「なんですか? コレ」
その声はいつもより低く刺々しく、浮かんでいる笑顔が笑顔でなかった。言葉1つで教室の空気は冷え込んでいく。
「部長」
「は、はい!」
「私、指示を出しましたよね? 合奏できるクオリティになったら集まってくださいって」
「その結果がこの有り様ですか」
「……すみません」
淡々と、それでもあっても低い声のままで不気味なほど滝の表情は変わっていなかった。仕方ないとはいえ、責任を問われる立場の小笠原に同情してしまう。
「皆さん、合奏ってなんのためにやるのだと思います?」
答える者は誰もいない。この場にしめる沈黙はあまりにも重い。
「君、どう思いますか?」
「えっ、その……」
彼はため息をつくと生徒を指名した。声的におそらく塚本だろう。
「本番のために皆で一緒に練習するものだと……」
「そうですね、私もそう思います」
滝からの同意をもらえたことに思わずこちらまで安堵する。しかし、雰囲気が緩む気配はない。
「しかしこれじゃあ合奏なんてできませんよ。多少のミスなら演奏は進みますが、ここまで出来が悪いと演奏自体が破綻してしまう。この程度の演奏で合奏するだなんて、恥ずかしいとは思わないんですか?」
その言葉に生徒たちは身じろぎする。あからさますぎる罵倒に吹いていない武臣ですら居心地が悪かった。滝が大げさな動きでため息をつく。
「皆さんの力がこの程度だとは思いませんでした。本当に情けない」
その言葉に後方で生徒が立ち上がった。たしかトロンボーンの3年生だろう。
「ちょっとまってください。そんな言い方はないと思います」
「私たちだって遊んでたわけじゃないですし、ちゃんと練習してました!」
「……そうですか」
トロンボーンの3年生が? 真面目に練習していた? 武臣の頭に疑問がよぎる。よぎっただけで何もできないが。
滝はメトロノームを手繰り寄せるとリズムを調節した。カチカチと鳴るテンポは早い。
「トロンボーンパートの皆さんは、このメトロノームに合わせて演奏が始まるところから吹いてください。いいですか?」
その言葉にすべてのトロンボーンが前を向く。
「サン、シッ」
滝の言葉に合わせて音が出る。その始めの音から不揃いであった。最初から揃うことはなかった演奏は進むごとに崩れていく。
「はい、そこまで」
その言葉で部員は気まずそうに楽器を下ろす。
「皆さん、この演奏を聞いてどう思いました?」
そう言って滝は教室を見渡しているが誰も目を合わせようとしない。答えなくとも考えていることは同じだろう。
「私はトロンボーンだけじゃないな、と思いましたよ。他のパートも今のようにパート単体ですら聞くに堪えない演奏をしています。どうしてでしょう」
その問いかけは答えを求めていなかった。
「私は皆さんがパート練習をしている教室を見て回りました。じつに楽しそうでしたね、雑談する声が廊下まで響いてましたよ。楽器の音が一切聞こえない教室もありました」
何人かの生徒の首が動いた。おそらく図星だったのだろう、表情はぎこちない。練習熱心ではないことは知っていたがそんなにとは。
「私はね別に練習を無理強いしたいわけではないんです。ただ、皆さん最初に決めましたよね、全国に行きたいって。なのにこれでは困ります。最低基準の演奏はパート練習でできるようになってもらわないと」
苛々するんですよね
「何を勘違いしているのか知りませんが、私は皆さんと戯れるためにわざわざ学校に来ているのではありません。指導するために来ているのです。なのにどうですか? この演奏では指導以前の問題です。私の貴重な休日を無駄にしないでいただきたい」
表情は笑顔のまま、それでいて言葉は強い。確実に内心は穏やかではないだろうに瞳は冷ややかだった。一味違う緊張に胃が痛む。証拠や理論を並べれば自分に向けられていないことを証明できるのに自分が責められている感覚。
「部長」
「は、はい!」
「今日はこれまでにして来週の水曜に合奏をします。いいですね?」
小笠原に言った滝は楽譜をたたむと指揮台をおりて行く。
「あのっ、サンライズフェスティバルの曲は……」
自然な動きで出ていこうとした滝に中世古が声を張った。まだ教室の空気は重い。思い入れの違いもあるのであろうが、それでもよく声をかけられるものだ。
「あなた達はまだそういうことを気にするレベルにまで至っていません。もし、来週まで改善されないようだったら参加しなくていいと私は思っています」
失礼。最後にそう言って教室の扉をくぐってしまった。斬り捨て御免の間違えではなかろうか。
扉が閉まり、残された沈黙が生徒達にのしかかる。
「なんなんアイツ!」
口火を切ったのは3年生の先輩だった。
「また1週間この曲練習しなきゃなんないのかよ」
「感じ悪すぎ」
「部長、意見しに行った方がいいんじゃないの?」
「えっと……」
周囲から不満に愚痴が溢れ出る。へこむよりも先に誰かの癇に障るのが早かったようだ。不快なざわめきがこうも大きくなると一周まわって関心する。
「はいはいはい! いっせいに言われてもわかんないって。各パートで意見をまとめて今度のパーリーで話そう。それでいい?」
ざわめく中であすかが良く通る声で指示をだす。数人の先輩達は言いたいことがあるようだったが、しぶしぶと受け入れたようだった。
パート練習もそこそこに夕暮れの道を武臣は1人で歩いていた。頭を巡っているのは滝の言葉だった。まともにやる気のないやつに自分の時間を浪費してまで指導はしたくないものだ。苛ついているのも本気のようだったし、この吹奏楽部で1番全国を目指しているのは意外と先生ではないだろうか。まぁ、実際のところは分からないが、全力でやれば応えてくれるタイプだろう。
最低限の演奏。その何気ない言葉が思っていたよりも心に突き刺さっている。今日の演奏はヒドイものだった。だが、武臣自身はその足元にすら及んでいない。今までやってきたこととはまるっきり畑違いを選んだため演奏できないことは当然ではある。しかし、真面目にやっていない奴らよりも実力が下であることが、なんとなくイヤだった。
悔しい。この感情が湧き上がるのはいつぶりだろう。
「上手くなりてぇなぁ」
思わず溢れた言葉は誰にも届くことはなかった。