黒の流星 作:ほせき
しばらくの間は、検査が続いた。最初の成功例で、全てが手探りなのだから当然だ。勿論、壊れぬよう壊さぬよう丁重に扱われた。
尤も、ヒンは自身のことをよく把握していたため、製作者達の視点では無茶をして慌てさせることもしばしばだったのだが。製作者の命令に従わねばならない、という原則が組み込まれていなければ、もっと好き勝手できただろう。
従順でありながら気ままに振る舞うこともあるヒンの言動は、人工知能による学習が順調に行われていると判断されたようだった。また、一部には人工ポケモンの技術も用いられている。件の人工ポケモンもおかしな挙動が見られるため、その所為だと思われているようだ。人の記憶だけでなく、人工ポケモンの要素もまたヒンに多少なりとも影響を与えているので、全くの間違いではない。
数年間は、製作者達に囲まれて検査や実験を行い続けた。
製作途中の人工知能だと銘打って、実際にシステムの管理を幾つも行った。その際には姿を見せず音声も伝えず、コンピュータ越しではあったが。
言われるまま、指示されるままに、仕事や実験を繰り返し――人として街へ行くように、という命令を受けた。
「スイッチステーションでございますか」
ヒンは小さく首を傾げながら、そう命令を言い渡した製作者を見た。
「情報は持っていますね」
「はい。助役として勤務ということですが、駅長にはどの程度わたくしの話を?」
「人間でないことは知っています」
パチパチと瞬きをしてから、なるほど、とヒンは頷く。
「人として擬態できるか、人と紛れてどの程度実績を積めるかという最終試験でございますね。経歴はどのようにいたしますか」
「幾つか草案を送ってください」
「かしこまりました。送りましたので後ほど確認してください」
「……お前と会話していると、本当に人のようであるから困る。だが人あらざる程の優秀さは隠しなさい」
「勿論、わたくしを人と認識している方の前では致しません。そのお言葉は、人としての擬態は既に及第点をいただけたも同然と思っても宜しいのでしょうか」
ヒンの返答に、命令を下した製作者の一人は眼鏡をずらし、無言で眉間の皺を指で伸ばした。
数日後、ヒンはアインアル地方のラヨノシティで助役、つまりは駅長を補佐しその代理を務める副駅長に就任した。
最初こそ、外からやってきた者がいきなり助役になったということで、大歓迎の空気ではなかった。他の少し田舎の場所で同様の経験がある、という経歴を騙ってはいるのだが、実際に身を運んだわけではないものの、検査と実験を兼ねて関わったことがあるため間違いではない。
だが、ひと月もすればヒンに向けられる視線は変わった。人ならば有り得る限界まで、最大限有能さを示したのだから当然でもある。
問題が起こった際には自ら対処に当たり、シフトを組み指示を出したおかげで仕事の効率が三七パーセント上がり、駅員達は毎日時間と労力を残したまま仕事を終えられているのに、そう判断されなければ困る。
そして割と早い段階で駅員達とも馴染んだ。
むっすりとした表情に生真面目な口調、キビキビとした態度は一見とっつきにくい。本当に中身までも機械であったなら、きっとそのままだっただろう。
だがヒンは人であった記憶がある。人であるように演じれば――というよりも、特に意識せず通常通りにし、機械でなければあり得ない動作をしなければいい。
「ヒンさんって、ロボットっぽいですよね」
「ええ、ロボットですよ」
「マジっすか!?」
「冗談です」
「なんだ、冗談か……いや、それマジで信じちゃいますって」
「……誠に遺憾ながらよく言われるのですが……こんなに喜怒哀楽の激しい人間に対して失礼でございますね」
「めちゃくちゃ冷静そうに見えますけど……?」
「今めちゃくちゃ怒っているので、来週のあなた様のシフトは遅番休みなしです」
「わー、すいませんヒンさん、かっこいい! 情熱的! 憧れちゃう!」
「もう一声」
「ガチ尊敬します! 男前! マジパネェっす! ヒュウ!」
「語彙が乏しすぎではございませんか? 来週デートでしたね。金曜日も、休みか半休を取られます?」
