勝負当日、山頂には既に両陣営が集まっていた。
「エンジン問題なしです!」
「履帯、新しいものに変更終了!」
「ブレーキも異常なし!」
クルセーダーを囲うトリニティの技術陣。それを、万魔殿の三人は遠目に見ていた。
「嫌に気合が入ってますね……」
頭に包帯を巻いているイロハが、虎丸の上でイブキを膝の上に乗せながらそう呟く。
「うん、なんだか慣れてるみたい」
イブキも少し険しい顔をしている。もしかしたら自分が戦うかもしれないと、緊張しているのだ。かわいい。
「キキキ、案ずるな、こちらは既にすべてを終わらせてきた、後はその時を待つだけだ」
対照的に、マコトは主砲に足をかけ、余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「……心の準備だけはしておいてください、イブキ。バカマコトの制御は任せましたよ」
「おいイロハ、それは―――」
「うん! 任せて、イロハ先輩!」
「イブキぃ!?」
いつものやり取りをしていると、虎丸へ向かう影が一人。
「あら、随分余裕そうね?」
「ヒ、ヒナ!? なぜこんなところにいる!? 仕事はどうした!?」
ゲヘナ風紀委員長のヒナだ。
「きっちり終わらせたわよ。万魔殿がこのレースにお熱なおかげで、余計な仕事が風紀委員に回ってこなかったおかげね」
「……それで、何の用ですか?」
イロハの問に、ヒナは肩をすくめる。
「用も何も、ただ見に来ただけよ。まあ、仕事を減らしてくれたお礼に少しぐらい応援してあげてもいいけど……」
「冷やかしなら帰れ!」
マコトの言葉に、ヒナは小さく笑う。
「私が帰ったところで、ギャラリーは減らないわよ? 二校の一大勝負、既に道には色んな生徒が見に来てるわ。勿論、先生もね」
ヒナの言うことは事実だった。
ゲヘナ対トリニティの武力を伴わない戦争として、このバトルはキヴォトス中で注目されている。両校の生徒は勿論、アビドスやミレニアム、百鬼夜行の生徒も峠道の歩道や脇に陣取っている。
「それでは、そろそろ約束の時間になります。勝負を始めましょうか?」
ゲヘナ陣営に、余裕たっぷりの笑みを浮かべるナギサがやって来る。
「キキキ、望むところだ。このマコトさまと―――」
「イブキが相手だよ!」
クスクスと笑うナギサ。
「ええ、いい勝負を期待しております。それでは、スタートラインへ戦車を」
動き出す二輌の戦車を見つめながら、イロハは悔しそうにコースを見つめる。
「あの人は来ない、か……」
唯一ゲヘナでこのクルセーダーと戦える可能性があった人物。救急医学部のセナ。ホルヒ108。
そうこうしている内に、二輌からエンジン音が響き始める。慌ててイロハは虎丸へと駆け寄った。
「いいですか、速度は向こうのが上です、少しでもコーナーを早く曲がって、立ち上がり重視で攻めてください。S字時はあまりステアを切りすぎると重量でものすごく減速してしまうので―――」
「大丈夫だイロハ、任せておけ」
「その根拠のない自信はどこから来るんですか……イブキ、お願いしますね」
「うん!」
イロハが虎丸から離れたことを確認すると、正義実現員会の生徒が手を上げる。
「カウント行きます! 5――」
「ちょっと待ってください!」
カウントが始まるとほぼ同時に、生徒の持っていた無線機から声が聞こえる。
「こちらゴール地点、今車輛が一台山を登って行きました。危ないですし、少し待った方が良いのでは?」
誰かが来る。それを聞いたイロハは、正実の生徒に声をかける。
「車種は! 車種を聞いてください!」
「え? あ、はい。こちらスタート地点、登って来る車種はなんでしょう?」
「ええっと、戦車ではないです。装甲車……ああ、108ですね。ホルヒ108」
「来ましたね!」
ヒフミは戦車から顔を出して、興奮気味に声を上げる。
「アズサちゃん! 来ますよ!」
♦
坂を上るホルヒ108。そのドライバーであるフウカは、不自然に多いギャラリーに違和感を覚えていた。
「そこら中のカーブに生徒が立ってますね……何してるんでしょう?」
キョロキョロしながらも、108は高速でカーブをクリアしながら坂を上って行く。
