黒の流星   作:ほせき

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空からの来訪者・参

「あ、あ……」

「よくやったギラティナ! これでそのプレートはワタクシのもの! ようやく! これでようやくアルセウスに……!」

 

自身の相棒が倒れて小さくなり、自動的にモンスターボールへと吸い込まれた。目の前では反り返ったフォルムのギラティナが咆哮を上げ、イチョウ商会の制服を脱ぎ去ったウォロが高笑いを上げている。

 

――ショウはポケモン勝負でウォロに負けたのだ。

 

 

プレートを十七枚集め、ウォロに促されてやって来たのはシンオウ神殿。そこで聞かされたのは、ウォロの目的と彼が今までやったことだった。

ショウが落ちてきた時空の裂け目を開いたのはウォロで、しかも彼はアルセウスを従えて世界を作り直すためにそうしたという。世界を再創造したら、この世界が消えてしまう。止めないわけにはいかなかった。

ヒスイ地方はショウが生まれ育った場所ではない。でも今まで命を張って頑張ってきた。この地に生きる人達と仲良くなり、協力したいと思った。

ショウもそうだが、カイやセキが、シマボシやデンボクが、築き上げ守ってきたものを、無に還させるわけにはいかなかった。

 

そうして始まったポケモン勝負。ウォロの手持ちは手強かった。こちらも欠員を出しつつ何とか下したと思ったら、ウォロの背後から現れたのは七体目。

ディアルガやパルキアと同格の伝説のポケモン。世界の裏側に潜んでアルセウスに牙をむこうとしていた、時空の裂け目を開けたギラティナ。

相棒を残して倒され、しかし撃破したはずだった。だけどその後ギラティナは真の力を解放し――最終的に倒れたのはショウの相棒だった。傷は負わせたが、倒すには至らなかった。

 

動悸がする。は、は、と呼吸が浅くなる。一歩、ウォロが足を踏み出すのが見えた。

ショウの目の前が真っ暗になり――その黒い外套の持ち主を見上げた。ノボリの黒い背中が目の前にある。

 

「失礼いたします。ウォロ様、わたくしもあなた様に勝負を挑んでも宜しいでしょうか」

「アナタが?」

「ショウ様との勝負の前にわたくしにどうするかお聞きしてくださいましたし、ショウ様は六体、ウォロ様はそのギラティナを含めて七体でございます」

「なるほど、いいでしょう。でもボールを持っていないアナタがどうする気です? キャプテンだったアナタならオオニューラがこの場に来て助けてくれるとでも? 今から外でポケモンを捕まえてきますか。その間にワタクシがプレートを奪う方が早いでしょうがね。それとも、アナタ自身が戦うとでも?」

「ええ、わたくしがお相手いたします」

 

その言葉を聞いて、ショウは目を見開いた。ノボリの向こうで、ウォロも驚いているような気配がする。

 

「ただ、少々準備運動をさせてくださいまし」

「フ、……ハハハハ! これはケッサクだ! まあ世界が消えればアナタも消えるのですから、それが少し早いか遅いかだけか! いいですよ、好きにすればいい」

「ありがとうございます」

 

嘲笑うウォロに礼を言ったノボリは、ポーチを取り外してショウに差し出した。咄嗟に受け取ってしまったが、ショウは縋るようにノボリの肘を掴んだ。

ショウが敗北した今、ウォロを止める術はない。ウォロの言葉通り、世界が再創造されたら同じ結果になるのかもしれないけれど、それでも鍛え上げたポケモン達が敵わなかったギラティナに、ただただ蹂躙されるだけのノボリを見たくはなかった。

 

「大事なものが入っておりますので、申し訳ありませんが持っていてくださいますか」

「でもっ、ノボリさん……!」

 

やんわりとショウの手をはがし、ノボリはさっさとウォロ達へと向き直る。ノボリはバトルの余波がショウに及ばない位置にまで進んでから、腰を落として片足ずつ筋を伸ばす。両肩を上げて背筋も一緒に伸ばした後、両足を揃えて立つ。

