今日もお客さんがいない喫茶店で、目の前に座るエリーさんの淡々とした声が響く。
「おのれ薔薇の騎士、貴様さえいなければー」
黒いローブっぽい物を纏った魔女っぽい存在に向け、赤い鎧っぽい物を身に付けた騎士っぽい人が剣っぽいものを多分、この形は恐らく振り下ろしているはず。
推定ばかりが生じる疑惑の一面をめくり、物語は新たなページに移る。
「かくして悪い魔女は聖なる剣の前に破れ、街には平和が訪れました。人々からの感謝の声を背に、薔薇の騎士は再び旅に出ます」
朗々としたエリーさんの語り口は耳心地がいい。
そのおかげでなんとか、またしても判別がつかない絵のようなものを見せられても、なんとかお話にはついていける。
「だって彼は平和の使者、はかなき正義を追い続ける者。世界に助けを求める誰かがいる限り、彼の戦いが終わることはありません」
エリーさんの持つ紙、絵のようなものが最後の一枚となる。
そこにはぽつりとした後ろ姿、光に向かって歩む騎士の様子が描かれていた。
力強くて頼もしい、それでいてどこか哀愁を感じさせる背中。筆遣いや色の塗り方がこれまでとは大違いだ。やけにここだけ上手い。
「あなたがこの話を聞いたその時、薔薇の騎士の名は未だ世界に轟いているでしょうか。願わくば、彼を呼ぶ声が止んでいることを祈ります」
そう言って、エリーさんは最後の一枚を後ろに回す。
「ご清聴、ありがとうございました」
粛々と礼をするエリーさんに向け、惜しみない拍手を送る。色々な意味で凄かった。
今エリーさんが語ってくれたのはあの聖教の騎士、リンドウさんが騎士を目指したきっかけだという絵本、『薔薇の騎士』のお話。
オウルに聞いても家を探しても本はなく、よほど古いものらしくて街の本屋さんでも見つからなかった。そもそも本屋さんでもお話自体知らない人の方が多かった。
当てはなくなっちゃったし、もう先生にお願いした方がいいかな。
なんて諦めかけたその時、本が大好きなエリーさんならもしかして、というアリスの提案が浮かんで、しかもそれは大当たりだった。
エリーさんは詳しく知っていて、しかもとても独特だけれど、こうして紙芝居のものを持っていた。
「『薔薇の騎士』って絵本だけじゃなくて、紙芝居版もあったんですね」
「いえ、これは私が作りました」
「……エリーさんが? どうしてですか?」
「布教のためです」
リンドウさんに負けず劣らず、実はエリーさんも『薔薇の騎士』が好きだったらしい。あの場では同類と思われたくなかったから、口には出さなかったそうだけど。
ただ、本屋の人ですらほとんど知らなかった通り『薔薇の騎士』は相当古いお話。今では知る人ぞ知る、という感じだ。
それをエリーさんは許せなかった。皆、この素晴らしい物語を知るべきと考えたそう。
その一環としてエリーさん自ら筆を執った紙芝居が、さっきのあれ。全編的に抽象的かつ独特で難しかったけれど、独創性に溢れていて面白かった。
ちなみに最後の普通に上手だったのは、エリーさんの友達が好意で描いてくれたものとのこと。
「やっぱり文字だけより、絵もあった方が分かりやすいよね」
「……え、あ、はい。そう、ですね、はい。ものにもよりますけれど、はい」
「でも紙芝居は読むものじゃないし、他に絵がある本、今更絵本は」
紙芝居が始まって以来、何故だか混乱気味だったアリスも同意してくれた。
小さい頃はともかく、もう絵本を読んでもさすがに面白くはない。
これは先生がたくさん読んでくれた本だったな、あれは僕よりも先生の方が好きだったな。こっちは読んじゃ駄目って言われたものだったな。
昔好きだった本を読んでも今はそういう、懐かしいなって気持ちが先に沸き上がる。
かといって文字だけ、小説となると読むのも大変だ。僕の想像力の問題かもしれないけれど、読んでて混乱することも多い。
特にこの間読んだものなんて登場する女の人が三人とも同じ口調、敬語でものすごく読みづらかった。しかも全員主人公より年上でキャラまで被ってた。作者の人が素人で全然書き分けが出来てない。
だから小説と絵本、もっと中間みたいなものがあればいいのにな。
そんな僕の願望に応えるよう、エリーさんがおもむろに提案してくれた。
「でしたら、漫画はいかがでしょうか」
だけどもエリーさんが勧めてくれたそのまんがというものを、僕はよく知らなかった。
隣のアリスもそんな感じ。微かに首を傾げている。
「……二人とも御存じないのでしょうか、漫画」
「私は、話には聞いたことがあります」
「僕も見たことはあるような」
本屋さんで見かけたことはあるけれど、実際手に取ったことはない。
漫画らしきものがある場所には大抵誰か、同い年から少し年上の人が何人かいて、いつでも近寄りづらかったから。
「弱りましたね。私も小説派ですから、ここには漫画なんて」
「じゃあ、これなんてどうかな」
エリーさんのお父さん、この喫茶店のマスターでもあるアーサーさんが、一冊の小さな本を片手にやって来た。
差し出されたその本の表紙には簡単に、それでいて綺麗に書かれた教会らしきものが描かれている。
「これは聖教が子供達のために無料で配っている漫画だよ。教えや歴史が簡単に、分かりやすく書かれているんだ」
教えてくれたアーサーさんにお礼を言った後、漫画を手に取ってぺらぺらとめくってみる。