「なんだか私、妙なところに来ちゃったかも……まあ、いいでしょう。勝てば部費倍額、これから創作料理もたくさんできますし」
そう呟きながらヘアピンを曲がり切る108。それを冷静な目で見つめる生徒が一人。
「んん?」
「ん、どうかした?」
アビドス高校のアヤネだ。不自然にじっと108を見つめるその姿に疑問を持ったシロコが、アヤネに尋ねる。
「いい腕ですね。コーナーを立ちあがるあの後ろ姿には、得も言われぬ余韻がある」
「ん?」
「分かりませんか?」
シロコはふるふると首を振る。
「あのホルヒ108から、強いオーラを感じました。もしゲヘナの代表があのテンハチだとしたら、この勝負、どちらが勝つか分かりませんよ」
ホルヒ108が山頂に到着すると、ギャラリーの生徒たちがざわめきだす。
「あの車を待ってたの?」
「でもあれって……」
イロハはセナが来てくれたものと喜んだのも束の間、車輛のカラーを見て目を見開く。
「……給食部?」
スタートラインに虎丸と入れ替わりで並んだオレンジと白のツートンカラーで塗られるホルヒ108。そこから降りて来たのは、ゲヘナ給食部の愛清フウカだった。
「フウカさん? 車はホルヒでも、セナさんが来てくれないんじゃ意味が!」
そう詰め寄るイロハに、頭を書きながらフウカは困った表情を浮かべる。
「えっと、セナさんに、部費倍額欲しければここでクルセーダーに勝って来なさいって言われたんですけど……」
「セナさんが……? 勝てるんですか?」
「ええ、まあ……あのクルセーダーには一度勝ってますし、多分?」
その発言に、イロハに電流が奔る。
「あの時言っていた、ホルヒ108って、フウカさんのことだったんですか……あの、フウカさん、この山はどれくらい走ってるんですか?」
「ええっと、美食研に攫われるたびに通ってるんで……かれこれ2年弱は」
イロハは「ふふっ」と小さく笑い、フウカの肩を掴んだ。
「分かりました……よろしくお願いします、フウカさん」
そうやり取りをしている間、裏では焦って目を回しているマコトが居た。
「お、おい、ほんとにあんな奴で大丈夫なのか!? やっぱり、私たちが出た方が……」
「心配いらないわ」
それを見かねたヒナは、ため息交じりに話す。
「愛清フウカ、美食研究会の一番の被害者である彼女は、何度もあのトラックと共に修羅場を潜り抜けてる。美食研伝いに聞いたわ、虚妄のサンクトゥム事件の時、彼女のドライビングテクニックのおかげで間に合ったこともあったりしたそうよ」
「フウカ先輩ってそんなに凄かったんだ! おいしいプリンも作ってくれるし、フウカ先輩凄い!」
イブキがぴょこぴょこと跳ねながら興奮を表す。
「ええ、彼女はなかなか底がしれない生徒よ。一緒に応援しましょうね、イブキ」
「はーい!」
そうこうしている内に、二輌からエンジン音が響き始めた。
「フウカさん、頼みますよ……」
祈るような気持ちで見つめるイロハ。
「スタート10秒前! 9、8、7、6」
雄叫びのようなエンジン音が山頂に木霊す。
「5、4、3、2、1、GO!」
掛け声と同時に、一気に二台は飛び出した。動き出しこそ同じだが、速度が乗り、ギアが2速、3速と上がると、クルセーダーは簡単にホルヒを抜き去って行った。
「早い、ヒフミさんのクルセーダー!」
「340馬力は伊達じゃないですね!」
「勝負になりませんよ、ホルヒ108なんて、まるで止まってるようでした」
トリニティの生徒たちは口々にそう言い始める。実際、その後ろで見ていたイロハも、同じようなことを想っていた。
「ふ、フウカさん……」
イロハの心中は、穏やかでは無かった。
スタートダッシュを見つめていたアズサは、冷静に108を分析していた。
(あのスタートダッシュから見て、エンジン馬力はせいぜい150馬力、ヒフミが言うモンスターとは程遠い。動き出しが良いのは、恐らく4WDの車であるからだろう。こういった峠道は、下手にFRの車よりも、しっかり4WDで地面を蹴った方が早い……だが、その程度でヒフミのクルセーダーが負けるとは思えない)
コーナーを曲がるブレーキング音に耳を傾けながら、アズサは思考する。
(となれば、モンスターなのは車じゃなく……ドライバーなのか?)