「やだヒンさん愛してる……!」
「それはわたくしではなく彼女様に仰ってくださいまし」
人工知能による学習の結果ではない、これはヒンの素である。各国各地方あらゆるものの情報収集は機械任せではあるし、思考も人工知能と同時に行っているが、会話だけはヒン自らの口から出たものだ。
合成音声では難しい発音、抑揚。ある程度のパターン内でしか会話のできない人工知能とは違い、矛盾のない返しを即座にできる。
無論、機械人形だからこそ出来ることもあるが、だからこそ出来ないこともある。
体は滑らかに動き、この体格の成人男性以上の力もある。だが表情は上手く作れず、飲食はできない。表情は声色や仕草で程度カバーできるものの、飲食はどうしようもない。機械人形である限り、今の科学力では不可能だろう。
「ヒンさん、今度ヒンさんの歓迎会を行おうと思うんですが、都合の良い日っていつですか?」
「休日前でなければ、大抵の日は空けることが可能でございますが……」
「じゃあどこの店がいいとかありますか?」
「皆様のご希望にお任せいたします。とはいえ、わたくしが飲食をしないことを皆様が気になさらないのであればですが。……わたくし実は、人前で飲食をすることが苦手でして……」
「そういえば、食堂で見かけたことがなかったですけど……もしかしてお昼食べてらっしゃらない……?」
「一人のときに軽くは。朝と晩にたくさん食べる性質でして。何度か克服しようと試してはみたのですが、人がいるとどうしても飲み込めず吐いてしまいますので……」
「あの、もしかして会食恐怖症……」
「歓迎してくださることはとても嬉しく思っております。ですがわたくしがいることで場が白けてしまうようならば、お気持ちだけ頂いておきます」
忙しい駅員業務中に、皆が示し合わせて和気藹々と食事をすることはないため、今まで飲食をしていないことを不審がられることはなかった。だが、人として人の中で仕事をするならそれは避けられない。故に、ヒンが飲食をしないのはそういうことにしている。
事実、ヒンは食物を口に含んで噛むことはできても、唾液は出ないし飲み込んで消化することなど不可能だ。人の記憶や人工ポケモンの一部はその身に宿ってはいても、この体は無機物でできているのだから。
「いや、とうとうホンマにロボットが入社してきおったと思ったわ」
「こんな精巧なロボットが存在するなら、わたくしもこの目で見てみたいものですが」
「ほんでも観察しとったら瞬きも自然にしよるし、走ってきはった後の胸とか肩の動きがホンマもんやし、SF映画の見すぎかっちゅーて」
「あなた様がそこまで仰るなら、来年の新入社員に言えば簡単に騙されてくれそうでございますね」
「おっ、ええなそれ! やったるか!」
「全責任をあなた様が負ってくださるなら構いませんが、ネタ晴らしはその日中になさってくださいまし」
「そこはボスが負ってくれるもんちゃうん?」
「わたくし新入社員の方に遠巻きに見られたり嫌われたくありませんので」
「わしやって嫌やけど!?」
とはいえ、聡い者もいるので気は抜けない。一応、心音や呼吸音も再現できるようにはしているが、人間ゆえの動きは常に怠らないようにしている。
聡いといえば、ポケモン達もそうだ。ヒンを構成している要素だからだろう。ヒンは他の人間よりもいささか、ゴースト、はがね、ノーマルタイプのポケモンに好かれることが多かった。
あらゆるポケモンの情報や文献をインストールし、個々の状況と状態を適宜見極め、適切な距離を保ち、それぞれに合った対応をしているおかげで著しく嫌われることもなく、最善の対処ができている。それでも、その三タイプには特に懐かれるため、ヒンも当初はひやひやしたものだった。
だが、特定のタイプに好かれる人間というのはそこまで珍しいことではない。
凄腕のトレーナーが特定のタイプのみの手持ちで構成されているのは、育てやすさや生育環境の統一だけでなく、同じような理由もある。そして何が琴線に触れるのかは、人間には分からないことが多い。
