訳ございません!」
「ううん、むしろちょうどよかった」
頭を下げられたけれどとんでもない。アリスは凄くいいタイミングで来てくれた。
目を丸くするアリスに、かくかくしかじかとこれまでの話を説明する。ついでにオウルの死因がお仕置きだったというのも伝えておく。
そうして全てを聞き終えたアリスは、予想に反して穏やかに微笑んでいた。
「イリアスくん、謝っていただかなくても私は大丈夫です」
「でも」
「結果論ではありますがおかげで知ることが、いいえ、改めて実感出来たこともありますから」
そう語るアリスの頬はほのかに赤い。とても照れくさそう、そしてそれ以上に嬉しそう。
知れたこと、知れたこと。なんだろう、あの後話したのは魔法のことだけど、あれのこと?
首を傾げる僕にくすりと笑みを向けながら、アリスはよく分からないことを続けて言い出した。
「それにいずれもっと大切なことは、許可は、必ず魔女様からいただきますから」
「許可って?」
「イリアスくんの傍にいる、です」
「ほう」
僕の傍にいるための許可。不可思議な言葉に、アリスが来てから一切口を開かなかった先生も思わず息を漏らしていた。
どうやら先生には意味が通じているらしい。よほどそれに感心したのか、それとも別の理由か。いずれにしても先生がアリスを見つめる瞳には、これまでとは違って色が浮かび始めていた。
それはきっと喜ぶべきことなんだろうけども、僕はどうもいまいち釈然としない。
「……僕とアリスが一緒にいたくて、それで実際今もいて、これからもずっといるんだから、別に先生のはいらなくない?」
アリスがいたいって気持ちと僕がいて欲しいって思うことに、先生はまったく関係ないような。
そんな疑問にアリスははにかみ微笑ながら、先生は何故か喜びと苛立ちを薄っすら滲ませながら、同時に軽い溜息を吐く。
なんだか似たような反応だ。実は気が合うのかなって冗談半分で考える僕に、二人はこれまた同じタイミングで呼びかける。
「イリアスくん」
「イリアス」
アリスも先生もお互いのことはまったく見ていない。なのに言葉の間隔は一緒だった。
「そういうものではないんです」
「そういうものではありません」
そして言うことまで一緒だった。もしかしてもう仲良しなんじゃないかなって思った。
そんなこんなで結局特に進展はなく報告が終わって、とりあえず僕達はオウルの安否を確認した。
「オウル生きてるー?」
「ギリギリな。ったく、相変わらずとんでもねぇババアだな。ちょっとした軽口の返事がこれかよ」
「私も読ませていただきましたが、あれはれっきとした侮辱ではないでしょうか?」
「似たようなもんだろ」
そう肩を竦めるオウルに反省の色は見えない。こっちもこっちで、先生に謝る気なんてさらさらなさそうだ。
「んなことより、迷宮のあれは話したのか?」
「うん。しばらく様子見たいって言ったら、焦らずゆっくりやりなさいーって」
迷宮の四層へ進むために魔法陣が求めた意味不明な条件その二、『仲良し三人組で使ってね』。
今回の事件を通じて、めでたく僕はこの三人組を作れるようになった。しかもユズリハさんだけじゃなくてソマリも、暇があればヘーゼルさんも協力してくれる気がする。そうなればなんと五人組まで用意出来る。
けれども、僕は例の魔法陣を試すのを一旦止めることにした。冷静に考えた結果、恐らく今の段階では何人用意しても奥へ進めないからだ。
まだあの魔法陣は解析中だから断言出来ない。それでも感覚的に、あの条件は僕を通さないために適当なものを並べているだけのような感じがする。変な話、僕を揶揄う時のオウルみたいに。
この違和感がなくなるか、それとも魔法陣の解析が終わるか。どちらかに蹴りが付くまで僕は迷宮の奥には決して進めない。不思議とそんな勘が働いている。
だから一度迷宮の攻略はお休みにして他のやるべきこと、やりたいことへ集中することにした。
「それで話変わるんだけど、実はオウルにお願いしたいことがあって」
「唐突だな。なんだ?」
「手加減の練習、付き合ってくれない?」
僕のお願いを聞いたオウルは予想通り眉をひん曲げた。
「お前、前やれって言った時はいらねぇって返したじゃねぇか。ほらあの外道のやつ、『絶対死にたくなる魔法』が出来たからって」
「外道って失礼な。『絶対死なせない魔法』やっとけば何やっても死なないんだから、あれものすっごく人道的な魔法でしょ」
「生きてりゃいいってのは鬼か悪魔の発想なんだよな……」
竜は悪魔の頂点でもあるらしい。前そんなことを先生に教わったから、オウルの言うこともあながち間違っていないのかもしれない。