帽子のつばを掴んで引き下げるノボリの手に、いつの間にか何かが握られていた。ポリゴンの進化道具、アップグレードやあやしいパッチにも似ている形状のそれ。

ノボリは顎を持ち上げて上を向き、手に持ったそれを口に運んだ。後ろからでも喉仏が上下し、嚥下するのが見えた。

一体何を、と口を開きかけたショウだったが、動きを止めてしまった。勝利を確信し余裕のある素振りで嘲笑を浮かべていたウォロも、目を見開いて固まっている。

 

それはそうだろう。だってノボリが嚥下した直後、ノボリを中心として風が巻き起こり、エネルギーがバチバチと電気のように纏わりついた。ノボリのシルエットがぐにゃりと歪む。

同じような光景を、ショウは何度も見たことがある。手持ちのトゲピーがトゲキッスに、フカマルがガブリアスに進化していたウォロだってそうだろう。

だってその現象は明らかに――ポケモンの進化だった。

 

風と影が収まったとき、立っていたのはノボリだった。

だが黒い帽子には細い赤と青のラインが入り、手には黒い手袋を着けている。外套は口元からひざ下までを隠す、裾がほつれたように広がった黒いコートに変わっている。その出で立ちはまるで車掌のよう。そういえば副駅長として働いていたのだと、つい最近に聞いた。

 

軽く腕を回して二、三度手を開閉した後、ノボリは腕を体の後ろで組んだ。足を軽く開いて左足で、タタン、と軽く床を蹴る。

後ろ手に握られた右手が複雑に動き、あ、とショウは小さく声を漏らした。ショウとノボリの二人で夜の調査をしていた時のことを思い出した。その足の仕草、手の動き。休憩のときにシンオウ地方でのことを懐かしみながら話したことを覚えている。

 

人間なのに、ポケモンの進化と同じ現象が起こるなんて、と戸惑いを隠せないウォロ。

ノボリは左手で帽子のつばを掴み、そんな彼に向かって勢い良く右手を向けた。

 

「わたくしが此処へ来たことに意味があるのなら、今この瞬間なのでしょう。全力でお相手いたします。では、出発進行ーッ!」

 

ノボリがギラティナに向かって駆けだしたのを見て、ショウはすぐに自分のポーチからげんきのかたまりを取り出して手持ち達に使用する。

現代の公式戦では、トレーナーが回復道具を使うのは禁止、あるいは回数や使用するタイミングが指定されていることがある。通常ならこんなタイミングで手持ちを全回復させるのは即失格だが、此処では明確なルールはない。

そもそもウォロが七体目を出したのだし、負ければ文字通り世界が終わる。

 

それに、ノボリからも回復するようにと言われた。背を向けていたノボリが左足で床を蹴った動作。それは調査の夜の雑談でショウが話した、一時期シンオウ地方で流行った合図だった。後ろ手で伝えられたのも、ポケモンがトレーナーに相手のタイプを伝えるハンドサインだった。

他でもないショウがノボリに話したのだから、覚えている。だがギラティナのタイプはもう分かっている。手持ちと戦った中で、ドラゴンゴーストの複合タイプだと判明していた。タイプ相性を考慮して技の指示を出していたことはノボリも見ていた。なら、さっき伝えてきたのはノボリのタイプなのだろう。

 

回復アイテムを使いながらも、ショウはノボリを目で追う。

ノボリは凄まじいスピードでギラティナの周りを動き回って翻弄している。ショウの調査に付き合って本気で走っていたときも人なのに物凄いスピードだと思っていたが、その時を軽く凌駕している。あれは本気ではなかったのかもしれない。

それに、体から力を抜いた直後にスピードが上がっていたように見えた。この時代にポケモンが使っている様を見たことはなかったが、現代で様々なバトルビデオを見たことがあるショウには心当たりがあった。こうそくいどうだ。とある四天王のミミロップが使っていたのと同じ動きだった。

 

周囲を動き回りながら、ノボリはギラティナに攻撃を加えてはいる。あの黒いコートも体の一部らしい、それが地面に伝ってギラティナの背後を突く。

だがそもそもかげうちは威力が低いし、ギラティナは硬くてタフだ。今のフォルムの方が攻撃力も高い。だからこそ、ショウの相棒達も倒れてしまった。

全てというわけではないが、ポケモンは素早さが高かったり細身の体格だと、体力や耐久値が低いことが多い。こうそくいどうを使え、あの巨体にしては素早かったギラティナを翻弄する速さに、長身の割には細身のノボリは、ギラティナに一撃を受けただけでも致命傷になりかねない。

