黒の流星   作:ほせき

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空からの来訪者の話・壱

ショウは今日も今日とて、図鑑タスクを埋めるべく群青の海岸を駆け回っていた。

島キングのウインディは無事に鎮めることが出来たし、黒曜の原野と紅蓮の湿地のポケモン図鑑も今できる範囲では大体埋め終わった。まだ行ったことのない地区はあるが、とりあえず出来る範囲のところから。

暗くなってから姿を現すポケモンのタスクを埋めるため夜通し歩き回っていたから、さすがにショウも眠くなってきた。

元々鍛えていたから自信はあったものの、此処に来てから随分と体力もつき、長い間活動し続けても大丈夫だが、それでも限度はある。

そろそろコトブキムラに戻ってシマボシ隊長に報告した方がいい。団員ランクも上がっているだろう。畑と放牧場の様子を見て、一日、二日くらいは休養日に当ててもいいかもしれない。機械の図鑑ではなく糸で綴じられた図鑑をポーチに戻し、ショウはぐっと伸びをする。そんなショウに声を掛ける者がいた。

 

「ショウさま、おはようございます」

「ガラナさん! おはようございます。早いですね。ウインディのお世話ですか?」

「はい、様子を見に。ショウさんは……もしかして夜から? お強いのは分かっているけど、無理はなさらないでね」

「えへへ、ありがとうございます。大丈夫です。今日はもう戻って休むつもりなので」

「それならいいのだけど……でも、休むのならまた今度の方が良さそうね」

「あたしに用事でした? 少しくらいなら全然大丈夫ですよ!」

 

島キングのキャプテンを務める、シンジュ団のガラナだった。

距離の近くなったカイと仲が良く同性ということもあって、ガラナとは随分親しくなれたと思う。本人が気を張っていたという理由もあるが、初対面時のよそよそしさは見る影もない。今のように会えば気さくに話しかけてくれるし、ショウから話しかけることもある。

少々疲れているし眠気はあるとはいえ、ショウはまだまだ走り回る元気はある。オヤブンポケモンを倒してほしいだとか、荒ぶるキングやクイーンを鎮めてくれと言われたら今はさすがにつらいが、少しくらいならどうってことはない。

 

「ショウさまとお会いしてみたいという方がいらっしゃるの。お忙しい方で、ようやく少し時間ができたみたいで」

「あたしに? シンジュ団の人ですか?」

「ええ。あたくしも何故かは存じ上げないのだけど……明日にでもコトブキムラを訪ねるようにお伝えましょうか」

「わざわざ来てもらうのも悪いし、群青の海岸にいるなら会いますよ!」

「まあ、ではこちらへ。今はススキさまとお話しされているはずです。初めてだとおそろしい方に思われがちですが、お強くて面倒見が良い方です。どうかお願いしますね」

 

 

 

実際にガラナに紹介され引き合わせた人は、背の高い男の人だった。リングマより少し大きく細身かもしれない。男の人の年齢はショウにはよく分からないが、少なくともデンボクよりは年下だろう。でもセキよりは年上で、ショウの知っている中ではウォロと同じくらいかもしれない。シンジュ団の人らしいが、ラベン博士みたいなどこか外国の地方の人のような顔立ちだ。

その人は黒いズボン、シンジュ団のトップスを着て、その上から黒い外套を羽織っていた。頭には真っ黒な、車掌さんが被るような帽子。ただ、車掌の帽子にあるようなラインや中央のマークはない。

昔は平均身長も現代より低かったと聞いたことがある。そんな中で背が高く彫りの深い男性が背筋をピンと伸ばし、じっと見下ろしてくる。なるほど、おそろしい方とガラナが言ったのはそういうことだろう。

 

「お忙しい中時間を取っていただきありがとうございます。初めまして、わたくしシンジュ団のキャプテンを務めておりますノボリと申します」

「初めまして、ギンガ団調査隊のショウです」

 

それでもおそろしいと感じなかったのは、声が柔らかかったから。そしてコトブキムラで会った人達とは違って、初対面なのに敵意も警戒心もなく、少しも冷たい雰囲気がなかったからだ。深々と腰を折ってノボリと名乗ったその人は、顔を上げると言った。

 

「ショウ様はコトブキムラに戻られるところだったとか。であれば、歩きながらお話をしても構いませんでしょうか」

「あ、はい。あたしはいいですけど、ノボリさん、は大丈夫なんですか」

「ええ。呼び捨てでも何でも、好きにお呼びくださいまし。それでは参りましょうか」

 