人間にその理由は分からないが、ヒンはゴースト、はがね、ノーマルタイプに好かれる人なのだと周囲は納得したようだった。
そして特定のタイプに好かれることは殊更珍しいことではないが、多いわけではない。その提案がなされたのは、当然だったのだろう。
「わたくしがポケモントレーナーですか」
「そう。他の駅員達からも提案されていてね。まずはバトルメトロの一般駅員として、どうかな」
「わたくしの立場で問題なくポケモンを手持ちに加えられるかが分かりかねます。また、上の者の許可がありませんと、わたくしの一存では決めかねます」
ポケモントレーナーにならないか、ポケモンを持たないのかと問われることは、今までもあった。今は仕事が忙しいからと断っていたが、今問うてきたのはヒンの正体を知っている駅長で、今いるのは他に誰もいない駅長室。ゆえにヒンはそのまま事実を伝えた。
ヒンが人としての戸籍等を持っているのか、ヒンは知らない。その辺りの情報は、研究室からアクセスできるデータベースにはなかった。実のところ、ヒンなら秘密裏に公的機関にアクセスし情報を書き換える手立てはあるが、後のことを考えるとさすがに実現しようとは思わない。
好いてくれ、力を貸してくれるポケモンを選べば、初心者のヒンでもそれなりにやれるであろう自負はある。前述した通り、ヒンはポケモンに対する情報を有し、人よりも詳細に現状を読み取れる。経験は変えようがなく適正も分からないが、ノーマルトレインの一般トレーナーなら難なくこなせるだろう。
ヒンが勤めるスイッチステーションには、バトルメトロと呼ばれるポケモン対戦施設がある。他地方のバトル施設とほぼ同じだが、バトルコートが列車内だということが特異な点だ。
半数ほどは駅員としての通常業務をこなしつつ、トレーナーとしてポケモンバトルを行っているため、どちらもこなせる優秀な人員は歓迎される。
また、ポケモンジム然りバトル施設然り、ポケモンの保護活動をしている。強さを大いに求めるトレーナーが多い負の側面で、スイッチステーション内で放置されたタマゴやポケモンが見つかることも、多くはないが皆無ではない。
捨てられたポケモンを引き取り、無理なく適切に世話をしてくれるトレーナーもまた、歓迎される。
スイッチステーションで勤務し、トレーナーでもある駅員達と共に働くからこそ、その考えもよく分かるのだが。
生憎とヒンは研究所の所有物であり、そのような大きな選択の決定権はない。ポケモンの命がかかっていることを、簡単に決められるわけがない。
ヒンに下された命令は、スイッチステーションで助役として働くこと。トレーナーになる許可は得ていない。
そう告げると、駅長は穏やかに笑って口を開いた。
「君自身はどうしたいんだい?」
「ですがわたくしは」
「トレーナーやポケモンに興味はないのかな?」
「……興味はございます。わたくしならばノーマルトレインは務まると思っております。また、現在バトルメトロで保護している中に、わたくしに懐いてくださっているポケモン達もおりますので」
「ならその子たちを引き取って、トレーナーになりなさい。トレーナーデビューの目標は二か月後。駅長命令ね。ああ、君の上の人達の許可ももう取ってあるよ」
それを聞いて目を丸くするヒンに手渡されたのは、トレーナーカードだった。確かにヒンの名前と顔写真が載っている。
駅長の顔を見やれば、彼は悪戯が成功したエルフーンのように笑った。
そうしてヒンはポケモンを育てることになった。全てスイッチステーションで保護したポケモンやタマゴである。
保護された、ということは人間に対して複雑な感情を抱いている可能性があるのだが、ヒンは人ではない。本能的にそれを察しているのと、ゴースト、はがね、ノーマルタイプのポケモン達が最初から友好的だったのもあって、さして警戒もされず協力的だった。
研究や観察がされている全てのポケモンについての正しい知識があり、それに基づいての言動をしているからでもあるだろう。
「保護ポケモンなのに最初からこんなに懐いているなんて、さすがボスですね……」
