「やれやれ……あの堅物の相手は疲れますねぇ。これでは食が進みませんよ」
オネスト大臣は、宮殿内部にある私室で大きな骨付き肉に齧り尽きながら肩を竦めた。
「食が進まねぇとか言っておきながら肉食ってるじゃねぇか。さっきの会議でもめっちゃ食ってたしよ」
呆れたような声を漏らしたのは、シュラだった。
彼らはつい先程まで、会議の間で各地で侵攻を続ける反乱軍に対処するための会議に出席していた。
とは言っても結果としてこれと言った妙案などは出なかった。
政務官の殆どは、無血開城する関所の太守を批難したり、地方軍への不満を漏らしたりなど、自らの保身からか下手な案を出す気はなかったようだ。
「これはあくまで標準な食事です。いつもならもう少し食べられますよ」
「それ以上食ったらマジで高血圧で死ぬぞ、親父」
「エスデス将軍にも言われましたが、これでも健康体です」
「そうかい。けど、あのオッサン、反乱軍締めたらこの国の歪みを元から断つとか言ってたけど、余裕ぶっこいてていいのか?」
「おや、不安ですか?」
「まさか。単純に気になっただけだ。まぁアンタのことだろうから、対策は考えてあんだろうけどよ」
「んっふっふ。そのあたりは追々開かして行きますよ。とはいえ、あの堅物に出張って来られるのはそれはそれで面倒なんですよねぇ」
ギチリと肉を喰いちぎるオネストは、やや不機嫌そうな表情を浮かべる。
二人が言うところの「オッサン」やら「堅物」と呼んでいるのは、先程の会議の途中に入ってきた人物を指している。
帝国の近衛兵団を従える彼の名はブドー。
大将軍と呼ばれるエスデスと並ぶほどの実力を有している実力者だ。
本来ならば『武官、政治に口を出すべからず』という大将軍の家系の教えを実直に守っているはずの彼だが、今回ばかりは目に余ると思ったのか、自ら動くらしい。
彼自身、オネストの蛮行を把握はしているようで、会議の前も軽く凄まれているため、オネスト自身もあまり目立った行動はできそうにない。
だからこそ多少不機嫌なのだろう。
「とはいえ……あの堅物の隣に彼がいなかったことは幸いでしたかねぇ」
「彼?」
なにげなくもらした呟きにシュラが食いつく。
「誰だよそれ。あのオッサンの隣って、それだけの実力者ってことか?」
「ええ、まぁ。そんなところですよね。ふむ……まぁいい機会ですし、お前にも話しておきますかね。かつて帝国には、大将軍にすら並びうるといわれた将軍がいたのですよ。今で言うところのエスデス将軍ですね」
「マジかよ。けど今いねぇってことは死んだのか?」
「いいえ。将軍としてしばらく活躍していたのですが、異民族討伐遠征の際、部下を守ったことで深手を負ったらしく、そのまま退役しましたよ」
「部下を守ってって、アホかそいつ。使えねぇ駒は捨てときゃいいのによ」
「ええ、それに関してはまったく同感です。とはいえ、退役したことに関しては助かりましたよ。下手をすれば、この現状を大将軍と共にひっくり返すことも可能でしょうしね。たとえエスデス将軍がこちら側にいたとしても、あの二人に組まれたら打つ手はありません」
オネストは肩を竦めるものの、シュラはどこか面白げな笑みを浮かべる。
彼自身、自分の戦闘能力が高いものだと理解している。
だからこそ、エスデスやブドーの実力もそれなりにわかっており、彼らと並ぶほどの実力者の存在は気になるところなのだろう。
「そいつは今どうしてんだ?」
「退役後は帝都の下町で家族と隠居生活をしているとのことですよ。ただ、今もそこにいるかは知りません。噂では既に帝都を出たとの情報もありますし。行ったところで無駄ですよ」
「なんだよ、ツマンネ。けどまぁ一応名前聞いとくわ。そいつの名前は?」
「クレイルという男です。しかしシュラ……たとえ彼を見つけたとしても、お前では勝てませんよ」
オネストの言葉にシュラは僅かに表情をしかめ、実父を睨みつける。
「どういうことだよ、親父。俺が弱いって言いたいのか?」
「いいえ、お前は十分強いと思いますよ。ただ、向こうは若いころの大将軍に並ぶ存在です。怪我を負ったとはいえ、その実力は本物であり、今も生きていることでしょう。手を出そうとしているのなら、やめておいたほうがいい。痛い目を見ますよ」
彼の言葉には確かな重みがあり、冗談や茶化しているわけではないということは容易に想像できた。
シュラもオネストの性格を理解しているため、彼の瞳と言葉に「手を出すな」という色があることはすぐに理解した。