攻撃を避け続けて、相手が倒れるまでかげうちを撃ち込めば勝てると言いたいが、動き回っているノボリの方が体力の消費は激しいだろう。ノボリが物理型か特殊型か、あるいは耐久型かサポート型かも分からない。

 

ノボリは見えているかのように軽やかにギラティナのかげうちから逃れ、だいちのちからを飛び上がって回避する。ギラティナが無理な体勢で放ったドラゴンクローをかげうちを三回放って相殺した。

押されている。まだ攻撃は受けていないが、ノボリが一つでもミスをすれば崩れてしまう。そう思った矢先、伸ばして突っ込んできたギラティナを屈みながら回避したノボリだったが、その巨体が、なぎ倒した柱を黒い翼で器用に巻き取る。

遠心力を利用して投げられた柱が、避けきれなかったノボリの左腕をかすめ、彼はゴロゴロと床を転がりながら立ち上がった。

 

「ぐっ」

「ちょこまかと鬱陶しい! ギラティナ、いつまで時間を掛けている!」

 

いい加減、ウォロもギラティナも焦れていたのだろう、ウォロの声にギラティナも咆哮を上げ、ノボリに向き直った。ショウのポケモン達が削った分とノボリがかげうちで削った分のダメージは蓄積されているが、通常の一撃程度では無理だろう。

対するノボリは肩で息をしており、左腕はだらりと垂れ下がったまま。その表情はこんな時でも変わっておらず痛みに歪んでいることもないが、消耗しているのは見てとれる。

転がった際に打ったのか、右手で額を押さえて軽く頭を振った。ギラティナを睨め付けながら、とん、とん、と一定のリズムでこめかみを人差し指の腹で叩いている。

あ、とショウは気付いた。ノボリは決して諦めたりはしていない。――わるだくみだ。

ショウはちらりとウォロを見る。おそらく、ノボリがわるだくみを積んでいることには気付いていない。何より、ノボリのタイプにもまだ気付いていないだろう。そうでなければゴースト技を使わせるはずはない。

 

ノボリとギラティナは、ほぼ同時に互いに向かって突っ込んだ。

連続して出されるギラティナのりゅうのいぶきを、ノボリはかげうちを使って軌道を変える。ウォロ達もそろそろ決着を付けたいらしいが、それはノボリも同じ。

ショウは何も出来ない。だからこそ、見る。ウォロに手持ちを半壊させられ、ギラティナに相棒までも倒された。だがただ黙って見ていたわけではない。ウォロはどんな指示を出すか、ギラティナはどんな動きをするか。ちゃんと観察していた。

おそらくノボリがやろうとしていることは一度しか通じない。タイミングを完璧に合わせないと、タフなギラティナを倒しきれない可能性がある。

 

ノボリの姿を視界に収めつつもギラティナの動きを見て、見て――六つの翼と尾の先端のトゲが同時にふるりと震えたのを見て、ショウは右足を勢い良く右に引いた。雑談で話した、突っ込め、の合図。ショウが足を引いたのとほぼ同時に、ノボリはこうそくいどうも使って加速しながらギラティナに正面から突っ込んだ。

通常なら、この状況でギラティナの力技のシャドーダイブを避ける術などない。いくらノボリが俊敏でギラティナが小回りが利きにくいとはいえ、真正面で闇の中からの攻撃など、外す方が難しい。

そしてギラティナはゴーストタイプ。ノボリが今まで使った攻撃技はかげうちだから、ゴーストタイプということは向こうも分かっている。タイプと異なる技を使えるポケモンも多くいるが、かげうちを使えるのはほぼゴーストタイプのみ。少なくともこのヒスイ地方にはゴーストタイプだけ。

弱点のタイプ一致技なんて、通常ならひとたまりもない。通常ならば、だが。

 

勝利を確信したのかウォロの口元に笑みが浮んだが、しかしそれはすぐに驚愕に塗り替えられることになった。

ギラティナのシャドーダイブが、ノボリの体をすり抜ける。――ノーマルタイプにゴースト技は効かない!