ページを区切るよういくつも線が引かれ、その中にそれぞれ絵や文章が書き込まれている。普通の絵よりも簡単、すっきりしているけれど、だからこそ読みやすい。これが漫画。
「絵がいっぱい。小さい紙芝居みたい」
「……確かに、説話の内容は簡略化されてますね。表現も柔らかなものになっています」
「そうなんだ。アリスの知ってるのと結構違う?」
「大筋は、アトリビュートも全て描かれています。けれどもこの書き方では解釈が分かれて、いえ、子供向けということはそれが狙いなのでしょうか。あえて曖昧にすることで子供達の間に議論を生じさせ、幼い頃より信仰に深みを」
アリスは難しい顔をしながら難しいことを言っている。おかげで何を言ってるのかよく分からない。
どう見ても僕より興味がありそうだったから、漫画はアリスに手渡した。横から読んでるところを見られれば僕はいいや。
真剣な眼差しで漫画を読む、というよりは仕事の出来を確認するような目で、アリスは次々とページをめくっていく。かなり早いペースだ。
教えの解説、いくつかの説話、有名な歴史的エピソード。
それぞれにここは着眼点がずれているだとか登場人物の服装が年代と合っていないだとか、この歴史的解釈は近年間違いだと判明したものだとか。
容赦ない指摘を次々と重ねた後、アリスは冷ややかな声で呟いた。
「著者は」
そして途中で絶句した。
表紙の隅に、ささやかな文字使いで『ライラック』と書かれている。
いつかぼこぼこにした聖王騎士団の元偉い人だ。
「聖王騎士団って意外と暇なの?」
「……そんなことは、ないと、思われますが」
おそらく、と最後に付け足すアリスの口調には、まったく自信がなさそうだった。
揺らいだ視線を咳払いで彼方へ飛ばしてから、アリスは続く疑問を口にする。
「彼が書いたにしては、『聖女』に関する記述がありませんね」
その答えはエリーさんがさらりと返した。
「そちらは別冊になっております」
「べっさつ」
どん、と机の上に何冊も漫画が置かれた。
歴史上『聖女』は数年ごとに交代するもので、その度に漫画の中身を差し替えるのはとても大変だから、こうして別の漫画にしているそうだ。
分厚さがそれぞれ大きく違う漫画達を見比べながら、僕は思い付きを口にした。
「じゃあ、先代の人のってありますか?」
アリスが凄い目で見て来た。
せっかくだからオウルにも見せてあげたいから貸してもらいたいな、という思いでお願いしたところ、アーサーさんは快く了承してくれた。
それから無言のアリスと帰って、家に到着してオウルと一緒に読もうと思って、いたのだけれど。
「アリスとオウル、遅いなー」
買い忘れたものを思い出しました、なんて突然アリスが言い出して、すぐにオウルを連れて再び出かけてしまった。
一人残された僕はおかげで暇になり、しかも何かしようと思っても貰った漫画が気になって手が付かない。
先に一人で読んじゃおうかなと何度か漫画に手を伸ばしかけて、やっぱり皆と読もうと戻して。
そんなことをしばらく繰り返している内に、やがて二人が帰って来た。
「ただいま帰りました!」
「おかえりー。アリス、買い忘れたのって」
「見てくださいイリアスくん! これでお相子です!」
挨拶も早々に、ぱたぱたと走り寄って来たアリスが漫画を一冊僕に見せつける。その表紙には見慣れた姿が、というか僕が繊細なタッチで描かれている。
「……漫画で分かる『竜骸』の伝説?」
僕とはいっても、『竜骸』としての僕だけれども。
いきなり現れた僕を前にして、ついつい首が斜めになる。そんな僕を見て、アリスはどんどん笑みを深める。
無言の空間を終わらせたのは、呆れた顔をしながら入って来たオウルのため息だった。
「どうもこの手のが欲しかったらしくてな」
「お帰りオウル。この手のって、僕の漫画?」
「ああ。自分だけ読まれるのは嫌だったんだろうよ」
そんな理由だったらしい。
納得したような、してないような。今はそんな自分の気持ちはどっちでもいい。
それよりも、このまったく見覚えのない作品の方が気になった。
「僕も漫画になってたんだ。オウル知ってたの?」
「いや、だがあるとは思ってた。お前詩とかにもされてるだろ。有名税ってやつだな」
「ふーん。それにしてもこれ、どんな人が描いて」
表紙に描かれている『竜骸』は、今日見た絵の中でも一番印象的なものだった。
エリーさんの友達より、多分聖教の人達の漫画よりもずっと迫力がある。単純に上手なのもある。でもそれ以上に技法がどうこうではなく感心するほどの執念を、クラスシステムに縛られていなければ魔力が込められていたと確信出来るくらいの熱を感じた。
いったい誰がこれほどの絵を描いてくれたんだろう。
わくわくして探した作者名は表紙の端っこに、目を凝らして探さないと分からないくらい控え目に記載されていた。
そこには『ヘーゼル』という、ものすごく見覚えのある名前があった。
「……エルフの里長って、意外と暇なのかな」
「……そんなことは、ないと、思われますが」
おそらく、と最後に付け足すアリスの口調には、やっぱり自信がなさそうだった。
コミックグロウル様にて酢忍先生が本作のコミカライズを掲載されます。
明日21日(土)からです。
https://comic-growl.com/
小説とはまったく異なる読み味でとても楽しめると思うので、お読みいただけると幸いです。