カイやキクイ、ガラナと同じく、ノボリもまたポケモンはボールに収めず、そのままの状態で連れていた。ただ、ゴーリキーにモジャンボと、前述の彼らに比べて強く実戦向きだ。こんなところにいるなんて初めて見た、と珍しく思っていたジバコイルもノボリが歩き出すと同じ方向へ動き出したため、彼のポケモンなのだろう。

 

コトブキムラがある方角へと足を進めるショウとノボリ。

ノボリは一体ショウに何の用事なのだろう。キャプテンというと団の中でも特別な立場だから、時空の裂け目から落ちてきた怪しい人間を直に見ておきたかったとかだろうか。

内心で首を傾げていると、ノボリはショウを見下ろしながら口を開いた。

 

「そういえば、ショウ様は不思議な絡繰りをお持ちだとか。もし宜しければ、見せていただけないでしょうか」

「カラクリ……あ、これのことですか?」

 

ショウは自分のスマホだったものを取り出して、ノボリに手渡した。ジム巡りをする前に、いつでも連絡できるようにと親に買ってもらったもの。まだロトムを入れる前だったけれど、家に帰れたら元通りになるのかが心配だ。

ノボリはアルセウスフォンを受け取ると、数秒見つめた後、すぐにショウに返した。

 

「ありがとうございます。いささか独創的ですが、ショウ様のところではそのような形が流行っていたのでしょうか」

「いえ、その……いつの間にか変な形になっちゃってて……」

「そうでございましたか」

「あの、ノボリさん、あたしとお話したいって、一体何の用事なんでしょうか」

「たいへん失礼いたしました。突然見知らぬ男にお話をと言われ、さぞ戸惑ったことでしょう。何からどうお聞きし話したものか迷っておりました。単刀直入にお聞きいたします。ショウさまのご出身は?」

「ええっと、その……トバリっていうところで……」

「なるほど。やはりシンオウ地方のご出身でしたか」

 

此処の人達からするとずっと未来の地名を言われても分からないだろう。足元を見ながら歯切れ悪く答えたショウだったが、ノボリの言葉を聞いて、パッと顔を上げた。

思わずパカリと口を開けたまま、呆然とノボリの顔を見つめる。ショウが足を止めたのとほぼ同時に、ノボリも足を止めてショウを見た。

 

「なん、で……」

「お顔を拝見したときからこの地方に住む方々の顔立ちだと、そして実際にお話をしてこの地方の訛りだと思っておりました。ならトバリと言えば、ジムにデパート、ゲームセンターと賑やかなシンオウ地方の石の町でございますね。先ほど見せていただいたのは、元はスマホだったのでしょう。アクセスできず、形状は変わっておりましたが……。改めまして、わたくしイッシュ地方ライモンシティのサブウェイマスター、ノボリと申します。シンオウ地方でいうところの、バトルフロンティアのフロンティアブレーンと思っていただければ」

 

それは、ショウと同じところから来ていないと知らない単語の数々だった。

ショウはノボリに聞きたいことがたくさんあった。どうしてそれを知っているのか。ノボリもショウと同じなのか。でも何からどう聞けばいいのか分からず、ノボリを見つめたままオロオロするだけ。考えすぎて心がいっぱいいっぱいになると、何にも言えなくなってしまう。

そんなショウを見て、ノボリは表情を崩さぬまま言った。

 

「歩きながら話すことではなかったようでございますね。少し座ってお話し致しましょう。ちなみにショウ様、アレルギーはございますか? ……それは良かった」

 

無言のままで首を横に振ったショウにそう返し、こちらへ、とノボリはショウを促した。

ベースキャンプではないものの、見晴らしが良く周囲にポケモンの姿もない場所。ノボリは自身のポケモンの周囲の警戒を頼み、手ごろな岩に座るようショウを促した。

座って水分補給をするショウに向かってノボリがどうぞ、と差し出したものを見て、ショウは目を丸くした。

 

「えっ、これってもしかしてクッキー!?」

「少々材料は異なりますがレシピ通りですので一応は。作ってほしいとねだられますし、そう口に合わないということはないと思います」

「ノボリさんの手作り!?」

「はい。手作りに抵抗がなくお嫌いでなければどうぞ」

「大丈夫です、いただきます! お、美味しい~! 甘い~!」

 

クッキーだなんて、此処へ来てしまってから初めて食べた。久しぶりに食べる甘いものに、思わずショウの顔が蕩けてしまう。甘味を全く食べられなかったわけではない。砂糖をまぶしたイモモチだとか、あんこの入ったお餅なら、ごくたまに振る舞ってもらったことがある。でもショウが普段から食べていたような洋菓子は初めてだ。

