黒の流星   作:ほせき

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黒い車掌さん・ヒスイ地方より

そこまでで、ヒンとしての記録は途切れている。

日々の終わりに、記憶を記録としてバックアップを取る。それが日課で、その日は何事もなく終えたことまでの記録は存在している。

 

ならば次の日、ヒンの身に何かが起こったのだろう。

バックアップした記録は残っていても、ヒンはそれまでの記憶は、人の記憶として覚えているものは何一つなかった。記憶媒体の記録を読み取っただけのように、これまでの経歴に現実感はなく。どこか他人事に思える。

ヒューマノイドということは確かだろう。それは分かる。それなりに知識はあるし、この身を維持する方法も分かる。戻るべき場所は、イッシュ地方のライモンシティ、ギアステーションかノボリとクダリが暮らす家なのだろう。

 

だがあの状況で、どうして雪山にいるのかは分からない。次の日もおそらく、ノボリとしてギアステーションに赴き、サブウェイマスターの仕事をこなしていたはずだ。

記録が残っていて、記憶を失っている理由も分からない。ポケモンの技でテレポートすることは有り得るが、記憶まで失う程の何かに巻き込まれたということはなかなか考えづらい。

仮に何か事件に巻き込まれたとして、念のためにと自身の状況を残しておけない程だったとは考えにくい。可能性としてはゼロではないが、伝説や幻のポケモンかそれに類するほどの出来事でないと説明がつかない。

まず巻き込まれないようノボリのポケモンが入ったボールを、咄嗟に範囲外へと出したはずだ。そして人とは違い、同時に他の動作もできる。バックアップを取らなかったということはおそらく、ノボリかクダリ、もしくはアクロマ辺りにでも状況説明を送ったのだろう。ヒンが巻き込まれるほどなのだから、注意や警告は必須だ。だけどバックアップまで取る余裕はなかった。そういうことだろう。

 

誰かと通信できないか探るが、電波はなぜか拾えない。雪山とはいえ、このご時世に微弱な電波すらないとはよほど辺境の地であるのか。機械の目で遠くまで見渡し地形と植物やきのみを確認するが、データにあるイッシュ地方とは一致しない。

見回すなら高いところからの方が良いだろうと吹雪の中を歩き出せば、ちらほらとポケモンを感知し始めた。

ミミロル、ウリムー、ユキカブリ、カチコール。カロス地方やシンオウ地方に近いかと思ったが、しかし生息域とはピッタリ重ならない。

データにない地方や、データが揃っていない辺境か。一匹二匹であれば誰かが逃がした可能性もあれど、ヒンが観測したのはその範疇に収まる数ではない。

 

地面に空いた穴の近くを通ったとき、遠吠えのような声が穴の中から聞こえた。

記録にはない。同種であろうと個々で差異はあるが、基本的な声紋の特徴は似通っている。今聞いた声を解析しても、これだというポケモンはいない。伝説や幻と称されるポケモンのデータが全て揃っているわけではないものの。

強いて言うなら……ゾロアークに近い。

 

高地へと向けていた足をそのまま、穴に向かって下ろす。通常の人の身では、下りられても登ることは困難な高さにある穴だ。

下りた先にはカチコールの姿。あちこちですすり泣く声も聞こえ時々ムウマが姿を見せるが、わざわざヒンの背後に現れた個体は、ヒンが微塵も驚かないのを見て、つまらなさそうに去って行く。姿を消されると視認はできないが、ケーシィのようにテレポートして物理的に移動しているわけではないため、熱で感知は可能だ。

カチコールがあちらこちらにいる所為で気温の低い地下洞窟を、足音を消しながら進む。生身の人であれば少々堪えただろう寒さの中、再びあの声が聞こえた。洞窟の中ゆえに声が反響し大きく聞こえる。

声が聞こえた方向へと足を進めると広い空間が見えた。外から視覚で確認できないが、中には数匹のポケモンがいることは感知できた。

 

死角になる位置で腰を落とし、じっと待つ。黒いコートの裾が凍り始めた頃、それがヒンの視界内に入ってきた。

ヒンが生身の人間であれば、思わず声を漏らしていたかもしれない。機械の体で取れるデータを、余すところなく記録していく。

外見の大きな特徴は似ている。色と体毛の質と長さ、基本姿勢と歩き方も違う。おおよその高さも、殊更平均と異なるサイズでなければ同程度。足音から計測される重さはいささか軽い。生息域を考えれば、もしかしたらタイプも違う可能性がある。同じ空間にムウマもいるということは、ゴーストタイプかもしれない。