♦
走り始めた二輌の距離はドンドン開いていく。
「ストレートでちぎるのはなんだか申し訳ないですが、これも、ペロロ様グッズのためなので! 悪く思わないでくださいね!」
高回転ターボ独特の爆発音と、アフターファイヤーをバンバンと噴き鳴らしながら、ヒフミのクルセーダーはコーナーを曲がり、ダウンヒルを下って行く。
しかし、フウカのテンハチも負けてはいない。エンジン音こそクルセーダーと比べれば地味なものだが、的確なアクセルワークとクラッチ蹴りで、テンハチはまるで氷の上を進むように滑りながらコーナーをクリアする。
その様子は、無線機越しで、山頂にいるメンバーへと知らされる。
「あのテンハチ、とんでもない速度でコーナーを曲がって行きました! ガードレールと5センチ離れていませんでした! あんな速度でコーナーを曲がる車輛は見たことありません!」
その後も、一つコーナーを抜けるたび、クルセーダーとテンハチの間はドンドン詰まって行く。
フウカは何気ない顔で車を操るが、ヒフミの表情には段々と焦りが浮かんでくる。
丁度コース中間のコーナーへと差し掛かる頃には、ほとんど差が無くなっていた。
「うお! あのテンハチヤバいです! すごい勢いで車体全体を滑らせて、凄い勢いで出て行きました、いつすっ飛んでもおかしくないですよ! 見てるこっちがぞっとします!」
その無線を聞いていたアズサは、何も言うことはなく、ただ黙々と思考を巡らせている。
中間コーナーを抜けた次のコーナーへと入る時には、既にテンハチはぴったりとクルセーダーの背後に張り付いていた。
「追い付かれた!? 信じられません……気が変になりそうです!」
少しでも直線で距離を稼ぎたいヒフミだが、次のコーナーの入口が見えてブレーキを踏む。華麗なドリフトでコーナーをクリアしていくが、その背後をぴったりとテンハチはついてゆく。
しかし、コーナーの出口、立ち上がりの速度こそ互角だが、数秒経てばクルセーダーは速度を伸ばし、テンハチを後方へと置いていく。
「立ち上がりは互角でも、伸びが違う、か……ちょっとでも直線が長いと、一気に差が開く……」
ぼそっとそう呟くフウカ、相変わらず何食わぬ顔で、ほとんどブレーキを踏まず、アクセルワークとクラッチ、ステアリングでコーナーをクリアしていく。
長い直線に入り、クルセーダーもテンハチも限界まで速度を上げていく。テンハチの速度計も、100キロを刺そうとしている。
そしてやって来る連続ヘアピンエリア。ここにきて、フウカは初めてブレーキを踏んだ。リアタイヤに荷重がかかり、車後方を浮かしながら、とんでもない速度でコーナーを曲がって行く。
そうして迫って来るテンハチの影を感じながら、ヒフミも必死にクルセーダーを操縦する。
「直線では勝ってるのに、ここまで戦闘力に差がある車輛に追い込まれるなんて……ペロロ様グッズがかかっているんです! 負けられないんです!」
ヒフミはそう叫ぶと、レバーハンドルの脇にあるトグルスイッチを切り替える。すると、それまで回っていた履帯が切り落とされる。
その様子は、無線機越しに頂上のメンバーへと報告された。
「ヒフミさんが履帯を落としました! ヒフミさん本気です!」
「そんな、ヒフミさんがクリスティー式をフル活用しなくてはならなくなるなんて……」
クリスティー式サスペンション最大の特徴は、履帯を使わなくとも、チェーンで全輪が回転することで、履帯を外しても走行が可能になることだ。こうした舗装された道でなら、履帯よりもタイヤの方が速度を乗せやすい。それに、こうすることで改良されたリバティエンジンは全開を出すことが出来る。
履帯を外すとともに、ヒフミはさらにアクセルを踏み込み、エンジン回転数を示すタコメーターの針をメモリ外まで持っていく。もともとクルセーダーにはリミッターが存在しており、それを外すことで、より早く走ることが出来るのだ。
履帯を外し、リミッターを外したクルセーダーの最高速度は、脅威の140キロ。もはや戦車が出す速度ではない。
「んー早いなぁ……仕方ない、あれ、やりますか。部費倍額が掛かってますからね」
気合を入れ直すフウカ。心なしか先ほどよりも表情が真剣なものになる。
「凄い勢いで二輌がヘアピンへ突っ込んでいきます! ヒフミさんのクルセーダーは勿論ですけど、テンハチもとんでもない速度です!」
無線機から聞こえる実況は、山頂にいる者達の背筋を冷やす。
「凄い! テンハチ、完璧なブレーキングドリフトです! リミッターを外してなかったら、ヒフミさんはもう抜かれていたかもしれません!」
ほとんど同時にS字コーナーを抜けていく二輌。S字を越えた先で、クルセーダーはラインをアウトに移し、ブレーキを踏んで速度を落とす。この先のヘアピンコーナーを曲がるためだ。しかし……。
「嘘!? 減速しない!? この先はヘアピンですよ!?」