コトブキムラで食べる料理は、見慣れたものであってもどこか違う。想像通りの食べ慣れた味。それだけでどんなに嬉しくて懐かしいか。

 

食べながら聞いてください、と言ってノボリは自らの事情を話し始めた。

ノボリもまた現代からやって来たこと。直前までいたのはイッシュ地方のライモンシティというところで、おそらく仕事中だったこと。此処に来てから最初に出会ったのがシンジュ団の人で、シンジュ団が世話をしているポケモンに気に入られたが故にシンジュ団のキャプテンとなったこと。

ショウとは違って時空の裂け目から落ちてきたのではなく、ヒスイ地方に来てから二十年近く経っていること。

 

「ひしゅうねん!?」

「はい」

「んぐ、すみません……ということは、あたしと同じくらいのときに?」

「いいえ、今のヨネ様と同じくらいの歳の頃だったかと」

「えっ、お、大人の男の人の年齢ってよく分からないですけど、お若いですね……?」

「よく言われます」

「でも、ノボリさんも時空の裂け目からじゃないなら、どうして過去の世界に?」

「確かなことは分かりません。時空の裂け目が発生したのは数か月前のことですし、ショウ様が落ちてきた様を見た方はいらっしゃるようですが、わたくしが落ちてきた瞬間を見た方は誰もおりません。また、ショウ様はこちらへ来る直前の記憶もあるご様子。わたくし実は此処へ来た当初、記憶喪失でして」

「記憶喪失!? え、だって」

「朧気ながら覚えていることはございましたし、徐々に思い出したこともございます。知識としてはあっても、自分のことに関しては現実味がないというか……。それに、まさか未来から来たと皆様に言うわけにもいきませんから、此処の方々には全く記憶がないということにしております。どうぞショウ様も黙っていただけると助かります」

「分かりました、ノボリさんのことは言いません!」

「ありがとうございます。ですのでまあ、わたくしはショウ様とは違う理由で此処へ来たのかと」

 

確かにそう考えると、ショウとノボリは違うのだろう。ショウは今までの記憶も、そして時空の裂け目から落ちる直前の記憶もある。落ちたらしい最中の記憶はないが。尤も、そこはなくて良かったと思う。だがノボリ曰く、あんなに高いところから落ちて無傷ということ自体、ノボリの時とは違って何らかの意志と力が感じられるのだという。

お互いにいた頃の年代を聞けば、ショウはノボリが失踪して二年半ほど経っている。それにしてはそんなニュースを聞いたことがないが、住んでいる地方が遠く離れているのだし、そういうこともあるだろう。

最後にいた年も地方も違う。それでも常識や感性は同じだ。ショウの住んでいたトバリシティやシンオウ地方のローカルな話題は通じなくとも、大まかな出来事や流行りなんかは通じる。

 

久しぶりに会う同胞とも言える人に会えて、ショウは嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、此処へ来てからのこと、此処へ来るまでのこと、何気ない下らないことまでノボリに話し続けてしまった。

ノボリが博識なこともあるだろう。何の話題を振っても、首を傾げたり訝し気な表情をすることなく返し、共感もしてくれる。

ラベン博士も、先輩のテルも、シマボシ隊長も良い人だけど、何でも話すわけにはいかない。変な意味で気を遣わなくていいのも、とても楽だった。

そうして嬉々として話し続けていたショウが喉の渇きを覚えて一旦口を閉じて水を飲んだ直後、ふと思い出したかのようにノボリは口を開いた。

 

「そういえば、もし小柄なだけでしたら申し訳ないのですが……ショウ様は十五歳だとお聞きしていましたが、もしかして十一、二歳くらいなのではございませんか?」

「え」

「確かにこの時代のこの地方ですと、その身長で十五歳は珍しくはございません。ですが現代であれば平均身長も高くなっております。違っておりましたか?」

 

――違わなかった。ショウは十五歳で立派な大人。ギンガ団含め皆にそう思われているが、本当は十二歳の子供だった。

正確に言うならば、此処へ来る直前は十一歳。あと一か月もすれば十二歳になって、初めてのポケモンを貰って、ジム巡りの旅をする予定だったのだ。

その日のために、体力をつけて、ボールを投げる練習をして、ポケモンの勉強をいっぱいして。チャンピオンを倒して殿堂入りをしたことのある、ショウの憧れのいとこに初めてのポケモンを貰う約束をしていた。来週にはスマホにロトムを入れてもらって、必要な道具を両親と一緒に選ぶ予定だった。

 

なのに突然、見知らぬ場所に身一つで放り出されてしまった。

既に一人旅も仕事も許される年齢ではあったけれど、庇護されるべき子供だった。

 