ゆえにシュラは大きなため息のあとに肩を竦める。
「ハッ! んな老い耄れになんか興味ねぇよ。それに今は秘密警察の活動が忙しいんでな。じゃあな、親父」
椅子から跳ね起きたシュラはそのまま部屋を出て行く。
息子の後姿を見やりながら、オネストはやれやれと被りを振った。
「子育てというのは、やはり面倒なものですねぇ……」
はむ、と再び肉にかじりついたオネストは、そのまま食事を続けた。
オネストの部屋を後にしたシュラは、やや不機嫌な面持ちで待たせていたワイルドハントのメンバーに合流する。
すると、やや不満そうなドロテアが溜息交じりに声をかけてきた。
「遅いではないか、シュラ。巡回をすると言ったのはお前じゃぞ?」
「るっせぇな。少し遅れただけだろうが」
「アレアレ、シュラ君もしかして不機嫌だったりします?」
「テメェも黙ってろコスミナ。別に大したことじゃねぇ、ちょっとした野暮用だ。それよりも今日もしっかり巡回するぞ。取り調べも、しっかりな……」
シュラがニタリと凶悪な笑みを浮かべる。
オネストに言われたことは正直気に食わないが、今はとりあえず己が欲望を満たしたい気分であった。
――まぁいいさ。強いヤツにも興味はあるが、今はおもちゃで遊ぶほうを優先だ。
クレイルという男にもそれなりに興味を抱いているものの、アレだけ念を押されては従う他あるまい。
「今日はどのあたりだ?」
「そうだなぁ、レストラン街あたりでも行ってみるか」
「レストラン街……小さい子がいればいいんだけどなぁ」
「拙者は紅雪に食事を与えられればどこでもかまわん」
「よーし、決まりだ。あぁそうだ、チャンプ、エンシン。この巡回が終わったら、例の場所に行くぜ」
シュラの言葉に二人はニヤリと口元をゆがめる。
彼は、メンバーの先頭に立って巡回を開始する。
悪鬼外道が跋扈する帝都は、より混迷を極めていた。
ワイルドハントが巡回と証する大臣の名を笠に着た殺人、強姦、恐喝を行おうとしているのと同じころ、帝都郊外にある墓地にはウェイブとランの姿があった。
彼らの前には墓石に祈りを捧げる喪服を身を包んだ女性と少女の姿がある。
二人はボルスの妻と娘だ。
やがて二人は祈りを終え、ウェイブは墓参り用の花束を渡しながら問う。
「あの、なにか生活に不自由してたりしませんか?」
「大丈夫です。イェーガーズのお給料としてエスデス将軍から十分なお金をいただきましたから」
「隊長がそんな支援を……」
「陛下から頂いた黄金を兵士に贈った方ですし、私たちが知らないところでいろいろ配慮してくださる方ですよ」
「はい。なのでそこまで心配していただかなくても大丈夫ですよ。ウェイブさん」
彼女は薄く笑みを浮かべながら言うものの、その声はやはりまだ震えていて、悲しみから抜け出せていないようだった。
娘の方もどこか陰鬱とした様子に見える。
けれどそれも仕方のないことだろう。
彼女ら家族はとても仲睦まじい幸せそうな家族だった。
その家族の一人が突然奪われれば、悲しみにくれるのも無理はない。
しかし、ウェイブは彼女の瞳に強い光を見た。
「元からのたくわえもありますし、これからは私一人でしっかりとこの子を育てて行こうと思います」
彼女は悲しみを抱きながらも、しっかりと前を向こうとしていたのだ。
夫を失っても、決して悲観にくれることなく、前進しようとするその姿にウェイブの目尻に涙が浮かぶ。
が、彼はそれを前髪で隠す。
「わかりました。けど、なにか困ったことがあったら言って下さいね。……あ、それともう一つ。これは出来れば絶対に守って欲しいことです」
ウェイブの声が僅かに低くなり、ボルスの妻は怪訝な表情を浮かべた。
「帝都の中心部には絶対に近づかないでください。シャレにならないほど危険な連中が暴れてるんです」
脳裏に浮かぶのは、悪逆の限りを尽くすワイルドハントの姿。
彼らだけには絶対にこの二人を会わせてはいけないと、ウェイブは心の中で決意する。
すると、墓地の入り口の方から一人の兵士が駆けてきた。
「お二人とも! すぐに帝都中心街へ戻ってください! ワイルドハントがまた……!!」
かなり焦った様子の兵士の言葉にランとウェイブの表情が一気に強張る。
「どこですか」
「中心街にあるレストラン、ノワールの近くです! 現場はもう酷い有様で……! すぐに来てください!」
「わかりました。行きましょう、ウェイブ」