背後に回り込むことになったノボリは、力を一気に解放した所為で動きの鈍くなったギラティナに、至近距離でシャドーボールを何度も叩き込んだ。

 

 

 

 

「いつの日かヒスイ地方のポケモンすべての神話、その謎を解き明かしアルセウスに会ってみせる! いや従えてみせる!! 何年……何十年何百年かかったとしても!!」

 

敗れたギラティナが姿を消し、ウォロもまたショウ達に背を向けてシンオウ神殿から去って行った。

突然手に入れたてんかいのふえを手に、半ば呆然としながらショウはその背を見送る。一度に色々なことが起こりすぎて、処理しきれていない。そんな中、突然響いた声に、ショウはビクッと肩を揺らした。

 

「ブラボー! スーパーブラボー!」

「ひゃっ」

「予期しない突然の出来事にも冷静さを保ち相手を観察し、わたくしの考えを見抜いて的確なタイミングを、相手に悟らせず伝えてくださるとは……! ショウ様のような素晴らしいトレーナーと共に戦えたこと非常に嬉しく思います! トレーナーとの心理戦、ポケモンへの観察眼、現代でも十二分に通用することでしょう! ショウ様ならもっともっと上を目指せるはず! ぜひとも更なる高みを目指しひた走ってくださいまし!」

 

感極まったようにそう言ったノボリは、いつものようにショウに向かって右手を上げる。突然の大声に目を白黒させながらも、ショウはハイタッチをしようとふえを脇に挟んで両手を上げて固まった。

ノボリの左手は、力なくだらりと下がったまま。ショウは慌てて自身のポーチを探る。

 

「ノボリさん、手、手っ! き、きずぐすりで治ります!? あっ、かいふくのくすり!」

「ああ、そういえば。きずぐすりも今なら使えると思いますが、心配には及びません。先ほどのバトルに勝利してレベルが上がったおかげか、出来るような気が……」

 

そう言ってじっと自身の左手を見下ろすノボリ。ショウがかいふくのくすりを手に待つこと数秒後、ノボリはパッと左手を持ち上げて、眼前で開閉させた。

 

「治りました」

「なおっ、何で!?」

「じこさいせいです。覚えました」

「あっ、そうですよ! ずっと聞きたかったんですけど、ノボリさんポケモンだったんですか!? あれ進化でしたよね!? ゴーストノーマル複合ってどういうことですか!? ギラティナに叩きつけられてましたけど本当に治ったんですか!? 痛くないんですか!? 本当の本当に大丈夫なんですか!?」

「そのことですが、わたくしショウ様に謝罪しなければなりません」

「謝罪!? いやお礼を言わなきゃいけないのはこっちですけど!?」

「真実を言っていないばかりか嘘を吐いておりましたので。長い話になってしまいますが、聞いていただけますか?」

 

頷いたショウと共に一旦階段に座ったノボリに語られたのは、にわかには信じがたいことだった。

だが現実にショウの目の前にノボリはいるし、今までのことと先ほどのことを思えば納得できるもの。

事実だけを纏めると、ノボリが実はヒューマノイドで、廃棄されないために似て異なる世界から逃がされて、本当のノボリのフリをしていた別人。人工ポケモンのポリゴンの要素が組み込まれていて、だからこそポケモンの潜在能力を引き出す道具を使ってポケモンへと進化できた、ということらしい。

 

「ということなのですが、理解していただけましたか?」

「い、一応、おそらく、多分……」

 

瞳をぐるぐるさせるショウ。同郷の頼れる大人のお兄さんが、実はロボットで今はポケモンになりました、と言われて混乱しないはずがない。

イッシュ地方では当たり前らしいが、似て異なる世界自体ショウは初めて聞くことなので、飲み込むのに必死だ。それに、人間に見間違うほどのロボットなんて、ショウの知る科学はそこまで進んでいない。

ギリギリ人間離れした身体能力に、頑なに人前で飲食しないこと、いつ寝ているのかと思うくらいの働きっぷりは、ヒューマノイドだからだったらしい。アレルギーや会食恐怖症、著しいショートスリーパーではなかったということだ。

また、ノボリが時空の歪みでポリゴンに囲まれていたのは同族だと判断されていたから、らしい。ノーマル、ゴーストはちょっと変わった同タイプだと認識され、はがねタイプは機械人形ゆえ性質が似ていると思われたのではないか、とのこと。ポケモン達に直接確認しわけではないため、確かではないものの。

 

