新・兎は星乙女と共に   作:二ベル

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あともうちょいでこの章(プロローグ)は終わり


栄光血統Ⅸ

 

「今日は雪が降るかもしれないわねー」

 

腰に手を当てて、空を見上げながらアリーゼが言った。同じ派閥の少女達も空を見上げて、白い吐息を吐きだす。空は分厚い雲が覆っていた。いつになく肌寒くて、いよいよ冬の到来か…といったところ。

 

「降ったら初雪でございますなあ」

 

かじかむ手に息を吹きかけて輝夜は言う。

ついでに露出度の高い狼人(ウェアウルフ)のネーゼと女戦士(アマゾネス)イスカへと目を向けるが、寒さに強いのか震えてすらいない。年中そんな恰好とはまったくもって恐れ入る。

 

「リャーナさん、お腹出てますけど大丈夫ですか?」

 

「セルティ、お腹出てるって……太ってるってことかしら?」

 

「ち、違いますよっ!?」

 

ヘソ出しスタイルの只人(ヒューマン)リャーナという先輩に妖精(エルフ)のセルティが心配の声をかけるが、言い方がよろしくなかったのか、リャーナはセルティの言葉の意味をわかったうえでいじった。口元に笑みを浮かばせ目を細めて揶揄うお姉さんにセルティは赤面して弁明する。

 

「ベル、可愛かったねぇ」

 

「あの子はどうしてああも母性というか庇護欲をかき立ててくれるのかしら」

 

少女達は瞼を閉じて思い出す。

まだ眠っていてもいいのに、アリーゼ達の起床にあわせて朝早くから起床し朝食をとった後、暖炉の前でアルフィアとぬくぬくとしている『うさぎの着ぐるみパジャマ』を着たベルのことを。元は山奥だとか地図にものっていない場所に住んでたらしいから寒さには強いと思っていたが、寒いものは寒い。ベルは小さな体を丸くしアルフィアの膝に顔を埋めてぷるぷると震えていた。その光景に、コーヒーを飲んでいた女神や外出の用意をしていた少女達の胸にズギュゥンっと撃ち抜かれたのだ。なんでそう可愛いことを素でできるの? なんなの? 本当にアルフィアの子なの? といった心境である。 お姉さん達は末っ子の弟分が可愛くて仕方がないのだ。

 

「まあベルが可愛いのは置いておくとして、今日も1日、都市の平和を守りましょう!」

 

パンパンと手を叩いて、アリーゼが言う。

寒さにも負けずいつものように笑みを咲かせる彼女に、仲間である少女達も白い吐息を吐きながら笑みを浮かべてオラリオの秩序を維持するため今日も今日とて憲兵活動(パトロール)を始めるのだった。

 

 

この日、彼女達が知る中での死亡者数は『1』であった。

 

 

 

×   ×   ×

廃教会

 

アリーゼ達が日々の活動を開始したのと同じ頃。

都市の片隅というべきか、人々から忘れ去られたような場所にある寂れた教会にアルフィアはいた。愛していた半身(メーテリア)が大切にしていた場所だ。夢うつつというわけではないが、どこか足元がおぼつかない足取りのアルフィアは、最後の力を振り絞ってというべきかこの教会に訪れていた。

 

 

「…………先客がいるとは、思わなかったな」

 

瞼を閉じたまま、廃教会の中、足の壊れた教会椅子(チャーチチェア)に腰かけ、割れて穴ができているステンドグラスを見上げるようにしている男がいた。血の様に赤い髪に糸目が特徴的な彼はしかし、存在感が薄く、なんとも覚えられにくい顔をしている。はて、こいつの名は何だったか…そう思えるくらいには。

 

「こんなところにいていいのか、お前は秩序の側ではないだろう?」

 

それは言外の「見逃してやる」という言葉だ。

振り返りアルフィアを見る男は、少しだけ寂し気に笑みを浮かべて肩を竦めた。

 

「ええ、ええ、確かにここにいるべきではないのは重々承知しておりますとも。しかしながら、私はどうも縁に恵まれなかったようでして……契約を交わした主にすら置いていかれ、正義の者達からも忘れられ、この教会に辿り着いたのですよ。ですが……英雄の死に際に立ち会えるとは……運が良いと考えるべきでしょうか?」