勿論、ジム巡りをすれば一人っきり。野宿だってするし、悪い人に会うことだってあるだろう。だけどスマホでいつでも両親に連絡が取れるし、ポケモンセンターへ行けば人で一杯でない限りはベッドで眠れる。帰ろうと思えば家に帰ることができる。お金さえあれば、人が作った温かいご飯を出してもらえる。何かあっても、いざとなれば警察やポケモンセンターに駆け込める。

ポケモンがいないのに草むらに入ってはダメとは言われるが、子育て中のポケモンの縄張りに入らなければ、問答無用で襲ってくるなんてまずない。元々の気性が荒いポケモンや怪我をしているポケモンならいざ知らず、最悪死にかねない技を撃ってくるポケモンは現代では滅多にない。

 

着の身着のまま、混乱した状態。古めかしい村に光景。悪意と呼べるものにひとり晒されたのも初めてだった。初対面の大人からこそこそ陰口を囁かれてジロジロ訝し気に見られて、でもわけが分からないことだらけで何も言えなかった。

初めて会ったシマボシ隊長に強い口調で詰められて、喉がひきつって言葉が出なかった。厳しくても優しい人だと今は知っているし、調査隊が思うような成果が出せず焦っていて、色々と余裕がなかったからだと今なら分かるけれど。

 

そして今更、本当は十二歳ですと訂正は出来なかった。どうしてあのとき言わなかった、嘘を吐いたのかと、詰られたらどうしよう。シマボシ隊長はそんなこと言わないかもしれない。でも優しい人だから、むしろ自分を責めてしまうかもしれない。

それに、調査隊の仕事以外、他に役に立てることがない。現代ならともかく、設備の何もかもがショウにとっては不便で見慣れないもの。いらない子だと言われることも怖かった。

 

つらかった。淋しかった。苦しくてやめたくて、帰りたいとずっとずっと思っていた。

好きでこんなところに来たんじゃない。本当は自分のペースでゆっくりとジム巡りをするつもりだったのだ。生きるために、追い出されないために仕方なくいるだけ。

じわりとショウの目に涙が滲む。でも泣いたってしょうがない。誰も慰めてはくれない。誰も仕事を代わってはくれない。誰も家に帰してはくれない。

ぐっと涙を飲み込んで、歯を食いしばって今までやってきた。なのに。

 

「――今まで、ひとりでよく頑張りましたね。いえ、ショウ様は今もずっと頑張っておられます。本当に大変でございましたね」

 

笑顔の一つもなく、表情は親しみやすさの欠片もない。でも、そんなに優しい声色で言われたらだめだった。

ショウの言葉を遮らず、ずっと話を聞き続けて共感してくれた人が、今度はショウがずっと誰かに言って欲しかった言葉をくれた。

堪えようとした涙がボロボロと溢れて出てくる。鼻の奥がツンとして目が熱い。声を出さないように我慢しようとしたが、喉がひきつるだけでうまくいかなかった。

 

「……っ、ふぇ、う、うぅ~……っ」

 

竹の水筒をぎゅっと握りしめ声を押し殺すショウに、ノボリは丁寧に畳まれた手拭いを差し出した。そのまま自身の目元を隠すように帽子を下げ、くるりと背を向ける。

 

「少し周囲を見てまいります。ジバコイル、モジャンボは警戒を続けてください。ゴーリキーは共に」

 

振り返ることなく、黒い背中が消えていく。ショウの涙を見ないようにしてくれたのだろう。

手渡された手拭いで遠慮なく涙を拭いて鼻をかむ。この時代に肌に優しいチリ紙なんてものはない。ティッシュの代わりに手拭いを使ってそれをきれいに洗濯することにももう慣れた。

 

しばらく泣いたら、徐々に涙も治まってきた。感情が高ぶるままに思いっきりないたのなんて、物凄く久しぶりだ。一番最近に泣いたのも記憶にないので、ショウがもっともっと幼い頃の話だろう。

あまりにも久々すぎて、ちょっと頭が痛いしぼうっとする。目元もちゃんと冷やさないと明日は酷いことになるかもしれない。

そして感情が著しく上下した所為で、どっと疲れが襲ってきた。そういえば夜通し調査をした後でもあったのだから、当然と言えば当然か。

 

ふとノボリが残していったポケモン達を見やると、ジバコイルとモジャンボは同時に視線を上へと向けた。

ショウも空を見上げるが、もうおなじみになった時空の裂け目があるだけで、天気が崩れる様子もない。どうしたんだろう、と首を傾げていると、凄まじい勢いでノボリとゴーリキーが駆けてくるのが視界に入った。