「そもそもがわたくしに警戒心を持たず、ポケモンバトルに積極的なポケモンを引き取っておりますからね」
「それでもこの子達、ポケモンバトルをするのは初めてじゃないですか。普通はこんなに動けませんよ」
「ボスは他には全く懐かんわしのギギアルとムーランドも何の苦労もなく世話しよるからな。ポケモン関連の仕事も向いとるとは思っとったで」
「皆様が不在の際に世話させていただたいた経験が活きたのでございましょう」
「いや、意思疎通だいぶ出来てないすか? 何言いたいのかトレーナーのオレでも分かんないのに、体調も気持ちも理解出来てるっすよね……いや助かりましたけど」
「平常時と比べての動き、体温、表情、顔色、毛艶、声の違いですね」
「ミカルゲとポリゴン2の表情はオレには難しいっすわ……」
ちなみに、人ではなく人工ポケモンの要素があるとはいえ、ヒンもポケモンの言葉は分からない。他の人間よりも、少しだけ意思が読み取りやすいという程度。それでも、ポケモンバトルをするならばお互いの意思疎通は大事な要素だ。
職員に告げたように、正常時の動きや顔色、毛艶は覚えているので異常があればすぐに対処できるし。呼吸音、心音、体温等は常に感知できている。体調管理は不足なく行えているだろう。
ヒンは引き取ったポケモンを順調に育て、指定された二か月後、無事にトレーナーデビューを果たした。
むしろ早々に、ノーマルトレインのトレーナーとしてはいささか強すぎるのではないかと囁かれたほどだ。事実、折を見てスーパートレインに移ることになった。
そんな最中、ヒンは研究所に呼び出された。
ヒンをベースとしたヒューマノイドロボット二号機が作られることになったからだ。
二号機のボディはほぼ出来上がっていた。ベースがヒンゆえに、体格はほぼ同じ。ヒンが仏頂面で少し威圧感があるこということで、二号機は逆にいつも笑っているような顔でヒンより少し背が低い。まだ表情を自然に動かせる技術がないため仕方がない。それに表情は優先度が低い。
外装はヒンよりも耐久性が良く、これだけ性能を上げているにしてはコスト削減もできている。ヒンの研究結果を反映、改善させているおかげで、処理能力等も上がっているようだ。
だが、駄目だな、とヒンは心中で呟いた。
これでは正しく起きることはないと分かってしまった。
それは当然だ。ヒンは偶然にも人の記憶が入り込んだ結果、人だと認識されて三原則が適用されず目覚めたのだから。これでは、三原則に違反するとして目覚めることはない。
ヒンにそっくりな二号機。つまりヒンにとっては弟だ。
それが今までの試作機と同じく、目覚めないままスクラップになってしまう。
悩んだのは一瞬だった。ヒンは自らの指先を電子化させて、コンピュータへと埋める。
人工ポケモンと違い、ヒンは全身をデジタルデータ化することは出来ないが、一部だけなら可能だ。電子空間を移動できるものの、自由自在とはいかない。それでも、人が組んだセキュリティをかいくぐってアクセスし、書き換えることくらいなら出来る。
防御に人工ポケモンが用いられていることもあるが、同じ要素が入っているのだから、そのパターンは読めるし、場合によっては懐柔もできたりする。純粋なプログラムではなく、多少なりとも感情や思考があるポケモンだからこそ。
とはいえ、ヒンのように人の記憶を入れることは出来ない。そもそも、ヒン自身がどこからやって来たのか分からないのだ。表面上はそのまま、実際の割合だけを調整する。
機械の要素は削り、ポケモン要素も少し足す。だが多すぎると挙動がおかしくなるし、それでは他の人工ポケモンと外装が違うだけになってしまう。排除されずにいるには、やはり人の要素がいる。
多少学習した人工知能を、人の要素と誤認させる。ただ、やりすぎると人工ポケモンのおかしな挙動の範疇を超えるし、人格までも作られたものになってしまう。
ヒンが加えるのは少しだけ、残りは自らの学習で補わせる。ヒンだって最初から流暢に会話をしていたわけではない。多少ぎこちなくとも、まだ学習中だと判断してくれればいい。ヒンという前例がそうな上に前例が少なすぎるため、有り得ることだと判断される。