 

「知らん。何より、貴様何ぞの前で死ぬつもりはない。私はこの場所を記憶に刻みに来たにすぎん」

 

「今の貴方相手ならば……私でも殺すことは可能では?」

 

「……そう思うか?」

 

「………いいえ、やめておきましょう」

 

敵うとは思わないし、何より介錯してやるみたいで面白みもない。だが、もうすぐ死ぬだろう英雄の顔を拝めたことは喜ばしいことでもある。男は細い瞼を上げて魔女の姿をその瞳に焼き付ける。

 

「所詮、死ぬときは人ですか」

 

「英雄と呼ばれるのであれば、違う死に方を想像でもしていたか?」

 

「いえいえ、そうではありません。そうではありませんが、『英雄』と呼ばれる者達がその後どうしているのかなどと、物語では語られることはありませんから」

 

「当然だ、誰もそんなものに興味はない。成し遂げた者達の物語は既に終わり、そして、俗世に塗れて消えていく。『英雄』はいつまでも『英雄』なのではない」

 

「ふふふ、私も常々『英雄』を敬っていましたが……そうですか、そんな方々の最後は、なんてことはないのですか」

 

クツクツと笑う男に魔女は肯定も否定もしない。

ステンドグラスを眺め、教会を眺め、そして壁にもたれ掛かるようにしながら、いつかの記憶に身を委ねる。男を排除してやろうとは思わず、いないものとして扱った。

 

「敬っている……か」

 

「?」

 

しかし、ふと、アルフィアが口を開いた。

『英雄』に憧れている子供のことを彼女は知っていたから。

だから目の前にいる男との違いも手に取るようにわかった。

 

「貴様の英雄信仰はただの『嘲笑』だろう? もしも正義の小娘共と貴様が刃を交えたのであれば、こう言われたのではないか?」

 

 

――破綻者、と。

 

 

「!」

 

 

「小娘共はまだまだ未熟だが、それでも、何も知らない無知蒙昧な有象無象ではない。貴様がここに訪れたのは偶然にせよ、貴様が誰からも忘れ去られ後を追われることもないのは、貴様のその特徴故。だが、貴様の言った英雄を敬っているというそれは、拗ねていた童がそのまま捻くれた大人になってしまっただけだ」

 

アルフィアには男の抱える欠陥など分からない。

だが、男は目を見開き心の臓に刃を突き立てられたかのように衝撃に震えた。まるでザルドに言われた時と似ていたからだ。

 

「私も他人のことは言えたことではないが、お互い、人間のフリをするのは疲れるものだな」

 

「っっ……!」

 

もうここに用はない、好きにしろ。

そう言いたげに踵を返し立ち去ろうとするアルフィアに男は勢いよく立ち上がり、言った。

 

「何故、なぜ、貴方は【暴食】のように『悪』へ堕ちなかったのです!? なぜ、『正義』の側につくでもなく何もしなかったのです!? 都市にいたのでしょう!?」

 

迷い子のように、なぜ、なぜ、と声を荒げる男にアルフィアは溜息をついて長髪を揺らす。

 

「『悪』へ堕ちる理由がなかっただけだ」

 

「理由が、なかった……?」

 

「だが、私が死にゆくことも事実。逃れようのない運命。だから、小娘共と肩を並べることもしなかった」

 

手を貸せば、自分がいなくなった後に弱体化する。

間違いなく。

強者に依存してしまえば、簡単に折られてしまう。

だからアルフィアは何もしなかった。

せいぜい派閥の本拠と治療院を守っていただけ。

根本的な悪との対決には踏み入ってはいない。

 

「それに………」

 

「?」

 

「息子がいる」

 

「…………は?」

 

「あの子を置いて……いや、あの子の英雄への憧れを裏切ることなど、できなかっただけだ」

 

ベルと出会わなければ…とそんな『もしも』を想像することは難しいことではない。だが、アルフィアはベルに出会ってベルを選んだ。だから『悪』にはなれない。後悔はないといえば嘘になるが、もうそんなことはどうでもいいのだ。男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてから、言った。

 

「そのようなこと、この私に教えて良かったのですか? 私は善人などではありませんよ?」

 