ズザザッと砂埃を上げながらショウの傍で止まったノボリは、腰を折ってずいっとショウに顔を近づけた。

 

「ショウ様、今から立ち上がって自分の足で走ることは可能でございますか?」

「え、い、今すぐですか?」

「ではライドポケモンは?」

「え、ええっと」

「かしこまりました。文句は後ほどお聞きします。緊急事態ですので失礼いたします」

「わっ」

 

そう言うと、ノボリは目を白黒させるショウを抱き上げ、自身の左腕に載せるようにして抱えた。そのまま、先に走り出していたゴーリキーに軽々追いついて並走する。

ノボリの頭にしがみつくようにしてバランスを取りながらキョロキョロしていたショウは、ぐにゃりと空間が歪んで視界に膜のようなものが張られてようやくノボリの奇行の理由を理解した。

 

「時空の歪み……」

「このまま滞在するのは無謀だと判断し、とりあえず距離をと思いました。今日共にいたのがメスのカイリキーであれば運ぶのは彼女に任せるところだったのですが、わたくしで申し訳ありません」

 

まだ予兆ではあるが、時空の歪みだった。先ほどまでショウが座っていた場所を軽々覆うように、歪みが発生している。

時空の歪みはも調査対象であるため、ショウもポケモン達も万全の状態であれば突っ込んだだろう。だが、歪みの中は見知らぬアイテムだけでなく、強力なポケモンもうようよいる。

その上、歪みの範囲は広大で発生する時間も一定ではない。基本的に歪みの中からポケモン達が出てくることはないが、こちらに気付けば複数匹が同時に襲い掛かってくることもある。歪みの外に出るだけでは不十分で、とにかく視認できる位置から逃れる必要がある。

 

今のノボリのように、予兆であるうちに歪みを突っ切るように直線で駆け抜けるのが一番だ。

尤も、歪みの所為で辺りを縄張りにしているポケモン達も興奮しているため、それを冷静に対処できる者はそうそういないのだが。

しかしノボリは落ち着かないポケモン達を的確に避け、ノボリのポケモン達も技を放って牽制しサポートしている。しかもその間、ショウを抱えたノボリの走る速度は微塵も落ちていない。

元々紅蓮の湿地の端までは歩いてきていたが、黒曜の原野まで来てようやく、ノボリは足を止めた。ドーム状の時空の歪みの天井がほんの少し見える程度の距離だ。

 

「さすがに此処まで来れば問題はないでしょう。今下ろします」

「す、すみません、ずっと抱えてもらっちゃって……」

「いえ、こちらこそ急に抱き上げてしまい本当に失礼いたしました。元々わたくしが時と場所を考えずに話をした所為で、ショウ様が戻る時間を浪費させてしまいましたので」

 

ショウをゆっくりと地面に下ろしたノボリはさすがに疲労は溜まっていたのか、肩で大きく息をし、袖で額を拭うような動作をする。

ノボリは同じように紅蓮の湿地からずっと並走していたゴーリキーと遅れてついて来ていたモジャンボがいささか疲れた様子で去っていく背中に「ありがとうございます、お疲れ様でございました」と声を掛けながら、ショウが頭を抱えていた所為でずれていた帽子を被り直した。

 

「コトブキムラまでお送りいたしましょうか」

「あっ、此処まで送ってもらったし、コトブキムラまではアヤシシを呼ぶので大丈夫です。あの、クッキー美味しかったです、ありがとうございます。それから、色々お話できて、懐かしくて楽しかったです。あの、もし良かったら、また……」

「ええ、わたくしで宜しければまた。普段は天冠の山麓以外の見回り等も行っておりますので、偶然お会いするのは難しいかもしれませんが……。わたくしは天冠の山麓でキャプテンを務めております。この調子ですと、おそらくまたお会いすることになるでしょう」

 

時空の歪みの予兆を察知した上、興奮したポケモンをいなしながら無傷で駆け抜けた手腕と体力を思えば、色々なところに駆り出されているのも尤もなことだろう。

シンジュ団の他のキャプテンは、少なくともショウより年下だったり、現代基準でもかなりの高齢だったり、荒事には全く向いていなかったりする。

考えてみればコンゴウ団だって、普段はコトブキムラの散髪屋で働いていたり、極度の怖がりだったりするのだから、動けるノボリは貴重と言える。

 

醜態を晒したし、忙しいノボリの時間を奪うのは申し訳ないとは思う。だけど唯一の同胞とも言える人だ。

また会えたらいいなと思っていたが、その機会ははショウが思うより存外早くやって来た。

 

