教室で、音楽室で、場所は変わってもひたすらに練習する毎日が続き、気づけばサンフェスはもう目と鼻の先だった。基礎練習に明け暮れる毎日によって武臣の演奏技術はちょっぴり成長した、と思いたい。
「はーい、衣装を配りまーす」
持っていた箱を机におくと小笠原は指示をだす。呼ばれたパートごとに箱の中から渡されていく。衣装について全然話を聞いてなかったがどんなものだろうか。こう部内の女子率が高いと心なしか不安になる。さすがに壊滅的なセンスの物を渡されるとは思わないが。
「昼からの練習はグラウンドでやります。試着が終わったら、ジャージに着替えて集合してください」
「はい!」
部長の言葉に皆が返事をする。日頃の指導の習慣で、最近は返事をそろって出すようになってきた。
「音楽室は女子、隣の三組の教室は男子の更衣室にします。サイズの合わない人は申告するように」
そう小笠原が言い終わると、残っていてもしょうがないので男子たちはすたこらと音楽室をあとにする。このころになると吹奏楽部における男子の扱いも分かってくるものだ。
教室に移るとさっそく衣装に着替える。白をベースに重なるような青、そして赤の差し色で構成されたザ・鼓笛隊といえるデザインだ。率直に言ってかっこいい。
「吹奏楽部って衣装に力が入っているだ」
「いやここまで手が込んでいるのはなかなかないぞ」
塚本も着替えを終えたようで近づいてきた。袖から伸びる腕は細い。もっと鍛えたらいいモノになりそうなんだがなぁ。
「ここだけの話、衣装は演劇部と一緒に考えているんだって。先輩たちが諦めたくなかったのも
「毎年変えているしな。北宇治の吹部に入るのは衣装目当てのやつもいるから結構すごいぜ」
さっさと着替え終わったみたいで瀧川はジャージ姿だ。そうか、サンフェスに参加する意欲があったのは衣装目当てがあったからなのか。気持ちはよく分からないが、良い衣装を着てみたいという人もいるのだろう。それにデザインを考えるのは簡単なことじゃない。計画していた側からしてもサンフェスに出られなかったら不完全燃焼だったはずだ。
「後はチューバを持てれば完璧だったんだが……」
「マーチングの時はチューバじゃないぞ」
「え?」
「これがスーザフォン」
ところ変わって日差しの降りそそぐグラウンド。左肩から右腰にかけて円を描くように伸びている白い楽器を後藤は慣れたように、長瀬は苦しそうに担いでいた。チューバをマーチング用に開発された楽器、スーザフォン。素材が変わってもなお、あの大きさなら重さは大して違いはないように見える。
「私もマーチングのときはあんなのを持つんだ……」
「あれぐらいだったら持てるだろ?」
「ずっと持つのはたいへんだよ!」
葉月が顔を青くしていたがそれほどだろうか。重そうだが肩にかけるため持ちやすい。楽譜を暗記しなくてはならないのは辛いところではあるが。
「いいよね! 竜胆は謎ステップをやらなくていいんだし!」
「緑は楽しくて好きですよ、謎ステップ」
「はっはっは」
武臣は手に持っていた青と赤の旗をひらひらと振る。初心者の男子が武臣だけだったため「うーん、及第点」と言われてフルートの先輩からカラーガードを任された。及第点とはなんだ、及第点とは。
「謎ステップは大変そうだもんね」
「そうなんだよ。こうやって……こうして……こう……こう……あれ?」
「違いますよ。こうして……こうして……どうでしたっけ?」
久美子に見せるようにして謎ステップを披露しようとする葉月と緑輝。けれどもまだ完全に習得できていないようだった。
「違うぞ2人とも」
「右! 左! 右! 左! 右右! 左! 交差! 左! そして、ターンだっ!」
「なんかいろいろ違くない!?」