「信じた神にさえ置いていかれ、『答え』さえ出せない貴様に何ができる? できるわけがない、できたとしてもそれはただの癇癪で、八つ当たり。貴様自身を貶めることに他ならないぞ」

 

「………っ」

 

「それに……あらゆる『目』があの子を見ている。早々手を出せるとは思えん」

 

男から帰ってくる言葉はない。

アルフィアは長い髪を揺らして去っていく。

最後に訪れたい場所は、どうでもいい先客がいたが、足を運ぶことができた。それだけに満足して、彼女は女神と片割れ(メーテリア)の忘れ形見のいる本拠へ向っていった。その背中を男は静かに見送るのだ。

 

「あれが『英雄』の背中とは……」

 

偉大な背中だとは言えなかった。

簡単に折れてしまいそうなくらい細身で、華奢で、女の背。押せば簡単に倒れてしまいそうなくらいにはフラフラとしていて、神の恩恵がギリギリで生かしているようにしか思えない。それが、三大冒険者依頼の1つを達成させた立役者である『英雄』の成れの果てだったのだ。

 

 

 

×   ×   ×

星屑の庭

 

 

 

パチパチと薪が燃える音が静かに鳴る。

窓から見える雲は、曇っていて今にも雪が降りそうだった。

安楽椅子(ロッキングチェア)に揺られて、アルフィアはぼんやりと暖炉からくる光を眺めていた。普段閉じられていた瞼はほんの少しだけ開かれているが、力は失われつつあるのか、やはり閉じているに近いほどにしか開かれてはいない。右隣にはベルがアルフィアに寄りかかるようにして眠っていた。落ち着いた寝息を立てている。大人2人が一緒に座れば窮屈だろうが、まだまだ体の小さいベルであればどうということもない。

 

「まったく……1人で出歩かないでと言っているというのに、貴方は……アリーゼ達が出て行った後に出て行って……ベルは目を覚ましたらお義母さんがいなかったって泣いちゃって、ずっと落ち着かなかったのよ? 気まぐれで出て行くにしろ、何か言って欲しいものだわ。3時間よ? 3時間も貴方、外にいたの。調子だって良くないでしょうに」

 

むしろ、この小さな体からくる温もりが心地良い。

外出から戻ってきた時には涙を溜めた顔で、詰められ、怒られたアルフィアは「この子は母親似だな」なんてことを思った。正座させられたらどうしようとかちょっと思った。

 

「アルフィア、聞いている?」

 

「……………ああ」

 

ぶつくさ主神(おや)として説教をくれるアストレアの声が遠く感じられる。彼女は近寄って、ズレ落ちた毛布を取ると包み込むようにかけてくれた。そうして、眠るベルの髪を梳くように撫でるとアルフィアの左隣に椅子を持ってきて腰を下ろした。女神の手が、魔女の手に添えられる。

 

「最後に行きたい場所へ、行けたの?」

 

「………………ああ、先客がいたが」

 

「あの場所に? まあ、そういうこともあるのかしら……?」

 

廃教会のある場所は、正直言って人通りのある場所だとは思えない。むしろあちこちに瓦礫なんかもあったりして人気(ひとけ)はない方だ。だから訪れるのはせいぜいアルフィアくらいのものだと思っていたが、珍しいこともあったのだろう。

 

「………………気にする必要は、ない。取るに足らない、憐れな人間だ」

 

「…………そう」

 

アストレアにはそれが誰なのかなんてわからない。

アルフィアはそれをわざわざ伝えようとも思わない。

アストレアは添えた手からアルフィアの脈を計り、ゆっくりと上下する胸元を見て、目を細める。

 

「ベルを、起こさなくてもいいの?」

 

「……………もう死ぬから起きてくれとでも言うつもりか?」

 

「そうでは、ないけれど……何か、伝えたいこととか、あるんじゃないの?」

 

アルフィアが黙って外出したものだから、ベルは泣いてしまって大変だった。今はアルフィアにくっついて安心したように眠っているがアルフィアが明日を迎えることはないということをアストレアにはわかっていた。触れた手から伝わる脈動がそれを物語っていた。何より、アルフィアの反応が遅くぼんやりとしていることも何よりの証拠だった。親子の最後の語らい、それはいらないのかと焦りを交えて言うがアルフィアは必要ないと首を左右に振った。