 

 ▲ ▲ ▲

 

 

天冠の山麓の洞窟キング、マルマインが荒ぶり始めた。

ノボリは天冠の山麓を縄張りにしているライドポケモン、オオニューラのキャプテン。コンゴウ団セキの要請もあって、正式にノボリを紹介されることになった。相変わらず背筋をピンと伸ばし、シンジュ団の服の上に黒い羽織を身に着け、黒い帽子を被っている。

そして現在、天冠の山麓に到着したショウはノボリと共にオオニューラがいる場所へと向かっていた。

前回も思ったが、ノボリはショウよりずっと背が高いのに歩くスピードは同じ。ギンガ団本部で出会ったツバキよりも長身だし、本来ならショウが小走りでもないと追いつけないはず。意図して合わせてくれているのだろう。

周りに人がいないのを軽く確認してから、ショウはノボリを見上げて口を開いた。

 

「ノボリさんは、ポケモンをボールに入れないんですね」

「はい。わたくしの場合、突然に此処へとやって来たものですから、もし帰還が叶うのならばそれもまた突然の可能性がございます。その場合、問答無用でポケモン達も現代へ連れてきてしまうか、ボール所持者がわたくしのまま此処へ置いていくことになってしまいますから」

「あたしもあまりボールを使わない方がいいんでしょうか……」

「いいえ。ショウ様は此処へ来る際に予兆のようなものがあったのでしょう。ならば、帰還する際も野生に帰したり誰かに預ける余裕がある可能性も高い。それにギンガ団所属でギンガ団の放牧場を使用しているのですから、ラベン博士や他の調査隊の方々が善きように取り計らってくださるはずです。そしてショウ様は調査隊として様々な場所に赴き、こうしてキングやクイーンを鎮めるために行動なさっています。いつでも連れ歩けるようボールを使用するのは理にかなっていると言えるでしょう。此処より未来の知識を知っているわたくしはポケモンの扱いに長けているとされておりますが、ポケモンをボールに入れない分、力を貸してくださるポケモンは彼らの状況や気分によりけりですし、着いてきていただけない場所もございます」

「あ、ほのおタイプが群青の海岸にとか?」

「気乗りしないのは確かでしょうが、強い個体であればさほどでは。この場合は、タイプ相性に関係なくでございますね。全てを調査したわけではございませんが、天冠の山麓の最北にあるシンオウ神殿がそれに該当します。裂け目に近いということでギンガ団の方が通行止めにしておりますが、もし行ってポケモンを出す際にはまずポケモンを落ち着かせるのがよいでしょう。わたくし達にとってモンスターボールは未知のものでもなく、そのメリットもデメリットもよく知っているものです。便利なものに頼りすぎるのはいざというときに困りますが、使えるものは使うべきかと思いますよ」

「はい、そうします」

 

ショウの言葉に、ノボリは小さく頷いた。

今日ノボリと共にいるのは、ゴーリキーとモジャンボ、そしてグライオン。グライオンはポケモンの勉強をしているときに図鑑で見たことはあるものの、こうして実物を見たのも初めてだ。

 

天冠の山麓に足を踏み入れて少しした頃。洞窟の入口前に人が立っているのが見えた。

特徴的な服とシルエットで誰だか分かり、ショウは思わず眉間に皺を寄せた。ほぼ知らない人にそんな態度は良くないと思うが、その数少ない接点での印象が悪すぎるので仕方がない。

背を向けて立っていた彼は足音で気付いたのかこちらを振り返ってショウを見てから同じように顔を顰め、隣にいたノボリを見てギョッとしたように目を見開いた。

 

「げっ、ギンガ団のウマのホネはともかく、なんでノボリまでいるんだよう」

「はて、なんでとはおかしなことを。マルマインに会いに行くならオオニューラの力を借りるのが道理。オオニューラのキャプテンであるわたくしに声が掛かるのは当然でございましょう。何か不都合なことがおありで?」

 

顎を持ち上げ、帽子のつばを掴みながらのノボリの言葉に、ツバキは少し視線を泳がせた。実に不都合なことがおありだった仕草である。

 

「べ、別にそんなことはないぜ? ただ、ギンガ団のウマのホネが大いなる洞窟キングマルマインに会おうとはなんと大それたことを! ツバキはこう考えている! キングの荒ぶりとはシンオウさまのご加護であると! それに、山奥でマルマインが電気を放っていたところでギンガ団には関係のないこと! マルマインを鎮めようだなんてそんな野暮な奴を洞窟キングマルマインに会わせるわけにはいくか! 此処を通りたければボクの相棒を打ち負かしてごらんよ! ノボリ、手合わせを邪魔するだなんてことはしないよね」