「ヒューマノイドどころかロボットすらこの時代はなく説明が難しいため、先ほど説明したわたくしの諸々の事情はすべて内緒にしていただけると助かります」

「それは、はい、勿論です。でもその恰好……」

「ポケモンに進化したようなものとはいえ、どちらかといえば今はフォルムチェンジの状態なので意識をすればおそらく――」

 

ノボリの黒いコートが広がってノボリの全身を包んだ。その影がぐにゃりと歪んで地面に解けるように消えた後には、いつものノボリの姿があった。

非常に頼もしかったものの、実はポケモンだと思えば落ち着かなかったため、見慣れたノボリにホッと息を吐いた。

 

「そういえば、ノボリさん此処に来たとき記憶喪失になったって言ってましたけど、ヒューマノイドって記憶喪失になるんですか?」

「なる、ということになるのでしょうか。わたくしは毎日、日の終わりにバックアップを取っておりました。先ほどショウ様にお話したわたくしの経歴はすべてバックアップから吸い出したもの。人工知能の心や頭脳と言われる部分の記憶はまっさらで、今も記憶として思い出したものはございません。現実味がないというのは本当ですが、徐々に思い出したものがあるというのは嘘です。申し訳ありません」

「いえっ、それは仕方ないというか、あのとき言われても信じられなかったですし……でも、弟さんとかお友達のことも覚えてないんですか?」

「記憶として思い出したものはひとつもございませんね」

 

それを聞いて、ショウは悲しく思った。製作者に反抗してまで、ノボリを似て異なる世界に逃がした、同じヒューマノイドの弟。ロボットということなら、製作者やルールに忠実なのは尤もだろう。だけどそれを曲げてまで、兄の命を優先したのだ。そして優先順位が一番になるくらい、ノボリは弟を愛し育て構い倒したはずなのに。

常よりそうであったが、ノボリは淡々と今までのことを話した。そんな弟のことも、思い出も、今のノボリの中では記録でしかない。……それはあまりにも寂しい。

今まで人間だと疑うこともなかったので、心や記憶、感情がないとは思わない。だけど純粋な人と異なるのは確かだ。記憶喪失でも何か切っ掛けがあれば戻った、という人はいたらしいが、二十年経って少しもなのであれば、もう記憶が戻る可能性は低いのかもしれない。

 

「……事情は大体分かりましたけど、体に不調はないんですか? 本当に大丈夫ですか?」

「じこさいせいで傷は治りましたし特には」

「あっ、ヒューマノイドだから何も食べられなかったってことは、今は食べられそうですか?」

「いえ、飲食はやはり無理なようです。ベースは機械ですしイレギュラーなので、きずぐすりはともかくきのみを食べることも出来ないでしょう。動力は今まで通りかと」

「そうですか……」

「能力確認は追々致します。色々ありましたし、今日のところはコトブキムラに戻りましょう」

「はい。さすがにちょっと疲れました……」

 

腰掛けていた階段から立ち上がり、ショウはぐっと伸びをした。そう言われると、どっと疲れが出た気がする。

そうだ、本当に色々あった。プレートを集め回って、ウォロに本当の目的を聞いて、ショウがヒスイに落ちてきた理由を知って、バトルになって、更にノボリがポケモンでヒューマノイドで本当はノボリではなくて……と今日あったことが頭の中を駆け巡って、はた、とショウは気付いた。

ゆるりと階段を下り始めたノボリに続いていたショウは足を止め、ノボリに声を掛けた。

 

「そうだ、名前! 似て異なる世界? の自分のフリをしていたんだから、ノボリさんじゃないんですよね? 本当の名前はなんて言うんですか?」

「……今のわたくしはノボリとしてヒスイ地方にいますので、元の世界に戻れた暁にお伝えしましょう」

 

半身だけ振り返ったノボリは、帽子を引き下げてそう言った。

 

 

 ▲ ▲ ▲

 

 

帰らなくてはならない理由が増えた。

ヒスイに来る前に予定していた通りにジム巡りの旅に出たい。両親に会いたい。自分が生まれ育った場所へ帰りたい。

だけどそれは、ノボリと一緒が良かった。ノボリの弟や、似て異なる世界の本当のノボリ達も心配しているだろう。

記憶は戻らないままかもしれなくとも、再会してほしいと思った。

 