 

「今わの際に子に伝えることなど、思いつかん……」

 

「…………そう」

 

カチ、コチッと時計の音。

パチ、パチッと薪が燃える音。

それが耳朶を震わせることしばらく。

途切れていた会話を、アストレアが口を開くことで再会された。

 

「聞かせてアルフィア」

 

「……………」

 

「貴方にとって、ベルは………何だった?」

 

「……………」

 

返事はない。

時間もない。

もう、彼女の命の灯火が消えてしまう。

アストレアはもう会話は無理か、と悲し気に瞼を閉じた。

 

「………【ファミリア】を失って、メーテリアも失って」

 

もう何も言ってくれないのだと思った時、ふいにアルフィアが口を開いた。おぼろげな意識で、夢うつつと言った具合で、ぽつぽつと独白する。

 

「足元が突然崩れてしまう……それが、何より怖いのだと思いもしなかった」

 

少しだけ開かれた瞼、そこにある左右色違いの瞳に暖炉の輝きが映る。

 

「メーテリアを失った私は、暗闇の中を歩いている気分だった。ベルに出会ったのは、本当に、気まぐれなんだ……あの気まぐれがなければ、私はきっと次代の英雄を生み出すために……ザルドと同じ道を選んだ、はずだ」

 

「…………」

 

「ベルの顔を見て、私は言葉にできない感情に支配された。涙さえ流していたのかもしれん。気づけば、抱きしめていた……ベルも、初めて会ったというのに、泣いてしまっていた。私はオラリオに来る前、ベルと一緒に歩いた黄金の麦畑を……一度として忘れたことはない。ベルも、そうだったら……嬉しい」

 

「ベルはアルフィアが大好きだから、きっと……忘れないわ」

 

アルフィアは口元に笑みを浮かべた。

 

「分厚い雲が空を覆うこともあるだろう……それでも、見上げれば星の光が見えることもある」

 

「………ええ」

 

「私には………暗闇の中で、弱くとも輝く……(ほし)に見えた。私はきっと、この子に救われたんだ」

 

アルフィアの瞳がベルを見る。

安心しきったような寝顔をしていて、そんなベルを抱き寄せれば胸元を寝息が撫でる。

 

「母親らしいこと、など私にはわからなかった……『腹』を痛めて産んだ子ではないからな」

 

「そんなことは……」

 

そんなことはない、と言おうとした。

それでもベルにとって貴方は母親なのだと言おうとした。

だけど、アルフィアの言葉がそれを遮った。

 

「それでも、『心』を痛めて面倒を見た子ではある」

 

「!」

 

「私は……神々(おまえたち)が憎い。こんな世界にして、こんな世界に産まれさせたお前達が、許せない」

 

「……ええ」

 

前にもそんなことを言われた。

たとえ八つ当たりであったとしても、それを言うだけの権利はあるはずで、だからアストレアは受け止める。

 

「嫌いだ」

 

「ええ」

 

「大っ嫌いだ」

 

「ええ」

 

うわ言の様に言われて、相槌を返す。

 

「それでも……ベルを受け入れてくれた女神だ、だから礼は言う」

 

「…………え?」

 

「ありがとう……神様」

 

「っっ、良いのよ……私は、貴方達の神様なのだから」

 

言葉に詰まる。

アルフィアに感謝なんてされたのは、初めてかもしれない。だから目元が熱くなって視界が潤んだ。

 

「ああ………」

 

アルフィアが溜息をつくように息を吐いて、搾りかすを出すように言葉を紡ぐ。

 

「やはり……死ぬのは、怖いな」

 

「アルフィア……」

 

「私は、メーテリアの元に、いけるだろうか」

 

「………ええ、きっと」

 

「そう、か……」

 

暖炉の薪が、燃え尽きていく。

アルフィアの意識も遠ざかっていく。

待って、待って欲しい。

永遠を生きる女神であっても、そんなことを願う。

神にとってはほんのわずかな離別なのに。

 

「アルフィア? ベルが『英雄』になりたいって……言ったら、貴方は、嬉しい?」

 

「………『英雄』、か」

 

瞼を閉じたアルフィアはゆっくりと息を吸うように胸を上下させた。穏やかな笑みを浮かべて、彼女は言う。

 