ヒフミが戦車の中で叫ぶと同時に、山頂組の無線機にも実況が届く。
「ああ! テンハチがとんでもないオーバースピードでヘアピンへ突っ込んでいきます! ブレーキが壊れたんでしょうか!?」
それを聞いて、思わずイブキは顔を覆う。マコトもイロハも、サーと顔から血の気が引いていった。誰もが、これはまずい。大事故になる。そう思った時だった。
フウカはコーナーへと差し掛かる瞬間、インコースへとさらに車を寄せた。直後、ズギュッ!という異音がヒフミの耳に届いた。
「なんですか今の音!?」
あっけにとられながらもドリフトへ移るヒフミだが、テンハチはドリフトすることなくインコースにべったりと張り付きながら、凄まじい速度で曲がって行く。ブレーキは一切踏んでいない。
見ていた観衆がどよめく。
「ヒフミさんが抜かれました! あっけなく、インからスパーッと!」
無線機から届いた実況に、ナギサは血相を変えて呼びかける。
「それじゃあまるっきり状況が分かりません! ちゃんと説明してください!」
「そ、それが、見ていた私たちも……車は、タイヤのグリップ以上の速度では曲がれないはずなのに、あのテンハチ、インベタの苦しいラインなのに、まるでジェットコースターのように変な曲がり方をしました……さっぱり意味が分かりません」
理解が追い付かないギャラリー、しかし一人だけ、そのトリックに気づいたものがいた。
「……なるほど、分かりました」
アビドス高校のアヤネだ。
「バカバカしいですが、あんなこと絶対誰にも真似できません……それに、この峠でしかありえないこと、ですね。ふふ、とんでもないドライバーがこのキヴォトスにはいるんですね」
「ん、アヤネ、どうゆうこと?」
「アビドスに戻ったら教えてあげますよ、シロコ先輩。今日はもう遅いですし、帰りましょうか」
アヤネは自身の三菱ジープJ52に乗り込み、その場を立ち去っていった。
「いつか、一戦交えることがあったら……ふふ、その時は私が勝ちますよ」
♦
ゴールラインに立つ正実の元へ、スキール音が聞こえて来る。
「こちらゴール地点! 最初に来たのは……テンハチです! その後ろにクルセーダー! この距離じゃあもう詰められません!」
無線機から悲鳴のような歓声が響く。
「今ゴール! ヒフミさんのクルセーダーが、負けました! テンハチの、勝ちです!」
その声が聞こえた瞬間、イロハとイブキは抱き合って歓喜の声を上げる。
「やった~! イロハ先輩! フウカ先輩が勝ったよぉ!」
「はい! 私たち、ゲヘナ陣営の勝利です!」
「キキ、キキキ! やはり我々に敵う者などいないのだ!」
喜びをあらわにするゲヘナとは対に、トリニティ陣営は血相を変えてタイムを問う。
「タイムを! 四レース合計のタイム差は!?」
これでトリニティが上回っていれば、一応トリニティの勝利となる。
「……残念ながら、合計タイムでも、ゲヘナが3秒早いです」
「そんな……」
わなわなとナギサは震える。
一方、レースを終えたヒフミは、ゲヘナの敷地内へ消えていくテンハチを見送って行く。
「まさか、二度も負けるなんて……ペロロ様グッズがぁ~」
へなへなとその場に座り込むヒフミだった。
♦
その後、アズサとヒフミは二人で、あのヘアピンへとやってきていた。
「この右です、私がテンハチに抜かれたのは……どうしても分かりません、インベタのコースを通っていたテンハチが、私のクルセーダーちゃんより早く曲がるなんて……今考えてもぞっとします」
アズサはぐるっとコーナを見渡し、顎に手を当てる。
「ヒフミ、その時、何か変わったことはなかったか?」
「変わったこと……? そう言えば、なんだか妙な音がしました、こうガリッて」
「妙な音……」
アズサは鋭い目で脇を見る。
「そうか……分かったぞ。教えようか、何故ヒフミが負けたのか?」
恐る恐るヒフミは頷く。アズサはゆっくりとコーナーのイン側に歩み寄って行く。
「彼女は、これを使ったんだ」
視線の先にあるのは……
「排水用の溝?」
「そう。彼女はこの溝にイン側のタイヤをわざと落とし、引っ掛けるようにして、遠心力に対抗する。そうすることで、理論的にはタイヤのグリップ以上の速度で回ることが出来る」
薄く笑いながら、アズサは続ける。
「あまりにも単純明快でバカバカしいが、いきなりやろうとしても、成功しないだろう。よほどこの峠を走っていたようだな」
「そ、そんなぁ……もー!」
ブンブンと手を振って地団太を踏むヒフミ。
「ふふ、ヒフミに対抗できる、なかなかいいドライバーを見つけたな。またいつか勝負しよう。その時は、私もいっしょにクルセーダーに乗るぞ」
そんなヒフミを慰めつつ、二人はトリニティへの帰路に着くのだった。
この日の出来事は瞬く間にキヴォトス中に広がり、フウカの操るホルヒ108は、ゲヘナのテンハチとして、名を轟かせる。
ここから、無敗のテンハチ神話は始まるのだった……。
《続かない!》