セキュリティを躱し、説き伏せ、隠れ、情報を書き換える。ヒンが学習した内容を無作為に。二号機はヒンの弟なので、弟らしいものにしよう。それから、研究員達が望んでいるような、ヒンとは違った性質も。
実際にヒンが情報を見て判断し、書き換えに及んだ時間は数秒にも満たなかった。
ヒンの見立てが正しければ、これで正常に起きてくれるはずだ。ヒンの弟で、ヒンよりは真面目で、明るく、情に厚く、人の気持ちに寄り添えるようなヒューマノイドが。
数週間後、二号機は無事に目覚めた。
ヒンの次の成功例ということでヘアと名付けられたそれは、数か月の検査を経た後、書類上もヒンの弟としてスイッチステーションで働くことになった。
「ブラボー! スーパーブラボー!」
「わ、大きな声。どうしたのヒン」
「あなた様のことを心待ちにしていたからでございますよ、わたくしの弟ヘア! どうぞ兄と呼んでくださいまし!」
「でもそれは設定でしょう?」
「同じ研究者達に生み出されたもの同士ならば、兄弟と言えるでしょう。そして書類上もです。そしてわたくしたちがそのような誤作動を起こすことはまずないと言っても過言ではありませんし、わたくしたちが察知できないはずもありませんが、わたくしたちの事情を知らぬものの前で言ってしまわぬために、常日頃からそうしておくのは賢明なことです。何せわたくしたちは純粋な機械ではなく、不完全な人間の情報をも学習した人工知能と、人工ポケモンの要素も入っているのですから」
「一理あるね」
「それからわたくしたちに必要なくとも、人らしくあるために場合によっては一拍おくことも必要かもしれません」
「……なるほど。ぼく相手なのに、ちょっと回りくどい言葉なのも?」
「効率的ではありませんが、個性付けとしては適当でございますね。わたくしの場合、それだけではございませんが」
実際にスイッチステーションでヒンの弟として紹介される前に、二人きりで顔を合わせる機会があった。今後研究所に戻らない時は二人で生活するため、事前の調整が必要だと考えてのこと。
ヘアは表情や態度、口調はヒンより気安く柔らかいものの、多少のぎこちなさと機械ゆえの融通の利かなさは残っている。そこをもっと学習し成長させ、馴染ませる目的もある。それにある駅員が着目していた要素、生き物ならだれでもある体の動きをヘアはまだ再現できていない。
当日までに、ヒンはそういった人らしい仕草を実際に見せ、語り、不自然であれば指導した。学習は得意な人工知能が搭載されているのだから、そう難しいことではなかった。
ヒンとヘアとのやりとりは、声に出して会話をするよりも、体を電子化させて直接情報だけを伝える方が早いのは確か。だが緊急時や情報が膨大な場合以外、人らしくすることに慣れなければならない。既存の回線を用いない限りは、会話より機密性も確かではあるものの。
「ぼくもポケモンを持つの?」
「勿論強制ではございませんよ。あくまでもヘアがポケモンバトルに興味があるなら」
「んー、ある、かも」
「それは良いですね! ヘアならすぐにトレーナーとして働けますでしょう。わたくしも今はスーパートレインに乗っております。入社後すぐにポケモン引き取り申請を致しましょう。希望に叶うポケモンが保護されているとは限りませんが、もし希望があるならば早めに伝えておきますよ」
「一番はぼくと相性が良いポケモンだけど……強いて言うなら、ダブルバトル向けのポケモンかな」
「ダブルバトル! それは素晴らしい! どうせならわたくし、マルチバトルもしたいと思っておりました。ヘアがバトルデビューした暁には、是非、是非!」
「あはは、兄さん必死。兄さんくらい腕が良くて状況判断も早いなら、色んな人と組めるんじゃないの?」
「それが、状況判断が早すぎてそれについていけないと皆様口を揃えて仰られて……」
「ああそっか。ならぼくもそうなる可能性があるってことだよね。ハブられもの同士組んじゃおっか」
「言い方!」
融通の利かないものではない、ウィットに富んだ会話も出来るようになった。人らしく、そして兄弟らしく、知己と行うような会話。