「叶いそうに………ない、良い………夢だ」

 

パチンッ、と暖炉の薪が燃え尽きて灯りが消えた。

アストレアが触れていたアルフィアの手から脈動が失われていった。ゆっくりと、心臓もその動きを止める。胸は上下せず、身体から力が失われていった。時期に体温さえ失い、身体は冷たくなっていくだろう。

 

「………っ、おやすみなさい、アルフィア」

 

どうかよい夢を。

そう言ってアストレアは彼女の手を膝の上に乗せてやり毛布を整えてやる。目尻からは涙がこぼれていた。女王のような魔女の死に顔は、優しいものだった。部屋が冷えていく。ベルが風邪をひいてはいけないと、暖炉に薪をくべ、また火をつける。潤んだ視界を指で拭って、窓から見える外の景色を見た。

 

「雪………」

 

寒々しい灰色の景色。

その中で、小さな粒が、ほろりほろりと落ちてくる。

今年、オラリオに初めて降る雪だった。

どこか寂し気な空色を、誰もが見上げる。

 

 

「あ、雪」

 

「降ってきたね」

 

「積もるかな!?」

 

「さあ、どうだろう」

 

人々は寒さに震えては、降ってくる白い粒を見上げたり、或いは手のひらに落ちて消えるのを見たりと喜びを見せた。

 

「逝ったね」

 

「旅立ってしまったか」

 

「さようなら、女神(ヘラ)の最後の眷族(むすめ)

 

「あの子は、耐えられるのかしら」

 

「大丈夫さ、彼女達がいる」

 

神々は、下界の住人達とは違う意味で空を見上げた。

下界を去る魂を見送るように空を見上げているのだ。

偉大なる『覇者』は、生き残っていた最後の1人は、もう旅立ったのだと。おふざけで笑う者はいない。「よく頑張ったね」「お疲れ様」とでもいうかのように愛おしいものに向ける眼差しを天に向けるのだ。そして、そんな『覇者』と血を同じくする幼い子供のこれからを憂うのだ。

 

 

×   ×   ×

???

 

 

気付けば、見知らぬ場所に立っていた。

静かで、穏やかで、落ち着く場所。

灰色の長髪を揺らして、彼女は見たことのない景色を右に左と顔を動かして眺めていた。傍らにベルはいないし、姦しい小娘共も、あの優しい女神もいない。

 

「アルフィア」

 

そう、名を呼ばれた気がした。

だから振り返った。

そこには、自分と瓜二つの容姿だが自分とは違って蒼い瞳に処女雪のような白い髪を持った女がいた。自分とは違って1人では部屋から出ることすら難しいような奴で、才能の欠片もない凡人も凡人で、だけど誰よりも優しさを持って、誰からも愛される不思議な奴だ。

 

「メーテリア……」

 

己の半身との再会に胸が歓喜に震える。

寂しかった。

会いたかった。

そんな言葉が湧くけれど、似合わないから口にしない。

己の半身に手を握られて、労われる。

 

「ああ、メーテリア……私は、精一杯、生きたよ」

 

額と額を合わせて、笑みを浮かべて彼女は言った。

優しい光が2人を照らす。

離れ離れになっていた2人は、手を繋いでどこかへと消えていった。

 

 

×   ×   ×

星屑の庭

 

 

暖炉からくる温もりが冷えた身体を癒してくれる。

外はすっかり暗くなり、夜だ。

雪は降り続けている。

きっと、明日にはいくらか積もっていることだろう。

いつも賑やかなはずの乙女の花園ともいえる本拠は、この日ばかりは静かだ。いや、静かと言うには少し語弊がある。鼻水を啜る音、嗚咽を漏らす音、そして小さな男の子の鳴き声が響いていた。

 

「いやだ、いやだ、いやだぁ………っ」

 

もう動くことはない義母の胸元で涙を零しながら、泣きじゃくる。帰ってきた少女達は、そんなベルの泣き声に何事かと団欒室にやってきてアルフィアが逝ってしまったのだと知った。アストレアから、聞かされた。アルフィアの顔は、見たことあったのかと疑問に思うくらい穏やかで、柔らかな笑みを浮かべているようだった。

 

「んだよ、調子が悪いなら言ってくれりゃいいのによ……」

 

「持病っていうのは知ってたけど……本当に死んでしまうなんて思えなかったわ」

 

「だって滅茶苦茶強くて、私達何度もぼこぼこにされたのよ?」

 

ベルには聞こえないように、少女達は言う。

アルフィアが死んだ?

