大学で一番かわいい先輩を助けたら呑み友達になった話 作:枩葉松
「ごめん、要君! 今日の晶さんとのお出かけ、代わりに行ってくれない!?」
「えっ……あ、はい。わかりました……」
午前十一時頃。
ちょうど身支度を済ませたところで、朱日先輩のスマホに凶報が入り、彼女は駆け足で部屋を出て行った。
一条先輩との待ち合わせまで、あまり時間がない。
小さく息をついて、俺は準備を開始した。
正直、乗り気じゃなかった。
一条先輩のことは友達として好きだし、とても大切に思っているが、同時に危険視もしている。
何てったってあの人、俺と朱日先輩を性的に見てるわけで。
口を開けば壊れたお喋り人形みたいに、3P3P3P……これで警戒するなって方が無理な話だろ。
今日だって、何かやらかすに決まっている。
……まあ、被害を受けるのが朱日先輩じゃなくて俺に代わったのは、不幸中の幸いだけど。
そんなわけで、かなり身構えながら待ち合わせ場所へ向かった。
「……っ」
遠目で一条先輩を見つけた時、本当に彼女かと疑った。
白のニットにデニムスカート、薄ピンクのロングコート。
普段は輩丸出しみたいな格好をしているのに、見違えたように小綺麗にまとまっている。
スマホ画面を手鏡代わりに前髪を整えて、小さく笑って、そわそわとして。
本当に、本当に、心の底から、今日という日を楽しみにしている女の子が立っていた。
それを見て、俺は反省した。
忘れちゃいけない。
今日が、あの人の誕生日だってことを。
大勢の人にお祝いしてもらえるのに、他の誰でもなく、朱日先輩たった一人からの祝福を選んだってことを。
確かに一条先輩は危険で、警戒しなくちゃいけないが……それよりも何よりもいま俺が持つべきは、祝福の気持ちだ。朱日先輩だって彼女を全力で楽しませるつもりでいただろうし、代わりを任せられた以上、そこを頭に入れておかなくちゃならない。
「すみません、一条先輩。実は――」
気合いを入れ直し、俺は彼女に声を掛けた。
◆
「……一条先輩って、こういうところ来るんですね」
「気に入らないなら、僕は全然ラブホデートでもいいよ?」
「いいわけねえだろ」
昼食後、僕たちは水族館に向かった。
事前に購入していたチケットで、足並みを揃えて入場する。
「俺、水族館に来るのかなり久しぶりです。……最後に来たの、中学生の時じゃなかったかな」
「えっ!? あ、朱日さんと来たりしないの!?」
「……思い返すと、来たことないですね。まあ俺たち、家の中にこもってることが多いので」
「ってことは僕、糸守クンの
「呼吸するたびに下ネタ吐かないと死ぬ呪いにでもかかってます?」
「そうなんだ。これを解くには、糸守クンたちと3Pするしかないんだよ」
「あっ、カワウソがいるみたいですね」
僕の言葉を無視して、歩き出した糸守クン。
うざいとか思われちゃったかな、と反省の念が脳裏を過ぎった矢先。
「一条先輩」
繋いだままの手。
一歩、二歩と前に出た糸守クンが、僕を見ながら緩やかに引っ張った。
「足元、暗いので気をつけてください」
「……う、うん。ありがと」
何でもない気遣いに、些細な女の子扱いに、どうしようもなく口角が緩んだ。
ただ、歩幅を合わせて歩く。
手と手が触れ合って、たまに肩が当たって、視界の少し上に彼の横顔があることが堪らなく嬉しい。
分厚いガラスの奥の魚や動物たちよりも、つい、ガラスに反射した彼の顔をジッと見つめいた。
二重のまぶた。重たい黒の瞳。特徴のない中性寄りの顔立ちだが、骨格はガッシリとしていて頼り甲斐がある。
無意識に息を飲み、自分が見惚れていたことに気づいて、まずいまずいと咳払いする。
何だよ、これ。
僕の好きとか、惚れてるとかってやつは、こういうのじゃないだろ。
妙なことを考えるなよ。
「あの」
「ん?」
カワウソを見て、熱帯魚を見て、ペンギンを見て。