時間軸はどうなっているのか分からないし、帰れたとしていつ何処になのかは分からない。元いた世界の年代に二年半の差がある。

更に言えば、ショウとノボリのいた世界、そして今いる世界が同じかどうかも分からない。似て異なる世界の存在を聞いたからには尚更だ。それでも現代に帰れたならば、ノボリはそこから別の世界に渡って元の世界を捜すことも可能だろう。

それに約束したのだ。自分の手持ちを育てて、ノボリの手持ちと本気の勝負をすると。ノボリではなく、彼の本当の名前を教えてもらうと。

 

そのためにショウは頑張った。ポケモンの調査は、ノボリにも手伝ってもらいはしたものの。

すべてのポケモンと出会って、ノボリにはひとりで行くからコトブキムラで待っていてほしいとお願いしてシンオウ神殿まで赴いて。何度も何度も挑み続けて、――そして。

 

 

「ノボリさん!」

「ショウ様、おかえりなさい。ご無事で良かった。随分遅いので心配して」

「それはごめんなさい! ただいま! でもやりました! ノボリさん! 帰れます!」

 

ギンガ団本部、ラベン博士の部屋にノボリはいた。あちこち手伝いに行っていることも多いから、よく分かるところにいてくれて良かった。逆の立場であれば、ノボリは簡単にショウを見つけてしまうのだが。

ちなみにそれはノボリがヒューマノイドだからと本人に聞いた。さすがにエスパータイプのように透視等は出来ないし、この時代に衛星測位はない。だが一定範囲を熱源や音等で探知が出来るからこそらしい。ウォロに注意しろと言ったのも、会話の際の脈拍や瞳、表情や仕草で嘘が多いと分かっていたからだとか。

 

隊服は汚れているし疲労はあるが、本当に怪我はしてない。ノボリは一見してそれは分かったのだろう。

立って出迎えてくれたノボリの両腕を掴んで、ショウは彼を見上げた。

 

「アルセウスが、あたしのこと元いたところに帰してくれるって! ノボリさんも一緒に!」

「わたくしも? アルセウスが本当に?」

「はい! 最初は今すぐにって言ってたけど、ノボリさんも一緒が良かったし、皆に挨拶とかもしてなかったので、次に行ったときにって約束しました!」

「わたくしをもと約束を取り付けるのに無理はしていませんね?」

「勿論です!」

 

そもそもアルセウスに会った後に問答無用で力を示す必要があったが、ノボリも一緒に、と言って条件を付けられたりはしていない。ショウを助けてくれた存在だし、ノボリの場合は別の要因による事故のようなものだからと、快く了承してもらった。

ショウが嘘を言っていないのが分かったのだろう、腰を屈めてじっとショウの瞳を見つめていたノボリは一つ頷いた。

 

「努力した方の頑張りが正しく評価され報われるのはたいへん喜ばしいことです。わたくしのことも含めてくださってありがとうございます。本当におめでとうございますショウ様。――頑張りましたね」

「……はいっ」

 

 

 

それからは、少し慌ただしかった。ショウ達が帰った後のことを頼むために奔走したからだ。

大々的に事実を周知する気はなかったけれど、各団のリーダーや隊長、キャプテン、博士達には本当のことを話し、相棒はラベン博士に返して他の手持ち達は野生に戻した。殊更人懐っこくてギンガ団に馴染んでいた数匹はそのままだが。図鑑も完成し調査隊の一番の大仕事は片付いたため、放牧場にいるポケモンの大半も野生に返し、残りもテル達がいいようにしてくれるらしい。

 

手持ち達とは離れたくない気持ちも、勿論大きい。だけどシンオウ地方は未来のヒスイ地方といえど、全くの別物と考えていい。ショウの都合で環境や文化や人が全く異なる場所に連れていく気にはなれなかった。戻りたいと思っても戻してはあげられない。

それに一部は現代でも見たことがない姿のポケモンがいる。ショウがずっと守れたらいいけれど、バッジの一つすら持ってない非力な子供が守り切れるとは思えない。心優しくポケモンのことを第一に考えてくれる研究者ならいいが、生憎と悪い人達はどこにでもいるのだ。

 