そこまでを観察、思考し、随分と遠いところまで来てしまったらしい、とヒンは心中で溜め息を吐いた。

 

 

 

 

穴から出て高いところを目指して再び歩き始めて、ヒンはようやく人と出会った。

巨大な氷塊の傍で出会ったハマレンゲという名の若い男性は、此処をヒスイ地方の純白の凍土だと言った。

僅かではあるが、その単語はヒンの持つデータに引っ掛かった。今のシンオウ地方が古に呼ばれていたのがヒスイ地方だ。

 

ポケモンや植物を見ても一致するものがなかったのは当然だろう。長い年月を経て生態系が変化し、現代と異なるのはよくある。地下で見たゾロアークに似たポケモンは、ヒスイ地方のリージョンフォームといったところか。

現代に生きた記録がないのは、住めなくなって絶滅したか、移動したか。それともまだ人の及ばぬ場所でひっそりと生き残っているのか。

 

ハマレンゲはシンジュ団という集団に所属し、この雪山にある集落に住んでいる。他には紅蓮の湿地と呼ばれる場所にコンゴウ団という集団が集落を形成しているらしい。互いに姿形の異なる『シンオウさま』という存在を信仰しており、考え方の違いも相まって対立することもあるという。

シンジュ団とコンゴウ団、どちらのシンオウ様が真実なのかは知らないが、信仰を集めているということは伝説のポケモンの可能性が高い。おそらく、現代のシンオウ地方と呼ばれることになる所以なのだろう。

シンオウ地方に伝わる伝説のポケモンというと、何体かヒンの記録にはある。しかもヒンがいた時代より数年前には、目撃例が接触例があったらしい。尤も、一般的には伏せられ、関係者には箝口令が敷かれている。ヒンがその情報を所持しているのは、電子化してセキュリティをかいくぐり、一般人はアクセスできない場所を覗いたからだ。ノボリやクダリにも言っていない。

 

ハマレンゲに誰だと聞かれ、ヒンは迷った末にノボリだと名乗った。

ヒンが此処へやって来てしまったのは、ただ単に事故なのか、それともヒンだからなのか、ノボリだと勘違いされたからなのかは分からない。だが今のヒンはノボリの、サブウェイマスターの黒の制服を身に纏っている。つまり、ノボリのフリをしている際に此処へやって来た。ならばノボリであるべきなのだろう。

それにこの時代、ノボリも生まれてはいないが、ヒンもまた存在しないはずだ。時代も世界も違うなら、まだタイムスリップなだけのノボリの方がいいだろう。尤も、名前は同じでも此処もまた、別の似て異なる世界である可能性もゼロではないが。

 

何処から来たのかと問われ、ヒンは記憶がないから分からない、と答えた。

アインアル地方かイッシュ地方から来た、と言えば丸く収まるかもしれない。遠い地方で現代よりまだ他地方のことは知られていない。知識不足や此処の人達にとっての奇行や異色もそういうものだと思ってくれる可能性はあるが、万が一同じ地方出身者が来たら、余計に怪しまれることは必須。

それに、バックアップから記録は吸い出したが、記憶がないのは本当だ。この時代、ヒスイ地方のことをほぼ知らない。常識も知らず怪しまれるくらいなら、最初から何も知らないと正直に言っておいた方がいい。

嘘を言っている素振りはないしならば困っているだろうと、ハマレンゲにシンジュ団の集落へと案内された。突如現れた怪しい異人を見張り、見極めるためでもあったのだろう。実際、あからさまな尋問や懐疑的な視線はなかったが、そのような雰囲気は窺えた。

 

だが数日も経てばヒンは有能な人物だと認められ、シンジュ団への滞在を快く許された。

ヒンの知る現代よりもずっと険しく厳しい自然や獰猛で体躯の大きいポケモン達から住民達を守り、食料調達を率先して手伝い、天候が悪い日でも難なく物資の運搬をやってのけたからだ。

一応、強靭な人間ならば有り得るギリギリにまでは抑えられているはずだ。ハマレンゲは常に氷点下を下回る地域で上半身裸の状態で動き回っているのだから、この程度であれば問題にはならないだろう。ロボットという概念すらない。他所からやって来た異人の男だから、と納得されているようだ。