ふと、糸守クンは険しそうに言いながら後ろを一瞥した。
他のお客さんや従業員がいるくらいで、特に何もない。
なのに彼は眉をしかめて、数秒凝視して、小さく息をつきながら前へ向き直る。
「……いや、俺の気のせいでした。次に行きましょう」
そう言って、さっきよりも少しだけ大きな歩幅で歩き出した。
◆
糸守クンと順繰りに展示を見て周り、この水族館の一番の目玉である巨大水槽のフロアに来た。
「わぁ……すごいですね、これ」
「でしょ。世界でも五本指に入るサイズの水槽だよ」
「世界、ですか……」
「シンガポールとかドバイ行くとこれ以上に大きい水槽があるから、機会があったら朱日さんと行っておいでよ。……それとも、僕とお忍びでデートする?」
「お忍びで行くには遠過ぎでしょ……っていうか一条先輩、詳しいですね。好きなんですか、水族館」
彼の何気ない問いかけに、「えっ」と声を漏れた。
視線を泳がせて、唸りながら頬を掻いて、苦々しく微笑む。
「……うん。実は……その、ちょっと好き、かも……」
「何ですか、ちょっとって。素直に好きって言えばいいじゃないですか」
「い、いや、だって! ……僕が水族館好きとか、変じゃん……」
「何が変なんです?」
「それは……似合わない、というか……」
「まあ、意外ではありますけど。ギャップがあって可愛いと思いますよ」
「っ! ま、また可愛いって言った……!」
ギッと睨みつけるも、キツく結んだ唇は勝手に解けて緩やかな笑みとなった。
……ダメだ。勝てない。
「でも、俺も水族館好きかもです。久しぶりに来ましたが、こんなに楽しいなんて忘れていました。連れて来てくれてありがとうございます」
「お礼なんかいいよ。……僕、昔から好きでさ。子どもの頃は水族館で働くのが夢だったんだ」
「素敵な夢じゃないですか。大学卒業したら、そっち系に就職すればいいのに」
「簡単に言うけど、かなり難しいんだよ。接客スタッフならともかく、魚とかに関わるってなると専門知識は必須だし、そもそも求人自体ほぼないし。大体、ヤクザの親分の娘が職場にいるとか誰もいい顔しないでしょ」
糸守クンは一瞬口を開くも、難しそうに眉を寄せてゆっくりと閉じた。
そんなことない、と言おうとしたのだろう。
ただ残念ながら、表社会において僕の出自がプラスに働くことはない。糸守クンや朱日さんは気にしていないが、普通は気にするしとりあえず距離を取る。
「じゃあ、一条先輩が水族館を作ればいいじゃないですか……!」
「……は?」
「あれ、ダメですか? 面白いと思うけどな……」
「確かに面白いけど、水族館ってものすごくお金がかかるんだよ。流石の僕でも用意できないって」
「えっと……だったら俺も、頑張ってお金出すのでっ」
「頑張ってって、具体的にどれくらい? 一千万でも足りないよ?」
「……朱日先輩に、出資をお願いしてみます……?」
「そこをあてにしたら水族館の一つや二つ平気で建ちそうだけど、僕、友達からお金を借りる趣味はないんだ」
糸守クンなりに、僕の気分を盛り上げようとしてくれたのだろう。
しかしどうしようもない現実を前に、しゅんと意気消沈。
そんな様子が愛らしくて、んっと手を伸ばして彼の頭を撫でる。
「ありがとね、気をつかってくれて。でも僕、今の生活に満足してるから。BARの経営も上手くいってるし、今年中にもう一店舗出す予定だから、水族館にまで手を出してる余裕はないんだよ」
「……そう、ですか?」
「うんうん。糸守クンはいい子だなぁ。ご褒美に、僕のおっぱい揉んでもいいよ?」
「全力で遠慮させてもらいます」
ペシッ、と僕の手を払い除けた糸守クン。
少しの沈黙のあと、見つめ合って、クスクスと笑って。
もう一度手を繋いで、次の展示へと向かった。
作中ではぼかしていますが、一条先輩の誕生日は1月13日(タバコの日)です。