「ああ! それじゃ、二人とも。さっき言ったこと、忘れないでください! それじゃ!」
ウェイブはボルスの妻と娘に頭を下げると、ランと共に駆けて行く。
墓地から出て行くウェイブとランを見送りながら、ボルスの妻はふと娘がスカートを掴んでいるのに気がついた。
「どうしたの?」
「……もう少し、ここにいたい」
娘の視線はボルスの墓に向いていた。
父の死を受け入れているとはいえ、やはりまだ不安なことは多い。
彼女は娘に対して柔和に微笑むと、静かに頷いた。
「ええ、そうしましょう。私ももう少しパパと一緒にいたいもの」
再び妻子は夫の墓に祈りを捧げる。
けれど、悪鬼の足音は彼女のすぐ傍にまで迫ろうとしていた。
ナイトレイドの面々は長い迂回路を経て帝都近郊のアジトに戻ってきていた。
メンバーにはナジェンダから、密偵チームからの情報が上がってくるまでアジトで待機の命令が下されていた。
「あーあ、流石に暇だなー」
「そうぼやくなラバック。まだお前も万全ではないのだから、しっかりと体を休めておけ」
「そうは言ってもさー、スーさん。……アジト内にカップルが二組もいるんだぜ? マジ嫉妬で腹がよじれそうだよ……」
「そのあたりは俺にはよくわからんので、あまりアドバイスはできんな」
食堂ではラバックが嫉妬に身を焦がしていたが、スサノオは軽く受け流している。
すると、「あれー?」と疑問符を浮かべたチェルシーがひょっこり顔を出した。
「二人だけ? リヒトは?」
「見てないよー。アカメちゃんと食料調達にでも行ってるんじゃないの?」
「アカメには会ったけど見てないって。ほかの皆も同じ。あとはここだけだったんだけど……どこ行っちゃったのかなぁ」
「……そういえば」
キッチンでなにやら準備を始めていたスサノオが思い出したように声を漏らすと、チェルシーが耳を傾ける。
「アジトに到着した時、リヒトがナジェンダに話をしていたな。なにか頼んでいるようにも見えたが……」
「えー、ボスは出かけちゃったじゃん……。けど、いないんじゃしょうがないね。また後にしよ……ってスーさんそれ……」
「あぁこれか、ちょうどこれで最後だったから痛む前に使おうと思ってな」
スサノオの手元にあったのは、雪山で発見した超激辛トウガラシ。デッドエンドリーパーだった。
チェルシーはその破壊力を知っているため、思わずたじろぐものの、ふとおかしなことに気がついた。
「アレ? でも結構数減ってない? もっと余ってなかったっけ」
彼女の言うとおり、デッドエンドリーパーはもう少し余っていたはずだ。
けれど、スサノオが持っているのは四本程度だ。二十本ほど残っていたようにも見えたがもう使ってしまったのだろうか。
「アジトに戻ってくる少し前にリヒトが調合に使うとかで持っていったんだ。だがこれで一体なにを……」
「うーん、催涙煙玉とか?」
「ありえそうだな。このトウガラシのカプサイシンならどんな強敵であっても確実に怯むはずだ」
チェルシーもそれに内心でうんうんと頷く。
スサノオが調理をしたことで辛味は多少緩和されていたが、生の状態は本当い劇物に近いのがこのトウガラシの恐ろしいところだ。
思い出しただけでお尻が痛くなりそうなチェルシーであるが、話を聞いていたラバックが少しだけ呆れたような声で割って入ってきた。
「ホントにそんなに辛いのー? 前に料理で出てきたけど、少し辛いな位だったじゃん。スーさん、少し齧らして」
「かまわないが、後悔するなよ?」
「ラバック、やめといた方が……!」
「へーきへーき。こう見えて俺、辛いもの得意だからさ」
ニッと笑ったラバックはスサノオが差し出したデッドエンドリーパーにかじりついた。
瞬間、ラバックは吼えた。
「かっっっっらああぁぁあぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁッッッッ!!!???」
アジト全体に響き渡りそうな大絶叫と共に、ラバックは大急ぎで蛇口を捻ると口を濯ぎ始める。
しかし、そんなものでデッドエンドリーパーの辛味が中和されるはずもなく、流し台から顔を上げたラバックはそのままアジトの外に飛び出していった。
「ちょ、ラバック!?」
「蛇口程度の水ではやはりどうにもならなかったか。川に行ったな」
「……やっぱそのトウガラシ食べ物じゃないって……」
大きなため息をついたチェルシーの耳には、遠くで川にダイブする音が聞こえるのだった。