 

また、一か月後にはコンゴウ団と顔合わせも終わり歓迎され、オオニューラのキャプテンを任されるようになった。

尤もこれは、致し方ないことだったのだろう。キャプテンとは、このヒスイ地方で過去に英雄と共に戦った十匹のポケモンの子孫である、キングやクイーンと呼ばれるポケモンやライドポケモン達の世話役の呼称である。彼らの縄張りを守って管理し、場合によっては食料調達なども行う。

オオニューラの前キャプテンは滑落して怪我をし、務めを果たせなくなった。何より、ヒンがキングであるオオニューラに殊更気に入られたのが一番の理由だ。

元々オオニューラは孤高を好み、群れることはない。なのにヒンには懐き、触れることもその手からきのみを食べることさえした。シンジュ団だけでなくコンゴウ団でも、それを許す者は一人としていない。

あらゆるポケモンへの扱いに長け、対処法を知り、高低差の激しい天冠の山麓もスムーズに歩き、ある程度オオニューラの身体能力についていける人間もヒンだけ。他に選択肢がなかったとも言える。

 

これはヒンにとってメリットもあるが、ある意味デメリットでもあった。

警戒や、排斥の心配がなくなったのはいい。キャプテン業も、オオニューラだったことは幸いだ。一部のキング、クイーンとは違って縄張りが広く他の区域にも出掛けることが多いため、ヒン自身あちこち歩き回っても問題がない。元々孤高を好む性格もあって、付きっ切りの世話も必要ない。

おかげでヒスイ地方を歩いてデータを取るのに役立った。確かに大まかな地形や主だった湖や山の位置からすると、昔のシンオウ地方というのは間違いないだろう。生態系は変わっているのだろうが、他地方よりも現代の共通点が多い。

キング、クイーンを筆頭に、現代だと見たことのないリージョンフォームもいる。この記録は現代に帰ったとき、または現代までヒンが無事に残ったとき貴重な資料となるだろう。

 

デメリットは、シンジュ団で重要な役職に就き、コンゴウ団も含めて顔見知りが増えてしまったことだ。

ヒンはヒューマノイドなので外見が変わることはない。長くいれば、歳を取らないことが分かってしまう。成人男性であれば十年、頑張れば二十年程度くらいなら誤魔化せるかもしれない。だがそれ以上はさすがに難しい。

本当に此処が今までヒンがいた世界なのかを確かめる必要もある。ヒスイ地方のデータはほぼなく、シンオウ地方のデータは程々。調べるなら、一番データの多いイッシュ地方にすべきだ。なら、いつかはイッシュ地方に赴いた方がいい。

だが、すぐさまそうするには、ヒンはこの地の人間やポケモン達と関わりすぎた。よりにもよってシンジュ団は人が生活するには過酷な場所に住んでいるし、ポケモンと人間は現代とは違って友好的ではない。ふしぎな隣人となるのは、此処よりずっと未来の話なのだろう。

 

文明の利器がなく全て自分の手でやらねばならないヒスイ地方の住人は、現代よりも逞しくその肉体は強靭だ。だがそれは野生のポケモンと同じく、弱い個体が淘汰された結果でもある。医学も発達しておらず、弱いものから死んでいく。病気や飢餓、自然、強いポケモン等、弱い命を刈り取る要素は事欠かない。

四六時中面倒を見なければいけない存在を庇護し続けるには、さすがにヒンの時間も手も足りない。だけど一時ならば、手を貸せる。

単純に自分に利益があるからという理由だけではなく、此処の人達に情が湧いてしまったから、生きていてほしいから、手を差し伸べ助ける。人あらざる者だと気味悪がられるまでは、とりあえずそうし続けようとヒンは決めた。

 

 

 ▲ ▲ ▲

 

 

その日ヒンは黒曜の原野の高所から、南の方角を眺めていた。

ヒンの目線の先には、船とそこから降りる大勢の人間がいる。人の目では、向こうからこちらを窺うことは出来ないだろう。ピジョットであれば容易だろうが。

シンジュ団とコンゴウ団の両方からの依頼で、ヒンは浜辺に停泊している船および乗組員達を遠くから観察している。ヒスイの住人ではない見知らぬ者達が突然やって来たのだから、どんな者達がどんな理由で来たのかを知るのは当然のこと。

