大学で一番かわいい先輩を助けたら呑み友達になった話   作:枩葉松

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第42話 ごめんなさい

 

 ベージュ色のタイルと透明のドアガラス。

 真っ白な浴槽に、二畳はある床。

 

 先輩の家のバスルームは、二人で入っても余りあるほどに広々としていた。

 

「あー……何かちょくちょく、記憶ないんだけど。声ガラガラだし」

「だ、大丈夫ですか? っていうか、まだお酒抜けてないんですから、お風呂に入るのはやめた方が……」

「こんな汗だくじゃ寝られないよ。私が倒れないよう、ちゃんと介助してね。糸守君がやったんだから」

 

 やらせたのは先輩では、と思いつつ文句は言わない。

 いやもう、本当に、色々と申し訳ないことをしてしまったから。

 

 時刻は午前四時。

 

 先輩は眠たい目を擦りながら、よたよたと歩いてバスチェアに座った。

 そして、「んっ」と顔を上げて後ろの俺を見る。身体を洗え、ということだろう。

 

「俺、女性の身体の洗い方とかわからないんですけど大丈夫ですか?」

「へーきへーき。ちゃちゃっと済まして、さっさと寝ちゃお。糸守君、バイトの面接あるんだし」

 

 シャワーのお湯を頭からかけると、黄金の髪が濡れて若干濃い色になり、しなやかな肌に張り付いてゆく。気持ちがいいのか、先輩は「あ゛ぁ~~~」とオヤジのような声を漏らす。

 

「これがシャンプーね。トリートメントとコンディショナーは、今日はもう面倒だからいいや」

「わかりました」

 

 先輩が俺の家に置いている、見ただけで高いとわかる黒いボトル。

 二回プッシュして、髪が痛まないようおっかなびっくり泡立てる。

 

「でもまさか、糸守君にあんな趣味があったとはね。お姉さんびっくりだよ」

「だから俺、忠告しましたよね? やめた方がいいって」

「別に嫌だったなんて言ってないよ? むしろ……ふふっ、んふふっ」

 

 鏡越しに見えているのにわざわざ振り返り、煽情的に笑って見せる。

 俺は何も言い返せず、気恥ずかしさを無視して淡々と髪を洗ってゆく。

 

「こんな感じでいいですか? 髪、流しますよ」

「んっ。ありがとね」

 

 泡が全て流れたところで、脱衣所からタオルを取って来て欲しいと頼まれたので浴室を出た。

 渡すと、先輩は慣れた手つきで髪をまとめてタオルに収める。身体を洗う際、ボディーソープがつかないようにするためだろう。こういう手間の一つ一つで美しい髪を維持していると思うと、純粋に尊敬してしまう。

 

「じゃあ次、身体洗ってね。はいこれ」

 

 既に泡立たされた真っ白なボディスポンジを受け取り、背中から丁寧に洗ってゆく。

 

 首筋に内出血を示す赤い痕。

 その他にも、身体のあちこちにマーキングの痕跡。

 

 陶器ような肌の上でそれらはあまりにも浮いており、自分がしでかしたことの重大さに心臓が跳ねる。……実際、半分以上は途中で変なスイッチが入った先輩に頼まれてつけたものだが、それでも俺が欲を抑えられなかったことに違いはない。

 

 言い訳をするわけじゃないが……。

 

 いや、無理だって。

 あそこまでされて、自分を押し殺すとか。

 

 それにまあ……あの場合、たぶんあれで正しかった。

 先輩にあそこまでさせて何もしないのは、流石に失礼が過ぎる。

 

 本人もかなり満足しているようだし、これについて悩むのはもうやめよう。

 

「前はいいよ、自分でするから。ありがと、気持ちよかった!」

 

 上半身の前半分と下半身を洗って、全て綺麗にしたところで俺にシャワーで流すよう促した。

 汗が、涎が、その他の体液が流れても、肌を犯す赤色はなくらない。明日も、たぶん明後日も、しばらくは。これを服の下に隠して、先輩は俺以外の誰かと会う。

 

 ……ダメだ。またちょっと、変な気分になってきた。

 

