諸刃の剣   作:わぬこ

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初投稿です。よろしくお願いします。


恐怖

8月1日、午後2時。雲一つ無い快晴だ。

上島紀香(うえしまのりか)は、新築住居が立ち並ぶ住宅街の中に、場所を間違えたかのように立っている築70年の古いアパート「白砂荘」へ正面玄関から入った。このアパートが建てられたとき、辺り一面が白砂だったことから「白砂荘」という名前が付けられたらしいが、今は辺り一面コンクリートである。そのせいか、白砂荘は窮屈そうに見える。なら、もし今このアパートが建てられたら、名前は「コンクリ荘」になるのかな、と紀香はこのアパートの前に来る度思う。全くもってどうでもいいことだが。

中に入ってすぐ、正面玄関から右手にある管理人室にいる、初老の管理人と目があった。どうやらテレビを見ていたようだ。ここからは死角で見えないが、管理人室には旧式のテレビが設置されている。何かのバラエティ番組でも見ているのだろうか、それらしい音声が聞こえる。

彼は3年前からこのアパートの管理人をしている。紀香はしょっちゅうここへ来るので、もう彼とは顔見知りだ。だが、あまり喋ったことはない。

紀香は、小さく会釈して管理人室を通り過ぎた。

管理人室のちょうど向かい側、つまり正面玄関の左手に二階へ続く階段があるが、そこは素通りした。階段が建物内にあるタイプだ。

山崎尚美(やまざきなおみ)の部屋は、一階の一番奥にある、一○八号室である。一階では、中央の廊下を挟んで左右に四つずつ部屋がある。白砂荘は二階建てで、二回もほぼ同じ仕様になっている。唯一違うのは、一階と違って二階には倉庫がある、ということくらいである。ただ、二階の倉庫は、名目上は「倉庫」だが、実際はゴミ置き場とほぼ同じである。中には、壊れた換気扇のプロペラや、割れて使えなくなった蛍光灯、故障した扇風機や革が破れたソファーなどが無造作に入れられているらしい。そう尚美から以前聞かされたが、紀香は中は覗いたこと

はない。覗こうとも思わない。

紀香は一○八号室の前で立ち止まると、ドアをコン、コンとノックした。中からの応答はない。もう一度ノックした。しかし応答はない。寝てるのかな、と思い、紀香は少し強めにノックし、

「尚美、開けて」

と言った。だが、応答はおろか、ドアの向こうからは物音一つ聞こえなかった。

怪訝に思った紀香はドアノブを握り、捻ろうとした。だが驚くことに、ドアノブは何かに固定されているかのように、ピクリとも動かなかった。何度試しても同じだった。

尚美のスマホにも電話を掛けてみたが、コールサインが続くだけで、一向に電話に出る気配はなかった。

困惑して立ち尽くしていると、背後から足音が近づいてきた。振り向くと、足音の正体は黒川啓司(くろかわけいじ)だった。身長が二メートル15センチもある彼は、天井に頭をぶつけないように注意を払いながらやってきた。彼は現在、尚美と交際中である。

黒川は、紀香の姿に気付くと、口を開いた。

「おお上島、早いな」

「当然よ、私は時間の約束は絶対に守るタイプだから」

「相変わらず時間に敏感だな、お前。_____どうした、早く入ろうぜ」

黒川はそう言って、一○八号室のドアノブを捻ろうとした。だが、案の定、ドアノブは微動だにしなかった。

「…ん?」

黒川は怪訝な表情をして、再度ドアノブを捻ろうとした。だが、依然としてドアノブは動かなかった。

「何だこれ」

黒川はそう言って紀香の顔を見た。

「私に聞かれても分からないわよ。ノックしても返事はないし、電話を掛けても出ないし、困って立ち尽くしてたところなの」

「うーん…このアパート古いから、ドアのロックの部分が錆びて鍵を掛けていないのにドアが全く開かないってことが稀にあるんだよ。多分それじゃないかな」

「そんなことあるの?」

「ほら、去年の冬に尚美の全国出場を祝いにここへ来たときもそうだったろう、覚えてないか」

「あー、あったわね、そんなこと」

去年の12月の最初の頃、尚美のもとを訪ねたのだが、ドアが全く開かなくて、テニス部のサークルメンバー総動員でドアをこじ開けたことがあった。

「今回も頑張れば開くだろ」

黒川はそう言って、ドアノブを握ると思いっきり力を手に込めた。一分ほどすると、ガリガリ、と何かが削れる音を発しながらドアノブが少しずつ回り始めた。更に一分ほど経つと、蝶番がギリギリと音を発し始めた。

おらっ、と黒川が更に力を込めると、ドアはようやくキーッ、と開いた。ふう、と黒川は息を付くと、腕をグルグル回し始めた。

紀香は黒川の背後から室内を見た。中は真っ暗だった。真っ暗だが______紀香は何か言いようのない恐怖を感じた。この奥には何かがある。何かがあるのだが、それがとてつもなく漠然とした恐怖に包まれている。そんな気がした。気温は暑いのに、脇に冷や汗が滲んできた。

一方、そういった雰囲気に鈍感な黒川は、

「尚美のやつ、ドアの錆びくらい取っとけよ」

と愚痴りながら躊躇なく部屋に入った。紀香はあえて部屋には入らず、後ろからそれを見守った。

黒川は玄関で靴を脱ぎ、部屋の照明のスイッチを押した。カチ、という音がこちらにも聞こえた。

「ん、何だ?」

黒川は訝しげな口調でそう言った。そしてその場で屈み、何かを拾った。何があったのか紀香は気になったが、中に入る気にはならなかった。

「なんでこんなところに…」

そう言って、黒川は奥へ進んでいった。一方紀香は、ただ突っ立っているのもアレだったので、もう一度尚美に電話を掛けてみようと思い、バッグにしまったスマホを取り出そうとした。

その時、尚美の部屋の奥からパリーン、と何かが割れる音がした。

そして、

「…う、うう…うわあああああ

ああああああああああああ!」

という黒川の叫び声が聞こえた。紀香は、反射的に部屋に飛び込んだ。土足のままで部屋に入ると、左手の洗面台のところで黒川が尻餅をついているのが見えた。周りには、陶器の白い破片が飛び散っている。

その奥に、誰かが倒れているのが見えた。黒川がいるので全体像は見えなかったが、青白くなった腕の肘から下の部分がが見えた。その手首の部分には、薔薇を象った装飾がされた、シルバーのリングがはめてあった。

それは、尚美がいつも左手首に付けている、尚美のお気に入りのリングだった。

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