ヒスイの地は誰かの所有物ではないが、今ある平和や生態系を脅かそうというなら話は別。接触をする前に、危険な者達でないか、話し合いができそうかの見極めは必要だ。

 

「ねえ、あたしも見たい」

 

ヒンの足元で大人しくしていたコンゴウ団の着物を着た女児、ヨネがヒンを見上げて両手を上げる。その隣で彼女の相棒であるゴンベもまた両手を上げるのを見て、ヒンはしゃがんで一人と一匹を足から掬い上げるようにして両腕に抱えた。

先程までヒンがしていたように、ヨネとゴンベは手を目の上に持って行って、じっと浜辺がある方向を見やる。

 

「……見えない。ノボリさんは見えてるの?」

「ええ。わたくし、目は良いですから見えておりますよ。だからこそ長達に頼まれました」

「ふうん」

 

同じ視線の高さになったのに何も見えず、ヨネは少し拗ねたように唇を尖らせてヒンの頭に顎を乗せた。ヨネの真似をしていただけだったゴンベは、早々に飽きて欠伸を漏らしている。

 

「何か分かった?」

「そうですね……おそらく、主目的は略奪ではなさそうです」

「どうして?」

「女性と子供も多いからでございます。略奪や侵略のみが目的ならば、まずは荒事を生業とする人間ばかりで構成されているべきです。後々非戦闘員が住むのであっても、非力で戦闘において足手まといになりかねない者は、略奪先を制圧してから招く方が効率が良いでしょう。また、ポケモンの姿もありません。数人、モンスターボールを所持している方は見られますが、中身がよほど強力なポケモンでなければ数の暴力にいとも容易く敗北するでしょう」

「モンスターボールって、イチョウ商会の人達が使ってるようなやつ? ……あれ、あたし嫌い。ゴンベをあんな小さなのに閉じ込めておきたくない」

 

そう言って、ヨネは眉間に皺を寄せた。

シンジュ団とコンゴウ団に属する者は、モンスターボールを用いない。このヨネの相棒のゴンベもそうだ。

モンスターボールという技術はあり、それを使用している者はいても、ヒンの知る限りでは極少数。各地を歩いて物を売り渡る商会の面々くらいなもの。

ちなみにヒンも、数匹力を貸してもらっているポケモンはいるが、モンスターボールで捕獲してはいない。商会の伝手はあるし金も持っているが、ヒンはいつかは元の時代と世界に帰る身だし、それが叶わなくともヒスイ地方から去る予定にしている。置いて行ってしまうなら、最初から縛るものはない方がいい。

 

シンジュ団とコンゴウ団の相棒もボールがなくても共にいてバトルもしてくれるのだから、これこそ本当の友情ゲットとも言える。だからこそヒンも双方の団員達からの印象も良いし、ヒン自身も身軽で良い。

だがやはり、いつでもどこでも連れ歩けないという欠点はある。それぞれ生活に適した場所に住んだままで、ヒンがその区域に足を踏み入れたら呼び、向こうの都合が良くやる気があれば力を貸してもらう。

今回同行してくれているのはゴーリキー、ユンゲラー、レアコイルの三匹で、余程でなければ彼らはヒンがどこへ行こうとも付き合ってくれる。ヨネとゴンベも共にいるため、今は周囲を警戒してくれている。

他にも力を貸してくれるポケモン達はいるがやはり、ほぼ自分の得意な環境のみ。具体的に言うならグライオンは天冠の山麓のみで、モジャンボは純白の凍土以外といった具合に。

 

そして一か所だけ、どのポケモンも行くのを拒否する場所がある。天冠の山麓の北西に位置するシンオウ神殿。岩の門までは来てくれるのだが、奥へ行こうとすると誰もが立ち止まって進まなくなる。

位置的には現代でいうところの槍の柱で、その様は随分と違う。現代に至るまでにあのシンオウ神殿は何らかの原因で崩れてしまうのだろう。

ヒンにはポケモン達が行きたがらない理由も理解はできる。ヒンの中の人工ポケモンの要素が、ただならぬ圧を感じる。畏怖の念とも言えるそれを抑えて見回ってみたが、ポケモンの姿はなかった。むしろ、生物の気配が微塵も感じられない。逆にそれは異常な空気だった。