ノボリはもうシンジュ団でもキャプテンでもないが、長い間ヒスイ地方にいたため、シンジュ団とコンゴウ団を訪ね、大層惜しまれた。

ショウも残念がられたし、寂しい気持ちはあるものの、元いた世界と比べたら悩むまでもない。ノボリくらい長い時間を過ごしていれば分からなかったが、愛する家族や友達、慣れたシンオウ地方とトバリシティに対する情の方が強く深い。

 

ポケモン達を野生に返したり、テルやペリーラとポケモンバトルをしたり、女子会をしたり、を繰り返していれば、あっという間に時間は過ぎた。

この間、珍しくノボリとは別行動。空が赤く染まった日からはずっとノボリと一緒だったため、ふとしたときに寂しさはあったものの。ノボリはノボリで、関わったギンガ団の隊員達と時間を過ごすこともあったようだ。

 

 

そしていよいよシンオウ神殿へと向かう前の日の晩。ノボリはがらんとしたショウの宿舎を訪れて、分厚い冊子をショウに差し出した。表紙にはポケモン図鑑という文字。ショウは思わずノボリの顔を見た。

 

「完成したラベン博士のポケモン図鑑を複製し四ツ目綴じに致しました。どうぞ」

「博士の部屋にいることが多かったのってそういう……えっ、本当に博士の字と一緒、しかもこれって写真を自分で描いたんですか!?」

「写真を撮り直すには時間も手間も費用もかかりますので模写致しました。調査はショウ様ですが、それをまとめたのはラベン博士ですので、文字もそのままの方が宜しいかと思いまして。帰る手段を探すに当たってウォロ様と出会うこともあろうかと、許可を得て複製させていただきました」

「えっ、ウォロさん?」

 

ショウはパチパチと瞬きをして、ノボリを見つめる。ノボリは小首を傾げながら言った。

 

「ウォロ様が図鑑完成を楽しみにしていたとラベン博士から聞いて、残念そうにしておりましたでしょう。何年、何十年、何百年かかっても、とウォロ様は仰いましたので、現代に帰ってから再会する可能性もゼロではございません。もし会うことが叶った暁には、どうぞウォロ様の顔面に叩きつけてくださいまし」

「っふふ、いいですね、そうします! ありがとうございます!」

 

ヒスイ地方にショウを呼んだのはアルセウスだが、ウォロが時空の裂け目を開けさせなければそれもなかった。一番の原因はウォロだと言ってもいいだろう。

それでも、皆が冷たい、あるいは厳しい態度を取る中でラベン博士の次に笑顔を向けてくれた人がウォロだったから、憎み切れないのだ。

世界にひとりぼっち、世界で一番不幸なのは自分、そう感じてしまう中で出会った絶対的な存在に、依存して執心してしまう気持ちは、今のショウにはよく分かる。

だからこそ、また会うことが出来たならこの図鑑を見せよう。言葉通り本当に顔面に叩きつけたって文句は言わせない。尤も、そんなことをしようものなら、そんな貴重なものをとんでもない、と現代の人は泡を吹いて止めるのだろうが。

 

 

送別会はしなくていいし、見送りもいらないと言っておいたのだが、ギンガ団やカイ、セキ達はわざわざ顔を見せてくれた。今生の別れだけれど、ゲンゾウに撮ってもらった皆との写真はポケモン図鑑と一緒にポーチに入れているし、時間の許す限りお話したしバトルもした。笑顔で手を振る。

 

ショウは調査隊服で、ノボリは来たときに着ていたというサブウェイマスターの制服姿。ショウも最初は調査隊服を返して来たときのTシャツで思ったのだが、故郷に帰ろうとも調査隊の一員だ、それに標高の高い場所に行くならその格好は寒いだろうと、シマボシに突っ返された。

 

ショウの手持ち達がいなくとも、シンオウ神殿には無事に辿り着けた。通常のポケモンから逃げるだけなら場数を踏んだショウには造作もないし、ノボリと、ノボリに力を貸してくれる野生のポケモン達もいる。

 

 

てんかいのふえを吹いてシンオウ神殿に現れた階段を、今度はノボリと一緒に上がった。

いつの間にか立っていた、どことも知れぬ場所。白い高貴なポケモンの声がショウの頭の中に響く。もうよろしいのですか、という言葉に頷いて肯定の意を返した。

 

アルセウスの目が細められたのを映した直後、視界は暗転し――ショウの意識は途切れた。

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