いいツッコミをありがとう、久美子。横ではぱちぱちとした拍手を葉月と緑輝がしていた。やっといてなんだが男子がポンポンを持って踊るにはちょっと絵面が……。
「なんであんたが謎ステップを謎にやってんの」
「中川先輩」
いつもの気だるげな雰囲気で中川が近づいてきた。いやまぁ、変な風にも見えるか。
「ガードの動きも覚えなきゃいけないんだし大変じゃない?」
「動きだけなら簡単ですよ。あとは歩きながらの確認です、ねっ」
旗を放り投げて一回転、そしてキャッチ。歩きながらならともかく、足を止めてならほとんど失敗はない。目で観察できることなら得意分野だ。
「おーすごい」
「よしっ竜胆はステップとガードをどっちもやってね」
「無理無理」
さらっと葉月が無茶振りしてくる。どっちもやるのは流石に無理。
「あすか先輩が厳しいんだよー。足がダメ、腰がダメ、遅い、やる気あんの、って言ってくるし」
「何度も注意されちゃいました」
たはは、といった表情の緑輝。葉月は大きなため息をついている。おそらくかなり指摘されたことだろう。クオリティを上げようとしたらとことん追求しそうだからなあの人は。
「あすか先輩はドラムメジャーだからね」
「ドラムメジャーってなんですか?」
中川の言葉に葉月が尋ねる。
「マーチングバンドの指揮者のこと。まぁ、うちのバンドの顔ってところかな」
「マーチングは歩きながらですから、メジャーバトンで指揮をするんです。バンド全体の指導をしなくてはならないため、まとめ役であることが多いですね」
「あれって指揮なんだ」
中川の説明に緑輝が補足する。
てっきりマーチングバンドでのパフォーマンスだと武臣は思っていた。普段よく見る滝の指揮と比べるとかなり違う。バトンを投げたり振り回すところを見ると少々アクロバティック過ぎるように見える。
「小笠原部長がドラムメジャーじゃないんですか?」
ふと気になってようで久美子が問う。ドラムメジャーがバンドの顔、というのならば部長がなるのが道理であるはずだ。
「部長はメンタルが弱いからね。そういうのは向いてないんだよ」
「それなのに部長になったんですか?」
そう言って葉月は首を傾げる。……神経の太さはメンタルの強さに関係ないか。
「まぁね。本当はみんなあすか先輩に部長になってほしかったみたいだけど、あすか先輩そういうのは嫌いみたいだから。副部長だって、頼まれたからしぶしぶ引き受けたみたい」
「あすか先輩はとってもリーダー気質、って感じですけどね」
緑輝の言葉に武臣もうなずく。集団をまとめあげるのはそれなりに素質がいる。あれだけ慣れた様子で誘導できる人はなかなかいないように思う。思うんだが、少し前の部内の様子を考えると部長の席は確実に貧乏くじであるのが見え見えだったからではないのだろうか。
「まあ向き不向きと好き嫌いは別ってことじゃない? 小笠原先輩も部長としてよくやってるけどね。毎度毎度あすか先輩と比べられるのがカワイソーだけど」
そう言って中川は肩をすくめた。
ほぼ初対面である武臣に対しても自嘲的な言葉をこぼしていた。大分前から比較されていたのが伺える。たらればの話を考えても仕方がないと思うんだがなあ。
「そろそろ始めるよー」
あすかの言葉で皆が集まる。降りそそぐ日差しはまだ高い位置から肌を刺していた。
それからの練習はひたすら歩いて、歩いて、歩いて、歩く。歩幅に隊列にドラムメジャーを意識してひたすら歩く。もう何回中庭を周ったのか数える気も起こらないぐらいであった。以前から身体を鍛えていなかったら武臣は早々にバテていたことだろう。
日が傾いて終わる間際では皆そろって疲れきっているようだった。それでも、最後の練習の日まで誰1人として「いいものにする」意識を捨てた人はいなかった。