雪夢との決闘から、数日が経った。その間、私は母様が能力で隠した屋敷に身を寄せていた。
外観は岩穴そのものだが、一歩中に入れば、どこか懐かしく温かな空気が満ちていた。
……まったく、こういう凝った演出、母様らしい。
雪夢とはあれ以来、一度も顔を合わせていない。母様いわく、「ただ不貞腐れておるだけじゃろう」とのことだったが……まあ、あの時の様子を見る限り、あながち間違いでもないか。
年頃の娘というのは、本当に難しい。永琳が反抗期だった時なんか、毎晩のように頭を抱えていた記憶がある。
──そして今日。
いよいよ最後の妹が、この屋敷に帰ってくるらしい。
……え? 急すぎるって?
まあ、確かに。じゃあ少しだけ、事情を話そう。
私が修業に出たあと、雪夢、そしてその下の妹──つまり三女が生まれたそうだ。
その三女はまだ幼い頃から旅に出ていたらしいが、今日、久方ぶりにこの家へ戻ってくる……というわけだ。
「……お前は誰に向かって喋っておるんじゃ?」
母様の突っ込みが飛ぶ。あっ……また、独り言癖が出ていたらしい。
「母様、一番下の妹って、どんな子なんですか?」
ふと尋ねてみると、母様は目を細め、どこか誇らしげな笑みを浮かべて言った。
「ふむ……おぬしと雪夢を足して二で乗算した、実にかわいらしい子じゃよ」
……この“親バカ全開”な感じ。変わらないなあ、母様は。
でも、そこまで言うなら……少しだけ、期待してしまうじゃないか。
「……それは楽しみですね」
「ただのう……最近、紫の式神になったそうでの。わらわとしては、ちと気がかりじゃ」
「八雲……あの八雲紫の?」
思わず声が低くなった。眉が自然とひそまる。
母様は、うむ、と真顔でうなずいた。
「そうじゃ。もうすぐ、紫と一緒に来るらしいぞ」
「……はぁ」
八雲紫の式神、か……。
あの掴みどころのない妖怪の“手の内”に、末の妹が加わるとは……。
──ガラガラッ!
不意に、玄関の方で戸が開く音が響いた。
続けざまに、廊下を駆ける足音。玄関から、こちらへ一直線に向かってくる。
「お母しゃまー! ただいまでしゅ!」
鈴を転がすような声とともに、姿を現したのは──小柄な少女だった。
「おお、お帰り、藍」
母様が優しい声で呼びかける。その声音に、深い慈しみがにじんでいた。
その少女──藍は、長い金髪を揺らしながらこちらを見上げてくる。
瞳は澄んだ琥珀色。頬にはまだ幼さの丸みが残っており、全体的に小動物のような愛らしさがあった。
……この子が、私の妹……?
(……か、かわいい)
思考が一瞬で停止した。心臓が跳ね、目が離せない。
なんだこの破壊力は……。
「は、はじめまして。藍ちゃん」
声が震えてしまった。だが藍は、ぱっと顔を輝かせて返してくれた。
「わっ……貴女が、ラグナお姉しゃまですね! はじめましてでちゅ……あぅ、噛んじゃいましたぁ……」
恥ずかしそうにうつむき、顔を真っ赤に染めるその仕草──
「……か、かわいいッ!!!」
気づけば叫んでいた。鼻から不浄な液体が出そうになる自分を必死で抑える。
「ひゃあっ!?」
ビクッと肩をすくめた藍が、私の背後に隠れようとする。
「こら、バカ娘。落ち着かんか! ……それと、紫。隠れておらんで、出てこい!」
──ゴツンッ!
後頭部に、母様の拳骨が直撃した。ううっ、手加減なし……。
「あらら、ばれていましたのね。……藍が私の式になったことも、含めて」
(まったく……母様の結界すらかいくぐるとか、さすがというべきか)
「ねぇ、藍ちゃん。どうして式になったの?」
気になって聞いてみると、藍は少し戸惑いながらも、まっすぐ答えてくれた。
「紫しゃまが、怪我した私を助けてくださって……それで、『私のところに来ない?』って……。でも、私からお願いしたんですよ? 式にしてくださいって……!」
(……あのスキマ妖怪、“そういう趣味”でもあるのか……)
じろりと紫を睨むと、彼女は肩をすくめて微笑んだ。まったく、食えない女だ。
その後、紫とは軽く言葉を交わし、いつの間にか敬語も抜けていた。
昔からだが、彼女は妙に人を緊張させない雰囲気を持っている。
「ねぇ、ラグナ、天狐」
紫が不意に真顔になり、私たちに視線を向けてきた。
その瞳の奥には、どこまでも澄んだ意志が宿っていた。
「どうした?」
「なんじゃ?」
「お願いがあるの。……聞いてもらえないかしら?」
切実な響きを帯びた声だった。
「内容次第だな」
「式になる以外なら聞くぞよ」
紫はふっと微笑み、小さく息を吐いて語り出す。
彼女の夢──それは、「妖怪と人間が、共に生きられる場所を作ること」。
理想論にも聞こえるが、彼女の言葉には確かな“重み”があった。
「……共存、か。言葉にするのは簡単だけど、現実はそう甘くない」
「それでも、私は叶えたいのよ。その夢を……どうしても」
その目を見て、私は息を飲んだ。
どこまでも真っ直ぐなその光に、胸の奥が少しだけ、熱くなる。
「……いいだろう。その夢、手伝ってやる。土地探しは、任せとけ」
「のう、紫。雪夢には話したのか?」
「はいっ! 私が直接伝えました!」
「……なんと言っておった?」
「『考えさせて』って!」
……あの雪夢が、“考える”と?
ほんの少しだが、彼女も変わり始めているのかもしれないな。
そしてその夜。夕食の席で、雪夢が現れた。
どこか気まずそうにしながら、静かに席に着く。
「久しぶりに顔を出したか、雪夢」
「……久しぶりだな」
微笑みながら声をかけると、彼女は椅子から立ち上がり、叫ぶように声をあげた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい!」
「ん? ……えっ、急にどうしたの!?」
「私、あんなひどいこと言って……許されないって分かってる。でも、謝りたくて……!」
顔を赤らめ、涙を浮かべて頭を下げる雪夢。
──ああ。素直になれたのか。それなら、それで十分だ。
「気にしてないよ。それより、早く食べよう? ……お腹、鳴ってるわよ?」
「う、うん……」
頬を赤くして腹を押さえる雪夢に、思わず笑みがこぼれそうになる。
「まったく……落ち着け、バカ娘。……ふむ、皆そろったな。では──『いただきます』じゃ」
「「「「いただきます!!」」」」
「美味しいです! これ、誰が作ったんですか?」
「全部、ラグナが作ったんじゃよ」
「えっ……お姉さまでしたか!?」
「ほんと美味しいわね……ねぇラグナ、うちの式にならない?」
「……式は絶対にお断りだ」
「あら、残念」
「ふぇ……紫しゃま……私のこと、嫌いになったんですか……?」
(やばい……涙目の藍ちゃんも可愛い……!!)
「じょ、冗談よ! 私は貴女がいちばん大事! だから泣かないで?」
「じゃあ……ぎゅーってしてください」
「ふふっ、わかったわ。おいで、藍」
その時──
狐親子は心の中で、同じことを思った。
(いちゃつくなら、部屋でやれ……)
(やっぱり紫には、幼児趣味があるのでは……)
(私も……お姉さまと、あんなことやこんなこと……フフフ……)
(……ふぁ!? 今、誰か私のこと考えた? なんだ、この寒気……)
──つづく。
sukositurai