現代には残っていない像や遺跡は貴重で、散々データは採らせてもらったものの。その間も、ピリピリと肌を刺激するプレッシャー。シンオウさまから加護を与えられたというポケモンの子孫の像があるため、シンオウさま、つまり伝説のポケモンに深く関係している場所だからなのだろう。

生き物の気配がなかったからいいが、あの場所でポケモンに襲われるようなことがあれば、ヒンは即座に逃げねばならない。尤も、ヒンの中の人工ポケモンの要素が再び行くことを躊躇うため、のっぴきならぬ事情でもない限り足を踏み入れることはない。

 

「確かにモンスターボールはポケモンを縛るものではありますが、利点もちゃんとございますよ」

「どんな?」

「例えば、ヨネ様とゴンベがうっかりとシンジ湖に落っこちるとします。その際に素早くゴンベをボールに戻し岸に向かって投げれば、ゴンベはシンジ湖に落ちることは免れ、どなたか助けを呼ぶことが叶うでしょう。また、傷薬もない状態でゴンベが集落の外で重傷を負ったとき。ヨネ様ひとりでは、いいえ他に誰かいたとしても、傷に障らず運ぶことは困難でしょう。ですがボールがあれば、少なくとも傷を悪化させることなく力がなくとも運ぶことが可能です」

「そういう時は便利そうだけど……自分が落ちてるときにボール投げるのは、ノボリさんしか出来ないと思うよ」

「ハマレンゲ様も可能かと思われますが」

「ノボリさんとハマレンゲさん以外は無理」

 

現代の考えからすれば、他者がいる場でボールに入っていないポケモンがいることこそ不安な場合もあるのだが。

時代や環境が異なれば、思考や感覚も違うのは仕方がない。モンスターボールがこの時代の最新技術ならば、忌避感を持つ者が多いのも尤もだ。

 

「ですが、ボールで捕らえられたポケモンも中の居心地が悪いのであれば、暴れて無理やり出ることも不可能ではないと聞いたことがあります。出たときにボールを壊すか、さもなくば出た瞬間の隙を狙って人間を攻撃してしまえば自由になれましょう。それをしないということは、扱いやボールの中もそう悪くはないのだと思いますよ」

「ノボリさんは、ボール使いたい?」

「わたくしは使用する気はございませんが、ダイノーズが怪我をした際に運ぶのは困難なのでその時だけは便利かと」

「ダイノーズはノボリさんでも無理なの?」

「ゴーリキーの五倍ほどの重さがありますので、さすがに無理でございますね」

 

瞬間的には持ち上げられるだろうが、長距離の運搬となるとヒューマノイドのヒンでもさすがに難しい。そう考えると、ポケモンに無理をさせず小さく収納する技術は画期的だ。

ヨネと会話しながらも、ヒンは眼下の者達を観察する。

先ほど語った通り、略奪を主目的とした者達ではないだろう。彼らの装備や運び出される荷物、船や人のくたびれ具合からすると、準備をして冒険をしに来たというより、ほぼ着の身着のまま逃げてきた、というのがしっくりくる。この時代は過酷であろう船旅に女子供が多いのも、それなら納得する。

さすがにこの位置から音までは聞き取れないが、声が聞ければ方言や訛りで多少の地方は絞り込めるかもしれない。今はそこまで求められてはいないため、そこまではしないけれど。

モンスターボールを所持しているのは両手の指で数えられるほど。身のこなしや体の鍛え具合が一定以上で、本人も戦える実力者なのは片手で数えられるほど。仮に略奪者だとしても、あれでは大きな脅威にはならない。

とはいえ向こうの目的と出方次第だが、ヒンは観察したままを伝えるだけ。それで判断を下すのはシンジュ団とコンゴウ団の長達だ。

 

 

 

結果、あからさまな敵意はなく話し合いも可能そうな集団ということで、シンジュ団とコンゴウ団は彼らと接触を図った。彼らもまた、この地の先住民達に話を聞きたかったらしい。

彼らの目的は、ヒスイ地方に移住するため。シンジュ団とコンゴウ団の信仰の尊重――つまりシンオウさまや各キング、クイーンに対し同じ扱いをすること、無暗に自然を切り開いたり、不必要にポケモンの迫害や排除を行わないことを条件に、彼らは認められた。