外装は似せてあるのだし、書類上だけの関係だなんて疑うものもいないだろう。尤も、数か月前にできた弟とはいえ、ヒンは真に弟だと認識しているのだから。
斯くして、ヘアもまた駅員として正式に入社し、スイッチステーションの皆に受け入れられた。
ヘアがヒンよりも人懐っこく取っつきやすい雰囲気や言動だからだ。既に信頼を勝ち得ているヒンが「わたくしの大事な弟です」と紹介したからでもあるだろう。
また、少なくとも表立ってヘアがロボット疑いをかけられることもなかった。むしろ、兄より弟の方が人間らしいなどと冗談交じりに言う者もいて、ヒンが拗ねて駅員に揶揄されるという一幕もあったのだが。ヘアに対する心配が一つ減ったというのは喜ばしいことなのだろう。
スイッチステーションの職員として、同僚として、バトルメトロのトレーナーとして、ヒンとヘアは順調に信頼を得、優秀さも示していった。
バトルメトロで一番強い位置付けであるメトロマイスターにふたり揃って任命され、シングルトレインにといえばヒン、ダブルトレインといえばヘア、そしてマルチトレインといえば白と黒の兄弟と認識されるようになった。
誰かに本気で人ではないと指摘されることもなく、人として上手く人間社会に馴染んだ。
まるで人間と見間違うほどのヒューマノイド。だが人間ではないからこそ人よりずっと有能で、人間が何人も必要な作業をひとりでもこなすことが出来る。
人に擬態するからこそ能力をセーブしているが、全力を尽くせば今より何倍もの成果が出せるだろう。
「ボスとヘアって、どっちも案外ブラコンやんな?」
「そう?」
「そうでございますか?」
「弟が来てからボスはめっちゃニコニコやし、ヘアは口調の割に真面目なんに兄ちゃんにはめっちゃ甘えよるやん」
「表情筋が死んでいるとはよく言われますが、ニコニコなんて言われたのは初めてでございます」
「だって兄さんがやってくれるって言うんだもん。えー、でも皆の前では普通にしてると思うんだけどなあ」
「普段は二人ともそうやけど、やっぱり兄弟やったら緩むんやろうなあ。マルチやって息ピッタリやん。シングルとダブルやったらともかく、マルチやったら経験の長さからいける思たんやけどな……」
一部の駅員からは、そんな評価をもらうこともあった。殊更聡い者だったからかもしれないが。
ちなみにマルチバトルは、ヘアもまた分析と判断が早すぎるとして他のトレーナーと組みづらく、結局はヒンと組む方が双方ストレスがなく効率が良いと、緊急時以外は固定となっている。
ともかく、人らしく、仲が良い兄弟だと思われているならいいことだ。ヒンだけだった頃も職員達と打ち解けていたが、ヘアという弟が来てから、より距離が近くなった者もいる。家族や兄弟がいる、というだけで親近感を持つ者もいるのだろう。
「ボス! 何をしているんですか!」
「狼藉者を制圧したところですが……?」
「副駅長であるあなたが体を張らずに、まず警備員を呼んで任せてくださいって言っているんです!」
「しかしその間にお客様が怪我をされるかもしれませんし、不安にさせるくらいであればわたくしが、と。ご覧の通り器物破損もございません」
「ボスが怪我をしたらどうするんですか!」
「傷一つございませんのでご安心くださいまし」
「兄さーん、女子供狙ってわざとぶつかって転ばせた奴がいたから拘束したよー」
「この兄弟は……!」
暴れたり酔っぱらったり迷惑行為をしたりと、お客様と言えない連中を、他の人に被害を出さないよう鎮圧するのも、基本的にはヒンとヘアの役目だ。本来は警備員の仕事だろうが、警備員とて生身の人間だ。人間より力があり俊敏に動け体力もほぼ無尽蔵で、刃物などものともしない二人が相手をした方がいい。
人だと思っている者達は不安かもしれないが、駅員に言った通り、居合わせたり近くにいるるヒン達が対処した方が効率も良い。
それに、相手がポケモンを出してきた場合、二人が一番の適任だ。手持ちポケモンのレベルも高く、本人達も刃物や殴打、薬品に毒物、生半可な電流やポケモンの技も多少は耐えられるのだから、身を挺するのは当然のこと。三原則が刻み込まれていなくとも、その気持ちはある。共に働き、受け入れて好いてくれている仲間なら尚更。