「……よっと」
リヒトの姿は林の中にあった。
その装いはフードを目深にかぶり、外套で全身を隠したなんとも怪しさ満点の格好だった。
本来ならばアジトで待機を命じられていたのだが、少しだけナジェンダに無理を言って出てきたのだ。
「ボスには後でうまいつまみでも作ってやらねぇとな」
ナジェンダに感謝しつつ、林を抜けたリヒトの視界に広がったのは、等間隔に配置された石が広がる野原だった。
けれど、置かれているのはただの石ではない。
石にはそれぞれ名前が刻まれている。
名前の下には生年月日が刻まれ隣には、没年が刻まれている。
ここは帝都郊外にある墓地だ。
リヒトの目的は墓参り。
中心街へは絶対に近づかないことを条件に、なんとか許可をしてもらったのだ。
彼の手には一本の酒瓶と途中で摘んで来た花束がある。
そのままリヒトは、目当ての墓石を目指して歩いていく。
やがて彼は歩みを止めると、墓石の前で小さく笑みを浮かべる。
「……久しぶりだな。隊長」
視線の先の墓石には『ユルゲンス』と刻まれていた。
ユルゲンス。それはリヒトがまだ帝国軍人であった頃、帝都近郊の警備隊で世話になった隊長である。
彼がいなければ恐らく今のリヒトはなかったと言っても過言ではない。
彼の偽装工作があったからこそ、リヒトは革命軍と合流し、今はナイトレイドとして活動することが出来ているのだ。
「遅くなってわるい。もっと早く来たかったんだけどな……」
リヒトは墓石の前で酒瓶の栓を抜くと、墓石の上から軽くかけてやる。
彼が死んだことは、標的であったリューインから聞いたのだが、如何せん忙しかったため、こうやって墓参りに来ることはできなかったのだ。
「あんたの好きだった酒だ。それとこれ、花。男に貰ってもうれしかねぇだろうけど、置いてくぜ」
摘んで来た花を墓石の前に置く。
「隊長、あんたにはもう一度会って伝えたかったことがあるんだ」
リヒトはそのまま墓石に向けてふかぶかと腰を折る。
「ユルゲンス隊長。ありがとうございました。俺は、貴方のおかげでここまで来ることが出来ました」
伝えたかったこと。それはひとえに感謝だった。
こんな腐った国で、彼ほど人格者と言える上司はいなかった。
革命軍に入ると言ったときも、リヒトが死んだと偽装をしてくれたことは、今でも本当に恩を感じている。
「できれば貴方にも革命の日を見ていて欲しかったけど、空の上で見ていてくれ。この国が変わっていくところを……」
リヒトの双眸からは僅かに涙が零れ落ちた。
そのまま彼は酒を煽り、今まであったことを彼に話そうと思ったが、彼の言葉は不意に聞こえてきた少女の声によって阻まれる。
「や、やめて! ママをいじめないで!!!!」
弾かれるようにしてリヒトが視線を向けた先にいたのは、喪服姿の親子の姿。
そして彼女らの前には見るからにガラの悪い男二人と、道化師の格好をした巨漢男がいる。
「あああああああ!! すんげぇ可愛いんですけどおぉぉぉぉぉ!!!???」
道化師男の耳障りな声はリヒトの耳にまで届き、彼は表情をしかめる。
直感的にリヒトはあの三人のことを理解した。
アレらは外道だ。
何人もの外道達を相手にしてきたリヒトだからこそわかる。
彼らは真人間ではない。
人の命をもてあそぶ人の皮を被った悪鬼そのもの。
しかし、リヒトの脳裏でナジェンダに言われたことがフラッシュバックする。
『行ってもかまわないが、絶対に問題は起すなよ。なにかあっても私たちは手を出せないからな』
そうだ。
騒ぎを起せばそれだけ目立ってしまう。
ならば、ここは関わらずに立ち去る方が得策だといえる。
だが、リヒトの視線の先では今まさにあの親子が蹂躙されようとしている。
そんな光景を黙って見過ごせるほど、リヒトの心は冷たくできてはいない。
「……わりぃな、ボス。ちょっとだけ約束破るぜ」
ギン、と鋭い眼光を灯したリヒトは襲われそうになっている親子を助けるために駆けて行った。
お久しぶりです。
少し遅れました。
もう少し早く更新するはずだったのですがね……。
とりあえずはこんな感じです。
ブドーとクレイルの話はもうちょい先、ですかね。
そしてついにやってきた問題の場面。
助けたっていいじゃない、ヒーロー(殺し屋)だもの……。
偽善で結構。
殺した男の家族を救ってなにが悪いのか。
救える命は救うんだよ……!!
はい、変に語ってすみません。
今回もよろしくお願いします!!