エイプリルフールはまだ先よ?

そう言いたいくらいに、目の前の現実が信じられない。

だってついこの間まで、自分達をぼこぼこにしていたし、いつも表情を碌に変えなくて死相なんて見えなかったのだから。調子が悪いときは部屋から出てこないこともあったが、弱いところを決して見せなかったのだろう、きっと。だから持病とは言え死ぬとは信じられなかったのだ。ベルの泣き声に釣られるように、女傑と言われてもいい少女達もまた喉を震わせ視界を潤ませ、手のひらを握り締めた。アストレアはベルの背中を摩って、少女達が帰るまでのことを話した。少女達に何か言っておくことはあるかとは聞かなかった。ベルの話をするほうが良い気がしたし、彼女が「後は頼んだぞ」なんて言うとは思えなかったし、少女達を鍛えていた期間があるのだからその間に言っているだろうと……そう思ったから。

 

「………ベル、あのね」

 

アリーゼがアルフィアの胸に縋って泣くベルへと近づく。

恐る恐ると言った具合に手を伸ばして、震える背中に触れようとした。何を言えばいいのか迷うように言葉が濁る。

 

「っ、お義母さんに、触らないで……っっ!」

 

「っっ、違う、違うわ、ベルっ」

 

ベルはアルフィアに触ろうとアリーゼが近付いたのだと思った。いつもなら言わないことを反射的に口にした。それにびっくりしてアリーゼが歩みを止める。目が覚めたら大好きなアルフィアが死んでいたのだ、精神状態は落ち着けるものではない。死なない、死ぬはずない、だってお義母さんは強いんだから。きっと明日も……そう思っていたのに、もうアルフィアはいないのだ。でもベルはまだアルフィアに甘えていたい子供だった。そしてアリーゼ達は、ベルにかけてあげる言葉が思いつかなかった。だから言葉が詰まってしまう。何せ、少女達の中で肉親の死に立ち会った者はいないからだ。そもそも親の顔も名前すら知らない小人族。故郷を飛び出した只人と妖精。孤児院育ちの者もいるが、こうして死に際に立ち会ったことはきっとない。だから「貴方の悲しみは分かるわ」なんて言うのは違う気がしたのだ。

 

「貴方達のっ、せいだ……っっ」

 

癇癪を起したようにベルは叫ぶ。

大粒の涙を零して、言葉を途切れ途切れに。

自分達より歳の離れた子に言われて、その言葉が胸に突き刺さる。

 

「僕はもっと……っ、お義母さんと一緒にいたかったのに……っ!!」

 

「っっ!」

 

「ぅ、ぁ……ち、ぁっ……っっ、あぁぁ……っ、うあぁぁぁ……っ!」

 

言外の貴方達が殺したんだ、という言葉。

アルフィアともっと一緒にいたかったというベルの本音。

アリーゼ達がアルフィアと戦って、勝利した。

それが確かにアルフィアの死を早めてしまったのかもしれない。それは誰にもわからないことだが、言われてしまえば否定するのは難しい。何より、その期間、少女達はベルからアルフィアとの時間を奪っていたことになるのは事実だ。言われても、仕方がなかった。突き刺さった言葉に、誰かが涙を零した。何かを言おうとした妖精が、只人に腕を引かれて「やめろ青二才、事実だ」と静止された。静止されて、顎でベルの方を指されて妖精の少女は目を見開く。

 

「………クラネルさん」

 

少女達を傷付ける言葉をぶちまけたベルが、誰よりも驚いて、誰よりも涙を零していた。自分でも自分が口にした言葉が信じられなかったのだ。普段から優しい印象を持つ男の子が、自分の口から出た言葉で少女達を傷付けた、そのことにまた泣いてしまったのだ。ベルは背を摩る女神に抱かれ彼女の胸を涙と鼻水で濡らし、わんわんといつまでも泣きじゃくったのだった。

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