「緊急時ではなく、ショウ様が拒否しないのであればわたくしは口出しいたしません」

「だそうだよ、どうする?」

「分かりました。勝ちます!」

 

コトブキムラで会ったときもショウには刺々しい態度だったツバキ。他の面々が全員好意的だったかと言われればそうではないが、コンゴウ団のリーダーであるセキに諫められてもその態度なのだから、他より頑なだと言える。

だが、ポケモン勝負を持ちかけられたならば否とは言わない。どの時代でもどの地方でも、意見を違えたポケモントレーナー同士がやることはひとつ。そして自然と同じく、強くて勝ったものが我を通せるのだ。

ノボリがショウ達から距離を取ったのを合図に、ショウはボールを投げて、ツバキは従えていたスカタンクに指示を飛ばした。

 

 

 

結果、勝ったのはショウだった。レベルはそこそこだったがツバキはスカタンク一匹。位置取りを失敗して野生ポケモンを複数匹相手取ることもあるショウにとって、そう強い相手ではなかった。

自分もスカタンクも負けていないまた挑むと捨て台詞を吐いて去っていこうとするツバキをノボリが呼び止めると、彼は素直に足を止めた。きちんと回復してからになさい、ときずぐすりを手渡され、ツバキは渋々といった表情ながらその場でスカタンクの回復をする。

慣れているだろうが傷ついた相棒ポケモン一匹のみを手持ちに歩くは危険であるため、ノボリの言葉は尤もだ。たとえ負けて捨て台詞を吐いた直後では格好がつかなくとも。

 

ノボリがスカタンクに手を伸ばせば、スカタンクは警戒どころか威嚇することもなく自主的に頭を下げて耳を伏せ、撫でられ待ちの顔をした。額と耳の間までを撫でられ、目を細めてピスピスと嬉しそうに鼻を鳴らす。

治療も終わってツバキは去りたそうな顔をしていたが、スカタンクが満足するまでひとしきりノボリに撫でてもらってから、ようやく彼らは去って行った。

 

そしてノボリの案内のもと、ショウは仄かな松明の光が道を照らす洞窟の中を歩き始めた。

基本的には松明を目印にして歩けば大丈夫なこと、洞窟内に出るポケモンの種類、特にオヤブンクロバットに注意が必要なことと上手い立ち回りの仕方についての説明を受ける。

しかしノボリの案内が的確なのかポケモンともあまり出会わず、見かけてもノボリの姿を見ると距離を取って近寄ってこないため、安全に歩くことができた。ショウが最終進化系やオヤブン個体のポケモンを連れ歩いていても、逃げるどころか向かってくるポケモンばかりだというのに珍しいことだ。

 

「そういえばノボリさんはシンジュ団なのに、ツバキさんともお知り合いなんですね。何というか、ノボリさんのことはちょっと苦手っぽい感じだったというか……」

「はい、知り合いです。ヒスイに来て最初に出会ったのがシンジュ団の方で、元々シンジュ団のキャプテンがお世話をしていたオオニューラに気に入られたがゆえに、一応の所属はシンジュ団ではあります。ですがこの地に生まれ育ったわけではなく、どちらの思想にも染まってはおりません。シンジュ団とコンゴウ団の仲が悪いのは、互いが互いのシンオウさまを信仰しているからです。名が同じであるならば、向こうのシンオウさまが偽物ということになりますから。わたくしはどちらの否定も肯定もせず、この目で見られた方を信じると公言しております。中立の立場であるギンガ団も、シンジュ団コンゴウ団どちらからも敵視されず、人によっては一定の敬意すら示されておりますでしょう」

「ああ、確かに……」

 

年長でギンガ団の団長ということもあるだろうが、デンボクは特に他の団からも尊敬されているように思う。彼もまた中立を公言している。

ショウに対する態度が様々なのは、大人だと見られているとはいえ若い小娘で、威厳もない下っ端だからだろう。その任務を言い渡したのはデンボクだが直接キングやクイーンに関わっているのはショウだし、ついでに時空の裂け目から落ちてきた人間となれば、印象も良くはない。

 

「それにわたくし割と体力には自信がありますから、探索ついでにヒスイの端から端まで物資を運んだり、野生ポケモンから人を保護したりということも多々行っておりましたので、シンジュ団コンゴウ団どちらからも信頼していただけるようになりまして」