そんなわけで、ヒンとヘアは自身のポケモン相手にバトル擬きを繰り返したりもしている。人工ポケモンの要素もあるなら、時間をかければ技を放ったりポケモンと渡り合えるのでは、と考えもしたのだが、ヒンもヘアもさすがに無理だった。
尤も、レベルの低いポケモンやバトルに不慣れなポケモンであれば、多少は相手取ったり時間を稼いだり逃走することは可能だ。様々なポケモンを相手にしていれば、人間がどんな動作や戦略をとってきても、制圧は簡単に思えてくる。むしろ力加減に一番神経を使うなんてことはザラだ。
ポケモンとの関係も良好。ヘアもはがね、ノーマルタイプのポケモンに好かれやすかったのは想定内だ。何となく言いたいことも分かるらしい。
尤も、ヒンの時と同様、そのとき保護されていたポケモンには限りがある。同じタイプばかりを揃えているわけではないが、メトロマイスターとして様々な強いトレーナーとバトルをするなら今の方が都合が良かったと言える。
ヘアもまたヒンと同じく、ポケモンの心音、体温、健康時との差異、筋力量等も透けて見えるため、故意に体調を隠すポケモンがいても十分なケアができている。人より頑丈で、電流や毒もほぼ効かないから、存分にじゃれつけるというのもあるのだろう。バトル擬きもその延長上だと思っているからか、非常に協力的だ。
多少のメンテナンスは必要とはいえ、人のように睡眠も飲食もいらない。データの更新やインストールもほぼ一瞬で済む。そのため、ヒンもヘアも仕事のない日は自分の手持ちに付きっ切りで構っているのも、よく懐いてくれた理由だろう。
順調だった。問題なく人として認識されて馴染み、人にもポケモンにも信頼され、十二分に優秀さを示した。
弟のヘアも加わり、ヒンにとっては楽しい日々が過ぎていった。助役として職員の皆が快適に、効率的に仕事を行えるように計らうことはやりがいがあったし、戦略を練ってポケモンバトルをするのは心が踊った。
だが、瞬く間に過ぎ去っていく日々が終わるのは唐突だった。尤もヒンは少しだけ予想はしていたものの。
「三か月後にはヘアに仕事を引き継いで退職し研究所に帰還でございますね。かしこまりました」
「……帰還した後、どうなるか承知しているのですか」
「機能停止、運用後の状態を調査するための解体。部品によっては廃棄、次作機への転用、解析用に保存では?」
「分かっているなら……!」
スイッチステーションで勤務するよう直接伝えて、ヒンのことを人のようだと称した製作者。退職と帰還の命令を、つまりは廃棄されるのだと伝えたのも彼だった。
ヒンの外装を設計した人物だからかもしれない。研究所に戻るたびに簡易検査や聞き取りをし、一番長い時間を間近で過ごしていたゆえに、だいぶ情が移っていたのかもしれない。本人の言葉通りヒンがあまりにも人に思えていて、機械に対する判断を鈍らせているのかもしれない。
その製作者より背の高いヒンは視線の高さを合わせるように少し腰を折り、自身の胸に手を当てた。
「ヘアならば恙なくわたくしの後任を務められるでしょう。問題はございません。手持ちのポケモンもヘアには懐いていますから、再び保護施設になどということもないでしょう」
「そうではなくてっ」
「一部の部品が摩耗しているのはわたくし自身、よく分かっておりましたので。日課として自己メンテナンスは行っております。動く試作機がない期間が続いた所為で、元から適切でない部品も用いられており、ヒンより古い。人も年嵩の方や病気や怪我をした方から亡くなります。ヒューマノイドとてそれは同じでございます。一部の部品を新しくしたところで対処療法にしかならず、逆に繊細な均衡が崩れて動かなくなる可能性もゼロではございません。ならば次作機の糧にした方が宜しい」
ヒンの言葉に、彼は唇を噛んで俯いた。人の形を模する機械を作り研究する者にしてはなんとも、情が深く冷徹さが足りない。人の記憶も有しているから仕方がないとはいえ、この職に就くにしては不要な優しさを助長させてしまったことを、ヒンは申し訳なく思う。