無理難題を言っているわけではないため、彼らはその条件を快諾した。船を着けた近辺は比較的開けているため、そこに集落を作るつもりらしい。

ある程度生活基盤が整って落ち着いたら彼らはシンジュ団やコンゴウ団に分け隔てなく力を貸すし、彼ら全体としてはどちらかに肩入れをするつもりはない。故に当面、シンジュ団とコンゴウ団はヒスイ地方のことについて教える。そう約束を交わしたらしい。

 

おかげでヒンも彼らと関わることになった。コンゴウ団のアヤシシのキャプテンと共に、彼らを黒曜の原野に案内する役目を仰せつかった。ある意味では押し付けられたとも言う。

とはいえ、バサギリのキャプテンは高齢で、そもそもシンジュ団とコンゴウ団は思想の違いで対立し仲が悪い。

ヒンは一応シンジュ団に所属しているとはいえ、記憶喪失の異人でヒスイ出身者ではない。シンジュ団とコンゴウ団、どちらの人間も助けたことがあり、まだ思想が偏っていない成長途中の子供達の面倒を見ることも多く懐かれていることもあって、コンゴウ団からの覚えも悪くない。

ヒンに白羽の矢が立ったのは当然だ。途中で仲違いすることなく、野生ポケモン達から自分だけでなく皆を守り役目を最後まで遂行できるのは、シンジュ団では今のところヒンだけだろう。

 

件の彼らは、自身らのことをギンガ団と名乗った。

シンオウ地方のギンガ団といえば、ヒンの記録に該当データはある。その組織の前身なのか、それとも偶然同じ名の別物なのか。

ともかく、ヒンはギンガ団の警備隊所属だという彼女達に黒曜の原野を案内し、生息するポケモンやその注意点、採れるきのみや食材等の説明を行った。

ヒスイ地方を歩き慣れているシンジュ団とコンゴウ団が、そしてヒンが共に案内していて良かった。彼女らはいささか厳しいこの自然を歩くことも、野生ポケモンに相対することも全く以て慣れていなかった。彼女ら程度でギンガ団の上澄みだというのだから、ギンガ団だけでは悲惨な結果になるのは想像に難くない。

ギンガ団の集落から一番近いから、ととりあえず黒曜の原野だけの案内だったが、もっと自然が厳しく野生ポケモンも強い他の地区では歩くこともままならないだろう。

そして彼女達の言葉の訛りから、どうやらジョウト地方やホウエン地方から来たのだと推察できた。

 

 

 ▲ ▲ ▲

 

 

その後も恙なく日々は過ぎていった。それは同時に、ヒンが未だ元の時代に戻れていないことを意味していた。

突然やって来たのだから、帰ることが出来る日が突然やって来るかもしれない。あるいは、ヒンがやって来たような不思議な現象を発見できるかもしれない。

ヒスイ地方を歩き回り、探しながら待ち続けたが、ヒンの期待するようなことは起こらなかった。

 

ギンガ団の集落が大きくなり立派な建物が立って段々と村らしくなったり、新たにやって来た入植者達がギンガ団に加わったり。

とあるキングが不慮の事故で亡くなったり、シンジュ団やコンゴウ団のキャプテンが交代したり。シンジュ団とコンゴウ団だけでなく、ギンガ団の者にもポケモンの生態、扱い方、バトルや育成の指導を頼まれたり。

ギンガ団の体制がようやく整い始め、コンゴウ団のセキと共に紅蓮の湿地を案内したり。コンゴウ団の長がセキになり、シンジュ団の長がカイになったり。

 

気付けば、ヒンがこの地で目を覚ましてから、二十年近くが経過していた。

歳をとらないヒンを訝しむ声は、まだ表立っては聞いていない。だがそろそろ潮時かもしれない。

オオニューラの世話を任せられる次期キャプテンの育成は上手くいっている。いささか幼くはあるがワサビとキクイという前例があるし、彼らよりは年上なので大丈夫だろう。知識も立ち回りも全て叩き込んだ。

若くしてシンジュ団の長となったカイのことは、幼い頃から面倒を見ていたため心配はあるが、今のコンゴウ団の長は歳も近く融和派であるセキだ。カイが意固地になりすぎず肩の力を抜ければ、以前よりいい方向へ向かうだろう。

 

ギンガ団に所属する団員達から折を見て他の地方についての情報収集をしつつ、荷物をまとめ機会を窺っていたある日。

 

――空が割れ、時空の裂け目ができた。

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