大学で一番かわいい先輩を助けたら呑み友達になった話 作:枩葉松
「わ、わかりました。やります、やりますよ……!」
一条先輩の経験値がどれほどかは知らないが、以前女性三人をはべらせていたところから推測するに、俺の数百倍から数千倍だろう。
つまり、絶対に勝てない。
どんなベロチュウをかましたとしても、一条先輩になびくようなことはないだろう。
それくらいの自信はあるし、朱日先輩のことを信じている。
……だが、これから俺とキスをするたび、一条さんよりは下手だなと思われることは避けられない。
そんな精神的寝取られは絶対に嫌だ。
「タメ口と呼び捨て……タメ口と呼び捨て……タメ口と呼び捨て……」
「あの、か、要君? 目が……その、とても怖いのですが……」
「す、すみません。でもちょっと、こっちも覚悟を決める必要があるので……!」
敬語なんてものは人間関係を円滑にするためだけのツールだと思っているが、朱日先輩に対してだけは違う。俺は彼女を心の底から尊敬していて、だからこそ敬語を使っている。
それを一時的とはいえ崩すのは、俺にとってかなり体力を使うことだ。
頭の中で台詞を練るも、恐れ多くてとてもじゃないが口に出すことができない。
……こうなったらもう、あの手を使うしかない。
俺はグラスの中のハイボールを呑み干し、一条先輩が頼んだおかわりにも手を付けた。
空きっ腹に酒を入れたことで一気に顔が熱くなり、頭のネジが緩み始めたのを感じる。
一条先輩に半ば脅されてこんなことをしているが、これはいつか通らなければいけない道だ。
朱日先輩と呼び方を変えた時、彼女は呼び捨てにして欲しいと言っていた。
その時は断ったが、いつまでもこのままではいられない。彼女が望むことは全て叶えてあげたいし、俺だってもっと距離を縮めたい。
その練習だと思って、俺は朱日先輩の手を取る。
黄金の瞳には動揺の色が浮かび、これから起こることに期待と不安を抱きながら揺れ動く。
「あ、朱日先ぱ――……」
違う。
そうじゃない。
「……あ、けっ……朱日っ!」
ようやく絞り出した声に、彼女はビクッと身体を震わせた。
唇を薄く開閉して、「は、はいっ」とか細い声を漏らす。
思い起こせ、朱日先輩との時間を。
今一度噛み締めろ、彼女への想いを。
「あ……朱日、好きだ! 俺と付き合ってくれ! 朱日じゃなきゃダメなんだ!」
我ながら、告白台詞のセンスが絶望的だ。
でも、許して欲しい。こっちだって必死なんだから。
アルコールという名の潤滑油でどうにか舌を回しているが、頭の中は申し訳なさでいっぱいなんだよ。
「……あ、朱日?」
向こうから何のリアクションもなく、俺は下ろしていた瞼をゆっくりと開けた。
真っ赤に焼けた顔。
今にも溶けて零れそうな口元。
恥ずかしさと嬉しさでいっぱいな瞳。
おおよそ無表情とは呼べないそれを、この場の全員が目撃する。
「えへ、えへへっ……朱日、朱日かぁ……」
俺の手をムニムニと弄りながら、デレデレな笑みを浮かべ。
そこでようやくハッとして、今までのが全て噓だったかのような無表情に戻り、「失礼します」とトイレへ向かった。
その背中を見送って、一条先輩と猫屋敷さんは顔を見合わせ目を見開く。
「朱日ちゃん……今、笑うてなかった?」
「ぼ、僕にもそう見えたんだけど……流石に気のせい、だよね? 糸守クンはどう思う?」
「いやー……ど、どうでしょう? 笑ってなかったと、お、思いますけど……」
まさかの事態に、二人は現実を疑っているらしい。
朱日先輩の名誉のため、ここは一つ嘘をついておく。
……正直、笑っていましたよって言ってもいいんだけどな。
ただそれをするには、朱日先輩の許可がいる。
理想のお嬢様でないと受け入れてもらえない、という思い込みに囚われている以上、俺の独断で勝手なことはできない。
「……そっか。ぼくも呼び捨てにすれば……うん、そっか……」
どよめく女性陣の脇で、竜ヶ峰さんは一人何度も頷きながら何か得た顔をしていた。
初めて声を聞いたが、一条先輩より女性的だ。一緒の更衣室で着替えて、ちゃんとブツがぶら下がっているのも確認したのに、その上で更に疑ってしまう。
顔と声は可愛いのに、実は男でゴスロリ着用。
……何だか、自分の中で変な扉が開きつつある。これ以上考えるのは、もうやめておこう。
◆
「ふぅー……あ、危なかった……」
トイレの個室に避難し、私はホッと息をつく。
知らなかった。要君からのタメ口と呼び捨ての合わせ技が、あそこまで強力だとは。
演技で塗り固めていた壁を容易に突破して、思わず皆の前でニヤけてしまった。……だ、大丈夫だよね? 見られてないよね?
『あ……朱日、好きだ! 俺と付き合ってくれ! 朱日じゃなきゃダメなんだ!』
彼の台詞を思い返して、少しだけ落ち着いた熱が再び迫り上がってきた。
やばい。やば過ぎる。
ちょっとこれ、どうしよう。こんなんじゃ、皆のところに戻れないよ……!
「……もっといっぱい、言って欲しいな……」
そう呟いて、ブンブンと首を横に振った。
違う! 違うでしょ私!
今はそんなことはどうでもよくて、早く落ち着いていつも通りに振る舞わないと!
一旦深呼吸をしよう。
すぅー、はぁー。
すぅー、はぁー。
すぅー、はぁー。
よし、おっけー。
これでいつも通り。もう皆の前に戻れそうだ。
『朱日じゃなきゃダメなんだ!』
扉の鍵を開けようとしたところで、再び彼の声が頭の中で響いた。
うわぁー! あぁー! んがぁあー!
ダメダメダメ! 考えちゃダメ! 思い出しちゃダメー!
口元が勝手にニヤけて、膝から力が抜け顔が熱くなる。
心臓の鼓動が早くなり、身体の奥からドクドクと音が聞こえる。
堪らないくらい、要君のことが欲しくなる。
何てこと言わすのさ、一条さん!
あんな……! か、勝手に、私たちの仲をぐちゃぐちゃにして!
初めてキスした時もそうだったけど、ちょっと出しゃばり過ぎなんだよ!
もう! ほんとにもう!
ありがとうございます!!
「家に帰るまで我慢しなきゃ……私はいい子、我慢できる子……!!」
自分に何度も言って聞かせ、意を決してトイレを出た。