「あの距離をあたしを抱えて走り続けて守ってくれたので、それはよく分かります」

「両方の団の方達、特に次世代の子供たちにヒスイの歩き方やポケモンの扱いを教えてほしいと頼まれて、ついでに子守りをすることもございました」

「此処に来たの、二十年前って言ってましたもんね。だからツバキさん……」

「おしめも替えましたし、布団や服を洗って乾かしたこともございますね」

「それは絶対に頭が上がらないやつ! 道理であの反応!」

「材料がうまく手に入ればあのとき差し上げたようにクッキー等この時代には珍しいものを作ることもありますので、人によっては餌付けをしたことになるのかもしれません」

 

上からの攻撃に弱いスカタンクが、上から手を伸ばしたノボリを信頼しきって、撫でられ待ちをするくらいなのだ。人間もその相棒のポケモン達も、ずっとずっと世話になってきたのだろう。幼い頃から、あるいは生まれたときからであれば尚更だ。

ツバキが幾つなのかは知らないが、セキをアニキと呼んでいるのなら彼より年下のはず。いつも世話をしてくれる母親や、威厳ある父親に反抗できる子供はほぼいない。現代ならともかく、うっかり一人で家出しようものならあっさり死にかけるような時代と環境だ。母や父や先生の役目をしてくれていた人には、さすがのツバキも逆らえないのだろう。

あとまあ、時空の歪みからショウを抱えられて逃げたことを思えば、ポケモン勝負云々以前に物理的に、腕力的な意味でも逆らえはしない。

現代でもかくとうタイプ使いは自らの肉体も鍛え上げてポケモンとスパーリングをすることもあると聞くが、ノボリがポケモンと共にランニングをしたり組み手をしていると聞いても驚かない。怖いので聞かないけれど。

 

洞窟を出て石切り場でウォロに遭遇した後、高く切り立った崖の前でノボリがオオニューラを呼んでくれ、無事にオオニューラの力を借りることができるようになった。

まだマルマインがいる場所はずっと上だし、本番はこれからだが、オオニューラにも認めてもらえてショウはホッと息を吐いた。

頑張れば崖を登らずとも迂回できなくもないらしいし、いざとなればノボリがショウを背負ってロッククライミングしてもいいと言われたが、人間にロッククライムしてもらうのはさすがに気が引けていたので。

 

「わたくしの案内はここまで。ショウ様ならマルマインを鎮めることもできるでしょう。ちなみにこの地方のマルマインですがでんき単体ではなく、くさとの複合タイプでございます。ですが種族値自体はでんき単体と変わらぬようです。つまり」

「素早さの高い、どちらかと言えば特殊タイプってことですね!」

「その通りでございます! シンオウ地方には生息していないのによくご存じです。それから、よろしければこちらをどうぞ」

 

そう言うと、ノボリはショウに向かって手を差し出した。何かを持っているようだったので素直に手の平を上に向けると、手の中に落とされたのは手のひらサイズの四角いもの。中央に赤いボタンのようなものがあり、誤押し防止か透明の蓋が付いている。

 

「すごく機械っぽい……」

「はい。時空の歪みに何度か入ってようやくこれだけ作れました。ポリゴンを含め未来のものも落ちているとはいえ、なにぶん数も種類も少なくて……」

「つくっ……え、もしかして起爆スイッチ……?」

「残念ながら爆発は致しませんが、押したことがわたくしに分かるようになっております。手伝ってくれるポケモン達に頼んでヒスイの端と端で何度か動作確認しましたので、誤動作や不発はないと思われますが……。もしどうしても耐えられないと思ったとき、わたくしの手助けが欲しいと思ったとき、そのボタンを押してください。わたくしがその時どこにいるか分からないのですぐにとはいきませんが、いつでも、あなた様がどこにいても、必ず駆けつけると約束致します」

「いつでも?」

「はい。夜中でも明け方でも、このヒスイ地方にいる限りは必ず」

 

ここまでノボリがしてくれるのは、ノボリにとってもショウは同胞と言えるからなのだろう。もしくは、ショウが此処でも実は子供と呼べる年齢だと知っているのがノボリだけで、現代では絶対的に庇護されるべきだと思っているからなのかもしれない。

ショウは手の中にあるスイッチをじっと見た後、ポーチのだいじなもの入れの底にしっかりと仕舞った。

 

「ありがとうございます、お守りにしますね!」

「そうしてくださいまし。ご武運を」




この話では、LA主人公は11~12歳くらいでは?という説を採用
15歳くらいか、というシマボシの台詞に否定の選択肢もなかったけど肯定もしていなかったし、モデルの明治時代の女性平均身長が約145cmで現代の11歳女児と同じくらいらしいので、都合上かもしれないけど見た目もダイパ主人公とほぼ同じなため
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