彼が初めて人を殺したのは、齢14歳の頃だった。
イタリア・シシリーにある海沿いの小さな町。父親はごく普通の船乗りで、母親は花屋で働いていた。両親含めて親戚はみなカトリックを信仰しているから、日曜の夜は家族や親類たちと一緒にゆっくり過ごす、それが日常。
その日曜日もそうだった。
午前中のミサが終わり、親たちは昼と夜の食事の支度の為に、一足先に家に帰った時間帯。9割がカトリックを信仰しているというイタリアでは、平日に比べると昼間とはいえ店じまいしているところも多い。そうなれば、子どもたちにとって街は恰好の遊び場になる。
歩道の隅で、いつものようにサッカーボールを蹴って遊んでいた子どもたち。
その中には少年の従兄弟もいた。
セリエAのスター選手に憧れているようなだけの、夢と希望に満ち溢れた幼い子どもだった。なのに。
日曜の穏やかな昼下がりに轟いた、不快なクラクションの音。
一台の暴走した車は歩道を大きく乗り上げ、そうして従兄弟の命を理不尽に奪い去っていった。
飲酒運転が起こした悲惨な事件に、社会が犯人に下したのはたった数年の刑罰のみ。おまけにその犯人はどこぞの政治家あるいは有力者だそうで、警察への賄賂だのコネだので、刑期を予定よりも短くしたのではないかとさえ噂された。
しかし少年にとって、
問題なのは、ひとひとりの命を奪ったにもかかわらず、犯人が今後の人生をのうのうと生き続けることだ。たとえ犯人が法の下で最長の刑に服したとしても、きっと納得がいかなかっただろう。
かといって、飲酒運転では死刑にもなりえはしない。そもそもイタリアの死刑制度は1948年以後事例がない。全廃になるのも、もはや時間の問題だろうとさえ言われていた。
はたして、少年が取った行動は一つだった。
4年後、出所して帰路につこうとしていたドライバーである加害者を、後ろからナイフで一突き。相手は大人だからこそ体格にも力にも差はあり、もちろん抵抗もされたが、そんな些細なことに少年は構うことはなかった。
そうして絶命するまで、何度も、何度も刺した。
少年は人一倍正義感が強いとか、そういうわけでもない。従兄弟を殺したことへの怒りや悲しみももちろんあるが、それだけはない。
ただ、許せなかっただけだ。
犯人が従兄弟の死を覚えていようが懺悔しようが、それは関係のないことだ。
4年経過しても一切風化することはなかったその漆黒の決意が、少年を突き動かしていた。
シチリアの穏やかな海凪の音だけが響く夜の帳のもと。
こうして――リゾット・ネエロは、人生で初めて、人を
◆
爆発。
遠くで響き渡る音に、リゾットは閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。見上げれば、高層ホテルの一室から煙がもうもうと立ち込めている。
現在の雇い主である『Q』は組織としての格やら殺し方やらにこだわっているようで、決行日を決めた上で、集団で爆破テロを仕掛け、それに乗じて星漿体を抹殺する計画を立てていたのだ。
イベントや祭りごとでもあるまいし、戦闘能力もない相手ひとりに非効率的だとリゾットは考えるものの、界隈の転覆を企んでいるからこそ、世間を巻き込む派手な殺しやテロは、知名度や脅威を高めるにはうってつけなのだろう。
とはいえ、どこまでも【暗殺】に特化した術式であるリゾットと今回の派手な任務は、相性が悪い。
自分の能力や姿をむざむざ露呈させに出向く理由もないため、なにかしら予定外のことが起きない限り、今回はサポートと情報収集に徹することにしていた。
が。
「……」
ふと、ポケットの中に沈み込んでいた携帯が震える。
携帯を開いて届いたメールを見やり、早くも「予定外のこと」が起きたことを知るものの、その表情は彫像のように冷厳としたまま、暗殺者としての顔色を崩すことはない。
そうして周囲に溶け込むように、リゾットは静かにその場を立ち去った。
「ノックしてもしもお~し? おーい、生きてる?」
鼻歌でも歌いそうなほど軽やかな調子で、最強の寵児は言い放つ。
通りには、激しい戦闘の余波から瓦礫などが散乱していた。とはいえ、ほとんど五条は何もしていない。
襲ってきた相手――『Q』の最高戦力らしいバイエルという男が吹き飛ばされたり暴れたりしたから、勝手にこうなったようなものだ。のちのち夏油や夜蛾から苦言を呈されたとしても責任転嫁できる余地が十分あるので、気楽なものである。
「ぐ、う……クソガキがあ……!」
「なんだ、まだ元気じゃん。今からでも泣いて謝るなら殺さないでいてやるけど?」
どうする?とやはり軽い調子で尋ねる五条に、バイエルは青筋を浮かべる。まだ戦う余力はあるようだが、力の差は歴然だ。
といったところで、ふと五条は何かに引かれるように目線を持ち上げ、静かに目を細めた。
「あのハロウィンの仮装みたいな奴、あんたの友達?」
青い目線の先、通りの階段から静かに、しかし
「来たか……」
バイエルが素早く立ち上がり、五条と距離を置く。
既にバイエルの術式も動きもなにもかも把握し、格付けも済んだ後では、いちいち興味も脅威をも感じていない。
五条はバイエルに見向きもしなかった。むしろ、この状況で堂々と現れた男を注視すべきだろう。
「状況が変わった。貴様のような外部の人間に頼るのは腹立たしいが……優先すべきは星漿体。それまで、お前には五条悟の足止めをしてもらおう」
「……了解した。だが、その分の報酬は払ってもらう」
「チッ、足元見やがって……まあいい、雇われた分はしっかり働いてもらうぞ」
不快そうに舌打ちを零しながらも、バイエルはそのまま颯爽と身をひるがえして駆け出していく。その先には、爆破テロが起こったばかりの高層ビルがある。
五条の優れた目を凝らせば、呪力の動きがいくつかホテルに集まっている気配があった。他の部下も引き連れて、一気に大元を叩くつもりなのかもしれない。
「……追わないのか」
ふと、目の前の男が低く呟く。
敵の一連の流れとやり取りを棒立ちで見送っているのだからそう思われても仕方ないのだろうが、五条にとっては、それはごく普通の振舞いだった。
「べっつに~? どんだけ集まったところで雑魚は雑魚だろ。
「ほう、随分と余裕があるようだな……」
異様な雰囲気を持つ男は、五条の素にも近い挑発を受けてもなお、凪いだように平坦なままだ。
ヨーロッパ系の外国人のようだが、聞こえてきた話からして『Q』に雇われた殺し屋といったところだろうか。
男との距離は10メートル程度。五条から見る呪力の流れも穏やかで、特に動きはない。
「隙という……精神の穴が生じるのは……勝つ前に、勝利を確信した時だ……。それは……自信という怠慢になって、降り積もるもの……」
「あ? 何? 雑魚がいっちょまえに説教かよ」
「殺り方は、すでにできている――射程圏内だ」
バツンという