だから胸を張ってみると気味の悪いものを見る目を向けられた。どう聞いても悪口だったからそれもそうだった。
「まあいい。それで、いきなりどうして心変わりしたんだ?」
「えっとね、この間の金ぴかトカゲの時、ちょっと困っちゃって」
痛覚の存在しないあのトカゲには『絶対死なせない魔法』は通用せず、そのせいで『蒼の理』まで使う羽目になってしまった。たかがあの程度に時間凍結、無駄に大がかりで手間暇かけ過ぎだ。
僕が楽な魔法に逃げずきっちり手加減の仕方を覚えていれば、あの戦いはもっとあっさり終わっていた。それこそ目の前のオウルなら、多分なんかいい感じに殴ってほどよく拘束出来ただろう。
「魔法抜きでも手加減出来た方が、この先も絶対便利だろうなーって」
「ほーん、随分殊勝な考えだな。正直感心したぞ」
「えへへ、そう? ならオウル、早速今から」
修行に付き合って、なんて僕は続けられなかった。オウルがいきなり目を、カッと見開いたからだ。
「だが、やらん!」
「えー!? なんでー!?」
「なんでも何も、お前のそんなもんに付き合ったら俺死ぬわ」
「オウル頑丈だし大丈夫でしょ。それにほら、いざとなったら原初の魔法があるし」
無意識の想いが世界の法則を曲げる原初の魔法。何かあってもオウル相手なら、アリスと同じようにセーフティが働くはず。
そう強く言い切っても、オウルは目を細めて頬をぽりぽりと掻くだけ。全然撤回してくれない。
理由を求めてじーっと見つめている内に、やがてオウルも観念してくれたみたい。億劫そうに腕を組んでから口を開いた。
「説明が面倒だから省くが、なんやかんやで俺にその手の魔法は効かねぇ」
「そうなの?」
「ああ。俺が未だにクラスシステムの影響を受けてねぇのもこいつのせいだ」
「オウルさんは魔法が使えるからクラスシステムを無効化出来ている、という訳ではないのでしょうか?」
「いや、違う。クラスシステムはそんな生半可なもんじゃねぇ。自分も含めて全ての魔法使いが世界から消えるよう、リリアン達が念入りに調整したからな」
予期していない名前が飛び出して僕は驚いた。リリアンって確かアリスの前の名前、『聖教』の『聖女』が代々受け継いでいたって名前じゃ。
そして当然、当事者だったアリスのそれは僕よりもよほど大きい。半ば呆然とした様子で、オウム返しのようにその名を呟く。
「……リリ、アン?」
「あ、あー、まあ、あれだ、俺の古いダチの名前だ。別に『聖教』とも『聖女』ともまるで関係ないアホ、野生の熱血脳筋チンピラチビゴリラだから、お前は一切気にしなくていい」
「…………本当ですか?」
「本当だ本当。俺が嘘吐いたことあったか? ないだろ? うん、ないない」
滅茶苦茶あったような。現に今も滅茶苦茶嘘吐いてる。アリスに確認しなくても普通に分かる。
分かるんだけど、そしてオウルもバレバレだって察しているみたいだけど、今日のところは嘘吐いてないでゴリ押すつもりのようだ。そんな必死さを感じる。
アリスにもそれが伝わったのかすぐに納得、というよりも妥協を目に宿して引き下がった。仕方ないです、みたいな雰囲気がある。アリスは今日も優しかった。
一番気になってるアリスがそうするなら僕も倣おう。ここは流して別の疑問を投げかける。
「先生もそのなんやかんやがあるから今も魔法が使えるの?」
「あいつに関しちゃ場所が大きい。魂喰み森林は『神』の領域だったからか、あのリリアンでもまるで手が付けられなかった。だからあの中にいる限り、人類でもクラスシステムの影響を受けない」
「じゃあ先生は、魔法使いでいるためにずっと森に?」
「あとはあそこの管理もあるな。あの森は放って置くとヤバいことになる。そういう訳であの馬鹿も一応色々理由があって、あんな風に万年引きこもりやってるってことだ」
だから先生、ずっと自分で迷宮に行かなかったんだ。昔から探し物しに行くの、森で我慢してたんだ。思わぬところで理由が分かってなんだかすっきりした。
「話が逸れたな。とにかく、だからお前が訓練中にうっかり渾身の一撃をかました時には」
「オウル死んじゃう?」
「確実にな」
「……それじゃあ、絶対駄目だなぁ」
手加減の練習のために人を、それもオウルを殺すなんてとんでもない。
がっくり項垂れる僕の頭の上に、オウルが大きな手を乱暴に乗せる。
「言った通り手伝いは出来ねぇが、その心意気はよかったぞ。成長したな」
そしてそう言ってぐしゃぐしゃに手を動かしてから、オウルは町内会に出かけて行った。