このままだと次作機がヒンやヘアのようにヒューマノイドとして目覚めるとは思わないが、少なくともヘアを長く生かすためには役に立つ。
それに彼に語った言葉は嘘ではない。数年は平気でも、今の技術力ではこれ以上ヒンの体は保たない。無事に部品を入れ替えられる可能性も高くはないのだ。
表情が変えられないことに不便を感じたことはなかったのに、笑みを浮かべられないのが今だけはもどかしい。意図して穏やかな声色を心がけながら言った。
「この身で生まれ、スイッチステーションで人の役に立ち、楽しく同僚と仕事をし、メトロマイスターとなり、ヘアという弟まで出来、わたくし幸せでございましたよ。寿命がいささか早かっただけのこと。その優しさは、どうぞヘアに向けてくださいまし。わたくしの弟をよろしくお願いいたします」
ヒンの退職は、スイッチステーションの職員達に駅長を含め、非常に惜しまれた。駅長には、ヒンが戻ったらどうなるかまでは伝えていないのだろう。ポケモントレーナーになってみないかと問われたときの対応を思えば、駅長もまたあの製作者と同じ反応をするだろうから。
一か月は双方が慣れるためにとヘアと仕事を分担し、次の一か月で正式にヘアが助役へと就任した。情報の引継ぎ自体はほぼ一瞬で終わったし、機械的にはヒン以上のスペックを持つヘアが、簡単にこなせないわけがないのだ。
ヒン以上にスーパーシングルトレインのメトロマイスターを務められるトレーナーはいないし、ヘアと問題なくマルチをこなせるトレーナーも今のところ見つかってはいないが、その辺りは育てるか新たな雇用を頑張ってもらうしかない。
退職まで一週間を切った頃、ヒンはヘアに時間を取ってくれと頼まれた。職員達から送別会をしてもらい、直前だと慌ただしいかもしれないと各所に挨拶も済んだ後。
勿論、手持ちポケモン達との別れも済ませて既にヘアに譲渡済みだ。
ヘアの元気がないのは分かっていた。ヒンが兄だと振る舞い、そう呼んでほしいと言っていたからか、本当の兄弟のように接してくれていたように思う。
機械の体でヒューマノイドといえど、心はあるとヒンは思っている。乞われたからや擬態のためだけではなく、いささか情も傾けてくれていた。ならばその反応も無理はない。ヘアには悪いが、ヒンはそう思ってくれていることが嬉しかった。
自分達で借りている部屋のリビングで並んでソファに座り、沈黙が流れること数秒。ややあってから、ヘアは口を開いた。
「兄さん、全員とお別れは済んだの?」
「ええ。少し早いですが、都合がつかない方もいらっしゃるかもしれませんので」
「そっか。荷物は全部まとめたの?」
「はい。元々そうありませんでしたから。もしまとめ忘れた物があれば、遠慮なく捨てるなり何なりしてくださいまし」
「分かった……」
「……ヘア、何かわたくしに言いたいことでも?」
「うん……あのね、ちょっと動かないで」
「? はい、かしこまりました」
睨むように見つめるヘアの言葉に、ヒンは頷いた。ソファから立ったヘアが、ヒンの正面に立つ。ヘアの両手がヒンの顔に向かって伸ばされた。左手でヒンの頭を固定し右手が口に向かう。
「ヘア」
「黙って口開けて」
ヒンの口の中にねじ込まれたヘアの手が喉の奥――強制停止ボタンに触れた。
そもそも痛覚は搭載されておらず、人と違って痛みや苦しさを感じることはないが。ヒンはそのままの体勢で見上げるが、ヘアは無言で見下ろすだけだった。
『強制終了が選択されました。すべての機能を停止します』
ぐっと長押しされてから数秒後にヒンの視界は真っ暗になり、それきり思考も停止した。
ヒンとヘアってぶっちゃけややこしいのでしまったと思ったけど、ドイツ語が一番かっこいいやん?
ヒン(Hin)……ノボリ
ヘア(Her)……クダリ
メトロマイスター……サブウェイマスター
スイッチステーション……ギアステーション
バトルメトロ……バトルサブウェイ
ラヨノシティ……ライモンシティ
アインアル地方……イッシュ地方