「じゃあ次は、糸守君の番ね!」

「俺はいいんで、先輩は髪乾かしててくださいよ。ドライヤー、結構時間かかるでしょう?」

「えっ、そう? いいの? おっぱいで背中洗おうと思ってたのに」

「そ、そんなAVみたいなことしなくていいですよ! っていうか、これ以上刺激されたらまたやばいことになるので!」

「きゃー! 糸守君のケダモノー!」

 

 わざとらしい悲鳴をあげながら、先輩は浴室を出て行った。

 気を取り直してイスに座り、鏡に映った疲れ切った表情を見て少し笑う。

 

「……先輩と風呂入るの、そいやこれが初めてか」

 

 俺の家はユニットバスで、とてもじゃないが二人で入れる余裕などない。

 いつかまた先輩の家に来た時は、一緒にゆっくりと湯船に浸かりたいな。入浴剤とか入れて、タブレットで映画とか観ながら。ちょっとくらいなら、お酒を呑むのもいい。

 

「あっ……」

 

 二の腕のあたりに、四本の引っ掻き傷。

 先輩が俺に抱き着いた時、無我夢中で力が入りついてしまったのだろう。いたたっ……ちょっと泡がしみるな。

 

「……」

 

 先輩と違って、傷なんて俺の身体の上じゃホクロよりも多い。特別なものではないし、二、三日で消えるだろう。

 

「……」

 

 我ながら、おかしなことだとは思う。

 変態っぽいなと、笑ってしまう。

 それでも、どうしたって考えてしまう。

 

「これは、消えないでくれたらいいのに」

 

 傷口をなぞって、そう独り言ちて。

 

 ……うん、やっぱり変態っぽい。先輩がいる前で言わなくてよかった。

 

 ふわーっと大きな欠伸を一つ漏らして、頭からシャワーを浴びる。

 疲労感が流れ落ちて、代わりに眠気が瞼を引っ張る。

 

 両手で顔をひと撫でして水滴を払い、窓へと目をやった。

 夜闇の隙間に朝の気配が入り込み、街は少しだけ白み始めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 お風呂を出てすぐ寝室へ向かい、糸守君と一緒にベッドに入った。

 

 尿意に起こされたのが、午前七時頃。

 そっとベッドを抜け出してトイレを済ませ、水を一口飲んでから寝室に戻る。

 

 布団に潜り込むと、糸守君の呻き声が聞こえた。

 

「……ご、めん……ごめん、ごめんなさい……」

 

 眉を寄せて、苦しそうに謝罪を繰り返す。

 まただ。今日もうなされている。

 

 初めてこれを聞いたのは、沖縄での夜だ。

 

 ふと夜に目を覚ますと、クッションの壁の奥で彼はブツブツと何かを呟いていた。

 ただあの時は雨風のせいで煩過ぎて声がよく聞こえず、単純に疲れてうなされているのだろうと思っていた。

 

 そして、八月一日。

 初めて肌を重ねて、お互い泥のように眠りに落ちて。

 夜中にトイレに立つと、彼はひたすらに誰かに謝っていた。

 

 私が泊まりに行くたび、同じ声を聞く。

 いつもいつも、ごめんなさいと繰り返している。

 

 どういう夢を見ているのか一度聞いたが、何も覚えていないと言われてしまった。

 

 でも、私にはわかる。

 あれは嘘だ。おそらく糸守君は、毎日同じ夢を見て、こうやってうなされている。

 

「大丈夫……大丈夫だからね。私がそばにいるから」

 

 何の足しになるかもわからない言葉をかけて、滲む汗を指で掬い頭を軽く撫でた。

 こうすると彼は少しだけ落ち着いて、静かに眠ってくれる。

 

 ここ最近、ほとんど毎日のように糸守君の家に泊まっているのは、正直なところこれが一番の理由だ。

 

 彼は私の苦しみを見過ごさないし、取り除くためなら何でもしてくれる。

 だから私も、同じことをしてあげたい。眠っている時くらいは、安らかな気持ちでいて欲しい。

 

「辛いのも、痛いのも、苦しいのも、全部私が食べちゃえたらいいのに……」

 

 ポツリと落として、ちょっと恥ずかしくなった。

 我ながら無茶苦茶だ。身体を貪るのとはわけが違う。

 

 瞼を落とし、糸守君の腕にきゅっとしがみついて頬に顔を寄せた。

 

「……おやすみ。大好きだよ」

 

 彼の髪から、私と同じシャンプーの匂いがした。

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